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スケッチ:ライザ・モリーナ

 瓦礫の続くだけに変わってしまった街の跡を歩くうちに、ふと金色の反射光が目に入り、ライザは立ち止まった。
 屋根を葺いていたであろう、えんじ色のスレート板の破片の散らばる中に、それはあった。彼女の腕ほどの太さと長さの棒であった。埃をはらうとすぐに磨かれた金色の地肌が見えた。
 そばにはもう一つあった。こちらはT字型で、どうやらこの二つは元は一つだったらしい。
「十字架……なのかしら……」
 するとここはキリスト教の寺院だったのだろう。だがそれが正統派かどうかという細かい違いは、信心の無い彼女には判らなかった。
 そんなライザも幼い頃に一度だけキリスト教寺院に行った事がある。彼女の故郷とは山を挟んだ街にある寺院で、たまたま何かの祭りをやっていた時だった。元気だった父に手を引かれて入った寺院は色の着いた飾り窓が美しかったのを覚えている。そしてその彩色された光の下にはオルガンがあった事を覚えている。
「ひいてもいいの」
 彼女は父に尋ねた。
「神父様にお願いしてごらん」
 父に言われて、彼女は黒い服を着た背の高い男の前に歩いていった。
「ねえ、これひいてもいい」
「いいですよ、お嬢ちゃん」
 ピアノには触っていたので、ライザは運指はできた。ただそのオルガンは大きめで彼女には鍵盤に手をやるとペダルには爪先がようやく届くくらいだった。それでも何とか覚えたての曲を弾いた。
 弾き終えると父と黒い服の男が拍手をした。黒い服の男はライザを誉めた。
「とても上手だよ。お嬢ちゃんはどこでこの曲を習ったの」
「ピアノのせんせいからならったんだよ」
「そうか。その先生はきっと信仰をちゃんと実践しているんだね。そういう人は最近は少なくなった」
「なあに、しんこうって」
「お嬢ちゃんの弾いた曲はね、賛美歌の一つなんだ。神様をたたえる歌なんだよ」
 彼女は今もその神父の寂しげな笑顔を覚えている。
 あれから十五年、いや十六年か。父は独立戦争の勃発後まもなくの空襲のさなかに命を落とした。彼女は海兵隊を経て第一七七特務大隊に所属しパワーローダー搭乗員となりオムニ独立のために戦うようになった。信仰を持った人々の間では親地球派の比率が高いという話を聞いた事があるが、ピアノを教えてくれた同じ村の人間の消息は知れなかった。あの神父がどこでどうしているのか、まったく判らなかった。
 目の前の寺院は扉をくぐるまでもなかった。壁に大穴があいていた。
 入るとそこには陽射しに直に照らされたオルガンがあった。廃墟の中のオルガンはどこか場違いな印象をライザに与えた。
「音、出るかな」
 オルガンの前に立ちそっと蓋を開くと、鮮やかな黒と白の鍵盤が彼女の目に飛び込んできた。人差し指でCの鍵を押した。鳴らなかった。
「壊しちゃった……」
 激戦だった。オムニ政府側は多大の損害を出しながら、この街を占領する事が出来ないでいた。しかしこの街が持つ戦略的価値は、ついに第一七七特務大隊を含む二個旅団に相当するパワーローダー部隊の投入を軍司令部に決断させた。だからこの街は政府側の手に落ちた。だからこの街は瓦礫と化した。だからライザ・モリーナ中尉はここに立ち尽くしている。
「神父さん」
 彼女は無人の祭壇に向かって言った。
「わたし最近ほとんどピアノ弾いてなくて、今じゃパワーローダーでキャノン砲を撃つ方が多いくらいで」
 彼女は鍵盤の上にある右手の人差し指と小指をリズミカルに曲げた。和音ではなく、それは試射と効力射をすばやく放つ彼女独特の射撃の癖。
「神父さんが賛美歌だっていった曲も、多分出だししか覚えてないよ」
 指を曲げてみる。
 二小節で詰まってしまった。それだけの回数を撃てれば、ライザは歩兵戦闘車の三両は擱座させる自信はあったが。
「地獄に行くのかな、わたし」
 再び空虚な祭壇に向かって
「神様を信じるってどういう事なの? 宗教家には平和運動をしている人もいれば、たちの悪い好戦主義者もいるわ。親地球主義者も強硬独立派も。判らないのよ。神様ってどこにいるの? 軍人では癒しは得られないの? 神父さん、わたしが昨日何台燃やしたか告解したら聞いてくれる?」
 からん。
 不意に聞こえた破片の転がる音にライザは弾かれたように振り向いた。ジャケットの下の左脇に吊ったハンドガンを抜きかけた所で、ようやく同じ隊に属するアニタ・シェフィールド少尉だと判った。
「わたしよ、ライザ」
「なんだ、アニー。おどかさないでよ」
 ライザは銃をホルスターに戻すと、オルガンにもたれかかった。
「見たの?」
「ん、何かあるの?」
 わずかに羞恥を感じてライザはたずねたが、アニタは怪訝な顔をするだけだった。
 屋根が抜け落ちむき出しになった寺院の梁をライザは見上げた。
 射抜くような烈しい陽光だった。罪を感じるならばもっと他の何者かにであるはず、もしここに神様がいたら銃に手をかけた今の私を見ていたはず……。
 ライザは首を振るしかなかった。
「何も無くなっちゃった」
 ライザがもたれているのが何かに気付き、アニタはほんの少し期待するような声を出した。
「あら、オルガン」
 手を伸ばすアニタの傍らでライザは首を振った。
「もう鳴らないわ」
 アニタも鍵盤を押した。やはり音は出なかった。
「鳴らないんだ」
 音の出ない鍵盤を押したままつぶやくアニタにライザは尋ねてみたくなった。ねえ、アニー、讃美歌っていくつ知ってる?
 だが、そういう言葉は出てこなかった。
「アニー、今の基地にピアノあったっけ?」
 振り向いたアニタは笑って答えた。
「食堂にあったでしょう」
「弾いてみよっかな」
「だあめ」
「どうして」
「だって私チェロ持ってきてないもの。ライザがピアノ弾くなら私も合わせて弾きたいし。だから本部に帰隊するまで待って」
「そうね、じゃあ戻ったら久しぶりに二人で合奏ね」
「だってそうしないとライザだけ男どもの人気さらっちゃうしねぇ」
「何よそれ」
 廃墟に二人の笑う声が響いた。
 破片を踏み分け彼女たちは寺院を後にした。
 壊れたオルガンを残して。

 end


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ver 1.10
1999/02/14
copyright くわたろ 1998