天之御影神は、我が国の鍛冶の祖神とされる神である。
「古事記」では、この神は近江国の三上山を御神体とする御上神社(滋賀県野州町)に祀られる神であるとしている。
三上山は”近江富士”とも呼ばれ、俵藤太こと藤原秀衡(平安中期の関東の武将で、平将門を討った勇者として多くの伝説が語られている)のムカデ退治の伝説が残る山である。
この神も、古くは三上山に宿る山の神であり、近在の人々の生活を守護する地主神であった。
古来、近江のあたりというのは帰化人の定着が多く見られ、外来文化とも密接な関係があった。
帰化人のもたらした文化のなかには当然、先進的な鍛冶の技術もあったはずである。
実際に野洲周辺の古墳の出土品に、大量の銅鐸や刀剣などが含まれていることから、この地に鍛冶の技術が根付いていたことは確かである。
その技術が中世以降は刀鍛冶として発展し、ひいては、のちに戦国の世に革命をもたらした鉄砲の生産地、近江国友村(滋賀県長浜市近郊)の鉄砲鍛冶の技術としてつながった。
とにかく、そうした鍛冶を専業とする古代の人々の信仰が三上山の地主神と結びつくことによって、天之御影神は鍛冶の神としての霊力を備えるようになったのである。
中世以降、天之御影神は武神として崇敬を集めた。
たとえば、天之御影神を祀る御上神社の寄進者には、木曽義仲、源頼朝、足利尊氏、近江守護の佐々木氏、豊臣秀吉などの名が見られる。
こうした武将たちの崇敬を集めた理由は、この神が刀鍛冶(刀工)の神としての性格を強く持っていたことに由来するものである。
武将たちは、鍛冶の神に優れた刀を生み出すことを祈り、刀に宿る神霊が戦いを勝利へ導くことを願ったのである。
なお、天之御影神の息子に意富伊我都神がいる。
この神は、古代の多くの氏族の祖神とされる額田部湯座連(ヌカタベノユエムラジ)天津彦根命の孫ともいわれ、やはり刀鍛冶の守護神として崇敬されている。
祖父の天津彦根神は、もともと火に関係が深く、祖父の系統を引くこの神もまた火と強く結びついていると考えてよいだろう。
つまり、焼き入れ(火)によって強靱で優美な刀剣を生み出す霊力を発揮するのがこの神なのである。
また、刀剣は邪悪を払う霊力を持つ。
ゆえに、この神も人間を災いをもたらす悪霊から守護してくれる神としても信仰されている。