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2006/12/26

 予告されてたけど実際に正月休みが吹っ飛ぶと確定してしょんぼりな今日この頃です。ぬぅ。

父親たちの星条旗/クリント・イーストウッド監督作品」(amazon)
父親たちの星条旗 (特別版) あー、これはいい映画だ。戦争映画ってだけでなく戦史映画、現代史映画って向きで評価したいですね。硫黄島の旗を巡る物語、それは旗を揚げた六人の物語、そのうち生き残った三人の物語、そして当時のアメリカの戦争マシーンぶりを強烈に伝える物語。
 えー、硫黄島の戦闘とか、もう周知の歴史的事実ですしネタバレなんか気にしないで書きます(コラ
 焦点が当てられるのはあの超有名な国旗掲揚の写真に写った六人のうち生き残った三人。彼らが直面した硫黄島の凄まじい激戦と、それとはあまりに違う、戦時公債募集キャンペーンに引っ張り出されてのお祭り騒ぎの日々。時系列を交錯させながら映画は進みます。敢えて映画の出だしは戦場でなくキャンペーンの場面。喝采を浴びる三人の“ヒーロー”がそこにいます。
 だけど続く硫黄島のシーンでは三人はあんまり目立たない、っていうか戦場シーン全般で誰か固定の視点人物でっていう撮り方してないのですね。キャラ立ちってコトバ使えば、逆にキャラ立ってない。でもこれがプラスに働いている。特定の誰かでなく、その場にいる海兵隊員たち全員を描いてるってことになっているんですね。そうさせているのは、もはや映画「プライベートライアン」以降スタンダードにもなった、激しい戦闘シーン。上陸前の艦砲射撃から(戦史そのままスミス中将が砲撃量が少ないと憤るシーンもはさみつつ)、上陸後は敵である日本軍の濃密な銃火を強調し(擂鉢山斜面の鉄扉で隠蔽された野戦砲とか炎上するLVTとか)、とうとう上陸ってところで兵士一人一人のレベルにカメラが降りてくると映し出されるのは戦死者続出で砂浜にへばりつきながらも必死に前進する海兵隊員たち、こういうのを実に細部にまで金かけて再現しつつ、でも特定の誰かを前面には出さない、抑制された撮り方。ここらへんてのはイーストウッドらしいといっていいんでしょうかねえ(実は彼の監督したのは「バード」くらいしか観てないので、たいしたこといえないですが……)。えーと、とにかく、硫黄島の戦闘といえば決まって引用されるニミッツ提督のこのコトバ "Among the men who fought on Iwo Jima, uncommon valor was a common virtue"(硫黄島で戦った人間の間では非凡な勇気さえ共通の美徳だった) つまり誰もがヒーローだったってのを頷かせるには、これが正解だったんじゃないのかと。
 でも、そういう激戦の一方で、公債募集キャンペーンはお祭り騒ぎ。それも最大限ショーアップされたシロモノ。んで、この戦地から遠い場面ではじめて三人のカラーというかキャラが分かれてくる。違和感を覚えつつも寡黙にキャンペーンに従うブラッドリー(原作者の父親でもあります)、喝采を受け入れ利用しやがて裏切られていくギャグノン、そして戦地とのギャップに耐えられなくなりアルコールに走ってしまうネイティヴアメリカンのヘイズ。こう書くときれいに三者三様なんでまーたテキトーな設定しやがってとか思っちゃいますが、実際の三人のその後がそうだったんだから事実は小説より奇なり。
 私見ですが、激戦の硫黄島はもちろん、キャンペーンの場面など一連の当時の世相の再現に相当こだわったものになってるのが、この映画を良作たらしめている点じゃないかと。大統領と会うところとか記者会見とか、あといかにも40年代なケバい化粧したおねーちゃんたちとか(ぉ。火山灰だらけの島で死んでいく無数の兵士もアメリカなら、特定の三人が“ヒーロー”になってしまうのもアメリカ、一枚の写真が大反響を呼んで戦費調達を達成させてしまうのもアメリカ。そこから浮かび上がってくるのは巨大なウォーマシーンであるアメリカ。あたりまえですが、ああいう戦争やろうと思ったらアメリカだって必死だったわけです。それも選挙やって戦費は公債から調達してってルール踏みながら(極東某国のように強制的に貯金させて軍事費になんてマネは民主主義謳ってる以上できない)。戦地のトラウマと後方でヒーロー視されるギャップに引き裂かれてしまう兵士の物語は悲劇ですが、ヒーローでも作らないと回っていかなかったウォーマシーンそのものも悲劇です。それも日米双方が受容しなければならなかった悲劇。
 その上で。
 エンドロールで映し出されるスチール写真は全て当時のものなんですが、ええ、戦史関連の本ではけっこう頻出の写真なんですが、とうとうここで涙腺決壊しましたですよ。なんでこうまでして戦わなきゃならなかったのか……。ああ……。
「硫黄島の星条旗/ジェイムズ・ブラッドリー著 ロン・パワーズ著 島田 三蔵訳」(bk1)
硫黄島の星条旗 ついでに原作のことも。共著者のひとり、J・ブラッドリー氏は実際に星条旗を掲げた六人のひとりブラッドリー衛生下士官の息子。戦後は沈黙を守り続けた父親の足跡をたどるっていう縦糸と硫黄島の激戦と公債キャンペーンの内幕という横糸(……縦横は逆かも)。一般の戦記よりも六人それぞれに焦点をあてています。普通の兵士の目線なんですね。ヒーローに見立てるのではなく等身大の、二十歳すぎのあたりまえの若者のはずだった男たちの話。なお、映画ではぼかされていたあるシーンについても、本でははっきり書いてます。興味ある方はご一読を。
「硫黄島/R・F・ニューカム著 田中 至訳」(bk1)
硫黄島 こちらは原作ではないけど、コンパクトにまとまってる米軍視点の硫黄島戦史ってことで紹介。訳文はちといただけないところがありますが(同一人名のカタカナ表記がページによって違ったりしてる……)、将官から兵卒まで、数多くの硫黄島従軍者の証言を交えつつ時系列に沿って戦闘の展開を記した一冊。兵士の生の声を織り込んだ物語風ってのが米軍戦史の標準的なスタイルですが、それに忠実な一冊ともいえますね。もちろん旗の六人、そして生き延びた三人にも筆を割いてますが、あくまでそれは一部。海兵隊員たちの戦闘全般にスポットが当たっています。
 それでも、この種の戦記にしては日本側の証言(遺族や生還した捕虜)も多め。それだけ記録に残っているor記録に残す努力をしたってこともあるのでしょうが、そうさせたのは、やはりあまりに激しすぎた戦いだったから、ではないかとも思うのです。

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