WTMの第6集、3個買ったところで近所のコンビニからは無くなっちゃいました。で、収穫はというと、その3個ともT-80U。ええ、このイキオイなら言えますとも。我が小隊はいつでも出撃出来ます、同志政治将校殿。
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- DVD貸してもらいまして、後追いですがようやく見られましたアニメ版の感想を。
原作が継続中のアニメ化としては、まず成功だったんじゃないかと思います。ガンスリって原作自体が一話完結式の連載で各話の独立性がけっこうあるから、1クール13回の放送として再構成しやすかったせいもあるのかな。前半で五人の女の子それぞれの紹介的なエピソードを続けて、後半はオリジナルもまじえつつ、原作から印象的なエピソードを順番入れ替えてつなげていく。と、こんな具合なのでラストもそれほど原作と乖離なく、というか原作を先行したといってもいいようなラストでした。「少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ」というキャッチどおりに。
以下ネタバレしつつ。
アニメでもっとも独自色があらわれてるのが第九話。原作では事後捜査という形で語られただけの、担当官ラウーロを殺したうえで自殺してしまった義体少女エルザの物語。エルザとラウーロ、この二人の歪んだ関係は、少女と担当官の間にある「条件付け」の負の一面を象徴してます。これを第九話でじっくりやったことで、アニメ後半の流れが決まったんじゃないでしょうか。十、十一話は原作にもある公安一課によるエルザ事件の捜査。ここでヘンリエッタが、まあ例によってジョゼがらみで暴走しちゃいます。十二話はオリジナル。テログループのアジトへの強襲作戦中に、今度はアンジェリカが勇み足で負傷。「条件付け」された少女の危うさがエルザのエピソードで強調された後だけに、この二人の暴走にも、担当官への執着以上の危ういものを感じずにはいられません。また負傷後、担当官のマルコーに冷たく扱われて「死ねばよかった」というアンジェリカに対し、他の少女たちはなぐさめるしか出来ませんが、逆にただひとり担当官と死別してしまって直接の「条件付け」から離れたクラエスだけは「助けなければよかった」という突き放すような物言いながらも絶望するアンジェリカをたしなめることが出来てます。(そのクラエスにしても、かつての担当官への想いは遺品の眼鏡を扱う仕草から強くうかがえます。ここんとこの演出はすばらしー)
で、さんざん「条件付け」の危うさ、残酷さを提示した上で、ラストの十三話は、原作にもある流星観測のエピソード。マルコーとアンジェリカの和解は追加されてますが、それ以外はほぼ原作どおり。「公社」や「条件付け」という状況は変わらないまま、流れ星を探して心を弾ませる少女たちの姿で物語は終わります。まさに「大きな銃」と「小さな幸せ」なわけです。このグロテスクなまでのアンバランスこそはガンスリの魅力なので、道徳的な是非はさておき、原作の持つ魅力を引き出せたという点で、これは成功したアニメ化といっていいんじゃないでしょうか。