《↑目次へ》


ワイアーカッター

 サンサルバドルをめぐる戦いは、反政府勢力ジアスの勝利に終わろうとしていた。
 パネー州平原部における交通の要衝であると同時に、惑星開拓初期から集積された重工業生産基盤が存在する戦略的価値の極めて高いこの都市の防衛に、オムニ連合政府は約三万の兵士の血を注ぎ込み、ジアスに対してほぼ同等の犠牲を強い、そして敗れた。
 政府、ジアス、双方にとってこの戦いの意味するところは様々あったが、無視できるものではなかったということはいえる。
 血を流した兵士にとって、癒えぬ傷を残したということはいえる。
 だが、兵士が兵士である以上、傷ついたところで銃を捨てることは許されなかった。サンサルバドルを占領したジアス軍は引き続きパネー州南部をうかがうべく進撃を開始し、政府軍も失地を回復すべく戦線を整理し新たな攻勢点を見出そうとしていた。
 惑星全土に飛び火した戦乱はいまだ終息の気配を見せておらず、サンサルバドル防衛戦に政府軍第一七七特務大隊の一員として参加した者も、それぞれが戦いの意味を問いながら、それぞれの戦いを続けていかねばならなかった。

 残弾数の心もとない状態であったため、対空警戒レーダーの反応したことにX4内のファン・クァンメイは身をこわばらせたが、すぐにそれが所定のコースをたどって現れた人員回収のための垂直離着陸機とわかって胸をなで下ろした。敵性IFFの反応はない。もはや任務完了目前ということである。
「マッドドッグリードより各機、警戒軸を維持しつつポイントエコーへ向かえ。撤収だ」
 返ってきた復唱は十一だった。自らを含めて出撃数十二、被害を受けた機体もあるが少なくとも脱落機はない。求められた時間、限られた装備で戦線の突出部を保持できた。旅団本部との交信を信じる限り、自分の部隊だけでなく旅団レベルでも作戦は順調に運んでいるのだろう。
 だが、彼女にとってなにより嬉しかったのは、作戦前にはあった侮蔑のトーンが、たった今の部下の復唱の中に一つもなかったことだった。部隊にあって信頼を勝ち取り結束を高めるならば、勝利にまさるものはない。
 海兵第一旅団第三装甲歩兵大隊で負傷後送された大隊長の代理として部隊指揮をとり、今まさに戦闘の一局面を勝利をもって終えようとしている海兵中佐ファン・クァンメイは、その意味するところを、まったく逆の苦い経験から、よく知っていた。


 第一七七特務大隊においてアヤセ・ミノル中尉の評は、経験不足、ということに集約される。
 なにしろパワーローダーの操縦時間が二百時間に足りないのである。それでいて四軍選抜の特務大隊ドールズの一員、パワーローダー搭乗員としてエントリーされている。実際、シミュレーターでも実機テストでも並以上の機動をやってのけるのだから、一種の才能ではあるだろう。
 ただ、やはり経験が足りない。教本を飲み込んだその上での何か、それが欠けている。シミュレーターや模擬戦闘で彼女の戦い振りを、敵役あるいは友軍役で見た同じドールズ隊員からは、そんな指摘をされることが多かった。
 中にはより具体的に表現する者もいた。例えば部隊長ヤオ・フェイルン。
「撃ち慣れてないんだろ、ようするに」
 ミノルの以前の所属は航空隊の戦技班。空から地上へ、非戦闘部隊から最前線に立つ特務部隊へ、二重の転身であった。
 たしかに撃ち慣れていない。実際の敵に対しては。
「では、どうすればいいでしょう」
 と問うミノルに、ヤオは苦笑して首を振った。
「こればっかりは、ね」
 こればっかりはといわれても、こればっかりに死んでしまってはたまらない。いきなり歴戦の戦車殺し中佐に聞いたのがマズかったんだわと思い直したミノルは、ヤオのそばにいることの多い物静かな大尉に聞いてみた。
「どうすればいいでしょう」
「シム、やったら」
 銀髪のコンピューターとまでいわれるセルマ・シェーレ大尉の頭脳がはじき出した答えである、それもそうよね……と納得しかけてミノルはうまく躱されたことに気付いた。だからシミュレーターはやってるんですってば。
 つっけんどんな大尉じゃダメよ、ミノルは今度は同じ極東系ということでタカス・ナミを選んだ。中佐というのがちょっと怖いけど。
「うーん、そういうメンタルな部分はねえ、ファンならよかったんだろうけど、もういないし、私ってどうもそっち方面はねえ、ハードウェアのことなら相談のれるんだけど、そうねえ、習うより慣れろとはいうけど、うーん」
 一緒に悩んでくれたということで満足すべきだろうか。
「気にしないっていうのも一つの対処法だと思うけど、どうかな」
 中佐の回答である。ぺこりと礼をして、ミノルは引き下がった。

 そんな新品中尉のミノルにとって、出撃前のブリーフィングですら手のひらに汗をにじませるほどのものだった。だから、隣のエイミー・パーシング大尉がもそもそと口を動かしているのを見た時は唖然とした。
「みゅ?」
 と、エイミーがミノルの視線に気付く。
「食べりゅ?」
 デスクの下でのばされたエイミーの手にナッツの袋があるのを見て、ミノルは激しく首を横に振った。じょうだんじゃないよ、こんなのヤオ隊長にみつかったら営倉行きになっちゃうよう。だいたいエイミーだってここに転属したばっかでしょう、あのおばさんたちがこわくないの。
 思わず肩をすぼめてしまうミノル。ミノルとエイミー、この二人が並ぶと、ミノルのおどおどした様子がもう片方の図太い態度とコントラストをなしてか、より目立つ。
 ミノルを横目で笑いながら、だけどどこか憎めないそのエイミーの童顔がナッツをほおばっているうちに、ブリーフィングは終わろうとしていた。
「以上、何か質問は」
 その声に、すっとエイミーの手が挙がる。
 ぎくりとするミノルを尻目に、エイミーは豊かな銀髪を胸元から背へと翻しつつ立ち上がった。
「南岸に降下するのではなく、分流点に直接強襲降下をかけるならば、南北の橋梁二本とも短時間で破壊できるのではないでしょうか」
 いつのまにナッツ飲み込んだんだろう、ということしか考えられないミノル。
 正論だな、とハーディの声。
 作戦目標とされた橋梁付近の地図が映されたプロジェクターの前に立つ部隊司令のハーディ・ニューランド大佐が頷いていた。
「実際、それは検討したのだが……」
 峻険な山塊の中で二つの河川が分流する地点に、今回の作戦目標である二つの橋梁は位置していた。オムニ政府軍にとってははるか戦線後背にあたるユーロ山塊を東から西に貫くその川は、Yの字を左に倒した姿を地図に刻んでいた。橋は二本とも分流点をやや下流に過ぎたそれぞれの川に架けられており、この二つを、ないしは一つを破壊することで、山岳地帯を南北に縦貫する敵補給路を一定期間使用不能とすることができる。
「問題はここだ」
 ハーディの手が、分流点付近、分かれた川と南北に走る二級道路で三角形に区切られた地点を示した。地図上、等高線が密になっている。
「直接この高台に降下できれば問題はないが、地形上、当然ここは敵のSAMが予想される。衛星からは固定式は確認できなかったが、対空車輌の存在は規模からみても覚悟しなければなるまい。さて、それらを一部が先行して排除するのは困難ではないだろうが、その場合」
 次に示したのは分流点から北西へと分かれる流れの北岸。
「この中継基地から敵地上部隊が出てくるだろう。北橋を落とす前にな」
「ですが、高所を占位すれば、こちらが逆に迎撃ポジションを自由に展開できるわけですから、警備部隊程度なら対処できると思います。その後あらためて北橋と南橋を破壊すればよいのではありませんか」
「ほほう」
 ハーディはわずかに口の端を歪めて笑った。エイミーの表情は変わらず、他の隊員はここからどう展開するのか興味津々、あるいは結果は見えているとばかりに小さく溜息。
 ミノルはというと、エイミーの横で冷や汗かきどおしだった。ちょっと待ってよお、上官に喧嘩売ってどうすんの。
「積極果敢、大いに結構だ、エイミー・パーシング大尉。たしかに、我々だけでも対処可能だろう」
 エイミーはなお平然としているが、ミノルはそれが自分に向けられた言葉のようにも聞こえた。うう、ハーディ司令がにらんでるよう。
「警備部隊だけならば、だ」
 と、腕組みしたハーディが付け加えると、はじめてエイミーの顔に焦りが浮かんだ。
「しかしここは補給中継基地だ。補給品そのものが出てくる可能性を否定できん。パワーローダー搭乗員の移送もこのルートで行われていることは、最初にいったはずだな。中身が空のパワーローダーが並んでいることに賭けて分流点に孤立する危険を犯すわけにはいかないと思うが、どうだ」
「ですが、起動可能状態で駐機しているとは……」
「限らない。だが、その可能性もあり、実際、警備のローダーを運用する程度の設備はある」
「でも、奇襲の混乱に乗じれば、その補給品にまで橋を渡らせることは……」
「タカス中佐、冷たいTS3に電源を入れてから歩き出させるまでに要する時間は何分だ」
「一分四十秒」
 タカス・ナミがつぶやくように声を発する。戦場経験に裏打ちされた元技術者の一言にはエイミーも言葉がない。
 ハーディはいくらか口調を和らげ教え諭すように続けた。
「そうだ。装甲、火力、運動性、どれをとっても我々のX4に劣るTSシリーズだが、この安物の唯一の長所がその安物である理由、すなわち動作機構が単純であるという点だ。フルサポートでも目を醒ますのに五分かかる低血圧気味のX4のように考えてもらっては困る」
 周囲から、いくらか失笑が漏れる。
 ミノルは、ここで笑っていいのか、わからない。
「速やかに二つの橋梁を破壊することを目的とした場合、パーシング大尉の案はたしかに魅力的だが、第三師団からの要請はいずれかの破壊というものだ。我々の現戦力からいっても一本に目標を絞った方が確実だろう。その場合、パーシング大尉、君なら南北どちらを選ぶかな」
「そういうことでしたら……、敵基地との位置も考えて、南橋になります」
「そういうことだ」
 ハーディはプロジュクターに向き直り、エイミーは再び席についた。ミノルはエイミーが腰を下ろす直前、そこにあったナッツの袋をさっと掴むのを見て目を白黒させる。
「みゅ?」
 エイミーがミノルを見る。
「食べりゅ?」
 そんな気分じゃないミノル。

 ざわめきを引き連れて隊員たちがぞろぞろとブリーフィングルームを後にする。ハーディや、今回の作戦で部隊を指揮するヤオも部屋を出た。ナッツをほおばるエイミーも、おどおどとした態度が抜けきらないミノルも、その中にいた。
 とどまったのは二人だけだった。
 しばらく、その二人は席を立てぬまま無言でいたが、一人が足を組み替えるにあわせるように声を出した。
「ナミ」
 と、エリオラ・イグナチェフ中佐が呼びかける声は沈んでいた。
 スラヴ系のその青い瞳からはいつもであればナイフのように鋭い視線が放たれているのであるが、この時は苦渋の色を表すのみだった。
 装甲歩兵中心の第一七七特務大隊にあって、彼女は数名しかいない航空要員の一人である。もっとも基地内第三装であるから部隊章の隅に付いた斜線でしかパワーローダー要員と区別は付けられない。
「なによ、エル」
 応えるナミの部隊章に斜線は入っていない。
 だが、声に含まれた憂いの色は、エリオラとそれほど変わりはなかった。
「今度の作戦案、誰が立てたの」
「ハーディか、でなかったら、セルマよ」
 答えるナミの語尾が下がった。今更聞かないでよといいたげに。
「そしてヤオは事前に目を通してたわけね」
 エリオラの声も低い。それでも聞かずにいられない。
 だからナミも、とつとつと答える。
「そうみたいね……、エイミーが意見した以外は、あまり発言なかったし。ヤオも、ハーディも、この線で行くって決めてたみたい……」
「つまり、これ、見てたわけよね。だったら気付いているはずよ。どうして誰も指摘しなかったの」
 二人は、見るまでもなかったが、それでも地図を凝視した。
 航空機とパワーローダー、それぞれ操る機体が異なるから、錯綜する等高線から脳裏に描かれる地形は、エリオラは対地高度三千フィートで鳥瞰する峡谷、ナミは障害物として利用可能な窪地や斜面という具合で異なってはいたものの、二人が共通して抱いたのは既視感だった。
「そっくりじゃない、ホルダン北ルートに」
「エルもそう思った?」
「気味悪いくらい似てる」
 ホルダンに位置するジアスの後方基地に対する奇襲作戦を命じられそれを実行したドールズが惨澹たる被害をこうむったことは、二人の記憶に新しい。
 地図からの既視感を歓迎しない理由には、それでじゅうぶんだったが、さらに符合めいたものを感じさせていたのは、ヤオ、セルマ、そして他の隊員も含めてホルダン奇襲作戦に参加したメンバーからは、ブリーフィングの席上ついにその指摘がなかったことであった。
「思い出したくないのかな」
「ナミは、それでいいと?」
「注意を喚起すべきってのかもしれないけど……」
 ナミはうつむくと小さな溜め息を漏らした。
「私からは……」
 ナミはホルダンへ出撃したメンバーに入っていない。それはエリオラについてもいえる。
 彼女たちにしてみれば、ホルダンを直接知っている人間が、今回の目標である無名橋梁周辺とホルダンとの地形の類似に気付いていないとは思えなかった。
 それを差し置いて指摘することは、ためらわれた。
 いいところなく失敗に終わったホルダン奇襲作戦、その傷も癒えぬうちに定数以下のメンバーが派遣され苦戦を強いられたサンサルバドル防衛戦。後者は、ドールズが参加した戦闘に限ればジアス軍の前進を阻んだという点でオムニ政府軍の勝利であったものの、ドールズは無傷では済まなかった。
 この二つの戦闘がドールズに残した傷痕は、特に人員の面で大きかった。アニタ・シェフィールド少尉、ホルダン山中にてMIA。リサ・キム大尉、サンサルバドル北方で空戦中被弾、MIA。ライザ・モリーナ中尉、サンサルバドル防衛戦で負傷、収容されたものの左腕を失ったため、パワーローダー搭乗員としてはもはや登録されていない。
 また、海兵隊よりドールズに参加していたファン・クァンメイ中佐は、サンサルバドル戦終了後、自ら願い出て部隊を去り、現在は原隊へ戻っている。
 他にも、両作戦で負傷し戦列を離れたままでいる隊員は多い。デスクワークには復帰しているセルマ・シェーレ大尉も、ローダー搭乗可能なまでには回復していない。
 このような状況にあって、エリオラにもナミの困惑は理解できた。地形の類似の指摘は、自分は直接参加していない過去の作戦を、いまだに隊員たちのあいだでしこりとなっている作戦を、再び蒸し返すことにもなりかねない。特にヤオの場合など、ホルダン作戦直後、実際に査問にかけられたのだから。
 それだけに、二人にとっては、気付いているはずの人間から自ら切り出してもらいたかった。
「ハーディは……」
 そのナミのつぶやきに、不意にエリオラは席を立って地図の前ににじり寄った。
「そうよ、ハーディよ」
 地図上、分流点の付近を人差し指で小突くエリオラ。
「ハーディは気付いている。気にしすぎなくらいよ、はしゃぎすぎよ」
 ナミは、いい放つエリオラの言葉に混じる刺を聞いた。
「はしゃぐって、何もそんないい方……」
「あんなハーディ、見たことある? ナミ」
「あんな、って?」
「新入り相手に、士官学校でレクチャーでもしてるつもりだったの、あれ? 一体どうしちゃったのよ、ハーディったら」
「別に、はしゃいでるとか、そんなことじゃないと思うわ」
「じゃあ、なに? ハーディは気付いてる。ホルダン作戦の後、ナミ以上に査問では必死にヤオの弁護証言したんでしょう、ハーディは。だったらこの縮尺一万分の一でも見れば嫌でもわかるはずじゃない。ハーディは気付いてるわ。気付いていながら、それには一言も触れないで、とんちんかんなレクチャー延々続けちゃうなんて。おかしいわよ、絶対。いつものハーディじゃないわ、あれ」
「それは……、みんなの士気とか考えて、あえていわなかったんじゃないかな……」
「こんなことでどうすんのよ、一体」
「エル、あなたこそ変に気を回しすぎなんじゃない? だいたい改めて注意しても縁起悪いだけだし」
「わからない? ナミ」
 もう一度、エリオラは映し出された地図を小突いた。力が入っていたせいか、スクリーンが分流点を中心に波打った。
「ハーディ、不安なのよ。だからあんなに浮ついてるのよ」
 いくらか早口となっているエリオラの目は、もはやナミを向いていなかった。自らの影に入ったスクリーンを見ているだけだった。
 今し方聞いた不安という単語は、ナミにとって最もハーディ・ニューランドという人物像から縁遠い種類のものだった。だが、普段であれば怜悧とさえ思えるその表情を砂でも噛んだように歪ませているエリオラを見ては、ナミも認めざるを得なかった。
 最前の饒舌ともいえるハーディは、たしかに作戦前にはどこかそぐわない。
 エリオラを不安にさせるほどに。


 作戦開始マイナス二十四時間、出撃を予定されている者もそうでない者もひとしく禁足状態に置かれた。
 以降、その下にパワーローダーを抱えた輸送機が離陸するまで、全員が基地を出ることは一切許されない。基地内でも、実質的に行動範囲に制限がつく。その一つに食堂がある。だから、そこからエイミーが新しいナッツの袋を二つも下げて出てくるのを見たミノルは、あきれてしまった。
「いいんですか、大尉」
 ただし、続く言葉は飲み込んだ。今まさに口の中でナッツを転がしている人間に向かって、マイナス二時間の段階になれば下剤と利尿剤を使う可能性を指摘するのは、酷に思えた。
「だいじょぶだいじょぶ。ミノルちゃんがちゃんとやってくれるから、ぼんくら大尉のわたしもこうして出撃しないでいられるのです、だいじょぶだいじょぶ」
「でも、直前にメンバーが差し替えられることも」
「だいじょーぶ」
「はあ……」
 どこまで本気かわからないこの甘党大尉だが、ドールズに同時期に転属してきたとはいえ、それまでが航空隊の戦技班だった自分よりは相手の方がはるかに実戦経験が豊富であることを知っているミノルは、おとなしく引き下がった。
 もっとも、追い撃ちをかけたのはエイミーの方だった。
「ミノルちゃん」
 ちゃんはやめてよ、年は違わないんだからあ、といいたいところをいえずに引き下がって神妙な顔をしてしまうミノル。
「水もノドを通らないってんじゃ、ダメだよ」
 ならばなにがどう駄目なのだろう。ミノルが知りたいのはそこだった。部隊内に心を割って話し合える人間がほしかった。このナッツ喰らいは、励ましてくれているのかもしれないが、ブリーフィングの際の言動からしてそもそも自分と精神構造が違い過ぎる。
「では……、どうすればいいのでしょう」
 するとエイミーは、答える代わりに大きな音を立てて奥歯でナッツを噛み割って、にっと笑った。
 どうにも精神構造が違い過ぎる。
 封の切ってあるナッツの袋の一つを突き出され、ミノルは断りきれず受け取っていた。口に含んでみると、バターのような後に残る甘味がした。そして手についた脂をハンカチでどうにかしようと思った時には、もうエイミーの姿はなかった。そういえばもう一つの袋を破く音を聞いたような聞かないような。
 搭乗名簿にエイミーが載りミノルが載らなかったということは、これまでにあった。それを思い返すと、ミノルは何もいえなかった。経験の差なのだろうか。言葉をかけ、ついでにナッツを分けてくれる今回のエイミーの方が、やはり余裕があるということになる。
 とはいえ、甘ったるい味のついたナッツは、好きになれそうになかった。

 今回、低高度降下が選択されたため、通常用いられるC559よりも更に生存性に長けたAC17がローダーの空輸と突入の任にあたることになった。三機のAC17がそれぞれ二機のローダーを抱えて目標の一つである南橋の南岸をうかがい、ローダー降下後は直ちに離脱。一方、展開した地上部隊は作戦終了後に乗機を破壊し、搭乗員のみが後続の垂直離着陸機によって回収されるという手筈である。
 突入するAC17三機梯団の長機として参加するエリオラの懸念は、むしろ降下以後の作戦についてであった。
 目標の橋梁が敷設されているユーロ山系北部は、両軍にとって制空権空白地帯であったが、それでも対空兵器の用意されているであろう補給基地を設営しているジアス軍に利があることはいうまでもない。そこを低空侵入を図り、間隙を衝くというかたちになる。突入するだけというのであれば、たしかに成算は立つだろう。
「三十分、か……」
 最近接の敵航空基地の位置から、降下した部隊に許容される作戦行動時間は三十分。この中で敵警備部隊を牽制しつつ橋梁の一つを破壊することになる。
 そして、もう一つ求められているのは、対空車輌群の制圧であった。AC17ならともかく、降下部隊のピックアップにおもむく脆弱な垂直離着陸機に対空砲火をくぐりぬけろというのは無理な話であるからだ。
 六機のローダーで、その二つをこなすことになる。
 エリオラには、不可能に思えた。
 目標の橋梁は、不鮮明ではあるが衛星画像をもとにした解析が既に行われており、重戦車も通行可能という堅牢なものであることが判明していた。よって、携行地雷を投げれば任務終了というわけにはいかず、トーチカ破砕用の高性能爆薬が用いられることになる。爆薬というが、実際のケースの形状は棺桶に似ている。爆薬設置担当の隊員は、弾薬ポケットのいくつかから予備弾を下ろすかわりに炸薬の詰まったそれを抱え、橋に向かう。誰もが尻込みするこの役目を割り振られたのは、タカス・ナミ中佐。
 その間、部隊の実質戦力は五機。単一の目標に集中し得る火力となると、入り組んだ傾斜が川岸まで迫っていることから、五機分よりもさらに少なくなるだろう。地形の作りだす各個撃破のチャンスは、敵味方双方に等分に訪れるといっていい。奇襲の利を活かすためにも、正確には無にしないためにも、ある程度の戦力は必要になる。ハーディやヤオらの見積もりでは、南橋ひとつ破壊するのであれば、それが五機。
「綱渡りよね……」
 ブリーフィングで、暗黙のうちに前提となってしまっていた事項があった。
 ローダー降下は完全に成功し六機全てが行動可能、というものである。
 ついとエリオラは壁掛け時計に目をやった。作戦開始マイナス二十二時間。仮眠でもとろうと個室に下がっていたのだが、眠りは訪れる気配をみせなかった。
 身を横たえていたベッドの上で仰向けのまま枕元を探ったが、つまみ上げた煙草の箱に一本きりしか入っていないことを見てしまうと、続いてライターを探す気が失せていた。
 通常の航空部隊に比べてもなお移動の多い第一七七特務大隊の航空要員を、第一次独立戦役から続けてきた彼女である。自然、旅馴れてしまっていた。時間を潰す道具は、個室にはこれといってなく、煙草を買い足すくらいしかやることがない。
「どうかしてる」
 紫煙の代わりのように嘆息が唇からゆるゆると広がっていた。そんな自分の状態がエリオラには手に取るようにわかった。初の実戦を前に悪く運ぶ可能性ばかりを考えてしまう、ルーキーのそれだった。とうに過去のものにしたはずの感情というのに、サンサルバドル防衛戦でリサ・キムがMIAとなって以来、リサをドールズに引き入れたのがエリオラ自身であるということは微妙な翳りを作ってしまっていた。
 吸う銘柄を変えようかとも思いながら、ドアノブに手をかけた時だった。
「爆弾叩き込むだけの方がよほど気楽……」
 その無意識にこぼれた言葉こそ、戦術的に最も妥当なものだったのかもしれない。
 だが、それをハーディやヤオに聞かせる機会は来なかった。
 ちょうどドアをノックしようとしていたのか、心細さを顔に貼りつかせたままで固まっているミノルの姿をそこに見ると、
「どうしたの?」
 ミノルが何を考えているか、それこそエリオラには手に取るようにわかってしまい、他人事とは思えなかった。
 エリオラの中から橋梁の空爆案というものは消えていた。

 ああもう、なんて間が悪いの、あたし。
 自分の左手がナッツの袋を中途半端な位置に持ったままでノックをためらっている時に扉が開き、その姿勢でこともあろうにドールズの幹部の視線を浴びているとわかって、ミノルの顔は半泣きになってしまった。
「どうしたの?」
 しかし頭上から降ってきたのは、あれっ、意外にも優しさのにじむ声だった。だから話してしまいそうになった。聞いて下さいよお、あの甘党大尉ったらもう次から次へとところかまわずぱりぱりぽりぽり……。
「いや、そうじゃなくて」
「なにが」
「ああっ、ええっとそのあのわたし、じゃなくてじぶんわ」
「……いいよ、入りな、ね」
 目の前のエリオラの顔に浮かんだ笑みには嘲りの成分などなく、逆に抱擁さえ感じられた。オバさんにしかられるよう、という覚悟をしていたミノルだったが、あれっ、とりあえずほっとする。

「あまいな、これ」
 と、おずおず差し出されたナッツを口に含んだエリオラがいうと、
「あ、じゃあ、わたしコーヒー調達してきます」
 入ってきたばかりのミノルは、またどこかに行ってしまった。置き捨てられたナッツの袋からしてどうやらこの部屋にミノルは居座るつもりらしいと感じたエリオラは、同時に自分が中尉一人を使い走りにしていることにも気付いて苦笑した。
「あんなだったかな、私も」
 なし崩しともいえる速さでオムニ全土が平和から戦争へと移っていった頃の自分を、エリオラは思い出した。眼の届く範囲が精一杯だった頃。空に上がれば、とにかく落とされないことだけで必死だった頃。
 転機となったのは、ハーディの知己を得て実験的性格の強かった第一七七特務大隊へ参加したことだった。そこでの異例づくめの任務が続くうち、戦闘機乗りだけでなく攻撃機や輸送機の搭乗員が何を考えているのか、どう行動するのかが見えてきた。地上でへばりついて戦っている人間の考えも、戦わずに逃げている人間の性根も見えてきた。
 第一線に比してみれば頻度はそれほどでない、ただし失敗の許されない特殊任務が連続したことは、軍の歯車の一つとしてではない、より高い位置で物事を見渡す知見と時間とを持たせてくれた。
 そういった視点が、ホルダン作戦以来、無意識のうちに自らの属する部隊に対しても向けられるようになっていた。
「お待たせしました」
 二粒目のナッツを口の中で転がしていると、給仕のせりふのようなことをいいながら、ミノルがポット一つを抱えて戻ってきた。どうやら本気で長居するつもりらしい。
 他人に頼るなとはいえないかな……。
 昔の頃といわず、つい先ほどまでの自分を思い出しただけでも、エリオラはミノルに対して強く出るという気にはなれなかった。


 マイナス二十時間。
 ブリーフィングルームでヤオ・フェイルンに詰め寄っていたのは、タカス・ナミだった。
 かたや隊長、かたや副長格という二人。ドールズ以前の経歴こそ相当に違うが現階級は同じ中佐であり、どちらかがはったりをきかせて話を終わらせられるものでもない。
 最初は議論というほどではなく、技術的な打ち合わせ程度のものだった。爆薬設置のタイミングや、その間の制圧射撃など。戦場に出るツートップとして齟齬を来してはならない重要事項を打ち合わせる、出撃のたびに繰り返されてきたことを行っていたに過ぎない。
 だが、出撃する六人の陣容に話が及んだ時、ナミの口振りをヤオがとがめた。それもかなりどぎつい言葉を使っていたため、ナミも引けなくなってしまった。
「取り消しなさいよ、フェイ」
 熱くなりやすいヤオに正面から向かうのはどうかとナミ自身思ったのだが、あまりのヤオのいいように落ち着きを失っていた。
「だれが臆病者ですって?」
「そんなことはいってない。愚痴るだけなら誰でもできるといってるんだ」
「愚痴? 愚痴って何よ? 部隊の構成について指摘するのが臆病な愚痴? 現実を認められないあなたの方こそ臆病の裏返しでなくて」
「なんだと」
「そうでしょう。認めなさいよ、アリスだって、セルマだって復帰してないんだから。ジュリアの負傷も完治していない以上、降下直後から橋梁確保までオールラウンドこなせる人はいないのよ。制圧射撃にしたって、あのミノルって子にライザの代り任せられるの? フェイ、あなたまさかこのメンバー全員が特A戦技で戦えるはずだなんて思ってやしないでしょうね」
「私は各員の能力を信じている。それだけだ。お前と違うのは」
「だからそれが」
 ナミの声が上擦り、途切れた。これ以上続けるとホルダン作戦に触れてしまいかねないというためらいが生じ、語気をいくぶん鈍らせた。
「それが……、だから私のいいたいのはね、それで誰かにトラブルが発生した場合よ。部隊全体が危うくなるんじゃないかって、そういうことよ」
 四軍全体から選抜された第一七七特務大隊ドールズであるが、その中にも技量の差は存在する。
 あらゆる局面に単独で対応する能力を持ち、かつ最高の結果を出すことが期待できる隊員は、実は部隊の中核を担う数名でしかない。ヤオを除けば、その筆頭がジュリア・レイバーグ少佐である。実際、ドールズの中から分遣隊が出される場合、彼女にその指揮が任せられたことも度々だった。技量だけでなく経験も豊かであり、戦場に立つ士官として求められる柔軟性も申し分ない。
 ジュリアに次いで挙げられるべきは、アリス・ノックス、セルマ・シェーレ両大尉になる。共に総合的な戦闘技能では、ヤオにも何らひけをとらない。停戦期間中は技術士官として軍とメーカーとの連絡役にあたっていたナミなどよりも、戦闘センスの面でははるかに勝っている。
 そして、この三人すべてが戦傷のため戦列を離れている。これが傷の癒えないドールズの現状であった。
「ねえ、フェイ」
 これから出撃する六機のローダーを駆るのはヤオ、ナミを除けば、エリィ・スノウ特務軍曹、ジュリィ・レイバーグ曹長、ハンナ・ウィンクラー曹長、そしてドールズに参加してまだ日の浅いミノルである。ナミにすれば、見劣りする人選というのがいつわらざる思いである。
 もっとも、他に現在出撃可能な人員も少ない。甘党大尉とミノルでは似たりよったりだと、ナミは考えている。
「ヒットアンドアウェイで行くってプランは、わかるわ。正直それで精一杯だと思う。でも、それにすべてを賭けるのは……」
「橋の守備隊を排除するだけだ。何が不安なんだ、ナミは? それほど難しい任務じゃないだろう」
「可動全機の投入っていうことはできないの?」
「そんな必要はないだろう」
 ヤオは軽くいなした。ナミとて実のある返答があるとは思っていなかった。兵装の選定や戦術の詳細はともかく、出撃部隊の規模や編成となれば司令であるハーディの専管事項であり、二人の意見具申が通るものでもない。
「それに、その資材がない」
「突入機のこと? 他の飛行隊からAC17を回してもらうことは無理?」
「この作戦は突入から回収まですべてドールズ独力でやる。そういうことだ」
「それって、ハーディが決め……」
「命令だ」
「誰の命令よ、フェイ」
「ドールズに下った、命令だ」
 こういわれてしまっては、ナミも引き下がらざるをえなかった。
 ヤオの方も、宥めるような語調に転じた。
「たしかにベストメンバーとはいえないかもしれないけど、要求されている任務だってそれほど難しいものじゃない。心配しなくていい。ナミが爆破作業している間のサポートは何があってもやってやるから」
「そうね、それはお願いするわ」
 少なくとも作戦目標達成の成否はその一点にかかっている。これは二人とも、議論するまでもなく承知していた。
 ジアスの守備隊がよほど単純な警戒陣を敷いているというならともかく、爆破以前に目標地点周辺の完全な掃討など望めないし、そのような時間も許されない。南橋を落としてその南岸に退避することではじめて敵補給基地からの追撃を遮断できるのだから、いわば爆破作業は鋏の片刃である。無理を押して同時に二つの刃を当てないかぎり、切れるものも切れなくなる。
 結局のところナミの懸念は鋏のもう一つの刃、制圧火力、それにつきた。
 ヤオ個人が傑出した技量の持ち主であるとはわかっていても、なお不安は消せなかった。ジュリア、アリス、セルマ、この三人すべてを外した編成など、ナミの記憶する限りサンサルバドル防衛戦くらいしかない。
「でも……」
 不安がそうさせたのだろうか、ナミの口からある名が出た。
「今になって思うわ。ファンがいてくれたら……」
 ヤオの声が激したのはその瞬間だった。
「おい、ナミ! 私にその名前を聞かせるな! 気分悪くなる」
「……あきれた。まだ気にしてるの」
「気にせずにいられるかっ! あいつはな、うしろ弾撃ちやがった。あんなやつがドールズにいて一緒に戦っていたと思うだけで反吐が出る」
「うしろ弾って……、たしかにライザにロックオンしたのは許せないけど、でもトリガー引いてはいなかったんでしょ」
「同じことじゃないか。あいつは敵が怖くて自分の命惜しさにやってはいけないことをやらかしたんだ。あいつこそ卑怯者で臆病者だ」
「フェイ……」
 かつて共に戦った者に対してヤオの口から立て続けに放たれる悪罵を、ナミは複雑な思いで聞いた。
 ナミ自身は出撃しなかったが、サンサルバドルの戦いの経過は充分すぎるほど知っている。そこで起きてしまった、戦友に照準をあわせたというファン・クァンメイの行為自体は、いくら指揮下にあったライザの突出を制止しようとしてであるとはいえ、ナミも許す気にはなれない。
 だが、それを怯懦ゆえと切り捨てることもまたできなかった。ドールズを去ったのちも、ファンは海兵第一旅団の装甲歩兵部隊に属して今も第一線で戦い続けているという。空挺降下や敵前渡河も行う、損耗の決して低くない部隊である。軍総省直属ということで装備の面で優遇されているドールズに比べれば、より苛酷な条件であるとさえいえる。
 とはいえ、そのことを目の前の戦友に指摘する気にはなれなかった。そのあまりの激し方は、何をいっても誤解されるとナミを諦めさせていた。

 ハンガーの中では、出撃時刻が迫るにつれて喧騒も大きくなり、突入機AC17のもとに兵装のセットアップが終了したローダーが運ばれる段階になっていた。
 AC17、そして原形となったAC15についてもいえることだが、外観は通常の単座全天候攻撃機とそれほど変わらない。基本的にはそのスケールアップである。だから、比較対象物が周りにないと、ついその大きさを誤解しがちである。
 もっともミノルは、初めて目にした時のAC17は屋外に駐機されていた状態ではあったが、その風防がひどく小さく見えたことで逆にその全体の大きさを正しく把握した。
 電磁波吸収剤を含んだ灰色の塗装を施されたAC17が二機と一機、互い違いになるようにハンガーの中で並んでいる。
 おっきいな……。
 わかってはいても、見るたびに、ミノルは驚きが湧き上がるのを止められない。
 特に今はAC17のすぐ側に、肩にキャノンを装備したローダーがたたずんでいる。間近で見れば見上げるような大きさであるローダーを二機、横たわった姿勢でとはいえ胴体下に二つあるカーゴベイに積み込み離陸可能なAC17。遠目にもその威容はしっかりと伝わった。
 戦技班の一員であった頃、ミノルはACシリーズとは兄弟ともいうべきXF16に乗っていた。こちらはパワーローダー輸送という変種ではなく、格闘戦能力という本来の方向への進化を目指した機体だった。もっとも、武装の搭載量や運用コストまで含めた総合評価では現行の制式戦闘機F230シリーズを上回る結果を出せず、いまだ試験機にとどまっている。
 ミノルの属していたチームに課せられていたのは、XF16の旋回性能の実証だった。大仰角で失速状態とさせてからの任意の方向への急旋回、その実用限界を実機試験で探るというものであった。
 ベイルアウト寸前という事態もそのあいだには経験したが、XF16の自在な機動はミノルにとっては素晴らしいものに思えた。鳥というよりも、まるで蝶のような気分になれるのだから。
 だから、AC17にも、同じようなことを考えてしまう。
 ついさきほど、ナッツをはさんで語り合っていたエリオラからも笑われたばかりだった。
「ええっ、じゃあ、AC17って縦ループ出来ないんですか?」
「出来ないとはいわないけれど……」エリオラは苦笑した。「積み荷が大変なことになるわよ」
「積み荷?」
「あなたたちのこと」
 ようやくミノルも納得し、赤面。
「実際、満載状態でも垂直上昇可能なだけの推力比はあるけど、それはドッグファイトするためじゃなくって、あくまでローダーを降下させるために使うのよ。あとは、敵を振り切るためね」
「そうですか? でも、平面形は似てますから」
「あなたがデモしてたっていうXF16? あれと比べないでよ。大きさ以前に重心位置がまるっきり違うのよ」
「そ、そうでした。考えてみれば。なにいってんでしょう、わたしったら」
 ますます縮こまるミノル。
 一方、エリオラの表情にはかげりがさした。
 サンサルバドル防衛戦ではローダーを降下させ帰投中のAC17二機が、インターセプトに上がったジアスのFK17C戦闘機四機との交戦を強いられた。結果は、リサの乗っていた機体は撃墜され、セシルが辛うじて逃げ切り胴体着陸というものであった。胴体着陸であるから、下部のカーゴは防弾装甲ごとひしゃげた。二機とも喪失し、リサはMIAである。
 リサやセシルの空戦技量を知っているエリオラにすれば、これは残念でならなかった。機体がF231であれば、二対四のハンディなど楽に跳ね返していたはずなのだから。
「ACってのはね、あくまで輸送機……。行って、降ろして、帰ってくる以上のことさせちゃいけないのよ……」
 とはいえ、ミノルにはなかなかXF16でのイメージが消えない。
「だけど、推力比はすごくあるんですよね。下に積んでない時の一万フィート上昇時間は、たしかF231より短いんじゃありませんでしたか?」
「それはね。まあ、輸送機としては無意味な記録だけど」
「加速性能もいいんじゃないですか?」
「たしかにね」
「特にダイヴの時なんか」
「どうだろう。少なくとも積んでは試していない」
「なんでです?」
「あなたねえ」今度はエリオラは声を立てて笑った。「そんなにお望みならやってみせましょうか、アヤセ中尉? あなたの乗ったX4積んでる時にでも」
「あ……」ようやくミノルは、いつしか自分がX4でなくAC17を操るつもりで話していたことに気付いて、これ以上ないほどに顔を赤らめた。「え、遠慮いたしますです……」


 最終ブリーフィングは基本的に出撃メンバー間で行われる。
 甘党大尉の姿は見えなかった。つまり彼女は安心してナッツを食べていられるというわけである。
 それはともかく、出撃メンバー以外では部隊司令であるハーディと、作戦立案者としてのセルマ・シェーレ大尉がブリーフィングに出席していた。セルマは、外見上はホルダン戦で一時行方不明となった際の衰弱は治ったかに見えるが、四肢の神経反射速度がローダー搭乗規定値に達するまで回復しておらず、それが今回の作戦から外される原因となっていた。
「確認しよう。突入方位は040」
 ブリーフィングルームでは、再びハーディが、映し出された地図の前にいた。
 ハーディの右手は地図左下から右上、南西から東北方向へ走り、橋梁の手前で止まる。
「南橋南岸でローダーを降下させること。その後は反転離脱。離脱方位は180」
 右手を地図上、橋梁からまっすぐ下へおろしたハーディは、AC17の搭乗員三名を見渡す。セシル・フェリクス少佐、マリー・エシコル大尉が静かに頷く。
 だが、エリオラは、質問を返した。
「SAMについて、追加情報は?」
「すまない。最大二個中隊ということしか、今のところ情報はない」
「そう……」
「このエリアについての確認は出来ませんでしたが」と、セルマ。「彼らが自走対空車輌M3AAで構成される部隊を配置する場合、SAM装備とAAA装備とをほぼ同率とする傾向があります。最近一ヶ月の全戦線での戦訓です」
「ありがと、セルマ」
 エリオラは、固い表情のまま、軽く頷いた。
「続いて、南岸に展開したシルバーフォックス」南橋を中心に地図を拡大し、そこに降下したローダーを示す六つの輝点を加えるハーディ。「可及的速やかに南岸を制圧せよ」
 ヤオはそれを具体的に補足した。「いいね、二分で決めるよ」
 エリィ・スノウ特務軍曹、ジュリィ・レイバーグ曹長、ハンナ・ウィンクラー曹長、いずれも強い決意をたたえた視線をハーディ、ヤオに返す。
 ミノルも同様の意気込みを示す。が、ごくりと唾を飲みこむ音も漏らしてしまい、それがヤオの失笑を買い、同時に場の緊張をほぐした。
「おいおい、今から気張ってなくてもいいって」
「は、はい」
 ヤオに肩を叩かれ、ミノルは少し赤くなった。
「南岸制圧後」ハーディの声もいくぶん柔らかくなる。「タカス中佐は」輝点の一つが橋梁上に前進。「爆破作業を敢行」それを見つめるナミの眼差しが少し厳しさを増した。
 ハーディは続けた。
「残る各員は北岸の敵に対する牽制につとめること」
 五つの輝点が川に平行に並んだ。
「作業が完了しタカス中佐が南岸に戻り次第、南橋を落とせ。これで敵の追撃のおそれもなくなる。その後、シルバーフォックスは南岸東方の台地、ポイントデルタへ向かい、ヴァリトを待て。ただし、そこまでの間に対空兵器が存在した場合は積極的に会敵、無力化すること」
「お願いしますね」
 おどけたように頭を下げるメリサ・ラザフォード中尉。彼女の操るティルトローター機VLC2ヴァリトでは二十ミリクラスの弾頭に耐えるのがせいぜいで、対空ミサイルが直撃すれば撃墜は免れない。だが橋梁から距離をとった所にさらに対空車輌群が控えているようでは、そもそも橋梁爆破を試みる段階でシルバーフォックスは全滅している。
 もっとも、メリサの邪気のない微笑は、そこまで彼女が不吉な可能性を検討したのではないことを示していた。
 憂色というならば、それはむしろナミの方にあった。
「重点はどこかしらね……」
「重点とは、橋梁の構造上のことですか? タカス中佐」
「ん、そうじゃなくてね、セルマ。北岸の敵。道路にのこのこ並んでくれてるってことはないでしょうけど、なら東の分流点か、それとも西側の高地なのかなっていう……」
「そこまで詳しい配置は残念ながら不明です。ただ、移動が頻繁であるという敵情は得ています」
「移動?」
「衛星通過のサイクルよりもさらに短い時間間隔で全ての熱源がランダムに移動しているとのことです。そのため把握した敵情の精度も二個中隊程度ということにとどまっているようです」
「うちらの情報部じゃこんなもんよ。ウソよりまし」笑い飛ばすヤオ。主にホルダン戦に参加した者たちが、つられて歪んだ笑いを浮かべた。
「他に不明な点はないでしょうか」と、セルマが出席者全員に順に視線を向ける。
 発言はなかった。
 最後はハーディだった。
「これより作戦ワイアーカッターを開始する。各員、ベストをつくせ」

 汎用輸送機C559と異なり、AC17の左右のカーゴは、それぞれパワーローダー一機分に特化されている。
 つまりまったく余分の空間はない。ローダー搭乗員にとってはローダーに乗り込んだ上で、さらに機体ごとAC17に積み込まれることになる。エリオラら三人の航空要員にさきがけ、六人のローダー搭乗員がそれぞれの機体へと向かう。
 ミノルは、同じAC17で運ばれるナミの後を追い、手袋をはめヘッドギアをかぶりながら声をかけた。
「タカス中佐」
 そこに不安を聞き取ってしまったナミは、あえて笑った。
「どうしたの? 歯は磨いた? トイレは済ませた?」
 たしかに薬を使ってまで膀胱にたまっているものは取り除いたが、ミノルの確かめたいのはそんなことではない。
「シェーレ大尉の、いってたことなんですけど」
「セルマがどうかしたの?」
「なんだかちょっと冷たくありません?」
「あれで気を使ってるのよ」ナミは肩をすくめて応じる。「特に今度は、彼女居残りだから」
「そうなんですか?」
「嘘よりましってヤオがいってたでしょう。セルマはセルマで情報の確度を自分で分析してくれたのよ。事実と推測とを分けて伝えてくれたことは、別に冷たいからじゃないわ。そこらへん曖昧にしたままで励まされても、かえって悪い結果しか生まないものよ」
「はあ……」
「それよりアヤセ中尉。掩護、頼むわよ」
「あ、はいっ」
 略礼をして、乗機であるX4、シルバーフォックス六番機のタラップへと取りつくミノル。
 その後ろ姿を、ナミはしばらく立ち止まって見やった。はたして不安を取り除いてやれただろうか。
 隊員の士気を適度な状態に保つということが部隊長の役目の一つであるなら、ナミはそこでハーディやヤオに対する隔たりを自覚していた。独立戦役期、ハーディは敵だけでなく装甲歩兵に無理解な友軍からも、自分たちを護ってくれていた。代々の軍人で生まれながらの指揮官気質ともいうべきものを備えているヤオは、出撃前に気のきいた言葉を一つかけるにしても自然にやってのけている。どちらも技術者あがりの自分にすれば無理なことなのだろう。
 そして、それでいいと、ナミは感じていた。階級、先任の順でいけばヤオの次にあたる位置にいるとはいえ、なにもかもをヤオに倣う必要もないはず、違う部分を出していけばいい、そう思っていた。
 六機のローダーは、ハンナ・ウィンクラーの四番機が索敵型X4Rである他は全てX4。
 兵装は、片方の肩に百五ミリ砲、もう片方に対戦車ミサイルポッドかあるいは弾幕用のガトリンク砲、両腕にはサブマシンガンとグレネードランチャー。まず、標準的な装備といえる。ただし作業担当のナミの五番機は、両腕の装備をはじめから外してある。
 ナミは膝をついた姿勢でいるX4の胸部へつづくタラップを駆け上った。
 そして、コクピットにもぐりこんだ時に、ヤオへの軽い嫉妬だった感情は、かつて自分と同じくヤオに次ぐ立場にあったある人物へと重なっていった。
 海兵中佐ファン・クァンメイ。
 ドールズとしての最後の戦場で、ハーディの影を、ヤオの影を、彼女も見ていたのだろうか。
 サンサルバドル市北方丘陵の単調な地形、そこで軍団規模の敵の側面に一個小隊でまわっての牽制。これからのぞむ戦いを楽観していなかったナミだが、サンサルバドル防衛戦でドールズ分遣隊の乗り越えなければならなかった困難がそれとは比べられないほど大きいものであったことは認めざるを得ない。
 ヤオがいいがかりじみた嫌疑で査問にかけられていた時、本来はナミが分遣隊を率いるべきところを代わりにサンサルバドルへ赴きその辛酸を舐めたのは、今はもうドールズを離れているファン。
 査問など、敗れたところで軍人としての評価を左右するものでしかない。だが、死地ともいえる戦場に部隊を率いる重圧はどうだろう。ナミとて独立戦役を戦い抜く中で、それに近い経験はしてきた。
 しかし、任務完遂のために、あるいは部隊の自壊を防ぐために、戦友をロックオンしてまで制止しなければならなくなるという状況は、いまだ知らない。はたして自分にそんなことができるのか。ナミにはまったく自信がなかった。
 そしてヤオがどうするかなど、つい数時間前のファンへの罵倒を思い出すまでもなくナミにはよくわかっていた。戦友を止める代わりに自ら敵のただなかに突入するに違いない。
「ヤオの真似はできないわね……」
「どうしたの、ナミ。またヤオが何かやらかした?」
「ん、ごめんね、エル。なんでもない」よくよく手元をみれば親機AC17への回線を開いていたことに気付いてナミは苦笑した。ふぅと短く息をついでから計器の目視チェックを終える。「メカニック、こちらシルバー05。オールクリア、乗っけてちょうだい」
 AC17からの降下時にはX4と共に後方に射出されるパレットシートの上にX4を仰臥させ、整備員に合図を送る。待機していた牽引車はX4をシートごと填め込むように、AC17のカーゴゲートに押し込んでいく。軽い衝撃と前後してナミの視界を覆うHUDに新たな表示が加わり、X4がAC17に抱えられたことを告げていた。ここから降下までは、生きるも死ぬも親鳥AC17にゆだねられる。
「フォックスバード1、こちらシルバー05、搬入完了」
 AC17一番機のコクピットにいるエリオラから短い復唱があった後、それほど間を置かずにナミは小さな揺れを感じた。AC17が滑走路へのタキシングを開始していた。ミノルの六番機は先に詰め込まれていたらしい。
 しばらく左右の揺れが続き、止んだ。ナミは軽く身構えた。AC17が離陸速度を得るためにフルミリタリーの咆哮をその二つのエンジンから轟かせているあいだの乗り心地は、お世辞にもいいとはいえない。
 ナミは目を閉じた。
 瞼には、見たことのないはずのホルダンの隘路が、これから降り立つユーロ山系の無名橋梁周辺の地形が、薄靄のように浮かび上がっていた。


 管制機からフォックスバード飛行小隊に通信が入った。
 もっとも、通信というよりは放送といった方がいいかもしれない。これは広大なエリアを任される管制機にすれば、毎分毎秒ごとに無数の指揮下の飛行隊に一方的に投げる連絡の一つに過ぎなかった。
 とはいえエリオラたちにとっては作戦続行か中止かを決める最後の判断材料である。敵影なし、電波妨害機との合同に支障なし、を意味するその内容に、エリオラは短く安堵の息を漏らした。
 作戦は続行される。
「バード2、バード3。増槽投棄、侵入隊形をとれ」
 隊列を組んでいるあいだ、僚機との通信は傍受を避けるために光学通信が用いられる。機首に九十度間隔で四つ備わっているレーザー送受信機が明滅、同じくレーザー光のパルスによって復唱が伝えられると同時にドロップタンクを捨てたバード2、バード3がやや先行、3から1の順で右後ろ下方へと並ぶ。バード2、バード3のパワーローダーを積んだ脆弱な脇腹が、エリオラのバード1の上方視界に入ってくる。
 イヤーレシーバーからの通電音がわずかに音程を変えた。電波妨害機を中心に広がり束の間フォックスバードを覆う電子の傘の存在を、パッシヴレーダーの一つが聞き分けていた。
「バード2、バード3。方位040、高度五千、レディ……」
 妨害電波の出力が急上昇。
「ナウ」
 それと同時に六十度の右旋回。ここまでの欺瞞進路から機首を本来の目標への方位040へ向けた三機は、侵入路である高度五千フィートへの緩降下を揃って開始。対地高度は千五百を切るので、これ以上の下方への回避の余地はなくなる。
 望まない、しかし覚悟しなければならない対空ミサイルのロック警報を、エリオラら三人は耳をそばだてて待っていた。
 最初のそれは短かった。掃空UHFレーダーが機体を一舐め、一瞬だった。
「アフターバーナー」
 残り五十マイル、エリオラのコールにあわせてフォックスバード三機はなりふり構わず速度を上げた。これだけ対地高度が低ければ、赤外線ホーミングの的となる再燃焼熱をともなうアフターバーナーによる加速も大きなメリットをもたらす。低高度での高速侵入は対空ミサイルにとって大角度の旋回を強いることになり、とくに短射程のミサイルなら、一度やり過ごせばそれで回避したことになる。
 最大掃空半径五十マイルの対空警戒システムなど怖れることはない。
 空を駆け抜けるだけであれば。
 エリオラは、自らのAC17に積まれているナミ、ミノルだけでなく、全隊員にその事実を告げた。
「バード1よりシルバーフォックス各機、SAMは短射程中心の模様、注意されたし」
 ローダーの中にいる六人は一様に顔をこわばらせた。戦闘機ならなんなく振り切れる短射程対空ミサイルこそ降下時のパワーローダーとその親機にとって最大の脅威といえる。
 ロックレーダーを探知したバード3がチャフを撒布。そして機首を下げる。「バード3、アプローチ」そのマリーの声がどこか上擦っている。エリオラは機首カメラの映像を確認。橋を目視。その手前の開豁地が降下目標地点。「バード2、アプローチ」セシルが続く。レーダースクリーンに輝点が続々と浮かび上がる。ひとつ、ふたつ、みっつ……。
 エリオラは輝点を数えた。目覚めている対空ミサイルはその数、十一。既に耳元ではロック警報がアンサンブルを奏でていた。
「バード1、アプローチ。ナミ、ミノル、ちょっとばかり揺れるぞっ」

 揺れなんていいからわたしにスティック握らせてえっ、為す術なく荷物となりはてているミノルの想いはそれにつきた。
 ナミの中ではブリーフィングの際の疑問が再び湧き上がっていた。敵の配置は。
 頻繁な移動、という回答があった。ならばそれが意味するところは何か。M3AA、歩兵戦闘車の車体を流用した自走対空車輌、その走破能力が高いとはいえあのような険しい地形でそうやすやすと動けるものだろうか。
 繰り返し地図で目にした橋梁周辺の地形を思い出すナミ。開けているのは南橋南岸のあたりだけであとはほとんどが急斜面。南北の橋をつなぐ道路もすぐ側にまで傾斜が迫っている。川岸などは岸壁といってもいい。そんな場所で運用するというのなら……。
「PLD……」
 パワーローダーにとって難所の踏破はそれこそお手の物、短射程ミサイルなら肩部ハードポイントにも積める……。
 推測は新たな揺れで中断を余儀なくされた。降下体勢に入ったAC17が激しくバンク。降下前の最終加速。エリオラからのコール。「シルバー05、06、降下、レディ……」機首が上がる。強烈なG。直後に来るであろう降下の合図に身構えるナミ。しかしおとずれたのは予想もしない方向の衝撃だった。
「被弾! こちらバード1、一発くらった!」
「エル、無理しないで降ろして!」
「川の上だ! もう一度トライする!」
 わたしにそうじゅうさせてええぇっ、奥歯の鳴ってしまっているミノルの想いは言葉にならない。
 バード2、バード3からは合わせて四機のローダーが既に解き放たれていた。しかしそれもナミの機体に収納されている工作用の爆薬がなければ何の意味もない。エリオラとしては、なんとしても翼下のローダーを所定の位置に降下させなければならなかった。チャフとフレアを後に残しながらバード1は川をパス。そして旋回。同時にエリオラはHUDの中に嫌なものを見た。右翼構造体強度低下というコンピューターの自己診断結果。かまうものかと旋回する。撃墜されては元も子もない。
 再び降下目標地点を軸線に捕らえる。「バード1、アプローチ」ロック警報がけたたましく鳴り響く中、必死にラダーを操り機体を揺らす。右エンジンがじりじりと温度上昇。おねがい、あと十秒。「シルバー05、06、降下……」ロック警報のトーンが高まる。自分を追うミサイルが既に放たれている。それも複数。だがもはや回避行動はとれない。フレアを立て続けに撒く。あと五秒、四秒……。「レディ……」再び機首をもたげ、限界まで出力を上昇。「ナウ!」

 バード2、バード3離脱後も残っていたバード1に対し、ジアスの守備隊は十一すべての対空ミサイルの狙いをつけていた。
 そのうち妨害電波によってロックオン出来なかったものを除き八つの対空ミサイルがバード1を追尾。そして二発はフレアの中に突っ込み爆発した。
 残り六発、その六つのシーカーヘッドは目標が三つに分裂したことをとらえた。
 ミサイルの一つはこの変化に追随できずに迷走、あらぬ方へと飛び去った。一つは分裂した目標のうち二つの小目標、降下中のパワーローダーに照準を合わせ、その二つのあいだの空間を突き抜けたすえ、地上に激突して散った。
 残り四発が上方へと向かう目標、バード1を追った。
 バード1から撒かれるチャフとフレアに惑わされたものはそのうちの一発。三発が激しく回避運動をとるバード1の機動に最後の瞬間まで追随し、ほとんど間を置かずにそのすべてが右翼に突き刺さった。単独のミサイルならばその弾頭の爆発を余裕をもって防いでいるはずのAC17の装甲翼も、複合衝撃を受けて根元から引き千切られていた。
「イジェクト! イジェクト! イジェクト!」

「フォックスバード2よりヒドラウィング、シルバーフォックス全機降下完了。バード1は降下目標付近で被弾、脱出を確認。バード2、バード3はこれより帰投する」
 進路180、基地へと向かうフォックスバードはその数を一つ減らしていた。管制機への送信を終えたセシルは、すぐ横を飛ぶマリーのバード3を見やった。
 AC17のグレーのペイントは、何も語ってくれなかった。


 既に戦闘に入っていたヤオ以下四名は戦場の東方、上流にあたる方角の空に広がる爆発の火焔を歯軋りしながら確認した。
 しかしその直前、バード1からパイロットだけでなく二機のローダーも飛び出したことも確認していた。ワイアーカッター作戦はその成功の可能性を辛うじて残していた。ならば退くわけにはいかない。まだ。
「シルバーリードより各機、AFVを蹴散らすぞっ」
 少なくともヤオの指示は、敗将のそれではない。

 晴れた……。
 と、ミノルは感じた。外の見えない籠から、大空へと飛び立つ雛鳥。それはまるで、XF16の操縦棹を握っていて、急角度で雲を突き抜けた時のよう。ただし、体にかかるGはまったく違う。
 AC17より乗機X4が放たれると、わずかに遅れてGの向きが大きく変わった。どんな精巧なシミュレーターでも、この胃のよじれ具合は再現できない。戦技班で嫌というほどやってきた反転垂直降下とも異なる、奇妙なGだった。その中で、まずは降下ユニットのコンディションを確認する。制動がきかなければ空しく地面と激突するだけだが、幸い警告の表示はない。
 自らが放つフレアによって、IRセンサは効力を減じていた。それでなくとも降下中の下方視界は極端に狭いが、警戒を怠るわけにはいかない。対空砲火は明らかに自分に狙いを移してきており、周りをぞっとするような速さで排気煙を引きながらミサイルが駆け上っている。
 対地高度八百フィート、急制動をかけるとジェット噴流でさらに下方視界は悪化し、胃のよじれはまた向きを変えた。ここからの十秒間は実質的に神頼み……、五、四、三、二、一。
「シルバー06、タッチダウン!」
 アヤセ・ミノルの駆る六番機は着地した。降下中にやり過ごした対空ミサイルは四発。まずまずの幸運といえた。間髪入れずにヤオが叫ぶ。「シルバーリードよりシルバー06。05のカバーだ、急げ」

 ミノルと違い、ナミの幸運は降下の最後の段階で尽きた。つけ狙うミサイルこそすべてやり過ごすか撃ち落とすかしたものの、着地した足場が緩んでいた。
 通常なら降下ユニットが減速のため噴出するジェットによって融解した土壌はすぐに再凝固するのだが、着地直前まで二千度のジェットに吹き付けられていた土壌の成分がわずかに偏っていたためにローダーの重量を支えるまでに凝固が進んでいなかった。携えた爆薬を気遣うあまり、ぎりぎりまで降下ユニットを作動させ着地の衝撃を少なくしようとしていたナミの操作が、かえってあだになったといえる。
 予期していた衝撃はともかく、それに続く予想外の傾斜にナミは慌てた。コンディションを確認、右脚部が踵の上まで埋没しているとの自己診断。姿勢を立て直す。その瞬間、ガラス状になって付着していた土壌が関節部に想定外の負荷をかけた。警告の表示がHUDに加わる。なんてこと。戦場に降り立ったナミの第一声は苦渋に歪んだ。
「シルバー05よりシルバーリード、降下完了、右脚部第三アクチュエーターにトラブル、速度が出せない」
「シルバーリードよりシルバー05、現状維持、焦るな、そちらに06が向かってる」
 ナミは右脚の状態を喚きたてる警告表示を苛立たしくディスプレイから追いやり、四番機からのサーチ情報を自機の射撃管制システムとリンクさせた。ミスを悔やんでいるひまはない。敵は、敵の配置は……。
「いない?」
 南岸に既に敵はいなかった。
 ジアス守備隊が南橋南岸に部隊を配置していなかったというのは事実と異なる。ナミが降下した時には、結果的に先行していたヤオたちの手で歩兵戦闘車からなる小部隊は撃破されるか、北岸に退避していた。
 しかし、それは事態の好転を意味しなかった。
 南橋北岸のサーチを見てナミは息をのんだ。そこの敵は橋を渡ろうとせず、ヤオたちの有効射程すぐ外側で窪地を利用しつつ移動していた。これでは手出しはできず、しかも爆破作業を強行しようと前進すれば、敵にとっては有効射程に入ってきてくれる的ということになる。そして橋梁上では回避の余地がない。
 結論は一つしかなかった。オムニ空挺部隊の目標が橋の破壊であることをジアス守備隊は見抜いている。奇襲の利は既に過半が失われてしまっている。
「なんてこと……」

 最大十五Gのかかる射出座席で虚空へと投げ出されている間は平衡感覚どころではなく、ばさりと音を立ててパラシュートが開くまで、エリオラはどちらが上下かすらつかめなかった。
 上、とわかる方を見上げる。パラシュートは無事開いていた。同時に痛みにも気付いた。右肩だ。脱臼らしい。出血がないのは幸いか。ただ、自分が幸運であると認めるには程遠い心境だった。撃墜されたことばかりではない。眼下に広がりつつあるのは荒涼とした未開の岩山と深く刻まれた峡谷、そしてそこを流れる川だった。
 墜死と溺死、どちらも願い下げだった。エリオラは動かせる左手で、脛にまいたバンドについているはずのナイフを探った。水泳を強いられるならパラシュートは邪魔になる。水に浸かった直後に切らねばならない。
 エリオラの体は垂直方向を軸にゆっくりと回転していた。下流、降下目標地点が、視界を右から左へと流れていった。そこに立ち昇る黒煙の下で焼けているものは何か、ジアス守備隊の対空車輌か、それともドールズの機体なのか、パラシュートで吊られているだけの無力なパイロットに確かめる術はなかった。


「06より05、掩護します。歩行可能ですか」
 ミノルのX4、六番機が間近に来ていた。
「ネンザだね。最大速度130%ってところ。06、補助はいいわ、周辺警戒おねがい」
「了解」
 何度かナミは試みたが、右脚部のトラブルの自己修復はできなかった。降下中に装甲が離脱し、その内側が直接ダメージを受けたのかもしれない。戦場では往々にしてまさかというような事故が重なってしまう。
 だが、エラーを許容しなければならないことを認めないほどナミは愚かな技術者ではないし、兵士としては後悔する前にやらねばならないことがある。
 電源部や人工筋肉にダメージはなかった。関節部の不調は歩行AIのサポートレンジを過大に再設定してバランス補償させればいい。全速を出さない限り、これで間に合うはず。
 五番機、六番機の着地点は橋梁の東南にそれていた。作戦を続行するにしろ撤退するにしろ、橋の手前にいるヤオらとまずは合流しなければならない。
 ミノルはナミの北側に回った。川、つまり敵に面する方角である。
 進路上、やや外れた場所に土煙が上がる。重砲ではなくキャノンだった。弾道解析結果は不様な山なり。射程外の威嚇に過ぎない。ミノルが咄嗟に撃ち返すが、これも同様、効力射にはならないだろう。ナミは歩行AIの機嫌を宥めるようにそろそろと速度を上げた。

 奇妙な静寂が戦場を覆っていた。
 双方、橋をはさんで対峙し、時折狙いを定めない牽制射撃が飛ぶのみ。ジアス守備隊のM3AA三輌が火焔を吹き上げているが、そこにいるのは既に死者だけだった。そしてこれを静寂と称してしまえるのが戦場である。
 その中で、五番機六番機は本隊と合流した。ナミが光学通信を開く。
「シルバー05よりシルバーリード」
「シルバーリード」
「05、06はこれより右翼につく。状況は、どう?」
 四番機によるサーチは既に全機にリンクされている。ナミが求めたのはそれに対するヤオの判断だった。
「悪いな、敵が動いてくれないことには手が出せない」
「フェイ」コールサインでなく名で呼んだナミは、AC17で運ばれていたあいだに思い至った可能性を話した。「北岸の守備隊はパワーローダーかもしれない。短SAMなら肩に積めるし」
「ローダーだって……」
「頻繁な移動っていうのも、その方が辻褄が合うわ」
 サーチの結果は車輌の熱源パターンしか示されていない。
「シルバーリードよりシルバー04」
「シルバー04」
「アクティヴサーチを許可する。一発デカいのかませ」
「了解」
 ハンナ・ウィンクラーの乗る四番機、索敵型X4Rの対地レーダー波が、一秒に満たない間ではあったが大出力で発振された。発振終了後、ただちに六機全機が隊形を保ったまま移動。対レーダー波ミサイルに備える。来た。五発。終末誘導は自律式らしくローダーの移動した先を探り当て正しく指向。ドールズの六機も緊密な弾幕を張って全弾を叩き落とす。
 その間に解析されたサーチ結果が各自のディスプレイに表示されていた。いくらか新たなシグナルもあったが、いずれもパワーローダーを意味するものではなかった。しかしナミはそこに手がかりを掴んだ。
 ハンナも気付いたのか、上擦った声をあげた。「変です。赤外線とレーダーで距離が違ってます」
「05より04、視認できる目標だけでいいから、距離を光学距離で設定して赤外線とレーダーの反射断面積を逆算して」
「は、はい」
 X4では火器管制に多くを割かれてあまり余裕のない戦術コンピューターも、X4Rならばある程度の自由がきく。ハンナはナミの指示通りの計算を実行した。
 結果はすぐに出た。
「なっ、なにこれ、ばらばらです、全部食い違っちゃってる、一体どういう」
 送られてきた計算結果に、ナミは一つの答えを出した。歓迎すべからざるものだったが。
「シルバー05よりシルバーリード」
「……シルバーリード」
「訂正するわ。ローダーかAFVかはわからない。でもAFVと映っているパターンは全て偽装。少なくともその可能性がある」
「どういうことだ。そんなことが、出来るのか」
「フェイ、これは推測だけど」ナミはメインカメラを橋梁へと向けた。視認は出来ないものの、南橋の奥には北橋、そしてその対岸には補給基地があるはずである。「敵の補給品の中に、このカモフラージュを可能にする装置が……」

「シルバーリードよりシルバーフォックス各機」
 逡巡は三十秒ほども続いただろうか。
 ヤオは断を下していた。
「部隊を分ける。第一分隊、私の指揮下に02、03、04。フォーメーション変更、縦陣とする。03、私の左後方につけ。その後方、02、04の順だ。第二分隊は05、06。ナミ、お前が指揮をとれ」
 ヤオの指示にそれぞれ復唱が返る。ただ、ナミを除いて。
「ちょっと、フェイ。何をする気」
「05、爆破作業は何分で終わる」
「まさか、橋を渡るつもりじゃ」
「何分だ、答えろ」
「……三対の支柱全て破壊しなければならないから、一対に四分として十二分」
「よしわかった。シルバーリードよりシルバーフォックス第一分隊、これより渡河、対岸を十二分間制圧、第二分隊の橋梁爆破作業を掩護する」

 川に沈んだエリオラは、したたか水を飲んでしまった。
 むせ返りながらも必死に足をばたつかせて顔を水面の上に。パラシュートをナイフで断ち切ると、ついで左腕もばたつかせて岸へと泳いだ。右は力が入らなかった。
 流れは速く、その中に突き出た岩の一つに叩きつけられる格好になったが、なんとかしがみつく。そこから岸へは岩伝いに行けた。
 あえぎながら川から上がると、そのままエリオラはへたり込んだ。
 眼前の流れは右から左へと流れていた。
 夢中で泳ぎ着いたのは川の南岸だった。降下したシルバーフォックス隊が回収ヘリと合同するポイントデルタに続く岸である。
 耐Gスーツから水を滴らせながら立ち上がったエリオラは、背後を振り、絶壁ともいえる傾斜を確認した。
 帰還の可能性であるところのポイントデルタにたどり着くには、この壁を登攀しなければならない。
 右肩がうずいた。
 下流からは砲声が続いていた。
 まだ橋は落ちていない。耐Gスーツのポケットに入っている救難シグナル発振機を作動させるわけには行かなかった。


 四番機、今度は強指向性の地形捜索レーダーを発振。橋まで一キロ弱の区間の情報を十センチメッシュで読み取ると、シルバーフォックス六機すべての機動管制システムに刷り込ませた。続いてスモーク。可視光だけでなく赤外線をさえぎり、また電波に対しても反射率の高い微粒子がシルバーフォックスをおおった。
「行くぞ」
 煙幕は橋の方へ流れた。いや、延びていった。煙の中を疾駆するX4から進行方向へ続々と煙幕弾が放たれた。
 対岸の敵も拱手しなかった。無照準ではあるが、複数の火点からキャノンが撃たれた。炸裂する榴弾はほとんど地面に穴を空けるだけだったが、それでも数が重なるうちに至近弾があった。
「こちら02、右マニュピレーターにトラブル」
「02、左へ周れ、遅れるな」
 なおも駆けた。橋に取りついた時には、二番機は右マニュピレーターのサブマシンガンを放棄せざるをえなかった。ヤオの一番機からして装甲のダメージはかなりのものだった。だが、止まるわけにはいかない。
「第一分隊、突入!」
 先頭は、ヤオ。四機は橋を渡った。
 その後方、ナミは確信した。橋に地雷すらない。敵はこちらに橋を渡らせた上で各個撃破に持ち込もうとしている。待ち受けているのはローダーだ。だが、北岸で敵を阻まねばならない以上、渡らざるをえない。ならば一機でも多く集中させなければ。
「シルバー05より各機、設置作業に入る。カウント、720」
 そしてミノルに命じた。
「05より06、ここはいいわ。ヤオたちを掩護して」

 シルバーフォックス全機のディスプレイに一つの数字が刻まれた。一秒ごとに減るその数字が尽きるまで、五番機以外の機体は北岸を退くわけにはいかない。残り七百。ミノルの六番機も橋を渡った。
「03、右後方!」
 二百メートルと離れていないだろう。敵味方不明のエコーに向けてミノルはキャノンをぶっ放した。着弾。バランスを崩して倒れ込んだのはジアスのローダー。三番機が慌てて反転してとどめを刺す。
「サンキュー、06」
 橋から北へ、道路一帯を濃密なスモークがおおっていた。ショートレンジのセンサー以外はまったく頼れない状況で彼我混交し、ドールズとしては、いわば刺し違えるような形になってしまっていた。戦力比を考えればまったくの下策、ただ時間を稼ぐためだけの捨て身の戦闘。
 至近弾。ミノルは前進を躊躇する。その直後、衝撃は右からやってきた。TS3C。TS3の近接戦闘強化型。
「ひっ」
 左脚を軸に右旋回、TS3Cのさらなる攻撃を躱す。正面に捉える。今だ。零距離でミノルはキャノンのトリガーを引いた。弾は出なかった。装填不良のアラートランプ。右腕をとられ引きずり倒されてしまう。勝ち誇るように振り上げられたTS3Cのマニュピレーターには、電撃機構の備わっていることを意味するスパークが光っていた。
 不様なミノルの操作が自らを救った。起き上がろうとばたつく右脚がTS3Cの脚に触れ、両者の位置がわずかに開いた。そしてミノルはじかにその音を聞いた。コクピットのすぐ外の空間をTS3Cのマニュピレーターが切り裂き、そのまま地面にめり込むその音を。
「ううああっ」
 起き上がるのはミノルのX4が先んじた。左肩のガトリンク砲を俯角いっぱいにして外しようのない距離で連射、TS3Cは沈黙した。
 息つくひまもなく背後に爆発が生じ、ミノルは機体を旋回させた。爆煙の中を崩れ落ちていくのはまた別のTS3C。
「借りは返したから、06」
 三番機、ジュリィ・レイバーグからの通信。
 礼を返そうとして、だが、ミノルにはその余裕が与えられなかった。別の熱源が接近してくる。
 ディスプレイの片隅に目を走らせる。残り三百秒。ミノルはスティックを握る手に力を込めた。

 爆弾を二個設置し、ナミは最後の一個にとりかかった。弾薬ポケットから取り出した、子供が入る棺桶ほどもある直方体のそれを支柱の基部に置き、上面のシャッターを開けると現れたパネルを端から順に操作してゆく。
 まず一つめ、これで爆弾ケース下面から速乾性の樹脂が流れ出す。あらかじめ下面には溝が刻み込んであり、溝を満たした樹脂が一分もすれば完全に凝固し、設置面との間で爆薬の自重以上の負荷に耐える接着剤となる。
 次、起爆信管と炸薬の連結。内部で信管を炸薬から隔てている耐振動の小ケースについているソケットと炸薬ケースにあるソケットを実際に結線する。この手間取る物理的作業があるからこそ、ローダーによる爆破工作は、作戦を立てる人間にとって信頼性のある手段とみなされていた。だが、無論その手間ゆえのトラブルもあった。そのトラブルは作戦を立てた者にではなく直接操作する者にだけ降りかかる。ナミはサブモニターに映る爆弾に神経を集中する。
 次、プロテクト。これは電子的なロックであるからプログラムを走らせるだけ。
 最後、物理的なロック。シャッターを閉じ、それを樹脂で封印する。
「シルバー05よりシルバーフォックス各機、作業完了」
 秒を刻んでいた数字はゼロで止まっていた。


 ナミからの待ちに待った報せ、つづいてヤオの「撤収」という命令、ミノルは大きく息をついた。二番機から最後のスモークが展開される。
「06、さがれ! はやく!」
 ヤオの声に弾かれたようにミノルは六番機を反転させた。
 途中、ガトリンク砲でしとめたTS3Cの横を過ぎた。
 ハッチが開いていた。
 零距離で乱射したというのに、相手パイロットは無事らしい。殺されかけ、殺そうとした人間が無事とわかって、ミノルは口惜しさや安堵を覚える前に困惑していた。そんなことってあるの?
 橋にさしかかると、煙に紛れた人影があった。他のドールズの隊員は無視していったらしいが、これがあのTS3Cに乗っていたジアスの兵士だろうか。ぼやけた人型の熱源像がミノルの心に残像となる。
「シルバー06よりシルバーリード、橋を渡りました」
 再渡河終了を申告するミノルの後ろから、ヤオの一番機が姿を現した。
「シルバーリードよりシルバーフォックス各機、そのままポイントデルタへ向かえ」
 南岸に再集結したドールズのうち、ナミの五番機以外はひどい有り様だった。ミノルの六番機に右肩のキャノン砲が欠けているのは自ら除装したためだが、エリィ・スノウの二番機は右腕自体が千切れている。一番機は格闘戦を繰り返したせいでか両手とも外装甲がめくれ上がり、マニュピレーターに持っていたはずのサブマシンガンが見当たらない。保持できなくなり捨てたのだろう。
「フェイ、無茶して」
「いうなよ、ナミ。それより橋を落としてくれ」
「了解」
 五番機から送られた起爆信号により、橋は轟然爆散した。AIにポイントデルタへの移動をまかせていたミノルは、背後のセンサーが読み取った振動からそれを知った。
 そして唐突に理解した。
 あの人間は、死んだ。
 橋のたもとの煙幕の中をさ迷っていた人間がこの瞬間に跡形もなく消し飛んだはずだということを唐突に理解した。理解しただけだった。何の感慨もわいてこなかった。早く帰りたい、それがせいぜいだった。無我夢中の戦いが終わってみると頭の中も心の中も真っ白になってしまっていた。

「第二分隊、デルタまで先行してくれ」
 ヤオの声から殺気じみたものが退いている。ワイアーカッター作戦の終結も近い。
「それと、バード1の撃墜地点がそこに近い。パラシュートか救難シグナルかがあるかもしれないから、注意してくれ」
「了解、第二分隊先行する」
 復唱すると、ナミはスピードを上げた。ミノルが続く。
 ヤオが橋の爆破を急いだ理由がナミにも納得できた。エリオラの捜索に費やす時間がほしかったからなのだ、そう思った。回収機の到着まで時間がないのもたしか。
「05より06、センサー生きてる?」
「こちら06、ショートレンジだけです。すみません」
「いいって。どうせそれ以外じゃ人間は探せないわ」
 ポイントデルタまではなだらかな上りの傾斜だった。単調な岩場で起伏があったとしてもせいぜい五十センチ程度、ローダーから見下ろすかぎり視界は開けていて障害物はない。パラシュートがあれば、すぐ見つかるはずだった。
 ナミが見つけたそれは、AC17の主翼端らしい破片だった。
 パイロットの脱出をヤオは確認したという。ならばこの辺りにいるはずだった。近づいてくるローダーに気付かないはずがない。生きているならば。
「エル……」
 岩場への降下、骨折で済めばいい方だ。
 最初に被弾した時に離脱していれば撃墜はされなかったろう。自分たちを橋梁付近に降下させるために再度敵上空を旋回したばかりに、当らずに済む対空ミサイルに当ってしまったのだ。この上、エリオラが死んだとあっては、ナミはとてもやりきれない。
「どこに……」
 それは同じくバード1に運ばれていたミノルにもいえた。何か、岩の褐色以外の色をモニターに認めるたびに、ミノルはX4をそこへ走らせた。わかったのはAC17の破片が広範囲に散らばっているというだけだった。
 やがてヤオたち第一分隊が合流、サーチ範囲の広いハンナのX4Rも捜索に加わった。回収機ヴァリトの到着まで数分というところで、ようやくX4Rが微弱なシグナルを捉えることに成功した。
「シルバー04よりシルバー05」
「05」
「方位005、救難シグナルらしきものがあります」
「らしき、って、どういうこと?」
「不安定なんです。反射波を拾ってるのかもしれません。ノイズでないことはたしかですが」
 方位005、北に行けば谷が東西に走っていて、そこで台地は尽きてしまう。墜落死以外にもう一つ考えまいとしていた可能性が当ってしまっているのだろうか。対岸に落ちたとすれば、生きていたとしてもジアスの捕虜になってしまうのは避けられない。
 祈るような気持ちでナミはX4を北へと走らせた。
 いる。X4でもたしかにシグナルが捉えられた。だが、断崖が見えてもまだエリオラの姿はない。
「ひょっとして……」
 俯角ぎりぎりまでカメラを下げるが、谷底は視界に入らない。
 ナミはX4をひざまずかせ、ハッチを開けて外に出ると、崖へと駆け寄っていった。
 ほとんど真下だった。眼下で手を振る人影に対し、ナミは震える手でバイノキュラーを構えて、フォーカスをあわせた。
「よかった」
 エリオラだった。

 ローダー一機に備わっているワイアーだけでは谷底まで届かず、二機分を結び合わせてエリオラをつり上げることになった。
 五番機のワイアーの先にあるフックに、六番機から取り外したワイアーのフックを噛み合わせる。こうして延長したワイアーの先にも付いているフックに、今度はエリオラ自身が引っ掛かるわけである。幸い、耐Gスーツにはパラシュートのハーネスを結び付けるリングがあり、それがワイアー端のフックと寸法があっていた。
 ナミは崖下を覗き込んで、垂らしたワイアーの先にいるエリオラと手信号を交わすと、再び五番機のコクピットに戻った。あとは左マニュピレーターの内側にあるウインチを最小の速度で巻き上げていけばいい。
「シルバーリードよりシルバー05、あとどれくらいだ」
「シルバーリード、二分ってところね」
「もっとはやくは出来ないか」
「いいの? エルがたんこぶだらけになっても知らないわよ」
「ははっ、そりゃあとが怖いか。ゆっくりやってくれ、ナミ」
 この時、六機のうち五番機が最も崖の近くに位置していた。そのすぐ脇にワイアーを与えた六番機。他の四機はそこからやや南、回収機の着陸に適した起伏の少ない場所に円陣を組んでいた。
 既に南橋は落とした。南岸に敵影はない。
 北岸から砲撃を受ける気配もない。
「シルバーリードよりシルバーフォックス各機、迎えのバスから連絡が入った。機体爆破の準備をしてくれ」
 南東から接近する、か細い対空レーダーエコー。これがティルトローターのVLC2ヴァリト、ヤオいうところの迎えのバス。
 任務完了目前だった。
 だからハンナの突然の絶叫にナミは凍りついてしまった。
「方位030! IFFレッド!」
 動けなかった。動けばエリオラが死ぬ。


 五番機は動けない。一番機から四番機までは距離が遠すぎる。動いたのは六番機、ミノルだった。崖の縁、パワーローダーの足場のとれるぎりぎりを東へと全速で移動。五番機と距離が開く。その二機の間へ、谷の下からジアス制式戦闘ヘリHC11が褐色迷彩のその姿を現した。ゆらりと傾いだその機首とウェアポンベイのロケットポッドが五番機へと向けられる。
 その結果さらけ出されたHC11の脇腹に六番機左肩部のガトリンク砲から吐き出された三十ミリ弾が吸い込まれていった。攻撃に気付き旋回するHC11。撃ち続ける六番機。再びHC11が揺れ、そして炎に包まれた。
 ナミは見ているしか出来なかった。
「あの子……」
 ヘリから撒き散らされた燃料が燃える上をまたいで六番機が戻ってくる。
 ウインチは既に巻き上がっている。五番機の足元では、エリオラが体を保持していたフックを外そうとしている。
 とりあえず、切り抜けた。
「05より06、フォローありがと」
「06より05、イグナチェフ中佐は無事ですか」
「ええ、無事よ」
 囮にしておいて無事ですかはないでしょうに、そう思うと、ナミは苦笑せざるを得なかった。
 もっとも、立場が入れ替わっていたとして、ナミも自分がミノルと同じ行動に出るであろうことは認めた。救助作業中で身動きのとれないローダーにヘリの攻撃が向くのは自然だし、そのヘリを単独で墜とそうとするならば、ミノルのあのポジションは最適解の一つといえるだろう。
「アヤセ中尉」
 と、ナミは呼びかけた。
「何でしょう」
「慣れたみたいね」
「えっ」
「もう慣れてるわ、あなた」

 ほどなくして着陸したVLC2ヴァリトの周りに六機のローダーが集まった。ハッチを開け、それぞれが疲れた中にも喜びを表情に出しながら外へと出てくる。
 ミノルも自壊システムを作動させるとハッチを開けた。眩しい光に目を細め、それだけでなく火薬の匂いが鼻腔と喉頭とに飛び込んできて、それでしばらくむせてしまった。見ると、X4左肩のガトリンク砲は、銃口部がすっかり黒ずんでいた。
 飛び降りようとハッチの縁に手をかけたところで、手袋越しに熱を感じた。
「つっ」
 外装甲の継ぎ目に何かの破片が食い込んでいた。榴弾だろうか。まだ熱を帯びているそれに手のひらを押し付けてしまったらしい。
 ヴァリトに乗り込むとき、ミノルは手をさすっているところをナミに見られてしまった。
「どうしたの」
「あ、これはさっき火傷しちゃって……」
 ナミは肩をすくめた。慣れてんだか慣れてないんだか、そういって笑うナミの声が始動するヴァリトのローター音に紛れた。
 直前までシルバーフォックス隊を構成していて、今は自壊したローダーから立ち上る白煙の中から、ヴァリトはゆっくりと浮かび上がるとその帰途についた。
 離陸後、後部隔室では作戦終了後のリラックスした談笑がなされていた。そこをエリオラは抜け出してヴァリトのコクピットに向かった。
 そこではメリサ・ラザフォード中尉がスティックを握っていた。エリオラ同様、対空対地攻撃の経験も豊富なドールズ航空要員である。
「怪我はどうです」
「今はいい。痛み止めが効いているから」
 空席のオペレーターシートに座るエリオラの右肩は既にテーピングがなされている。
 戦場であった山中の空をしばらく眺めた後で、エリオラが口を開いた。
「メリサ」
「何です、中佐」
「こいつでデルタに向かっている時……橋は見えたの……」
「ええ、見えましたよ。爆破後の橋でしたけど」
「爆撃進路は……開けていたの……」
 その問いに、メリサはぎくりとオペレーターシートを振り返った。
 そこには唇を噛み締めているエリオラがいた。
 それから基地へたどり着くまで、二人は無言だった。

 ヴァリトを降りた最初の一歩でミノルはよろけた。
 つんのめりかけて、前を歩くヤオの背に肩が触れた。ヤオは苦笑しながら手を貸した。
「疲れたろ、ゆっくり休みな」
 ハンガーは出撃時と同じようにやかましかった。顔ぶれも同じだった。誰かが欠けたわけでもない。
 違ったのは匂いだった。X4のハッチを開けてからの火薬の匂いが続いている。ヴァリトを離れても続いている。そもそも兵員輸送用のヴァリトに兵装はない。ガトリンク砲を搭載したX4はあの岩山で爆破したはず。
 息苦しさを感じてミノルはパイロットスーツのジッパーを心持ち下げた。襟首の内側はじとりと汗で湿っていた。
 火薬はそこからだった。
 汗に混じって、間違えようのない硝煙の匂いがした。
 着替えよう、そして足を速めたミノルの肩に誰かの手があった。
「お疲れ、ミノルちゃん」
 エイミーだった。ナッツの袋が当然のようにその手にある。
 差し出された一粒を受け取り口に含むと、相変わらずしつこいくらいの甘さだった。指先もナッツに付いていたらしい脂でさっそく粘ついてしまっている。
 だとすれば、逆に口に含んだナッツには指先の汗や硝煙が付いてしまったのだろうか。
「どうだった?」
 ナッツをばりばりと噛み砕きながら、エイミーがたずねていた。
 ミノルも口中のナッツを噛んでみた。砂糖や蜜の味しかしない。そもそも火薬の味などミノルは知らない。
「わかりません」
「そっか」
 袋を向けられ、ミノルはもう一粒をつまむと口に含んだ。ただただ甘いだけのナッツ。それを舌先で転がしているうちに火薬の匂いが薄れていく。
「そのうち慣れるよ、ミノルちゃんも」
 そういうエイミーは、一度に三つ四つと口に入れている。
 指先の脂を舐めるミノル。それは汗かもしれないし硝煙かもしれない。それでもなければスモーク、あるいは榴弾の破片、転がったTS3C、火だるまのHC11、橋のたもとにいたジアス軍兵士のぼやけた影。あれからまだ二時間と経っていない。
 ミノルは口に残っているナッツのかけらを飲み込んだ。これからいくつ飲み込むのか、それがまだよくわからなかった。
「大尉」
「ん?」
「もうひとつ、もらえますか?」


 任官当初の海兵隊に戻ったとはいえ、海兵第一旅団に転属となって以来、実質自分が新参者という自覚のあったファンは、整備中隊の人間ともできるだけ交流を持つようにつとめていた。
 自分の機体をメンテナンスする人間とトラブルがあったばかりに戦場で謎の死を遂げるなどという、軍広報が躍起になって否定してもなおささやかれ続けているケースを実証するはめになるなど願い下げだったから。
 ファンの機体を担当するのは、独立戦役末期に工科学校在学中で応召したという軍曹だった。年齢ではファンより三つ下になる。
「ケイン」
 だから、ファーストネームで呼ぶようになってから、下位の人間というよりは弟に対するような口調になっていた。
「何でしょう、中佐」
 ローダー右肩部にかけられたタラップの上でペンキ缶と刷毛を持っていた軍曹は、その位置からファンを見下ろした。さすがに彼の方がファーストネームというわけにはいかない。
「キルマーク、多すぎるわ」
「そうですか? 二機撃破で合計四十一機じゃないかと」
「そうよ、二機。だから三十九個消して」
 苦笑しながら指二本を立てるファンに軍曹はしばし戸惑ったが、やがて合点すると、にっと笑って、肩装甲に描いた星の大部分を塗りつぶし始めた。
 これでいい、屹立するX4を見上げながら、ファンは心の中で繰り返した。これでいい。
 いまさら以前所属していた部隊での功を誇ることには意味を見出せなかったし、軍の機関紙が華々しく報じている、女性だけの特殊部隊が敢行した奇襲作戦の成功も、遠く離れた別の戦場のエピソードでしかなかった。
 これでいい、彼女は彼女の戦いをよしとした。

 end


《↑目次へ》

ver 1.00
2000/01/27
Copyright くわたろ 2000