ログの2

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しげるくんが死んだ。
二年前から連絡取れないなと思いつつ、忙しい人だからと思っていた。
新しい仕事を同業者の彼氏と事務所構えてしていたっていうし普通に順調に忙しくしてるんだろうと思っていた。
しげるくんはデザイナーだった。
僕は全然好まないアメリカンコミック調のキャラクターをオリジナルとしていた。
出会ったのは3年半前の冬だった。
そのころ僕は貯えに任せた無職生活をしていてその貯えも食いつぶしそうになっていたときだった。
ネット三昧をしていた。
何か、誰か、生きていく方向へのヒントが欲しくてネットの中に出会いを求めていた頃だった。
チャットでたまたま話が合って、せっかくだから飲みながら話そうか、となったのがしげるくんだった。
昼にチャットして夜に池袋で会った。
彼は僕が一緒に歩いた中で最大レベルの背だった。
見上げるような身長にひょろっとした体、独特の配色の服装、地方出身ゆえののんびりしたしゃべりかたの人。
話し込むうち彼はデザイナーとわかった。そしてゲームも大好きだった。
ゲーム攻略本のカット絵もしていた。
一緒に本屋に行ってその本の最後尾のスタッフにきちんと載っていたのを見て感動した。僕はゲーム大好きだから。
一緒にマジックもした。僕がしていたカードゲームに興味持っててはじめたんだ。
最初に会ったときからものすごく話が合った。
マニアな話でも響くように弾んだ。
情が深い人だった。
友達と一緒に暮らして支えていたこともあったみたい。
僕がそのとき仕事をしていなくてどうしていいかわかんなかったことも真剣に話に乗ってくれた。
僕は友達とは普段楽しいことだけの話や抽象論ばっかの話をしている。
でもしげるくんは僕が出会った中で一番結果の出ている仕事をしていたので、仕事人としてのアドバイスという意味で一番頼りにしていた。
彼は僕が編集者に向いていると言った。
作り手であるマニアな人間と読み手である一般人の両方の気持ちがわかってその間をとりもてるタイプなのだと。
僕はじつはずっと負い目をおっていた。
一つの趣味や目的に没頭して一生を捧げれるような職人な人に。あこがれをもっていた。
僕は自分を、次々興味を持ちそれを「知りきった」段階で次の興味に移る、貫徹性のない奴だと思っていたから。
でもそれがいいんだとしげるくんは言った。
興味ある分野に没頭するマニア性を知りつつそれに固執しない広く興味持てるところがいいんだと。
この言葉は僕に大きな自信をくれた。
適所がある、ということ。僕という人間を的確に見抜いてくれたこと。
そして僕に惚れてくれたことも。
最初に会った日になぜだかわからないが惚れてくれたらしい。
いい顔した僕ではなく、マニアックなとこも無邪気なとこも意地悪なとこも大人なとこも弱いとこも強いとこもどれでも関係なく惚れてくれた。
今思うと僕の全面を知ったうえで愛情を注いでくれた人は肉親以外じゃ彼だけだったかもしれない。
だが僕は「とても信頼できて大事な友達」以上には思うことはなかった。
彼の求めるまま体を併せようとも親しさ以上のものはなかった。
囲ってでも手に入れたい、でもそんなことはされないだろうししたくもない。彼はそんな風に苦悶していたこともあった。
その後は数ヶ月に一度しか会ったり電話したりしなくなったが、彼は彼で彼女作ったり別れたり同業の彼氏作ったりして、僕は僕で今の仕事を見つけて生活への閉塞感はとりあえず解消していた。
しげるくんはたまに僕に電話してきては、新しいカードゲームを仲間と作ろうとしているがそれに咬まないかと言ってくれたりしていた。
僕が仕事に就いたときは店に遊びに来てくれた。なおに合ってるいいとこ見つけたな、と言ってくれた。金無いだろう、ってそのあとの晩飯はおごってくれた。
またこうしておごるよ、とも言ってくれた。
だけどそれが最後だった。
お互いまた連絡はしない生活が続き、僕は僕でたまに困ったときだけ頼りにして電話するようなかんじだったのだがいつも携帯は留守番電話だった。
吹き込んだり吹き込まなかったりしたが返ってくることはなかった。
今は彼氏がいることとか、ネットの出会いは往々にして疎遠になったりすることとか、そんなことを想いあまり気にしないでいた。
それでも僕はまた何かあったときは連絡したいと思ってたし連絡できるとも思っていた。
僕は普段のネットの出会いじゃ、相手に必要とされなくなったとき自分も拗ねて必要としなくなっていた。
でも僕にはしげるくんは必要だった。必要な友達だった。
普段会う頻度に関係なく得難い相手だと思っていた。
しばらく連絡もしなくなっていたのだが、今日ふと電話してみた。
最近僕は仕事で悩んでいる。
友達たちは僕の辛い気持ちをほぐしてくれる安らげる奴ばかりだが、まじめに今後の生活や仕事の話をするには実社会経験において相談しにくかった。
つまり大人に相談に乗って欲しいとき、そういう相手に乏しいのだ。
実家に電話してみた。あまりに身近なゆえ心配もさせてしまうのだがほっとできた。
それでもまだ、大人でかつ第三者として相談に乗ってくれる人を求めて電話しまくるも皆つながらなかった。
そんな中でしげるくんに電話したのだ。
また留守電かもしれない、と思ったが、意外なことに人が出た。中年の女性だ。
僕はそこで少し思うことがあった。
それはやはり真実だった。
じゃなければ同じ番号のまま別の所有者が身内になることはない。
番号が解約されて他人に回ったのではなく、それはしげるくんのお母さんだった。
彼の地元は九州だ。九州に電話がかかったようだ。
母です、と聞いた瞬間にかなり予想はついてしまった。真実の。
なんでもおととしの六月一日しげるくんは亡くなったようだ。
その前から病院に入れるために地元に戻ってたようだ。
連絡がつかなくなった頃と一致する。
お母さんは形見のつもりでその携帯を持っていたのだった。ありがたいことに。
息子がお世話になりました、と言ってくれた。
とんでもない。僕こそいっぱいのお世話をしてもらったんだ。
ありがとう、と言ってくれた。僕こそありがとうと思う。
僕はネット生活は長い。
6年前からの東京生活にリンクするかのように時流と共にはまった。
その中で音信不通になった人、連絡も取らなくなった人、数多くいる。
もちろん生きてるかどうかもわからない。
連絡、というより自分の生活の中での縁が切れた時点で僕の世界からはある意味亡くなっているのだ。
僕は、人はそれぞれに勝手に生きているし勝手に生きていくと思っている。
だから疎遠についてもこの世の仕組みとして受け入れてるつもりである。
だから今回しげるくんが死んだことを知っても急激な喪失感はない。
ないが、悲しい。
もう会うことがない可能性もあったわけだから、もう会えないから悲しいというのとは違う。
友達が亡くなったから、ただ、悲しいのだ。
自分の仕事についての悩みはあったがとりあえずはしげるくんのことでいっぱいになった。
彼が助言してくれたことも思い出した。
彼は僕より数才下だが二年前に亡くなったのなら30前だったのだろう。若くして死ぬということについても思った。
べつにこれが僕の今後への決断に影響するともして欲しいとも思っちゃいないが特別なことだとは思う。僕にとって。
この文章を書くことで、そして公に晒されるところに置くことで、僕の中での区切りはつき明日からもかわらない僕がいるのだろうが、どうでもいい。
僕の中に、彼がこの世に居ても居なくても強いインプレッションを残したことは確かだし。
人は証が残っている限りこの世に生きている、と言えると思う。
だから、生きたしげるくんは僕の中にいる。
そうやって証を他者に植えつけて、人は肉体は消えてゆくのだ。
とくにゲイとして生きるということは遺伝子ならぬ物を残すことで遺して生を全うしてゆくものだと思う。
2003.4.29

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