天津彦根神といえば、三重県多度町の多度大社の祭神で、特に雨乞いの神として有名である。
同時に風の神(台風の神)としてその神威を発揮すると信じられている。
また、天照大神の子であるということから、多度大社は伊勢神宮に対して北伊勢大神宮とも呼ばれた。
天津彦根神は、数多くの氏族の祖神としても祀られている。
それらの氏族は天皇家に忠誠を誓う各地の有力者と考えられ、その分布は近畿から関東まで広がっている。
このことから、天津彦根神というのは各地の氏族が信奉していた土着の神、産土神の集合体であると推測できる。
数多くの氏族を従えるために、「君らの信仰している神様は実は天照大神の子供の天津彦根神だったんだよ。なかなか血筋のよい神様だよねえ。」と吹き込んだわけである。
そういう意味で、土地の守り神であり、農業、漁業の守り神だったり、産業開発もしていたりと、各地の土着の神が持つ様々な霊力を備えているといえるだろう。
また、多度大社には、別宮に立派な一目連神社が祀られている。
一目連神というのは、天津彦根神の子の鍛冶の神、天目一箇神のことである。
このような神を子に持ち、さらに一緒に祀られているということから、金属工業の神としても厚く信仰されているのである。
天津彦根神は前述の通り、雨乞いの神であり、台風の時には風の神としての神威を発揮して風水害を防いだりするという神である。
こういった霊力は、山の神としての性格から来ているようである。
というのも、多度大社の背後の多度山には、昔、一つ目の龍が棲んでいたという伝承がある。
龍は海神であると同時に水の神でもあり、一般に雨の神としても信仰されている。
この竜神を祀ったのが多度大社の始まりという伝承もある。
とすると、多度大社の祭神はもともと一目連神であったことになる。
記紀神話の成立以後、あとから主祭神となった天津彦根神は、古くから信仰されていた一目連神の霊力をも包含した神霊として祀られるようになったのであろう。
海も陸も広くカバーする神威を発揮するのは、そういった理由からかもしれない。