白を基調とした、清潔感のある部屋。
整理整頓が行き届いていて とても綺麗だ。
ただ、
あまりにも整然と 物が置いてあるので
人によっては 冷たい印象を受けるかもしれない。
カチャ・・・カチャカチャ・・・・・・・
部屋の中には 先ほどから
キーボードを叩く プラスチックの音が漂っている。
音から察するに それほど作業ははかどってはいないようだ。
「 ん〜 ・・・ 」
そんな推理を肯定するように、
椅子に座った 金髪の女性は 大きな伸びとともに
困ったような声をあげた。
プシュー・・・ガシャ!!
すると それを合図にしたように
部屋の自動ドアが開き、
「 ・・・・なに?
めずらしく悩み事? 」
「 ミサト・・ 」
ふいに背後から掛けられた声に
椅子に座った姿勢のまま リツコが振り向くと、
コーヒーのカップを両手に持ったミサトが
ドアの所に立っていた。
「 使徒も倒したし・・
まあ 次がいつ来るかわからないけど、
そんなに悩むような事があったかしら? 」
ミサトは言いながら 部屋の中を進み
いろいろな資料と ノートパソコンと・・
何やら薬品のようなものが 並んだリツコの机の上に
コーヒーカップを 置いた。
「 ありがと・・
助かるわ 」
「 インスタントだけどね ・・ 」
ミサトは自分のコーヒーを傾けながら
苦笑いをしてみせた。
「 ・・・ 」
リツコは カップを手に取りながら 眼鏡を外すと、
それを白衣の胸ポケットに入れ
コーヒーの立ち昇る ゆらゆらとした湯気を眺めた。
( ・・・ 料理を作らせると 壊滅的に駄目なのに
なぜかコーヒーを入れるのは 上手いのよねぇ・・ )
そんな事を思いながら 彼女は
不思議に美味しいコーヒーに 口をつけた。
「 それにしても 凄い資料ね・・
なんか 作ってるわけ? 」
整理整頓が習慣の赤木博士にしては
珍しく乱雑な机の上を見ながら ミサトが興味深げに聞く。
すると
リツコは 何も言わず 自分の片方の手を
すっと持ち上げて、 立っているミサトの方に見せた。
「 ・・ まあ ・・
使徒とは関係ないんだけどね・・ 」
白くて細い、まるでピアニストのような
彼女の手の甲に ひとつ バンソウコウが貼ってある
「 ・・ なに ・・
怪我したの? これ・・ 」
コーヒーを飲みながら
ミサトは つんつんと そのバンソウコウをつつく。
「 このあいだの道路の拡張工事で
何軒か 民家が立ち退く事になったでしょ? 」
「 うん ・・ 」
リツコの言葉に
ミサトは小さく頷いた。
復興を進める第三新東京市では、
今 いろいろな公共事業が行われている。
区画整理で、より機能的な都市を作る計画も、
先月始まったばかりだ。
「 実は・・
そこに住んでいた人がね・・
ネルフが提供した 新しい家じゃなくて
ここを出て、第二東京の方へ引っ越すことにしたみたいなの 」
使徒の攻撃、自衛隊の攻撃・・と
何かと危険なこの街において、他の都市への引越しは
別に珍しいことでもないので、
ミサトは へー と答える。
「 その 引っ越す先が
どうやら マンションみたいでね・・ 」
「 うん 」
「 ・・ それで ・・・
その家では 猫を一匹 飼ってたんだけど
今度の家は マンションでしょ?
飼えなくなっちゃって 引き取ってくれるひとを 探してたってわけなのよ 」
話が読めたミサトは
コーヒーカップから口を離すと
「 ・・・
と ゆーことは
リツコが引き取ったの? その猫・・ 」
楽しそうな彼女の声に
リツコは一瞬 ミサトを見ると、
ため息混じりに まあね と 答えた。
「 仕方ないでしょ?
他に引き取り手がいないから
私が飼わないと、保健所で処分されることになるし・・ 」
「 猫マニアとしては
忍びないわね・・ 」
ミサトが優しく笑う。
「 あら・・
人の事は 言えないじゃないの? 」
机にほおづえをつきながら
リツコはミサトを見た。
彼女が言いたいのはもちろん
実験に使われ、 処分されかかっていた
温泉ペンギンの事だ。
「 まあね ・・ 」
そう言われれば そうだ と
ミサトは頷いた。
「 でも・・ なにか問題あんの?
猫なら 何匹いたって いーんじゃないの? 」
「 まあ・・ 何匹いたって・・ って事もないけど
飼うのには 問題ないわ ・・ 」
「 うん 」
すると そこでリツコは言葉を切り、
小さくため息をついた。
「 問題はね・・
その 猫 ・・
・・・ なぜだか 私になつかないのよ・・ 」
「 へぇ・・ 」
彼女の言葉に ミサトは意外そうな声をあげる。
学生の頃から 何度か家に遊びに行っているミサトは、
リツコの猫の飼い方の上手さは知っている。
「 猫はもともと・・
犬みたいに 群れを意識する動物じゃないのよ、
単独が好きって言うか・・
・・・
強い存在に なついたり へつらったり
あんまりしないのよ 」
崩れてきた髪を 耳の後ろに掛けながら、
リツコが言った言葉に ミサトは頷いた。
彼女も そのくらいのことは知っている。
「 でもまあ・・ 犬ほどではないけれど
なつくことは なつくのよ・・ 自分のご主人様にね、
・・・ でも 今度もらって来た猫は・・
ちょっと 普通より ひとなつっこいみたいなの
現に 前の飼い主には とってもなついてたみたいだし・・ 」
「 なのに何故か リツコには なつかない・・と? 」
ミサトの言葉に リツコは小さく頷くと、
情けなさそうな顔で 再び バンソウコウの貼られた
自分の手を持ち上げた。
「 ・・・・
・・・無理矢理スキンシップしようとした代償が・・
これってわけ 」
「 ・・ なるほどねぇ・・
リツコになつかないなんて
猫にも いろいろいるのね 」
リツコは コーヒーを ぐいっと
最後まで飲み干すと、 カップを机の上に置き
胸のポケットから 煙草を一本取り出した。
「 まあ・・ 時間をかけて 接していけば
大丈夫かとも 思ったんだけど・・
どうも そういう感じじゃ ないのよね・・・ 」
「 と 言うと? 」
「 ひとなつっこい猫だって 言ったでしょ?
・・ どうも 前の飼い主に捨てられたと思ってるのか・・
人間不信って 感じがするのよね・・ 」
ライターを取り出しながら、
リツコは少し 深刻そうな声を出す。
「 ・・猫が?
人間不信?? 」
思いっきり信じていないような
親友の言葉に、
「 あら・・ バカにしちゃ駄目よ、
猫にだって 人間不信くらいあるわよ。 」
リツコは くわえた煙草に火をつけながら
上目遣いで ミサトを見た。
「 ・・ ほんとにぃ? 」
「 もちろん。 」
フゥーッと 長い煙草の煙を吐き出しながら、
リツコは得意そうに言った。
・・・・
・・
「 それで?
その猫を 自分になつかせるために
なにか 製作中・・っと ・・ そーゆーわけね? 」
ミサトの言葉に 金髪の女性は あたり・・ と
言いながら、 机の脇に置かれた
少し大きめの木の箱を手に取り、
自分の前に 引き寄せた。
「 なに? それ ・・ 」
濃い木目が 鮮やかな その木の箱は
見かけよりは軽そうだ。
ミサトの問いに答えず
リツコは 一瞬 意味ありげな笑みを浮かべると、
その木の箱のフタを開けた。
・・ 中には 新聞紙を小さく切ったものが
沢山詰めてあり、やわらかそうなタオルが
その中心に・・・
ぴよぴよぴよ!
ぴよぴよぴよ・・
すると そのタオルにくるまれた
数羽の黄色いヒヨコが 突然の光に驚いたのか
一斉に ぴよぴよと 鳴き始めた。
「 あ! あ! ヒヨコだ!
かわいー!! 」
なにが出てくるのかしら・・ という顔をしていたミサトも
突然 出てきた愛らしいヒヨコに
たちまち まるで少女のように目を輝かせて、
ぐぐっと 箱の中を覗きこんだ。
「 “すりこみ”って 知ってるわよね? 」
ぴよぴよと エサを欲しがり 盛んに口をあけている
ヒヨコ数羽に 自分の指を ほれほれと
近づけていたミサトに、 リツコが聞く
「 すりこみ?
・・ ああ ・・ ヒナが 卵から生れて
始めて見た動くものを 親だと思うっていう・・ 」
「 ・・そう・・
それを利用して
うちの猫に 私になついてもらえないかな?
と 思ってね・・ 」
さらっと かなりとんでもない事をいう女性に
ミサトは驚きの表情を浮かべる。
「 ・・ ヒヨコの習性を 猫に持たせて
あんたを親だと 思わせるって事? 」
彼女の言葉に リツコはあっさりと頷く。
「 あの “すりこみ” を起こす物質を
ヒヨコの体から取り出して、
それを 他の動物・・ 猫にも応用できるようにする・・ってわけ
簡単に言うとね。 」
「 へぇ〜・・
できるんだ・・ そんなこと 」
ヒヨコの頭を 指先でなでながら
ミサトが言う。
「 理論上はね・・
試してみないと わからないわ。 」
言葉とは裏腹に、
リツコの顔には自信と笑顔が
溢れていた。
甘いカケヒキ
「 で ・・
試したら 見事に ・・ 」
「 ・・・・・
・・ こうなったって わけ ・・ 」
ミサトの言葉に、
ほっぺたにバンソウコウを貼ったリツコが
かなり機嫌の悪そうな声を出した。
猫になついてもらうための、
特別な薬を作り初めて 1週間・・
出来た出来た! と騒いでいた赤木博士は
その翌日に 右のほっぺたに大きなバンソウコウを貼って
どんよりと ネルフに出社して来たのだ。
「 まぁ・・
リツコの 科学者としての腕前を
信用してないわけじゃないけど・・ 」
とりあえず 赤木博士の研究室に、
慰めに来たミサトは、
やれやれといった顔で言う。
「 やっぱ無理あったんじゃないの?
そんな薬を作るのは・・ 」
相当 自分の作った薬に自信があったのか?
それとも、 こうまでしても 自分になついてくれない
猫にショックを受けたのか・・
リツコは柄にも無く 暗い顔で椅子に座ったまま
ふてくされている。
「 ・・・ 」
「 ・・ 聞いてる? リツコ ・・ 」
苦笑いのミサトが 彼女の肩に手を乗せるが、
リツコは うつむいたまま 何も言わない
「 ねぇ・・
ちょっと ・・ 大丈夫? 」
そんなに深刻になることもないだろうと思いながら
ミサトが言うと・・。
「 くっ・・・ 」
「 ? 」
「 くっ・・ くっくっくっ・・・ 」
突然 うつむいていたリツコが
低い笑い声を上げ始めた。
「 リ ・・ リツコ?? 」
思わずミサトは顔を強張らせ、
数歩 後ろにさがる。
「 くっくっくっ・・・・
良い度胸だわ ・・
この私の1週間を無駄にするなんて・・・ 」
うつむいていたリツコは、
わずかに顔を上げると・・
かなり危ない笑みを浮かべた。
「 あ・・ あの・・ リツコさん? 」
恐る恐る話しかけるミサトに
リツコは かけた眼鏡を光らせながら
口元をゆがめた。
「 ミサト・・ 私はね・・
・・・
・・本気になっちゃったわよ・・ 」
「 ひ・・ ひぇ〜 」
ミサトは冷や汗を流しながら
小さな悲鳴を上げた。
・
・
・
それから 数日間・・
彼女の研究室から
明りが消える事は無かったと聞く。
「 ・・・・ で?
・・ これが ・・ その時に出来た 薬ってわけ? 」
リビングのテーブルの上に置かれた
錠剤の粒 三つを指差しながら
アスカが飽きれた声を出した。
「 まあ・・
そういう事なのよ・・ 」
机を挟んで反対側の席に座るミサトが
なんとも言えない顔で返事をする。
「 へぇ ・・ リツコさんは
いろんなことが出来るんですね・・ 」
アスカとレイの間に座っているシンジも
興味津々といった顔で 机の上を見る。
「 でも ・・ なぜ その薬を
持って帰って来たのですか?
ミサトさん・・ 」
シンジの隣で ちゅーちゅーと
お風呂上りのパピコをくわえていたレイが
不思議そうな顔でミサトを見たのだが・・
「 ・・・・ 」
エビチュの缶を持った彼女は
なんとも言えない顔で 口を閉ざしている。
「 そーよ・・
リツコが自分の猫に使うんでしょ?
・・ なんで家に持って来たわけ? 」
アスカは手を伸ばして、
一粒一粒 パックされた その錠剤を取ると
しげしげと眺める。
一見、どれも同じように見える薬だが、
どうやら 色と模様が すべて 少し違うようだ。
「 ・・・・・ 」
アスカとレイの疑問に、
ミサトはしばらく黙っていたのだが
やがて エビチュを机の上に置くと、
「 ・・・ 実は ・・
・・ さっきの話でわかると思うけど、
この薬も・・ まだ完成してるのかどうか
わからないのよ・・ 」
困った顔で そう言った。
「 また・・
失敗作かもしれないってこと? 」
くんくんと 薬の匂いをかぎならアスカ。
「 そうなのよ・・ なにぶん
おいそれと 実験してみるわけにも
いかないシロモノじゃない?
猫だって そう何匹もいるもんじゃないし、
・・ だからと言って
人間で 人体実験をするほどのものでもないでしょー? 」
( それに ネルフとは何の関係もない実験だし・・ )
ミサトは心の中で付け加える。
「 猫のために 人体実験というのは
おかしいですもんね・・ 」
ミサトの言葉に、
シンジも苦笑いを浮かべながら相槌をうつ。
「 ・・・ 」
ちなみに シンジの隣に座ったレイは
なかなか柔らかくならない 凍ったままのパピコに
ついに 我慢ならなくなったのか
両手でぺたぺたとさわって 暖めて、 溶かすのに夢中である。
「 それはわかったけど・・
ミサトがこの薬を持って帰ってきた事と・・
なんの関係があんの? 」
机の上に 錠剤を戻しながら
アスカが聞くと、
「 ・・ 言ったじゃない ・・
人体実験するわけにもいかないし、
動物だって おいそれと調達できるものじゃない・・って 」
すると ミサトに続いて
シンジが口を開き、
「 リツコさんは 猫が好きだから・・
自分の猫で実験するのも 嫌なんでしょうね・・・ 」
彼の言葉に ミサトは大きく頷くと、
「 そうそう シンちゃん・・ その通りなの・・
で・・ そうなると・・・ 」
「 そうなると? 」
「 ク・・・ クキュ〜? 」
その時 リビングのソファーのところで
つけっぱなしのテレビを眺めていたペンペンが
不安そうな声をあげ、
「 ん〜! サスガ!!
いいカンしてる!ペンペン! 」
ミサトがビシッと ペンペンに向かって
親指を立てた。
「 クキューーーーー!!!!! 」
「 こら! 待ちなさい! 」
慌てて冷蔵庫の中に駆け込もうとする
ペンペンのシッポを、
錠剤を片手にもったミサトが とっさに捕まえた。
「 キュキュー!!
・・ クアー!! 」
このままだと殺される!
と 言わんばかりの叫び声をあげながら
バタバタと暴れる 不幸なペンギンを
ミサトはしっかりと抱えながら
再び 椅子に腰掛けた。
「 クキュ!!クキュ!! 」
たとえペンギン語がわからなくても
言いたい事はよくわかる。
しかし
ミサトは無情にも 片手で錠剤を一粒
外に出すと、 そのままペンペンの口元に
それを近づけていった。
もちろん 哀れなペンギンは
必死の抵抗を試みる。
「 暴れないの! ペンペン!
大丈夫だ・か・ら!
・・・・
・・・・・ たぶん 」
「 キュー! キュー!! 」
にっこりと 優しい微笑みを浮かべながら
ちっとも信憑性の無い事を言う飼い主に
ペンペンは青い顔で 翼をばたつかせる。
「 ミサトさん・・
やめましょうよ ・・ いくらなんでも
ペンペンが可愛そうですよ・・ 」
「 そーよ ・・
無理矢理はよくないわ・・
それに リツコの薬なんて飲んだら
ペンペンがどうなるか わかったもんじゃないわよ・・ 」
「 んぐんぐ 」
アスカの言葉に
やっと食べられるようになったパピコを味わいながら
レイも 頷く。
「 だって ・・ 」
子供達の もっともな意見に
旗色の悪いミサトだが、
出来あがった薬を手に
『 それじゃあ ミサト ・・
とりあえず ためしに これ・・ 飲んでみてくれない? 』
と 真顔で言う、
本気になってしまった赤木博士を思い出して
首を振った。
もはや ここでペンペンに実験してもらわないと、
自分の身が危ういのだ。
「 だ・・ 大丈夫よ・・ きっとうまくいくし、
ペンペンが 私に もっともっとなついても
今までとそれほど状況は変わらないし・・ ね? 」
「 クュキュー!!
・・ クアァー!! 」
「 お願い ペンペン!
ちょーっとだけで いいから♪ 」
優しい口調と裏腹に、
彼の黄色いクチバシを 無理矢理あけると
ミサトはその中に 錠剤を一粒、
放りこもうとした。
しかし、
「 クァー!! 」
そうはさせじと ペンペンは 一際激しく体を動かし、
クチバシをぶるぶると振り、 バタバタと羽を はばたかせた。
「 あ ・・ 」
その拍子に ミサトの手にあった錠剤が
クチバシに当たって 手から落ち・・
パシッ!
羽ばたいていた ペンペンの羽に弾かれ
薬は ポーンと 空高く舞いあがり、
綺麗な放物線を描きながら、
・・ ぱくっ ・・
呆然と 開かれていた
シンジの口の中に入ってしまった。
・・ ゴクン ・・
条件反射的に シンジは
思わず それを飲みこんだ。
・・・・
あたりに 不思議な静寂が流れ ・・
「 え? 」
自分に何が起きたのか、
理解できない顔で シンジはつぶやき・・
「 シンジ! 」
「 いかりくん・・ 飲んだの? 」
思わぬ展開に アスカとレイは
慌てて 彼の方を見た。
「 そ ・・
そう ・・ みたい・・ 」
シンジは青い顔で 胸のあたりを押さえながら
うつむき・・ 呆然とつぶやいた。
「 ちょっと ・・ 大丈夫なの!? 」
「 いかりくん・・ 」
アスカはシンジの肩を揺さぶり、
レイは 彼の顔を覗き込もうとした。
その途端、
シンジは青い顔のまま やおら顔をあげると・・
「 ミサトさん!
げ・・ 解毒剤みたいなのは! 」
椅子から身を乗り出し、
ビックリした顔で ペンペンを抱えたまま
固まっているミサトを見た。
「 ・・・・ 」
すると どうしたことか?
突然 シンジは 凍りついたように体を強張らせ、
椅子から半分立ちあがった姿勢のまま
動かなくなった。
「 シ・・ シンちゃん? 」
自分の顔を見つめながら 身動きひとつしないシンジに、
ミサトが恐る恐る 声をかけると
・・・ !! ・・
それを引き金として、
「 あ・・・ あの・・ 」
突然シンジの顔が、燃え上がるように真っ赤になった。
「 ・・・・・ 」
彼はそのまま 言葉を詰まらせると
まるで心の総てを奪われたように
熱い視線で彼女を見つめ・・
「 ミ・・ミサトさん! 」
突然 シンジは叫びながら 身を乗り出し、
ミサトの手を ぎゅっと両手で掴んだ。
「 す・・ 好きです! 」
「「 は? 」」
見事なハモリで
アスカとレイが 間の抜けた声をあげる。
「 えっ? ・・ えっ?? 」
きつくシンジに手を握られながら、
ミサトは 慌ててアスカとレイの顔を交互に見る。
「 ミサトさん! 」
そんなまわりのリアクションなどお構いなしで、
シンジはミサトの手を掴んだまま、
椅子を横に押しやり、 そのまま
彼女のそばに駆け寄り、
「「 なっ!! 」」
またもや見事なハモリで
驚愕の声をあげた アスカとレイの前で
彼は 椅子に座ったままのミサトを
思いっきり抱きしめた。
しーん ・・
という音が聞こえるくらいに
あたりは静まり返り、
部屋の中の時間が止まった。
「 クキュ!! ク〜!! 」
チャンス到来!
思わず力がゆるんだ ミサトの手から
ペンペンは 慌てて抜け出すと、
冷蔵庫へと 退却した。
プシュー!!ガタ!
その冷蔵庫の扉が閉まる音で
ようやくミサトが我に返り・・
「 や・・やだ! シンちゃん・・
どうしちゃったの? 」
いつもの余裕は何処へやら、
めずらしく顔を赤くして 慌てた声を出した。
「 好きなんです・・
大好きなんです ミサトさん! 」
シンジは真剣な声で
彼女をさらにきつく抱きしめながら
叫んだ。
「 ちょっと・・ そんな いきなり・・
じ・・冗談でしょ? 」
「 冗談なんかじゃありません!
僕は本気です! 」
シンジはそう叫ぶと、
ミサトを自分の胸から離し
「 ・・・・ 」
彼女の顔を覗きこむようにしながら
そっと 唇に顔を寄せて・・
「 え? え? ・・シンちゃん・・ 」
( と 言いつつ 目を閉じたりなんかして・・ )
慌てた声を出しながら ミサトも目を閉じて・・
ゴン!!
案の定、アスカの鉄拳が
シンジの側頭部に炸裂した。
バタン!
あっさりと 床に倒れたシンジの胸倉を、
今度は レイがぐいっと掴み、
「 ん! むんんむん! むん! 」
なにやら パピコをくわえたまま うなった後で
パン!
小気味良い音とともに
平手打ちを お見舞いした。
「 ちょっ・・ 」
ルルルル!! ルルルル!!
( ちょっと! どういうつもりよシンジ!
あたしと言うものがありながら こんな年増に )
と アスカが言おうとした矢先に テーブルのすぐ横の電話が
けたたましく鳴った。
「 ちっ ・・ 」
思わず小さく舌打ちしつつ
アスカは電話を取る。
「 はいもしもし? 葛城ですが・・ 」
思わず応対も不機嫌だが・・
< ・・ アスカね? ・・ >
聞こえた 受話器の向こうの声に
アスカは顔色を変えた。
「 リツコ!! 大変なのよ! あの薬! 」
< そうなのよ・・ 思いっきり また失敗作だったわ・・ >
「 え? 」
予想だにしない リツコの言葉に
アスカがいぶかしげな声を出す。
・
・
「 薬を飲んでから、始めて見た 動くものを
親だと思わせる薬をつくったはずだったのだけど ・・ 」
受話器を持ったまま
リツコは自分の部屋の中に目をやる。
すると、 その視線の先には
もらってきた あの なつかない猫が、
リツコが 前から飼っていた メスの猫 一匹に しっかりと抱きつき、
ゴロゴロと 喉を鳴らしている姿があった。
「 にゃー!! にゃにゃー!! 」
ちなみに 抱きつかれているメスの猫は
必死な顔で ズルズルと そのオス猫をひきずりながら
逃げ回っている。
リツコはひとつ ため息をついて、
「 ・・ どうやら 失敗して・・・
“ 始めて見た異性に 一目惚れする薬”
になっちゃったみたいで・・ 」
< どこを どー失敗したら
そーなるのよ!! >
アスカのもっともな意見が
受話器から飛び出した。
・
・
「 とにかくね! いろいろあって
シンジが飲んじゃって よりにもよって
バカミサトに告白して 大変なのよ! 」
アスカが叫びながら
部屋の中に視線を戻すと、
「 んむむ! むんん! じゅる・・ んむ! 」
両手で カクカクと シンジをゆさぶっているため
パピコをくわえるしかないレイが
なにやら うなりながら シンジを尋問中だ。
「 ごめん! 違うんだよ 綾波・・
僕にも何がなんだか・・ 」
目を白黒させながら、床の上で弁解するシンジ。
すると それを見たミサトが、
「 あれ・・ シンちゃん・・
正気に戻っちゃったの? 」
すこし残念そうに言い、
「 ・・ え ・・ ええ・・ 」
先ほどの自分の行動を思い出してか、
シンジが顔を赤くしながら 答えた。
「 んぐ? 」
1人だけ 状況が理解できていない レイが
うなりながら 首をかしげ・・
「 あんた いつまでパピコ食べてんのよ・・ 」
電話を切ったアスカが
疲れた声で言った。
「「 なるほど ・・ 」」
全員きちんと 椅子に座りなおし、
アスカから リツコの説明を聞いた ミサトとシンジは
納得顔で 頷いた。
ちなみにレイは シンジのミサトへの告白が
相当気に入らなかったのか、 不機嫌な顔で
グラスの中の琥珀色の液体を飲んでいる。
・・ どうやら 甘いパピコを食べ終えたら
なんだか喉が乾いてしまったらしく、
冷たい麦茶を飲んでいるらしい。
「 しっかし・・・
さすがはリツコ、
失敗の仕方も 普通じゃないわね・・
ビックリしちゃった。 」
ミサトは言いながら
シンジに向かって ウインクをひとつ。
「 なによ、
どさくさにまぎれて 目ぇ閉じてたくせに 」
赤い顔で うつむいてしまったシンジの隣で
アスカがほっぺたを膨らませる。
「 へへ〜 アスカ・・
ヤキモチ妬いてんの! かわい〜 」
「 うるさいわね! 」
怒鳴りながら 彼女は真っ赤になった。
結局のところ・・ どういう事かというと、
すりこみの薬を作るはずが、
惚れ薬が 出来あがってしまった・・ と。
そういう事である。
ちなみに 葛城家に持ちこまれた
薬の数は 3粒。
ひとつは シンジが先ほど飲みこんだので
今は 2粒が テーブルの上に残っている。
「 ・・ で ・・ 3粒の違いは
効き目の長さ・・時間の違いってわけね? 」
残りの2粒の入ったパックを手に取りながら
ミサトがアスカに聞く。
「 すぐに効果が無くなるのと、
だいたい 1日か2日、効果が続くのと
最後の一つは ・・ おおよそ 一生、
効果があるって リツコは言ってた・・。 」
「 さっき いかりくんが飲んだのは
一瞬の薬ね・・ 」
麦茶をテーブルに コトンと置きながら
レイが言う。
「 と・・ 言う事は
もし あの時 この一生のやつを
シンちゃんが飲んでたら・・・
私は今ごろ 姉さん女房ね♪ 」
言いながらミサトはニヤリと笑い、
シンジは 引きつった顔で 冷や汗を流した。
「 となると・・ この 真ん中のが
一日効果の薬で・・
この 右端のやつが 一生・・ってことかしら? 」
見せて!見せて! と 言うように
レイが手をのばしているので、
彼女に薬を渡しながら ミサトが言う。
「 そうだと思うけど・・
まったく 人騒がせな 話だわ・・ 」
やれやれと アスカが肩をするめると、
「 そうだね・・ 」
シンジも言いながら 苦笑いをした。
すると、
そんな彼の横から すっと手が伸びたかと思うと、
薬が一粒、
笑っているシンジの口の中に
むぐっ と 押し込まれた。
「 こらーー!! 」
アスカが慌てて立ちあがり、
「 あんた 涼しい顔で
なにしてんのよ! 」
シンジの口に
手を当てたままのレイを 怒鳴りつけた。
「 でも ・・
ミサトさんばかり・・ ずるい・・ 」
すまなそうな顔をしながらも
レイは 口をとがらせる。
「 そーゆー問題じゃないでしょ! 」
怒鳴るアスカを気にせず
彼女はそっと シンジの顔に両手を添えると、
「 いかりくん・・
私を見て 」
わくわくした顔で
彼の顔を 自分の方に・・
「 させるか! 」
しかし 一瞬早く、
立っていたアスカは
シンジの頭を 上から押さえこむと
それを阻止した。
「 むっ! 」
しかし レイは諦めず、
シンジの頭をつかむと
ぐぐっと 力をいれて・・
「 邪魔 ・・ し ・・ ないで・・ 」
それを自分のほうへ持ってこようとする。
「 あんたねぇ・・
こ ・・ んな・・ 抜け駆けが
ゆる・・されると ・・ おもってんのぉ・・ 」
そうはさせじと アスカもシンジの頭を
渾身の力で 押さえこむ。
「 んん〜! 」
これでは 間のシンジがたまったものではない。
彼はもがきながら、なんとか机の下に逃れようと
椅子から 降りる事にしたのだが・・
「 うわ! 」
ガタン!
「 きゃっ! 」
体勢を崩して、 そのままズリ落ちるように
床に尻餅をついてしまい、
上から押さえつけていたアスカも
バランスを崩して その上に倒れこんでしまった。
「 なーにやってんだか・・
・・ 大丈夫? 2人とも・・ 」
テーブルに 頬杖をつきながら
ミサトは飽きれた顔で言う。
「 い ・・ 痛たたた・・・ 」
シンジがクッションになっていたため
すこし 手が痛いくらいで なんとか大丈夫そうだ・・。
「 ったく・・ レイ・・ あんたねぇ・・ 」
アスカが 文句を言いながら
ゴソゴソと 体を 起こそうとすると、
「 ・・・・ 」
ぱっちりと開かれた シンジ目が
目の前にあった。
ほんの数秒・・
アスカが固まっていると・・
「 ・・ かわいい ・・ 」
「 ・・ え ・・ 」
シンジが急に ぽつりと
自分を見つめながら 言った。
その瞬間、
アスカの脳裏に 先ほどの言葉が蘇る。
( 最初に見た異性に一目惚れ )
「 ・・ え!! ・・ 」
ボッ!
あっと言うまに 彼女の顔に火がついた。
「 ・・ か ・・ かわいい ・・
アスカ・・ 」
熱にうかされたように そう繰り返しながら
シンジは ゆっくりと 体を起こす。
「 え・・ え・・
や・・やだ! やだ!! ちょっと 」
アスカは慌てて 彼から体を離し、
膝を床についたまま、後ろに後ずさった。
しかし シンジは 同じように膝をつきながら
アスカに にじり寄り・・
「 アスカ・・・ 僕・・ 」
伸ばした彼の手が 彼女の肩に触れた。
「 駄目! い・・ 嫌! 」
ドキドキバクバクと 心臓が壊れたみたいに高鳴り、
アスカはトマトのように赤い顔で
さらに 後ろにさがる。
しかし すぐに背中は
リビングの壁に当たり、逃げ場は無い。
「 僕・・・ その ・・
・・・・ アスカが・・ 」
まるで 薬を飲んでいないかのように
シンジは いつもの もごもごとした口調で
何かを言おうとする。
その言葉の先がなんであるか
容易に想像できてしまい、
アスカの顔が さらに赤く染まる。
「 嫌! 嫌よ!
こ・・ こういう事は 薬ぬきで・・ 」
もう 自分がなにを言ってるのかわからない。
しかし シンジは容赦無く そんな彼女の片腕をつかみ、
「 え ・・ 」
もう片方の手を 彼女の背中に回して
ぎゅっと こちらに抱き寄せると、
「 アスカ ・・ 」
シンジは真剣な目で 彼女を見つめながら
そっと 顔を寄せてきた。
「 わ・・・ あ・・
・・ う ・・・ 」
頭の中がぐちゃぐちゃになって
どうしたらいいのかわからないアスカだったが・・
近づいてくるシンジの目を見たら
なんだかどうでもよくなってきて
自分もそっと・・ 目を閉じた。
・・・
・・
・・
・
しかし ・・
・・ いつまでたっても
アスカの望む刺激は やってこない。
「 ・・ ? ・・ 」
シンジに抱きしめられたまま
彼女が恐る恐る 薄目を開けてみると・・
ニヤニヤと笑っているシンジの顔。
そして
ぺろっと 彼が舌を出すと・・
そこに 薬の錠剤が・・
「 口に入ったからって・・
飲んだとは限らないよ 」
その錠剤を 手にとり、
シンジは 澄ました顔で言った。
からかわれた!
きょとんとしていたアスカの顔が
別の意味で
かぁ〜
と 真っ赤になった。
「 はは!・・ やったー! ひっかかった! 」
「 こっ・・この!!
・・・バカ! 」
「 ははは!
いつもの仕返しだよ!仕返し!」
楽しそうに笑っているシンジに
アスカは 次々と 座布団や 小型のソファーを投げつけながら
頭から湯気を立ち昇らせた。
どうも この前、新しい洋服を披露した時に
『 かわいいよ 』 という言葉で シンジに返り討ちにされてから
彼女は 彼にからかわれっぱなしである。
「 痛っ! いたいよ! アスカ! 」
ボクッボクッ と、
座布団をまるめたもので シンジを叩きながら
( くそぉ〜!! ・・ 見てなさいょ〜 バカシンジ!
あたしに勝とうなんざ 100万年早い事 思い知らせてやる! )
アスカは赤い顔を
さらに赤くした。
草木も眠る うしみつ時・・
葛城家 玄関脇の廊下に
妖しげな人影があった。
「 ・・・・ 」
キョロキョロと左右を確認しながら
人影は 廊下のコート掛けに近づくと
そこに掛けてあった 赤いジャケットのポケットを
ゴソゴソと なにやら物色しはじめた。
「 ・・・・ あった ・・ 」
やがて 満足そうな小さな声がすると
その 妖しげな影は
ススッと 玄関のそばから 廊下を歩き
一番リビングに近い 扉の前に立った。
カチャリ ・・
音を立てないように 気を使いながら
ゆっくりと ドアのノブが回され・・
キィ・・
かすかな音とともに
ドアが開いた。
「 ・・ 」
妖しげな影は わずかにあいた
ドアの隙間から 器用に身を滑りこませると
パタン・・
後ろ手に 細心の注意で
扉を閉めた。
部屋の中には カーテン越しの
星と月の光が満ちていて
青くて 意外と明るい。
置いてあるものが なんであるかわかるけれど
人の顔は良く見えない・・ くらいの明るさだ。
「 ・・・・・・ 」
その 妖しげな人影は
部屋の中を 注意深く見渡す。
まず 目につくのは 床の上に敷かれた
布団一式・・。
「 すぅ ・・ すぅ・・・ 」
静かな寝息・・
そして もりあがっている 布団は
ゆっくりと 上下している。
「 いかりくん・・ 」
誰だかわからない 妖しげな人影は
その布団を見ながら ぽつりと呟き、
今度は その隣の ベッドの方に
目をやった。
こちらのベッドも
同じように 毛布がこんもりと盛り上がっている。
「 ・・・・ 」
妖しげな人影は 満足そうにうなずくと、
ちょっと丈が長かった 薄いブルーのパジャマの
ズボンの裾を引きずりながら、
シンジの布団へと 近づいていった。
・
・
「 すぅ・・ すぅ ・・ すぅ・・ 」
月明かりと 星の光りに照らされ、
シンジの寝顔は とても可愛かった。
もとから あまり男臭くない
中世的な顔立ちなので、
無防備に あどけない顔をしていると
幼い少女のようにも見えてくる。
「 ・・・・ 」
妖しげな人影は
彼の枕もとに しゃがみ込んで、
小さな薬を 片手に持ったまま
じっと 彼の寝顔を見ている。
「 すぅ・・ すぅ ・・ すぅ・・ 」
何か この部屋にしに来たはずの
妖しげな人影なのだが・・
「 ・・・・・ 」
何をするでもなく
ただ うっとりと
シンジの寝顔に 見入っている。
どうやら やるべき事を
すっかりと 忘れてしまったようだ。
・
・
いったい いつまで そうしているつもりなのか・・
妖しげな人影は 食い入るように
彼の寝顔を見つめたまま
じっと 動かない。
・・ と ・・
「 ・・・・・ 」
やっと 人影は 動き始めた。
ゆっくりと 腕を伸ばして・・
眠っている シンジの頬に
そっと 手を当てると・・・
( いかりくん・・ )
熱い吐息とともに 彼の名を・・
( いかりくん・・ じゃ ないわよ!)
( !! )
ふいに 小声で怒鳴られて、
妖しげな人影は 驚いて後ろを見た。
( あんた いったいいつまで
寝顔見物 してるつもりよ!
シンジにあの薬 飲ませるなら
とっとと飲ませようとしなさいよ! )
突然後ろに現われたアスカは
そう言いながら・・
必殺のげんこつで 妖しげな人影のあたまを ぐりぐりする。
( う・・ うう〜・・・ )
妖しげな人影・・ もとい
綾波レイは うめきながらも うらめしそうな顔で
アスカを見た。
( う・・ ・・・ いつから 見ていたの? )
( さっきから ずっとよ! )
シンジを起こさないように
2人とも ヒソヒソ声だ。
( ・・・ なぜ? ・・ )
( あんたが その薬を シンジの飲ませようとした時
カッコ良く、
” そこまでよ! レイ! ” って言おうと思ったのよ!
それなのにアンタは いつまでたっても・・ )
ぐちぐちと 小声で愚痴るアスカに
レイは不思議そうな顔で
( ・・ なぜ・・ 気がついたの? )
自分が部屋に忍び込んだ時には
確かにアスカは眠っていたはずだった・・
( ・・ それは あたしも・・・
・・ あ・・・
いや ・・・
その ・・・
や・・ 野生の感よ 。 )
赤い顔で言いよどむアスカ。
・・
実は、 アスカはレイと同じように
昼間の仕返しに、 シンジに あの惚れ薬を飲ませようと
考えていたのだ。
夜がふけて 薬を探しに 部屋を出たところ、
同じように 薬を探して歩いている レイの姿を見つけたアスカは
慌てて部屋の中に戻り、
こうして レイが シンジに薬を飲ませる現場を
阻止しようと そう考えたのである。
ちなみに アスカのベッドの毛布を盛り上がらせているのは
座布団をまるめたもの・・
アスカは 最初からずっと、
部屋の窓の横の カーテンの中に隠れて
チャンスを狙っていたのである。
( ・・・・ )
どうも信じられないという顔で
レイが首をかしげる。
( ・・ なによ ・・ う ・・ 嘘じゃないわよ )
自分も同じ事をしようとしていた手前
真実を言えないアスカは 視線を泳がせた。
( そ・・ そんなことはともかく・・
駄目よ、 レイ ・・
薬でシンジに振り向いてもらおうなんて
それは 間違った行為だわ・・ )
自分の事を思いっきり棚に上げながらも
アスカはレイに人差し指をつきつける。
( ・・・・ )
確かに いけないことだと思っていたレイは
もっともな意見に
神妙な顔で 目を伏せた。
( それに・・
そんな薬を シンジに飲ませても
きっと 嬉しくなんて ないわよ?
薬で シンジに 好きだって言われても
しょうがないじゃない・・ )
レイに言い聞かせながら、
アスカは 確かにその通りだわ・・ と
自分の言葉に 自分で反省し始めていた。
シンジに薬を飲ませて、
逆らえないようにしてやる!と思っていた
イタズラ心が 急に覚めて・・
ひどく いけないことを考えていた事に
彼女はいつのまにか 気がついていた。
( でも ・・ )
レイがふいに
アスカを上目づかいに見ながら言った。
( みんなばかり・・
・・ずるい・・ )
言いながら 少し頬をふくらませて
口をへの字にむすぶ。
( ・・・・・ )
そう言えば 昼間・・
ミサトもアスカも シンジに抱きしめられて
キスしそうになところまで行ってしまった・・
ふざけ半分の事とはいえ、
ひがみっぽいレイには 我慢できないことなのだ。
そんな彼女の姿を見て・・
アスカは ふぅっ・・ と 肩の力を抜いた
・・ そっか ・・
・・ 仲間はずれで つまんなかったのね ・・
まるで 小さな子供のような目の前の少女に
アスカは優しく微笑んだ。
( レイ・・
あんたの気持ちは ・・ )
アスカが さとすように レイに話し始めたのだが
肝心の彼女は ほっぺたを膨らませたまま
なにやら 手元でごそごそとした後・・
( わからなくもないけど・・
でもね・・ 人の心って言うのは・・ ん? )
アスカの目の前に 手が伸びて・・
( はんぶんこ・・ )
差し出されたレイの手のひらに、
二つに割れた薬がのっかっている。
( ・・ あ
・・・ あのねぇ ・・ )
飽きれた声で言いつつ
アスカは こめかみを押さえる。
( はんぶんこ )
強情な レイに やれやれとアスカはため息をつき、
彼女の差し出す 半分の薬に 目をやった。
すると・・
( ん ? )
アスカがふいに
真顔になり・・
( ? )
不思議そうな顔で
手を差し出しているレイの前で
彼女はなにやら 考え込み・・
( どうしたの? )
ふいに 立ちあがると、
彼女は レイの問いに答えずに、忍び足で
自分の机の方へと 近づいた。
そして 置いてあった 携帯電話を
そっと掴んで 手に取ると
レイのほうに向き直り、
( 今 ・・
い〜 考えが浮かんだわ・・ )
そう言って
意味ありげに
ニヤリと笑った。
「 ええ〜!
それで 二人して 薬を飲んじゃったの?? 」
翌朝の葛城家。
よく晴れた 気持ちの良い朝日がさし込むリビングで
ミサトが驚きの声をあげた。
「 そうなの・・ 」
「 そうなんです ・・ 」
向かいの席に腰掛けた、
2人の少女は 白いタオルで
きっちりと 目隠しをしたまま 同時に頷いた。
今朝は 朝御飯どころの騒ぎではない。
部屋から出てきた アスカとレイが
二人して 奇妙なカッコをしているので
ミサトとシンジが理由を聞くと
2人は とんでもないことを言い出したのである。
「 でも ・・
いったいどうして? 」
ミサトの隣に座っている シンジが
困惑顔で 2人を見る。
もっとも アスカとレイには シンジの姿は見えないだろうが、
「 昨日の仕返しに、 寝てるシンジに
こっそり飲ませようと思って・・
私が夜中に 薬を持ち出したの、
そしたら レイが邪魔して・・
取り合いになったのよ。 」
アスカの言葉に レイが頷き、
口を開いた。
「 そうしたら 薬が2つに割れてしまって・・ 」
「 たまたま 2人で 間違って
飲みこんじゃったってワケ。 」
タオルを目にまいたまま
アスカがぽりぽりと 頭を掻いた。
「 ・・・・ ん〜〜 ・・・ 」
ミサトは思わず 両腕を組んで
うなってしまった。
「 そんな・・ 」
シンジも 深刻な顔だ。
「 昨日 シンちゃんが一度 口に入れて
そのまま 流しに捨てちゃったのは 確か
効果 一日のやつだったわよね・・? 」
「 ええ・・・ 」
ミサトの言葉に シンジが頷く。
「 となると、 2人が飲みこんだのは・・ 」
「 効果 一生のやつね。 」
アスカが自信いっぱいに答え、
「 一生です。 」
レイも断言した。
「 ・・ あ ・・
でも 2人で半分にしたんだから
一生の半分だね・・ 」
シンジが青い顔のまま
少しでも気をまぎらわそうと
そんなことを言う。
「 一生を 80年として・・
だいたい40年ってところね。 」
しかしアスカはあっさりと
洒落にならない事を言ってのけた。
「 ん〜! 困ったわ! ・・
とにかく すぐにでも リツコの携帯に電話して
解毒剤・・ というか 中和剤を作ってもらうように 言って・・
でも 今日は レイを
定期検診に連れていかないといけないのよね・・・ 」
予定の変更をしようかしら・・と
ミサトは ぶつぶつ言っている。
シンジも 深刻な顔で そうですよね・・ と
頷いている。
しかし
レイの隣のアスカは つとめて気楽に
「 大丈夫よ ミサト
ようはさ、 男を見なけりゃいーんでしょ? 」
「 そうですよ 」
彼女の言葉に レイも同調する。
「 そうは言っても・・ ねぇ・・ 」
「 無理だよ ・・ そんなの・・
ネルフには 男の人も沢山いるし・・ 」
いつになく シンジは心配している。
「 こうやって 目隠ししてれば 大丈夫よ。
それに 見ちゃった時は 見ちゃった時よ・・
その時は しばらく レイが
知らない男を好きになっちゃうだけでしょ? 」
目隠しを 指でさわりながら
アスカが 肩をすくめた。
「 ・・ そ ・・ そうは言っても・・ 」
シンジは言いながら 眉をひそめて
タオルをまいたままの 少女2人を
交互に見た。
その隣で ミサトが・・
あっ と 何かに気がついたような顔をして・・
何故か ニヤニヤと 顔をほころばせた。
「 やっぱり 今日は行かないほうがいいよ・・
目隠しだって いつとれちゃうか
わからないじゃないか・・・ 綾波の・・・ 」
「 そうよね・・
シンちゃんとしては、
レイが知らない男を好きになっちゃうなんて・・
そんなこと 許せないもんね? 」
「 ミ・・ ミサトさん! 」
顔を赤くしながらも、
こんな時に からかわないでくださいよ、と言いたげな顔で
シンジが言う。
「 あら・・ 違うの? 」
「 え ・・ 」
「 レイが 誰か知らない人を好きになっちゃっても
いーの? 」
しかしミサトは 楽しそうな表情で
彼を困らせる。
「 ・・ いや・・
その ・・ 」
「 ん? どーなの? 」
ミサトが うつむいてしまったシンジを覗きこみ、
向かい側のレイも タオルをまいたままの顔で
ぐぐっと思わず 顔をシンジのほうへ近づける。
「 よ ・・
・・ よくないです ・・ 」
半ば ふてくされたように
シンジが口をとがらせながら つぶやいた。
タオルで隠れた レイの顔 下半分が
笑顔に染まり、
アスカの顔 下半分も
満足そうに ニヤリと笑った。
ミサトは ぽんと手を叩くと、
「 じゃあ こうしましょうよ・・
シンちゃんが 今日 ネルフで 一日・・
レイのガードをするっていうの・・ 」
ひょんな事を言い出した。
「 ガード? 」
いぶかしげな顔で
シンジがミサトを見ると、
ミサトは指をいっぽん立てながら・・
「 タオルで目隠ししてるけど、
万が一ってこともあるでしょ? 」
「 え ・・ ええ ・・ 」
「 その時に シンちゃんが
レイが変な男を見ないように ガードするのよ 」
そう言って、
彼に向かって 片目をつぶった。
それからが大変だった。
ガードと言うより 目が見えないレイの
サポートというか・・ 盲導犬代わりのシンジは
彼女の手をとり ネルフや病院の中をうろうろ・・
ミサトは仕事仕事と言いながら
何処かへ行ってしまい、
結局シンジは レイの身の回りのことを
1人でぜんぶ やることになったのである。
それだけなら まだいいのだが・・
「 うっとおしいわ・・
これ・・
もう 嫌 ・・ 」
病院へと続く廊下を歩きながら
レイがおもむろに タオルを取ってしまったのだ。
「 あ・・ 綾波! 駄目だよ!
そんなことしたら! 」
「 へいき・・
目 閉じてるから・・ 」
「 で ・・ でも ・・ 」
「 行きましょ・・ いかりくん 」
慌てるシンジを気にせず、
レイはすっと 手を前に出し、
「 ・・・・ 」
仕方なく シンジはそれを握った。
すると その時
「 やー! レイちゃん! それにシンジ君!
なにしてるんだい!? 」
「 わ!! 」
廊下のカドから 突然 青葉が現われ
シンジは 思わず悲鳴をあげた。
「 なに? ・・ いかりくん・・・ 」
レイが 反射的に
青葉の方に顔を向けて・・
「 だ・・ 駄目だよ!! 」
シンジは レイが 思わず目をあけようとしているのに気がつくと
叫びながら 彼女の顔を手で覆い、
「 失礼します!! 」
そのまま レイを抱えるようにして
廊下を走って 逃げ出した。
・
・
「 はぁ・・ はぁ・・
あ・・
あぶなかった・・ 」
全速力で逃げ出して、
エレベータールームの所まで来ると
まわりに誰もいない事を確認して、
シンジは息を切らしながら ホッと 胸をなでおろした。
「 いかりくん ・・ 」
シンジの片手で 両目をふさがれ、
もう片方の手で おなかのところを
しっかりと抱きしめられているレイが
彼の体に密着しながら、
どこか うっとりとした 声で つぶやいた。
「 あ・・ ご ・・ ごめん ・・ 」
シンジは 慌てた声で言いながらも
注意深く 両手を離し、
「 ・・ やっぱり ちゃんと
タオルで目隠ししないと 危ないよ・・ ね? 」
頬を 赤く染めて 目を閉じたまま
ぼぅっと立ち尽くしているレイの顔に
細くのばした タオルを当てようとして・・
「 ・・・・ 」
思わず 動きを止めた。
赤い顔で 彼女に目を閉じて
自分のほうを向かれると、
なんだか 思わず 違う事を想像してしまう。
( い・・ いまは
そんなこと考えてる場合じゃないな・・ )
高鳴る鼓動を押さえつつ、
頭を振りながら 気を取りなおして
彼女に目隠しを・・
チーン ・・
すると その時
まだ呼んでいないエレベーターのベルが鳴り、
ガラガラガラ・・
「 お・・ どうしたんだい?
シンジ君に レイちゃん・・ こんなところで。 」
「 うわ!! 日向さん! 」
エレベータの扉の向こうから現れたのは
書類を持った 日向マコトであった。
「 どうしたの?
いかりくん・・ 」
「 あ・・ 綾波! 駄目だよ! 」
「 誰か来たの?
いま えれべーたー ・・ わ! 」
また 条件反射的に
マコトの方を見ようとするレイを
シンジは 無理矢理抱きかかえるようにして
そのまま 彼女を抱えて また 廊下を走り出した。
「 あ・・ シンジ君? 」
「 すみません!日向さん
さよならー!! 」
・
・
それからも、
いったいどうなってるんだ?
と 思いたくなるくらい
ネルフの男性職員が レイの前に次々と現われ・・
そのたびに シンジは
そこらじゅうを レイをかかえて逃げ回った。
それだけでなく
肝心の健康診断の お医者さんも男性で、
シンジは無理矢理 女医さんに交代してもらうなど
苦労が絶えない。
それなのに レイは おかまいなし とばかりに
せっかくつけた 目隠しを
「 あついから
もう 嫌 ・・ 」
とか
「 ごわごわする・・ 」
とか言いながら
たびたび 外してしまう。
そのたびに シンジはネルフの中を
走り回る事になったのである。
・
・
プシューーー・・ ガシャ ・・
夜の7時をまわった 葛城家。
「「 ただいまー! 」」
元気良く 家の中に向かって 挨拶をする
ミサトと 目隠しをした レイ。
2人が 玄関を上がり、
リビングに入ると
「 おかえり〜 」
ソファーで ペンペンをお腹の上にのせたアスカが
アイスキャンデーの 食べ終わった、残りの棒をくわえたまま
振り向いた。
「 ほらほら・・ 目隠ししないと・・
シンちゃんもいるんだから。 」
家に1人で お留守番だったため
目隠しを外しているアスカに
ミサトが笑顔で言った。
「 ん! おっけ
・・ で ・・ シンジは? 」
脇に置いてあった タオルを手に取りながら
アスカが聞くと
ミサトとレイは 同時に 玄関の方を 指差した。
・
・
「 つ ・・
疲れた・・・ 」
シンジは 玄関に倒れたまま・・
げんなりとした顔で
うめいてた。
「 ね、 ね ・・ それで それで?
どーだったのよ!? 」
晩御飯が終わったあと・・
アスカの部屋で 目隠しを外した
レイに アスカが待ちきれない様子で
詰め寄った。
「 ・・ いかりくん
やきもち たくさん やいてた 」
うれしそうに微笑みながら
レイが顔を赤くする。
「 ぷぷぷ・・
バカね あいつ・・ 」
アスカも楽しそうに
声をひそめた。
「 いかりくんと ・・
ずっと 2人きりだったから・・
沢山 お話しできた。 」
今日のことを思い出しながら
レイは自慢気に言う
「 ちゃんと 体張って
守ってくれた? シンジの奴 ・・ 」
「 うん ・・ 」
答えながら
恥ずかしそうに レイはうつむき、
「 ・・
・・ いっぱい ・・
・・・
・・ くっついた・・ 」
小さな声で つけくわえた。
「 ふふ・・ この幸せ者め・・
あたしに 感謝しなさいよ? 」
そんなレイのおでこを
指でぴんと弾きながら アスカが微笑む。
すると・・
「 それはそれは もう ・・
すごいガードの仕方だったわよ? 」
ふいに 部屋のドアが半分くらい開いて
ミサトが顔を出した。
「 ミサト! 」
「 ミサトさん! 」
ビックリして 振り向いた少女2人に
ミサトは ウインクひとつすると、
「 で・・ 明日は アスカが ネルフに用事があるって
嘘つけばいーわけね? 私は・・。 」
楽しそうな声で そう言った。
その言葉を聞いて、
「 ・・ なーんだ・・
気がついてたの ? 」
アスカは 気の抜けた表情になった。
「 ちっちっち ・・ 」
ミサトは 指を左右に振りながら
部屋の中に入ると
「 ネルフの作戦部長を甘く見ないでよ・・
だいたい 二人で半分づつ飲み込んだなんて無理のある話・・
信じるのはシンちゃんくらいのものよ。 」
そう言って笑った。
「 ま・・ それもそーね。 」
「 ふふ ・・ 」
アスカとレイも 同じように笑顔になった。
____ と、
コン・コン・・
ひかえめなノック。
「 あ・・ あの・・
綾波・・
アスカ・・・ 話があるんだ ・・ 」
シンジである。
「「「 ・・・・ 」」」
部屋の中の 3人は
思わず 一瞬顔を見合わせると
「 ちょっと待って!
今 目隠しするから・・ 」
アスカがそう叫び、
( ミサト・・ カーテンの後ろ!! )
( おっけ! )
小声で なにやら指示を出し合うと、
レイとアスカは タオルで目隠しをし、
ミサトは立ちあがって、さっと
窓の両脇にまとめられた
背の高い カーテンの後ろに 身を隠した。
丈の長いカーテンではあるが、
足までは 隠れない。
けれど アスカのベッドの後ろなので
入り口からは死角になって 見えない。
「 いいよ ・・ シンジ 」
カーテンの揺れが おさまった頃、
アスカが言い・・
ひかえめに ドアがゆっくりと開いて
シンジが中に入って来た。
「 ・・・・・ 」
「 どうしたのよ・・ シンジ・・ 」
「 あ ・・ あの ・・・ 」
部屋に入ったシンジは
言いにくそうにしながら・・
1歩
部屋の中に進むと、そこに腰を下ろした。
「 ・・ 話が ・・ あるんだ ・・ 2人に・・。 」
「 なに? いかりくん ・・ 」
目隠しした2人の少女を前に、
シンジは おもむろに 口を開いた。
「 あの ・・ 今日・・・
綾波と ネルフに行って 思ったんだけど・・ 」
「 うん 」
「 ・・ その ・・
無理 ・・ だと思うんだ・・ 」
「 え? 」
「 なにが 無理なの?
・・ いかりくん ・・ 」
心配そうな レイの声に
シンジは しばしの沈黙の後・・
「 これから先・・
ずっと 男を見ないで暮らすなんて
無理だと思ったんだ・・ 」
そう 言った。
「 だってほら
人間の半分は男だし・・
ネルフには 男の人のほうが 多いし・・ 」
小さな身振り 手振りを加えて話すが、
前の二人に見えていない事に気がつき、
シンジは わずかに うつむく。
「 ・・ リツコさんの中和剤が
いつ出来るのかも わからないわけだし ・・ 」
彼が言葉を切ると
部屋の中に 静寂が流れた。
「 それに ・・ 」
言いかけてやめるシンジに、
「「 それに? 」」
アスカとレイが 同時に先をうながす。
「 あの ・・
その ・・
家の中でまで・・
目隠ししなくちゃ いけないのも
不便だと思うんだ ・・ 」
シンジの言う事はもっともだ。
どう考えても ガードには限界があるし
シンジがこの家にいる以上、
アスカとレイは つねに目隠しをしなくてはならない。
なにぶん これは 一生の問題なのだ。
・
・
「 確かに・・ 不便だし・・
男を見ないで暮らすのも 無理があるわね・・ 」
沈黙を破ったのは アスカだ。
「 うん ・・ 」
シンジのいるであろう方向を見ながら
レイも頷く。
「 で? ・・
それを踏まえての 話なんでしょ? 」
アスカが聞くと
シンジは一段と歯切れ悪く・・
今度は 顔を赤くしながら、
「 ・・ あの ・・
だから ・・
その ・・ 」
もごもごと 言いよどむ。
しかし 彼が 赤い顔をしていることなど
二人には 見えない。
そして・・
「 僕じゃ・・ 駄目かな・・ 」
ぽつりと、 シンジは
蚊の鳴くような声で言った。
「 え・・ なに? 」
思ってもみない 彼の言葉が聞こえたような気がして、
アスカは思わず身を乗り出し、
「 ・・・・ 」
レイも半ば 呆然とした顔で
シンジの方に注意を向ける。
「 ぼ・・ 僕じゃだめかな・・ 」
小さいが、
今度ははっきりと 聞こえた。
「 ・・・
・・ シンジ ・・ 」
「 ・・・・
・・ いかりくん ・・ 」
2人の 感動した声。
シンジは 慌てた様子で
さらに顔を真っ赤にすると、
「 あの ・・
2人が・・ その・・
僕を見て そういう事になっても ・・
別に・・ 変な事・・しないよ・・ 絶対 ・・ 」
早口で そう付け加える。
動揺してはいるが、 彼は真剣な顔だ。
「 無理な事 言ってるとは思うけど・・
・・ 誰か ・・ 知らない人を見て・・
アスカと綾波が・・
・・・
・・その ・・
・・・
何処かへ行っちゃうのは ・・ 嫌なんだ・・ 」
シンジはそのまま・・
すこしうつむくと、
「 だから ・・
中和剤が できるまで・・・
・・ 僕が ・・ 」
「 シンジのほうこそ・・ いいの?
それで・・ 」
「 え? 」
顔を上げて
アスカを見るシンジ。
「 もし 中和剤ができなかったら・・
何十年も あたしたちにつきまとわれる事になるのよ? 」
アスカの声に
隣のレイも 静かにうなずく。
「 ・・・
・・・・ いいよ ・・ 」
シンジは短く答える。
「 あたしたちの面倒・・
見ないといけないのよ?・・ ずっと ・・ 」
アスカの声に押されるように
また シンジはうつむくが・・
「 ・・
・・・ うん ・・
・・ 頑張るよ ・・
・・・
確証はないけど ・・ 頑張る ・・。 」
そう いつになく強い口調で言った。
「 2人を ・・
誰か 知らない人にとられるなんて ・・
嫌だから ・・ 」
シンジは 最後
うつむいたまま、
搾り出すように そう つぶやいた。
・・・・・
・・ 部屋の中に
不思議な沈黙が流れ・・
・・・・・
「 シンジ 」
「 いかりくん 」
ふいに アスカとレイが
彼のことを呼んだ。
とても嬉しそうな・・
明るい声だ。
「 ・・・・・・ 」
彼は 顔を上げて
2人を見て・・
「 あ ・・ 」
小さく声をあげた。
目の前の2人は
もう目隠しを外していて、
しっかりを 開かれた 綺麗な瞳が、
シンジの事を 見ていた。
「 あの ・・ 」
思わず 言葉につまり、
ただ 2人を見るだけのシンジに、
アスカとレイは すっと立ちあがり、
頬を染めた 幸せそうな顔で 彼に近づいて・・
「 合格 」
「 いかりくん♪ 」
そのまま 2人同時に
「 わっ 」
シンジに思いっきり
抱きついた。
「 まーったくもぉ ・・・ 」
アスカのベットに 腰掛けたミサトは
半ばあきれた顔で
「「 えへへ・・ 」」
満面の笑みを浮かべている
2人の少女を見下ろした。
「 なんか ちょっとしたイタズラのはずだったのに・・
プロポーズされちった・・ てへっ 」
「 ぷ ろ ぽ お ず・・ 」
赤い顔で 頭を掻くアスカと、
もう 意識が何処かへ飛んでいってしまっているレイに
ミサトは頭をかかえつつ・・
「 てへっ じゃ ないわよ・・
・・ とんでもない事するわね・・ ほんとに・・ 」
深くため息をついた。
口調とは裏腹に・・
怒ってはいないようだ。
「 なんか ・・
幸せだな・・ あたし ・・ 」
「 わたしも ・・ 」
夢見る少女に もはやなにを言っても
無駄なようだ。
「 へーへー・・
ごちそーさま・・ 」
ミサトは ベッドのうえで あぐらをかいて
そこに 頬杖をつきながら
もう諦めたような そんな表情を浮かべた。
「 ともかく・・
後でシンちゃんにホントのこと言って、
ちゃんと謝るのよ?二人とも・・ 」
「「 ・・・・ 」」
「 ちょっとぉ? 聞いてんの? アスカ、 」
「 や〜よ! そんなの・・
だって 昨日あたしをからかった仕返しだもん、これは。
だから これでチャラ! それでいーの。 」
「 よかないでしょー?
・・・・ んもぉ ・・
・・ まったく 」
しばし 夢の国の2人を前に
ヘキエキしていたミサトだが・・
「 ・・ まあ それはそれとして ・・
アスカ ・・・
残ってた最後の一粒は?
・・ 解毒剤を作るには あの薬を解析してみないと
どうにもならないって、 今日リツコに言われたのよ・・ 」
ミサトは言いながら
片方の手のひらをアスカのほうに伸ばす。
すると アスカは
きょとんとした顔で ミサトを見て、
「 薬? ・・・
・・・ ないわよ? 」
「 え? 」
ミサトが思わず
鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
しかしアスカは慌てず、
「 ・・ 2人で取り合いした時に
間違って 飲み込んじゃった・・・ てのは嘘だけど・・ 」
するとレイが続いて、
「 薬を 飲み込んでない なんて
言っていませんよ・・ ミサトさん・・。 」
そう言って ニッコリと笑った。
「 え ・・
・・・ ええ〜! 」
ミサトは思わず身を乗り出すと
「 じっ ・・ じゃあ・・ 」
指先で 2人を指し・・
「 男を見たら 好きになっちゃうのは
ホントだったのよ ・・ ねー レイ? 」
アスカは笑顔で 隣の少女を見・・
レイは こっくりと うなずいた。
「 ・・・・ 」
ミサトは 唖然とした顔で
そんな2人を見つめている。
すると アスカは微笑みながら
口を開いて、
「 でもね?
昨日の晩に 2人で この部屋で
薬を飲んだ後・・ 」
彼女に続いて
レイも口を開き・・
「 朝になるまで ずっと・・
いかりくんの寝顔・・
見てましたから・・ 」
心の底から幸せそうに
ニッコリと笑った。
・
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・
「 と ・・ 言うわけなのよ・・・ 」
赤木博士の研究室の中・・
折りたたみ式の 簡単な椅子に身を沈めたミサトは
コーヒーカップ片手に、情けなさそうな声で言った。
「 ふふ・・ 」
カチャカチャと ノートパソコンを叩きながら
リツコは 楽しそうに笑う。
笑い事じゃないわよ、 と言いながら
ミサトは コーヒーカップを手近な机の上に置き、
両手を頭の後ろで組む。
「 でもさぁ・・ リツコ ・・
結局 アレなわけ?
薬を飲んだ後、
もーすでに ベタベタに惚れてる相手を見ても・・ 」
「 文字通り、
“惚れなおした” だけにすぎないわ・・
あの2人の場合は、 前となにも変わらないわよ・・ 」
ノートパソコンから目を離さず
リツコは 笑いを含んだ声で答えた。
「 まったくもぉ・・
シンちゃんで遊んだら 可愛そうじゃない・・ 」
ぶつぶつと 言いながら
ミサトはさらに深く 椅子に体を沈め、
前髪を指先でつまんで、 枝毛のチェックを始める。
どうやら いつも 自分がシンジ君をからかって
遊んでいる事は 忘れてるみたいね・・ と
思いながらも、 リツコは何も言わずに ノートパソコンの画面と
手もとの資料を見比べている。
そんなリツコの隣で
しばし ぶつぶつ言っていたミサトだったが・・
やがて、
「 でもさーぁ?・・ リツコォ〜・・
・・ 一生の半分・・ 40年くらいは
効果があるんでしょ? あの薬・・ 」
彼女の言葉に リツコがチラッと
ミサトの方を見る。
「 だってさぁ・・
アスカとレイが シンちゃんの事 好きなのは
あたりまえだと思うし、別に私は何も言う事は無いわよ・・
あの3人には いつまでも 仲良くしてほしいと 思ってるし・・ 」
ミサトは つまんでいた前髪から
指を離すと、
「 でも ・・ だからって あの若さで・・
そこまでの将来を 決心するとは・・ ちょっち驚きだわ・・ 」
あしにはマネできない・・と
天をあおぐミサトに、
「 ・・ ぷっ ・・・ 」
リツコは思わず吹き出した。
「 ・・ ん〜? ・・ 」
ミサトはのっぺりと
彼女の方を見て・・
「 ぷっ・・ ぷっ・ぷっ・・
・・・ くっくっくく! 」
「 ちょっと・・ なによぉ・・
笑う事ないじゃない・・ けっこー深刻な話を・・ 」
言いながら 不機嫌そうな顔で
眉毛をへの字にまげたのだが・・
「 アスカのほうが 一枚うわてね・・
ネルフ作戦部長さん? 」
リツコは 笑いながら
ノートパソコンから目を離し、
ミサトを見た。
「 へ? 」
間の抜けた声をあげる彼女を見ながら
リツコは 意味ありげな顔をすると、
かけていた眼鏡をはずして
それを 手でもてあそびながら・・
「 猫の寿命・・
知ってる? 」
「 ・・・
・・ あ!! 」
リツコの言葉に
ミサトは思わず声をあげて
椅子に座りなおした。
そんな彼女を リツコは楽しそうに見たまま、
「 私が作ったのは 猫の薬よ?
猫の寿命は せいぜい 15年がいいところ・・ 」
彼女は持っていた眼鏡を
胸のポケットに仕舞い込み、
「 2で割って・・ だいたい 7年くらいたてば
私もレイも 結婚適齢期だって・・
その日の夜に 携帯で私に言ってたわ・・ 」
そう言って ニヤリと ミサトを見た。
「 かなわないわよ・・ もー! 」
ミサトはガックリと 体から力を抜いて、
ずぶずぶと 椅子に沈んでいった。
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・
「 ところでミサト・・
今度の改良型は 確実にすりこみ現象を・・ 」
「 もう やめて・・
お願い・・ 」
おわり