27. 最近のゲーム (1999/3/10)


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昨日だか今日だか知らないが、ゲームソフトの中古販売がいまのままでは事実上違法だということになったらしい。

これはゲームメーカーの独善的な主張だと私は思う。映画の頒布権だかなんだか知らないが、これであなたの持っているゲームソフトは資産としての価値を失ったも同然である。友人に売ることは出来るが、中古販売店で売ることは出来なくなるかもしれない。ゲームメーカーと販売店側は、中古販売において、販売店側が一定のマージンをメーカーに支払うという形で妥協しつつあるとは思うが、販売店側がこのようなマージンを支払うと言うことは、我々売る側の利益も減るということにもなる。

大体、なぜ本は中古で問題無く流通しているのに、ゲームだと駄目なのか。私はどう考えても、ゲームメーカーが自らの利益を確保しようとしているだけに過ぎないと思う。本と映画とゲームの違いはなんだろうか。どれも、消費者が買って楽しむソフトウェアには変わりがない。あるとすれば、制作費と単価の違いである。

ゲームの中古が流通するとなぜメーカーは困るのだろうか。それは、中古の方が安いからである。なぜ安くなるのか。それは、消費者が中古業者に安く売るからである。なぜ消費者は中古業者に安く売るのか。それは、そのゲームにはそれだけの価値しかないと思っているからである。それだけの価値しかないものをメーカーが高く売っていただけの話だろう。

これまで色々なメーカーが、ゲーム業界に参入してきて、自分も自分もと儲けをたくらみ、劣悪なソフトを流通させてきた。そんな劣悪ソフトは中古市場では安く売られている。これは当然である。新品も時に安くなる。SCEI は新品の価格を維持している恐れがあると訴えられたっぽいが、これはあからさまな市場操作である。このようなことをやっておきながら、中古市場を無くそうとしたり、少なくとも新品の利益を維持できるぐらいに制限したりしようとしているのだから、かなりたちが悪いと言えよう。

ここ最近、いろいろなメーカーが、ゲームという市場を拡大しようと、これまでゲームに興味をもっていなかった人たちでも興味をもってくれそうなゲームを開発している。だが、実際に市場は広がったのだろうか。あれだけの CM を打っても、実際にはそんなに市場は広がっていないように思える。イメージだけで押そうと、テレビ番組とかでごく自然にゲームを出させてイメージアップを図っているが、効果のほどはどうなのだろうか。私が見るに、やはりゲームは暗い人間がやるものだということに変わりがないように思える。私がひょんなことから合コンもどきに参加したときにも、渋谷でも路地に置かれている比較的イメージの良いゲームを話題に出したところ、あっさり「私ゲーム嫌い」と言われてしまった。多分彼女はこのゲームに触ったことがないのだろうが、ゲームという言葉を聞いただけで拒否反応が飛び出したわけだ。このとおり、相変わらずゲームのイメージは悪い。標本数が少ないのにこのような結論を出すのも無理があるかもしれないが、このような人種が少なからず存在することは言えるだろう。

頒布権の問題に戻るが、最近の傾向として、確かに映画のようなゲームが増えているのは分かる。最近出たファイナル・ファンタジーシリーズの最新作は、どうやらゲームのシステム自体が単純化され、いわゆる「ゲーム性」が失われ、絵本的になっていると聞いている。そういうゲームは、確かに映画ソフトと同じように扱うのも良いのかもしれない。だが、現実問題として、映画ソフトは普通の人は買わずに、ビデオレンタルで借りて観ている。つまり、ゲームメーカーが自らの著作物を映画と同様だとみなしたいのならば、ゲームレンタル店というものを認めなくてはならないと思う。だが、恐らくこういったものはメーカーは絶対に認めたくないだろう。それに、映画は映画館からの収入があるが、ゲームはゲーム館というものが無い。ゲームセンターはあるが、そこでは映画のようなゲームはプレイできない。そのあたりは確かに難しいところではある。それでも、総合するとやはりゲームメーカーの主張は独善的だと私は思う。ビジネスのやりかたとしては誉めるべきかもしれないが。

話は大きく変わる。

SCEI が学生やグループに開発環境や予算を提供して、彼らにゲームを作らせて良いものを売る、というのをやっている。その代表例として、sai というゲームを作った慶応大学のチームがよく取り上げられる。こういうところから新しい発想でゲームが作られようとしている、ということでマスコミに取り上げられている。

彼らのゲームは面白かったか? 私は買った。私は対戦プレイの出来るゲームがほしいのでいつも探しているのだが、当時めぼしいゲームが無かったので買った。結論から言うと、このゲームはそれなりに面白かったが、そんなに面白いというほど面白くは無かった。私の友人も同意見である。もし私が社会人ではなかったとして、収入もなく親からの小遣いだけでゲームを買っているのだとしたら、間違い無く「買って損した」部類のソフトになるだろう。同じ値段でもっと楽しめるゲームはたくさんある。だが、私は社会人であり、収入があり、かつ長いゲームをやるほど時間もないので、このゲームはそれなりに楽しめた。時間があれば、三日以内に飽きるゲームだ。

こんなゲームが 5,800円である。もっとも、金額を考えるのは難しい。一度飲みに行くと 3,000〜5,000円ぐらい掛かるし、オールナイトでカラオケやボーリングやビリヤードに行くと一日で一万円くらい無くなる。そういうことをするよりは、仮に遊びに行くメンバーが四人だとしたら、四人でゲームソフト一本とハードとコントローラのセットを買い、ゲームの四人対戦で一夜を過ごす方が面白いし安くつくかもしれない。次に遊ぶときにはハードを買う必要もない。

ここでまた話は変わるが、sai や最近のゲームは、どうも作りこみが甘い傾向がある。大味とでも言えば良いのだろうか。ゲームの見た目はかなり良くなったが、内容がそれにつれて進歩していない。もちろん例外はある。だが、プレイステーションの名作ソフトは限られているのではないか。まあ私がプレイステーションのゲームをそんなにプレイしていないこともあるかもしれないが。それでも、プレイステーションには、名作よりも佳作を生み出す力があったことは事実である。SCEI の方針で、とにかく大量のメーカーが敷居の低さによってゲーム製作を行うようになった。それにより、いままではゲームを作ることが出来なかったところから良いゲームが生まれるようになったのは事実である。だが、それらのソフトには名作と呼べるゲームは無いように思える。

私は佳作ゲームが好きなので、学生の頃は、そんなにメジャーじゃないゲームを、値段が落ちてきた頃に買ってプレイすることが好きだった。だが、いまは社会人となり、そのようなゲームをやっている暇も無くなった。だから、具体的にいえば、サガフロンティアを全キャラでクリアしようとか、幻想水滸伝やワイルドアームズやポポロクロイス物語やゼノギアスといった佳作RPGをやるとかいう時間がない。どうしても AGE of EMPIRES をやってしまうのだ。

スクウェアの最近のゲームは社会人に向けられている、と友人が言っていた。社会人が家に帰ってからや土日にプレイできるぐらいにお手軽でビジュアル重視のゲームが多いそうだ。もちろん社会人に限らず、ゲームの初心者がとっつきやすいようなゲーム造りをしているのだろう。これは仕方のない流れかもしれない。それから、ゲームのマニアの人口は、ゲームをやる普通の人と比べて少ないので、マニア受けする作品を出すと採算が取れないのも分かる。

あのパソコンゲームの大作である信長の野望シリーズも、最新の作品は分かりやすい方向に行っているようである。まあそれは無理からぬことだろう、私は現在最新の一つ前の作品をプレイしているのだが、プレイ当初はゲームの流れが全くつかめなかった。私は信長の野望シリーズは全国版からのユーザーなのだが、その私でも最初はとまどってしまった。このシリーズが分かりやすい方向に行くのは当然かもしれない。これまでが複雑すぎたのだ。

このようなゲームの簡略化というのは、同じプロデューサーが別の会社で出したほとんど似たようなゲームを比べてみれば分かる。一つはスーパーファミコンで出た「風来のシレン」で、もう一つは「チョコボの不思議なダンジョン」である。前者は、Unix で生まれたゲームのパクりだが、よく練られたゲーム性は評価が高い。後者は、一時期コマーシャルが大々的に流れたのでよく知られているが、このゲームはシステムからしてお手軽である。おまけにビジュアルがかなり強化されている。この二つのゲームを比べてみると、これまでの名作といまの作品との違いが分かる。詳しいことは知らないが、恐らく売上から言えば後者の方がよく売れた気がする。

「風来のシレン」では、ゲーム性がきわめてシビアであり、一度主人公が倒れれば基本的にはゲームは最初からになる。それまでに取得したアイテムは基本的にはすべて失われる。数時間プレイしたあげくにやられて何も残らないこともある。だが、「チョコボの不思議なダンジョン」では、主人公が倒れてもアイテムはそのままで、ゲームが最初からになることはない。プレイするごとになんらかの形でゲームは進む。

私は、「風来のシレン」的なゲームと「チョコボの不思議なダンジョン」的なゲームの両方が出つづけて欲しいと思っている。だが、最近はなかなか「風来のシレン」的なゲームが出ないように思える。また、出ているとしても、いまいちビジュアル的に弱いだとか、操作性が悪いとか、なにか欠点があるように思える。

理想的なゲームとは、間口が広くて奥行きが深いゲームである。

最近のニュースで、ソニーグループがこれまでの、オーディオ・ビジュアル+娯楽の路線をさらに進めて、SCEI の完全子会社化とゲーム(娯楽)・ネットワーク中心路線への転換をするという話がある。こんなに大きな企業がこれだけの路線転換をあっさり行うことはすごいことだと私は思う。だが私としては、出版社系の会社がもっとゲームやインターネットに進出してほしいと思う。小学館とか講談社とか白泉社が全面転換してこの方面に進出してきたら、ソニーよりも私は期待できると思う。それから、ゲームのデザインやシステム作りをしっかりおこなえる人がもっと出てきて欲しい。


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gomi@din.or.jp