玉依姫命
タマヨリヒメノミコト
別称:玉依毘売命、玉依日売命、玉埼神、活玉依毘売命(イキタマヨリビメノミコト)性別:系譜:海神(ワタツミノカミ)の娘で豊玉姫命の妹神格:水の神、聖母神神社:賀茂御祖(カモミオヤ)神社、玉前神社、加茂神社、吉野水分(ミクマリ)神社、青梅神社
 玉依姫命と呼ばれる女神は1人ではなく、日本各地の神社に同じ名前の神が祀られている。玉依姫命という名称は、天照大神木花開耶姫命などのような固有名詞ではない。「タマヨリ」とは、「霊依」あるいは「魂憑」からきたもので、神の依り憑く巫女、あるいは神霊が憑依する乙女の意味である。それに加えて玉依姫命には、女性の子供を生む能力という性的な要素が強く反映されている。「タマヨリ」の女性は、神婚による処女懐胎によって神の子を宿したり、選ばれて神の妻となったりする。そういう巫女的霊能力のある女性を総称して玉依姫命と呼んでいるのである。
 古来、女性の出産する力は、豊穣や多産のシンボルと考えられてきた。人間の生命あるいは食料の再生産のための新鮮なエネルギー。そういうものが一つの神の姿としてイメージされたのが玉依姫命なのである。神話伝承のなかの玉依姫命は、龍神(水神)の娘であったり、水の神を祀る巫女だったりすることが多い。また、玉依姫命が祀られる神社がある場所は、だいたいが水に縁のあるところである。このことは、玉依姫命が人間の生命の源である水と深い関係にあることを示している。そういう女性と結婚し新しい生命を生み出すのは、日の神(太陽神)にほかならない。つまり、太陽とそれを祀る巫女との結婚である。水と太陽の力が結合し、作物を実らせる大地に若々しいエネルギーを満ちあふれさせ、国に豊かさと平穏をもたらすたいうわけだ。
 そういう意味で、玉依姫命のイメージは、神と巫女との交わるや民俗的な神婚の秘儀など、古代の農耕儀礼の習俗から発生したものと考えられているのである。また、玉依姫命は、彼女が生んだ御子神と一対に祀られて、母子神として信仰されている。これは、日本の民俗的な宗教風土のなかに太い流れを形成している母子神信仰が、玉依姫命の原像のベースになっていることをうかがわせるものである。

 玉依姫命と呼ばれる女神のなかでも、神話の代表的な存在として一般によく知られているのが、山幸彦・海幸彦の話に登場する海神の娘の玉依姫命である。詳しくはそちらを参照していただきたい。この玉依姫命には、子孫繁栄のシンボルとしての意味を強く感じることができる。
 そのほかにもよく名前の知られている存在としては、神話の三輪山伝説に登場する、三輪の大物主神の妻となった玉依姫命がいる。この玉依姫命は人間の女性である。彼女が神婚によって産んだ子が櫛御方神(クシミカタノカミ)で、その孫が鹿島神の武甕槌神という説がある(このサイトでは、武甕槌神は迦具土神の死骸から生まれたとしている)。この話は、神婚説話の典型的なパターンとして「三輪山型」とも呼ばれる。
 さらに、京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)の祭神の玉依姫命も、有力な女神の1人だ。こちらは山の神の賀茂建角身命の娘である。「山城国風土記」逸文に出てくる賀茂神社延喜に、玉依姫命が鴨川で水遊びをしていると、上流から丹塗矢(ニヌリヤ)が流れてきた。その矢は、実は大山咋神の化身で、拾って帰り部屋に飾っておくとやがて身ごもった。そうして産まれた男の子が上賀茂神社の祭神の賀茂別雷神である。
 この玉依姫命はもともと鴨川の水の神を祀る巫女だったとも考えられており、その巫女が神婚によって神の子を産んだというわけである。その子、賀茂別雷神は、山城、丹波地方の開拓神であり、雨水をもたらし豊穣を保証する神霊であるということからすれば、玉依姫命の霊力は、やはり子孫繁栄というふうに考えられる。また、母神の玉依姫命が下鴨神社に祀られ、子が上賀茂神社に祀られていることから、二社は一対で母子神信仰があるとされる。

 以上のほか、各地に祀られている玉依姫命は、地域によって信仰の由来が多少違ったりする。だから、厳密にいえばそれぞれ個別の玉依姫命が日本中に数多く存在するわけである。とはいえ、その基本的な性格や機能はほとんど共通しているといっていい。そういう意味では、われわれがふだん神社にお参りするときに、その違いを意識する必要はないということである。