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スケッチ:コウライ・ミキ

 出撃前にいわれた言葉をミキは思い出した。
 ──手袋をはめているって感じたらそれは気が散ってる証拠よ──
 もう駄目だ。張り詰めた糸は一度切れるともう自分では戻せない。
「まだ……なの……」
 革手袋が気になる。手袋と手のひらの間の汗が気になる。スティックの感触がいつもと違う。喉がからから。
「もう十分も過ぎてるのに……みんなどうしちゃったの……」
 センサーの表示は、敵影無し、味方機無し。
 自分は敵中に孤立してしまったのでは──そんな思いが脳裏をかすめ、ミキは慌ててそれを打ち消そうと頭を左右に振った。
 コウライ・ミキ特務軍曹はシルバーフォックス隊の一員としてX4に搭乗し、今は単機で退路を確保し敵に備え、本隊が作戦目標を破壊しミキに合流するのをじっと待っていた。本来単機で残留させるなどセオリーに反しているのだが、ミキの所属するのは通常の部隊ではなく第一七七特務大隊。特務の文字が隊員達に強力な武器を使わせ、また苛烈な任務を強いる事もしばしばだった。
 ミキ以外の四機のX4+と一機の索敵派生型X4Rのシルバーフォックス主力は親地球勢力ジアスのレーダーサイトの一つを沈黙させるべく戦線の後背に降下していた。他部隊からの支援は得られない状況であった。
 パワーローダー、装甲歩兵。オムニ政府軍主力装甲歩兵X4を改装した最新機種X4+。それは陸戦の王者。
 オムニ独立戦争において使用された装甲歩兵は、その禍々しい力ゆえ戦車兵を恐怖の淵に叩き込む。だが第二次独立戦争ともいえるジアス戦役において装甲歩兵の運用はもはやオムニ政府側の独壇場とはいえなくなっていた。ジアス側にも既にX4は流出している。両者のテクノロジーの差は急速に狭まりつつあった。
「敵の警備部隊にローダーがいたら……いくらX4+でもたった四機じゃ……ヤオ隊長でも……」
 ぽつりと生まれた不安がミキの神経にゆっくりと歪みを加えていくさなか、それは起こった。
 薄暗いコクピットの中に唐突に点滅する赤い光が加わる。訓練で何度も見たはずのその光の意味する所が、気を取られていたミキにはほんの数秒だが理解できなかった。それだけあれば地対地ミサイルにとっては充分だった。
「……ロック警報!」
 デコイ射出は間に合わず、ミキのX4はその代価を左マニピュレーターに持っていたアサルトライフルを失うことでつぐなう。だが被弾の衝撃がミキの苛酷な訓練の末に培った技量を呼び覚ましもした。体勢を立て直す間にディスプレイされた弾道解析を読み取る。飛来経路は直上より、解析不能。それで充分。叢林の端に伏せた目標に真上からミサイルを撃てる場所とは。
「そこよっ!」
 ダッシュしながらグレネードを三連射。着弾前に使用兵器の選択を肩部の105mmキャノンに切り替える。小丘地の陰になった場所に落ちたグレネードの上げる煙には炎が混じっていた。
 いた。
「さあ出てらっしゃい」
 目標への自機の投影面積を最小にした体勢を保ちつつキャノンの狙いを煙の根元につけたミキはごくりと唾を飲んだ。喉はからから。
 一秒、二秒、三秒……、爆発。誘爆を起こした歩兵戦闘車は破片を空中に撒き散らした。その爆煙のさらに背後にはミキの認めたくないレーダーエコーが今やはっきり確認できた。通常の機械化歩兵部隊ではなかった。
 ジアスのパワーローダー。
 X4、四機。
「そんな……みんなは……」
 ミキは最前までの自分の悪い予想が現実になってしまったのだと思った。やはりレーダーサイトにはパワーローダーが配備されていたのだ。シルバーフォックス本隊はそれに撃破されてしまったのだ。自分は孤立したのだ。もはや狩りたてられるだけのウサギなのだ。
「よくもっ!」
 血が出るほどに唇を噛みしめて、ミキは自らのX4を飛び出させた。位置を暴露することも構わずキャノンを撃った。機関銃のように撃ちまくった。マガジンを替える間にはグレネードで攪乱し、訓練でも出来ないほどの早業でマガジン換装を終えると、またキャノンを連射した。撃つ間、ずっと脚部のコンディションランプが悲鳴の明滅を繰り返すのも無視して全力疾走、敵に向かって。
 白兵戦の間合いになった。まだ二機残っている。ろくに狙いもつけずに放った弾におとなしく的になって当たるほど敵も愚かではない。ミキはグレネードを捨てて突入した。
 白兵戦とはいわば殴り合い。一対二では結果はすぐについた。両腕を犠牲に相手の一機を行動不能にしただけでもミキは善戦したといえる。だが、そこまで。
 もう動かない。
「動いてよ、動いてよ、動いてよおお」
 モニターには警告を告げる各種の赤い表示が乱舞していた。ひきつったようにスティックを動かすミキ。だがもう機械人形は動かない。
 そして膝をついたミキのX4のコクピット目掛けて残る一機のパワーローダーの腕が伸びた。迫り来る灰色のマニピュレーターに魅入られたかのようにミキの視点はモニターのそこに釘付けになった。
 手袋の違和感。
 渇いたままの喉。
 視界に広がる死神の触手。
 ミキは瞬きすら出来なかった。
 その目で見た。あり得ないはずの閃光と爆煙と衝撃。スローモーションのよう。
 ミキが自分の機体が横倒しになり、しかもまだ生きていることを理解したのは、ヤオ・フェイルン中佐からの通信が入った後だった。
「シルバーリードよりシルバー6、応答しろ」
 通信は音声だけで映像が無かった。直振通話だ。センサーをすべて潰されたミキに確認する術はないが、機体表層に直接結線して音声を運んでいるのだろう。
「動けるか、動かせるか、怪我はないか」
「あ……」
「くそっ、聞こえてたら声を出すかハッチを叩け。大丈夫か、ミキ」
「すいません。全部真っ赤です、動かせません」
「なんだ」
 くぐもった不明瞭な音声だが、ヤオの声から焦燥がひいていくのがミキにも判った。
「生きてるなら生きてるっていってよ」
 安堵の色が混じるヤオの声。
 ヤオ以外の隊員の声も響いてきた。
「すまない、ミキ。遅れちゃって」
「だいたいジュリアがあんなとこでちょっかい出すから」
「いったな、そもそもナミが爆破に手間取ったのがいけないのよ」
「ミキちゃん。揺れるわよ、掴まってて。機体起こすから……」
 まぶしい陽射し。
 ハッチがこじ開けられたのだ。
 ようやくミキは実感できた。ここは生者の世界。コウライ・ミキは生きている。
 傍らに転がるジアスの焼け焦げたパワーローダーのハッチは閉ざされたまま。
 ミキは手袋を外した。
 
 end


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ver 1.1
98/04/27
copyright くわたろ 1998