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2006/09/24

 なんか週末ごとに風邪ひいてる気がする……。

「ファイブ・デイズ・ウォー(原題"The Lost Battalion")/ラッセル・マルケイ監督作品」(amazon)
ファイブ・デイズ・ウォー レンタルにて。これはよかった。テレビ映画だからってなめたらいかん。
 第一次大戦モノです。2001年のテレビ映画。状況としては1918年西部戦線でドイツ側の一連の攻勢が頓挫し、協商側が逆襲するというあたり。停戦直前。映画で取り上げているのはアメリカ派遣軍の1918年9月から10月にかけての戦闘。これってムーズ・アルゴンヌ攻勢でしょうね。で、その戦闘の中、敵中孤立して五日間耐え抜いた第77師団第308連隊所属のある大隊の苦闘を描いた作品です。
 ちゃんと撮ってるなーというのが冒頭からわかる佳作です。重砲の着弾をガソリン(火炎)じゃなくて発破(爆風と巻き上がる土煙)で表現してるってだけでもうポイント高い。他にも、撃たれたら血が出る、刺されたら血が出る、味方の弾だけじゃなく敵の弾もあたる、死体になったら収容されるまで勝手に歩いたりしない。小さいことかもしれませんが、こういうのをやってくれるだけでいいんです。派手なバクハツである必要はない。そうそう、大事な点がもうひとつ、ドイツ兵はちゃんとドイツ語しゃべります。
 以下ネタバレ全開。
 アルゴンヌ地区への攻勢作戦に参加することになった第77師団。所属大隊長のC・W・ホイットルシー少佐(リッキー・シュローダー)は危険を具申するが却下され、逆に師団長からは職業軍人でないこと(ホイットルシーは戦前はNYの弁護士だった)で難詰されてしまう。攻勢は開始され、部隊は塹壕間の突撃で損害を出しつつも、なんとかドイツ軍塹壕を超越、背後の森にある火点のひとつを制圧することに成功する。しかし約束されていたはずの支援が来ない。実は両側面の友軍は師団ごと撤退していたのだった。突出、孤立したことは逆に敵の注意を惹き、部隊は包囲されてしまう。伝令ももどらず、連絡手段は数羽の伝書鳩のみ。やっと実現した味方の支援砲火も多くは誤射となって部隊をさらに傷つける。補給を欠き、負傷兵は増え続ける一方。そして降伏勧告を拒否した部隊に対して、ドイツ軍は掃討作戦の最後の手段、火炎放射器部隊の投入に踏み切る。この最後の攻撃を撃退して友軍に収容されたとき、550名あまりいた兵は200名を割っていた……。
 呼び子を合図に着剣したスプリングフィールド抱えて塹壕を出て突撃ってとこが、プライベートライアンでいえば上陸シーンですね。個人の技量に関係なく運の悪いヤツから統計的に何%かは確実に殺される。白兵戦になったらなったで至近距離で撃ち合ったり銃剣で刺殺したりされたり。んで、そこを生き延びて森の中に孤立するあたりからようやく隊長以外の兵隊も自分の素性を語ったり。ニューヨーカー中心の部隊ってことで移民がおおいんですね。東洋系がいたりポーランド系がいたり。隊長役のリッキー・シュローダーも、いかにも弁護士ってな丸眼鏡で細々と指示出したり自分で血塗れの認識票回収したりと生真面目な隊長ぶり好演。
 そして孤立したってわかってからの絶望的な戦闘。端的に示されるのが、川へ水汲みにいった兵が狙撃されるって場面。ここから雲行き変わって、本部に連絡つかないとか、伝令が帰ってこないとか、そもそも森は見通しきかなくて、でも敵がじりじり近づいているってのはわかってて、そして一人また一人と死んでいく。なんというか、アメリカ視点のアメリカ映画らしからぬ重苦しい戦闘が続くわけです。そしてこういう場面、撃たれたり手榴弾で吹っ飛ばされたり取っ組み合いのすえに刺されたりって場面をきっちり丁寧に撮ってるのがこの作品の徳目でしょう。ラストの救出される場面はちょっと創作入ってるかもしれませんが(師団長が直々に孤立地点までくるのか、ちと疑問)、そこまでの戦闘の積み重ねがあるのでそれさえも納得させられてしまいます。ヤンキー魂おそるべし。
 余談。これはけっこう有名な実話らしく、原題の"The Lost Battalion"(失われた大隊)で検索するといろいろでてきますんで挙げときますです。しかし一つの局地戦で三人に名誉勲章ってこりゃすんごいことですね。まだまだ第一次大戦のことは知らないなあ。勉強せねば。
  • Lost Battalion of WWI 祖父が従軍したという人のLost Battalion紹介ページ。
  • Lost Battalion Lost Battalion@wikipedia(英語)
  • Charles White Whittlesey ホイットルシー少佐@wikipedia(英語)。生還したのに三年後には……
  • Cher Ami シェラミというのは伝書鳩の名前。撃たれながらも部隊からのメッセージを師団本部へ伝えたんで、この鳩がいなかったら救出もなかったという、ある意味、最大の功労者。戦後は勲章もらったそうです。映画でもこのシーンあります。
  • The Lost Battalion (2001) (TV) 映画作品の紹介ページ@IMDB

2006/09/11

 うわ、911じゃん。

「レッド・マウンテン/J・P・ダッタ監督作品 」(amazon)
レッド・マウンテン でも911とは関係ない映画。2003年制作なんでPOST911ではあるんですがね、もう。
 これはインドの映画です。原題は LoC:Kargil(→IMDB) 、印パ国境カシミール高地のカルギル地区にある実効管理ライン(Line of Control) のことで、1999年に同地で起こった国境紛争をテーマにした作品。
 紛争自体の経緯はというとイスラム系ゲリラが越境→インド側が応戦するが敗退→実はゲリラはパキスタン正規軍だった→本格的な戦闘に→なんとかインド側が奪回。でもって映画としてはもちろん視点は100%インド側で、苦しい高地戦に耐えてよく頑張った! 感動した! っていうぐあいの、っていうか、まあ、その、それだけなんですね。だから面白いかといわれると、うーん。戦闘も単調というか、基本的に同じパターンの繰り返しです。高所にトーチカ構える敵から銃撃or砲撃→戦友が撃たれる(ここで律儀に回想が入るのよ)→残された兵士が逆上して吶喊→やっぱり撃たれる→でも味方が後ろに回り込んでくれた!→手榴弾!手榴弾!→皆殺しだコノヤロー。一回ならともかくコレが三度も四度も続くと……。
 というわけで映画としては、まあ凡庸という評をせざるをえません。ただミリオタ的には気になったり考えさせられたりする点もあったので、以下列挙。
 高地戦がスゲー。これ傾斜20度くらいないですか、もっと? そんな急斜面で岩だらけでそもそも4000メートル近い高地でしょ。そんなトコロで匍匐前進するわAKで撃ち合うわあげくに吶喊、スゲー。
 航空支援皆無。標高が標高だから双方ヘリも地上攻撃機も無し。無人機? そんなものはない。兵隊同士が視認するまで近づかないといけないから交戦方法もライフル、手榴弾、そして銃剣。1999年の紛争とは思えない血生臭い白兵戦。
 吶喊するインド兵、インド万歳とか女神カーリーと共にとか、とにかく神様の名前叫びながらっていうのが、これはインド映画的流儀なのかしら、それともほんとにそういう軍隊なんかしら。
 軍装で気になったのはセーター着てるってトコロ。冬期戦=コートって脳内刷り込みがあったんですが、たしかに戦闘に耐えうる防寒着としてセーターは合理的ですね。
 でもっていちばん気になったのは、インド軍が捕虜をひとりもとらなかったっていう点です。高地の肉弾戦にそんな余裕無かったんだといえばそれまでですが、制圧した拠点に取り残された敵兵(脅威としては無力化されている)に対してもかならず射殺するか銃剣で刺殺ってのを徹底していましたね。実際の戦闘でもそうだったのか、それとも戦意高揚映画的文脈からの演出なのかは判断保留しておきますが、少なくとも2003年の映画制作時点でなお、こういうシーンは是とされていたわけで。現実の、現在進行形の戦争を、一方の当事者が描こうとすれば、こういう形にならざるを得ないのかもしれません。たとえPOST911であったとしても。

2006/09/08

 もう9月だよ。うーん。

 ここらへんからさらにリンクされてるところなんかも読んでちょっと考えてみたですが。

 本棚にある範囲でいえば、あてはまるのは「スケッチブック/小箱とたん」かな。イナカの高校の美術部という小世界の日常。ゆったりまったり。うん、ぴったりだ。「もっけ/熊倉隆敏」はどうだろ。作品世界は確立してるとおもうんだけど、怪異を描いてるってので外れるかなー。

 ところで議論されてるなかで、作品構造や舞台については言及されてても、世界観というか、価値観の論点があんまりないのが気になった。物語性が希薄・作品世界が堅牢っていう定義だけだと「ドロヘドロ/林田球」とか初期の「BLAME!/弐瓶勉」なんてのも“世界系”っていいたくなるんですよ。“世界”としては強烈ですしね。でもこれらを、リンク先で列挙されてる「ARIA」とか「ヨコハマ買い出し紀行」とかと同一のカテゴリにして、しかもそれを“空気系”と称するのはちと違和感が。やっぱり物語構造の議論だけじゃなくて作品価値観まで踏み込む必要があるんじゃないかな。性善説というか、悪意の少ないとか、微温的であるとか、そういう側面も“空気系”諸作品には求められるんじゃないかとおもいます。


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