1942年、世界中が沸騰していた。その焦点は、間違いなく独ソ両軍の膨大な犠牲の上に戦われているモスクワを巡る攻防だった。戦線は一進一退を繰り返しており、勝敗の帰趨は見極めがたかった。しかし両軍の戦力カーブを比べると、ある答えが冷厳にも導き出せる。独ソ開戦以来、ソ連政府が大動員を続けているにもかかわらずその戦力は回復せず、しかも質の低下さえはっきり浮かび上がってくるのだ。このペースで戦いが続く限り、鋼鉄のようであったはずの赤軍もいつかは破断界を迎えるだろう。モスクワは落ちる。そして落ちてしまえば、その東にドイツ軍を阻むものは何もない。
この天秤の傾きを変えられるのは、それもドイツでなくソ連の側に傾けられるのは、もはやアメリカだけだった。驚異的なペースで戦力を蓄えつつある米軍ではあったが、いまだ自らの大陸に眠っている状態でもあった。彼らがいつ大西洋を渡ってくるのか。はたしてそれはソ連の破滅に間に合うものだろうか。
そして、我らフィンランドのとるべき道とは。
旧領恢復、この一点につきる。そしてその悲願を少ない兵力で実現するためには、最適のタイミングで、独ソの戦いに介入しなければならない。すなわち、南カレリアの赤軍が疲弊し、かつドイツ軍が侵入する前に、である。
ようするに、虫のいい戦い方をしようとしてる。
フィンランドは、なおも中立を守った。だが、それはもはや耐えるための中立ではない。刃を研ぐための中立だ。
赤軍は依然、モスクワを堅守していた。しかし、あきらかに流れはドイツに傾いていた。モスクワに圧力をかけ続ける一方で、他の戦線へも攻勢をかける余裕すらあったのだから。
夏が過ぎ、また冬が訪れ、そして戦線の南北でついに赤軍は大敗北を喫した。第二の都市レニングラード、そしてバクー油田地帯がほぼ同時期に陥落したのである。
また、フィンランド東部国境の東側においては、たびたび赤軍が南へ移動している様子が観測されていた。モスクワでの出血を補うため、各地から部隊を引き抜いているようだった。
この時点でフィンランドの戦力はどこまで整っていたか。陸戦ドクトリンの研究は、なお道半ばであった。そもそもフィンランド陸軍の戦闘教義は防御的色彩が濃く、攻勢作戦にはあまり向かない。実際の部隊はというと、歩兵師団、山岳師団あわせて23個師団、および1個前線司令部。これがすべてである。航空隊は存在しない。
このときまでにカヤーニにLv2の要塞を構築していた。結果的にムダになったこの生産力を振り分けていれば、近接攻撃機の1部隊くらいは配備出来たかもしれない。
依然、戦力的に不安は残っていた。だが、戦機は高まりつつあることも確かだった。正面から戦わずに弱点をうまくつけば、あるいは……。
攻勢をかけるべきは南部国境である。東部国境から少しずつ部隊を移動させる。この準備が整い次第、開戦とする。最初の一撃が勝負である。小国に二度目は無い。
防備の堅いヴィボルグを避け、まずはソルタヴァラを目指し攻撃を開始。敵前渡河となったが、この方面に兵力を集結させていた甲斐もあり、優勢を保って戦うことが出来た。森林に遮られて進軍は遅くなったが、一ヶ月後ついにソルタヴァラを取り戻した。
ここで予期せぬことが起きた。ドイツから軍事同盟の打診である。たしかに、対ソ宣戦によって、ドイツとは敵を共通する関係となっていたし、また枢軸陣営に入ることで得られる直接軍事支援は魅力的だ。
しかしデメリットもある。敵が増えるということだ。実はこの時点で、フィンランドの主要な交易相手国とはドイツとアメリカだったのである。
枢軸化となれば対米交易は途絶する。それを補うだけの支援を枢軸陣営から得られるかは未知数だった。ドイツへの回答は、拒否となった。
戦いは続く。要塞が建築されていることで防備の堅いカレリア地峡のヴィボルグだったが、レニングラードがドイツ軍に押さえられ、今またソルタヴァラをフィンランドが奪還したことで、そこに残る赤軍は孤立したことになった。三方から攻撃し、敵5個師団を包囲殲滅。1月30日ヴィボルグを取り戻した。39年11月の領土割譲以来、3年以上の時が過ぎたが、とうとう旧領すべてを恢復するに至った。
奪還したソルタヴァラに対しての赤軍の反撃は無かった。それどころか、開戦以来東部国境全体で赤軍に動きがなかった。ならばこちらから攻勢に出るべき時ではないだろうか。カレリア全域から赤軍を駆逐すれば、戦線を短縮する効果もある。南に偏っていた兵力を再び東部へ。2月以降、一斉に攻撃開始。ムルマンスクに配置されていた赤軍5個師団をコラ半島に圧迫、これを殲滅するという戦果を挙げた。
南では、赤軍全体が、そしてソ連という国家が破滅しつつあった。柔らかい脇腹であるウクライナから始まったドイツ軍大突破に対して、赤軍はとうとうこれを止めることができなかったのだ。6月にはモスクワの北に迂回を許してしまっていた。白ロシアやウクライナ方面から敗走を続けていたであろう赤軍の大部分が、ドイツ軍によってモスクワに押し込められた。
モスクワ包囲。これは見方を変えると、モスクワ北方に展開していた赤軍が、その策源地モスクワから切り離され弱体化したことを意味する。
カレリアでの勝利の余勢を駆って、フィンランド軍はさらに攻勢を続けた。南へ、南へ。「ここはもうロシアだ」誰かが言った。夏のあいだ進軍は続いた。機能不全に陥ったも同然の赤軍は、もはや敵ではなかった。9月にはアルハンゲリスクに到達した。そして、その先はドイツの占領地だった。フィンランド軍は停止した。戦争は続く。しかし直接の戦闘は終わったのだ。