保食神
ウケモチノカミ
別称:大宜都比売神(オオゲツヒメノカミ)性別:系譜:伊邪那岐命伊邪那美命の子神格:五穀の神、養蚕の起源神神社:岩内神社、猿賀神社、金峰神社、玉崎駒形神社、竹駒神社、箭弓稲荷神社、建穂神社、わく繰神社、犬頭神社、亀山八幡宮
 保食神は、食物を司る神で、大変サービス精神にあふれている。あるとき、天照大神に命じられて月読神が高天原から訪ねてきた。喜んだ保食神は、最高のもてなしをしようということでおおいにはりきった。それで自分の口から、大地に向かってご飯を出し、海に向かって大小の魚を、山に向かっていろいろな獣を吐き出し、それを豪勢に机の上に盛り上げたのである。ところが、月読神は喜ぶどころか、「口から出した汚いものを食わせるのか」と逆に怒り狂ってしまった。保食神の行為は、完全に裏目に出てしまったのである。とくに相手は三貴神の一神で気位が高く、激情しやすい直情径行型だったのも災いし、なんの釈明もできないままに剣で斬り殺されてしまった。
 人間界ではなんとも悲惨な結果ということになるが、そこは神さまの世界のことだけに、そのあとの事情が違う。殺された保食神の体からは、次々に農業生産に関する作物や家畜などが生まれたのである。頭頂からは牛馬、額に粟、眉の上に蚕、目の中に稗、腹の中に稲、陰部には大豆・小豆といったようにである。こうして生まれた五穀を天照大神が種と定め、さらに繭を口に入れて糸を引きだした。これが人々の穀物を食べ物とする始まりとなり、養蚕のはじめとなったというわけである。こうした神話にちなみ、保食神は食物の起源神とされているのである。
 このように、したいから農作物が発生するという神話は、東南アジア、中南米、アフリカなどにも共通したものがあり、こうした伝承は山を焼いて芋、粟などの雑穀を育てる焼畑農業がベースになっているといわれる。日本には稲作文化が普及する以前にそうしたものが伝わり、のちの弥生時代になってから稲作農耕の話が加わったものが、この食物起源神話である。つまり、この神話は、稲作によって豊富に主食が確保できるようになり始めた時期をうかがわせるものなのである。

 保食神は、日本人が稲作農耕の発展によってある程度安定的に食糧を確保できるようになった時代を象徴する神ではないかと考えられている。歴史時代でいえば農具に鉄が用いられるようになる弥生時代のことである。安定的な食料が収穫されることは、すなわち作物(食物)文化の始まりを意味する。稲だけでなくいろいろな作物が作られ、食べ物にもバラエティが生まれてきたということだ。
 一般に豊かな作物の恵みを五穀豊穣というが、この場合の「五穀」とは”作物文化”を表すものだといえる。現代だって食卓に5品もおかずが並んでいたら、これはなかなか豊かな感じである。文化というのはなによりも豊かさを背景として生まれるといっていい。そういう意味での”食物文化”という面で考えると、保食神が客人をもてなすために最大のサービスとして、海や陸、山の幸を取り揃えて提供するといったことも、まさに豊かさの象徴である。
 さらに、保食神のサービスには、当然、新鮮な食物を「料理」するという意味も含まれていると考えていいだろう。食料が豊富になれば調理の技術も発展する。だから、バラエティ豊かな食文化のルーツというのが、この神のイメージということになるだろう。こうしてみると、保食神がなんで寿司屋の神さまとされているのかということもよく理解できる。