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命の選択を

 小さな端末が戦況を伝えた。
「エヴァシリーズ、全機沈黙っ」
 それを読み上げるオペレーターの声に限らず、皆の顔には一様に死地を脱した安堵と生への悦びが、表れていた。
 私は、どうだろう。
「初号機へ……残った全チャネルで停止命令。受信を確認するまで続けて」
 声を上擦らせることもなく、指示が出せた。
 ただ、疲労は隠せなかった。
 そして悦びを表すことも出来なかった。
「残った侵入者は」
「最後の映像からは、第七層ルート47から50にかけて孤立した一個小隊ほどが確認されてます。それ以外は撤退した模様」
「その部隊の退路は」
「残ってません。シャッターのロックは生きてます。気密閉鎖可能です」
「よせ」
 と、私の代わりに、はやるオペレーターを押し止めたのは、この場ではただひとり私以上の権限を持つ、冬月副司令だった。
「投降を勧告しろ」
「しかし、こいつらは」
「投降を勧告しろ」
 苛立つ副司令が繰り返すと、渋々ながらそのオペレーターは従った。
 なんと人間とは状況に支配される生物であることか。
 勝利を手にしたと知った途端、これだ。
 既に銃声は無い。
 火焔と銃弾に引き裂かれた本部内に残されたものは死体。
 その全てがネルフの人間のものだった。戦自の撤退は、さすがというべきか、閉鎖隔壁の迷路の中に孤立した一個小隊を除けば、死体や負傷者を遺棄することなく行われていた。
 普段はオペレーターたちの座る席に腰を下ろす。この席のコンソールは銃架代わりに使われていたので、もう用をなさない。
 背中が背もたれに触れるという、ただそれだけのことが、一気に私を脱力させた。同時に、着ている白衣が擦り切れ、汚れていることにも、気付いた。私も銃火という状況に支配されていたのは同じらしく、気にすることもなかった硝煙や喧騒が、今は気になり始めている。自分がなぜこのような所にいるのか、なぜこのような所でまだ生きているのか、今ようやく悔い始めている。
 着替えたい、と思った。
 爆破された発令所の壁を眺めていると、疲れたかね、という副司令の声が背後から聞こえた。
 私はこれまでの人生でこれほど疲れたことはない。それは確かだ。
「ええ、少し」
 最後のサルベージ体を記憶矯正で歪めてしまった私が、今し方まで状況に追われるように実行していたのはMAGIによる反攻であり、結局はネルフの一員としての行動だ。
 皆は私に礼すら述べている。
 その声が、どこか遠い。
 全てが徒労のような気がする。
「赤木博士。初号機、停止を確認しました」
「そう……」
 独房の中では、何度考えても、ネルフは滅びるべきだという結論を変えられなかった。
 侵入した戦自部隊の攻撃にさらされる中で懇願された時は、死に怯え引き攣った顔の並ぶ前では、協力を拒むことは出来なかった。
 どちらが正しかったのだろう。
 周りの人間が勝利を悦ぶ一方で、私の中を、徒労感だけがとめどなく広がってゆく。
「赤木君」
 再び副司令が私を呼んだ。
 妙な図式になっていることに思い至った。私が座る横で、副司令にある人物が立ったままでいる。
「ご苦労だが、もう一仕事、頼む」
「復旧作業ですか」
「そうなのだが……」
 目配せに従い、負傷者の呻き声のこだまする通路へと出た。
 副司令の指示とは、MAGIについてだった。
「中核部の自律モードを解いてもらいたい。これは君にしかできないからな」
「当面、任せておいても問題は無いと思いますが」
 副司令は、声をひそめて、いった。
「ジオフロント管理機構群の一部がコントロール不能になっている」
「一部とは」
「輸送システムだ」
 その意味を解するまでに数秒の時間がかかってしまった。
 私の思考は、疲労のせいでか、緩慢なものになっているらしい。
「つまり、戦自の侵入に際して占拠破壊された箇所以外で、ということですか」
「そうだ。物理的に破壊された形跡が無いにもかかわらず、こちらのコントロールを拒んでいる箇所がある。この有り様だ。とても人手は割けん。MAGIを通して何が起きているのかを確認してほしい」
 そのためだけにMAGIの張り巡らした防壁を解除する必要がある問題。私の思い当たることは、一つしかなかった。
「司令は、どこに」
「ダミープラントに向かったのだが……」
 言葉を濁し、副司令は首を横にした。

 第二発令所周辺だけは積極的にネルフも応戦、防御につとめたため、最も戦闘が熾烈だった。
 それゆえ、犠牲者の数も、破壊の跡も、目を覆いたくなるようなものだった。
 とりあえずの措置ということで、防水シートを被せて並べられた犠牲者の中には、名札で判断するに、よく知った部下もいた。
 彼ら彼女らに死をもたらした者の中には、私、赤木リツコも含まれている。
 私の中では、恥さえも鈍磨するものなのか、死体から目を背けてMPUブースへと歩いていくことが出来てしまった。
 防壁群を飛び越えて中核部と結線するべく、再びケーブルの絡み合ったブロックへと足を踏み入れる。
 黒光りするカバーに覆われたMPU。通路に並べられていた人間たちは、この中に構築された、MAGIという母の人格を移植したプログラムを守るために死んだともいえる。
 端末を開き、MAGIとの対話を開始した。
 ジオフロント管理機構を診断せよ、との要求に対する回答は、数多くの破損箇所の報告だった。その大部分が修復不可能だった。ならば輸送システムの問題も、そのものに加えて、コントロールユニット全体が同様に深刻な損傷を受けたとすれば、説明は可能だが。
 しかし、確率的には考えにくい。
 ならば。

 要求:輸送システムに限定して診断せよ。
 回答:メインチューブ、〇基が完動、八基が自己修復可能、七十六基が自己修復不可能。
 要求:自己修復不可能なチューブの損傷理由を推測せよ。
 回答:九基がベークライト注入による基幹ユニットの停止。残りは不明。ただし周辺へのアクセスも不能なこととそれに至った時刻からN2兵器による熱で蒸発したものと思われる。
 要求:自己修復不可能なチューブに限定して回答せよ。侵入者の侵入経路として使用されたものはいくつか。
 回答:二十基。
 要求:その二十基のうち現時点で通路が繋がっているものはいくつか。
 回答:九基。
 要求:その九基のうちベークライトが注入されたことで自己修復不可能になったものはいくつか。
 回答:八基。
 要求:現時点で通路が繋がってかつベークライト注入のされていないチューブは。
 回答:N34W6。

 N34W6、ダミープラントから地上へ出る最短経路。
 私の懸念を覆し得ない回答が続いていた。

 要求:N34W6の損傷理由を推測せよ。
 回答:データー不足により不可能。
 要求:N34W6におけるトラムの動作記録を出力せよ。

 吐き出されたログは、戦自が侵入路として使ったことを示してはいたが、時間的に見てその退路としてではなかった。
 それゆえ、最後に地上へと向かった一台のトラムのログが否応にも目に付いた。

 要求:最後の一台を侵入者が地上に戻るために使用した可能性を推測せよ。
 回答:N34W6基部から本部南館に向かった侵入者数はN34W6を使用し降下した侵入者数と一致することからその可能性は否定される。
 要求:その一台を使用した人間のIDを出力せよ。
 回答:記録無し。
 要求:その一台を使用した人間を捉えた映像を出力せよ。
 回答:要求のデーターは削除済み。

「何ですって」

 要求:削除者のIDを出力せよ。
 回答:
 システム:あなたのアクセス権が不足しています。出力はされません。

「母さんっ」
 そして私は碇司令のジオフロント脱出を確認した。


 混乱しきっている地上の人間の営みを尻目に、日は沈み星は輝く。
 長い一日が終りを告げようとしていた。
 戦自は、その主力を既に第三新東京市の外へと、後退させていた。その理由は、彼らの増援であったはずの委員会のエヴァ九体が、弐号機および初号機との戦闘に際して、彼らに対しても攻撃態勢をとっていたためだった。
 ネルフは、払った犠牲は大きく、また敵の失態に助けられたとはいえ、負けはしなかったといえる。
 だが、私は負けた。
 またしても負けた。
 とうとう、道具として管理していたはずの母のなれのはてにすら、負けた。
 敗北感に包まれた私にとって、地底湖周辺の状況は、それを倍加させる既視感を覚えずにはいられないものだった。
 野辺山のあの光景が、凄惨の度を増して再現されていた。
 本部施設内でも、引き裂かれたり焼け焦げた死体は散見されたが、放り投げられた護衛艦や紙細工のように踏み潰された歩兵戦闘車となると、それ以上に見ている人間の感覚のどこかしらを狂わせる。
 エヴァであったものについても同様だった。
 弐号機の惨状は、屠殺されたといっても過言ではなかった。
 それが起きた時、通常以上のシンクロ率にあったセカンドチルドレンは、過負荷のために絶命していた。
 敵となった伍号機から拾参号機までの九体は、いずれもコアを抉り取られ、四肢を投げ出して停止していた。そのエントリープラグに入っていたものはダミープラグであったのだが、サルベージ体の能力を知ってしまった今となっては、ダミーといえど機械と割り切ることは困難だった。
 弐号機は、伍号機から拾参号機までによって屠殺され、伍号機から拾参号機までは初号機一体によって解体された。
 初号機は、ケイジまでのシャフトに電力が回せず、露天で修復が行われていた。一次装甲に達する損傷が無いのは幸いだった。
 再起動可能なエヴァが残されたことになる。
 再起動。そう、再びエヴァは起つ。戦自が再度侵攻する限り。
 ダミープラグ、ないしはサードチルドレンが、使徒と相対するためであった兵器でもって、人間へと攻撃を加える。
 生き延びたネルフの人間はそれを望んでいるのだ。
 私は、どうだろうか。
 一度は碇司令の死を願い、ネルフ全体が蹂躪されるのも厭わずにサルベージ体に記憶矯正を施したこの私は、またしても少年に血を強いることを望んでいるのだろうか。
 選べ、という声が、聞こえる。
 破壊されたジオフロント天蓋から見える夜空には星が瞬き、その輝きをかき消すように初号機の周りに取り付けられた投光器が白く光るというのに、またも私の目の前には漆黒の闇が広がる。
 選べ、闇は繰り返す。
 独房の闇の中で私の下した選択は、人類補完計画を阻止する一方で、ジオフロントに悪夢をもたらし、そしてまた私に新たな選択を強いている。
 選択の結果は次なる選択によって清算されるのだとして、選択の連続がその人間の人生だとして、ならば私の三十年の曲りくねった軌跡は最適解からは程遠い。
 母は、笑っているだろう。

 闇に囚われた私を現実の喧騒に引き戻したのは、サードチルドレン碇シンジの震えるような声だった。
「リツコさん……」
 正直、この十四歳の少年は、今もっとも会いたくない人間の一人だった。そのエヴァンゲリオンパイロットという属性が、その碇という苗字が、何もかもが私を責め立ててならなかった。
「ちょっと、いいですか……」
 振り払おうにも、こう、小犬のようにおびえられては、やりにくい。
 その、おどおどとした態度も、私を責める方向に働いた。
 落ち着かせるべく、人の流れから外れた所へと場所を移した。
 少年は、場所を変える前に、大勢のスタッフが取り付いている屈んだ姿勢の初号機に対して、その瞳には悲しみを、口辺には冷笑とも受け取れる歪みを浮かべ、なんとも形容し難い一瞥を送っていた。
「何かしら」
「あの……、きょ、今日の、じゃなくてもう昨日ですけど、僕は、エヴァに乗って、エヴァに乗ってジオフロントに出てみたら、アスカは……、弐号機に、あの、や、鑓が刺さってて」
 彼の言葉は途切れがちで、奇妙に上下した抑揚を伴ってもいた。
 原因は戦闘によるショックだろう。脳波に精神汚染の徴候は無かったのだ。
「だからそれで、僕は、鑓を持った白いエヴァが、その、だからとにかく弐号機の周りにいたあの白いエヴァたちに向かって駆け出して行って、僕は、それで、それで右手が」
「右手?」
「……見なかったんですか?」
「ごめんなさい。副司令たちと合流したのは、後になってだったから」
 その頃、闇の中で震えていたのだ。
 私は。
「でも、途中で、リツコさんの声が聞こえたような気が」
「私がモニタリングしたのは、敵のエヴァが、確か残り五体になったところからよ」
「そうですか……」
 彼は、肩を落とした。
 そして、小さくした胸の前で、右手を、開き、閉じた。
「一つ、二つ、三つって……、そこらへんまでは、覚えているんです。絶対忘れられそうにないんです。だって、アスカが、アスカが死んじゃったっていうのがわかって、アスカが死んじゃったのは僕が間に合わなかったせいだからっていうのがわかって、僕はアスカが死んじゃったのがとっても……その、いやだったから、だから右手」
 彼の右手が拳となって、震えた。
「右手が、僕は……、僕の右手が……、どんどんあの白いエヴァを潰していって、潰すって感触がちゃんとわかって、だけど後の方になると、なんかぼんやりしてるんです。気が付いたら、最後の白いエヴァがぴくぴくしていて、初号機の右手が、その胸の中に入っていて、赤い、心臓みたいのを握り潰していた」
「それは、その敵性エヴァのコアよ。心臓という表現も、当らずとも遠からずだけど」
「そうなんですか」
 少年が顔を上げた。
 泣いてはいなかった。
「リツコさん、前にもこんなことがあったと思うんですけど」
 が、涙もなしに、ここまで恐怖を訴えかける眼差しを、私は知らなかった。
「あれは、もしかして、ダミープラグがやったんですか?」
 少年は右手を掲げた。
「それとも、やっぱり、僕の右手がやったんですか?」

 真実は、ダミープラグの起動は、検討はしたものの、ついに為さずに終った。
 未完成のダミープラグでは、複数の目標との戦闘に勝利できる見込みはなかった。
 このような時のためのダミーシステムであったというのに、結局はセカンドチルドレンに、サードチルドレンに、最後の瞬間までエヴァとのシンクロを要求しなければならなかった。
 我々のものよりも明らかに完成度の高い複数のエヴァに対して勝利を収めるには、ダミープラグの持ち得ないパイロット本人が獲得した経験と技量が必要であり、100%を超えるシンクロ率でダミープラグ以上の機動を実現してもらう必要があった。
 二人は、それに、応えた。
 結果、ネルフは窮地を脱した。セカンドチルドレンを死に至らしめ、サードチルドレンを戦闘ノイローゼとすることで、ようやくネルフは敗北を免れた。そして現実は、これも一時的な小康を得たにすぎないのだ。
 何を伝えるべきだろうか。
 少年を癒すことができる答えと、少年の期待する答えとは、一致しているだろうか。
 私のいうべき答えと一致しているだろうか。
 選べ、という声が聞こえた。
 ネルフが生き残るにあたり、勝負はこの数日だろう。それをしのぐまでサードチルドレンの戦意を維持することはネルフにとって絶対の要請であり、しかもカウンセリングなどしている時間は無い。
 選べ、という声が聞こえた。ネルフの活路を選ぶか、少年の心の再建を選ぶか、真実を選ぶか。
 しかし、いずれにも重きを置くことが出来なかった。
 私は、もう、負けているのだ。
 むしろ、サルベージ体に対して行った何もかもを話してしまって、裏切り者と私を面罵してもらおうとする衝動すら覚えた。
 だが、まずは、選ばなければならない。
「知りたい?」
 少年は、かすかに震えながら、肯いた。
 選ばなければならない。
 既に少年は選んでいる。

「ダミーシステムは立ち上げなかったけど」
 私の選択は、口を開きかけた少年を、そのままで硬直させた。
「理由、知りたい?」
 絶句した彼の首がぎくしゃくと横に振れるまでに、長い時間が費やされたように思えた。
 その間、それは実際には数秒ほどであったろうが、立ち尽くす彼の脳裏を過ぎ去る一連の光景が、私にも見てとれるような気がした。有無をいわさず放り込まれたエヴァ初号機エントリープラグから見てきた血、流してきた血、我々ネルフによって強いられてきた血、それら全てが目の前の少年の心を押し流さんばかりの奔流となって再生されているのだ。そうでなければ、こうまで純粋な恐怖で双眸を彩ることなど出来はしまい。
 そして、私が言葉をかける前に、彼と私との間で凍りついていた空間は、彼の絶叫によって砕かれた。
 選択の結果だった。
 膝を付き土を掴んで慟哭する少年の背をさすりながら、その一方で、私は自分でも驚くほど冷静に彼の言葉を受け止めていた。意味の取れない泣き声の合間からは、繰り返し挟まれるセカンドチルドレンとフォースチルドレンの名を聞き取ることが出来た。
 ならば、興奮が収まり次第、彼は再びエヴァに乗るだろう。少なくとも復讐心を刺激してその方向に誘導すること自体には、それほど困難はあるまい。
 泣き叫ぶ少年が医療スタッフの手によって抱え上げられるようにして連れて行かれるのを見送る私は、早ければ夜明けとともに開始されるであろう戦自の第二次攻撃に、サードチルドレンをエントリーさせた初号機で対処するためには、彼に対してどういう精神安定剤の処方が必要だろうかとも考えていた。
 また一つ、私は選んだ。
 選ぶということは、何かを捨てることだ。
 得るためには選ばねばならず、選ぶにあたっては、何を得るかはわからないまま、何かを捨てねばならない。
 連続する選択の中、一度は碇司令を捨てた。
 心のどこかで、なおもあの人を求める部分を自覚しつつも、過去の選択を今更変える術は無かった。
 不可逆過程だ。
 未明、エヴァ初号機は、変電所への航空攻撃を撃退した。


 一昨日の一連の戦闘でネルフの被った損害の多くは、攻撃指揮官がまずは直接の脅威を減殺しようとしたためか、定点観測所と対使徒用固定兵装に集中していた。特にミサイルサイロなどは、その全てが破壊されていた。
 対照的に、輸送チューブ以外の、電源やデーターリンクを含めたエヴァの戦闘支援システムの多くが、短時間で復旧可能だった。
 エヴァの運用に致命的な被害を受けたわけではなかったということになる。
 その事実に言及し、併せてエヴァの積極的使用を、報復という言葉もまじえて怒気もあらわに主張したのは、発令所スタッフの生存者中の最先任、二尉の日向マコトだった。
「どう思うかね」
 と、冬月副司令は自ら断を下す前に、私に意見を求めた。
 ネルフの意思決定は、長く大学の研究室に身を置いていた学者の副司令、後方要員の若い二尉、そして私の三人という、戦いの一方の当事者としてはひどく貧相な陣容で行われているのが実状だった。
 そしてこれが、我々三人の経験の乏しさを考えるまでもなくいかに無様で滑稽な構図であるかを指摘するのは、私にとって実に容易なことだった。サルベージ体を無力化したのは、碇司令を絶望させ脱出するに至らせたのは、他ならぬこの私の仕業であり、あなた方が提案したMAGIによる反撃の実際を任せられているこの私こそ裏切り者なのだと、ただそれを述べるだけでいい。
 その瞬間、ネルフは崩壊する。
「可能でしょう」
 技術面の見解を求められたのではないことはわかっていたが、私は副司令への返答をそれだけに止めた。これは日向を喜ばせたようだった。
「見ていて下さい。奴等に思い知らせてやりますよ」
 日向は、殺気立った宣言を残すと、手狭な会議室を出ていった。
 私が反対しなかった彼のプランにより、ダミープラグでなくサードチルドレンのエントリーしたエヴァ初号機は、所定の迎撃地点へと配置される。
 溜息を吐いていたことに、私は気付いた。
 気付かせたのは副司令の、疲れたかね、という一言だった。
「疲労はミスを誘発する。違うかね」
「そうですわね……」
 疲れはミスを誘い、ミスがもたらす結果は神経を摩滅させ、それは疲労を増やすことはあっても取り去りはしない。
 ずっと前から、もう私は、疲れ果てていたのだろうか。
「休んではどうかね」
「休んではいられません」
「だが、松代だけでなく、ベルリンとハンブルグも、もはや脅威ではないのだろう」
「本来なら、初号機と量産機の戦闘中に、五つのMAGIコピー全てに侵入してリプログラム出来るはずでした」
「それで充分だ。北京とマサチューセッツだけでいくら頑張ったところで、もうエヴァのバックアップなど出来んよ。実際、君がカウンターを実施してからは、量産機の動きは極端に鈍くなったからな」
「エヴァによる攻撃は無いと見ていいでしょう。ですが、地上部隊一個師団程度の指揮管制であれば、MAGI一台でも間に合ってしまいます。彼我のノウハウの差を考えれば、通常兵器はむしろエヴァ以上に警戒する必要があるでしょう。本格的な再侵攻に先んじて残りの二台も無力化しなければなりません」
「そういうものか」
 ネルフの指導者である限りは何をやらなければならないのか、それを副司令はわかっているはずだった。
 使徒と戦う、そのための、そのためだとされてきた、ネルフ。
 死海文書は、更なる使徒の襲来を予言しない。
 拾参号機までを失い、残余のエヴァはロールアウトに程遠い委員会に、破られた予言を実現する力はない。
 ネルフは、人間同士がエヴァを以って争ったという事実と共に、残った。
「そういうものでしょう」
 話を切り上げ、立ち上がった。
 そして、部屋を出ようとする私の耳に、愚痴めいたつぶやきが聞こえた。
「いつまで続くというのだ……」
 それは、打開策の見出せないことへの苛立ちであり、状況が自らの手を離れたことへの嘆きであった。
 私にとっては、告発だった。
 扉を閉める手に、いくらか力が入ってしまったかもしれない。

 戦争は、それが戦争といえるのならばだが、指導者に戦争状態の終息への具体的な展望が無ければならない。展望を欠いたままでは、仮に局地的な勝利を積み重ねた所で、それは戦備の浪費でしかない。
 ネルフは、第一撃の被害の大きさに呆然となり、辛くも占拠を免れたことに安堵すると同時に昨日まで共に働いていた人間の死に激昂し、今や生き残った全員が戦うことそのものに熱狂している。例外は副司令くらいで、私とて、裏切りを犯したという負い目がなければ、血の魔力ともいえるこの熱狂に支配されていたことだろう。
 誰もが、戦いに狂奔する日々は長くは続かないということから、目を逸らしている。エヴァを起動させるたびに減るだけで補充されないライフルの弾体等の、失われる備蓄から目を逸らしている。
 あるいは、皆は内心望んで忘れているのかもしれない。
 MAGIのオペレートに没頭するという、罪からの逃避の一形態に過ぎない行為を続ける私と同じように。
「そうなの? 母さん」
 救いは、熱狂が尽きるまで戦う前に、この事態が終わるだろうということだ。
 戦いの焦点は、既に第三新東京市には、無い。
 世界を影から牛耳ってきた人類補完委員会の裏面を知る碇司令が、第三新東京市から逃亡している。
 同行しているのは、アダムファーストコアからの直接の産物であり、現代科学の最先端もなお到達できずにいる不死への道程であるところのサルベージ体、綾波レイ。
 あまりに無防備な状態でいるこの二人が有する利用価値に比べれば、半壊のジオフロントの重要性など霞んでしまう。
 私のしでかした選択は、思いがけず、戦局からネルフそのものを外す方向に役立ってしまったともいえる。一月と経たずに委員会が、あるいは委員会でもネルフでもない第三の陣営がこの二人を押さえ、その時に第三新東京市をめぐる戦いは名実共に終わることになるだろう。
 これが、エヴァを、ネルフを、綾波レイを、使徒を欠いた世界には過分な全てを、被害を最小限に抑えつつ葬り去る、たったひとつの冴えたやりかただといわれたら、私は否定しきれない。
「そうなの? 母さん」
 MAGIは私のサルベージ体への記憶矯正に介入しなかった。
 MAGIは碇司令の逃亡を幇助しその痕跡を消していた。
 全てが母の手の上にあったとするならば、私のロジックは、死を経てなお死を求める死者のそれには、ついに及ばなかったということだ。
「私……馬鹿なこと……してる……」
 生き残ってキーボードを打ち続けている私は敗者だった。
 最初からわかっていたことだった。

 end


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ver 1.00
1999/05/25
copyright くわたろ 1999