J/
今年の夏の話題作の一本『千と千尋の神隠し』は、
期待通りの作品だったね。
B/
私は期待以上だったなぁ。
アニメっていうのは実写ではないから、生々しいお話も
どこかスクリーンの世界のこのように思えて、
なにかソフトに感じられる、と思っていたんだけど、
この作品は違ったわよね。
J/
そうそう、キャラクターも日本古来から伝わる妖怪
みたいのやら、お能の面をデフォルメしたような顔した
お女中さんやらでね。
B/
キャラクターだけでなく、トンネル抜けたあちらの世界も
そうじゃない?
中国風なペーストも入ってたけど、明治時代の和洋折衷の商店街とか、
とにかく平安時代から現在までの文化や伝統が入り混じった感じでね、
もうすべて創造が生んだ世界なのね。
不思議だけれど、日本人にとっては一種の懐かしさも感じるような。
J/
そういう世界をしかもアニメで表現しているのだから、
当然厳しい現実感は、感じられないと思っていたのに、
それがどっこい、ひしひしと伝わってくるんだ。
この映画には不思議な力があると思うよ。なんでかな?
B/
千尋の両親や湯婆婆を始めとした登場人物が、それぞれ現実的な
人間の姿を映し出していたからじゃないかしら?
どこにでも横たわっていそうな現実、どこにでもいそうな人間たち。
それに気付くか気付かないかで、感じ方は違うと思うけどね。
戦前や戦後すぐと比べて、私たちは平和で物的にも満たされていると思っている
けれど、失ったものもたくさんあると思うのよ。
この映画を観て「ハッ」とさせられることってなかった?
大人として、背中に冷水浴びせられたような感じ。
J/
確かにそうだね。
冒頭から、いい大人がお金を払わないで飲み食いしてしまって、
醜いブタになっちゃうんだから。
本来なら、子供がそうするのを大人が「いけません」って注意する
立場なのにね。
B/
この展開が、この映画の方向をはっきりと位置付けていると思ったの。
私たち大人にとっては、自分たちが作ってきてしまった今の現実を
まざまざと見せられたって…。
J/
湯婆婆の経営する湯屋の名前は「油屋」。
人間の世界で疲れきった八百万(やおよろず)の神々が、
慰安旅行に泊まるっていうところが、とても皮肉っぽい。
それに、「油」という字を見て、「油地獄」っていうのも
創造してしまった。(苦笑)
B/
その辺は日本人だから感じるところじゃないかしら?
外国の人が観たら、なんだか気味が悪いホテルだなぁ、
くらいしか感じないでしょうけどね。
J/
さて、劇場内でも子供たちから「かわいい〜〜」なんて声が
上がっていたけど、具体的なキャラクターたちに話を移してみようよ。
B/
いままでの宮崎映画に出てきたキャラクターが、たくさん出ていた
らしいけれど、そういうのは宮崎ファンの方たちにお任せするとして、
ここではこの映画の中だけということでいきましょうか。
J/
湯婆婆は魔法使いで、強欲で利己的で、合理主義を貫いているね。
使い物にならない存在は、すぐに殺してしまうし、
なんでも魔法で思うままにしてしまう。でも、ちょっとマヌケな
ところが憎み切れないのだけど。(苦笑)
B/
でも、自分の子供(?)の「坊」だけには弱くて、なんでも言うことを
聞いてしまうのよね。
だから、「坊」は体の部品ばっかり大きくなったのに、見てくれは赤ん坊のまんま。
実際よくいるじゃない、大人の顔した子供のようなヤツ。しょうもない子供みたいな男ども。
「坊」は、体ばかりが巨大化して、中身は赤ちゃんっていうことになっているけれどね。
J/
それは手厳しい〜〜〜。まぁ、だから説得力があるのかもしれないね。
しっかりと目で見せるということで。
「カオなし」も、とても象徴的なキャラクターだったなぁ。
"さみし〜、さみし〜。千、欲しい〜"って、うまく相手とコミュニケーションが
取れないんだ。
B/
そうそう。彼は本当に寂しい生き物なのよね。
自分に振り向いてもらえるなら、なんでも与えてしまうの。
それが自分を認めてもらえたからではないのにね。
相手との距離を測って付き合うことができない。
J/
なるほど、だから最後には食べてしまうんだね。
でも、相手が近寄ってくるのは、自分を認めたからではなく、
単なる欲だったから、食べたあと、どんどん「カオなし」も
その強欲で肥大化してしまうんだ。
「カオなし」は、自分自身の価値観を持てない哀しい生き物なんだよね。
たぶん権威主義の大人たちって、この部類なんだろうなぁ。
B/
「オクサレさま」も、印象に残ったわね。
彼は、川の神様なんだけどヘドロまみれで、捨てられた自転車や
工業製品の廃棄所みたいになっちゃってる。
千尋のお陰できれいになったけれど、その廃棄された金属の
に混じって、金もいっしょに落ちてくる。
これって、キッツーいと思わない?
J/
まさに戦後の日本の象徴だね。
何もないところから出発して、半世紀で世界有数の工業国に
なったんだけど、それといっしょに拝金主義がおマケについてきた。
そして、古き良き時代の"こころ"はどこかに忘れて来てしまったんだからね。
B/
良く言われる"古き良き時代のこころ"って、どんなモノなんなのかしら?
J/
僕は、ひとつにはこう思う。実際には見えないものを想像して、
思いやれる心じゃないかって。
B/
例えば、お金では買えないものとか、涙を見せない人の
哀しみを思いやることとかかしら。
J/
あとモノを大事し、感謝する心かな?
この映画に出てくるような「かみさま」の存在がいるかのようにね。
決して宗教的な神ではなく、例えば「田んぼのかみさま」「大地のかみさま」とか
そんな感じかな?
B/
映画とは関係ないけど、実はね、うちの畑に最近、粗大ゴミが捨てられるの。
それが子供用の自転車だったり、冷蔵庫、洗濯機だったり。
子供用自転車なんて、まだまだ使えるのにね。
そこは住宅地から離れた田園地帯なんたけど、今は見ている人がいないからか、
夜遅くにゴミを捨てに来るらしいのよ。
結局、両親が粗大ゴミとして出したりして、片付けているけど、
「そういう時代なんだ」って、寂しい顔してた。
なんかね、だから「オクサレさま」は特に心に響いたの。
J/
そういえば、こんなことも話してたよ。最近、ブドウがよく盗まれるって。
昔は、盗んで売ったり、その場で食べたりしてたけど、
最近は、ブドウを取って食べずにそのまま捨ててあるって。
同じ盗まれるなら、食べてくれた方がまだ可愛げがあるのにって。
なんか諦め顔で言ってたね。ここまで日本は病んでいるのかなぁ、と思った。
東京に住んでたら見えないものが見えてくる。
B/
話を元に戻すわね。
この映画の止まり木的存在のクモの「釜爺」。私はこのキャラクターが大好きなのよ
私、昔、家の中にいるクモは、殺しちゃいけないって、守り神だって聞いたこと
があるのよ。だから、「釜爺」は千尋を助ける役割もあるんだけれど、
湯屋の地下で、あの不思議な世界を支えている良心じゃないかと
思っているの。
J/
「止まり木」って、いいこというね。
確かに、「釜爺」が出てくるシーンになると、「スス」たちもかわいいし、
なんだかホッとしたものね。
菅原文太の声もピッタリだった、なんだか癒しの響きのようで…。
さて、そろそろまとめに入ろうか。
B/
日本には、昔から「○○のかみさま」って、信仰があったわよね。
例えば、「田のかみさま」。今でも、東北の農村地帯では、年中行事として、
その因習が残っているところもある。ご飯食べさせたり、お風呂に入れてあげたり。
この映画には、そういう「かみさま」がたくさん出てきたわね。
J/
そして、この映画ではその「かみさまたち」が、皆、疲れていたり、病んでいたりするんだ。
「八百万のかみさま」「川のかみさま」もね。
反対に言えば、人間がそうさせてしまったとも言える。
千尋の両親も自分たちも、同じなんだよな。
なんか、すごく考えさせられた。別に声高に叫んでいる映画ではないのに…。
繰り返しになるけど、不思議な説得力を持った映画だと思うよ。
B/
ホントそうね。どこぞの映画みたいに、国旗がはためいたり、
演説があるわけではないのにね。そういう押しつけがましさは微塵もない。
J/
この映画、意外と子供たちがシーンとして観ていたのが印象的だったけど、
子供たちに向けてのメッセージ性を強く感じたから、
大成功だったんじゃないかな?
B/
そうね、最初にも言ったけど、両親はブタになっちゃった。
大人の作った世界で疲れた神さまたちを癒し、マンションを建てるために
埋めたてられて、自分の存在がなくなってさ迷うハクを救い、
千尋は、いままで大人が作り上げてきた末世の中で、絶えず自分以外の人に
純粋に、何かをしてあげようとするわよね。
J/
最初、千尋は戸惑って足元が震えていたけれど、「ハク」の助言と「釜爺」
や「おしらさま」の何気ない助けやちょっとした幸運で、
なんとか不思議な世界でやっていけるようになるんだけど、
お話が進むにつれて、千尋の表情がどんどん変わっていったでしょ。
B/
そう、その辺がきちんと伝わってくるのよね、こちらにも。
言葉じりも、「……。」から「!!」ってな調子になってきたし。
千尋に自信がみなぎっていく様子が見事に描かれていたわ。
J/
とにかく両親を助けたい一心で一生懸命だった。
その姿勢が、回りの人々(モノ?)の心を動かし、運も呼びこんだ
と思うな。僕なんて、そういう無心な気持ちって、もうとうに
忘れてしまったけど。大事なことなんだよね、ホントは。
B/
大人だったら、「余計なことは言ってはいけない」って言われても、
裏読みしたりして、ついしゃべってしまって地獄へ落とされちゃうんだろうけど、
子供だから一途だし、邪念がない。
J/
両親が主人公だったら、こういうお話にはならないのだろうね。
B/
そりゃそうよ。ホント、私たちには耳の痛いことばかりだったわ。(苦笑)
J/
でもね、ラストの辺りで出てくる「銭婆婆」が、千尋に手作りの髪飾りをプレゼント
するけど、あれでなんだか僕は救われた、と思った。
魔法でもなく、神さまの力でもなく、「手作り」の髪飾りというところがね。
B/
トンネルを抜けて、現実に戻った千尋は、その黒い穴を見つめて
「あれは夢だったのかな?」と首をかしげる。そして千尋の横顔が
アップになるとき、チラッと映るわよね、紫の髪飾りが。
J/
なんだかいいね、控えめで。実際はあったのか、なかったのかわからないけど、
確かに髪飾りはそこにあるのだから。
僕らのような大人にとっては、いごこちの悪い思いをすることが多かったけど、
なんかこの髪飾りで救われたような気がする。
その髪飾りをつけて、千尋は生きていくんだよ、これから。
そして、千尋のような年齢の子供たちが未来を作っていくわけだから。
B/
前回の『もののけ姫』から強く感じていたんだけど、
宮崎監督は、もう今のこの末世的な状況を受け入れて、
それも含めて未来へ生きて行かなければならないっていう
風に変わってきたような気がするんだけど、どう思う?
J/
そうだね、唯一、不思議な世界からは離れて、一人ぼっちで生きている「銭婆」
の存在は、一つの救いだったけれども、なんか僕ら大人は
もうある程度切り捨てられてしまっている、そんな気がした。
B/
思想家・宮崎監督、まさに渾身の一作だったわね。
アニメと実写映画の枠を超えた名作だった。
美術的にも申し分なかったし、今のディズニーを完全に超えたと思ったわ、この作品は。
J/
子供たちにも、大人たちにもいろんな人たちにぜひ見て欲しいね。
そして、実感できてもできなくても、理屈抜きで心で観て考えて欲しいと思う。
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