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演習

 ハンガーの中は、かなり音の反響がある。
 だから出撃直前の喧燥や、あるいは帰投直後の殺気立った混乱の最中ならばいっそう喧しく感じられて然りだが、なぜかそういう時は気の昂ぶりからか周りの物音になど構っていられないものだ。
 沈黙こそが、耳を突き刺す。
 そして、ハンガーの中でのそれは、また別の意味を持つかのようでもあった。
 人形の並ぶ耐爆ハンガーの中でたった一人でいると、その静寂は思わず足を進めるのも忍び足になってしまうほど、ミリセント・エヴァンスには重々しく感じられた。
 一歩。また一歩。ミリセントは昼間の模擬戦闘中に搭乗していた訓練用装甲歩兵X4ts、通称T4に歩み寄った。複座であることから最大出力と電子戦能力が低下していることを除けばX4とほとんど遜色ない機体である。後方の警備任務では実際にX4tsが間に合わせで使用されている例もままあった。
 その点では、実戦機といえなくもない。ミリセントの伸ばした手に冷ややかな感触を与えた見上げるほどに大きい人形は、少なくとも兵器としての能力を充分に持っていた。
「つめたい……」
 照明は足元を誤らない程度に落とされている。このベースは輸送拠点の一つであるが、戦線からは離れているし、ジアスの指揮官がよほどの物好きでない限り、奇襲をしかけるほどの価値はその困難に比して見出せない位置にあった。
 この場所に、予備機として配備されているX4ts。そして、自分。
 眼前に屹立するX4tsは冷え切っていた。
 ミリセントは差し伸べた右手をそっと胸元に戻して左手で包んだ。
 目を閉じるまでもなく昼間のことが思い出される。
 吐息が、わずかに白んだ。
 拡散する微粒子を目で追ううちに、彼女の胸にあった焦燥は、自虐の混じる諦めへと結晶してゆく。
「しっかりしなきゃ、ね」
 その声は足音ほどには反響しない。
 きびすを返し扉へ戻っていく、少女の面影を残した政府軍兵士を、無人の装甲歩兵が黙したまま見下ろしていた。

 口惜しさに歯噛みし、ミリセントは申告した。
「03、行動不能です」
 僚機からの応答は容赦が無かった。
「どきなさい、このノロマ」
 さすがに演習とはいえ、それもペアを組んでいる者からのその通信に、ミリセントは心穏やかでない。
「ノロマは余計よ……」
 後席に陣取るパイロットのつま先がミリセントのシートの裏を蹴った。
「ほらほら、被弾したらさっさと退く」
「はい」
 演習用の花火とはいえ、その十字砲火の真っ只中にいては愉快な気分はしない。
 主電源予備電源とも損傷度大により電圧維持不可、との判定を受けたミリセントの乗るX4tsが演習場中央から土手を乗り越えてハンガーへ戻る際の重心移動は、双眼鏡でそれを見るドールズ所属のセルマ・シェーレ大尉には、どこか肩を落としてカジノを立ち去る客の足取りのように感じられた。
「まさか、本当にパワーダウンしてるのかしら」
「まさか」
 つぶやくセルマの隣で大仰に肩をすくめてみせたのはヤオ・フェイルン中佐だった。
 今し方の模擬戦闘の判定結果がスクロールしている手元の端末を、こつんと指先ではじいてみせるヤオ。
「そこまでリアリティを追究したってしょうがない、予算無いのに」
 ヤオ先輩、予算気にしたことありました? ふと口からこぼれかけた言葉をセルマはあわててのみこむ。
 再びセルマは双眼鏡を構えた。二つの円に切り取られた視野の中では、コクピットから這い出したパイロットがヘルメットを取り外すところだった。既に後席に座っていたはずの人間の姿は見えなかった。
 乗員を吐き出したばかりのX4tsが見せていた機動は、セルマにとってはかなりの俊敏さを感じさせていた。擱座させられた責を問うならば、ペアを組む僚機の掩護が及ばなかった部分が大きいだろう。
「いい動きです」
「スコアは最低」
 端末を閉じるヤオの声にまじる笑いのトーンは、先程よりも愚痴めいていた。
 戦車殺しの基準からすればね──この実戦経験豊富な先任である部隊長が他人の戦闘記録の評価の時には辛辣な分析をするのが常であることを知っているセルマは、頭の中で最低という言葉をやや悪いに割り引いた。
「ものにはならないと思う、悪いけど」
「そうでしょうか」
 ヤオの言葉に、セルマはミリセント・エヴァンス准尉のデーターを思い出した。准尉、である。士官学校を卒業前に退いている。理由までは記されていなかったが。
「でも、いい動きです。すぐにでも前線に出られるくらい。接敵、交戦機動、ペア・分隊単位の連携運動。ドールズの一員にとは行かないにしても、ここで埋もれさせることはないのでは」
「動きはいい、スコアは最低。要は詰めがなってない」
「厳しいですね、先輩。いつもながら」
 ヘルメットを片手に、もう片方の手で銀髪をかき乱しながら歩く、少女といって充分通用する容姿と体躯のパイロットにセルマは同情した。乾ききって枯草色になっている土に落ちている影が色濃い。空調の効いた指揮所にいる自分たちと違って、土埃の中を歩くミリセントは髪の先まで汗をかいているに違いない。
「セル」
 双眼鏡を置くセルマに、ヤオは問いかけた。
「お前が出撃する時、お前の下にあいつがいたらどうする」
 ヤオ・フェイルン。第一七七特務大隊、通称ドールズが戦場にある時、部隊を率いるのは彼女である。セルマでは、ない。
 特異な装備と編制で、数々の苛酷な任務をやり遂げてきた第一七七特務大隊。その部隊長としてのヤオの評価は既に軍内に浸透していた。
 セルマは生死を共にした戦友として知っている。
「彼女に適したポジションもあると思いますが」
「ポジションを選んでいられない状況になったらどうする」
「どうしたんです、先輩らしくありませんね」
「誤解するなよ。私は臆病な指揮官なのさ。単機で孤立してしまった状況を切り抜けるだけの能力を持たない部下とは一緒に空挺降下したくない、自分の部隊からだけは戦死者を出したくない、そんなわがままで臆病な指揮官なのさ、ヤオ・フェイルンって女は」
 セルマは臆病を慎重に置き換えた。
 だが、自嘲など、どう置き換えればいいのかわからなかった。ヤオ・フェイルンにこれほど似つかわしくない行為も無いように思えた。
「何かありまして」
 何も、とヤオは首を振った。
 退屈してるだけかしら、そんなことを考えてしまったセルマは、他にもドールズ要員として名が挙がっている人間で試してみた。
「エイミー・パーシング、フェイス・スモーレット。彼女たちは、どうでしょう」
「そうだな……」
 ヤオの視線が宙を泳いだ。
 言葉を途切れさせたヤオが、ヤオ個人と同等のパワーローダー操縦員としての戦闘力を候補者に求めているのだとしたら、おそらく全軍探しても一個小隊分揃うかも怪しい。目の前にいる上官の傑出した技量とその積極性を、セルマは戦友として知っていた。
 細かな戦術上のアドヴァイスをセルマたちに求めることはあっても、ヤオは最後は一人だった。切所で責任を取ることをためらわずに戦い続け、時にはセオリーに反する行動も取りつつ、それでも戦果をあげ続けてきたからこそ、装甲歩兵という馴染みの無い兵科でありながらオムニ全軍にこの人ありといわせるまでになったのだ。誰にも頼らずに一人でその軍歴を切り拓いて来たともいえるヤオは、セルマにとって士官学校以来の目標でもあった。
 セルマはわかっていた。
 そんなヤオに寂しさを感じ始めている自分を、だからセルマは叱咤して抑えつけていた。
 ヤオはかすかに笑って続けた。
「そうだな、数字では申し分ない。フェイスなんかは、ひょっとしたら、セルマ、お前よりも上かもしれないぞ」
「素敵ですね」
「ちょっとは慌てろ、もう」
 自らを卑下するよりも、たとえばこんな笑い方をしてほしい。目の前のヤオ・フェイルンにつられて笑いながら、セルマは心の隅で願った。


 目覚めると、やはり部屋にルームメイトは戻っていなかった。自分に遠慮しているのだろうかと思い、ミリセントは戸惑った。
「三日だけなのに」
 今日がその三日目だった。昨日と一昨日、ミリセントはほとんど休み無しの模擬戦闘をいいわたされていた。
 気遣うのなら、疲れが取れるよう一人にしてくれるよりも、話し相手になって欲しい。そうすれば、見世物じみた扱いに苛立ってしまう自分の緊張をほぐすにも役立つのに……。
 空のベッドを見ながら、ミリセントはそんなことを思った。
 着替える最中、小さな採光窓に雨滴が付いているのを見て、彼女は小さく舌打ちした。雨天用にパワーローダーの機動管制をリプログラムしなければならない。通常は予め用意されたものが使えるが、この見世物が続く間は一から全てやれといわれている。そして、昨日と今日とで天気が違う。
「朝御飯、食べる暇あるかなあ」
 食事の速さまで評価対象にされるようだと、ミリセントは、これはもう全く自信が持てなかった。

 結局、味方役のパイロットは、ミリセントより先に食事とリプログラムを済ませていた。
「のろのろ食べてるんじゃないよ、そんな旨くもない飯」
 コーヒーでトーストを流し込んでいる時に、そういわれてしまった。
 その時、むせたのか、彼女はしばらく、しゃっくりが止まらなかった。
 胸を押さえながらヘッドギアをかぶり、こぼれた前髪を指で隙間に押し込めている時、肩を叩かれて彼女は振り返った。
「大丈夫か」
 と問う、赤茶けた長い髪をたらす女性を、ミリセントはいぶかしんだ。同じくパイロットスーツを着込みヘッドギアをつけているからには、これからローダーに乗るのだろうが、それでは髪が邪魔になりはしないか。
「は、はい、大丈夫であります」
「なら、いい」
 そして、中佐の階級章が襟に縫い付けてあるその女性はそのままミリセントの後からX4tsに乗り込もうとした。だれ、このオバさん。
「あのう、フリードマン大尉はどうされたのです?」
「知らん。今日は彼に代わって私がリアだ。ヤオという。せいぜいしっかりな、エヴァンス准尉」
 なに、このオバさん。口には出さなかったが、これが、ミリセントのヤオ・フェイルンに対する第一印象だった。

 雨足は強くなり、地面はぬかるみはじめていた。その中でミリセントとヤオの乗る三番機とペアを組む四番機は、接敵後可能な限り短時間で敵を撃破せよというメニューに従い、近接戦闘に移行した。
 その際、四番機がバランスを誤った。
 咄嗟制御が作動したが、その結果相手役の一番機と二番機の両方に背中を晒してしまった。
 四番機のコクピット内で驚愕が恐怖に切り替わる前に、動いたのは一番機だった。衝力をそのまま乗せた左腕を横に一閃、背面への衝撃で四番機はバランス回復限界をあっさり超えさせられていた。四番機は膝を突き、その隙を逃さず一番機は止めをさす。結局、四番機は肩部ハードポイントに装着された火器の照準を付ける間もなく無力化された、との判定が下された。
「やるじゃない」
 各機のダメージレポートが目まぐるしく流れるモニターを眺めるだけではあったが、セルマはそれで十分に状況を把握していた。流れるような動きの一番機、フロントでスティックを握るはフェイス・スモーレット少尉。二十歳そこそこというのに第一次独立戦役からの従軍歴を持つ女性兵士と聞いている。
「戦車殺しの御墨付きは伊達じゃないってところね」
 昨日のヤオの言葉に、肯かざるを得ない。
 そのヤオは、今は雨の中、三番機の後席にある。
 四機の装甲歩兵が交錯しているであろう演習場の中央は、セルマのいるコントロールルームの窓からは雨に煙り、ぼんやりとした影が認められる程度だった。目視は諦め、彼女は再び文字だけの画面に戻った。
「さあ、二対一よ、エヴァンス准尉」
 自身、格闘戦が得意とはいえないセルマだけに、ミリセントの置かれた状況には少し同情したくなる。
 勿論セルマは知っている。外気を遮断して小一時間も戦闘機動を継続していれば、とてもメーカーの宣伝通りの除湿効率は維持出来なくなるものなのだ。マグカップから立ち上る湯気ならばこうして芳香を味わうことは出来ても、こもってしまうのが自分の吐息では不快指数が上がるだけ。その上、X4tsは複座である。
「この程度? それとも……」
 カップの残りのコーヒーを飲み干したセルマは、後席のヤオがどういう顔をしているのかが少し気になった。
 愚痴ったりしてなければいいけど。私と代われなんていいだしてるのかも……。
 状況が文字で流れる。読み取る。一番機全速前進。三番機左脚部反応係数五ポイントダウンのまま回避運動。接触。三番機ダメージ有意。

 三番機後席、戦車殺しの名すら奉られているヤオは、戦闘開始から終始無言だった。
 煙たい、とまでは思わなかったものの、ミリセントは後ろに陣取るそういう人間が、やはり気になっていた。
 助言をするためでなく観戦官として乗っているのだとは最初から承知していた。それにしても、せいぜいしっかりな以来、一言も無いのは解せなかった。
 気がかりは他にもあった。雨足はますます強く、雨滴だけで泥が跳ね上がるまでになっていた。
 ミリセントは右前方に位置する、敵二番機を更に右へと誘うべく、動いた。照準は、外した。
 悲鳴にも似た切迫した通信が四番機から届けられたのはその時だった。光学で確認すると、既に四番機は擱座していた。ミリセントには何が起きたのかすらわからない。
 そして前傾姿勢のまま突進してくる一番機の姿が、隙をつかれたミリセントにとっては、どこから湧いてきたのかと思うようなスピードで出現した。咄嗟に左脚を軸に旋回するものの、回避は完全ではなく、緩和しきれずに残った衝撃を体で味わう羽目になった。ダメージ有意。右腕部反応係数低下。いくつか警告灯がともる。
「あっ」
 ああ。
 いつもそうだ。
 訳もわからず、そう、なっている。
「このおっ!」
 力任せにスティックを操作、左マニュピレーターが操縦者の意志を受けて鞭のように動く。
「逃がさないわよ」
 相手を捕らえる。手応えあり。このまま組み伏せ……。
 アラート。二番機急接近。一番機に対して優位なポジションを取ったと思ったら、もう離脱しなければならなかった。左脚の反応係数が低下していた。他にも、右肩にマウントしたグレネードの照準精度が衝撃により低下したとの判定が、既に出ている。一度の衝撃でここまで損傷を受けるものなのか。
 事実が証明している。
 こういうこともある。
 それは士官学校の時からわかっている。
「なんで……、なんで、なんで、いつも、いつもおぉっ!」
 ミリセント、零距離にもかかわらず投擲グレネード選択。投擲、有効、二番機は駆動系損傷度大。対して三番機、自らも右腕反応係数大幅減。そこを一番機が狙う。振りかぶった右腕を取られた。
「くうっ」
 ならばと機体全体でタックル。一番機は受け止める。流れる二体四本の脚部にすくわれた泥水が中空に弧を描く。その下で双方組み合い、均衡の静止。ミリセントは大きく息をつくと全身全霊を相手機の各関節の動作に集中させた。今し方こびり付いた泥を洗い落とすように、大粒の雨が組み合う装甲歩兵をうち続けた。
 重なる雨音、一つ一つは聞こえない。ただ、雨の重みを感じる。高鳴る心臓、その脈は聞こえない。恐怖と紙一重の高揚が全身を支配する。
 組み合ったまま、わずかに三番機が圧した。ミリセントの手に力が入った。いける。向こうのダメージは脚部にきている。このまま……。
 ミリセントは自機の電圧曲線が微妙な揺れを描いていることに気付かずにいた。

 索敵、接敵、そして近接格闘戦闘。優に一時間が経過していた。ヤオにとって久しぶりの後席だったが、さすがに動きが馴染むようになった。そうはいっても、それは前席のパイロットの操作ではない。機体の軋みが、体感する加速度とようやく一致しだしたということだった。パワーローダー搭乗員にとって、馴染む、とは、そういう意味の言葉だった。
 それゆえに、ヤオは気付いた。
 電圧が維持されていない訳ではない。だが、機体の各部の動きがこの数分で急におかしな具合になっていた。各部の負荷を計器で読むが、いずれも正常、ないしは戦闘によるダメージの蓄積で説明出来た。それでも、何かが、おかしい。
 記憶を探る。この感覚、どこかで……。
「……雨?」

 セルマの視線の先のモニター、一番機と三番機の各所の負荷が、競い合うように上昇していることが示されていた。
「力比べ、か。複座型ではやりたくないわね」
 窓を見やると、相変わらずの雨だった。空も翳りを増していた。
「雨の中だと神経使うのよね」
 オートバランサーに頼って文字通り足をすくわれるという結果にさせるのは、双方の技量の差よりも、往々にして単なる悪天候による予想外の路面状況や摩擦係数であることが多い。搭乗員がそのことを考慮しているか、ざっとセルマは一番機と三番機のパラメーターを洗った。
 そこでセルマは気付いた。
「電圧?」
 ジェネレーター、出力正常。全関節電圧、誤差範囲内。全関節負荷、戦闘係数内。
「違う……むしろ装甲外層……」
 窓には雨滴が音を立てて打ちつけられていた。
 雲は低く、既に夜のような暗さである。
「雨……」
 組み合っているX4tsは見えない。
 セルマが見たのは別のものだった。
 既視感。
 どこで? 荒天時なら降下作戦じゃないはず。強襲作戦? 迎撃運動中? 雨……電圧が……雨の中で……。
「雨!」
 弾かれたようにセルマは立ち上がって、戦闘記録をとっているこの基地の整備中隊の人間に問い質した。
「あのT4、防電磁処理はしてるの?」
「はあ、規定のものを」
 つまり後方警備につく機体相応のものでしかないということだった。セルマはその隣で見物を決め込んでいる基地司令の権限を奪って、声荒く一番機から四番機の総てに回線を開いて告げた。
「演習、中止! すぐ戻ってください!」
 何事かねと怪訝な顔の司令に当たっては後々ややこしくなりそうな気がしたセルマは、代わりにぽかんと口を開けているオペレーターたちに八つ当たり気味に怒鳴った。
「天気予報はどうなってるのよ!」
 数瞬の間を要したものの、その意味を悟ったオペレーターは青くなった。


「演習、中止! すぐ戻ってください!」
 誰だろう、この声は。
 ミリセントはわからない。

「演習、中止! すぐ戻ってください!」
 セルマの切迫した声に、ヤオの中で瞬時にコルベット山系で経験した豪雨のもとでの戦闘がよみがえった。
「中止だ! 直ちに戻れ、エヴァンス准尉!」
「は、はい。ですが……」
 そう、直ちにというわけにはいかない。
 ヤオは舌打ちした。たとえ複座の訓練用とはいえ、パワーローダー同士がフルパワーで組み合っているのだ。離脱するにも、手順は面倒極まりない。
 苛立たしくヤオは向かい合う一番機へと通信を開く。
「01、こちら03リアだ。演習中止、直ちに全アクチュエーターをホールドしろ。こちらもそうする。それから私のカウントに合わせて両腕部に回すパワーをゼロに落とせ」
「了解」

 誰だろう、この声は。
 意識は記憶を探る。耳は後席からのヤオのカウントを聞く。三、二、一、そしてミリセントは出力を絞っていった。組み合う一番機も合わせたらしく、腕の負荷がゼロにまで急降下。誰だろう、ノイズっぽいけどこの声ってスクールで一緒だった子かな……。
「バランス!」
 泥にめり込んだ左脚が重心移動を狂わせ、三番機は回復限界ぎりぎりまで前のめりになった。さすがにミリセントの操作はヤオの声にまで遅れることはなかったが、大きく踏み出した右脚が跳ねた泥でメインカメラのカバーが汚れる。
 もう、と悪態つきながら、ミリセントは視点を切り替えた。
 その時、暗く重い空の中で、閃光に照らされた雲の底辺が垣間見えた。
「い゛」
「さっさとしろ!」
 ミリセントも背に冷や汗が伝うのを感じた。通り一遍の防電磁処理しかされてない機体で、しかも泥水に浸されたような状態でいるのだ。こんな時に電撃を食らわせたら確実に勝てるが、同時に食らわせた方も即機能停止。まかり間違えばハッチがいかれて脱出不能。ローストチキンの出来上がり。
 雨音にまじる雷鳴を音響センサーが捉えた。近い、とミリセントは感じた。理由は無い。
 ハンガーまで土手をまたいで一キロ弱、一分ほどでたどり着く距離だったがそうも行きそうになかった。ペアの四番機は自力歩行可能だったが、相手側の二番機は駆動系に損傷が大きい。
「HQ、こちら03。02を搬送します」
 後席のヤオは割り込まなかった。機体を二番機へと向かわせるミリセントに、出来るか、と尋ねるだけだった。
「大丈夫です。マニュピレーターは機能してます。それに私たちが最も損傷が少ないはずです」
 脚部もレスポンスは鈍いものの、パワー自体は衰えていなかった。搬送することは出来る。
 だが、口ではいったものの、ミリセントは不安だった。
 泥と雷。
 こんなの習ってないよお、それが正直な所だった。
 二番機のうずくまる場所にたどり着くまでに、ミリセントはざっと時間を測った。オートバランサーは、許容限界の泥濘に対し、接地前後のギア操作を極端に慎重に、時間にして通常の二倍以上をかけて行っていた。雷鳴が聞こえた、ような気がして、そんなの空耳とかぶりを振るミリセント。
「02、こちら03。搬送しますので背面を向けてください」
 二番機は両腕部だけしか操作できないようだった。待っていられず、半身のところにこちらから腕を伸ばす。フックは肩の裏の四対と腰の八対、固定は左右互い違いに最低三ヶ所、落ち着いて落ち着いて……、っと、その前に。
「オープン可能ですか?」
「スタンス、オープン。おいおい、この雨ん中、歩けってか」
「保持します。ハッチ開けてください」
 どちらも強がるが、二番機クルーが結局折れた。抱えられるようにされたままの二番機のハッチが開き、中から二人の人間が出てくる。見る間に泥塗れになる中、一人が片手を目の際にかざして三番機に礼を送った。
 これでミリセントとしては中の人間を気にかけず、少々荒っぽい運び方が出来る。それにしても、目の前を駆けている二人より速く移動できるかは、怪しい。
 落ち着いて落ち着いて、肩のフックを通したあとは腰のフック、ワイヤーは余裕あるはず、戦闘に比べたらこれくらい何でもない……
 そうは行かなかった。左右、特に右マニュピレーターの微動フィードバックが、まるで酔っぱらいのように頼りない。馴染みが、全く無い。ああ、こんなとこまで、組み合った時のダメージだ。やってくれんぢゃないの、あの一番機いぃ。っても、そもそも二番機泥に突っ込ませてこんなにしちゃったのって、あたしだし……。
 雷鳴が、もうごまかしきれないくらい、大きい。
「やばっ」
 ヤオは無言。手伝えることは無かった。

 四ヶ所のフックで固定するまでに、所要時間は一分強。いつもの訓練でもこうはうまく行かないほどに、速く出来た。
 前面保持で、手前に抱え上げるようにして、移動する。だから抱える方はその分だけ傾斜角がマイナス、つまりやや後ろに傾いだ姿勢になるので、そして通常それは避けるべきとされているから、ミリセントは落ち着かない。
 泥濘だけで二倍の時間を歩行プログラムに強いていた。さらに重心の変化が加わり、それも時間を増やす方向に働いて、三番機のスピードは完全に人間が歩くよりも遅い。
 それまで口を閉ざしていたヤオが、忘れるな、といった。
「外装の帯電量だ。直接は測れないが、末端可動部の電圧のぶれとして読み取ることが出来る。荒天時には注意した方がいい」
 ミリセントは呆れた。
 何をいまさら。そんなの、前もっていってくれなきゃ意味無いじゃない。
 だいたい、これからこんなことがあるっていうの? 雷にあわせて戦争?
 無視、無視と、ミリセントは計器に集中する。脚運びは機械任せとはいえ、無駄話に付き合っていられるわけではない。同系の装甲歩兵、それも複座型を、四ヶ所のフックと当てにならないマニュピレーターで保持するとなれば、いくら気を遣っても遣いすぎるということはない作業。
 土手を越える。戦術コンピューターの設定した道は緩い登りだった。傾斜五度。ぬかるむほど泥が無いから足取りは却って速い。
 二番機を抱え上げた三番機がハンガーに入ったのは、演習場に最初の落雷が発生する一分三十秒前だった。
「ふう……」
 雷の落下点を取り巻くように泥が光る。酸性の泥が持つ微妙な誘電率による一瞬の芸術。一分三十秒の差でミリセントはそれを楽しむ側にまわれた。
 もっとも、心から楽しむというわけにはいかなかったが。
「また、どじっちゃったなあ……」
 雷光が続いた。
 横目に、先ほどまで後席に乗っていたヤオ・フェイルンが、整備の人間と何事かを話している姿が入った。どうせあの人はこの基地にとってはお客さん、すぐにどっかに行くんだろうなあ……。


 翌日、雨は上がった。
 セルマも雨を気にすることなく車を運転できた。
 助手席にはヤオ。
「何考えてるんです、先輩」
 幹線路に車を乗せたところで、セルマはナビゲーションプログラムに車を任せた。いくぶん速度が鈍った。
「……何か、考えているように見えたか」
「お昼ごはんのことなんていわないでくださいね」
「そうきたか」
 苦笑するヤオ。もしかして図星ですかあとセルマ。殴ったるぞと笑ってすごむヤオ。法定速度の95%で進む車内で中佐と大尉が笑いあう。
 笑ったまま、ヤオがいった。
「雨、止んだな」
「ええ……」
 ヤオの、すっと遠くなった眼差しにつられ、セルマも思い出していた。泥塗れで戦ったコルベット山。雨と泥と、そして雷。
「セルマはどう思った」
「何がです」
「どうすれば、よかったかな」
 かつての戦場と昨日の雨とが重なる。
 セルマは少しだけ口篭もった。
「……エヴァンス准尉の行動は誤りです。機体を放棄し離脱すべきでした」
「そうか」
「演習で死ぬ危険を犯す必要はありません。演習機の回収と搭乗員の命では比べるまでもありません」
「演習でなかったら」
「そういった仮定は危険です。実戦同様の気構えでやるのは結構ですが、演習はあくまで演習です」
「思考実験といこう。シェーレ大尉、貴下はエヴァンス准尉と共に強行偵察を敢行」
「ですから、仮定は……」
「小規模の敵と交戦、撃破するも一部を取り逃がす。被害はエヴァンス准尉の機体、両脚部損傷度大、歩行不能」
 ヤオは、なおもこだわって、話題を変えようとしなかった。セルマにはその理由がわかっていた。豪雨のコルベット山だ。
「敵の反撃は必至……」
 セルマが、ヤオを遮って、言葉をついだ。
「そしてこちらの通信機能は破壊され救援は望めない、ですか」
「そんなところだ」
 雨が上がっていた。
 浮かぶ雲は小さく、自己主張するというよりは、空の青さを際立たせていた。
 車内からもそれはわかった。
「その設定、一つ確認してもいいですか」
「なんだ」
「天候です」
「そうだな……」
 視線をさまよわせるヤオ。首をよじって後方を見ることさえした。
 X4tsの配備された基地は、既に見えない。
「雨だったら、どうする」
 と、ヤオがいった。
 セルマは答えなかった。

 基地の窓は小さい。
 また、簡易ながら気密構造になっているため、それなりの厚みがある。開け放つことは、少なくとも寝起きする居室の窓では、出来なかった。
 偏光窓の表側に雨滴の跡が付いていても、ミリセントにはそれがとれない。気にはなったが、だからといって外側にまわって窓拭き掃除をするという気にもなれなかった。なにしろ地上四階なのだ。
 昨日雨が降っていなかったら、とミリセントは窓枠をぼんやり眺めながら想像する。
 途中でストップがかからなかったら、どうなっていただろう。
 想像の中でもミリセントの三番機の敗勢が濃くなったところで、ノックがあった。
「はあい、いま開けるね、パニ」
 と、開けたところ、そこに立っていたのはてっきりミリセントがそう思い込んでいた彼女のルームメイトではなく、同年輩の女性士官。
「し、失礼しました」
 階級章は少尉。
「ひさしぶり、ミリィ」
 タメ口。
「……自分は防空軍特五七大隊所属のエヴァンス准尉でありますが、失礼ですが、あなたは」
「やだなあ、忘れた?」
 目の前の女性はストレートのブロンドの前髪部分を両手ですり上げる。額を見せたところで、あ、バンダナ持ってきてないや、と小声でつぶやく。
 聞いた声だ、とミリセントは感じた。
「……ひょっとして、フェイス?」
「ひさしぶり、ミリィ」
 にっ、と笑うフェイス・スモーレットの顔は、ミリセントにとって二年ぶりだった。

 准尉も少尉もなく、すぐに士官学校の頃に二人は戻った。ミリセントが休学、退校する前の、互いにトップを競い合っていた頃だった。
「転属になってね」と、フェイス。
「移動中、ミリィがここにいるって聞いたから」
「へえー、ずいぶん余裕あんだね」
「まあね。そういう日程」
 寝台くらいしかない、しかも相部屋である居室に入れるよりはと、ミリセントは食堂に場所を移した。
 ここはここでかなり騒々しいが、それでも水びだしになった表にある公園もどきよりはましと思えた。それに、短ブーツのフェイスはともかく、ミリィ自身の方が履き古しかけたパンプスなのだ。支給品は、特に日常生活用品となると安かろう悪かろうで、すぐに駄目になってしまう。
「コーヒーでいいよね、それくらいしかないし」
 セルフサービスのコーナーからミリセントが二つのカップを持ってくる。
「転属って、PLD?」
「そ。特一七七」
「ふーん」
 紙のカップに注がれたコーヒーを受け取りながら、フェイスは苦笑した。
「知らないの? 第一七七特務大隊」
「それってPLD隊?」
「まあ、そう」
 窓、といっても小さな窓だが、とにかく窓際の席に落ち着く二人。
 一口すすって、フェイスの頬が引きつる。
「おーい、ミリィ、なんでこう、見境無しに砂糖入れるの」
「だあってえ、そうしないと苦いぢゃん」
「……変わってないなあ、この子供味覚」
「うっさい」
 タメ口。
「ふふっ」
 ミリセントは嬉しかった。
 三日間の何の意味があるかもわからない模擬戦闘が終わって緊張が解けたこともあったし、久しぶりに会った親友と些細なことでいいあうことすら嬉しかった。
「いーい天気ぃ」
 ただ、フェイスにしてみれば、小さな窓から申し訳程度の光しか入ってこない食堂でこんなことをいわれては、少々心配になる。
「ど、どした。頭のネジとんだ?」
「そーじゃなくってぇ、聞いてよ、昨日すっごい雨でさ」
「あ、ああ」
「なあにが悲しくてあんなひどい天気の時に模擬戦やんなきゃいけないのよ。信じられる? 二時間よ、二時間。電池ぎりぎりいっぱいまで結局使っちゃったわよ、もう。だいたい、人間の方のパワーなんて考えてないのよねー。コクピット降りる時、足がくがく」
「二時間……か」
「戦車壕の開削作業だってあんな時間食わないわよ。それを戦闘用パワーローダーでだもん。基地司令、何考えてんだか」
「たしかに、いきなり雨天二時間はきつかったかもね」
「へっ」
 怪訝なミリセントを無視して、甘ったるいコーヒーを我慢して流し込むフェイス。
「ねえ、フェイス、もしかして昨日……」
「……あま」
 結局、フェイスは飲み干せないまま、切り出すことになった。
「ミリィ」
「な、なに、もっと砂糖入れた方がよかったの」
「前線に出る気、ある?」
「へっ」

 士官学校在学中、スコアではトップを争う位置にいたミリセントが退校した理由は単純である。わざわざ費用をかけて養成するほどの人材でなくなったからだ。その原因がたとえ訓練中のものであれ、士官学校には使い物にならないとわかっている人間の面倒まで見る余裕はなく、ミリセントはお払い箱ということになった。
 それでいて軍の立場はまた別だった。それまでの投資を回収するべく、ミリセントを有技能者として兵役に組み込んだ。ミリセントに求められたのは、後方での作業用パワーローダー操縦員として馬車馬のように働くことだった。停戦期間中、軍の経費削減が叫ばれた際には、皮肉なことにパワーローダーで可能な作業全般をやってのけるミリセントの技量は重宝がられ、退役ということにはならなかった。なんのかのと現役でいるうちにジアス戦役勃発前には准尉心得、そして戦時色が濃くなり、ようやく准尉となって二ヶ月、それが今のミリセントである。
「前線、に?」
 軍服を着ながらも縁の無かった前線という言葉に、ミリセントの困惑は疑念に転じた。
「昨日のあれ、フェイス、知ってるの?」
 フェイスは黙って頷いた。
「じゃあ、あれって……」
「ミリィ、昨日だけじゃなくてね、この三日間の模擬戦闘、あなたの適性試験を兼ねていたの」
「そんな、なんで今更そんな」
「そしてそれをミリィに伏せるように進言したのは私」
「なっ」
「でないと断られると思ったから。私ね、調べたの。あれからミリィが幹部コースの試験を一度も受けてないってこと」
「ちょっ、ちょっと、どういうことよ。どうしてそんなことフェイスが勝手に」
「それでね、結果はまだわからないけど、好い感触だったみたいだし、だからOKだったら、ねえ、ミリィ、一緒に一七七にも行けるよ。ミリィならこんな所でなくってもっと自分の能力を生かせる別の場所があるはずだし、もっと評価されていいと思うし、だいだいあんなアクシデントで一生棒に振ることないじゃない。だから」
 かん、と音がした。
 周りの喧騒が少しだけ収まる。
 ミリセントが紙のカップをテーブルに叩きつけていた。
「馬鹿にしないでよっ!」
 そして背を向けて、フェイスを置いて出ていってしまった。
 喧騒も元に戻った。
 飛び散って袖についたコーヒーの染みをこすりながら、フェイスはつぶやいた。
「……甘かったかな」
 自分の飲み残し分はそのまま捨て、フェイスも食堂を出た。


「先輩」
 と、セルマがヤオに問い掛けたのは、街を一つ通り越した後だった。
「先輩がドールズに参加することになったのは、ハーディ隊長の目に適ったからだと聞きました」
「なんだ、突然」
「それは理解できます。先輩の場合、それまでに最新鋭の機体を揃えた実戦部隊配属にあたいするだけの実績を上げてきましたし」
「セルマ、お前だってそうだよ」
 クラクションを鳴らしマニュアル運転の民間ナンバーの車が抜き去っていった。どこへ急ぐというのか、ヤオには不思議だった。この先は安全宣言をされた都市は無い。
 セルマはうつむいたままでいた。自動運転の弊害だな、とヤオは苦笑。
「先輩のように積み上げてきた実績から選ばれたり、ファン中佐のようにハーディ隊長が個人的にスカウトしてきたり、それぞれ選抜の事情は違いますけど、でも私は、ドールズ全員が、どこへ出しても恥ずかしくない、立派な隊員だと思いますし、私もそれに足るとの自負はあります。ただ、私は、だからといって自分に人物眼があるとまで自惚れることはできません」
「セル、だったらお前がエヴァンス准尉を推挙する理由だけじゃなく、認めない理由も乏しくなるんじゃないかな」
「私は……」
「構わない、いってみな」
「怖いんです……」
「自信が持てないか」
「多分……。自分の判断に自信が持てないから、一人の人間の、ひょっとしたら運命を左右してしまう決断を下すことが、そんなことを、この自分がしてしまうんだって思うと、何だか怖くて」
「昨日までは、そうは思っていなかったと」
「昨日の模擬戦、あれは……見てるだけだったのに……私まるで……」
「そうか」
 交通量が少なくなる。目に入るテイルランプが数台分しかない。
 ヤオが鼻で笑いながらいった。
「ばか」
 びくりとセルマが顔を上げるが、頬杖ついた助手席のヤオは、ぼんやりと前を見ているだけだった。
 その眠たげな目のままもう一度、「ばか」と、つぶやいた。
「今更怖がってどうする」
「だって、新隊員の選抜なんて、私、初めて……」
「ばか」
 三度目である。さすがにセルマも穏やかでない。
「ちょっと、先輩」
「何度も作戦立ててきた人間のいうことか、セルマ。私にはそっちの方がよっぽど人の運命動かしてるように思えるんだがな。シミュレーションじゃ文字通りマーカーを地図の上で上下左右に動かして」
「それとこれとは」
「お前の作戦の下で戦った私たちは、だったら何だ。立案者が怖がってる作戦を実行していた私たちは、こりゃいい面の皮だな、まったく」
「それとこれとは、違いますっ」
「なら、どう違うかいってみろ」
「大体あんな三日程度のスクール卒業試験とほとんど変わらないくらいのメニューで見極められるはずが……」
 セルマの抗弁はすぐに勢いを失った。
 情報の足りないまま作戦を強行せざるを得ないことが幾度もあった。
 事前の作戦通りに実際に事が運ばなかったのも一度や二度ではない。
 それでも惑星全土を戦場とした大状況に翻弄されながら第一七七特務大隊ドールズは戦果をあげてきた。それは全軍認めるところであった。
 それがなぜかを、セルマは当事者として知っている。現場では現場で、作戦段階では作戦段階で、出来ることは一つたりとおろそかにせずにやってきたという、ごく単純な事実。それがドールズをここまで持ってきた。
「見極められないなら」
 と、ヤオが黙り込んだセルマの後をついだ。
「納得するまであらためればいい。データーはとったんだから」
「はい……」
「私の判断も曇っているだろうから」
「先輩もですか」
「擱座した機体を搬送するって前席からいきなりいいだされた時は、土砂降りのコルベット山で酷い目にあったのを思い出してしまったよ。まあ、なんだ。昔の自分を見てるような気がして、多少感傷的になっているきらいがなきにしもあらずってところかな。だからセル、特にエヴァンス准尉については、お前と私の所見を一緒にハーディに提出したいんだ。やってくれるな」
「……はい」
 減速を感じた。
 ナビゲーションが検問を感知したらしく、速度が落ちていった。前線に近づくにつれ検問の頻度が増えるのは仕方のないところである。
 休暇代わりの出張も、じきに終わる。
 雨の前日、エヴァンスはものにはならないと、ヤオはセルマにはっきり言明した。だが、今のヤオの下す評価は、ずいぶんと違うものになっているとしかセルマには思えない。揺れている上官の判断、測定した様々なデーター、双眼鏡を通して見た光景、何を採り何を捨てるか、一つ一つの作業自体は、なるほど得られた敵情から部隊のプランを立案する時と変わらない。
 それが一人の兵士に何をもたらすかはとりあえず無視すればいい。作戦案を立てる時のように。
 セルマはマニュアルドライブに切り替えた。

 ハンガーの中は、かなり音の反響がある。
 足音に気付き、ミリセントは振り返った。
「フェイス……」
 きゅっ、とブーツの底が鳴った。ミリセントのものではない。フェイスの、やや短めな、ローダー搭乗時に履くブーツだった。
「ごめんね、ミリィ」
 その声を振り払い、ミリセントはフェイスに背を向けた。
 だから、目の前には泥の落とされたX4tsがいた。今の二人にとっては三番機といった方がいいかもしれない機体。
「謝る。後方任務を蔑むようないい方しちゃったのは、ごめんなさい」
 ミリセントは答えなかった。
 だから、わかってはいたが、呼び込まれた沈黙はいつものように心を突き刺した。一人だけで浸る沈黙よりもその刃は鋭かった。
 再びフェイスが口を開く。
「いろいろ、ミリィの気持ち考えずにやっちゃったことも、謝るよ。最後はミリィ自身の気持ちだってわかってたのに、余計なことしちゃった」
 のばした手に冷たさを感じ、ミリセントは冷え切ったX4tsを見上げた。
 その向こうにはもう一機のX4tsがある。一番機を務めた機体だった。
「昨日、いたの? フェイス」
「うん」
「01?」
「01のフロント」
「そっか。さすがに速く動けるもんなんだね。実戦部隊ってなると」
「すごかったよ、ミリィも」
「そう?」
 ミリセントの指先が三番機脚部をなでる。
 雨の中、この人形の中で、ミリセントは何かに怒りを感じていたことを思い出す。
 前席には今ここにいるフェイスが乗っていたという一番機。雨の中、そのシルエットに重ねたものは、何だったのだろう。
 それが指先から這い登ってくるような気がして、ミリセントは唇を噛む。
 小さく溜め息一つ。笑ってみる。それに自信がもてなかったが、ようやくミリセントはフェイスの方を振り向き、緩く笑った。
「さっきは怒鳴ったりして、私の方こそ、ごめんね。ここに物足りなさを感じてなかったかっていうと、それはやっぱり嘘になるんだ。うん、物足りないじゃなくって、口惜しいって、そう思うよ。ここの最新機種は演習型のT4。そういう所にいるって考えるとね」
 背中全体をX4tsの脚部に預けるミリセント。服越しにひんやりとした感触が伝わる。
「でも、私には後方任務がせいぜいかなって」
「それは、そんなことは、無いと思うよ」
「調べて知ってるんでしょ、フェイス。私が幹部コース受験してないって。やっぱり私は怖いのよ、普通の士官コースに乗って前線に行くのが。どうしてもあの時のことが忘れられないのよ。ピッキの千切れた死体と一緒にローダーの下敷きになっていた三時間のことを」
「あれは事故で」
「事故よ、私の」
 ぐっとミリセントは自らの両肩を抱きすくめる。
「怖いのよ。死にはしないとわかりきった任務なら無茶もやってみせるけど、でも死ぬかもしれないって、戦場に立っているって思うだけで、ほら」
 不充分なハンガーの照明の下、フェイスにもそれは見えた。ミリセントの肩は指を食い込ませたまま小刻みに震えていた。
「だめなのよ、わたし、やっぱり……」
 うつむいたミリセントの涙はフェイスには暗がりになって見えなかった。ハンガーの中に溶けていくミリセントのかすれ声から、その涙を知った。
 フェイスにとっては誤算だった。士官学校当時の事故がミリセントに与えた傷は、時間の経過によって癒されるどころか、より一層深刻となっていた。

「ミリィ……」
 フェイスもミリセントに隣り合って、X4tsにもたれかかった。
「ここでピッキの遺志云々ってのは、卑怯になるから、いわない」
 卑怯以前に無駄であった。それは事故直後のミリセントを励ますべくフェイスが述べて、そして失敗した言葉だった。
「今夜、司令部への輸送便があるんで、それに同乗することになってる。またしばらく会えないけど、元気でね、ミリィ」
「うん……」
「出来ることをやればいいよ、ミリィは。無理しなくていい」
「甘えてるよね、私」
「みんなどこかで他人を頼ってる。制服着てるなら特にそうだよ。一人で戦争してるなんて吹いてるやつがいたら、そいつは大嘘つきの大馬鹿野郎だ」
「そう?」
「そう」
 互いの肩が触れた。
 もたれかかったのは、フェイスの方だった。
「駄目かと思ったことがある」
 と、もたれながらフェイスがいった。
「ローダー潰されちゃって、急場しのぎの歩兵としてね。遅滞任務だったけど、敵主力の移動が速くて、接触した時の位置が最悪だった。飛んで火に入る一個分隊、あっという間にちりぢりになって、最後は分隊長と二人だけになった。そして分隊長が脚をやられてた。だから私が肩を貸して、山の中を側敵行軍。本隊に合流するのはタイムリミットがあって、間に合わせないと置いていかれるって状況だった。間に合わせで編制されたばかりの部隊だったからお互い馴染みがなかったし、正直いって、何度か見捨てようかと思った。分隊長の方も、こっちが見習だったけど士官だったから遠慮したのか、もう何度も置いていけっていった。でも、そうしなかった。そんなこと、出来なかった。なんとか連れ帰った。だけど、その分隊長は野戦病院じゃ間に合わない怪我だから後送ってことになって、その途中で戦死した。トラックが機銃掃射うけたって後から聞いた」
 最前線には出たことのないミリセントも戦場談義は耳にしていた。
 むしろ、むりやり聞かされることが多かった。大抵は、何人撃ったか、何台燃やしたか、そういった類いの自慢話だった。
 自分の行動が無に終わったという述懐は初めてだった。
 フェイスは続けた。
「今になって思うと、これも一人よがりな考え方かもしれないけど、あの人のおかげで私は生還できたんだと思う。私が死んだら二人分死ぬって、そういうのが頭の隅にあって、それで帰ってこられたんだ。見捨てていたら、私も戻ってこれなかった、きっと」
「そうなの?」
「肩を貸しながら、頼ってた」
「それは、フェイスが、それだけ立派だったんだよ」
 陳腐なものいいだとミリセントは自らの言葉を内心嘆いた。しかし、それ以上のことはいえなかった。
 立派だなんて、とフェイスは苦笑しながら、つぶやくようにいった。
「一人で戦争なんて出来ない。だけど一人で戦わなきゃいけない」
 矛盾を含んだそのつぶやきの意味がミリセントはわからなかった。わかったのは、フェイスも震えているということだった。それは肩で感じられた。
「特一七七はパワーローダーの、それも特殊戦隊だって聞いている。パワーローダーの、単座の実戦型。最初にシミュレーターのメニューを変えて換装訓練する予定だから、私が乗るのは、多分、X4の後継機」
「新型なんだ」
「うん」
「だいじょぶだよ、フェイスは」
「ミリィ」
「なに」
「ごめんね、勝手に」
「謝らなくて、いいって」
「ごめんね」
 いつのまにか二人ともしゃがんでいた。肩をよせ、X4tsに二人でもたれかかっていた。
 X4tsは冷たかった。尻から感じる冷たさも同じだった。
 互いの肩だけが暖かかった。

 五日後、基地司令の前に出頭したミリセントは、軍が軍人の望む任務をあてるのではなく、軍が望む任務を軍人にあてるという、当然の人事の一側面を思い知らされた。
 与えられた選択肢は第一七七特務大隊、防空軍警備第七連隊第一装甲歩兵中隊の二つ。いずれも実戦部隊であった。先日の一連の模擬戦闘の結果が、実戦可能の判断材料とされたのであろう。
 だが、考えようによっては、選択できるだけまだ恵まれているともいえる。
 ハンガーの冷気を思い出す。
 選択に、一日の猶予さえ与えられたが、基地司令の前で彼女は即断した。
「一緒に行こう、フェイス」
 ミリセント・エヴァンス准尉の第一七七特務大隊への転属が、ここに決まった。

 end


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1999/07/02
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