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第119回「マルホランド・ドライブ」

蝶の舌 監督…デヴィッド・リンチ
脚本…デヴィッド・リンチ
撮影…ピーター・デミング(『フロム・ヘル』)
音楽…アンジェロ・バダラメンティ(『ブルー・ベルベット』)
キャスト…ナオミ・ワッツ、ジャスティン・セロウ
ローラ・エレナ・ハリング、アン・ミラー、リー・グラント


2001年米・仏(配給コムストック)/上映時間1時間25分/ヴィスタ

<CASTジャック&ベティ>
ジャックの評価 /ベティの評価

…金かえせ!! / …いまひとつ
…まあまあ/ …オススメ
…大満足!!観なきゃソンソン


J/ マルホランド・ドライブって通りの名前なのだけれど、いかにも何かが起こりそうな場所でいいね。丘を登っていく道だから曲がりくねっ ていて、先が見えない。森に囲まれていて、下の世界とは切り離されたような感じがする。上からはハリウッドの町の明かりが揺れて 見える。その光に向かって森の中へと吸込まれていきそうな心地がする。

B/ デビッド・リンチ監督がこの通りの標識を見て、この映画のストーリーを思いついたというのもわかるような気がするわね。

J/ 今日は、ちょっとハリウッドの地図を持ってきたんだよ。やっぱりこの映画を観ていると、地理関係がとっても気になってきてしまうんで。 この地図、映画のロケ地とかも載っていてちょっと面白い。

B/ えーっと、マルホランド・ドライブって丁度あの「HOLLYWOOD」の看板のあるあの丘のところにあるのね。あらら、『ボディ・ダ ブル』の家もここにあるわね。ずーと下に降りてくると、サンセット大通りにぶつかるわね。映画でも確かここを降りてきて、この標識が 目に入ってきた。そして東に行くとパラマウント撮影所、西に行くとスタアの邸宅があるあの、ビバリー・ヒルズにぶつかるのね。

J/ この間テレビで久しぶりに観た『サンセット大通り』と舞台がずいぶん重なっているのが実に面白いね。ひとことで言えば、およそハリウッ ド映画とはかけ離れた不条理劇なのだけれど、その中には「ハリウッド」が混沌と詰め込まれている映画とも言えるんじゃないかな。

B/ 主人公の名前も「リタ」、これは記憶喪失の女性が、偶然観た『ギルダ』のポスター、その主演女優のリタ・ヘイワースから名乗った名前 だし、そうなると「ベティ」も同時代のピンナップ・ガール、ベティ・グレイブルを思い浮かべちゃうわね。

J/ ラテン系と、プロンド、ブルー・アイという組み合わせもね。

B/ 『サンセット大通り』は、サイレント時代の大スタア、ノーマ・デスモンド、実際に大スタアだったグロリア・スワンソンが演じたのだけ れど、いまは寂れた大邸宅に、忠実な執事といっしょに住んでいる。映画界から去って20数年が経つのだけれども、今だに自分を大スタ アと思い込んでいて、段々精神がおかしくなっていくコワーイお話。

J/ 実際は、執事が自分でファン・レターを書いているんだよね。それで彼女は今でも自分を大スタアのままだと思い込んでいる。部屋中に、 自分のポートレートやら、肖像画が山のように飾られているんだよね。

B/ 専用の映写室があって、そこでいつも売れない脚本家ウィリアム・ホールデンと、自分の映画を観てんのね。スタアという妄想の中にだけ 彼女の人生はあるみたいな…

J/ パラマウント撮影所にセシル・B・デミルを訪ねていくシーンが残酷だよね。撮影所の入り口に今ではもうクラシック・カーとなってしま った車で乗り込んでいく。若い守衛はもう彼女のことを知るわけもなく、中に入れないんだ。騒ぎを見て出てきた年寄りの守衛さんが、 彼女を見つけてくれたお陰で中に入れるんだけれど…その後デミルがいるスタジオに電話連絡をいれる。

B/ えー、あのノーマ・デスモンドが撮影所にきた、旧い映画人たちはかつての彼女を知っているから、もうびっくりなの。撮影を急遽休憩に して、セシル・B・デミルなんか、どうやって彼女の映画出演を断ろうか頭を抱えているのね。みんながとっても気を使って、照明の人は 彼女が入ってくると、ライトをパーッと当てる。監督の椅子に座らせて、懐かしい、また撮影所に戻ってらっしゃいよなんて言ってみんな 集まってくる。

J/ 実はデミルはその間に誰が彼女を呼んだんだって、電話で確認を取っているんだね。すごいチーム・ワークで。彼女はそんなこととは露知らず、 もう20数年前に戻ったかのような気分でもう「次のデミルの作品はまたいっしょに仕事ができるわよ」ってもう上機嫌になっちゃって。 もう自分の頭の中では、スクリーンに復帰する で、彼女っていうのは何で撮影所に呼ばれたんだっけ?

B/ あのクラシック・カーが気に入ったから、『珍道中シリーズ』にお借りしたいって。さすがにデミルもそれは彼女に言えなくて、「あなたの 送ってきた『サロメ』の脚本は素晴らしいけれど、予算が膨大になりそうだし、できるかどうかわからないよ。撮影所次第だから、待ってな さいね」ってうやむやにするのね。それで『珍道中』のスタッフには、「俺がそんな車くらい買ってやるから、彼女の車は諦めろ!」って。

J/ かつての自分が育てた大スタアだから(映画の中でも現実でも)、せいいっぱい気は遣っているんだよね。でもそれがかえって残酷に見え るんだな。ちなみに、主演のグロリア・スワンソンは、この映画の撮影中、マルホランド・ドライヴの家を借りて、撮影所に通っていたそ うだよ。

B/ 『マルホランド・ドライヴ』はこの映画の裏返しかもしれないわね。『サンセット』はかつての大スタアの妄想の物語。『マルホランド』 は売れない若手女優の妄想。

J/ 実力のある女優さんが端役で、色っぽいけれど演技力ゼロの女優さんの映画に出る。確かにこの不条理が生んだ若手女優の妄想とも考えら れなくもないね。

B/ ベティのおばさんのアパートメントがまた面白いわね。管理人が、これまた40年代から50年代にかけてのミュージカル映画の大スタア、 アン・ミラー(『イースター・パレード』など)なんですもの。もうハリウッド黄金時代の顔が出てきたなぁみたいな感じがしたわ。

J/ 映画全体の雰囲気はフィフティーズなんだけれど、あそこのアパートメントだけは、40年代のハリウッドなんだよね。壁のポスターとか、 霊感のある占いおばあさんとか。

B/ ストーリーは、記憶喪失の女性の記憶をたどるミステリーという展開で行くのだけれど、結論が出ないまんま話が、別のストーリーになっ てしまうのね。

J/ 女性同士が肉体同士を重ねあわせた瞬間から、両者の関係が逆転していくんだね。ここら面白いね。

B/ 別の世界へ移行する途中の、劇場がこの世ともあの世ともつかないところというのが面白いわね。覚醒する前の起きているとも寝ていると も言えないようなところなのね。今思えば、あそここそが物語の転換点だったのね。

J/ いないはずの楽団の演奏する音色が聴こえる。歌手が突然卒倒して倒れても、歌声だけがそのまま鳴り響いている。ベティが突然別の人物 になり、彼女を取り巻く人たちの人間関係が逆転してしまう。いわば、メビウスの輪のような物語の、表面が裏面へとねじれていくその 中間にあるのが、このホールのような気がするね。

B/ この映画が不思議なのは、彼女にとっての悪夢は、後半の物語なのに、他の人たちにとっては、前半の部分こそが悪夢であるというところ ね。

J/ 映画監督にとっては、自分の気に入らない女優を押し付けられる前半は悪夢、ハリウッド流のパーティーを開いて、主演女優と婚約してと いう後半は、いい夢だしね。

B/ でもね、監督の表情が前半では芸術化肌みたいな顔をして出てくるのに対して、後半はずいぶんと俗っぽくなっている。デヴィッド・リン チ監督にとってはどちらも悪夢のようにも思えるけれど(笑)監督にとっての前半部分の映像は、とても夢っぽい世界なのに、逆に後半は 現実っぽい感覚があるのね。

J/ そう考えると、どちらが幻想でどちらが現実の世界かは、この映画ではよくわからないね。そうそう、だからメビウスの輪なんだよ!この 物語はどこまでいっても、幻が繰り返されるだけで、終わりがないんだよ。だからその辺を考えるのは意味のないことなのかもしれない。

B/ ハリウッドを取り巻く人たちの、様々な悪夢の集合体がこの映画ということなのね。『サンセット大通り』では幻影の中で生きていたのは グロリア・スワンソンだけだったけれど、この映画では、すべてが幻影に過ぎないのじゃないかしら。ハリウッドにいる大勢のグロリアた ちの精神世界を見せられたみたいなね。

J/ ハリウッド自体が悪夢なのだと言わんばかりだね(笑)陰謀と欲とスキャンダルが渦巻く街。

B/ ただ、アン・ミラーだけが、その中でも地に足しっかりついてるという風に思うのよ。彼女も前半ではただの管理人に過ぎなかったけれど 後半では、往年のハリウッド女優にして、監督の母。けれどもベティが最初にアパートメントを訪れて会うのは彼女だし、後半パーティー 会場で最初に挨拶するのも彼女。それで彼女は同じようにベティに対して質問をしているのね。

J/ 世界の入り口には必ず彼女がいる(笑)ハリウッドの生き証人にして、案内役みたいなものなのだろうね。あまり知られていない俳優たちば かりが出演した中で、彼女だけが大スタアだったってことは、揺ぎ無い事実だからね。これだけは、この映画の中で現実とも言える。

B/ そしてある人たちが望むなら、世界を変えるマジックを契約できる場所、これがウィンキーズのカフェ。実は青い箱の秘密はここのカフェ にあるんじゃないかな。

J/ そのマジックは「死」なのかもしれないけれどね。前半部分が夢だとすると、これはベティ=ダイアンが自分が死んだことを悟るまでの物語 となってくるからね。後半部分が夢だとすると、全体が、これはハリウッドで成功できなかった人たちの、妄想の物語ということになって くる。ベティ=ダイアンは、また別の人物になるかもしれない。ベティ=ダイアンを中心に置くのと、置かないのとでは、物語の意味が変わ ってきてしまうんだね。

B/ 確かに、女性ふたりの物語というだけではなくて、途中映画監督の視点で物語が語られる場面もあることで、この映画は一概には、何が 妄想で何が現実ですって言えなくなっちゃったって面があるのね。そういう意味で色々な観方ができそうね。本当に。

J/ 面白い映画だけれど、決して誰にでもお勧めできる映画じゃないね。

B/ 現に、私はこの手の映画はどうも…。監督だけが突っ走っちゃっているような気がするのね。それがいい映画と言えるのかしら。

J/ 好きな人には何回観ても楽しめる映画だと思うけれどね。僕としては、面白かったほう。でも確かに「キザ」な映画とも言えるかもしれない…

B/ わからないでもないのだけれどもね。レズ・シーンの濃厚さも含めて、私はどこか付いて行けないものを感じたまま、終わってしまったわ。 現に今日は私しゃべっていて、頭が少し混乱しそうだったし…

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