1943年が終わろうとしていた。独ソ戦はその峠を越した。赤軍は崩壊し、その敗残兵の大部分がモスクワに逼塞を強いられ絶望的な籠城戦を続けていたが、陥落も時間の問題と思われた。残る広大なウラルの大地はドイツの草刈り場だった。その先鋒は既に中央アジアを踏破、シベリアに達していた。
一方、なかなか動かなかったアメリカも、ついに大西洋を渡った。脆弱な北アフリカにモロッコから上陸、そのまま東進しイタリア軍を撃破、リビアにおいて英軍と連結した。ジブラルタルからスエズに至るアフリカ北岸は、すべて連合軍の支配下に置かれることとなった。イタリアは地中海の制海権を失いつつあった。
このような情勢のなかで、フィンランドの占める地歩はわずかで、かつ微妙なものだった。ソ連とは戦争が続いているものの、両軍が直接交戦しているわけではない。ドイツや英米とはそもそも戦争状態にない。また占領地はわずかであるが、そこにはアルハンゲリスクやムルマンスクという、戦略的港湾都市が含まれる。1936年、まだ戦争の影の無かった頃と比べれば、国土は広がった。これを前進と呼んでいいものだろうか。
プレイヤー的にはこの状態のまま47年まで終われば勝ちとか思い始めている。
フィンランドにとっての、この奇妙な状況を揺さぶる要因があるとすれば、それはドイツとアメリカの戦いの行方だ。両軍はまだ接触すらしていなかったが、その始まりには二通りが考えられた。北アフリカを策源地として、満を持してヨーロッパへ米軍が上陸を試みるか、それとも遠い極東で両軍がまみえるか、である。
実はアメリカ軍は極東において、太平洋島嶼部はおろか主敵日本をも飛び越して、いきなり中国大陸の大連に上陸という離れ業をやってのけていた。地上戦力だけでなく、その輸送能力自体が、交戦相手国にとっては大きな脅威なのだった。いつ、いかなる場所にも上陸できるとは、それだけの意味があった。
シベリアを東へ進むドイツ軍と、大連を中心に満州、朝鮮半島に進撃を続けているアメリカ軍。接触するのは時間の問題であろう。
1944年、ヨーロッパはそれまでが嘘のように静かだった。北アフリカの連合軍は、サルディーニャ、コルシカ両島を占領するも、それ以上の動きを見せなかった。イタリア、あるいはドイツによるアフリカ反攻の兆しもなかった。
戦闘が続いているのはモスクワだけだった。要塞化された都市はドイツ軍の猛攻を幾度となく跳ね返していた。もっとも、それに乗じて赤軍が攻勢にでようとすると、逆にドイツ軍によってすぐさまモスクワに押し込まれるという状況でもあった。かつての大国の中心は、いまは敵占領地に浮かぶ小島だった。戦略的意義を失い、象徴としての抵抗が続く段階となっていた。
さて、フィンランドである。旧領恢復を果たし、さらに白海沿岸を制し、ドイツ軍と接した時点で進撃を停止していたフィンランドであるが、ドイツからは、同盟参加の打診が何度となく繰り返されていた。これに拒否回答を繰り返しているうち、小国はようやく自らの状況に気づき始めた。ドイツはなんとしてもフィンランドを枢軸陣営に取り込みたいのだということに。ドイツの方から見れば、フィンランドの戦争など、莫大な犠牲を払いつつモスクワを攻略している横で勝手に介入し、いつのまにか白海を掠め取った火事場泥棒のようなものだった。地理的にも、ドイツ占領地に接して存在するフィンランドは、さぞ目障りに違いない。
ソ連に対する限定的な勝利に浮かれていたが、この戦争は新たな超大国ドイツを隣国としてしまったということなのだ。しかも旧ノルウェー領と、かつてのレニングラードと、南北をその超大国で接している。地図を見れば、これはまるで抱えられた卵のような状況だった。もし両端から少しでも力が加われば、砕けるより他はない。
再び戦争を起こすわけにはいかなかった。ドイツとの関係を悪化させないことが何よりも求められる状況となっていた。フィンランドは外交方針を修正する。枢軸同盟は拒否する、ただし対独関係は良好に保つ、と。
2〜3ヶ月にいっぺん同盟参加要請がきて、これを断ると外交関係が10ポイント悪化する。よって、これを上回るペースで友好度を上げないといけない。外務大臣は外交コストが安くなる人間に変えたが、それでも痛い出費。
ヨーロッパで戦線が停滞する一方、極東では連合国の進撃が続いていた。1944年夏までに満州、朝鮮半島は完全にアメリカ軍によって制圧され、華北の日本軍はアメリカ軍と中華民国軍の挟撃により大きな被害を出していた。東南アジアにおいては、ビルマ方面から攻勢を強めるイギリスの前に、とうとうシャムが枢軸から脱落、単独講和。そして日本統治下にあったインドシナもイギリス軍の侵入を許していた。
このような状況下、1944年10月27日に日本が正式に枢軸同盟に参加。これでドイツからの支援が日本に届くことになった。技術供与の類は即効性のあるものではないが、枢軸各国航空部隊が日本に展開するようになった。以後、この航空攻撃によると見られるアメリカ輸送船団の撃沈例が増えてゆく。これは中国戦線において無敵だったアメリカに対する、初めての有効な打撃となる。
戦闘のないまま、フィンランドにおいては軍備の増強が続けられる。編成は、相変わらず歩兵、山岳兵中心だった。戦車や航空部隊の配備は望めなかった。石油は輸入するしかなかったから、備蓄を使いつぶせばそれで終わってしまうのだ。しかし歩兵師団であっても、小国が維持するには重い負担がかかる。ドイツ、アメリカ双方との交易でようやく物資はまかなえているが、外交の選択肢を狭めていることにもつながっている。
1945年7月、長きにわたって籠城を続けていたモスクワがついに落ちた。以後、独ソ戦は、ドイツによるシベリア方面の掃討戦の段階に入っていく。なお、この時期にフィン−独国境におけるドイツ軍増強の傾向があり、フィンランド政府を憂慮させたが、これはモスクワ攻略に投入されていたドイツ軍を極東方面へ再配置するための一時的な現象だったことが、後になって判明している。
わかってしまえば笑い話だけど、そのときはホントにびびった。資金が足りなくなるまで外交で友好度あげまくった。
1946年6月、シベリアを経てモンゴルを併合したドイツに対し、極東米軍が戦端を開いた。強弩の末の譬えどおり、ドイツ第三帝国の快進撃もついに止まった。
だが、極東米軍による反撃のペースは、緩慢なものだった。補給に難があるのはアメリカも同じだった。アメリカ本土から極東米軍への輸送船が、枢軸側の航空攻撃で撃沈される例が相次いでいた。ここにきて、大陸の資源地帯を押さえるために日本列島全体を迂回したことのデメリットが現れてきた。シーレーンを確保するには、敵艦を沈めるだけでは不足で、敵の洋上航空機も撃滅しなければならないのだ。そして、おそらく九州を拠点に連合国輸送船に攻撃を繰り返しているのは、対ソ戦で経験を積んだルフトバッフェなのだった。
未開の大地シベリアにおいて、米独両軍とも進撃速度はふるわなかった。戦線の移動はゆるやかであり、対峙したまま1947年も終わるかと思われた。だが、ここに変化をもたらした国がある。大陸から退場したはずの大日本帝国だった。11月頃、乏しいはずの兵力をかき集めて樺太に上陸、ついで間宮海峡を渡りシベリアへの拠点とした。
極東米軍の力をもってすれば、この日本軍をオホーツク海に蹴落とすなど本来容易なはずである。しかし、補給に苦しむ極東米軍にとって、西のバイカル方面でドイツ軍と激闘しつつ、さらに東で二正面作戦を行うのはさすがに苦しいようだった。結果、シベリアの日本軍はそのまま沿海州を南下する。これはアメリカよりもソ連にとって、より破滅的だった。
シベリアを蹂躙されていたソ連にとって、沿海州は最後の拠点だった。これまでは満州に展開した極東米軍が楯となることで、ドイツ軍の猛攻から遠ざけられていたが、背後からの日本軍上陸により、まともに戦闘にさらされることとなった。一ヶ月あまりの攻防の末、日本軍はウラジオストクまでを陥落させる。
拠点となるべき都市のすべてを失ったソ連は、同日ドイツの併合要求を受諾した。1947年12月29日のことであった。
明けて1948年。世界大戦は続いている。極東で米独二強の激戦が続く一方、ヨーロッパは不気味な静けさに包まれている。世界を導くのはユーラシアを制しつつあるドイツか、民主主義の兵器廠アメリカか、ロイヤルネイビーの偉容衰えざるイギリスか。そして、来るべき荒波を、フィンランドはいかにして乗り越えてゆけばいいのだろうか。それは誰にも判らない……。