八百万の神々の中でもトップに位置する女神。
伊邪那岐命が御祓をしたときに、光を表す左目から生まれたとされる。
その名の通り、あらゆる生命にとって必要な太陽を象徴する神である。
このような太陽信仰は世界中にある。
日本では古くから太陽を「日の神」として信仰し、天照大神ももともとはそうした太陽信仰から発展した神霊である。
ただ、ほかの信仰と違い、古代日本人は太陽神そのものを信仰するほかに「日の神」に民族の祖神というイメージを重ねて祀った。
そうした二重の性格を備えた神が天照大神である。
天照大神についての神話としては、「天岩戸隠れ」が有名である。
天照大神が岩戸に隠れたために、世の中は光を失い、悪霊が満ち、災いが起こる。
このことは日照時間が減ることによる不作、あらゆる生命の衰弱、そのことによる飢饉、餓死、疫病などを指しているのだろう。
さらに「太陽が隠れる」ことには、古代の人々は冬至の頃とイメージを重ねていたようだ。
その時期には、人々は太陽の再生を願って神祭りを行った。
これは太陽の”死と再生”の儀式でもあった。
「天岩戸隠れ」には、こうした農耕儀礼が反映されている。
このことから、天照大神は大地の豊穣性を体現する母なる女神ともいえる。
一方、この神には男性的な側面もある。
これを象徴するのが、神話の中で天照大神が勇ましく武装する場面だ。
地上で乱暴狼藉を働いていた素盞鳴尊が高天原を訪ねてきたとき、彼女は「高天原の支配権を奪いにきたのでは」と警戒してすぐさま武装した。
まず髪を角髪(みずら)という男性のものに結い直し、手や髪それぞれに五百もの勾玉を糸に通した飾りを巻き、
さらに千本の矢が入る靭(ゆぎ)を背負い、五百本の矢が入る靭を腹に抱え、大変な強弓を手にした。
そのように武装すると、四股を踏むように両足を大地にめり込ませ、素盞鳴尊を威嚇したのである。
弓矢というのは、古来軍事力を象徴する道具であった。
そういった武具をフル装備する天照大神は、軍事を象徴する神でもあったといえるだろう。
軍事とは国土を守るための力である。
天照大神が皇祖神として崇敬されるようになった背景には、そうしたパワーへの強い信仰があったとされている。
以上のように、天照大神は、太陽の女神としての大地母神的な性格と、武力・軍事力に象徴される男性的なパワーを兼ね備えている。
それがあまたの男性神を押しのけて、実力ナンバーワンの日本の最高神として君臨している理由なのである。