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2001/01/25

 この日にたしか二冊買ったのです。
 で、そのひとつめ。「プラネテス/幸村誠」、SF野郎にとっては、新世紀到来とともに単行本化されたことを希望としなければならない作品。同時に非SF者にも訴えるものの大きいであろう作品。あー、早い話が傑作ってことです。ええ。
 人類の活動範囲は月面、火星、小惑星帯を越え、いまや木星系に届こうとしている。そういう2070年代にあって、低軌道で地球をまわるデブリ回収船で働く主人公三人(ハチマキは自分の船をいつか持ちたいと願い、ユーリは妻の死んだ宇宙で形見を求め続け、フィーは地球に残してきた子供のために単身赴任)。このプラネテスという題で語られるお話、設定はSFゴコロをくすぐりまくるほどに緻密です。そのうえでジミなことこの上ないデブリ(ゴミ)回収のオハナシをじっくりリアルに描き出す。訓練サボると骨粗鬆症になったり、喫煙所が無いと嘆いたり。現実味をもって語られるから、生活感も描き出せて、だからこそ三人それぞれの物語も厚みあるものになっています。極端な話、これの舞台を宇宙から大航海時代の船乗りとかに変えてもエピソードとしては成り立つものが多いです。現実的で、生活感ある、等身大の人間の話。非SF者も鼻白まずに読める話です。
 でもって、そんなプラネテスの舞台が宇宙であることの幸福は、なんといっても宇宙空間を描ける技量を幸村氏が持っていることでしょう。主な舞台となる低軌道はもちろん、月面都市や、月から見上げる地球、狭苦しい回収船、往還機。そしてトドメはタンデム・ミラー式重水素ヘリウム3核融合エンジン。ああ、もう降参。

 ふたつめ。「無限の住人/沙村広明」十一巻。この巻での剣戟はふたつ、尸良と凶の一対一、心形唐流の門人四人と天津一人。重い戦斧を使いながら舞うように殺していく天津ももちろんかっこいいんですが、いや、やっぱり泥臭く何でもアリってなチャンバラやらかしてくれる尸良と凶がシビれます。とくに尸良。死ぬまで尸良。尸良と書いてアクトウと読むべし。悪党と書いたらルビはシラ。

2001/01/21

 この日読んだもの、OURs LITE。読切でいいのがたくさん。「ウルトラニンジンケーキ/西村竜」帰省した大学生が、ませてるようでもやっぱり五歳相応な女の子の子守りをするというオハナシ。この人の絵だとラブコメよりもこういうほのぼのしつつしみじみ系統のオハナシが気持ちいいなあというのが私の感覚。
 「What a Wonderful World/オシマヒロユキ+猪原大介」、なーんにも書けてない小説家志望の青年がさらに失恋くらって失意のどん底に。オチは前向きなようでも、全体のトーンはかなり辛辣、ブラックな話。ぱっちり目な女の子という絵柄とのギャップもあいまってさらにブラック。や、もちろんそこがいいんですけどね。
 「カエルBOX/山名沢湖」、この人が載っても違和感ないな、青年誌ってもこの雑誌だと。アパートに越した新婚の奥さんが隣に挨拶にいってみると、扉が開くかわりに開いたのは郵便受け、出たのはカエル、それも自称格闘家。大仰なファンタジーではないけれど、おかしくもちょっと夢のある一騒動。そうさせているのはファンシーな絵柄以上にウィットの効いたセリフですね。カエルがヘビを苦手にしている理由ってので思わず笑ってしまいましたです。

2001/01/20

 この日あたりからなんかドタバタしだしたわけなんですな。
 この日読んだのがたしかウルトラジャンプ。「サムライガン月光/熊谷カズヒロ」、西南戦争後、月光のサムライガンとしての初任務が終了。ってことで乱れた下着姿のまま戦ってくださいました絹の雄姿も今回で終わりなんでしょうか。せめて美代ちゃんの男装だけでも続けてくれー。
 「アガルタ/松本嵩春」、ショットガンぶっ放す眼鏡っ娘もいいですが、今回はリリス。ネジれた首を「びっくりしたなぁもぅ」とかいいながら自分でこともなげに戻しちゃうってのが人外好きなワタシにはたまらんです。
 もう「TT」って載らないのかなー、とか考えてしまいつつも、これはこれで佳作といえる読切、「林檎時間/Okama」。希望、恋心、挫折、そして決意。りんご一つに込められた様々な想いが描かれているのが見事。これで16ページってのが信じ難い。絵が達者なのも相変わらず。タメイキ。

2001/01/19

 この日は夕刻よりひつぢオフ会に参加。私以外は うらかみさん、 ひつぢこと齊藤りゅうさん、 まっこうさん、 行里さんという顔ぶれ。あっちにこっちにと迷走した末にたどり着いた話題はラブ。ラブらぶLove。All you need is love.というわけで現在悪戦苦闘中(何が)

2001/01/08

 えーと、旧世紀の雑誌でもうしわけないですが、やっと読めた OURs からいくつか。「HELLSING/平野耕太」、吸血鬼と神父が殴り合ったりしてますが、インパクトあるのはそんなのよりも少佐殿のセリフ。いやもうスバラシイ。さすがは最後の大隊。
 「朝霧の巫女/宇河弘樹」、巫女装束を着ない巫女さんの退魔とゆー、かなりチャレンジなことをしてくれています。とりあえずタイツだし許す(おい)
 「ジオブリーダーズ/伊藤明弘」、とりあえず本筋とは離れた方面で話が進展。田波くんはハウンド内部に私的なパイプを持てたみたい。フラグも立って。
 四コマ形式ながらしっかりストーリーが進展してるのは「ジンクホワイト/小泉真理」、マキちん、宮田ちん、それから今回は出てきてないけど和田くんなどなどの間の人間関係が少しずつ微妙になっていくのが面白いです。
 「カムナガラ/やまむらはじめ」、けっきょく斬った腕は戻らないみたいで、御都合でない進展というのはかっこいいんだけれども、それだけに痛いですな。いろいろと。

2001/01/03

 三日も映画を観てしまったり。北久保弘之監督作品のアニメーション映画「BLOOD THE LAST VAMPIRE」。尺の短い(48分)作品です。ストーリーも単純。少女が日本刀で吸血鬼退治、これにつきます。北爆直前の六十年代横田基地内のアメリカンスクールって舞台設定があるんですが、これを変えてもストーリー根幹には影響しないでしょう。実際、漫画版(エースネクストで連載中)ではここを変えてますし。
 というわけで観るべきは画面の美しさ、アクションの爽快さ、等などになります。たしかに冒頭の地下鉄のシーンからして作画は見事というしかない。その他、暗い路地裏、滑走路を離陸する航空機、ハロウィンパーティーのモブシーン、従来のアニメだったら敬遠するようなシーンに積極的に取り組んでますが、これはセルからCGに切り替えた成果でしょう。寺田克也デザインという主人公以下のキャラも存在感充分。とくに主人公の小夜は寡黙であまり感情を出さないんですが、そんな彼女がヴァンパイアの最後の一匹を倒してから見せる表情は作画としても物語のオチとしてもとてもいい。キマってます。
 ただ、それだけにラストの保健医のモノローグは演出として蛇足という印象が。小夜の印象うすれちゃうし。あと、小夜をバックアップする、おそらくアメリカの「組織」の二人の男が、一人は白人で一人は黒人なんですが、公民権運動まっさかりの当時に黒人がそういうポストにつけたのかなあと、これは設定への疑問です。

2001/01/02

 二日は映画を観ました。ラース・フォン・トリアー監督作品「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。音楽担当のビョークがヒロインも演じて、前評判ぶっちぎり一位のままカンヌに乗り込み、前評判のとおりにパルムドール(作品賞)と主演女優賞を取ったという、アレです。
 で、パンフレットにですね、結末には触れないでほしいという監督の言葉があるので、以下それに従います。実際、ワタシは観終わってから一昼夜以上経ってるはずなのにラストを思い返すだけで泣きそうになってしまうってことを繰り返していたりします。未見の方からあの衝撃を奪ってしまうことは、ある意味イキナリ見せるよりも残酷になるでしょうから、物語がどういう着地をするのかはゼヒ映画館で確かめていただきたい。
 というわけで設定とざっとした粗筋だけ。舞台は60年代のアメリカ。主人公のセルマ・イェスコヴァはチェコ移民のシングルマザー、遺伝による進行性の眼疾を持っていて失明一歩手前。彼女の趣味はミュージカル。映画を観たり、実際に地方劇団に参加していたり(サウンド・オブ・ミュージックを練習するってシーンも)、そしてつらい仕事の最中にふと自分がいまミュージカルの中にいるのだと空想したり(空想シーンではカトリーヌ・ドヌーヴ(!)演じる同僚の工員とダンス)。住家のトレーラーハウスを貸してくれる隣人や何かと心砕いてくれる男友達もいて、つらいなりにも日々を過ごしている。彼女には目標があって、それは自分と同じ病状が現われはじめている息子の手術代を貯めること。生活を切りつめて工場勤めと内職の少ない給料から必死に貯めているが、そのお金をめぐって起こったトラブルが、セルマを破滅させてゆく……。
 というこの映画、なんといっても魅力はセルマ=ビョーク、その歌声です。劇中にあるミュージカル部分というのは基本的にセルマの空想です。歌好きな寡婦がふと(現実逃避的に)思い浮かべる歌とダンスの幻影。そこにセルマの声としてビョークのとんでもなくエモーショナルな声が入ると、これがもう、歌わずにいられないから歌うのよっ、ってえことを問答無用に納得せざるをえない。だから観客は否応無く高揚していくのです、ミュージカルのあいだ。そして、ここが実に巧妙なんですが、歌は無限には続かない。いつか終わるものです。だから歌が終わるとミュージカルも終わる、というか途切れちゃう。その瞬間、セルマを取り巻く過酷な現実が戻ってきます。観ている方の高揚させられた部分もそこでがたんとおっこちる。登ったハシゴを外されるように。ミュージカルの部分は全体で五、六回あるんですが、もう最後の方になると、どうかこのまま夢想するままで終ってくれよと願わずにはいられない。でも、夢は夢であるがゆえに、歌は歌であるがゆえに終わる。セルマの現実は、そのたびに悪くなっていってしまう。
 そしてラスト(触れません、容赦無い現実とだけいっておきます)、物語が終ってエンドクレジット。流れてくるのはもちろんセルマ=ビョークの歌声。完全に光を失ったという彼女が絶唱するその歌の中でリフレインされる "To see..."。この上なく残酷で美しい物語にとうとう泣いてしまいましたですことよ。
 以下、細かい点。ビョークの演技してるんだか素なんだかわからない演技ですが、実はかなり巧いんじゃないかと。だんだん視力を無くしていくってのがとてもリアルに伝わってきましたから。
 ミュージカル部分だと、見る前は、ビョーク主演ってことでMTV的なのかなーと想像してましたが、さすがにそうじゃなかったです。振り付けはそれっぽいテイストでしたけど、画面はロングショット中心で切り替えもそんなにせわしなくはありませんでした。むしろ非ミュージカル部分がアップ中心の画面でしたね。でもって、その落差ってのももちろん監督は狙ってやったんでしょう。セルマにある二つの部分を際立たせるために。

2001/01/01

 寝正月でした。


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