その度に気付かされる。
無力な自分。あまりに世界は大きすぎる、烈しすぎる。運命は、そんなものがあるとしたら、それは私を嘲笑うためだけに仕組まれているに違いない。
「ずるいよ、鈴原だけ」
理不尽な私の涙声に大きな手が差し伸べられる。
この大きな手が優しく頬に触れるだけで私は何も言い返せなくなる。
心配すな、そんな声をかけられる。どういう意味?
どうして? 死んじゃうんだよ? エヴァに乗って負けたらエヴァは壊れて鈴原は死んじゃうんだよ? 心配するにきまってるじゃない!
手のひらが離れる。
指先が離れる。
入れ代わりに頬に触れる空気がむやみに冷たい。
行ってしまう。
またエヴァに乗るために。
「もうやめてよ」叫んでいた。
私の叫び声が戦いに赴く鈴原トウジを振り向かせていた。ああ、許して、ごめんなさい、ごめんなさい、そんなに悲しそうな顔をさせるためじゃなかったんです、何も出来ない自分に苛立ってつい漏れてしまった言葉なんです、お願いです、そんなに悲しい不吉な未来を感じさせる顔を見せないでください、どうか無事に帰ってきてください。
緩く笑って手を振ってくれた。
ぎこちなくだけど私も手を振りかえした。
そして、エヴァに乗って、使徒と戦って、鈴原トウジはいつものように帰ってきた。
すごいことだと思ってた。
エヴァに乗って使徒と戦う、私とは違う人たち。綾波さんってすごい、碇君ってすごい、アスカってすっごく強い。
そんなすごい人たちの中に、いつのまにか鈴原トウジが入っていた。
がさつで、気が利かなくって、喧嘩っ早くて、だけど、ちょっとだけ優しい男の子。
それだけなのに。
なんでエヴァなんかに乗るんだろう。
どうしてそんな危ないことするんだろう。
戦いは男の仕事? ふうん、そう、そうなの。
いいわね、碇君。戦えて。
すごいな、アスカ。男の子みたい。
綾波さん、どうしてそんなに落ち着いていられるの?
鈴原。鈴原? どうして鈴原が! なんでそんな危ないことしなきゃいけないのよ!
ああ、また、使徒が来た。
エヴァンゲリオンたちが迎え撃った。
鈴原トウジはいつものように戦って戻ってきた。
悲しくて、嬉しくて、やり切れなくて、ほっとして、私の瞳は色々な涙を垂れ流した。
涙を拭う鈴原の手が暖かい。
あれはいつのことだったろう。
あの大きい手が初めて私の手を握ったのは。
まだ小さな子供の頃だ。ずっと前のことだ。使徒だのエヴァだの、そんな訳のわからないものが私たちの世界をのさばるようになる前ということは確かだ。
エヴァに乗るようになってからも、鈴原は私を見てくれる。私に触れてくれる。
でもね、鈴原、それじゃ駄目なの。一度知ってしまうともう駄目なの。
私は、いつでも、私だけを見ているあなたを見ていたいのよ。
あなたは違う。私を守るためだといっても、エヴァに乗っている時のあなたは私を見てくれない。私を守るためだといっても、エヴァに乗っている時のあなたの情熱はエヴァに向いてる。
あなたがエヴァに乗ってる時。
私はあなたの心配をしているの。あなたがするなといった心配をしているの。
だって、私、エヴァに乗れない。
鈴原トウジはエヴァに乗った。鈴原トウジは帰ってきた。微笑む彼の胸で私は泣いた。
どうして鈴原なんだろう。
使徒と戦うエヴァを遠目に見ながら私は問いを繰り返す。
どうして私の好きな人がエヴァに乗るのか。どうして私はエヴァに乗る人が好きなのか。
答えは出ない。
答えの出ないこの問いを何と呼ぼう。
運命だ。
運命だ。私を嘲笑う運命だ。運命は私の好きな人をエヴァに乗せた。私をエヴァに乗せなかった。エヴァに乗れない私にエヴァに乗れる人を好きにさせた。私の好きな人が戦っているあいだ、私にそれを見守ることしか許さなかった。
使徒の動きを、エヴァの動きを、私に限らず避難している人たちみんなは、それこそ固唾を飲んで見守った。
ああ、エヴァが勝った。
鈴原トウジはエヴァに乗った。鈴原トウジは帰ってきた。
使徒だ使徒だエヴァだ使徒だエヴァだ使徒だ使徒だ使徒だエヴァだエヴァだ使徒だ使徒だ使徒だ使徒だエヴァだ使徒だエヴァだエヴァだエヴァだ使徒だ使徒だエヴァだ使徒だ使徒だエヴァだ使徒だエヴァだ使徒だ使徒だ使徒だエヴァだエヴァだ使徒だ使徒だ使徒だ使徒だエヴァだ使徒だエヴァだエヴァだエヴァだ使徒だエヴァだ使徒だエヴァだエヴァンゲリオンだ。
「鈴原を返してよぉ」
鈴原トウジはエヴァに乗った。鈴原トウジは帰ってきた。
「鈴原はどうしてエヴァに乗るの?」
勇気を振り絞って尋ねたというのに、言葉で返してくれなかった。
黙ってしまった。
ちょっとはにかんで、大きな手で私の涙を拭ってくれた。
ずるいよ。
鈴原トウジはエヴァに乗った。鈴原トウジは帰ってきた。
予感、以上の、確信がある。
いつか、鈴原トウジは死ぬ。
いつもいつも無事で帰ってくる。でもそれは確率の積み重ね。幸運は無限には続かない。いつか、尽きる。
使徒だ使徒だ。
その度に気付かされる。
無力な自分を。
大きな手のひらを。
つい想像してしまうおぞましい結末を、その手の温もりで抑え込んでもらわないと、この頃の私はどうにかなってしまいそう。
「帰ってきて……」
人類の未来を守るため。そのためにエヴァに乗るフォースチルドレン鈴原トウジ。そんな彼に私は自分勝手にすがるばかり。
瞬きも惜しんでその後ろ姿を見送る私。
人類のために戦う彼の後ろ姿を貪る私。
だって、私、エヴァに乗れない。
運命に笑われながら、私は今日も見送っている。
帰ってきてください。
帰ってきて、その手で私を抱きしめてください。
なんというエゴイスト。
鈴原トウジはエヴァに乗った。鈴原トウジは帰ってきた。私は彼の胸で泣いた。もうこれっきりにしてと口走る私の髪に大きなその手が分け入った。
日増しに私は冷酷になってゆく。
他の人などどうでもよくなってゆく。
鈴原に無事でいて欲しくて、鈴原に帰ってきて欲しくて、それだけを願っている。
使徒による街の被害にも心を傷めることが少なくなった。だれそれが死んだといわれても、あまり泣かなくなった。鈴原が無事ならそれだけでほっとした。
鈴原と一緒に戦う人たちが傷ついたり死んだりしても、涙はあまり出なかった。
鈴原トウジはエヴァに乗った。鈴原トウジは帰ってきた。鈴原が無事で帰ってくる度に私は泣いた。大きな手。暖かい胸。何もいおうとしない彼。
エヴァに乗る彼、見送る私、私たちは繰り返す。だけど、いつか、その日が来る。
鈴原はエヴァに乗れる。だけど、私、エヴァに乗れない。
戦い続ける鈴原の乗るエヴァの下、取り残された私は跪いて祈り続ける。
祈る私に声が聞こえる。運命が笑っている。
神の遣わし使徒。人の造りしエヴァ。見守るだけで擦り切れてゆく私。
戦う彼、祈る私、笑う運命、繰り返し。
私は祈る。
私は祈る。
end