《↑目次へ》


Mission Failure

 待機所にひとり棋譜を眺めているのはドールズのメンバー、ファン・クァンメイだった。
 二十平方メートル程度のその空間に、小さな端末を置いた机とパイプ椅子が数脚あるだけで、身長五フィート半といったところの彼女でも少々手狭に感じられる。
 そんな殺風景な部屋で、出撃するチームに自分が入っていて待機している時もそうだが、それ以上に出撃した隊員の帰還を待っている間というのはストレスのたまる時間だった。プリントアウトした棋譜とチェス盤というのがファンの場合のストレスにつきあう道具だった。熱中は出来ないものの、交錯する黒と白とが少しだけ胸騒ぎを抑えてくれる。
 その棋譜にはナイアガラドロップと名のついた、二年前のグランドチャンプの息もつかせないような指し手が載っていた。一見がむしゃらなだけの攻撃に見えても十手前二十手前の布石がことごとく図に当たり、最後は挑戦者の方はぼろぼろになって投了していた。棋譜にそって黒のビショップを進めて最終局面を盤上に再現すると、ファンは額にこぼれた栗色の髪を掻きあげて溜め息をついた。ここまでやられては挽回のしようもない。
「チェスですか、ファン中佐」
 声に振り返ると、ドールズに配属されたばかりの隊員が後ろから覗きこんでいた。シミュレーターから出てきたところなのか、それともこれからそこに向かうのか、パイロットスーツに身を包んでいる。ファンの方は第三装、つまり基地勤務用の格好であった。
「そうよ。あなたは興味ある?」
「いやー、なんか見てるだけでややこしくて頭痛くなっちゃいます」
 そういいながら銀髪の新人は椅子を寄せて隣に腰を下ろした。

 このルーキーはまだ訓練中であった。この部隊は名称に特務の文字が入る位だから、要求される技量水準も通常の部隊に比べてかなり高くまた特殊であり、配属された人間にはしばらくは適性を見極めることもかねて“特訓”が課せられる。
「やっぱりチェスって実戦に役に立ったりするもんですか?」
 実戦という言葉でファンは作戦中の戦友のことを思い返した。うまくいくと笑ってローダーに乗っていったヤオ・フェイルンの顔が浮かんだ。
「実戦では」
 目の前のチェス盤に展開されたナイアガラドロップという代物に目を向ける。事前の作戦がこれほどうまく実施されることなどあり得ないのが実戦だということを、ファンは自分の経験から知っている。
 知らず知らず黒のチャンピオンにドールズを重ねていたファンの中で、またヤオの姿が浮かんだ。今度は後ろ姿だった。
「役には立たないわね」
「へぇ、てっきり中佐のことだからこれも訓練の一つとか思ったりしたんですけど」
「これが?」
 ファンは、つまみ上げた駒の造形を指の腹に押し付けると、微笑した。
 白のポーンを取り去り黒のナイト。チェックメイト。
「そうね、相手の打つ手を読むのはチェスに限らず実戦でも必要ね」
 自分に言い聞かせるようにファンはつぶやく。
「そういうもんですか」まだシミュレーターでの敵しか知らない隊員はいった。「敵の考えることって、それってモニター越しにわかるんですか」
「そのうち、わかるようになるわ」
 ファンには不思議だった。挑戦者はどうして見抜けなかったのだろう。チャンピオンの指し手は一本調子でどちらかといえば見え透いた攻め方と思われた。対局後のインタビューでの勝者のコメントは神への感謝の言葉、敗者のそれは己の非力を嘆くだけだった。どちらからも潔さは感じられるかもしれないが、戦訓を読み取れる物ではない。
 ファンは棋譜をテーブルに投げ出した。
 何かいいたげな新人隊員の様子に気付いて、彼女は話し掛けた。
「ところでエヴァンス准尉、訓練はどこまで進んだの」
「はい、中佐、そのことなんですけど」
 そういいながら身を乗り出して来たが、少し荒っぽい音を立ててハーディ・ニューランド大佐が部屋に入って来たことによって話は途切れた。
 ファンと同じく第三装のいでたちのハーディは、いつもかけるサングラスをこの時は胸ポケットに差していた。第一七七特務大隊司令という職に就いてから、かつてのように前線に行かず後方で作戦部や他部隊の指揮官と協議して部隊全体の運用にあたるようになって、いつしかサングラスがハーディのトレードマークになっていた。ポーカーフェイスに磨きがかかってきたわね、といつだかファンが揶揄したことがあったが、ハーディはむきになって反論した。好きで表情を隠してるんじゃなくてこれは折衝の時のためだと言い張っていた。
 ひょっとしたら素顔のハーディを初めて見る准尉は、弾かれるように起立し上官に敬礼した。ファンはそれを見て吹き出しそうになったが、ハーディの険しい表情にそんな気分も吹き飛ぶ。
 准尉は上擦った声で、自分は精一杯努力しているとか、与えられた訓練メニューはそもそも人間の限界を無視していてとか、ようするに言い訳だが、そういう意味のことを述べたてていた。どうやら彼女がここにいるというのは油を売っているということらしかったが、ハーディの強ばった視線は彼女ではなく、まっすぐファンに向けられていた。
「シルバーフォックスが……」
 その後はいわなくてもファンにはわかった。あっけに取られた顔の准尉を残して、ファンとハーディが慌ただしく出て行った。

 ファンにはここまで動揺しているハーディを見たことがなかった。共に戦場を駆けていたときでさえ。
「目標は現れたんですか」
 早足でブリーフィングルームへと歩くハーディを追いながら、ファンが尋ねた。
「出てはきたらしい」
「では敵の警戒が予想を上回っていたと」
「いや、そんなもんじゃないようね。回収地点に帰投できたのは四機だけ。ジアスの方もパワーローダーが随伴していたのでなければ説明できない数字よ。それにしたって」
 答えるハーディも信じられないといった様子だったが、いきなり四という数字を聞かされたファンにすれば、なおのこと信じられない。
「ここまで戻ったのはヤオとライザ、あとは……」
「そんな……」
「ファン、二人を連れてきて」
 うなだれるようにハーディはブリーフィングルームへと入っていった。
 だから、ファンはその後に続いては入っていけなかった。


 格納庫に続いている扉が開くと微かな硝煙の匂いが流れてきた。ファンはいつもなら聞こえてくるはずの戦友の声を聞こうと思わず耳を立てたが、聞こえてきたのはやはり二人分の足音だけだった。出撃したシルバーフォックス隊十機のうち六機までが大破放棄、二機が中破。数は、あっていた。先に入ってきたのは、少し赤味がかった胸まである長い髪を後ろで纏めている隊員、右肘から先は包帯を巻いているヤオだった。
 ドールス実戦部隊を率いるヤオ・フェイルン中佐、赫々たる武勲に不屈の野戦指揮官との評を得て既に久しい。だがその時は左脇に抱えたヘルメットすら重そうなほどに悄然としていた。ファンと目があうと包帯を巻いた右手をかかげながら、「うまくやられたわ」と言ったきり、うつむいたままブリーフィングルームへ歩いていった。
 その後から顔を真っ赤にさせたライザ・モリーナ中尉が続いてやってきた。帰還してみれば可動機は自分の機体を含めて二機だけだという、前例の無い損害にすっかり動転してしまっていた。
「ああもうっ、あんな所で並んで撃たれるなんてっ、どうしてっ! あんな小細工に! 一体、なんで誰も!」
 わめきながら苛立たしく手袋を二つとも外すと、辺りの人に気付く様子もなく床に叩きつけてゆく。
「ライザ、落ち着いて」
 後ろから肩を捉まれて、ようやくライザはファンに気付いた。
「一体何が」
「何がって……あなたの言ってた通りだったんですよっ! ファン中佐!」
 振り返ったその目には涙があったが、それは嘆き悲しむ眼差しではなかった。涙の下に見えていたのは、憤怒をたぎらせた射るように鋭い眼光だった。
「とにかくハーディも待ってるわ。こっちに来て、それから話してもらうわ」
 ライザと一緒にブリーフィングルームに向かう途中でファンはふと気付いた。ハーディは自分で出迎えなかった。これまで帰還した自分の部下を出迎えなかったことなどなかったのに。


「こちらは完全に捕捉されていました、そしてそれに気付きませんでした。これが敗因です」
 スクリーンに記録されていたレーダーチャートが映されていた。ヤオが淡々と説明しながら、画面を切り替えた。すると突然、敵味方不明を示す黄色のマークがあちこちにともった。そしてもう一度画面を切り替えた。こんどは画面の右半分は何も映っておらず、左半分も不鮮明になった。テーブルの上のライザの右手が固く握られるのが、隣のファンには暗がりでもわかった。
「最初の一斉射で、スカウトのレイバーグ少佐、シェーレ大尉のX4Rは行動不能となりました。これ以降、記録はX4、X4+の内蔵レーダー及びガンカメラだけです」
 やがて画面はライザの機体のガンカメラに移った。ぶれた画像の中から背後の尾根に陣取るジアス軍のパワーローダーの姿が見えた。
「こちらは街道に現れるはずの輸送隊への攻撃体勢をとっていたために、東南からの敵には結果的にまともに中央のスカウトチームをさらけ出していました。そしてそのまま部隊は分断されました」
 再びレーダーチャートに画面は移った。しかし既にマルチレーダーを構成する機体はずっと減っていたのか、敵性目標も大まかな位置しか示されなくなっていた。
「狭隘な地勢です。だからこそ奇襲の場所に選んだわけです。それが、こうなっては、迎撃体勢に移行できませんでした。撤収する時にも敵の有効な地形利用は大きな障害となりました」
 再生しているレーダーチャートには十分の一秒単位で経過時間がインポーズされていた。勝負は二十分程でついていた。
「ファン、あなたの心配していた通りだった。逆情報だったとはね……」
 ヤオはスクリーンに顔を向けたまま、プロジェクターのスイッチを切った。明かりが戻った室内で、ライザの肩が小刻みに震えている。

 そのまましばらく押し黙っていた四人だが、その理由は同じとはいえなかった。ヤオとライザは一敗地にまみれた戦場から帰還した当事者であり、再生されていたレーダーチャートの中で味方を示す輝点が消えるたびに、声にならないような声をもらしていた。ファンとハーディには、しかし、これらの記録は容易に信じられる物ではなかった。敗北を信じられない者が敗北をかみしめている者にその経緯をたずねていくあいだ、それはいつしか詰問めいた口調になっていった。
「真っ先に索敵型が落伍したのは痛かったわね」
 腕組みしたままのハーディがヤオに問う。
「はい」
「だけどこれは、敵にどの機体がX4Rだかを知られていたということね」
「そう考えていいでしょう。第一撃はレイバーグ少佐、シェーレ大尉に集中していました」
「つまり敵のレーダー網のかなり内側にまで入っていたということになるわね」
「こちらは全て隠蔽姿勢をとっていました。よってレーダー有効域は限定され……」
「ここに展開する時に、敵影はなかったの?」
「少なくとも、パッシヴレーダーには反応はありませんでした」
「少なくとも?」
 ハーディの眉が吊りあがった。
「隠密奇襲という任務です。輸送隊との接触予定時マイナス二十分で峡谷に部隊を展開したのですから、この段階でアクティヴレーダーは使用できません」
「その十五分後、いえ十四分後ね。背後から撃たれたのは」
「はい」
「それまでまったく敵に気付かなかったというの?」
「はい、パッシヴレーダーに反応は無く……」
「敵も同じだったはずよ! あなた谷底ばかり見張っていたっていうの、それで後ろを気にしなかったとでもいうの」
 シルバーフォックスの戦闘経過に衝撃を受けていたファンだったが、さらに動揺をさそう現実が目の前にあった。普段は冷静なハーディが、まともに焦燥を部下にぶつけている。
「隠蔽姿勢をとっていたんです。それに敵が陣取っていた高所に対してはそもそも精度が不足するので」
「なら、カメラは? 攻撃された時は視認可能なくらい接近されていたんでしょう。後ろに向けることくらい思い付かなかったの」
「峡谷北方に簡易ヘリポートが建設されている情報があり、そちらへの警戒も必要でしたので……」
「なるほど、まったく後ろはがら空きにしていたと、そういうことね」
 ハーディは容赦なかった。ヤオはといえば反論にならない反論を力無くもらすばかりだった。
「ちょっとハーディ、そこまで……」
「最初から知ってたんです」
 とりなすべくファンが発言しようとしたが、それを差し置いて、ライザがハーディに食ってかかった。
「最初から知ってたんですよ、ジアス軍は。敵にはドールズがどこに展開するかまでわかっていたんです。だから攻撃直前まで全部眠らせて待機していることも出来たんです。そんな相手に例えこちらから照射したって反応があったかわかりませんよ。それに大体の場所が最初からわかっているから、ヤツらパッシヴレーダーでもポインティングで射撃に必要なパラメータは取れたんです。どれがX4Rかまでも」
「罠だっていいたいの」
「そもそも戦線の背後だからといって、あんな大量の補給物資を僅かの護衛で輸送するはずがありません。第一、今の時期にジアス側にホルダンへ物資を輸送する理由があったんですか」
 喋りながらライザは同意を求めるようにファンに視線を向けた。敵にそのような行動をする理由が無いというのは、出撃前に作戦部から提出されたプランに対してファンが疑念を示した時に使った言葉でもあった。その時ハーディは取り合わず、ほぼ最初のプラン通りに部隊を編成して作戦を立てた。そしてヤオはうまくいくわといって隊員を率いて出撃したのであった。
 ファンが口をはさむよりも、ハーディの方が速かった。
「輸送隊は通過したわよ、その後」
 ハーディが映像をきりかえ、それを示すが、ライザは納得しなかった。
「事前の情報では五十輌以上の油槽車輌だったはずです。それが結局五輌だけだったじゃないですか」
「その敵情については情報部で情報源について再調査されるでしょう。それより中尉、第一線に求められているのは決定された作戦を遂行することです。敵の物資輸送の理由を詮索することではないのよ。そんなこともわからないの」
 上官のその言葉に、ついにライザは机を叩いて叫んだ。
「だったらその情報部とやらに言ってください! あんた達がうまい餌だと思って食らいついた結果どういうことになったかを! 大佐、あなたも見たでしょう。合計六機ですよ、放棄したのが。わざわざこちらからジアスにとってのいいサンプルを補給しに行ったようなものじゃないですか。こんな、こんな作戦のために、アニタ達がっ!」
 そして言葉を詰まらせると、ライザはそのまま席を立って出ていってしまった。
「ちょっと、待ちなさい」
「いいわ、ファン。記録は見たしここらへんで終わりましょう」
 ハーディが少し肩を落としながら、腰を浮かせたファンを制止した。


「では私もこれで失礼します。アクションレポートは一両日中に提出します」
「ヤオ、君のケガは」
 問いかけるハーディに対して、こんなのはケガに入りませんよとヤオは苦笑しながらブリーフィングルームを後にした。
 その後ろ姿でファンにはわかった。三人の行方不明、五人の負傷者を出したシルバーフォックスの指揮官が、腕に破片が多少入った程度で騒いでいられないのだと、背中がそう語っていた。ヤオはそういう種類の人間だった。
「無理して……」
 なぜこうなってしまったのだろう。ファンは天井を仰いだ。
 なぜあの時もっと強く出撃に反対しなかったのか。今となっては病院送りの五人を見舞うことくらいしか出来ない。ジュリア・レイバーグ少佐、セルマ・シェーレ大尉、アニタ・シェフィールド少尉の三名のMIAには無事を祈るのがせいぜい。いまさらと知りつつもファンは悔やんだ。
 傍らのハーディはといえば、空白のスクリーンを睨んだきりだった。
「まずいな」
「そうね、ハーディ。これ以上無いってくらいまずい状況ね」
 出撃可能なローダー搭乗員は四名、ライザをいれても五名。今のドールズには一個小隊程度の戦力しか無い。
「しばらくは部隊再建に努めると、そういうことになるわね」
「それはまずいな……」
 ハーディはなおもスクリーンを凝視したままつぶやいた。
「我々は装甲歩兵三個中隊からなる大隊に編成される」
「ドールズが? それ、認められたの?」
 思いがけない言葉がファンを驚かせた。
 ドールズは名称は特務大隊だが各種兵科混成の部隊であり、中核をなす装甲歩兵に限ると一個中隊強というほどの戦力である。これを一気に倍増させようとハーディは以前から画策していた。
 しかしこの増強案は軍内の強い抵抗にあった。独立戦役時に実験部隊として発足し、その後は数々の特殊任務をこなしたという経緯を持つ第一七七大隊は、今では陸軍、海軍、防空軍、海兵隊のいずれにも所属しない軍総省直属の極めて異例な部隊となっていた。そのような部隊に生産数の少ない最新の装甲歩兵と貴重なパイロットを割かれるのは遺憾であると、特に陸軍側から強硬な反対があった。また装甲歩兵という兵科についても、独立して運用すべきであるとかねてから主張しているハーディに対して反対する者は多かった。
 ハーディは実戦に立つ隊員達にはこういった事情は話さなかった。しかし中佐ともなると様々なつてから情報も入ってくるもので、ファンはドールズの増強案が暗礁に乗りあげたままだと理解していたのである。
 それが一転、認められたという。
「日付は一ヶ月後なんだが、これは確かよ」
 ハーディは複雑な表情で言った。シルバーフォックス壊滅の報が入らなければ無条件に喜んだであろうが。
「それなら……よかったじゃない」
 ファンの方も別の理由で素直には喜べなかった。ハーディが戦場にゆく自分たちを煩わせまいとしているのはわかっていても、別行動をとって知らないところで暗躍されるとなると、それは何やら落着かない。
 つい先ほどのライザとのやりとりもそうだった。第一線、そんな単語をあのような形でハーディに使われるとは思ってもいなかった。ライザを、つまり自分たちを第一線という以上、ハーディ自身は自らを後方で部隊を指揮する人間と規定していることになる。
 組織論からすればそのような立場の人間が必要なことはわかっていても、そこに誰かがおさまるなら自分たちを最もよく知るハーディが最善とわかっていても、それがファンには素直に受け容れられなかった。軍に入る以前から友人同士であったことが、無駄とわかっていながら切り捨てられない感傷として今は作用してしまっていた。
「でも、ハーディ、いっちゃなんだけど、それならナイスタイミングってやつかもね。中隊新設の方は延期ということにして、その分の装備を損害分の補充に……」
「だめだ!」
 ファンがいいおわらぬうちにハーディは激しく否定した。
「ここで退くわけには行かない。あいつらにつけいる隙を与えることになってしまう。ようやくここまで拡充できたのよ。もう二度と便利屋扱いさせないわ、あいつらに。そのためにも認可された第二中隊、第三中隊の増設は変更なく進めてみせる。ファン、ルーキーの訓練は予定通り進めて、いいわね」
 まくしたてるハーディに、またファンは違和感を覚えた。ハーディがまずいなといったのはドールズの受けた被害のことよりも、“あいつら”、ハーディいうところのドールズ解体論者にこの失敗した奇襲作戦が利用される事態を恐れての発言ではあるまいかと感じたからである。


 それから数日間、ファンとライザはデスクワークに追われた。
 軍内の反ドールズの動きはヤオ・フェイルン中佐に対する査問という形をとって現れようとしていた。
 これにライザは激昂していた。後方で独善的な作戦を立てた作戦部より先に血を流して戦った者の責任を問うなんて一体どういうつもりなのよと。
 作戦後のヤオに酷薄ともいえる態度をとったハーディだったが、懲罰人事などで部隊の中核をなす人材を失ってはたまらなかったから、査問という声が出るや、それを回避すべく奔走した。主にハーディとタカス・ナミ中佐がこれにあたったが、ファンの見るところその努力も後手に回っており、もはや避けられそうになかった。
 それよりも部隊としては失われてしまった装備の補充が急務だった。装備補充要請は、軍総省直属のドールズの場合、優先度を高くして扱われる。とはいっても要求するパーツ自体が一般の部隊にはあまり配備されていない開発間もない新兵器のパーツであるから、それなりに時間はかかった。そこを少しでも速くするには色々な方面に微妙な書類、交渉、圧力、エトセトラを必要とした。特に次の派遣予定の基地はパワーローダーの運用には少し手狭な小基地であって物資のストックが期待できず、なるべく今いる基地で済ませておきたいところだった。
 ハーディとナミが査問対策に動いている以上、事務処理はファンとライザがこなさなければならなかった。なぜなら他の士官は病院送りかMIAになっていたから。

 モニターに示されている文面にようやく満足するとファンは長ったらしい職名のつく兵站担当の某少佐宛の手紙を送信した。これでFCSの修理が速まればもうけもの。
「まぁ、こんなものよね」
 そして視線をモニターから外し、今度は机の向かい側に肩をすぼめて座っているエヴァンス准尉に声をかけた。
「さて、待たせた後で悪いけど予定が詰まってるから手短に頼むわ。相談というのは何かしら」
「そ、相談というのは、あの……」
「訓練のこと?」
 准尉はこくんと首を縦にした。
「あの、私の訓練結果なんですけど、あれはあくまで……」
 ファンの片手がキーボード上をしばらく行き来すると傍らの画面が切り替わった。
「これね」
「中佐は……それ全部にアクセスできるんですか」
 たずねる准尉にファンは苦笑した。
「だって私が評価してるのよ、これ」
 准尉は黙ってしまった。本来評価を受ける側に知らせるべきではないが、隊員の評価をする人間は隊内の佐官クラスの人間である。つまりファンを含めて数名であり、自分を担当する評価者を知ろうと思えば簡単にわかるのだが。
「どうしたの。気になる点はあるけど全体としては合格よ。不満かしら」
「どこが……気になりますか……」
 うつむいたままで准尉は聞いてきた。いつだかチェス盤をはさんで話していたときよりも相当余裕が見られない。誰かに何かを言われたのだろうか。そんな准尉とその訓練スコアの示されているモニターとを見比べながら、ファンはスコアを見て以来疑問に思っていたことを指摘した。
「あなた、ローダーに乗るのは嫌い?」
 その言葉に微かに准尉の肩が震える。
「嫌悪というよりは恐怖、かな」
「わたし……」
「無理しなくていいわ」
「そこまで……わかるんですね……」
「湧き上がる感情を無理に抑えつけろとはいわない。だけどここに配属された以上あなたはパワーローダー搭乗員として最前線に出ることになるわ。だからコクピットに座った途端にこんな風に心拍数が跳ね上がるようだと長くやって行けるか正直不安ね。この部隊について原隊でどんなことを聞いていたのか知らないけど、少なくとも普通の女の子が好き好んでやる種類の仕事じゃないのは他の部隊と一緒なのよ。戦闘機動に入っても、この結果からは精度の要求される状況になっても心のどこかで速く済ませようと思いながら行動してるようにも取れるわ。どう、違うかしら」
「おっしゃるとおりです」
 それから准尉は訥々と過去に起こった事故、それによる肉体的精神的後遺症について語った。こういった事項は考課記録に、少なくとも軍の記録の残っているはずの事故についてならばそれと同じ記載があるはずである。だがその記録は直属上官、つまりハーディ以外は見ることが出来ない。
(だからってハーディも一言くらいあったっていいわよね、ここまで根が深いってなると……)
 聞きながら、ファンは自分と准尉の共通の上官を少し不満に思った。
「だとするとエヴァンス准尉、あなたの場合」
「はいっ」
 准尉はびくりと首をすくめた。膝の上に乗せられた手が、神経質そうにその膝に爪を立てている。
「緊張することないわ、なにもペナルティ加えるというんじゃないから」
「あ、はい」
「あなたの場合は基本操縦、白兵戦闘、火器戦闘と技術面で特に苦手とする点は無いのだからもう少し自分に自信を持っていいわ。過去の傷を余り気にしないことね」
「はい……」
「気にするななんて、アドヴァイスにはなってないけどね。セラピーは今も受けているの?」
「はい、それは」
「じゃあ心の方はそちらで直していきなさい。時間が掛かっても構いません」
「でも……私やって行けるでしょうかドールズで……」
「自信持ちなさいっていったはずよ」
 うつむき加減でいた准尉だがその言葉に顔を上げた。
「話してくれてありがとう。大丈夫、こういうのは指揮する方が心得てればいい話よ。部下の適性は心理的なものでも残らず把握してた方がいいしね」
「それじゃ、中佐が……」
「あなたの技量が最大限発揮出来るようにします。エヴァンス准尉、今の訓練が終わり次第あなたも私達と合流することになりますから、そのつもりで」
「合流……前線ですか」
「そうよ、我々は明日にもサンサルバドルに派遣されます」


 ハロ基地はサンサルバドル市郊外、というよりはほとんど市内にあるといってよかった。その基地から北方四十キロ程も進めば前線に達する。そこはジアス側にとってはサンサルバドル攻略に欠くことのできない街道があった。街道はカトモン山から東西に走る尾根にかかっていて、峠や鞍部が幾つか続いており、それが現在は守勢にまわっているオムニ政府側にとっては地の利として作用していた。
 ドールズにハロ基地に向かえとの命令が出たのは、敵補給路に対する奇襲作戦が失敗に終わってから五日後のことであった。どれほどの戦力にもならない部隊までまわす意図がわからなかったが、遊撃的な予備隊として使うのだろう。サンサルバトル防衛にあたっている陸軍第二十一旅団からはたびたび装甲歩兵の増援要請がなされていて、今回お鉢がまわったのがドールズだった。
 ハロは大規模な装甲歩兵部隊の運用は想定されていない基地だったが、新たに六機のパワーローダーを運用させる余力は残していた。しかしファンにはこの小さな基地に収まってしまう今のドールズが、少しさみしかった。

 北方の山稜を見やるとほとんど緑が見られなかった。土色の山肌は、その多くはおそらく戦闘により焼かれてしまったのであろう。もっとも、元々この地方はほとんどが落葉樹であったから、単に葉の落ちた山林を見ているだけかもしれない。兵舎の屋上から見ているファンには、そこまではわからなかった。
(でも春になればわかる)
 乾いた秋風が顔を撫でていき、そこに混じった格納庫からの機械油の匂いにファンは気付いた。この基地は整備施設までは気密にはされていない、BC兵器で容易に無力化されてしまう。
(春になったとして、その時どちらがサンサルバドルを手にしているかしらね)
 傾いた太陽の光を浴びようと手すりに背中をもたれ掛けさせたときにファンは自分を呼ぶ声を聞いた。
 声の方を振り返るとライザが樹脂のカップを持ちながら歩いてくるところだった。ライザは機体の整備は大抵は整備員まかせだったが、今は自分で機体を点検したらしく羽織ったジャケットには付いたばかりのオイル染みがあった。
「どうしたんです、中佐。ここじゃ寒くありませんか?」
「風に当たってたの」
 手すりにもたれながら答えると、ファンは差し出されたコーヒーを受け取った。
「ありがと」
「どういたしまして」
 湯気のたつカップに口をつけて砂糖が入っていないことを確かめてファンは微笑した。
「ブラックでしたよね」
「ありがと、ライザ。今度のルーキーはなかなか私がブラックだって覚えてくれなくて」
「エヴァンス准尉ですか」
「そうそう、ミリセント・エヴァンス准尉」
「あの子がハロに来てくれると余裕もできますよ、もう少しです」
「そうね、これじゃ一個小隊だものね」
 ヤオの査問は結局避けられず、今はファンがドールズ・ハロ分遣隊を率いていた。とはいっても率いる部下といえば、ライザ・モリーナ中尉とエリィ・スノウ特務軍曹、コウライ・ミキ特務軍曹の三人だけである。先任順なら指揮官はタカス・ナミ中佐のはずであったし、ファンもそれを希望していたが、ハーディはヤオの査問にはナミのハードウェアの知識が必要だと譲らなかった。たしかにこの上ヤオが更迭という事態になればそれは再建途中のドールズに大きな痛手になるので、少しでも有利にというハーディの配慮は理解できた。それでもナミが戦列を離れるのは、特にハロ分遣隊にとっては、辛かった。
「ナミの方もね、連絡があったわ。用事はそろそろ終わりそうだって」
「そうですか」
「六人揃えばここの旅団長の厭味も少しは減るでしょ」
「中佐、査問の件ですけど……、やはり私が証言するべきだったんじゃないでしょうか」
 ライザは拘っていた。そろそろ終わりそうな用事に。
 当事者にぶちまけられてはどういう結果になるか読めないからと、ハーディはライザを証人から外していた。その危険はあり得た。横にいるライザの思い詰めたような眼差しを見ては、ファンでさえライザを証言させる気にはなれない。
(一言いいたいって気持ちはわかるけど……)
「ナミに任せれば、うまくやってくれるわ」
 ライザの視線をそらすように、ファンはコーヒーを流し込んだ。

「ホルダンはこの方角ですよね……」
 ライザは山並みを見つめながらつぶやいていた。風に吹かれて彼女のジャケットが音を立てた。あれから一週間が経っているが、三人のうちアニタ・シェフィールド少尉だけが依然行方不明のままである。
 アニタとライザは基地の食堂ではいつも音楽談義に花をさかせていた。休暇の時の彼女達のセッションはファンももちろん聴いたことがある。ライザの表情が晴れない理由は査問のことばかりではなかった。
「聞いたでしょ、セルマもジュリアも救出されたわ。アニタもきっと大丈夫よ」
「はい……」
「あなただってピクニックする羽目になった経験はあるでしょう。ピックアップチームが一ヶ月前のMIAを救出したなんてこともあるし」
「でも、目の前でアニタのX4が脚を吹き飛ばされて擱座したとき、私は何も出来なかった……」
「何も?」
「聞こえたんです、アニタの声が。『助けて、ライザ』って。アニタは私の名前を呼んだんです。何も出来なかった私の名前を呼んでくれたんです。呼びかけられながら、私は、何もしてやれずに、そのまま後退したんですよ……」
「あなたは何もしなかったわけじゃないわ」
 ライザの視線は北の稜線に留まっていた。失敗に終わった目標の敵補給路付近も落ち葉となっている頃である。ジャングルよりはましなはずの高緯度地帯での戦闘だが、今の二人には恨めしく感じられた。
「ライザ、あなたは何もしなかったわけじゃないわ。それでも戦場では、その中で尽くせるあらゆる手を尽くして、それなのに考えられないような結果になることがたくさんある。それはあなたもわかるでしょう」
「でも……」
「あの状況でのあなたの戦闘には誰も文句なんて付けられないわ。あなたのおかげよ、アニタがMIAになってるのは」
「なっ!」
「KIAにならずにね」
 ファンはコーヒーの残りをすすったが、だいぶぬるくなってしまっていた。
「中佐、アニタは……無事でしょうか……」
「食糧もまだ続いているはずだし、負傷が軽ければきっと」
「無傷とは思えません。あんな状況の中で……」
「なら出来るのは祈ることだけだわ」
「そんな」
「あなたが行方不明になってから十日後に救出されたケースがあったわね。もちろん私達皆が心配したけど、なかでもアニタはその間ずっとライザが無事でいますようにって、それこそ食事の間もそう祈っていたわ」
「でも、祈るだけだなんて、そんな……」
「教会とか寺院とかには行かない?」
「えっ」
 ライザは戸惑った顔をファンに向けた。お互い神を信じるような人間でないことは知っている。
「私もね、普段から信心深いっていうわけじゃないから、こんなときはいろいろ後悔したりする」
「何も出来ないんですか、私達……」
「出来なくても……、そうね、『祈る神を持たなくても、その人の運命を信じることは出来るのです』」
「しんじる、こと」
「従軍牧師がね、そう言ってくれたことがあるの」
「そうですか……」
「無事でいるわ、アニタは」
「はい……」
 風はまだ穏やかだったが、雲が広がりだしていた。黒ずむ山肌を後にして、二人は詰所に戻っていった。

 その晩、ファンは夢を見た。アニタ・シェフィールド少尉が立ち木の根元で枯れ木を燃やして暖をとっていた。コーヒーをいれたわとマグカップを渡されたが、いれたてだというのに、それはひどく冷たかった。そこで目が醒めてしまった。
(なんて夢見……)
 ファンは基地内の平装に着替えると、兵舎の屋上に再び上がった。サンサルバドル全体が灯火管制下にあるため、降るような星空が広がっていた。夜空と山肌との色を見分けることは出来なかったが、それでも彼女はホルダンの方角を凝視した。夢に現れたアニタが行方不明になったのはそこから直線距離でも百キロあまり、いくつもの稜線を越えなければたどり着けない。
(アニタ……どこにいるの……)
 ファンは昼間ライザにいった言葉を思い返した。
 ──信じることは出来る──
 では自分は信じているのか、夢の中のコーヒーの冷たさは、では何なのか。


 翌朝、少し寝不足気味のまま、ファンは空襲警報に叩き起こされるはめになった。
 霧に閉ざされた薄明のひととき、すなわちレーダーの効率が最も低下する時間帯に、百発程度の巡航ミサイルがサンサルバドル周辺の基地目掛けて放たれた。オムニ政府の防空軍士官は規定通りに対空ミサイルによる迎撃を実行した。巡航ミサイルはその殆どが撃墜され地上に被害を与えたもの僅かに五発、しかしその内の二発がハロ基地の主滑走路を一時使用不能にしたため、その後の経過に大きな影響を与えることとなった。
 ジアスの攻撃はもちろん巡航ミサイルだけでは終わらなかった。爆装したFK17Cが二十四機、政府側のSAMサイトを沈黙させるべく低空を高速で侵入してきた。SAMは直前の巡航ミサイル迎撃時に対空レーダーを使用することでその位置を暴露していたため、ジアスの攻撃機はSAM射程に入らずに目標をコンピューターに指示して対地ミサイルを発射することが可能だった。巡航ミサイルならともかく高速の対レーダー波誘導ミサイルが相手では撃墜率九十パーセントというわけにはいかず、ハロ基地の防空を担うSAMの半数以上が破壊され、同時に空中捜索レーダーの一部が破壊された。基地の空戦管制能力は低下し、そして滞空中のAWACSの燃料が尽きようとしていた。
 ここで政府軍は決定的なミスを犯した。上空のAWACSを後方の基地に下げ、主滑走路を使わなければ離陸できない交代のAWACS無しに、今し方攻撃を掛けてきたジアスの攻撃機の追撃の為に戦闘機をスクランブルさせたのである。そこへジアス空軍のFK17Cが四十機、今度は対空装備で殺到した。レーダー施設の被害が回復せず地上管制も不完全なままであり、ようやく離陸した政府軍の要撃機はまともに編隊を組む前に交戦しなければならなかった。SAMを恐れずに政府軍の飛行場の真上でドッグファイトを繰り広げるジアスの戦闘機の姿を見せつけられれば、空戦の主導権がどちらにあるかはファンやライザのようなパワーローダー搭乗員にも明らかだった。
 日が上り後方から政府側の増援の戦闘機が駆けつけるとジアスの戦闘機隊は離脱していった。しかしサンサルバドル一帯はもはや政府軍の制空権下にあるとはいえなかった。ハロ基地航空兵力は無力化され、そしてジアスの地上軍は無論この機を逃さなかった。

「その数たるや機甲部隊が三個旅団。この隙にってつもりなんだろうがな」と第二十一旅団の装甲歩兵大隊を率いる中佐はファンに言った。
「見てろよ、そんなことはさせないさ」
 ドールズも協同作戦に出撃するべく、すでに格納庫ではライザ達が準備に入っていた。ファンはコールサインや作戦計画を詰めるためにと士官室に呼ばれていたのだった。計画では眼前の小柄な髪の薄い中佐がドールズと直接協同作戦をとる部隊の隊長である。
「心配なのは制空権ですね。後方からでは滞空時間も取れないでしょうし」
「空軍のことは空軍に任せるしかないな。こちらはこちらでやることがある。それも多分いやになる程な」
「それで我々の配置ですが……」ハロ基地到着時のブリーフィングで伝えられた言葉をファンは思い返した。“挺身偵察部隊”、歓迎したくない響きの漂う代物だった。「そちらの指揮下での敵正面への偵察攻撃任務と解してよろしいですね」
 ファンのその問いに、大隊長は首をひねりながら答えた。
「たしかにそうなっていた。いたんだがな、そのままの方が有効だと思うんだがなあ、俺も。変更があってな、君たちが向かうのは敵の側面だ」
「それは別働隊という意味ですか。我々は四名しか揃っていませんが」
「そうだよなあ。いくらあんた達ドールズでもちょっと荷が重いよなあ」
 重いどころでは無かった。軍団規模の敵に対して、地の利があるとはいえ一個小隊の装甲歩兵で側面に回って何をしろというのだろうか。ファンにはさっぱりわからなかった。
「なぜですか。これまでの計画通り、の偵察小隊ではいけないのですか」
 その問いに対して肩をすくめながら大隊長の述べた言葉は、ファンが予想もしなかった物だった。
「それがな、これは君の上官のニューランド大佐からの直接の指示なんだ」


「このまま何もせずにいるわけにはいかないわ、そうでしょ」
(はい)
「街道を突破されたらもはや機甲部隊を止めることは出来ないわ」
(そのとおり)
「第二十一旅団からこれ以上包囲攻撃のために兵力を割くわけにはいかない。直ちに投入可能な部隊はドールズだけよ。大丈夫、106zx56の丘陵部に展開すれば、少ない兵力でも有効な反撃が出来るわ」
(なるほど)
「制空権はこちらに戻りつつある。その丘はまもなくAC17で強襲降下可能になる。降下後は敵左翼に牽制攻撃をかけて。二時間でいいわ、そうすれば重砲の増援が到着する。それまで苦しいでしょうけど四機で持ちこたえて」
(そこです、せめて八機、いや六機でもいいから……。四機では……、小隊単位のフォーメーションでは……)
「ファン、あなたなら出来る。あのコルベット山の罠の時も、あなたがいたからこそ切り抜けられた」
(あのときは十二機でしたし降下したのは夜間でした。でも今回は白昼強襲……)
「敵に平原溢出を許せば、もはやサンサルバドルは放棄せざるを得ない。それは戦争全体を左右するのよ」
(そう……。ハーディ、あなたはもはや一部隊長ではありえないのね……)

 ハーディは強硬に単独出撃を主張した。ろくに共同訓練も行ったことの無い部隊の指揮下で作戦行動は出来ないというのであった。だが実際に四機で出撃することとなるファンには到底納得できなかった。するとハーディは次いで包囲戦術の正当性を主張した。一個小隊では劣勢包囲にもならないことは明らかだったが、最後はなだめすかすように説いていた。
 ファンにとって、これまでのハーディからは少なくとも部下におもねるような口調など、およそ考えられなかった。時折ノイズのかぶる眼前の映像の中にいる人物が、なぜかひどく遠く見えた。
(私たちをどうするつもりなの、ハーディ……)
 軍に導入を決定させるために奔走し、部隊が新設されるや自らそれを率いて第一次独立戦役を戦いぬき、今では軍総省で押しも押されもせぬパワーローダー運用の第一人者。これまでのハーディの軍歴すべては第一七七特務大隊ドールズに集約されているといっても過言ではない。
 そのドールズが、いまや可動四機。ファンには今にもハーディ・ニューランドの肉体までもが潰え去っていくように思えてならなかった。
「わかりました、ニューランド大佐。これよりドールズは出撃、106zx56地点に展開し敵に牽制攻撃をかけます」ファンはそう言って敬礼した。いつもはハーディと呼んでいたが、なぜか階級を付けてしまっていた。
 既に待機しているパワーローダーに乗り込むために、ファンはハーディの映像に背を向けて歩きだした。
(四機とはね、結局間に合わなかったか……)
 整備員が走りまわっている格納庫に向かうと、エリィ・スノウ、コウライ・ミキ、そしてライザが既に機体の前に整列していた。AC17強襲機パイロットはリサ・キム大尉と、セシル・フェリクス少佐だった。

「リサ、あなたは確か補給の……」
「そして受領任務をたった今終えて復帰いたしました。ぴかぴか新品のAC17で運んでさし上げましょお、中佐ドノ」
「へえ、新車ってわけですか。わたし新車のシートのカバー外すのが楽しくって、わかります?」
「そうそう。気持ちいいよねー、あれ」
 おどけたリサにつられ、皆が笑った。張り詰めた雰囲気をほぐすタイミングを心得たリサにファンは心中感謝した。
 そんな中でもライザには笑顔が無かった。失敗に終わった前回の作戦以来、彼女はほとんど笑っていない。ファンは二分隊に分けてライザに片方の分隊長を任せるつもりだったが、そんな彼女を見ているうちに気が変わった。
「フォーメーションは、わたしとモリーナ中尉の第一分隊でフォワード。スノウ特務軍曹、コウライ特務軍曹の第二分隊はバックアップ。任務は牽制です、突出しないで。予備隊は無いから四機が三機になった時点で作戦は失敗よ、忘れないで」
 ファンは重ねてライザに念を押した。
「いいわね、突出しないこと」
「わかってます」とライザ。
「スノウ分隊長、了解でありまぁす」エリィとミキでは、エリィが先任になる。彼女は大仰に敬礼して見せた。
「頼んだよ、分隊長さん」そういってミキはエリィの肩をぽんと叩く。
「各員搭乗。セシル、リサ、106zx56上空まで頼むわ。」
 二人のパイロットは笑ってVサインをしてみせた。だが二人にはハロの航空基地としての能力が半減した今、この方面の空軍が降下予定地点にまで護衛機を付ける余裕は無いことを知っているはずだったし、対空装備の貧弱なAC17だけで白昼強襲降下をすることが何を意味するかも知っているはずだった。
 それでも離陸を告げるセシルの声は、いつもと変わらないように聞こえた。二機の強襲機は離陸、グレイハウンドは出撃した。


 狭いパワーローダーのコクピットに新たに緑色の光が加わった。降下準備よし、の意味だ。同時に強襲機パイロットのセシルの声が割って入る。
「これ以上深入りは出来そうにないわ。ここらで勘弁してね、ハウンドリーダー」
「了解。ハウンド各機、展開地点を106zw57に変更する。ハウンドウィング、そこまでは頼むわ」
「106zw57了解、ファンありがとう、降下点まで残り30、29、28…」
(三十秒か、微妙な時間ではあるわね)
 ファンはスティックを握る手を心持ちゆるめた。パワーローダーを抱えて対空砲火の中を進むAC17のコクピットにいるセシル達にしてみれば、三十秒でも長すぎると感じているのだろう。それでも運ばれる方としては一秒でも目標に近づいてほしかった。
「20、19、18…」
 砲火に揺れる機体を操りながらもセシルのカウントダウンは落ち着いていた。
 しかし、第二分隊はそうでもないようだった。
「ねぇ、エリィ、整備班はスタビライザの動作チェックやったんだよね」
「今んなってそんなこといわないでよお。チェックは搭乗前に自分でもやったでしょ」
「だってさ、それは火器管制とかバッテリーまわりで…」
 二番機で運ばれている二人は、共に三十秒の時間を持て余し気味のようだった。結果的に降下作戦の経験の少ない二人をあわせて割り振ってしまったかもしれない。
「03、04。私語はやめろ」
「9、8……」
 ファンとペアを組むライザは、さすがに通信回線で愚痴をこぼすことは無かった。だが、ファンはむしろライザの方を懸念していた。ノイズに紛れて聞こえる彼女のかすかな吐息は、ファンには冷静さよりはむしろ、牙をむいて飛び掛からんばかりの猟犬を、ハウンドを、思わせた。
「ミキ、左、しっかりサポートしてよ」
「わかってる、エリィ……」
「4、3」
 そしてセシルの声と共に強襲機のゲートが開いた。両肩にキャノン砲を載せ、搭載量ぎりぎりまで弾薬を積んだローダーのコクピットが大きく揺れた。
「2、1、降下! GO! GO!」


 グレイハウンドの降下地点は灌木のまばらに生えた岩場だった。そこにジアス側の撃破された車輌からの黒煙が何本か立ち上っていた。煙と土埃で視界はひどく低下していた。
「03より01、方位290よりMBT! 六輌来ます!」
 X4Rに乗るエリィからの警報が入った。
「01より02、先頭二輌は任せた。後続はこちらでもらう」
 ファンは少しうんざりしたような声でライザに指示を出した。
 まるできりがなかった。敵はこんな小部隊にも後から後から攻撃を繰り返した。いつしか撃破数を数えるのを止めていた。スコアなどより残弾の方が気になった。
 サイトの中央に捉えた目標に弾丸が吸い込まれてゆき……だめだ弾かれた、照準が緩くなっている。しかし砲身を冷やして再調整する時間は無さそうだった。すぐさま返礼に至近弾が来て、機体が揺れる。だが見ると敵戦車はおのおの窪地に位置しようと隊列を崩していた。この戦車隊の隊長はアマチュアらしい。
「02、引きつけて撃て。砲身がなまってる」
 二番機からの砲撃音が轟き、先頭の戦車は立て続けに食らった二発の徹甲弾で火を吹いた。
「02より01、百五ミリ残弾無し。近接戦闘許可を乞う」
「だめだ02。第二分隊、弾に余裕はないか?」
「こちら04、02のカバーに入ります」
「ありがと04、弾薬貰うだけでいいよ。こっちに来て」
 敵に対してライザはファンと横一線に並んでいたが、何度か敵を撃退しているうちにライザは次第に敵との距離をつめていた。結果、弾薬の消費もライザが多くなっていた。
「01より02へ、三百メートル後退だ。そこで04から受け取れ」
 交信しながらファンは脇腹をさらけ出した戦車にキャノン砲を向け引き金を引いた。
 サイトの中に黒煙が広がった。何波目だかの攻撃は六輌中三輌を撃破すると、残りは反転していった。
「01、こちら02。敵車輌は後退しています。追撃します」
 ファンは舌打ちした。出撃時に感じた懸念は現実の物となっていた。ライザは焦っている、はやるあまりそもそも絶対的に劣勢であるということを忘れている。
(どうしたっていうの、ライザ。いつものあなたらしくないじゃない)
「02、何度も言わせるな、下がるんだ」
「中佐、これはチャンスです。予定降下地点は106zx56だったはずです。今ならそこまで行けます」
「いいか02、命令だ。三百メートル下がって04から弾薬を補給しろ。ここから先は遮蔽物が無い」
「02、こちら03。現在、我が方に接近する敵はありません。今のうちに弾薬を補給してはどうでしょう」
「……了解っ」

 予定降下地点にたどり着けずに降下。
 帰投中にハウンドウィングは敵機と交戦、キム大尉はベイルアウト。
 そしてフェリクス少佐は、胴体着陸時に負傷。
 一時間を経て第二十一旅団司令部はグレイハウンド隊と未だ連絡不能。
 出撃したドールズについての情報は、ほぞを噛まずにはいられないような物ばかりだった。
「不幸は二人連れでやって来る、か……」
 執務室の端末の前でハーディには珍しい独り言がもれた。
 彼女にとっては今回のサンサルバドル防衛部隊からの出動要請を拒否することは出来なかった。指揮系統からすれば、断ることは不可能ではない。しかしそれでは目立ってきたドールズ解体の流れを加速させるだけだった。
 ナミの数値データを駆使した証言のせいもあってか、ヤオの査問の方はどうやら無事に切り抜けられる見込みがついた。だが時を同じくして湧き上がってきたドールズ解体論には、それ以上に神経をすり減らされた。
 曰く、経験豊富な佐官級の人材を一部隊が抱え込むのはいかがなものか。
 曰く、特異な部隊を維持することで軍費を圧迫するのは。
 曰く、もはやPR部隊などは必要無い。
 曰く、精鋭主義ももっともだが軍全体のパワーローダー搭乗員の技量を向上させるためにもドールズのメンバーを各部隊に……。
 ある時は噂で、ある時は書面のニュアンスから、ある時は面と向かってそういうことをいわれ続けるうちに、ハーディは自分と自分の部隊が味方によって包囲されているような気さえしてきた。何とかしなければならなかった。そのためには結果だった。結果を出せばあの近視眼論者共も認めざるをえまい。ドールズはなお軍にとって必要不可欠な存在であると示せばいい。
 だからこそグレイハウンドは単独出撃した。そしてこの事態であった。
 虚脱感がハーディを包んでいた。パワーローダーを駆って戦場にあった時、どんなに劣勢であっても無縁だったはずの感覚だった。包囲されたこともあったし、見えない敵から撃たれたこともあった。それでも戦意を失うという経験だけは無かった。逆に敵愾心が一層かきたてられたものだった。そして自分の指揮の下に果敢に突入する部下がいた。自らもトリガーを引きキャノン砲のリコイルを感じた。格闘戦でヤオとスコアを競った。それなのに……。
(疲れてるかな……)
 ハーディはローダーのコクピットを懐かしがっている自分に気付いた。
 疲労は判断を曇らせる。気付けにニトロでも処方してもらおうか。
(この出撃は間違っていない。サンサルバドルを放棄することは出来ないはず……)
 いつのまにか眼を閉じて固く握り締めた両手を胸にあててはいたが、かといって神に祈る言葉など知らなかった。指揮官として前線にあった頃は、たとえ窮地に追い込まれても神にすがる前にやらねばならぬことが多すぎた。
(ファン……あなたならやり遂げる……帰って来る……)

「あの、司令……」
 ハーディが顔を上げると、新人隊員が気まずそうに半開きの扉をノックしていた。
「どうした、エヴァンス准尉」
 ちょっとばつの悪い思いでハーディはサングラスをかけなおした。
「防空軍のハリル大佐がお呼びです。指揮所で待っています」
「指揮所に? 映話じゃだめなのか?」
「はい、直接会って話されたいとのことです。あのう、司令、ハロ基地の部隊の方は」
「順調だ、君は心配しなくていい」
 准尉を振り切ると、ハーディは指揮所へと向かった。
 直接話さなければならない用とは何だろう。ハーディは二三考えてみるが、いやなことばかりしか思いつかない。
 指揮所では、腕を組んだハリル大佐が壁に表示された地図を立ったまま凝視していた。その顔が地図上のいくつかの輝点の光で赤くなっていた。
「ああ、ニューランド。これを見てくれ」
 そういうと彼は輝点の一つを指し示した。ホルダンより東方二十キロ、ドールズによる補給路奇襲作戦が失敗に終わった地点からは、それほど離れていない。ハーディは唇を噛んだ。
「君の部隊のシェフィールド少尉からの救難信号がここで確認された」
 地図の方を見たまま喋ったハリルの言葉を聞いてハーディはほっとした。
「収容できましたか。それで彼女は今どこに」
「信号をキャッチしたのは六時間前、そして十分とおかずに救助部隊が出された。しかし今になっても帰投していない」
「六時間前?」
「彼女は戦死、あるいは捕虜になったと見るのが妥当だろう」
 ハリルは厳しく言い放った。そしてその表情はいたわりのそれではなく、刺のある物だった。防空軍の救助部隊にも被害が出たのであれば、わからないでもない。
「そうですか、救助隊もろとも敵に押さえられたと……」
「そんなことはわからん」
 きっと睨みつけるような視線をハーディに送り、ハリルは続けた。
「わかっているのはだな、ニューランド。現在までに確認されたこの全ての救難信号が、シェフィールド少尉のIDを示しているということだ」
 壁面の地図を見てハーディは愕然とした。十四の輝点がそこにあった。
「ただちに全軍の救難コードを変更せねばならんっ!」
 ハリルが拳で地図を叩きながら叫んでいた。


 状況に押されているうちにファンの考えが微妙に変化していった。いたずらに刺激しなければ敵も来ないのではないか、そんな考えが生まれ、そしてくすぶるようになっていた。
 出撃前、ハーディは二時間の牽制といっていた。確認できる範囲の敵の動静からは疑わしかったが、もし全体の状況もハーディの発言通りに運んでいるとするならば、とにかく残り一時間を切ったことになる。これ以上は下手に突出して敵の注意を引きたくなかった。牽制という任務も部隊を賭してまでという指示ではなかったはずだと、ファンは自分を納得させていた。
「01よりハウンド各機。03の現在地に集結」
 索敵機中心の円陣は攻撃というよりは防御的な意味合いが強く、牽制攻撃任務からすれば微妙な配置ではあった。しかし部隊全体でも、これまでのペースで交戦し続けるのは弾薬の面から厳しいというのもまた事実。
(ヤオならここで逆に撃って出るかもしれない……)
(ハーディならどうだろう、あの頃のハーディなら……)
 補給路奇襲作戦が失敗してからハーディは変わったという想いが、ファンには拭えなかった。上官と部下、あるいは戦友といった関係になる以前からずっと彼女を見続けていたファンにとって、その変化が理性ではともかく感情の奥底の部分では、受け容れることが出来ずにいた。
(そこまでして守らなければならないの……)
 ハーディの影響力は既に一大佐の域を越えつつあった。惨澹たる失敗に終わった例の作戦の後にも、ドールズメンバーに対しては懲罰的な異動はなされていない。損害の補充もなんとかハロ基地派遣前に一通り行われた。ヤオの査問は避けられなかったが、それもナミから聞いている限りではうまく運んでいるという。これらの影にハーディの力があったのは間違い無い。
 では六機のパワーローダーしか動かせないドールズを投入するのもハーディの意思か。
 パイロットが四人しか揃っていない内に出撃を承認したのもハーディの意思か。
 ハーディはドールズの存続を賭けて一人で軍の組織と戦っている、ファンにはそうとしか思えなかった。その戦うハーディの目指しているのは部隊の存続。それは必ずしも隊員の生還とは一致しない……。
 出撃する時のハーディとの映話から感じてしまったファンの疑念は晴れなかった。孤立無援ともいえる戦場は、むしろそれを濃くさせていた。

「グレイハウンド、こちらローエングリン。応答せよ」
 何度呼び出しても答えなかった第二十一旅団司令部からの突然の通信に、ファンは我にかえった。
 その時、エリィの乗るX4Rを中心にファン、ライザ、ミキの3機のX4+はほぼ北向きに半円陣を組んだ形になっていた。
「ローエングリン、こちらグレイハウンド」
 第二十一旅団司令部とようやく連絡がついたことは嬉しかった。しかし続く通信内容は状況を好転させてくれるものではなかった。
「グレイハウンド、支援重砲は街道正面の敵の砲撃を押さえるのに手一杯でそちらにまではまわせない。攻撃機もすぐには無理だ」
 たしかにそうだろう。だから敵もここには重砲を使えず戦闘車輌だけを使ってきている。でなければ、一個小隊のパワーローダーなどとっくに粉砕されている。
 とはいえ、いつまでも敵の出方に期待するのは愚かしい。
「今は小康状態だが、このまま敵の攻勢が続けは弾薬はもたせたところで三十分だ。そうなったら我々をそちらの指揮下の第三十二連隊に収容できるか」
 半ば居直りではあったが効果はあったらしい。苦り切った口調だが掩護を与える通信が続いてくれた。
「……二十分後に攻撃ヘリ一個小隊を向かわせる、それでいいか」
「了解」
「対空車輌はそれまでに始末しておいてくれ、いいな」
 唐突に交信は切られた。
 とりあえず秘話回線を切ってから、ファンは小声で毒づいた。好き勝手なことをいってくれて。X4+三機とX4R一機、これをさらに散開させて対空車輌を掃討するなど出来るわけが無い。とはいえ全機がこの位置に集結したままではヘリに目標誘導するのには具合が悪いこともたしかだった。
(ヤオ、あなたならどうする……)
「01より03、正面の敵は」
「今のところ動きはありません」
 ファンは大きく息をついてスティックを握りなした。手のひらの汗に気付かされた。
「01よりハウンド各機、方位030、五百メートル先の小丘地に向かう。警戒を怠るな」
 そしてファンがその命令を出していくらも経たないうちに四機のローダーすべてが救難信号をキャッチした。


 X4+はもちろん戦闘仕様であり、捜索や救助の用途は設計時から想定されていない。そのX4+に救難信号が受信できたということは、かなり距離が近いことを意味した。そして信号のIDも判明した。グレイハウンドの四人に衝撃が走った。
「中佐、これって……」
 ミキの信じられないといった声が届いた。ファンにもANVTGの隅の表示が意味するところはにわかには信じられなかった。
「01より03へ、救難信号が方位035より発信されている。確認しているか」
「こちら03、これはたしかに……」
「いつからだ」
「たった今です。16:37:44に受信、三十秒前からです」
 ファンのX4+とエリィのX4Rの記録は一致していた。突然一キロと離れていない場所から救難信号が発せられたことになる。それは平面図上ではこれから向かおうとしている丘の反対側の斜面に位置していた。
「依然敵に動き無しですが、どうしますか」
 エリィは不安の隠せない声で尋ねてきた。
 ファンには取るべき行動はわかっていた。しかし指示を下すまでにはたっぷり一分はかかってしまった。戦場においては危険すぎる空白とわかっていても、決心をつけるためにはどうしてもそれが必要だった。
「全機、現在地で停止。03、センサーをパッシヴに限れ」
「なぜです、中佐」
 間髪を置かずにライザの声がインカムに響いていた。

「02より01、味方の救難信号です、前進して収容すべきです」
「危険だ、却下する」
「敵の攻撃は終息しています。可能です」
「罠だ。反対斜面には出られない」
「なぜです、確認せずになぜわかるんです」
「IDは見たわね、中尉」
「そうです、アニタのシグナルです。ここまで脱出してきたんです。はやく助けないと」
「あり得ない。この救難信号は敵の偽装よ」
「それなら」
 二番機が丘の方角に進みだした。
「自分に行かせてください。中佐、お願いします」
「止まれ、02」
「私は信じています。アニタは無事です。あそこにいるんです」
「止まって、02」
(どうしてわからないの、あなたは敵の照準の中に飛び込もうとしてるのよ)
「02より01、これより確認に向かいます」
 その通信に続いてぱちっという音がした。ライザが回線を閉ざしている。
 とっさにファンは左マニュピレーターのグレネードを構えて、照準をライザの機体にあわせた。ANVTG上には友軍を示す表示が点りこのままでは直接射撃は出来ない。しかし至近弾でもこの距離では致命傷になり得た。そして相手にはロックされているとわかるはずだった。それに賭けた。
「中佐、なんてことを!」
「やめてください、ファン中佐っ!」
「03、04、現状維持。02、後退せよ。繰り返す、直ちに後退せよ」
 ライザは機体をようやく止めた。しかしなお戻ろうとはしていない。
「信じていますか……」
 再びライザが回線を開いていた。
「中佐は信じているんですか……」
「ライザ、あなた何を」
「中佐……アニタの運命を信じていますか……」
 ファンにはライザが何の話をしているのか、すぐにはわからなかった。そしてわかった。だが、わかったところで、どうしろというのだろう。
「信じている」
「これは罠ですか、それでも」
「冷静になって、ライザ。アニタが無事だったとしてもここまで歩いてシグナルを出すことは出来ない」
「あなたは信じていませんね」
 もはや取り乱すことなく、しかし冷たくライザは言い放った。
「モリーナ中尉、救難信号を確認すべきというあなたの助言は記録しました。責任は私が取ります。直ちに戻りなさい」
(戻って、ライザ、撃たせないで……)
 ライザが隊列に戻ろうするまで、それは実際には十秒程度だったかもしれないが、ファンには何時間も友軍機に照準をあわせた警告音を聞いていたように思えた。トリガーに触れている指先が自分の体の一部ではないような感覚に襲われていた。
 そしてようやくライザが機体を反転させて戻ろうとした時、エリィのANVTGに音響センサーからの警告が示された。

「曲射ですっ! 十二時方向!」
 エリィの悲鳴の終わらぬうちに二番機が土煙に包まれる。
「全機、全速後退!」
 正面の丘を越えて来る砲撃はよく集束していた。直接照準か、いや、あれだけ敵前で通信を交わしてしまったのだから、それだけで射撃に必要な諸元は取れたのだろう。ファンは結局敵の思惑にはまったことが痛いほどわかった。既に任務が失敗に終わったことを思い知らされた。
「02、応答せよ。02、応答せよ」
 砲撃の着弾点にカメラアイを向けながらファンは呼び続けた。
「ライザ、答えてっ!」
 二十発は砲声を聞いた後、視界が晴れるにしたがって無残な機体がモニターに浮かびあがった。二番機は左脚部が根元から引き千切られ、両肩にマウントされたキャノン砲も消し飛んでいた。
 ハッチを開けてライザが出てくる様子はなかった。
 ファンの脳裏にブリーフィングルームで見たシルバーフォックスの戦闘経過が浮かんだ。このままあのように引き裂かれてしまうというのか……。
 スモークを張りながらファンは命令を下した。
「04、02を収容せよ。03、続けっ」

 ファンはエリィの掩護に立つポシションに着いて、敵の砲撃射線に直角にダッシュした。この上索敵機を失うことは、絶対に出来なかった。しかしこの場所に止まらなければまもなくやって来るはずの攻撃ヘリ部隊と接触できず、かといって反対斜面に出て無理押しするわけにもいかず、スモークとジャミングで砲撃をかわすことくらいしか打つ手が無い。
「01、こちら04。モリーナ中尉を収容しました。ひどく出血してます。後送しないと」
 ミキからの通信が入った。ノイズが混じっているせいか、くぐもって聞こえている。
「04、ご苦労。もうこの戦闘は終了だ。そのまま後退して主力と合流せよ」
「了解。しかし中佐は」
「後から行く、交信終わり」
 ハロ基地所属の攻撃ヘリ部隊からの通信が入ったところだった。ファンは回線を切り替えた。既にファンもエリィも煙幕弾が尽きている。反対斜面からは砲撃が続いている。
「グレイハウンド。こちらブラックホーク、応答せよ」
「ブラックホーク、こちらグレイハウンド」
「またせたな、これより支援に入る。目標はどこだ」
 よっぽど自分で捜せと言ってやりたかったが、ファンは堪えた。
「ブラックホーク、ここの位置はわかるか? あと何分で着く?」
「座標を確認。到着は九十秒後」
「敵と近接している。七十秒後からこちらのレーダーをあずける。チャンネル64308。頼む」
「了解。そこから先は任せてくれ、女神さん達よ」
「さてと」
 ファンはブラックホークとの回線を切ると同時に、マニュピレーターに持っているグレネードを捨てた。
「聞いたね、エリィ」
「はい」
「最大出力でサーチ、64308にリンク」
「はい、サーチの結果を直接リンク」
「ブラックホークにとにかく正面に潜んでる敵だけは潰させるわ。じゃあ稜線を出るわよ」
「了解」
 そして二機のパワーローダーが煙幕の中から躍り出た。


 日没とともに戦闘は終結した。ハロ基地の滑走路を完全に破壊できなかったことでジアスの航空優勢は一時的なものにとどまり、過去に行われた機甲部隊中心の攻撃と同様、今回もそれは半ばで頓挫する結果に終わった。
 あるいは占領して直ちに自軍の航空機を展開させるつもりで滑走路の破壊を手控えたのかもしれないが、ジアスの攻勢をまともに受け、かつ生き延びた政府軍の兵士にとって、そんな可能性などどうでもいいことだった。大きな損害が出たが、戦略的にはジアス機甲部隊のサンサルバドル突入を阻止した政府軍の勝利、これが重要なことであった。自分たちが勝ったということこそ、酔いしれるに値した。
 だが、ドールズではライザとミキが重傷、そしてリサがMIA。
 ファンは祝杯を上げる気分からは程遠かった。
「おっ、ここにいたか。戦場に舞い降りた女神よ」
 野太い声に振り向くと、そこには第二十一旅団所属の装甲歩兵部隊の大隊長がいた。
「ご無事でしたか」
「はは、お互いにな。それにしてもたったの一個小隊で二個大隊の戦車を撃退してくれるとはな。少なくとも銀星記章は間違い無いぞ、ははは」
「まさか」
 士官室に来る前に既にビールでも飲んでいたのか、少し赤い顔でいる大隊長は、大笑しながら身振り手振りを交えて語った。
「何がまさかだ。君達は英雄だ。君の部隊のおかげだよ。我々だけでなく旅団全体がだな、予備隊がもう最初から無かった。なにしろ今日の敵の物量はハンパじゃなかったしな。そして凄まじい砲撃でとうとう戦線に同時に二ヶ所の穴が空いてしまって、一気に敵の攻撃がそこに集中。味方がまさに鋏で分断されようとしたちょうどその時に君の部隊が降下したんだ。それが無ければ戦闘は敵のペースのまま続いていて、今頃この基地で一杯飲んでるのはジアスの方だろうさ」
(あのブラックホークの連中もさっき話してたっけ。そういうものかもしれないわね……)
 だが、その大袈裟な話し振りが、ファンには冗談というよりは皮肉に感じられた。
「私達は失敗したんです」
「何を馬鹿な。失敗どころか」
「あなた方と別々に出撃したのは、二時間敵を牽制しろという任務だったんです」
「じゃあ成功じゃないか」
「追い立てられました。二時間もちませんでした」
「おいおい一時間だの二時間だの、そんな細かいことはいいさ。それよりサンサルバドル防衛成功を祝して君と君の部隊のレディ達におごらせてくれ。紹介してくれよ、君の部下に」
(隊長さん、私だけだったんですよ、傷一つ無いのは……)
 帰還して半壊状態のX4+から降りるなり、ファンは騒然とする格納庫の中で涙を流すセシルから告げられていた。
 リサがベイルアウトし未だ行方不明であること、ライザが左腕を潰されたこと、ライザを後送したミキも腹部を強打しライザに劣らぬ重傷であること。そういうセシルも右手を肩から吊っていた。
 破片で火傷しただけのエリィは運が良かったといえる。
 そしてファンは無傷だった。機体の方はスクラップに近かったが。
「折角ですが」
「なんだい」
「次の派遣地への準備がありますので」
 ファンは制帽を深めにかぶりなおすと、不満気な顔の大隊長を残して士官室を後にした。

 戦場から基地へ帰投すると、そこにはハーディの指令が既に届いていた。ファン中佐は残存機を率いて直ちにドールズ本隊に復帰せよ。いつもながら無駄の無い文面だった。ライザの後送は別便で、リサの捜索は第二十一旅団に任せるとなっていた。
 ファンは人影に気付いた。それは兵舎の通路に開けられた小さな窓に映る自分の顔だった。
 窓から覗く限りでは、両軍の捨てられた戦闘車輌や装甲歩兵から出る火炎は既に見えず、戦場であった場所は闇の中にあって何事も無かったかのようだった。
 結果的にハーディの指示は正しかった。わずか四機ではあったが、部隊の欺瞞行動は敵に大きな混乱を与えた。
(それでいいじゃない。損害の理由はファン・クァンメイが無能だったというだけよ)
(ヤオやハーディが私の立場だったらもっとうまくやっていたはずよ)
(私がハーディの立場だったら……)
 ファンは目の前の窓に映った自分の顔が歪んでいることに気付いてしまった。それ以上は考えずに、彼女は移動の準備のため格納庫へ機体のチェックに向かった。


 十日後、ドールズ司令ハーディ・ニューランドの執務室には、いつものようにサングラスをかけた彼女に対峙するファン・クァンメイの姿があった。立ったままの二人の間のデスクには二枚のオムニ軍のマークの入った通達用紙が置かれている。
「正直いってこの選択は予想していなかった……」
 ちらりと卓上の紙片を見ながらハーディは続けた。
「本当に、これでいいの」
「はい」
「海兵第一旅団とはね。空挺専門よ、ここよりもさらなる激務になるだろうけど」
「承知してます」
「それほど魅力が無いか。ドールズ新設第二中隊を率いるというのは」
 ハーディは一枚の紙片をかざしながらいった。ファンは静かにそれに答えた。
「私には出来ません」
「ファン、どうして。あなたの戦歴なら何も問題は無い」
「彼女達は私の指揮は受けないでしょう」
「ライザにロックオンしたことか」
 ハーディは舌打ちした。
「あれはやむを得ない措置だった。皆も理解しているはずだし、時間をかければしこりもとれる」
「無理でしょう」
 ハーディから目をそらしたファンは、自嘲するような口振りだった。
 ファンは帰還後に一度だけライザの病室に行った。ベッドに横たわるライザの傍らにはヤオがいた。そこでのヤオから受けた平手よりも、左腕を失ったライザの乾いた視線がファンを打ちのめすこととなっていた。
「第二中隊は新たに配属されるメンバーを中心にしよう。わだかまりなど考えなくていい。これからよ。そう、これから、もっともっと我々は大きくなる。二個中隊、三個中隊で終わるわけじゃない。連隊クラスにまで拡大できれば独立作戦も可能になる。便利屋扱いされて煮え湯を飲まされることもなくなる。今こそ……」
 しかしファンの耳には説得するハーディの言葉は聞こえていなかった。二番機に照準を合わせた時の警告音、信じていますかというライザの声が響いていた。
「もう、決めたことです」
 耐えきれず、ファンは口に出した。
「……そう」
 嘆息したハーディは手にした紙を机に戻し、代わりにもう一枚の方を取り上げた。
「寂しくなるな」
「ですが……」
「では、ファン・クァンメイ中佐。第一七七特務大隊配属を解き、海兵隊復帰を命ず」
 そうすれば苦痛が少ないかのように、ハーディは早口で読み上げた。
「ありがとうございます」
 一礼するとファンはその部屋を出た。後ろ手に扉を閉めると、そこには立ち尽くしているエヴァンス准尉がいた。
「中佐、私……」
「聞いてたの?」
「あっ、す、すみません」
「いいわ、いずれみんな知ることよ」
 言いながらファンは私室へと歩いていった。准尉はその後を追った。

「私は中佐がここを辞めることないと思います。みんな少し意固地です」
「そう?」
「だって、まるっきり無視してるじゃないですか、中佐のこと。帰還してから」
「そうね……」
 歩きながら一七七の数字を象った襟章を外すファンに、准尉は語気を強めた。
「中佐、どうしてです。中佐の方からもう少し説明すればきっとみんなは」
「どう説明してもね」
 ファンは少し歩調を緩めた。
「あの時、私が戦友に照準をあわせたという事実は、消えないのよ」
 分遣隊がハロ基地を撤収してから、ファンはドールズの中で孤立した。X4+を一機失ったこともそうだが、それよりもライザに狙いを定めたことが隊員の反発を買っていた。共に出撃していたエリィやミキよりも、むしろ主として士官級のメンバー、とりわけヤオが激しくファンを非難していた。
「ミリィ、これまで私達は過酷な任務をずっと一緒に戦ってきた。お互いを信じて死線をくぐりぬけて来た」
「それは知ってます。でも」
「今回の出撃よりももっとひどい状況になったこともあったけど、それでも統制が乱れるなんてことだけは無かったわ。たしかに後ろから飛んで来る弾の心配してたら部隊行動とれないわね。やっぱり私はヤオに比べて」
「だって今度の場合は正しいのは中佐の方です」
「どっちが正しいとか、そういうことじゃないのよ」
 いつしか二人は立ち止まっていた。ファンは教え諭すような口調で喋っていた。
「これはね、ヤオ達には受け容れられることじゃない」
「でもっ」
「あなたなら自分を信頼していない部下を率いて危険な任務を遂行出来る?」
「でも……」
「信頼してない人の命令を受けて戦える?」
「それは……」
「だから正しいかどうかじゃなくて一度でもあんなことを……、ねえどうしたのミリィ、あなたが泣くことないでしょう」
「だって……私ここに転属になったばかりで……それなのにもうシェフィールド少尉とキム大尉が」
 涙ぐんだルーキーの口から、二人の戦死認定者の名が出た。
「そうね、辛い思いさせたわね」
「それで今度は……中佐が転出していっちゃうんですか……」
「ミリィ」
「私が……間に合わなかっ……だから……」
「ねえ、ミリィ」
 ファンは泣き出してしまった准尉の肩に手をそえると、言うべき言葉を探した。
 彼女はこれからドールズで戦っていく。ハーディとヤオと一緒に戦っていく、そんな彼女に何を言えばいいだろうか。ドールズを去る自分が。
「復帰するヤオ・フェイルン中佐はね、あなたはまだよく知らないかもしれないけれど、技量は間違いなくエース級だし判断力も確かだし信頼できる隊長よ。もちろん軍人としてだけじゃない。人間的にもね、裏表の無い信じられる人よ。ちょっと気が強いかなっていうところがあるから、もし彼女を部下として使うってなると……そうね、やっぱりハーディでないと扱えないかな。でも、これから戦場に出なければならないあなたにとって、ヤオの指揮下で戦えるのは恵まれたことなのよ。指揮官として、ヤオは戦場で一緒に戦う部下の信頼を裏切ることは、それだけは絶対に無いわ。ミリィ、訓練はもう終わったよね。これからは私の分までヤオを助けてあげて。ヤオを信じてついていって。いいわね」
「中佐……」
「しっかりね、ミリィ」

 すすり泣くエヴァンス准尉を残して私室に向かうファンの足取りは逃げるようだった。准尉に聞かせていた自分の言葉によって、ファンは自分にドールズを離れる決心をさせたもう一つの理由を、目を背けていた本当の理由を思い知らされることとなっていた。
 シェフィールド少尉に続きキム大尉が戦死と認定された。ライザも生還はしたものの左肩から先が義手であるから、二度とパワーローダー搭乗員としては前線に行けない。これはハーディにとって耐え難い損失のはずである。そんな幼馴染みのハーディの窮地に追い撃ちをかけるように原隊からの要請をあっさり受け入れて転属を申し出たのは、ファン自身の上官としての資質というのは言い訳にすぎない、ファンが上官としてのハーディをとうとう信じられなくなってしまっていたからだった。ハーディがドールズをどうするつもりか、どこへ導こうとしているのか、それに耐えられなくなっていたためだった。
 入隊以前から、子供の頃から付き合っていた親友の変化に、親友を信じていられなくなった自分の変化に、ファンは私室に入ってしばらく泣いた。それから多くない私物をバッグ一つにまとめて第一七七特務大隊を後にした。見送る者はいなかった。

 そして冬の本格的に始まろうとする頃、北方からのジアス軍の猛攻にサンサルバドルはついに陥落する。産業都市の失陥という、オムニ政府にとってグラデン抗争以来最大の痛手となるその報せを、ファン・クァンメイは海兵第一旅団に属する兵士として知ることになる。

 end


《↑目次へ》

ver 1.10
2000/01/25
Copyright くわたろ 2000