J/
『花様年華』は、いいねー。僕はこういう行間の多い映画は好きだなぁ。時代は1960年代の香港、この時代の空気がとても素敵に表現
されていたように思う。『欲望の翼』のアンディ・ラウとマギー・チャンの挿話の発展形でもあるしね。
B/
私的には、あの映画ではその部分が特に良かったし。レスリー・チャンの話は、ちょっと話に入っていけないようなところがあった。
J/
出だしからして、サイレント映画のスポークン・タイトルみたいなのが出てくるんだよね。そこで、もう物語りの大筋を言ってしまってい
る。いきなり。ああ、この映画は過去形なんだなって、最初からわかっちゃう。
B/
終わりにも、また同じようにタイトルが出てくるでしょ。これは、ちょっと重要だと思うので引用させてもらうと、「男は過ぎ去った年月
を思い起こす。埃で汚れたガラス越しに見るかのように、過去は見るだけで触れることはできない。見えるものはすべて幻のように、ぼん
やりと…」最初のタイトルと連動している。
J/
そうなんだよね。もう、これで映画のテーマを言ってしまっている。それで、この映画は、郷愁に包まれたような雰囲気があるわけだと納
得したわけ。ほろ苦いものだけれどね。
B/
決して、豪華なアパートが出てくるわけではないのね。日本でいえば、下宿みたいなところ。大家さんと間借り人が、ひとつのアパートに
いっしょに住んでいるようなところなの。けれども、綺麗に見えるのね。郷愁のオブラートに包まれたようなところがあってね。
J/
行間が多いということのひとつに、彼らの配偶者はまったく顔が出てこないとか、かなり思いきったことをしているけれど、マギー・チャ
ンとトニー・レオンふたりの思い出という風に考えると、それはそれで理にかなっている。
B/
やっぱりこの映画は思い出、人の記憶の世界なのね。細部はぼやけて、美しい部分がより美しく残る。そう考えると、マギー・チャンの
見事なチャイニーズ・ドレスの数々も本当は、その時着ていなかったのかもしれない。彼女のイメージでそれが一番鮮烈だったから、あ
れだけのドレスが出てくるのかもしれないわね。
J/
恋愛映画には、色々な出会いの場面がある。例えば『哀愁』では、たまたま地下鉄の防空壕という特殊な状況で隣り合わせちゃったとか、
かなり劇的だからこそ、後の展開になってくるわけじゃない。そういう意味でも僕は恋愛映画で一番大切なのは出会い、きっかけだと思う
のだけれど、この映画は、すごく自然で完璧だと思う。
B/
出会いは、偶然二組のご夫婦同士が隣に、しかも同じ日に引っ越してきちゃったことからなんだけれど、その後がなかなか恋愛にはつなが
っていかない。
J/
その前にシーンの積み重ねがある。お互いの夫婦がいつもすれ違っているところを細かいカットでまず見せる。ある日は夜勤で家に帰らな
いという電話がトニーの妻からある。ある日は迎えに行くと、今日は日勤でもう帰りましたと言われる。夫婦の間でどうも会話がかみあっ
ていない。生活の時間帯も違うし、しっくりいっていない。いっぽうマギー・チャンの夫もいつも海外出張ばかりで、自然ひとりで過ごす
ことが多い。これをずっと積み重ねていく。
B/
妻がマギーの夫に電気釜を買ってきてもらうよう頼んであることを知らなかったり、夫婦げんかをしているって会話がはさまったり、具体的
に見せるわけではないのだけれど、意志の疎通が不全になっていることがよくわかるわね。
J/
それで、マギー・チャンは毎夕、ポットを持って屋台に惣菜を買いにいく。一方トニー・レオンもひとりで屋台に夕飯を食べに行く。そこ
でふたりは、時々顔を合わせることになる。何回もこの場面が繰り返されるから、この間ずいぶん時間が経過しているのがわかる。
B/
一人暮しならともかく、結婚しているふたりが屋台に行くという景色は、なんだかとても侘しいものがあるのね。そこでよく会ってしまう
ものだから、なんか二人ともバツが悪そうなところがあって、そういったあたりの気持ちはよくわかるし、とってもリアル。
J/
徐々に、ふたりが意識してくるのではあるけれどね。けれどもお隣同士ということがあって、ヘンな噂が立たないようにって極度に警戒も
している。それがかえって、第三者的に見ると、不自然できごちなく見える。意識過剰なんだよね。(笑)
B/
雨が降り出してね。屋台の階段の上と下にふたりがいる。階段の上で壁にもたれて煙草を吸うトニー・レオン。この時からはっきりとお互
いを意識しだすのね。ここまでにずいぶん時間をかけているのね。それで、この夢のような話が、あと不自然さを残さない。
J/
あとは、その場その時の感覚の世界みたいなところがあるね。一瞬一瞬の感覚がとても官能的。その一瞬の羅列が、思い出の中の一番鮮明
な部分と呼応しているようにも見える。
B/
しかし本当に彼らの妻と夫たちは不倫をしていたのかしらね。トニーの奥さんが買ってきたという彼のネクタイと、マギーの夫のネクタイ
が同じたとか、あるいはマギーの夫が買ってきたという彼女のバッグとトニーの妻のバッグが同じものだなんて、普通はしないわよね。
J/
その辺が実はよくわからない。隣人どうしでなければ、そういうこともするかもしれないけれど、わざわざバレるようなことをね。だから
本当に不倫しているのかどうか。ただ、トニーの同僚が「奥さんがどこかの男と歩いていたのを見た」って言うね。それと、マギーが夫に
出張先で会社の社長のためにバッグをふたつ買ってきてほしいと頼む。ひとつは社長婦人用、ひとつは、社長の愛人用。いっそ同じものを
買ってきたら面白いとマギーが軽口をたたいたのがヒントになっている。
B/
彼らは、そう信じているけれども、あるいは別の人と不倫しているのを隠すための手段なのかもしれないわね。あくまでもふたりの主観で
物語が進んでいくから、はっきりしないけれど。
J/
でも日本から、ハガキが届いて、アパートの使用人が間違って、渡しちゃうシーンがあるよ。ふたりとも日本にいる。だとすると、やっぱり
本当なんだよ。映画的といえば映画的。その辺がこの映画にクラシック映画の味みたいなのをもたらしている。その昔のソフィティケイテ
ィッド・コメディのシチュエーションみたいだものね。
B/
この映画では、直接的なラヴ・シーンはないわね。いつも恋愛ごっこみたいなのをしている。でもその中にそれぞれのその時の気持ちが
とてもよく出ていて面白かった。
J/
最初に彼らがレストランでお互いの妻と夫を演じるシーンは、ふたりの恋愛の始まりとしてとても面白かった。この時ふたりはじめて、用
件抜きで、純粋に食事を楽しむわけだよね。
B/
恋しているっていうことをどっかで否定しているのね。で、自分が相手の伴侶になったようにふるまっているの。でも相手とここが違う、
あそこが違うみたいなことを確認することは、どこかで相手の魅力を確認することにもなっているわけね。あくまでも妻を夫を愛している
という形は残したまま、心はここにあるみたいな二重性。そのへんでふたりの気持ちがとてもよく出ている。
J/
そうそう。この映画では、ごっこをしている時にこそ普段押し隠している、本音の部分が出てくるんだね。いつも体裁を取ろうとしている
から。
B/
いっしょにいられる時間をもつにも、言い訳みたいのを作っちゃう。小説のお手伝いをしてほしいから、部屋を借りたとか。
J/
傑作なのは、マギーがトニー・レオンの部屋にいる間に、アパートの住民たちがマージャンを始めて、外へ出られなくなっちゃうところ。
誰も入ったところは見ていないのだから、本でも借りに行ったふりでもしてすぐ出てくればいいものを、ズルズルといるうちに出にくく
なって、結局一晩明かしてしまうことになる。
B/
去りがたいのよ。はじめのうちは、それを口実にいっしょにいられると思ったのね。スリルは感情を高ぶらせるし。ところが、一晩中続
いたのは計算外だったでしょうけれど。でもここから、ふたりは完全に恋愛関係になっちゃうのよね。熱に浮かされたみたいな部分と、
結婚しているという事実の間にはさまれて、今までみたいに無邪気でいられなくなるのは、この一晩の後からなのね。
J/
そのあたりの感情の微妙な変化が見事に出ているよね。いっしょにいたいという気持ちと、このまま溺れていってはいけないという気持ち
が、交互に押し寄せてくる。窓越しに宙を見つめるトニー・レオンのショットが入ったりして、これが結構切ない。
B/
夫に愛人がいることを白状させる練習をしたり、そうかと思えば、ふたりの別れの場面を練習をしたり。そんな時にマギーの感情が噴出し
て、思わず泣いてしまうのがすごく切ない。観客にも、練習ということは後でわからせる。現実に起きていることと見せかけておいて、後
で練習でしたってやるから、彼女の気持ちに同化させられてしまうのよ。
J/
ふたりの演技もとてもいいんだよね。マギー・チャンの見事なチャイナ・ドレス。背筋をピンと伸ばして気丈に歩く後ろ姿。長い首筋に
見せる微妙な表情。どこか遠くを見つめるトニー・レオンの目。煙草の煙を吐き出すその仕草。壁に映し出されたふたりの影が揺れる。
これこそ「映画」です。
B/
本当にふたりの演技もずいぶんと映画を豊かなものにしているわね。それにしてもマギー・チャンのドレスはため息が出るほど綺麗だった
わねー。(うっとり)
J/
あと、この映画では、時計が何度も映しだされるね。『欲望の翼』でもそうだった。あちらは、時間の重みみたいなのをそれで感じさせてい
た。1分の持つ重み。『花様年華』では、失われてしまった時への愛惜みたいな気持ちがこれで出ていたように思う。ふたつの映画の共通
点でもあり、その使われ方が微妙に違うところでもある。
B/
同じ時代を描いていても、時計の持つ意味がテーマの違いを明確にしているのかもね。
J/
ふたりが別れた後も、映画はしばらく続いていくでしょ。その後ふたりは再会できるのかっていった興味ももちろんあるのだけれど、それ
以上に感じるのは、過ぎ去った時の重みなんだよね。
B/
かつてふたりや、マージャンをしていた隣人たちが暮らしていたアパートが映る。かつてベランダから外を眺めて物思いにふけったその景
色は何も変らないのだけれど、彼らにとって、そこは昔の場所とはまったく違った場所のように思えるのね。
J/
あの時のあの場所がまるで幻であったかのように感じるね。この感覚はわかるな。久しぶりに小さい頃過ごした家の近くに行った時、すっ
かり変った風景の中に、その当時と何ら変らないものを見つけるんだ。それで過去の記憶が鮮明に浮かび上がってくるのだけれど、そこに
は、誰も知った人がいない。もちろん自分もその頃とは変っている。そんな時、昔の出来事がまるで幻であったかような気がしてくるんだ
ね。そんな感覚がよく出ていたね。
B/
この映画がふたりの出会いと別れをずっと描いてきたあと、何年後、何年後ってさらに続いていくことで、そんな感覚が観客にも迫ってく
るのね。そう考えるとラスト・シーンは大変深いわね。
J/
アンコール・ワットの寺院の壁の穴に自分の秘密を封じ込める。かたや900年近い歴史を見てきた石の建造物。そこに佇む人間の何とち
っぽけなことよ。人の思いはそれぞれに強いものがあるけれど、それがいかにちっぽけな記憶であるか。人の一生自体が、実に儚く、まる
で陽炎のごとくに見えてしまう。
B/
このラストで「思い出についての映画」からさらに大きな広がりが出てきたような感じかがするわね。
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