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2004/10/31

 こたつ出します。

「ヒストリエ 1/岩明均」(bk1)
「ヒストリエ 2/岩明均」(bk1)
ヒストリエ 1ヒストリエ 2 前作「ヘウレーカ」につづいての歴史物。主人公はマケドニアのアレキサンダー大王、ではなくてその書記官エウメネス、 ってあたりからしてもう岩明均らしーなー。オハナシとしてはまだ導入部で、エウメネスの少年期の回想が中心ですが、そのなかで当時のギリシャ世界の状況(民会だったり奴隷制だったり異民族だったり)を、物語の腰を折らずにうまく説明してくれてて読みやすいです。あと日常の場面だけでなく、そこから血生臭い場面に転じても、あるいは主人公の境遇が一変しても、視点というか筆致がぶれないで一本筋が通ってるところなんかは、もうすっかり歴史物描き慣れてるなあってカンジ。この先も面白い物語が期待できるマンガです。オススメ。

2004/10/30

 本屋まわって何冊か買ったあと喫茶店に入って紅茶すすりながらゆっくり読書、なんてことが久々に出来ました。でも年内はもう無理っぽい。

「しおんの王 1/原作 かとりまさる 漫画 安藤慈朗」(bk1)
しおんの王 1 王というのは将棋の駒。なのですが将棋のマンガともいいきれず微妙。主人公の紫音は幼い頃に両親を惨殺されたショックで言葉をうしなった少女棋士。紫音の女流棋界でのライバルとなっていくのが、いいとこのお嬢様で初段の沙織と、金のためとわりきって指手も強気な歩。ただ将棋指しどうしの将棋の話ってだけじゃなくて、まだ未解決な紫音の両親の事件についての謎解きもあるようです。でも最大の謎は歩。こいつ実は男なんですが、その女装ってのがノースリーブだったりツインテールだったりするのですよ。この化けっぷり、萌えちゃってもいいですか。

2004/10/24

 いまごろ軍事研究の11月号とか読んでたりするのですが、F2調達中止賛成なひとのすぐ後に反対なひとの記事があったりして、んーと、まーそーゆー状況なんだなーと。

「カラシニコフ/松本仁一」(bk1)
カラシニコフ モトはしばらく前に朝日新聞の国際面で連載してたコラム。あんま新聞読まなくなってた自分がこれだけはナゼか読んでて、んで、単行本になってあらためて読んでみた次第です。自動小銃AK47、通称カラシニコフの、そのものについて。それから、AKが使われている地域のレポート。この二本柱がこの本の中心。
 ミリオタ的には前者がポイントなのかな。特に設計者カラシニコフへのインタビューなんかは貴重かも。奇抜な新技術を採用したわけではないのに扱いやすい名銃AKがなぜ生まれたのか。「私はAK47を発明したわけじゃない。開発したにすぎないんだ」というカラシニコフ自身の言葉は、アレもコレもと多機能目指してけっきょく高価な駄作を生み出してしまいがちな防衛庁と国防産業の方々に小一時間復唱させたいくらいですがそれは余談。
 閑話休題、もう一つの柱、AKの使われている地域のレポート。著者のフィールドでもあるらしくアフリカの国々が取り上げられてます。シエラレオネの少年兵・少女兵の話(拉致されて暴行されて銃持たされて……)なんか読んでてひっじょーに気が滅入りますが、著者がこういう状況を、作家F・フォーサイスの言葉を借りて「失敗した国家」と記しているのが印象に残りました。政府に国を統治する意志のない状態、これが、失敗した国家。で、この本で取り上げられている失敗した国家(シエラレオネ、ソマリア、赤道ギニア、ナイジェリア等々)では例外なく治安が悪化し、AK47がばらまかれた状態になってしまってる。さて、そこでAKが国家を失敗させたのか、失敗した国家となったからAKがあふれちゃったかの因果関係については、あまり強く論じてなくてちょっと歯切れが悪い。でも希望を持たせるレポートもしてくれてます。それがソマリアから独立しようとしているソマリランド(リンクはどっちもWikipedia)についてのレポート。
 治安を回復するためには蔓延してしまった銃を回収しなければならない、失敗した国家にとってとてつもなく困難なこの課題を、部族長老の説得という(聞こえは前近代的かもしれないけど)やり方でなんとか実現したソマリランドは、失敗した国家の立ち直るひとつのモデルケースになりうるのかもしれません。もっとも、ソマリランド自体を承認する国はひとつもなく、まだソマリア内部の一地方政権って状況。ってゆーか、ソマリアもう三つくらいに国が分かれちゃって群雄割拠の三国志状態なんですが、これがまた戦乱状態の火種になってしまうのかと思うと……、なんかもう、言葉も無い。

2004/10/20

 台風で電車止まるといけないからってんで職場が急遽総員退去。ま、理由はともかく、ひっさびさに定時にかえれましたです。

「LAD:UNA 1/伊藤真美」(bk1)
LAD:UNA 表紙買いしますた。
 記憶からすっぽり抜けてましたが、これ、快楽天で連載してたんですね。というわけでセックスシーンもおおいけど、エロいっていうより艶っぽい。裸になったときの体型がきれいなんですね、絵として。
 大多数の人間が生殖能力を無くしていって、人類が生物種としての限界を迎えようとしている星・ラドウーナ。そこのスラムにある娼館でヒモまがいの暮らしをしている優男のディーラが主人公。設定が設定だけに享楽的なセックスを繰り返したりするんですが、どこか寂しい、哀しい情感が漂ってるのがいいです。生殖可能な人間を「保護」する医療局がらみの話なんか特に。
 で、種としての人類を残そうとなりふり構わない医療局であるとか、ディーラの出生のいきさつとかが語られて、さあこれからってところで1巻は終わってます。続きを期待したいところなんですが、連載再開するかなあ……。

2004/10/19

 えー、また台風?

「いばらの王 1/岩原裕二」(bk1)
「いばらの王 2/岩原裕二」(bk1)
「いばらの王 3/岩原裕二」(bk1)
「いばらの王 4/岩原裕二」(bk1)
いばらの王 1いばらの王 2いばらの王 3いばらの王 4 積読消化ってことで既刊分を一気読み。読了後に今まで積読にしてたのを激しく後悔しましたが一気読みだからより楽しめたってのもある、練り上げられたエンタテイメント作品。
 体が石のように硬化してしまい死に至る奇病メデューサが蔓延してしまった世界、そのなかで選ばれた160人は治療法が確立される未来に望みをかけてコールドスリープにつくのだが、目覚めてみると、そこは古城を改装した医療施設だったはずなのに、異常進化したいばらに覆われ、怪物がのし歩いてる廃墟に変わり果ててしまっていた。で、目覚めていきなり怪物に襲われてほとんどが死んでしまい、生き残ったのは主人公の少女カスミをふくむ7人だけ。はたして彼らは脱出することが出来るのか……。
 読了した4巻までで、舞台は基本的にコールドスリープ施設だった古城だけで、作中の時間もカスミたちが目覚めてから数日くらいしかたってない(回想のシーンはあるけど)ですが、そんなことを感じさせない密度の濃いストーリー展開。舞台設定からしてダンジョンものって要素もあるし、カスミたちは(一人をのぞいて)メデューサに罹患してて病状も進行しつつあるからもう死亡フラグばしばしでして否応なく緊迫感が。話が進むにつれて奇病メデューサについての謎解きって要素もでてきて、がーっと一気読みしてしまいましたですよ。でもって死んだはずのカスミの双子のシズク(コールドスリープの対象に選ばれなかった)が実はこの事件に関わってるんじゃ……ってのがにおわされたあたりで4巻終わり。あー、先が気になるなーもー。
「夕凪の街 桜の国/こうの史代」(bk1)
夕凪の街 桜の国 こちらはエンタテイメントってのとは違うかもしれないけど、小品ながらずしりとつきささるものを持つ傑作。じつは「夕凪の街」は同人誌持ってないしアクションに載ったときも読み逃してたんですよ。もう本屋行くヒマなかったころだったし行動範囲にあるコンビニはどっこもアクションおいてないしで悔しい想いをしてましたが、ようやく読める。読む。読んだ。ああ……こりゃあ……すごい。
 ヒロシマの話です。広島でなくヒロシマ。これを題材にしたマンガなり小説なりはいくつか読んできたけど、そのどれとも違う読後感を得ました。こういうマンガ読めてよかったなと思えました。うん。
 収録二作のうち「夕凪の街」は昭和三〇年の復興しつつある広島が舞台。そこで生きる女性のつつましやかな暮らし、淡い恋、そして逃れがたい被爆の記憶。
 幸せになることを躊躇してしまう主人公が衝撃的です。
 こういう心情って、ヒロシマを扱った作品では珍しいと思う。むしろ従軍記(それも激戦地の)とかに多いんじゃないかな。でも、あの日広島がどういう状況に陥ってたかを考えると、たしかに最悪の戦場であったともいえるし、なにより十年もたって本当なら人生謳歌したっていい年頃になってる女の人に、自分は幸せになっちゃいけないんじゃないかって思わせてしまう被爆体験ってのは、いったいどれほど悲惨なものだったんだろう。
 こうの氏のやわらかい描線やカケアミ使った画面は、ほのぼのした感触で、じっさい作中でも回想の数コマでしか八月六日の状況は描かれない。でも、体験の重さっていうのが、日常を描いたコマからも伝わってくる。たとえば「……教えて下さい うちは この世におっても ええんじゃと 教えて下さい」っていうセリフからも。あの日あった悲惨な状況を直接描いてる作品、とはいえないかもしれないけど、あの日を経験した人の、その想い、そういうのを伝えてくれる作品です。
 あわせて収録されている「桜の国」は、その後日談的な作品(「夕凪の街」の主人公の姪にあたる女の子が主人公)。平成になって、あの日も遠い出来事になったはずなのに、家族を原爆で失っていることが、影のようになっている……。
 ある意味こちらの方が問題作なのかも。被爆者差別って、これはもうB29がどうのこうのじゃないから。する方もされる方も、普通に生活してる人間なんだから。そして「桜の国」のすばらしいのは、作中描かれる現在のその普通の生活ってのに、原爆でたおれた人たちの、想い、それが受け継がれているっていうところです。
 ヒロシマを語るやり方はいろいろあるでしょう。その一つとして、こういうマンガが世に出たことを喜びたいです。

2004/10/17

 腰痛継続中。うががが。

「八月の砲声 上/バーバラ・W・タックマン著 山室まりや訳」(bk1)
「八月の砲声 下/バーバラ・W・タックマン著 山室まりや訳」(bk1)
八月の砲声 上八月の砲声 下 書名だけは知ってても未読って本、そりゃもう山のよーにありますが、これもその一つでした。で、やっぱ八月中に読まなきゃねーと思いつつずるずるずるると来てしまいましたが、感想を。
 やべー、面白い。
 これに限らず第一次大戦ものってあまり読んでませんでしたが、かなり後悔。面白いのなんの。や、戦争あつかってるのに不謹慎かもしれないけれど、でもこういう語り口の歴史書ってやっぱ読んでて引きこまれちゃんですよ。
 ここで描かれているのは第一次大戦前夜からセルビア事件、そして開戦(これが題にもなってるように一九一四年八月、ちなみに原題は"The Guns of August")、緒戦のドイツ軍快進撃からその初の挫折となるマルヌ戦(同年九月)の直前まで。この期間の各国政府や軍の動きを人間中心の観点でつづってます。なもんで、これが不謹慎承知でいいますと、名優の舞台劇を観てるよーな錯覚までしてしまう。カイゼルやチャーチル、ポアンカレはもちろん、モルトケとかヒンデンブルクとかジョフルとか、政治史・戦史でいえば千両役者級が惜しげもなく投入される群像劇。
 マルヌ戦までってこともあって、この作品全体を通奏低音のように流れるのが、開戦前に病没したドイツ参謀将校シュリーフェンによる、いわゆるシュリーフェンプラン(独軍右翼により中立国ベルギーを突破して北から旋回してパリを目指す)、そして対をなすようなフランスの第十七計画(独仏国境を右翼から突破しベルリンへ)。たがいに重点の交錯した、しかも攻撃偏重の作戦計画でもって戦争に突入。両軍の計画通りに、アルザスはフランスによって、ベルギーはドイツによって蹂躙され(ここでアルベール国王を中心にベルギーの悲劇的奮戦といったエピソードがあったりする)、並行する東部戦線ではタンネンベルク戦というまさに劇的としかいえない独軍の勝利を記述しつつ、パリの運命を決めるマルヌ戦へ……。と、こんな調子の筆致で、しかも要所要所では歴史書禁じ手のifをちらちら書いたりするもんだから(東部戦線への独軍の再配分が行われなかったら、とか)面白くないわけがない。
 第一次大戦というと塹壕戦というイメージがあるんですが(ザ・トレンチっていうそのものズバリなタイトルの映画もありました)、緒戦はホント機動戦なんですね。列車でガンガン動員して歩兵をつっこんだ方が勝ち。でも、それもマルヌ戦まで。本書でのマルヌ戦の意義というのは、パリを救ったというよりも、騎兵による突破戦術の終焉、短期決戦から塹壕戦に戦争のスタイルが変わってしまったという点に重きが置かれているように思います。それは総力戦の一つの形態であり、第二次大戦の悲惨きわまりない戦闘へつづく過程でもありました。ちなみに占領地の市民に対する虐殺事件も本書に記されています。たしかに人類は歴史に学んでいるようです。戦い方も殺し方も。

2004/10/11

 久しぶりに椅子座ったまま爆睡してしまって久しぶりな腰痛になってしまいすんごく久しぶりな三連休が終わろうとしてますよ。うがー。

「PLUTO 1/浦沢直樹×手塚治虫「鉄腕アトム 史上最大のロボット」より」(bk1)
PLUTO 1 たしか連載始まる前に電車の中吊り広告で知ったんだけど、ああこりゃすごいもんになるなーって予感がその時からヒシヒシっていうかビシビシしまくってた作品。で、1巻読んだのですが、あーもーすげーよとんでもねーよこれわ。
 プルートという名のロボットが、アトムを含めより強いロボットを相手に破壊を繰り返していく……ってのが原作だったとおもうんだけど(あえて原作もついてくる豪華版でなく通常版を購入したんで二十年近く前の記憶、すんまそん)、この「PLUTO」ではプルートでもアトムでもなく、原作だと端役の事件を担当するロボット刑事ゲジヒトを主人公にしてその視点から描くことで浦沢流の重厚なミステリドラマに仕上がっていて、しかも世界設定の端々にはやっぱり手塚テイストが残っていて。
 これほど幸せなリメイクって無かったと思う。これからも出てくるかどうか。未来社会を彩る手塚治虫の奔放な喚起力抜群の設定・ガジェットに、伏線張り巡らせて人物それぞれの内面もきっちり描きつつ物語を進める浦沢直樹のストーリーテリングの融合。傑作であることを約束された作品というのはまさにこれ。だって結末知ってるってのに、何度読んでもノース2号のエピソードは涙腺弛んじゃうんだもの。ああもうっ。
スウィング・ガールズ
 映画館で邦画見るなんて何年ぶりだろーか……。
 というくらいでぜんぜん期待しないで時間つぶしに観たんですが、いやいや、面白いじゃないですか。ニギヤカで楽しい映画でしたですよ。
 舞台は田舎の高校。夏休みの補習受けるくらいならって理由で、食あたりでダウンした吹奏楽部の代わりに(ブラスには人数足りないので)ビッグバンドジャズもどきをやるド素人の女子高生たち+男子一名。最初はサボり目的でやる気ナシナシだったけど、実際に自分の楽器から音が出て、なんとかメロディになるあたりから面白くなりはじめて、だけど吹奏楽部は復帰しちゃってスウィングガールズ(というのは彼女たちのバンド名でもある)はお役ご免。大半はさっさとジャズバンドなんて忘れるけど、諦めきれない何人かは、楽器代のためにバイトしたり、独学で練習したり、挫折しそうになったところで、意外な助っ人を見つけたり。そうこうしているうちにもとのスウィングガールズ再結成、なんとか市の音楽祭にエントリーして……ってのがあらすじ。
 こういう音楽ものって、テンション切れずに最後の演奏にまでなだれ込めば勝ちだと思うんですよ。で、テンポのいい作劇のせいであれよあれよというまにラストまでいっちゃうんで、もう勝ちだと。これは逆に御都合主義っていうか、そんな簡単に巧くなれるもんかいなって疑問もっちゃうひともいるだろうけど(特に楽器経験者な方)、そこらへんは横断歩道で流れる電子音のメロディに「これってジャズ?」って気づいてジャズのリズムをとってしまう本仮屋ユイカ演じるメガネっこの関口さんに免じてどうかひとつ(ぉぃ
 で、最後の音楽祭になったらもう大盛り上がり大会。ラストにやるシングシングシングではメイン五人のソロ演奏もちゃんとある。あか抜けない田舎の高校生たちのせいいっぱいの青春もの、ってくくるよりも、気持ちいい演奏(良い演奏ではなく気持ちいい演奏)やってくれる音楽ものっていう映画として観られました。ニギヤカな演奏によるニギヤカな映画でした。良作。

2004/10/03

 金曜日に夜勤しちゃうと一日損した気がするですよ。

「CLOTH ROAD 1/脚本 倉田英之 漫画 okama」(bk1)
CLOTH ROAD 1 ドレスアップしたモデル同士でのバトルマンガ。始まったときはどーかなーと思ってたですが、意外に面白い。
 ナノテクが進んで基盤やらケーブルやらが繊維に仕込めるくらいになって衣服とコンピューターが一体になった世界、そこで行われてる戦闘用のドレスをまとったモデルたちが戦うアングライベントWAR-KING。仕立屋見習いの少年ファーガスは親方が倒れたことで治療のため大金が必要になり、自分の仕立てた服とそれを着る妹ジェニファーふたりで賞金目当てにWAR-KINGに出場する。その第一戦の顛末まであたりが第一巻。
 やっぱりこんな設定なんで、衣装とそれを着るモデルがかっこいいかどうかだと思うんですよ。でもって、これがたいそうかっこよさげなのであります。ごてごてっと高密に描き込んでて、ときどきわけわかんなくなったりもするけど、やっぱり衣装の豪華なカンジがでてるので◎。
「Under the Rose 2 春の賛歌/船戸明里」(bk1)
Under the Rose 2 春の賛歌 1巻も重かったけど2巻はさらに重い話。
 前巻からつづいた「冬の物語」のラスト、ロウランド家に庶子として引き取られたライナスが周りとぶつかりながら辿り着いた結論は、牧師になる=家を出るということでした。悲しい結論だけど、やっと人を憎むことから離れられたのは、彼にとってプラスになってくれるんでしょうか。でもって第二部「春の賛歌」の主人公は、ロウランドに新しくやってくる家庭教師……じゃなくてロウランド家の次男坊ウィリアムかな。ちなみにどっちも表紙で、どうでもいいけどどっちも眼鏡。
 どうでもいいついでにいっとくと、私的に大注目の2巻新キャラ、口のきけない名無しなメイド。表面上、人当たりはいい次男坊に陰でこっそりいじめられていて、見ていないところでお茶こぼされてやけどしちゃったりして、しかもしかもしかもッ、そのやけどの跡をさすりつつ物陰からウィリアム坊ちゃんをそっと見つめるなんて、あー、もう、萌え死ぬ。
「チキタ★GUGU 1/TONO」(bk1)
「チキタ★GUGU 2/TONO」(bk1)
「チキタ★GUGU 3/TONO」(bk1)
「チキタ★GUGU 4/TONO」(bk1)
チキタ★GUGU 1チキタ★GUGU 2チキタ★GUGU 3チキタ★GUGU 4 一気読みした。すんごく重かった。
 幼い頃に魔物のラー・ラム・デラムによって両親家族を食い殺されてしまった少年、チキタ・グーグー。チキタだけが助かったのは魔物にとって「マズイ」体質だったからで、だけどそれは百年経つと逆に「美味」にもなる。ってことでラーとチキタは一緒に暮らしちゃってます。チキタにすれば相手は親の仇、その魔物に自分も食われるために飼育されてるような、だけど百年は絶対に守ってもらえるともいえる、なんとも微妙でシュールな関係。グーグー家は「まじない師か占い師かお祓い師かなんかの妖しい屋」でもあるので、いろいろ魔物にまつわる出来事を依頼されたり関わったりしてて、そういう経験やそこでのいろいろな人(or魔物)との出会いがチキタとラーの関係に変化を与えていきますが……さて、このまま百年経ってしまうのか。
 人を食う魔物っていう設定からしてキツイですが、人間以外のものからみた人間の命の価値、あるいは人間同士での思いやり、憎しみあいというのが入り乱れていて、おまけに登場人物けっこう死ぬし、こんな調子で百年もオハナシ続いたらたまらんという気もします。たとえばこれがチキタでなくてニッケルというキャラのエピソードですが、彼女は作中かなり悲惨な目にあって生家を追われ、いろいろあってチキタたちの家にやってきます。で、ラーに向かって言うんですね、「明日でも 明後日でも 次にお前が腹が減って 誰か食わなきゃならない時には いつでも俺を食えよな」って。さらっと言ってますが、おもわず「野火」とか連想しちゃう重いセリフ。でも、だからこそ、百年経ったときのラーとチキタがどういう選択をするのかを見てみたいっていうのも感じます。

Copyright くわたろ 2004