健磐龍神
タケイワタツノカミ
別称:阿蘇津彦命、阿蘇大明神性別:系譜:神武天皇の孫。妻は阿蘇津比売神(アソツヒメノカミ)神格:山の神、阿蘇の国作りの神神社:阿蘇神社
 この神は、熊本県阿蘇郡の阿蘇神社に祀られている神で、阿蘇の国造りの神とされている。熊本地方の伝説によると、健磐龍神は、祖父の神武天皇の命を受け、日向(ヒムカ=宮崎県)の高千穂から五ヶ瀬川をさかのぼって阿蘇にやってきて、外輪山の上から目の前に広がる湖水を眺め、その広大さに感心した。そして、「この水を排水すれば、そのあとに広大な耕作地が生まれ、多くの人が暮らせるだろう」と考えた。そこで、外輪山の上を歩いて排水できる場所を探し、最初に一番低いところを蹴って壊そうと試みたが、そこは岩が二重になっていてびくともせずに失敗(現在の阿蘇町の二重峠といわれる)。次に、そこから南によったところ(現在の阿蘇郡重陽村立野あたり)を選び、岩を蹴破ると湖水は一気に西の方へと流れ出し、水が引いたあとに肥沃な農地が出現した。
 こうして阿蘇の地に耕作の道を開き、立派に国を治めたのち、その神霊がこの地に鎮座したというのが健磐龍神の阿蘇の国造り神話である。伝説からをうかがえるように、この神の本源は阿蘇山に宿る神霊であり、また、ときに恐ろしいエネルギーを吹き出す活火山の火口神である。そうした阿蘇山の神霊を、人々は古くから信仰し篤く祀ってきた。そこから発展したのが健磐龍神なのである。伝説では、水を制御するものすごい力を発揮しているように、この神はまた水の神としての霊力も備えている。火と水は、生命力を盛んにするエネルギー源であり、それが農作物を豊かに実らせるこの神の霊力となっているのである。
 「日本書紀」景行天皇の九州平定の話にも健磐龍神が登場する。その部分は次のように記されている。火の国(肥前・肥後)に至った朝廷軍が、夜に主の分からない火の明かりに助けられて行軍し、反抗する土蜘蛛を討伐する。やがて広大な野が続く阿蘇の国に至ると、一行の前に阿蘇都彦と阿蘇都媛の二神が人の姿になって現れ、そこでこの土地を阿蘇と名付けたという。ここに登場する二神は、阿蘇の国土に宿る夫婦神であり、おそらく火の明かりをかざして道案内をした主でもあろう。
 火というのは、いうまでもなく現在も火を噴きつづける阿蘇山のイメージから来ている。その火についての神秘的な伝説も多いが、今日では阿蘇神が夫婦神であることから、火を恋の炎を燃やす情熱と結びつけ、縁結びの神として信仰されたりしている。そういう意味ではけっこうロマンチックな面もある神さまなのである。