西暦二〇〇〇年九月十三日。
あの日、南極大陸全体で少なくとも二百人はいたであろう様々な組織の観測隊の人間の中で、生き残ったのは私だけだった。
この二百分の一という数字だが、直後に全世界を襲った一次災害に限っても人口数万という規模の都市のいくつもが全滅したという事実を前にしては、特に感慨はない。
二百の死者には父が含まれていたが、これも同様の視点からすれば、ごくありふれたケースといえる。父は文字どおり命を懸けて私を救ってくれたのだが、似たようなことは世界各地で起こったり、あるいは起こそうとして果たせなかったことのはずなのだ。
運命を司る神だか女神だかがいたとして、葛城ミサトという女に特別の興味を持ったからあの場で殺さなかったのだとは思えない。
だというのに、十四歳のとき訪れたあの南極を、あの九月のブリザードを思い出すたびに、もしも日本で夏を過ごしていたらと考え、私は運命論者になりかける。
そして西暦二〇一五年の今、日本は永遠の夏にある。
第三新東京市は設計段階から使徒迎撃という特殊な目的を想定されていたこともあって、ほぼ完成した現在でも、その規模に比べて人口がかなり少ない。
と、言い訳してみる。
実際、夜ともなると道にはまったくといっていいほど車が絶えてしまうのだ。そういうわけで、仕事帰りだと解放感も手伝ってか、ついスピードが出てしまう。
片側二車線の十字交差点だった。
「ひゃっ」
曲がったところで、ヘッドライトに切り取られた空間に突然人影が浮かんだときは、正直いえば、覚悟した。
目いっぱいハンドルを切ってブレーキも力まかせに踏んで、案の定、私のアルピーヌはタイヤのゴムを路面になすりつけながら対向車線に大きくはみ出し、盛大に尻を振ったのちにようやく止まった。幸い私のほかに車は見えず、事故が連鎖することはまぬがれたようで、ほっとした。
「って、ほっとしてるバアイぢゃない」
外に出てみると、焦げたゴムの臭いが鼻をついた。そして、倒れている人影。
「だ、だいじょうぶっ」
やってしまった……そんな想いで、彼女に駆け寄った。そう、ちょうど、中学生くらいの少女。
外傷は無いようだった。少なくとも出血は見えない。サマーセーターの右肩あたりがこすれているが、これは車に触れたものなのだろうか。少女の柔らかな肌を猛スピードでえぐる鋼板を想像し、自分のしでかしたことにぞっとする。
「ね、ねえ、だいじょうぶ、返事して」
揺すりかけ、あやうく思い止まる。頭を打っていたらそれが止めになってしまうところだ。胸に耳を当て……ああ、よかった。
「う……」
「気がついた? だいじょうぶ? どこか痛いところない?」
上半身を抱え上げると、思ったよりも軽かった。アルピーヌのテールランプと五十メートルほど離れたところにある街灯だけなのでよくわからないが、きっと体つきは華奢なのだろう。身長も百五十は無い。
「あ、わたし……」
その声に混じる怯えに気づいて、ようやく私は真っ先にいわねばならなかったことを思い出した。
「あの、ご、ごめんなさい。わたし、ついさっき、あなたのことを」
はねてしまいました。
もっと他にいいようもあったかもしれないが、とにかく私がそんなことを口走ろうとした矢先、つえ、という小さな声がした。
「へ? つえ?」
「杖は……落ちてませんか……」
そういえば、ヘッドライトが照らしだした彼女は何かを手に持っていたような気もする。
「あれが無いと、わたし……」
少女は順に、抱えている私の手、私の腕、私の肩を触れていった。手探りするように。
手探り、なのか。
「あなた、目が」
「すみません、杖を探してくれませんか。このあたりに落ちていると思うんですけど」
「ええっと、それって白い杖?」
「はい」
視覚障害者用の白杖のことだった。
まぶたは開いているものの、彼女の目は視力を失っているのだった。
いわれるまま、それを探すべく周りを見回し、この夜何度目なのかもう数えたくもなかったが、またしても自分の間抜けさ加減を思い知らされた。車道の真ん中で私は何をしているんだろう、まったく。
「立てる? ここ、道の真ん中なの。だから、ええと、足はだいじょうぶ?」
「はい」
彼女は、私にすがって、立ち上がった。
路肩まで連れて行き、さてその白い杖を探そうと道に戻ろうとして、彼女の手が私の服の肘あたりをつまんだままでいる。
「離してくれる? 探すから」
すると彼女は頷き、手を離した。離したその手がしばらく中途半端に宙に止まっているのを見れば、視力に何の問題も無いくせに前方不注意ドライバーである私でもわかった。今の彼女が、いかに心細い気持ちでいるかくらいは。
「すぐ探すから、待ってて」
目の見えていない少女の視線が、私の背中に突き刺さっているような気がした。
そして刺さった箇所からじわりと広がっていった罪悪感は、路面にべっとりとついたアスファルトとは異なる色のタイヤの痕跡と、それに沿って散らばる白い破片を見つけてしまって、決定的になった。
「最低だ、アタシって」
「ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい」
頭を下げるしかできなかった。どこをどこからどう見ても私が悪い。
「それで、ほんとうにどこも痛くない?」
杖が砕けてしまったことを知って見るからに気落ちしていた少女は、力無く首を振って答えた。
「いえ……、びっくりして転んだだけです……」
「ううん、打ちどころがっていう場合もあるし、やっぱり精密検査受けた方がいいわ。だって、あなたさっき頭さすっていたじゃない」
「そうですか」
「いい病院知ってるから、今から連れていってあげる。そこなら大きいから、白杖も都合つくから」
「それじゃあ……すみませんが、お願いします」
「そんな、かしこまらなくっていいから。悪いのはあたしなのよ、全面的に」
「ええっと……よろしくお願いします」
これではどちらが加害者かわからない。
なだめすかすようにしたのち、ようやく彼女は助手席に乗ってくれた。
私はというと、免許を取って以来といっていいほどの安全運転。
車中、とりあえず名乗りあう。彼女の名は山岸マユミ、市立図書館にディスクを返しに行った帰りだったそうだ。
暗がりではわからなかったが、車内灯をつけたとき、艶のある長い黒髪の姿が助手席に照らしだされていた。ロングヘアというなら私もそこそこの長さにしているが、鏡を見ずにどうやって髪の手入れをするのだろう、気になった。
もっとも、話題にはできなかった。
話も無いまま中央総合病院の緊急外来に彼女を連れていったとき、時計はもう九時近くになっていた。
看護婦に手を引かれて診察室へと消えていく彼女を見送っても、私の夜は終わらなかった。むしろここから更に気の重くなることをしなければならない。
山岸家に電話を入れると、出たのは彼女の父親だった。電話を終えて三十分もすると、父親は血相を変えてという表現そのまま、顔を真っ赤にして飛んできた。
「アンタか、ウチの娘をはねたってのはっ」
そう。
そのとおり、そのとおりなのだ。そして同時に私は。
「アンタ、名前は」
「葛城ミサトです」
ネルフ作戦部第一作戦課課長なのだ。
差し出した名刺には役職の記載の代わりに、いちじくの葉が、しかもカテゴリーAを意味する黒地に赤い色で記されている、そういう人間なのだ。
頭を下げていたので足元しか見えなかったが、名刺を受け取るなり父親の勢いが無くなっていったことは、気配からわかってしまった。私の職務権限を知りうる立場にある人間、だとすればそれなりの地位にあり、そして普通なら、それに比例するように失うものも多い。
私と違って。
「お嬢さんにはたいへんに申し訳無いことをしてしまいまして」
「あ、いや、まあ、特に目立った怪我も無いということだし、不幸中の幸いというかな」
「検査費や、壊してしまった白杖などは、すべて私が」
「それは、ええ……葛城さんに、そういっていただけるのは、うれしいです……ええ」
また、どちらが加害者なのかわからない。
被害者の父親は慇懃な物腰にすらなっていた。
「今日はもう遅いですし、葛城さん、お忙しいのでしょうから、そろそろ……」
そうだろう、私の顔など見ていたくないのだろう。
ならば、なぜ、罵倒してくれない。目の前にいるのは、あなたの娘に怪我をさせてしまった人間だというのに。
口調はともかく、失せろといわれたことに変わりはなかったので、さらに三度四度と頭を下げてから緊急外来の棟を出た。
念のため窓口に顔を出し、山岸マユミさんの検査と治療をくれぐれもよろしくと伝えたところ、ここは市立病院といっても実質はネルフ付属の病院であるからカテゴリーAの名刺の威力は絶大だった。当直の看護婦の顔を青くさせ、夜勤の医者が私にぺこぺこと挨拶し、彼女には担当医までつくことになった。
だから、病院を出たときには、くたびれはててしまっていた。
そんな私を包む外の空気は、夜というのに、生暖かかった。
夏のようだった。
第三新東京市。
ネルフという国連直属非公開組織の本部が存在する、今世紀になってできた復興計画都市のひとつであり、近い将来戦場になるであろう都市。
そこに想定されているのは、使徒、と称される異形だ。それにそなえるべく汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンなる体長三十メートルを超すロボットが建造されている。
私の属する作戦部第一作戦課とは、つまり使徒を倒すべく作戦を練り実施に移す部署である。
自らの意志で選んだ仕事とはいえ、ときどきこのすべてが悪い夢ではないかと思ってしまうことがある。
ことの始まりは、それこそ悪夢としかいえない。
地軸をずらし、かつての南極大陸の七割を岩礁に変えるほどのエネルギーが、私がペンギンと遊んでいた調査基地から数キロと離れていない地点で解放された。そして私は、死ぬ間際の父の努力でたったひとりの生き残りということになった。賭けてもいい、あの半径二千キロで生存者は私ひとりだったはずだ。
それから二年、世界各地を襲った異常気象と大災害、それによる飢饉、派生した政情不安、内戦、戦争。これらの影響を世界人口という指標を用いて計れば、二年で半減という結果になったそうだ。もっとも私はその二年を精神科病棟で過ごしていたので、どのように推移していったのか詳しくは知らない。
病院内では、おそらく治療のためだったのだろうが、外界の変化は緩和されて伝わっていて印象が薄かった。
だから私の中では、南磁極近辺の発掘現場を荒れ狂う二〇〇〇年九月のブリザードと、気候変動で夏のままでありつづける二〇〇二年以降の日本とが、特に違和感も無いままつながっている。
警察ではさすがに名刺だけでは済まなかったが、それでも調書を一枚取られただけだった。市警の権限ではカテゴリーAのファイルにアクセスできない。これで終わりだろう。
翌日、午前の会議のひとつに代理を立てて病院へと向かうと、窓口には昨夜と同じ看護婦がいて、私服に着替えていたのも無駄になった。
看護婦は、私のことを腫れ物に触れるような恐々とした物腰で病室にまで案内すると、逃げるように戻っていった。彼女のネルフ作戦部一課長に対する認識が、どこまで正しくどれだけ誤っているかは興味あるところだ。
ノックをし、お邪魔しますというと、声を覚えていたのか山岸マユミは私の名を呼んだ。
「かつらぎ、さん?」
一人部屋の病室で、病院に用意されているものなのだろう、くすんだ青い寝間着姿でベッドの端に腰掛け、つま先に引っかけたスリッパをぶらぶらさせていた。
「よかった、何もなかったみたいね」
と、照れ笑いしてみる。
そして見えていないのだと気づく。
「転んだだけですから」
少女が私に見せたのは、はにかむような笑顔だった。
「病気しないで入院って、なんだか」
「あ……、今日もしかして都合があったりしたの?」
「ありません、日曜ですし」
「そうか、まあ、ね……」
私だったら、たとえスケジュールが空白の日曜でも、検査で潰されたら怒り狂っているところだ。
気配でなのか、私が立ったままでいることはわかっていたらしい。座ってください、と彼女は椅子を勧めてくれた。そのまま、サイドボードの上を少女の細い手が探った。そこには折り畳まれた白杖があった。
「これ、ありがとうございました」
先に礼をいわれてしまった。
彼女が感謝をするべきことではないし、そもそも私の謝罪が遅れるなどあってはならないのに。
言葉というのは、どうしてこうも難しいのだろう。いつもいつも、肝心なところで役に立たない。
昨夜のことを謝ろうとすると、彼女は手を振って制した。「もう、それはいいです。葛城さん、大事なお仕事してらっしゃるんでしょう。わざわざ来てくれただけでじゅうぶんですから」
父親から聞いたのか。
使徒との戦いにそなえるとはいっても、使徒とは何かというところからしてわかっていない。
少なくとも第一の当事者であるはずの私は、想定される戦いに必要とされる量からすればゼロといっていい程度の情報しか持っていない。そもそも使徒という言葉を人類への脅威として知っている人間が世界で何人いるのだ。せいぜい数千人だろう。
情報の不足以上に腹立たしいのは、決戦兵器と称するエヴァンゲリオンが起動のめどすら立たないという状態であることだ。神ならざる即席士官の私には、この上やることといったら白旗をあげるくらいしか思いつかない。使徒にその意味が通じるならばの話だが。
私が任地であるこの街に来たのも、わずか五日前。どうせやることも無いのだから辞令を遅らせたのだと勘繰りたくもなる。
使徒はいつ現れるのか。十年先かもしれないという一方で、明日にもという可能性が消えない。
この状況の中、身びいきというものかもしれないが、部下たちは可能な限りをやってくれていると思う。
だが、相手のことがわからないのだから、いくら励んだところで自己満足以上を味わうなど無理な話だ。使徒という言葉の意味を知る知らないを問わず、ネルフを構成する全員の心理の中では、達成感や充実感が得られない代わりに恐怖が大きな要素を占めてしまっている。軍事面のレクチャーを受けてこいと十八ヶ月間放り込まれたウェストポイントの士官学校では、こうではなかった。有史以来すっかり研究し尽くされ不可解な要素の無くなってしまっている人間同士の戦争の、なんと気楽なことか。
しかしここでは、その形態も能力も不明な、使徒なる異形を相手にしなければならない。
皆は怯えている。
怯えを隠すように殺気立っている。
そんな虚勢を利用してでも私は士気を保たねばならない。これが、実行可能な数少ない仕事のひとつだ。明日終わるのか十年続くのかは、それこそ、使徒のみぞ知るとしかいえない。
「葛城さんは行ったことがないんですか」
「ええ。越してきて一週間も経ってないし、部屋はまだ引っ越しの荷物も解いてない状態だしね、図書館なんてとても」
「なら、時間ができたらでいいですから、のぞいてみてください」
枕元から、彼女は巾着というには少し大きな袋を取り出した。
中に入っていたのは、PDAの一種だった。
「音声版も点字対応のもあれだけあるんですから、墨字版なら、もっとたくさん揃ってるはずですよ」
残念ながら、その程度では駄目なのだ。使徒についての文献と呼べるものはすべてネルフが押さえていて、それでもまだ私には足りない。
「そうね、一段落したら……」
イヤホンも繋がっているそのPDAだが、入っているのは朗読のディスクでなく点字対応の電子ブックのようだった。開いたPDAの片面は点字ディスプレイになっていて、可動式のピクセルが点字の並びを作り、彼女が読みかけているであろう部分を表示している。
指で読むことはできないが、私も知識としての点字は知っている。精神科病棟を出てからもしばらく病院通いをしていた時期があって、その時に知りあった患者から教わったのだが、さすがに今では五十音がすぐには思い出せない。
「葛城さん、ひょっとして点字わかるんじゃありませんか」
「ん、ちょっとだけなら。でも、どうして」
「だって、あのとき私が杖っていったら、すぐに白杖のことだってわかってくれましたから」
彼女は笑った。
私は笑っていられない。
「あ、アレは、脇見運転ごめんなさい、っていうか、ええっとそうじゃなくて点字よね。ずっと前だけど、知りあいで、あなたと違って全盲じゃなく弱視だけどやっぱり白杖使ってる人がいたの。それでその人から点字も教わって」
彼女は、まっすぐ私を見て、笑った。
「よかったですね、その人」
「えっ」
「葛城さんと、ともだちで」
八年前、就職しようというとき、後にネルフに改組されるゲヒルンという研究機関に私は拾われるようにして入ったが、これは偶然ではない。
理由は、南極だった。
あの惨事によって中断した南極の発掘調査の成果を直接受け継いでいたのがゲヒルンだった。
このときになって、私はようやく他の被災者とは異なる運命の息吹が自分の周囲にまとわりついているのを嗅ぎ取った。
過去を振り返ってひたるたぐいの運命ではない。重度の自閉と失語症を私に課し入院生活を強いた過去の亡霊が、未来を見るべく目を凝らした矢先に突然現れたことに、どうしようもなく運命を感じてしまった。
その話があったとき、私は一通りの治療を終えてごく普通に大学生活を謳歌できるまでに回復していたが、それでもフラッシュバックは避けられなかった。もう当たり前のように受け容れていた夏は、その瞬間、肌を突き刺す冷気となっていた。リクルーターからの説明は、耳を千切る凍てついたブリザードに変わっていた。
そして、それを選んだ。
当時の私は、自ら過去に立ち向かうという能動的な選択をしたつもりでいた。
だが、今になってみると、やはり過去に囚われていただけではないかと思ってしまうときがある。
その後悔も、結局のところ、一般人が震え上がってしまうほどの権限を与えられていながら使徒に勝つ確実な方策が見つけられないことへの、無責任な愚痴であり逃避に過ぎない。
ひき殺しかけてしまった盲目の少女にのこのこと会いに行ったのも、おそらくは。
この日の会議では、使徒にATフィールドというシールドの一種が備わっていると仮定した上で第三新東京市で迎撃戦を展開した場合に想定される被害の概要が報告された。
小国の国家予算なら吹き飛んでしまうような数字が下限値の欄に記入され、上限は算定不能の斜線だけという気の滅入る報告書で、ベルリン支部から第三東京の本部に移っても、結論の出ない会議が日々繰り返されるという状況は変わらないようだった。
進展があったとするなら、エヴァンゲリオンのパイロットについてだろうか。
これまで第三東京本部には一名しかおらず、しかもその少女は私がここに来る前に起きた事故で重傷を負い、全身に包帯が巻かれているという状態。もちろんエヴァンゲリオンにエントリーなど不可能で、つまりただの一人もパイロットはいなかったわけだ。
だが、ようやく予備のパイロットが一人見つかったらしい。近日中にこちらに来るとのことだった。たった一人ではあるが、それでもゼロとイチの違いは大きい。
そしてこの違いを最大限に利用することが私の本来の任務だ。
極限まで。すり潰すまで。
この予備パイロットの少年は十四歳だという。私の半分だ。
現在は集中治療室の本来のパイロットも同年齢の少女だ。
山岸マユミと、同じだ。
電話の相手が増えた。
おかしなもので、あれ以来、被害者の全盲の少女は前方不注意ドライバーに電話をかけてくるようになった。
会議やらシミュレーションやらが終わると、たいてい私の携帯電話はプライベートメッセージ着信済みのランプが点滅していた。
「もしもし」
かけ直すたび、彼女は必ずといっていいほど、その場で出た。
話すのは、他愛ないこと、ごく一般の中学生のするような話だった。芸能人の話、食べ物の好き嫌いの話、履修している通信講座の話、読んだ本の話、などなど。正直、私のついていけないものもあった。なにしろ世代がまるで違うのだから。
そんな中で、友人の話題というのは、少なくとも彼女の方から切り出すということは、いちども無かった。
世代の違う私へのたびたびの電話は、話し相手に困っているということの表れらしかった。
「あ、葛城さん。今ちょっといいですか?」
「うん、次のミーティングまで三十分ちょっちあるし、かまわないわよ」
「よかった。聞いてくださいよ、昨日……」
今のところ、殺しかけたあの夜とその次の日の病院でしか、彼女とじかに顔をあわせてはいない。この二つの印象だけだが、彼女は多弁というよりはとつとつとした口振りであって、性格も内向的なように思える。
それが電話口では違う。私が彼女にあわせられる話題をなかなか見つけられないせいもあるのだろうが、会話のリードをとるのはほとんど彼女の方だ。
このどちらもが、山岸マユミなのだ。向精神薬を投与され続けたあの病棟以来、本当の自分などというフレーズを私は信じないようにしている。
「そういえば、図書館行ってみました?」
「行った行った。すごいわね、あれ、ヘタな大学の図書館より大きいわよ」
「そうですよね、ディスクの聞けるブースもちゃんとあって」
「うんうん」
「それで、何か借りました?」
「山岸さんの読んでるのと同じ本借りたてみたわ。なんだっけ、ほら、長野まゆみ」
「ひょっとして、テレヴィジョン・シティ?」
「そう、それ」
「わあ、なんか嬉しい」
「同じ名前だし?」
「だって、葛城さんと同じ本が読めたってことでしょう?」
そういうものだろうか。
はずんだ少女の声が、なぜか気恥ずかしかった。
まだ現れない使徒に神経をすり減らされる毎日の中で、いつしか私は彼女との電話を楽しむようになっていた。
理由は……。
十五年前の事件は、セカンドインパクトと呼ばれるようになっている。
生きのびたのち、もしセカンドインパクトが起きなかったら、という無意味な仮定に囚われなかった人間はいないだろう。
そして、そのたびに、そんな仮定を許さない現実を思い知らされることになる。
父が南極の氷とともに蒸発し、旧東京に別居中だった母が市街すべてと同様に灰になり、その他の係累もすべて死に、私ひとり生き残った。これが葛城ミサトの現実だ。ありふれた現実だ。
だが、セカンドインパクトの原因は、使徒であるという。
これは機密に触る資格を得てから知ったことだが、ここで痛烈に運命を感じた。
過去ではない。未来だ。未来、もういちど、その使徒が訪れる。人類の半分を奪ったセカンドインパクトを起こした使徒が、それに飽き足らずもう半分を狙いにやってくる。
使徒の歓迎し叩きのめしてやるのは南極で生き残った私しかいない、そう思った。
あのとき父は血を吐きながら私を救命カプセルに運んだ。今ならわかる、あばらが折れていたのだろう、喘ぎながら、這うようにして歩いていた。そんな父の凍傷になりかかった手に、私は抱えられているだけだった。母は数十万の人間とともに灰になった。病院に入れられた私が、ぼんやりと壁を眺めているしかできなかったときにだ。そしてそれを知ったのは治療が進んでから、外の世界で起こった出来事のひとつとして、薄められ和らげられてだ。そんなことは、二度とごめんだ。
次は無い。
仮定じゃない。
「サードインパクトなんて、そんなの、冗談じゃないっ」
使徒は来た。この街に。しかし予備パイロットも辛うじて間にあった。UN指揮下の自衛隊が足止めしているあいだに私がその少年をピックアップしさえすれば、使徒に、運命に、とうとう一矢むくいることができる。
踏み潰さんばかりにアクセルを踏んだ。ただでさえ少ない住人がシェルターに避難し、ほとんど無人の街となっている第三新東京市を、私のアルピーヌは駆け抜けた。まにあって、おねがい。携帯電話が鳴るがとても出ていられない。
予備パイロットの少年は、ぶっつけ本番というのにエヴァンゲリオンを起動させた。
だけでなく、ふたつのおまけまで付いた。ひとつ、エヴァンゲリオンの暴走。我々がいかに不安定な手段に依存しているのかを、その瞬間は思い知らされた。
もうひとつ、そのエヴァンゲリオンによる勝利。率直にいおう。勝利とは、私の予想の範囲外のことだった。よくて相打ち、そう考えていた。だが、勝利を得た。勝利。使徒に対する、勝利。
使徒が最期の断末魔のように起こした爆発炎の中から、エヴァンゲリオンがその姿を保ったまま再び現れたとき、発令所のメインモニターの前で私は固まってしまっていた。言葉にならなかった。震えるような喜びだった。勝った。使徒に勝った。勝ったのだ。
「目標、消失しました。状況、レッドよりイエロー」
「戦闘配置解除、回収班は防護服装着の上でパイロットの回収を、それ以外は引き続いて第一種警戒体制」
部下の指摘に応えてこの指示を出したとき、報われた、と実感した。
勝利のために払った代償に気付くのは、後のことだった。
「民間人に?」
「はい、子供も含まれているとか」
勝利にわく中でもたらされた損害概況報告に、私はアルピーヌを走らせていたときを思い出していた。
取れなかった電話を思い出していた。
「子供……」
「ええ、避難誘導に不手際があったらしく」
気付いたときには部下の手にしていたプリントアウトをひったくっていた。そこに記されている文字、そのひとつひとつを追うごとに喉が渇いてしまっていた。UN攻撃機三個飛行中隊壊滅、戦車二個大隊壊滅。第三新東京市兵装区画、中央BエリアからEエリアまでの装甲第二層まで全壊、BエリアからFエリアまで兵装庫全壊。
そして列挙されている名前の数々。
そこに山岸マユミの文字が無かったことに安堵してしまった私のエゴは、指揮官として許される範囲にとどまっているだろうか。
部下の声が続いていた。
「最年少のこの子ですが、開発四課の鈴原主任のお嬢さんだそうですよ。現在、意識不明の重体とのことですが、一体どうして兵装区画に小学生が紛れ込んでしまってたのか」
「つまり……関係者の家族、なのね」
「現時点で確認されている非戦闘員の死者三名、負傷者二十六名、いずれもネルフの者かその家族かです。個別に注意することで問題無いと思われます。一般職員対象の緘口令は不要かと」
「市街区画での被害は」
「想定レベルBの範囲内です」
「とりあえず対外発表はシナリオB−22に。いくつオプション付けるかは広報部と協議して決めて」
「わかりました」
思ったより冷静に指示の出せた私の情動は、人間として持たねばならぬだけに達しているだろうか。
それから事後処理に忙殺される日々が続いた。
なりゆきで、それまで一人暮らしだった私が予備パイロットの少年を引き取ることにもなった。いや、予備という文字はもう不要だろう。少年、碇シンジは、正規戦力としてネルフという組織の中に組み込まれた。
もっとも、それは我々の都合だ。
エヴァンゲリオンを動かせるということを除いては、少年は普通の中学生と何ら変わらない。
その時期、壁を見続けるだけで終わった私にとっては、どう接していいのか戸惑いを覚えることも多い。
山岸マユミに対してと同じように。
その彼女から電話があったのは、使徒襲来から一週間ほど経ってからだった。
これほど間隔があいたことは、今まで無かった。
「あら、ひさしぶり。元気してた?」
忙しさにかまけて忘れてしまっていた少女からの電話が単純に嬉しかった私は、そう尋ねていた。
返ってきたのは、答えでなく、問いかけだった。
聞き慣れた、はずむような声ではなかった。少女の声は、杖を失わせてしまったあの夜のような、不安に満ちたものに戻ってしまっていた。
「葛城さん……何が起きてるんですか……」
使徒が来たのよ。
とは、いわず。
「ん、何のこと?」
明るい声を作る。B−22の設定を思い出しつつ。
「このあいだの、停電とか、爆発事故とか、非常事態宣言っていうのが出たり、いつもはただの避難訓練だったのに急に訓練じゃなくなったりして」
「ニュース……、知らないか、な。変わった薬品をね、保管している工場が市内にあるんだけど、そこでトラブルがあって、初動の対処にもミスがあったのよ、だから二次災害の危険があったから念のためってことで周辺一帯に」
「それ、ほんとですね」
「山岸さん、あなたのおうち、新聞の音声サービスは契約してない?」
「信じて、いいんですね」
「ええ」
肯定した。
そして迷った。
迷いを聞かれることはなかったが、それで私の気持ちが晴れはしなかった。
職権で手に入れた録音対象外の私用番号というのに、相手はただの少女であるから監視対象などではありえないというのに、なぜ私の口は、漏洩も時間の問題という薄っぺらな機密を保持すべく用意された嘘をしゃべっているのだろうか。
打ち明けていいものだろうか。このケース、たしか士官学校で速習課程を受けているときに教本で見た。対外情報は一元化し整合性を保て。
ばかばかしい。それは対マスコミの話だ。
民間人に対するケースは……。
「よかった」
少女の声は、私が迷っているうちに、明るさを取り戻してしまっていた。
私は私で、それからいつものように会話を楽しんでしまっていた。
違う。楽しんだなどとはいえない。
言葉だけだった。
言葉が流れていくだけだった。
そして私は話を終えていた。私の手は携帯電話を握り締めていた。私の目は待機ランプのともる携帯電話を見つめていた。私の口は何をしゃべった。伝えるべきことを伝えたか。おいしいコーヒーの飲める喫茶店? ヒットチャートのこと? 読みかけの本の話? 違う、違う、伝えるべきは、いわねばならない言葉は、言葉は、言葉は、言葉は、言葉は。
「これじゃ……あの病棟のときと同じじゃない……」
今の私は、そんなひとりごとすらも、他人に聞かれてないとわかってなければ、口にできなかった。
セカンドインパクト発生直後、父の手により私は救命カプセルの中に入れられた。
南極海の漂流は、後に聞いたところでは丸五日続いたという。カプセルから発信されるビーコンのバッテリーが切れる寸前に飛行艇に発見されたということに、いかなる運命が働いているのだろうか。
その後の精神科病棟での二年、様々な事例を知った。起きた奇跡、起きなかった奇跡、避けられなかった事故、避けられたはずの破壊、英雄的とされた死、無意味としかいえない命。いくらでもあった。人類の半分が死に、半分が残ったというのだから。
だが、それらもすべて言葉だった。
母の死も言葉だった。
母に比べれば苦手だった、どちらかといえば憎むことさえあった父の死だけが、言葉ではなかった。
それは私が同行したからだ。
父の誘いに、ペンギンが見られるならという観光気分で、発掘調査に同行したからだ。
だから、父について行かなかったら。
すると、私が乗ってしまった救命カプセルが空く。
そこに誰かが、例えば父が、乗れる。
病室の壁をながめる私の中では、執拗にこの仮定が繰り返された。
この言葉を振り払い、自分の言葉を取り戻すのに、二年かかった。
だが、結局、振り払えなどしないのだ。
それも、葛城ミサトの一部なのだから。
西暦二〇一五年、日本に季節は無い。
だから夏という言葉に意味は無い。この暑気を夏と呼ぶとき、それは前世紀まで使われた単語とは意味を違えている。
「使徒……意外と早かったわね……」
発令所のメインモニターには、次なる使徒をとらえた映像があった。
かげろうに揺らめく白いその異形。空中を滑るように進む四十メートルはあろうかという横倒しの円筒で、進行方向には頭部らしいやや平たくなった部位があり、その付け根からは触覚のようなものが伸びている。ヤモリの手足を千切って首にリボンを結んだような代物を、使徒、などと呼ぶ。言葉には、このような使い方もあるものなのか。
「前は十五年のブランク、今回はたったの三週間ですからね」
「こっちの都合はお構いなし、か。女性に嫌われるタイプね」
軽口で部下に応じてみる。
私の言葉はこの程度だ。使徒に言葉は通じない。通じるのはエヴァンゲリオン、ただそれだけ。
三週間。ゼロではない。準備といえるものはやってきた。神経接続により動作するエヴァンゲリオンの操縦と、それを使っての戦闘に慣らせるべく、戦意の見られないパイロットの少年ではあったが徹底的にシミュレーターでの訓練を強いた。これでもまだ駄目なのか。肝心の相手についての情報は、相変わらず絶対的に不足している。駄目なのか。
やるしかない。
「シンジ君、出撃、いいわね」
この言葉で始まった戦闘は、悪夢のように過ぎていった。
使徒に対しては分析手段からして通じなかった。スペクトル解析で得られた組成比から軟体状と思われていた表面は、実際には鋼鉄以上の強度があった。偵察攻撃をしていればわかったかもしれなかったが、ATフィールド展開を警戒して控えたのがあだになった。結果、エヴァンゲリオンの持つライフルから放たれる劣化ウラン弾はことごとく跳ね返された。だけでなく、着弾煙は前方視界を閉ざしてしまった。
触覚とは鞭だった。煙越しにまともにその攻撃を食らってしまい、周囲の兵装庫もろとも電源ケーブルは切断、そしてエヴァンゲリオンは投げ飛ばされる。投げ飛ばされた先には……。
民間人が二人いた。
そこにいた少年二人、あわや踏み潰すというところだった。
別個に回収している余裕は無かった。戦闘中なのだ。使徒との。人類の未来を賭けた。
他に手は無かった。エヴァンゲリオンの操縦席に乗せるように指示を出した。少年は従った。しかし続く後退命令を彼は拒んだ。なぜ。戦意に乏しかったはずの彼が、なぜ。
エヴァンゲリオンは近接戦闘用の超振動ナイフを抜くや使徒に向かって突進していた。当然のように鞭を食らった。腰部にその鞭が突き刺さるが、なおも進んでいた。間合いに入り使徒にナイフを突き立てるエヴァンゲリオン。内蔵電源の残量は三十秒を切っていた。
使徒が活動を停止したとき、電源は残り一秒だった。
「目標は、完全に沈黙しました」
センサーを読み上げるオペレーターの声を聞く私の方こそ、沈黙、というよりも、絶句するしかなかった。
これが勝利?
勝利だ。一秒の差で。民間人の救出さえ行って。勝利には違いない。
パイロットの心理がわからないというなら、それはエヴァンゲリオンのメカニズムも同じではないか。そして、それでも、勝利には違いない。
「現時刻をもって作戦を終了、回収班は電源車を……」
指揮官として出すべき指示は、まだ残っていた。
メインモニターは、歪んだ蝋燭のようにも見える縦になった姿勢の使徒と、一秒の差を置いてそれにナイフを差し込んだまま凍りついたエヴァンゲリオンを映していた。
直前までの嵐のような戦いは、既にそこに無かった。
そして、勝利に代償はつきものとでもいわんばかりに、またもモニターの及ぶ範囲外で死者が出ていたことを後から知った。
山岸マユミだった。
パイロットの少年に対しては、戦闘後に命令不服従を叱った。
叱り方がまずかったのか、監視チームに手抜かりがあったのか、数日のうちに彼は脱走した。
久しぶりに戻った自宅で、私はひとりだった。
敷きっぱなしの布団に寝転がった拍子、手が枕元の何かに触れた。
読みかけてそのままになっていたペーパーバックだった。
ひとしきり泣いた後で、ページをめくった。
テレヴィジョン・シティ。
なぜ少女がこれを読んでいたのか、よくわからない。けっこうな分量だったが、著者の名が自分と同じという理由だけで、最後まで読み通せてしまうものだろうか。朗読ディスクではない、点字版をだ。
いちど感想を聞こうとして、葛城さんが読んでから話してあげます、と躱されてしまっていた。それでも、面白かったですという一言は口にしていた。
なぜだろう。
異様な街の、異様な社会の話だった。最後まで読み終えてはみたものの、謎めいた設定の多くは語られずじまいだった。これは寓意を汲み取るべき話かもしれないが、非公開組織の中で天文学的予算をかけたロボットを兵力として人類の敵に対処しなければならない現実を抱えた女に、その種の読み方は手に余った。
ただ、鮮やかな話でもあった。
特に前半、主人公の少年たちを取り巻く物、そのすべてが人工物でありながら、描写からは工業製品的なけばけばしさが感じられず、作中頻出する精油という小道具に限らず、どれも水滴のような透明感を持っていて、それに彩られた世界は不思議なイメージを与えてくれた。
物語の終盤、その色彩が褪せてゆく。
主人公の友人である少年は、それにあわせるように体調を崩し、死へと向かう。
主人公の少年は、かつての記憶を取り戻し、代わりにそれまでの記憶を失ってゆく。
それでいて私の感覚からすればこざっぱりとまとまり過ぎたラストには、戸惑ったというのが本当のところだ。
この物語を、細い指でもって、少女はどう読んだのだろう。
色彩の表現に魅せられながら読んでいたのだろうか。
少年愛の物語として胸ときめかせつつ読んでいたのだろうか。
だが、確かめようにも、少女が電話をかけてくることは、二度と無い。
だから、第三新東京市を歩いた。
もともと市の全域が対使徒戦闘を想定されているが、特に兵装区画と呼ばれている場所は、いってみれば破壊されることを前提にして作られている。よって、修復も速い。そうでなくてはならない。五日目にはビルを偽装した元の外観を取り戻した兵装庫群に対して、作戦部一課長としては満足しなければならないだろう。
兵装区画南Dエリア七番兵装庫。
これについては、すっかり修理が終わっていた。
真新しい黒々としたアスファルトの刺激臭が、辺りをおおっていた。
目の前にそびえるものは、ビルの姿をしてはいるが、中身は有線誘導式ミサイルの十二連発射筒だ。
少女に伝えるべきだったろうか。
伝えていたら、人間に対しては開かれないという冗談のようなビルのシャッターの前で戦闘の巻き添えになり圧死するという運命も、あるいは避けられたのだろうか。
だが、葛城ミサトという人間の中には、それを拒んだ部分があった。
一般市街区画で買ってきた花束を置く。
触れるまでもなく、屈んだだけで顔に熱気が感じられた。アスファルトもコンクリートも焼けるように熱かった。陽射しは急ごしらえの街を焦がすように照らしていた。
しかし焦げることはない。せいぜい花束がしおれる程度。
この街はその程度では壊れない。壊せるのは使徒だけ。そして十五年前のように破壊されるままではいない。すぐに直る。私はそれを望んでいる。
第三新東京市が現在のような姿になって、三年か四年か。
少女もこの街を目にしたことがあったのかもしれない。失明のいきさつまで立ち入った話は結局しなかったが、会話の端々からは、先天性でなく中途の視覚障害であることがうかがえた。街並みの中でも、装飾を欠く代わりに偽装を施されたこの兵装区画を見たことがあったとしたら、それは少女の記憶の中で、いつしかテレヴィジョン・シティになっていたのかもしれない。
しかし、実際は違うのだ。
これは街などではない。兵器なのだ。エヴァンゲリオンが使う兵器なのだ。ここで繰り広げられるのは、ただただ破壊の物語、それ以外に読み換えられはしないのだ。
だから、足元にあるはずの花束の香りも、アスファルト臭にまぎれていた。
道のむこう、逃げ水が揺れていて、その先からは工事の音が聞こえていた。
空を見上げれば、太陽はセカンドインパクト以前なら夏と呼ばれていたであろう高さにあって、兵器を街と換言する人間の所業を照らしだしていた。
end