月読神
ツクヨミノカミ
別称:月弓尊(ツキユミノミコト)、月夜見尊、月黄泉命性別:系譜:黄泉の国から戻った伊邪那岐命禊祓をして生まれた三貴神の一柱神格:農耕神、海の神、占いの神神社:出羽三山・月山神社、鳥海月山両所宮、各地の月読神社ほか
 今日も信仰されている日本の神々は、太陽信仰を源流とする勢力が中心になっていて、月神は少し影が薄くなってしまっている。 しかし、古代においては、月に対する信仰も人々の生活の中で相当に大きな位置を占めていたようである。 そうした頃に人間が感じていた月の神秘的な霊威を今も保持し続けている唯一の月の神が月読神である。 しかし、三貴神の中でももっともマイナーな神といわざるを得ないのが現状である。
 伊邪那岐命御祓をしたときに、陰なる右目から生まれたとされる。

 月読神の「ヨミ」は月の満ち欠けを教えるという意味で、暦を読むことと関係している。 古代の人々は、日の巡りとともに月の巡りを数えることによって四季の変わり目を知り、農作業の区切り目とした。 このように、生きていくための大切な情報を教えてくれる月に対して、人々が敬虔な気持ちを抱き、その神秘的な霊力を神として崇めるようになったのは当然であろう。
 また、「月を読む」ことは、吉凶を占うことでもあったようだ。 古代には、月を観測して暦を定め、農事を占う専門家がいたようだ。 たとえば、京都の松尾大社の摂社に月読神社があるが、これは渡来系の一族である秦氏が祀ったものである。 渡来人が大陸からもたらした占いに亀の甲を焼いてその亀裂によって吉凶を占う亀卜(きぼく)というものがあるが、本来はこの亀卜の神だったのではないかともいわれている。 とにかく、それらの事情を総括してみると、占いの神としての月読神の姿が見えてくる。
 以上のように、月読神は農耕と深く関係する神であるとともに占いの神でもあったわけだが、神話では相当に乱暴な性格の男性神として登場する。 ある時、姉の天照大神の使いで月読神は食物神の保食神を訪ねた。 保食神は喜んで迎え、口から様々な食物を吐き出してもてなしたが、月読神はそれを見るなり「なんと汚いことをするのだ」と激怒し、いきなり保食神を斬り殺してしまったというのだ。 そのあまりに乱暴な行為が天照大神の怒りを買い、結果として二人は不仲となって永久に昼と夜とに別れて暮らすことになったそうだ。 このときの保食神の死体から人間の主要な食物となる五穀が発生するというこの話は、「穀物起源神話」として有名である。
 さらに、『古事記』には、月読神が父伊邪那岐命から「滄海原(あおうなばら)を治めよ」と命じられたとある。 おそらく、月の引力が潮の干満と関係することから、海の神としても海人(あま)族から信仰されたのだろう。 実際に古くから海の神を祀る神社に月読神が祭神としてまつられている例もある。

 また、古来、月は死と再生に関係づけられることが多かった。 月の満ち欠けする様と、生と死の反復を重ねて見ていたのであろう。 これが原始古代から人々が月に対して持ち続けていた月の神秘のイメージである。 このイメージは日本人に限ったものではなく、月と不老不死や若返りを結びつけるのは世界的な信仰として広がっている。 このような信仰が生命の源泉である水と結びつき、日本では古くから月神が若返りの水をもたらすという信仰が生まれていた。 この信仰は今も根強く残っている。 正月に行われる若水汲みの行事がそれである。 若水というのは元旦の朝に汲む水のことで、その水には新しい生命力が満ちていると考えられている。 代表的なものには、毎年3月13日に東大寺二月堂で行われる「お水取り」の行事がある。 また、月は黄泉の国に通じるとも考えられており、月読神の別称の一つに黄泉の字が含まれるのはこのためである。
 古代の禊の習慣は、自分の体についた穢れ(けがれ)を水で洗い落として清めるものだが、同時に水が持つ魂を若返らせる霊力を授かることでもあった。 こうした「若返りの水」の霊力は、毎年新たな生霊力に満ちた穀霊を再生して豊穣をもたらす霊力に通じる。 ツクヨミ神は本来、そうした生命力の再生産と深く関係する神なのである。