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26

 白衣の赤木リツコの後ろに続くムサシは、履きふるしたジーパンに黒革のジャンパーという格好。
 先日までいた施設ではそうでもなかったが、今いる場所は行き交う人間皆が軍隊か警察のようなものを連想をさせる制服だった。ムサシにすれば、チルドレンという、同年代の少年少女と会うだけだと思っていたからラフな服でいいだろうと考えていたが、これではどうにも自分が場違いな存在に思えてくる。
 リツコが、電子ロックのつけられた重厚な扉の前に立つにいたって、ムサシはジャンパーの襟をつまみながらたずねた。
「マズかないですか、これ」
 リツコはかぶりを振った。「構わないわ、ここは着飾ることを期待されてる場所じゃないもの」と、苦笑して肩をすくめ、ついでに白衣の自分を指差した。
 二人は司令執務室へと入っていった。
 各地のネルフ施設を転々としてきてようやく第三新東京市に入ったムサシにとって、ジオフロントやネルフ本部の規模の大きさは、ただ驚くばかりだった。そしてその総てを掌握しているというネルフ総司令碇ゲンドウとはいかなる人物か、対面するとわかってからは気後れしていたというのが本当のところだった。
 通された部屋もまた呆れるほど広かった。もっとも待ち受けていたのは二人だけであった。
「碇司令、紹介します。十番目の適格者、ムサシ・リー・ストラスバーグ君です」
 リツコの乾いた声が司令と呼びかける人物を見たムサシの印象は、彼の予想を半分は当たらせた。
 濃い顎鬚と彫りの深い顔立ちは威圧的で、充分その権勢を感じさせた。
 対して、ゲンドウの答えは、ムサシの予想を裏切った。
「そうか」
 訓示か何かを聞かされるものと思っていたムサシだが、ハスキーなその一声だけで終わってしまった。代わりにそれに相当する発言をしたのは、座っているゲンドウの隣に立つ白髪の老人だった。
「副司令の冬月だ。ストラスバーグ君。チルドレンは君を含めて四人いる。他の者とも協調してやっていってくれたまえ」

「拍子抜けだな」と、ムサシは胸をそらして頭の後ろに手を組みながら、横に並んでいるリツコにいった。
「何を期待してたの」
「なんていうかさ」
 立ったままの二人を運ぶ通路は中空になっている部分に差し掛かった。ムサシが下を覗きこむが、どこまでこの建物が地下に続いているのか霞んでしまってわからない。
「こんなでっけえ場所に見合った、それなりのなんかがあるもんなのかなとか、思ってたんだけど」
「ネルフもそれほど大きな組織ではないわ。特に君と関係する部署はね」
「へえ」
 リツコが自分とかかわる部署にいるのか、昨日、鬼頭からひきあわされたばかりのムサシには判断がつきかねた。
「他の三人ってのに会うんだろ、これから」
 だが、チルドレンなる人間たちは、自分と同じ部署なのであろうと推測する。
「トウジは、違うのか」
「彼は違うわ」
「俺と同じような検査やってたけどな」
「……違うわ」
 いいよどんだリツコの口調をムサシは逃さなかった。
「検査じゃないってこと? じゃあ、ありゃ何? 治療? 実験? それとも」
「ムサシ君」
 ある扉の前で立ち止まったリツコがムサシを見据えた。にらむ、というよりは煩わしいものを見下ろすような目つきをされ、ムサシも挑むような視線を返したのだが、リツコはそれに応えるまではせず、黙って扉を押し開けムサシを小さな会議室に招き入れた。
 白い壁、白い円卓。円卓に置かれた大ぶりな花束によって、ようやく室内のよそよそしいまでの白さが和らいでいた。
 そこには六つのオフィス用の椅子があった。ムサシとリツコの座るであろう空席があり、四人の人間が席についていた。すっと立ち上がった長髪で長身の女性が、ムサシににこやかに握手の手を差し伸べた。
「はじめまして、ムサシ・リー・ストラスバーグ君。作戦部でエヴァの戦術指揮をとってる葛城ミサト。よろしくねん」
「あ、ども……」
 赤木ってのに比べて軽いノリだな、というのがムサシの第二印象だった。握手の前から、第一印象の方は、軍隊調の制服を着ていてもわかる豊かな胸である。
「ほんじゃ、まあ、みんなに自己紹介してやって。ムサシ君」
 ミサトにぽんと背中をこづかれて、彼は席に座る三人の方を向いた。同年配の三人、自分を入れて四人。こいつらがチルドレン。エヴァンゲリオンのパイロット、チルドレン。にしちゃあなんだかどいつも正義の味方って顔じゃないよな……。
「あー、ムサシ・リー・ストラスバーグっていいます。面倒なんでムサシでいいです。よろしく」
「りゃ、それでお終い?」
「は、」
「いや、もっとさあ、信条とか座右の銘とか好きな女の子のタイプとかあ、色々あったりしない?」
「まあ、別に……」
「ふーん、ムサシ君ってば結構おっとこのこらしい顔立ちって割にはシャイなんねえ」
「はあっ?」
 よしなさいよと額に手を当てながらつぶやくリツコに対し、まーまーといいながら手をひらひらさせるミサト。転校生の自己紹介じゃあるまいし、ああそれいいわねえ私が担任の国語のせんせえ、そんな二人のやり取りから取り残されかけたムサシに声をかけたのは座っている三人の中の一人。
 黒目に黒髪、線の細い外見の少年は苦笑しながらいった。
「気にしないでいいよ、ムサシ君。ミサトさんはいつもこんな感じだから」
「それはそれで、ちょっと……。ま、いいか。んで、あんたは」
「あ、僕は、碇シンジ。イカリは船から下げる碇。シンジって呼んでくれて構わないから」
 声変わりはしたようだが、それでもどことなく高い声で、顔つきも柔和だった。第七拾壱使徒と初号機の戦闘を知っているムサシとしては意外だった。こんなひょろっとしたやつがねえ……。
 次に、その隣の席の、栗色の少しくせっ毛の少女に視線を移す。
「霧島マナっていいます。よろしく、ムサシ君」
「あ、よろしく」
 マナは、弾むような声を返してきた。声以上に、表情や所作のひとつひとつが、どこか幼く見えた。隣の少年、碇シンジに頼り切っているという空気を漂わせているせいもあって。
 最後に、部屋に入ったと同時に目を奪われてしまった、異様な容貌の少女を見やる。
「で、あんたは」
「綾波レイ」
 銀髪、というよりは水色にも見える髪と、赤としかいえない色の瞳を持つ少女は、ぶっきらぼうな返答をした。
 写真、そんな言葉をムサシは連想した。写真で見るなら色白な美少女ということにもなるだろうが、なぜか目の前にいるはずの少女に対して、彼は実際の人間に相対しているというよりは、写真をそのまま引き伸ばした書き割りのような印象しか持てなかった。
 人工の造形のような気がした。
「たしかに俺入れて四人だな」
 ムサシは横にいるミサトにたずねた。
「ってことはさ、残りの六人ってのは、どうなってるんだい」
 その問いかけに、冗談をいっていたミサトが色をなすと同時に、がたりと音を立てて椅子から立ち上がった者がいた。
 碇シンジだった。

「……あ、あの、ムサシ君は」
「何さ」
「ば、番号は」
「はあ、番号? テンスチルドレンってやつのことか」
「テン……」
 両手十本の指を広げるムサシに、シンジは腰を浮かせたまましばらく固まっていた。ややあってから糸の切れた人形のように重力に引かれるまま椅子に戻ったシンジの隣では、動揺を隠せないマナがシンジの視線を気にしつつ、おずおずとミサトにたずねた。
「じ、じゃあ、ムサシ君は私の次の次じゃ、なくって……」
 ミサトは答える代わりに咎めるような目配せをリツコにおくったが、リツコは簡潔に、九人目は欠番よといった。
 ならばミサトが、いわねばならない。
「あのね、ムサシ君」
 ナインスチルドレンが使徒として覚醒しかけ、廃棄せざるをえなかった事実を、ミサトは子供たちに話さずにとおすつもりだった。エイスチルドレン処理時のように、手飼いであるはずのチルドレンから離反されることを繰り返したいとは思わなかった。
 だからか、ミサトはムサシに説明する形をとっていた。
「欠番ってのは色々あって、セカンドとフォースは、体の具合が悪くなっちゃって、抹消。フィフス、シックスス、エイス、この三人は事故。ナインスはこれから登録っていうときに身体的不適合が見つかったんで、番号そのままで取り消されたの。そういうわけ」
 つとめてミサトは淡々と述べた。
 が、シンジは激した。
「事故っ?!」
「ええ、そう。本来選抜されるはずの無い被験者が選抜された、アクシデント。そうとしかいえないわ」
「残念なことに痛ましい結果になってしまった人もいるけれど、でもねムサシ君、私たちは持てる力のすべてを使って、あなたたちを守っていくつもりよ。ネルフにとってチルドレンとはかけがえのない存在なの。忘れないでね」
 リツコの言葉をついで、ミサトはムサシに対して説明すると同時に、レイ、シンジ、マナにも聞かせるべく、噛んで含めるようにいった。
 シンジは収まらない。
「事故、ですか。じゃあ事故死だとかいうつもりですか、三人も殺してっ!」
「コロス?」というムサシのつぶやきは宙に消える。
「それにアスカは、アスカはどうなんですか。その……まるで……死んだよう眠ったっきりに……アスカがこのまま目を醒まさなかったら、もう、もう……」
「どゆこと?」
「私、知ってるのは、マリーさんのことしか……」
 重苦しい眼差しでシンジの言葉を聞くミサトよりはと、ムサシはマナに小声でたずねたが、はかばかしい返答は聞かれなかった。マナはおろおろしてシンジにすがるような目線を送っているだけだった。
「あんた、知ってる?」
 マナとは対照的に全く動じたところの無いレイにたずねるが、得られた反応は小さく横にかぶりを振るというものだった。
「あー、聞いていいか、シンジ。その事故ってのは、何なわけ?」
「事故なんかじゃないっ!」
 振り向いたシンジの、眼尻を吊り上げ拳を震わせるその姿に、ムサシはつい先程の印象を改めた。なるほどあんなものに乗ってるだけはある……。
「じゃあ、何さ?」
「あれは、あっちゃいけないことだったんだ」
「事故ってのは、そういうもんじゃないのか」
「そうじゃない、そうじゃいけないんだ、そんなことで命を奪っていいわけないんだ」
 シンジの答えは、ムサシにとってあいかわらず要領を得なかった。特に、昨日まで同じ施設にいた少年のことを考えると。
「けどよ」
 ムサシは、赤木リツコであれば鬼頭の上司であるから知っているはずの事柄を、述べた。
「フォースは事故だといってたぜ」
 この言葉に対するシンジの反応は、硬直、ともいえるものだった。
 虚を衝かれたように言葉を失ったシンジを見て、全く知らないのだとムサシは判断せざるを得なかった。
「事故って言葉そのまんま使ってな、交通事故のようなもんやし、義足叩きながらそういってたぜ、あの関西人。それから、シンジ。サードチルドレン碇シンジってのは、あんたのことだよな。トウジからあんたに言伝があるんだけど、聞くかい」
「き、君は……トウジを知ってるの……」
「気張ってけとかいってたな。そういうわけだし、まあ、お互い気張っていこうや」
 シンジは呆然としたままでいた。それ以上にムサシが気になったのは、砂でも噛んだような表情のミサトから放たれる怒りの成分だった。
 それはリツコに向けられていた。
 そして、気まずさの漂う中でマナがムサシに花束を渡すと、顔合わせのようなものはそのまま終わった。

 冷却液に漬かったエヴァンゲリオン拾壱号機。
 水の上に出ている胸部より上の形状も白を基調としたカラーリングも、マナの乗る拾号機とほぼ同じであったから、シンジにとって初めて見る機体であっても珍しさは感じない。
 隣のムサシの方はそうはいかなかった。
「これが……」
「拾壱号機」
 ちょうど拾壱号機の頭部と同じ高さを通るキャットウォークで、手すりから身を乗り出すようにするムサシ。その様子は、案内役をいいわたされたシンジにとって、はしゃぐ子供のように見えなくもなかった。
「でけえ」
「実物は初めて?」
「間近で見るのはな……」
 放心しかけているムサシにシンジはたずねた。
「見たことはあるの?」
「ああ、このあいだの、えーと、七十一番目の使徒と戦ってる最中のエヴァ。あれって、お前だったんだろ」
「見たって、発令所から?」
「外」
「外? 危ないなあ、使徒が来たら第一種戦闘配置なんだから、シェルターに入ってないと」
「車に乗っけられてたんだよ。んで、ハイウェイチューブから使徒とどつきあってるところを見物させてもらったわけさ。ありゃあ、ボクシング観てる気分だったな。たしかシンジ、お前グーで殴ってたろ」
「よく覚えてるね……」
 シンジにしてみれば、戦闘の細かい動作をいちいち覚えてはいられなかった。対使徒戦闘とは、何度も繰り返してきたことであった。
「こいつに乗るわけか、オレ」
 ムサシはそれをこれから体験していくことになる、とシンジは当然考える。
 十人目のチルドレンとして。
「恐くない?」
「なめんな」
「僕は恐かった」
 ゆっくり首を振ると、シンジはタラップの方へと向かった。
 ムサシは後から続く。
「恐くて、逃げたくて、実際何度か逃げた」
「逃げられるもんなのか」
「捕まった、すぐ」
「だろうよ」
 それまでいたラボの警備状況も緩いものではなかったことをムサシは思い出す。これほどの規模のネルフ本部から逃げおおせるものとは思えなかった。
 自分以上にネルフについて知識のあるはずのフォースチルドレン鈴原トウジが、まったく逃げようとしなかったことも、ムサシには強い印象を残していた。フォースチルドレンの片足が失われたことが、どうやらネルフがらみのことでということがわかってからは、なおさらだった。
「逃げられやしねえ」
 二人がタラップを降りる際の金属的な足音だけが、ケイジに響いていた。二人以外に人はなく、たたえられた冷却液には波紋一つなく、エヴァンゲリオン拾壱号機は静かに眠っていた。
 ケイジ下層につくと、拾壱号機頭部は頭上はるかに見上げる高さとなる。
 ムサシは見上げつつ、ひゅうっと口笛を鳴らした。
「こいつの恐いってのは、どこらへんがだよ」
「死ぬかもしれないんだよ、じゅうぶん恐いよ」
「ま、そりゃ」
「実際、死んじゃった人もいる」
「らしいな」
「ムサシ君は、それでも恐くないの」
「俺の方が聞きたい」
 拾壱号機を見上げたままのムサシが、背後にいるシンジに投げかけたのは、シンジにとって初めての問いではなかった。
「恐いんなら、なんで乗ってんだよ」
「それは……、逃げられないし……」
「そんだけか」
「それは……」
 シンジは戸惑いを感じた。なぜエヴァに乗るのかと問われている今の状況が、過去に繰り返されていたように思えてならなかった。
「僕が乗るのは……」
 思い出した。
 渚カヲルだった。
 なぜ乗るのか、かつてシンジに問い質したのは、第拾七使徒であった渚カヲルだった。では、その時自分はどういう答えを返したのだろうか。
 すぐには思い出せなかった。
「まあ、逃げらんねえなら、乗るしかねえか」と、ムサシがいうと、それもそうだとシンジは思った。
「そうだね……」
 ただ、それだけで片づけられることに、シンジの中で何かが抵抗していた。渚カヲルと出会い、語らい、そして殺した三年前とは何かが違っていた。
「それに……」
「なんだよ」
「僕が乗らないとマナが」
「マナ? ってどっちだっけ」
「え、ああっと、あの部屋で、たしか僕の右側……、だったかな。霧島マナっていう、セブンスチルドレンで……」
「へーえ、あいつ、お前と、なるほど」ムサシが笑い、シンジは鼻白んだ。更にムサシはまぜっかえす。「おっと。怒るな、先輩。取りゃしないってさ」
 引きつりながらのシンジの口をついて出た言葉は、シンジ自身にとっても思いがけないものだった。
「だからって綾波には手を出さない方がいいよ」
 そしてシンジは、トウジの消息を聞くのも忘れ、レイの命が代替わりしていることを話していた。

27

 ムサシ・リー・ストラスバーグとエヴァンゲリオン拾壱号機実機との、実戦レベルでの深度シンクロテストが72%という数値を最大値として終了するまでには、数日を要した。
「終わったのはいいけどよ」
 シンクロテストが続くあいだ、用意されたアパートとネルフ本部を往復するしか出来ないほど憔悴してしまっていたムサシだが、それもようやく終わって他のチルドレンとほぼ同じようなスケジュールを組まれ、それを実行するようにと、少なくとも羽目を外した馬鹿な真似はするなと、ミサトから仰せつかるにいたった。
「どこでハメ外せってんだか」
 などと遊ぶ場所の一つ無いことを愚痴りつつ、交通量の絶えた道路の中央をあてつけのように鞄を提げて歩くムサシの姿を見守り、監視する、保安部の人間がいた。
 ムサシに割り当てられる人数も、他のチルドレンと同様、二人四交替の計八人である。
 現在その任にあたり、民間ナンバーをつけた乗用車に乗っている二人のうちの一人は、ムサシがチルドレンとなるまでマナの護衛兼監視を務めていた。
「ハメ外したりはしないものかね」
 と、その男はいった。
「退屈で仕方ない」
 相方はそれを相手にしなかった。アングルの自由があまりきかない監視映像から唇を読むのは、上の空では難しい。
 その小さなライブ映像の中の人物が発したつぶやきの中に、クリーニングというものがあることは、なんとか読み取れた。
「クリーニング店? 何なら道案内でもしてやるか?」
 退屈とこぼしていた男は提案したが、相方はそれを無視した。監視記録には、少年が既にとあるクリーニング店を訪れたことがあると記されていたからである。
 無視できなかったのは、それが少年がこれから帰宅するには逆方向になるにもかかわらず、道を変えたことである。一度、家に戻るべきではないかと思えた。それほど洗濯物の回収が大事な用件なのだろうか。少年の歩く方角は、クリーニング店があった。
 そして、それはセブンスチルドレンのいつも行く店でもあった。
 同種の店は、この近辺にも複数がある。はたしてこれは偶然の一致だろうか。
 男はその疑問も無視できなかった。

 作戦部の“資産”であるところのチルドレンが四人に増えてから、作戦部を率いるミサトは喜ぶよりも逆にふさぎ込むことが多くなった。
 自分はリツコを出しぬくことはできないのか、と自問するたび、心のうちから返ってくる答えは否定的な色合いを濃くしていった。
 理由は自分でもわかっていた。エヴァンゲリオンであり、チルドレンであった。どれほど他の部局の権限を削いでみても、JA2導入が決定して以降も、結局決定的なところで作戦部が技術部に依存しているという状態は何ら変化してはいなかった。
「エヴァ、か」
 監視の眼を取り除いた一室にいるせいか、ミサトの口からそのひとことが漏れ、消えた。
 気兼ねなく愚痴をこぼすことのできる部屋も本部の建物の中ではせいぜいワンフロア分という状況、これもミサトにとっては苛立たしい停滞の一つだった。二佐に昇進というが、俸給以外に何が変わったというのだろう。
「エヴァで、なく……」
 この閉塞の原因がエヴァンゲリオンにあるのだとすれば。
 対処は、限られていた。
 JA2という、エヴァンゲリオンを前提とした補助兵器ではなく、単独で一定の信頼性をもつ使徒に有効な兵器を技術部の助けなしに保有しなければならない。それは2018年の今、核兵器かN2兵器の二つだけだ。どちらも人口密集地を避ければ日本政府も文句はあるまい。それに少々被害が出たところで使徒にやられるよりは……
 ふと、自分のめぐらしていた空想の滑稽さに気づき、ミサトは思わず顔を歪めた。大量破壊兵器を抱え込もうと躍起になる二佐、これではまるで前世紀のどこかの独裁者のような気がした。この小さな部屋に新たに人が入ってこなければ、ミサトはそのまま声に出して寂しく笑っていたかもしれない。
「どうした、機嫌よさそうじゃないか」
 ノックどころか足音すら消して現れた小柄な男は、保安部長の熊野だった。
「そう見えるわけ、あんたには」
 ミサトは、これ以上無いというほど顔をしかめてみせた。それは熊野を笑わせただけだった。
「これから日重の連中と会うんで時間が無いんだ。手短にいこう。JA2の第二期受注分だが、最低五十機納入。これを割れば採算が取れないということだ」
「ウソくさい」
「信じてやれよ」
 熊野は何かを含んだ笑みを浮かべた。
 JA2の実戦デビューは対第七拾使徒戦闘、そこで失った機体数十七機という“実績”が先行してしまっていた。可動、予備、整備の三交替で十七機の同時運用を可能にするならば、必要数は五十一機となる。五十機というのは、よくできた話だった。
「まあいいわ。あんたがどこからどれくらい貰うかなんて興味無いから」
 ミサトはミサトで、二百機配備という計画を次の幹部会でぶち上げるつもりでいた。もちろん、JA2不要論を唱える技術部からは強い反対があるだろうが、最終的な落とし所を五十機前後とするための二百という数字である。
「じゃあ、確かに伝えたぞ」
「あ、ちょい待ち」
 ミサトは、席を立たずに熊野を呼び止めた。
「こっちもいっとくことがあるわ。南洋電装とその子会社だけど、あまり派手なことはしないで」
「どういう意味でだ」
「まだ現場では、UNだけじゃなく戦自とも協同することがあるんだから……」
「それは何だ。戦自の幕僚部から要請があったのか」
「そうじゃなくって、背広連中の、まあコメントってやつだけど」
「なら、構わんだろう。やつらの天下り先の一つや二つ」
 熊野は肩で笑い、部屋を出ていった。
 ミサトにも、防衛産業の一企業の経営権の行方に、それ以上こだわる理由はなかった。トラブルが起きるならそれは自分でなく熊野の方になるのだから。
 部屋を出る時間差を作るために、ミサトは再びひとり思索に沈んだ。南洋電装などJA2関連企業について、JA2導入問題について、そしてN2兵器や核兵器の対使徒戦投入について……。

 再建の活気溢れるウラジオストクから戻った青葉シゲルにとって、同じ港街とはいえ上越市はいくらか物足りなく思えてしまう。この港に求められたのは、港自体の繁栄というよりも、第二新東京市の玄関という単機能都市としての役割でしかなかったから。
 青葉にとって、コンテナの並びや、杓子定規に整備された緑地の連なりというのは、沿海州の首府ではない別の場所でよく見かけたものといえた。
「似てるな」
 ふと記憶が過去に飛んだ。
 振り切ったはずの、白い街並みが、脳裏に浮かんだ。
 そこに共にいた人々。ある者はなお止まり、ある者は去り、ある者は既に死者となっている。
「日向、お前はまだあんな所にいるつもりか……」
 既にウラジオストク領事館に派遣された総理府職員という虚飾を剥いだ青葉は、フェリーを待つ客もまばらな一般客用ラウンジで、眼下の眺望に目を奪われるふうを装って同時に館内の人間をチェックしていた。
 そんな彼に静かに歩み寄ったのは、二十代半ばという外見の女だった。片方の肩にリュックを引っかけ、白いパンツルックにライトグレーのベスト。これから休暇に出かけるのだといわれれば、誰でもそう信じてしまう平凡な姿。
 その足どりから、女の抱いている怖れを見て取った青葉だが、まずは仕事を終えることを選んだ。ジャケットの内側から茶封筒を取り出す。
「書類は三回分用意した。最後の身分を使う事態になったら連絡してくれ」
「大丈夫よ、知らないところへ行くわけじゃないわ」
「油断はするなよ」
「大丈夫」
 茶封筒を、重みを確かめるように一度ゆすると、女はそれをリュックに収めた。
「気をつけろよ、ユミ」
「ええ……そうなのよね……」
 女は、来たときと同じようにゆっくりとした足どりで周りに注意を払いつつラウンジを後にした。青葉は振り返らず、ガラスに映り込むその半透明の後ろ姿だけを追った。

28

 第七拾弐使徒発見の報を聞き、ミサトは発令所へと向かった。
 そこに入るや、使徒の位置とその進路の示されたスクリーンの一つにミサトの視線は釘付けになった。それがかつて苦杯をなめた戦場を意味していることに思わず唇を噛んでいた。
「八丈島……」
 エヴァンゲリオン伍号機とともに、四人目としての綾波レイを失った場所であった。
「はい、八丈島です」オペレーターの名取が寄せられた情報を述べ上げる。「現時点での進路と速度を保った場合、五時間後に島に到達します。上陸するかまではわかりませんが……」
「使徒の形状は」
「RF−2からの空撮です。体長三十メートル強、四肢と思われる部位があり……」
 ぼやけた映像がスクリーンに浮かび上がる。それに処理を加えた画像が隣に並べられる。おぼろげな人型がそこにあった。海面下を進んでいると解釈可能とのことであった。
「でも、ずいぶんのろいのね。移動方法は?」
「バタ足だそうです」
「ふぇっ?」
 聞いたばかりのその単語が咄嗟にこの状況と結びつかず、ミサトは名取に聞き返していた。「ば、ばたあしって、なに」
「ええっと、ですから、ソノブイにですね、バタ足してるんじゃないかなっていう、そういう音が捉えられているっていう報告なんですけど」やや気の萎えたかに見えるミサトに構わず名取は続けた。「第一報は、えっと、三十七分前になります、南東京ソノブイラインの八丈島西南エリアが北上する識別不明の音紋を捉え」
 ちっ。第七拾使徒群が硫黄島の段階で捕捉できたことを思い返し、ついミサトは舌打ちしていた。
「んなトコに入り込まれるまで気づかなかったってわけ」
「す、すみませ」
「まあ、いいわ、続けて」
「七分前にRF−2が現場上空に達しました。その直後に目視および電磁波で目標を確認、MAGIは三者一致でこれを第七拾弐使徒と識別しました」
「へえ。で、このバタ足野郎は」ミサトは、解像度は粗いがリアルタイムに偵察機RF−2から送られてくる映像を凝視した。たしかに進行方向と逆向きにのびている手足がゆっくりと動いている、ように見える。「E型なの?」
「そのようです」答えたのは技術部の能代。「パターンは過去にE型とされたものの範囲内にあります。最も一致しているのは第四拾壱使徒の……」
「ちょっと、#41はバタ足なんてしてなかったわよ」
「ソナーではありません。RF−2からのIRとESM、八丈島サイトから観測された地磁気異常、その他を総合したパターンが第四拾壱使徒のものと最もよい一致を見ているというわけでして、その誤差は……」
「あー、そゆこと」
 またぞろ研究者臭さが漂いだした能代の言葉を遮ると、ミサトは再び使徒の進路を示した地図に視線を移した。ミサトはミサトで、そこに電磁波パターン以外にもう一つ第四拾壱使徒と合致するものを見ていた。
 進路上、八丈島がある。
 E型である第四拾壱使徒をそこで迎え撃ったときの、苦い記憶が甦った。
 二度と繰り返したくない過去だった。
「日向君、国連軍極東軍管区総司令部に連絡を」
 声高に指示を出しつつ、ミサトは一段高くにあるネルフ総司令の定位置を見上げた。副司令冬月コウゾウは第三新東京市を離れているが、今日は総司令碇ゲンドウがまもなくそこにあらわれる。
 使徒は最大の敵であると同時に絶対の理由。ミサトは決めた。懐柔しようにもその隙をなかなか見せない老人よりは、これを使って一気にトップを狙ってしまえ。せいぜい利用させてもらうわよ、ヒゲオヤヂ。
「葛城ニ佐」日向は戸惑いを隠さずミサトに問い質した。「極東総司令部にですか? 日本区でなく」
「そうよ。自衛隊じゃないわ」
「では、極東総司令部宛てに。しかしどういう用件で」
「使徒接近中、この状況、どんなポストにいようがオリーブマークの軍人ならネルフの要請を拒めはしないわ。極東軍総司令官シャヴィリン提督に直接、ネルフの現場指揮官が全面的な協力を求めていると伝えなさい」
「はっ」
 ミサトの言葉のうち、全面的、という単語がマコトの脳裏に重く響いた。わずかながらN2兵器を保有する戦略自衛隊でも、国連軍日本部隊であるところの陸海空自衛隊でもなく、国連極東軍のレベルにまで協力を求めなければ得られないもの。それを彼は一つしか知らなかった。

 ウラジオストクは揺れた。
 第三新東京市直下ジオフロントのネルフ本部とウラジオストクに本部を置く国連軍極東軍管区の間でやり取りが重ねられるにつれ、その揺れは増した。そして揺さぶられ続けた極東軍総司令部を最後に屈服させたのは、総司令官の本国、ロシア政府からの降伏勧告ともいえる通達だった。資金援助を理由にクレムリンが先に丸め込まれてしまっていては、もはや彼としても抵抗する術が無かった。
「オリーブも所詮いちじくには敵わぬということか」
 総司令官の力無い溜息が漏れると、そのオフィスに集まっていた幕僚たちは誰ともなく壁に掛けられた国連旗を恨めし気に見つめた。地球とそれをとりまくオリーブの葉が青地に白く記されている垂れ下がったその旗の向こうに、赤い旗のはためくさまが彼らには見えていた。それは、百年前に熱狂する人民の手で掲げられた革命の赤い星ではなく、今や彼らを顎で使う赤い無花果、ネルフという新たな専制君主の旗だった。
「第三東京に伝えろ。注文の品は届けるとな」
 ただちに国連軍極東軍管区から第三新東京市のネルフに対して資材のいくつかが委譲された。ノヴァヤコスモス6222から6225までの低軌道偵察衛星四、Tu−160bis爆撃機三、そしてその中に積まれたRKV−500B空対地ミサイル六。

 ウラジオストクを発したTu−160bisブラックジャックプラスの三機編隊が佐渡ヶ島沖で空自のF−2戦闘機八機と合同する頃、ネルフの主力兵器であるエヴァンゲリオンの四機は、いまだ地下のジオフロントにあった。
 そして搭乗員であるチルドレンは、ようやく本部に集められたところだった。
「来たな、先輩」
「はやいね、ムサシくん……」
 シンジが入ってきた時、待機所には二人の先客がいた。
「あ、マナは、もうちょっと遅れると思う。医療部で検査中で」
「なんだ、シンジが遅れたのはその付き添いでか」
「そんなところ」
「でもまあ、どこで待ってたってこりゃ同じだよなあ」あくびまじりの言葉を吐くと、ムサシは掛けていた長椅子にそのまま横になった。
「オレ、寝るわ。何かあったら起こして」
 いくらも経たないうちに手枕したムサシは寝息をたてていた。シンジは苦笑した。何かあるとすればそれはすなわち使徒。少なくともシンジは眠るという気分にはなれなかった。
 上下するムサシの胸板をつつむグレーのプラグスーツには、“11”の文字があった。
 その横で、いくぶん猫背気味に座っているレイの白を貴重にしたプラグスーツに記された文字は“06”。シンジはずっと“01”というスーツだったが、レイは、ファーストチルドレンとしては、“00”、“05”、“06”をこれまで着てきた。
 搭乗するエヴァンゲリオンの機体番号に合わせたその数字は、結果的に綾波レイが生まれ代わるごとに変わってきたことになる。
「寝てるの?」
 小声でシンジが問うと、レイはゆるりとまぶたを上げることで応じた。
「寝ててもいいよ」
 レイは目を閉じなかった。

 譲り受けた偵察衛星の軌道修正とデータリンク回線接続完了という報告に、ミサトは満足げに肯いた。
 その横でオペレーターの一人が感嘆とも驚嘆ともつかない吐息を漏らす。スクリーンに映し出された八丈島沖の海面は、波頭のひとつひとつまで分解可能だった。アップデートを重ねてきた新世代コスモスは、歩兵の持つ小銃の種類も読み取れると開発者が豪語するだけの能力を、存分に発揮していた。
「すごい、これならコアを見落とすこともないですよ」
 操作を直接受け持つ名取など、喜びを隠そうとしない。
 第三新東京市の外で迎撃する場合、目標の観測手段は常に問題になっていた。無人機では柔軟な操作ができず数でカバーすることになるが緊急展開時にはその数が不足しがちで、有人の偵察機や観測隊では大まかに俯瞰するだけの精度しか得られない。エヴァンゲリオンが使徒と正対して初めて状況がわかるといったことが少なくなかった。
 そうよ、人間同士こんなもので覗きあってるくらいなら、私たちがもっと有効に使ってやる。
 そして、偵察衛星以上にミサトが待ち望んでいたものが、ついに届いた。
「ニ佐、ブラックジャックプラスが日本海側の防空識別圏に入ります」
「それで、例のエスコートってのは」
「入間からF−2八機、目視したとのことです。まもなく合同します」
「大袈裟な。まあいいわ、そのまま太平洋まで連れてきてちょうだい」
 道案内には過ぎた八機という数字には、日本政府が相も変わらずネルフに対して抱いている不信がにじみ出ていた。護衛兼道案内として急行している空自のF−2戦闘機は、そもそもネルフの要請で発進したわけではない。核搭載能力を持つミサイル母機の領空通過を聞きつけ仰天した第二東京があわてて差し向けたものなのだ。エスコートとは名ばかりで、何かことあらば発砲も持さない気なのだろう。ひょっとしたらブラックジャックプラスの背後、チェックシックスの位置につき、照準をつけたままで飛び続けているのかもしれない。
 いよいよとなったらF−2は分離ね……。
 ミサトにとって、既にブラックジャックプラスが味方であり手駒であって、ともすればF−2を敵視する方へと傾きつつあった。腕組みしたミサトが見つめるなか、地図上に記されたブラックジャックプラスとF−2を意味する輝点はじりじりと日本列島を南東方向へ横断していった。
 背後の一段高い席からは、クレムリンを電話一本で恫喝したネルフ総司令碇ゲンドウが、その状況を見下ろしていた。

「碇君」
 それは、かろうじて聞き取れるという程度の、いつものレイの声だった。
「夢を見たわ」
「どういう?」
「これまでの」
 そして、言葉は途切れてしまう。
 だがシンジの記憶を呼び覚ますには足りた。八丈島で繰り広げられた対第四拾壱使徒戦闘からまもなく一年が経とうとしている。
「それは……この一年のこと?」
 レイはうつむいて答えない。

 その空対地ミサイルは、使徒直上の海面に突き刺さると同時に搭載していたN2弾頭に起爆信号を送った。
 爆発は、半径五百メートル、最大深度百五十メートルにおよぶ海水を蒸発させると同時に強烈な電磁パルスを生み、八丈島固定観測所のセンサーのうち防電磁処理を施されていなかったものを一瞬で破壊、残るセンサーもすべて無意味なノイズを表示するだけにしてしまった。しかし高度三百五十キロを通過するコスモスの一つは、爆心地を荒れ狂うノイズの中から意味あるシグナルを見出し、ジオフロントへと届けていた。
「目標、依然健在ですが、停止した模様」
「第二射、用意」
 ミサトの指令は八丈島の西四十キロを旋回していたブラックジャックプラス編隊に直接届けられた。そこから二機が外れ、機首を八丈島の方向へ向ける。
 ネルフ本部発令所で再び使徒が可視光映像で確認されると、すかさず発射命令が下った。ブラックジャックプラスの爆弾倉が開きミサイルが落下、固体燃料に火がつくとそれは瞬時にマッハ2に達した。
 F−2戦闘機の電子機器に耐核耐N2能力はそなわっていなかった。N2弾頭爆発による電磁パルスで火器管制システムすべてを潰されてしまった彼らは、もはやブラックジャックプラスに対して何の牽制も出来なくなっていた。
「くそったれが」
 退避していたRF−2二機からなる偵察小隊でも同様に電子機器が故障した。突然ホワイトアウトしてしまったディスプレイに、パイロットはののしり声をあげた。
「シルフィードよりフェアリィ、レーダーがどのバンドもオシャカだ。これ以上偵察任務続行は不可能」喋りながら、電磁パルスの影響で交信不能にさえなっていたかもしれないということに気づいた彼の怒りは、ますます大きくなっていった。「なんでネルフの使い走りやらされたあげくこんな目にあうんだ、ちくしょう」
「フェアリィよりシルフィード、カメラは無事か」
「IRは焼けちまってる。生きているのはノーマルモードだけだ。指示を乞う」
 しばらく沈黙が続いた。彼にはその意味するところがわかっていた。オペレーターは別の人間とやりとりをしているのだろう。ネルフからアドバイザーとして派遣されている人間と。
「フェアリィよりシルフィード、高度六万、方位210、目標より五マイルの距離で触接せよ」
「高度六万、方位210、了解。おい、隣のやつにいってやれ、貴様の大将何を血迷いやがったってな」
 六万フィート、地表で作動した戦術級N2兵器の影響が無いとされる高度へと、RF−2は機首を上げた。

「あれから……一年になるよね……」
 そのシンジの言葉に、ようやくレイは反応した。
 もっとも、膝の上にあった手のひらが、拳になったというだけであったが。
「これまでの夢っていうのは、一年前の、あのときよりも、前だったりするの?」
 シンジはレイを見た。
 レイがシンジを見つめていた。
 いつもの赤い瞳だった。目をそらしたくなるほどに輝いている瞳だった。これまでに四度、そのうち二度は直接彼自身を助けるために死んでいる少女の眼差しは、いつもと変わらぬ鋭さで突き刺さった。
「あのとき、僕は……」
 シンジがうつむく番だった。
「綾波のことを……」

 数秒、中継器の作動音が続いたあと、受話器の向こうに男の声が響いた。暗号化を何度か繰り返した末の平板なものであったが、そこにわずかに残る声質は先日オフィスを訪ねてきた日本政府のメッセンジャー、青葉シゲルのものと識別できた。
「確認したかね」
 そこで言葉を切ると、ネルフ・沿海州支部長の相田は、相手の反応を待った。
「た、たしかに。ええ……直前に搬出されたミサイルは六発……」
「RKV−500B。何の変哲も無い旧式の空対地ミサイルといっていい。それほどかさ張るものでもないからブラックジャックなら何発も積めるはずだが、一機につき二発だけというのは、まあ、意固地なUNの出し惜しみというところかな。ところで青葉君、弾頭の方だが、そちらの、独自の確認とやらは、終わったのかな」
 相田は、特に最後を思い知らせるべくゆっくりと言葉を区切った。青葉の返答を待つあいだ、時計を見やると、既にブラックジャックプラスが日本上空を通過した頃になっていた。結局、伝えた情報も、第二東京の政府が別の情報源による裏付けを待ったために空自から数機がスクランブルするという行動を引き出すにとどまったが、相田自身の価値を高く印象づける程度の鮮度と衝撃はまだ残っているようだった。
 それを示すかのように、青葉の声は途切れがちだった。
「いいえ、こちらではそこまで浸透が……ですが、しかし……」
「いったとおりだ。通常弾頭は含まれていない。五つがN2、一つはNだ」
「し、しかし、なぜです。なぜヴァレンタイン条約で厳重に封印されているはずの」
「理由は問題でなかろう」
 相田がいい放つと、そこで数秒の沈黙が流れた。暗号回線をとおして、声にならない吐息がかすかに聞こえたかに思えた。
「では……核であることに意味がある、と……」
「既に核搭載機離陸の前例が出来た。この上、実際に使用されれば、歯止めとなるものは何も無い」
「ネルフは……UNからも独立するというのですか……」
「さて、な。ネルフにひび割れがあると指摘してくれたのは君の方だぞ」
 第三新東京市ネルフ本部とウラジオストク国連軍極東軍管区総司令部との折衝は、ネルフ・沿海州支部を外して直接行われていた。
 相田は、自身が国連軍内に作り上げたネットワークによってその情報を得た。もはや彼はネルフに期待するところはなかったから、露骨な無視にも抗議などはしなかった。ただ、日本政府へリークするだけだった。
 八丈島沖で原子の火が燃え上がろうという時に起きていたこの小さな背信を、ジオフロントは気づかなかった。

 使徒は直上で起きたN2弾頭の炸裂に耐えた。
 それはミサトも折り込み済だった。そもそも、第参使徒など、直下で埋設型N2兵器が作動しても倒せなかった。所詮は対地固定目標用のミサイル、そのまま使ったところで海面下の目標に対して効果はさらに少ないだろう。ならば。
 ネルフ本部から、空自の管制機を通さずに直接ブラックジャックプラスに第二射の命令が下った。第一弾を発したブラックジャックプラスが再度八丈島沖の目標に向けてN2弾頭搭載対地ミサイルを放った。
 直後、別の機体からもミサイルが放たれた。
 それこそ核弾頭搭載のミサイルだった。
 二つのミサイルは二分で目標へ達した。コスモスからのデーターも用いた終末誘導は、位置、タイミングとも、寸分違わぬ精度で行われた。第一弾と同じくN2弾頭搭載のミサイルは海面で炸裂、直下の海水を一瞬で蒸発させた。その上方五百メートルには核弾頭が控えていた。N2弾より十ミリ秒の間隔を置いて、ヴァレンタイン休戦条約締結以降初の核が作動した。
 核の衝撃波は、直前のN2弾の衝撃波を圧し、海水であった高圧蒸気も引き連れ、使徒へと殺到した。その前にはATフィールドすら無力だった。海底であった岩盤もろとも使徒は引き裂かれ活動を停止した。
 高度六万フィートでは、RF−2が木の葉のように舞った。
 突然、周りすべてが白くなった。輝く津波がコクピットをすり抜けたかのようだった。光に呑み込まれまいとパイロットは咄嗟に目をおおい操縦棹から手を離したが、それと機体に衝撃波が到達するのが同時だった。爆風で主翼から翼面気流をむしり取られて揚力を失ったRF−2は、錐揉みの状態で核爆発の嵐の中を落下していった。

「碇君」
 シンジがうつむいて言葉をにごしてしまったことでできた沈黙を、レイが破った。
「あなたの瞳は赤くない」
 ムサシの寝息が聞こえるような沈黙の中で、そのレイの声は大きく聞こえた。
 これで大きな声なのかも、とシンジは思った。
「弐号機パイロットもそう。拾号機パイロットも拾壱号機パイロットも赤くない」
「それは、だって……」
 みんな人間だから、そういおうとして、シンジは口篭もる。
「私は違う」
 と、レイはいった。
 見透かされた、とシンジは思った。
「でも、私は#17とも違う」
 意外な番号にシンジは息をのんだ。第拾七使徒、渚カヲル。
「だって、カヲル君は使徒」
「あの赤は私とは違う」
「べ、別に僕はカヲル君のことで綾波を、その、どうとかいうんじゃなくって」
「#17、#18、#57、出来損ない」
 シンジはレイを見た。
 レイがシンジを見つめていた。
 レイの口がわずかに歪んだ。
「私は私の歌を歌うの」
「あ……」
 レイが口元だけで笑っているように見えた。
 それはシンジの記憶に合致した。第拾七使徒渚カヲルが謎めいた言葉で自分を韜晦したときの表情に似ていた。
「あやなみは……カヲル君の夢を……」
 無言のまま、顔に微笑を貼りつかせることで、レイはその問いを肯定していた。

 セカンドインパクト以来、大島よりも南の伊豆諸島、小笠原諸島のすべては無人。
 とはいえ、八丈島での核投下の事実に、ネルフ以外で気づいた者がいなかったわけではない。
 ネルフ・ウラジオストク支部長の相田からリークを受けた日本政府関係者は当然知っていた。ただ、事があまりに意外であったため、弾頭の確認に手間取ったために、使用を許してしまっていたが。
 実際にN2弾頭だけでなく核弾頭も使用されたことを確認したのは、最も時間的に早かったという点でなら、二機のRF−2パイロットということになる。しかし彼らは爆発の影響を受けて墜落、一人は救助されたものの、一人は殉職という結果に終わっていた。基地へ核使用の事実を報告をすることはできなかった。
 最も早く第二東京へ伝わることになった情報は、第三新東京市に潜入したばかりの一人の女の手によってもたらされた。
 彼女は、ネルフ本部発令所でオペレーターたちによって行われているMAGIシステムに対する操作内容の末端を外部から電子的に嗅ぎわけることで、戦場の八丈島で何が起きたのかを察知した。まずは彼女を送り込んだ者たちの期待違わぬ働きをやってのけたことになる。
 だが、彼女自身は意気上がるという心境からは遠かった。
 本来の営業もしている、ごくありふれたクリーニング店。それが用意された潜伏先だった。ネットワーク上ではともかく、現実世界で置かれている状況は無防備といっていい。
 今は中西ユミという変名でいる彼女の名は伊吹マヤ。かつては青葉シゲルとともに、ネルフの一員であった。それだけに、この街が持つ不寛容を知っていた。過去に属していた組織が外部の者に向ける容赦無い刃を知っていた。


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ver 1.00
1999/11/29
copyright くわたろ 1999