ゆうべ、ひとりで聞いたラジオからは、あと三日だという聞くまでもないニュースが流れていた。
父も母も友達みんなも、いまさらすぎて話題にしない終末の日付。
あと三日。
登校途中にあるコンビニエンスストアは二十四時間営業を続けているけど、ほとんどの棚が空。採算を度外視して、暴徒から今日まで店を守った店主でも、品揃えをよみがえらせる魔法までは知らないみたい。
でも、あと三日だから、いいか。
と、こうしてまたひとつ諦める。
他にまだ諦め残しているものがあるだろうか。
四日後に、週末にあわせるようにして人類は滅亡する。
いつも通りの授業。
ここに残っている人たちは、答えを出し終えた人だ、たぶん。
答えを出して、だけど提出するまであと三日残っている、そんな人たちだ。
見直しても答えは変わらない。
変えられるくらいなら、そんな人は、ここにいない。
答えを出して、あとは時間を潰すだけという人たちなのだ。
宮森香織も、そうなのだ。
そういうことで、いい。
春が夏に移ろうとしている。
暴動も、あまり起きなくなった。
ここしばらく、いい天気が続いているわりには涼しいけど、それが暴動の減っているのと関係あるのかもしれない。
いつも通りベルが鳴って、授業が終った。
窓枠にもたれかかって風を浴びるのが好き。
この高校は、市街地からも住宅地からも、そんなに遠くない。
街のざわめきがかすかに聞こえる。あと三日というのに、浅ましくも涙ぐましい人間たち。
校舎の窓からそれを聞いていると、ときどき、自分はもう人間でないところに登ってしまったみたいな気がする。
馬鹿と煙。
わたしって、どっちかな。
小さな白い雲がただよっている。
明日もたぶん晴れる。
ちょっとせっかちな扉の音がした。
振り返ると、一年生の敷島緑さんが、戸口にいて、目があって、お互いなんとなく口をひらいて、ひらいただけで、何をいうでもなくて、目をそらして、けっきょく敷島さんは教室に入らず出ていった。
耕野くんを探していたんだろう。
窓枠にもたれかかる。
髪が風に揺れる。
わたしは、これが好き。
二時間目は五分遅れで始まって、二分くらい早く終った。
得したとも、もったいないとも、なぜか感じない、物理の授業。
板書を写したノートをぱらぱらさせながら、レールの上をすべる列車に乗った自分を想像する。
慣性の法則。
摩擦がなければ、列車は止まらずにどこまでも進む。
摩擦とは、質量×重力加速度×摩擦係数。
レールが途中で途切れているなら、それに間に合うように摩擦も大きくないといけない。
質量は変えられません。と、先生は、いっていた。
重力加速度も変えられません、なぜかわかりますか、そうです、これは地球の質量と半径と万有引力定数で決まるんです、というわけで残った摩擦係数、これを変えてブレーキをかけるわけです、レールの材質を変えてしまうわけではありませんが、車輪にストッパーをかけて回りにくくするのですから、まあ、結果的には同じことをしているわけになりますね……
がたん、ごとん。
ブレーキを忘れて列車は進む。
だけどレールは続かない。
慣性の法則というのは、そんなときどうすればいいのか、教えてくれない。
そのかわり、脱線するということを予言してくれる。
がたん、ごとん、がたん、ごとん、がたん、ごとん、がたん、ごとん、そして、がちゃん。
ノートをぱらぱらとめくるうち、生徒の何人かは出ていって、いまになって登校したらしい何人かが入ってきた。
耕野くんはいなかった。
窓辺に立った。
校庭を見下ろすと、陸上部の女の子がスターティングブロックを用意している。
慣性の法則は、途中で切れてるレールよりも、周回してちゃんと最初に戻る四百メートルトラックに適用されるべきだと思う。
空を見上げる。
雲が浮かんでいる。
何の法則にも縛られていないように見えるけれど、きっとそれは、わたしが知らないだけなんだろう。
眼鏡を外してみる。
雲の輪郭がぼやけた。
あんなに遠くに浮かんでいるのは、近視のわたしに見せたくないからなのかもしれない。
三時間目は現代国語。
次の週末に人類は滅亡だから、これを含めてあと二回しかないという授業で、先生が教材に選んだのは、教科書でなく漱石の“こころ”の抜粋だった。
いきなり、Kっていう登場人物がでてきて、ちょっとびっくり。
あと二回で、読めるだろうか。
たしか漱石は、なにか小説を連載していた途中で、病気になって亡くなったはずだ。
死ぬとき、痛かったのかな。
図書室に行ってみると、敷島さんがひとりで本を読んでいた。
会釈した。
全集をめくると年譜があった。未完になった漱石の作品は“明暗”という題だった。そのとき四十九歳というのは、いくら大正五年にしてもちょっとはやい。
それにしても、あと三日というのに、何でわたしは、こんなことを調べているんだろう。
もう四時間目が始まる。
逃げた人たちは、いまどこにいるんだろう。
どこに逃げても、次の週末に人類は滅亡だから、どこまでもどこまでもきっと終末までも逃げ続けているはずだ。
わたしは英語の授業をうけている。
関係代名詞がわざとらしく三つも四つもくっついたセンテンスを和訳している。
これがわたしの逃げ方。
次の週末に人類は滅亡だ。
夏のはずなのに、生暖かいというだけで暑さを運んでこない風が、思い出したように窓から三列目のわたしの席まで届いてくる。
けっきょく、去年を最後に、夏はもう二度と来ない。
いろいろなことが起こった。
いろいろなものを諦めた。
数え切れないくらいのものが抜け落ちて、もうすっかり穴だらけになっちゃっている。なにもかも穴だらけ。わたしだって穴だらけ。
シャープペンシルの先がノートにひっかかったのは、そんなことを考えてしまったせいなのかも。
ノートに穴があいていた。
tの横棒が消えて、iになっていた。
ゆうべのラジオが思い浮かぶ。ラストナンバーがイマジンだった。
歌詞を思い出してるうちに、授業が終った。
今日の授業はこれで終り。
廊下を歩いていて、耕野くんの後ろ姿を見た。
ポケットに片手を入れて屋上への階段を上っていくのが、あと三日となったときに出した耕野くんの答え。
屋上にはたぶん耕野くんを待っているひとがいて、わたしは耕野くんに声をかけるでもなく後ろ姿をぼんやりと見ているだけ。
次の週末に人類は滅亡だ。
いろいろなものを諦めるとき、いろいろなものがその意味を変えているということに否応なく気付かされる。
終末ということになるまえには、今世紀最後の、とか、二十一世紀にむけて、とかいうフレーズがはやっていた。
終末となってからは、単に、最後の、というフレーズ。
意味付けだけが変わる。
変わるのは意味だけだ。
くだらない。
などといってしまうと、これはもう負けおしみになる。諦めるって楽じゃない。
「宮森さん」
と、下駄箱の前で声をかけてきたのは、敷島さんだった。
「知裕、見ませんでしたか」
そんなに聞きづらそうにしなくてもいいのにと思ってしまうほどの遠慮ぶりだった。
それとも遠慮じゃないのかも。ひょっとして、まだ耕野くんとわたしとが続いているとでも思ってるの。
残酷かもしれなかったけれど、次の週末に人類は滅亡なので、見たままを宣告した。
「屋上にいるみたい」
これで宮森香織と同じように敷島緑も耕野知裕を失った。
敷島さんも眼鏡をかけている。
だからというわけではないけれど、レンズの奥で涙をこらえてかまぶたをかすかに震わせている敷島さんを見ると、昔のわたしのような気がしてしまう。
校庭のトラックは、座席兼用の段差が校舎側についている。
わたしと敷島さんは、ふたりして、そこに座っている。
わたしたちの接点は耕野くんの他にない。その耕野くんはここにいない。もう耕野くんは答えを出したから。
なんとなく、おたがい取り残されているという気がしてくる。次の週末に人類は滅亡だということを差し引いても。
でも、差し引けるものなのかな。
「敷島さん、いっぱい本を読んでるんだって、いってたわ」
と、たずねた。
伝聞形でいえば、主語を省略しても、だれから聞いたのかわかるはずだ。
わかったらしい。敷島さんは苦笑した。泣き笑いかもしれないけど。
「こころって読んだことある?」
「それくらいは」
「暗い話よね」
また敷島さんは苦笑した。ひょっとしたら違うのかも。渡された十二ページが、とくべつ暗い部分だったのかもしれない。
だとしたら、いまになってそんなものを読ませるなんて、あの先生どうかしてる。
「他に漱石で読んだのある?」
「ひととおりは」
「ふうん……」
あの陸上部の女の子は、また午後にも走るらしく、スターティングブロックが置かれたままになっている。
耕野くんも、怪我で走れなくなる前は陸上部だった。
だけど、いくらなんでも、ふられたばかりの敷島さんには残酷な話題だろう。
とはいえ、耕野くんに触れずにすむ話題となると、週末のことくらい。
何をいっていいか迷っているうちに、敷島さんの方が口をひらく。
「あしたも、学校、来ますか?」
「わたし?」
どうしようか。
わたしも、もういいかげんに、答えを提出した方がいいのだろうか。
「敷島さんは、来ないの?」
「わかんない……」
つぶやくような答えだった。
わたしと同じ答えだった。
なぜ今日まで学校に来てたのか、聞かれたら、答えられない。
あした、学校へ行くのかどうか、考え出してしまうととまらない。
学校に意味はない。次の週末に人類は滅亡だから。
次の週末がごくふつうの週末だったら、敷島さんは来るだろうか。ごくふつうの、ふてぶてしい人類はあいにくと滅亡なんかしそうにない、ただ単に失恋した次の日というだけのウィークデイだとしたら。
ときどき風が髪を揺らす。
途切れた言葉の代りのように、鳥の声が聞こえてくる。
そのあいだ、敷島さんは、置き去りになったスターティングブロックを見つめていた。
そうだ。どんな仮定にも意味はない。次の週末に人類が滅亡するのは仮定でなくて決定してることだから。
「日曜日って、なにしてますか?」
と、いきなり切り出された敷島さんの質問に、わたしはうっかり今度の週末のことだと誤解した。
「それこそわかんないわ」
敷島さんは笑った。はにかむような、穏やかな微笑を浮かべて、訂正した。
「そうじゃなくて、先週までの」
たずねられたのは、先週までの、終末が決まっても学校に行くしかないわたしが学校のない日にしていたことだった。
「とくになにも……ラジオ聞いたりとか……」
わたしの答えに、ほほえんだままで敷島さんがうなずいた。同情なのか、憐れみなのか、よくわからない。
立ち上がったのは敷島さんが先だった。
さようならという彼女の言葉に、どんな意味がこめられているのかは、これもよくわからない。
ただ、もう瞳を潤ませてはいなかった。だからたぶん明日も登校するんだろう。
わたしは一人になった。
わたしはまだ立ち上がれないでいる。
あと三日。
陸上部の女の子が、また、走りはじめている。
あの子は自分で意味を見つけているから走れるんだろう。
しばらく、そのまま座って、流れていく雲を見ていた。
そのうち風が冷たくなりはじめた。
くしゃみが出たので帰ることにした。
次の週末に人類は滅亡だけど、わたしの両親はそろって健在なので、やろうと思えば一家団欒もやれる。
今日、父は、ずいぶん遠くまで歩いて、ガソリンを手に入れてきたそうだ。車は使わなかったらしい。ガソリンがもったいないからだという。どこか間違っている気がするけど、それがどこなのかわからない。
週末のことは話題にしない。どんな話題でもけっきょくそれに行き着くから。
だからどんな話題も続かない。
「おやすみなさい」
わたしの寝室にはテレビがないけど、ラジカセがある。
もうほとんどの放送局が止めてしまったか、出力が小さくなって聞こえなくなっているなかで、ミニFMが残ってたりするから不思議。
いろいろな曲がかかる。いろいろな歌を知った。諦めるばかりになってから知ったこのFMが、最近のわたしにとって唯一の前向きなことかもしれない。
だけど次の週末に人類は滅亡だ。
どんな歌も、本来そういう意味じゃなくても、そういうことだと聞こえてしまう。たとえ何を歌っていても、その歌詞の一部にそれらしいものがあっただけで、どんなに曲調が明るくても、そういうものに聞こえてしまう。
そしてわたしの中にはそういうものを聞きたがっている部分がある。
陸上部のあの子は聞かなくてもだいじょうぶだろう。ひょっとしたら敷島さんも。
だけどわたしは聞いていたい。脱線してしまう瞬間までレールの音を聞いていたい。レールの先がないことを忘れさせてくれるいつもと変わらない車輪の音を聞いていたい。それがたとえ間に合わないブレーキの悲鳴だとしても聞いていたい。
だからわたしの指はダイアルを回していた。
昨日よりももっと出力が下がっているみたいで、チューニングは手間取ってしまった。
雑音まじりに聞こえてきたのは、昨日と同じくイマジンだった。
意味がないとわかっていながらイマジンする。次の週末には耕野くんとデートする。たくさんのマネキンが並んでいるブティックに連れ込んで、おもいっきりかわいい服を選ばせる。そのままそれに着替えたら、手をつないで歩き出す。そしてキスしてセックスする。耕野くんに抱かれながら耕野くんを抱きしめる。
だけど、いつのまにかすすり上げてるわたしの鼻が、現実に抱きしめているのはただのまくらだと教えてくれた。
ついでにラジオがあと二日だと教えてくた。
最後まで、最後の最後まで、諦めることが残ってる。そんな気にさせてくれるラジオの電池を抜かりなく買い置きしている宮森香織。まくらを抱えて泣いている宮森香織。諦めるって楽じゃない。
それでも、まだ諦め残しているものがあるはずだからと、明日も学校に行こうという気になっている。
end