下山 (苦難の道は最後まで・・・・)

見た目にも、わたし達家族はそれほど疲労しているようには思えませんでしたので、夕焼けを見ながら3時間位で下山できれば、日没頃には新5合目に戻れると考えていました。でも実際は、お母さんの体調はそれほど回復しているとは言えず、お兄ちゃんも何とか歩いているけど、さっきまでの元気はありません。わたしは、お鉢巡りで、かなり体力を消耗したらしく、下り坂でも歩くのが辛くなり、山の斜面に寄りかかるように休むと、そのままへたり込んで立ち上がることも出来ません。あまりゆっくりもしていられませんが、どうにも身体がいうことをきいてくれません。途中で何度かお父さんにおぶってもらいましたが、お父さんの(もともと少ない)体力も、18キロの私を長く背負うほどは持ちません。途中で眼下の雲海の上に虹の半円が、浮かんでいる様に見えました。普段なら感動もあるでしょうが、疲れが感情まで押し込めてしまうのか、ちょっと見ただけでした。わたし達はノロノロと休み休み降りて行き、何とか本8合目に着きました。

本8合目着 17:20
寒い眠い寒い眠い
気温はだいぶ下がっていて、寒さが容赦なく、疲れた身体から体温を奪い、疲労感は一層増します。おなかは空いているのですが、あまり食べる気になれず、お父さんが「もうひと頑張りして、次の本7合目の見晴館でスープかおしるこを食べよう」と言い、温かいもの欲しさでもうひと頑張りと気を奮い立たせました。

登りとは逆に、お父さんが私の手を引いて、先に歩き、お母さんとお兄ちゃんはゆっくり後ろを歩いてきます。腰の悪いお母さんは登りより下りの方が身体にこたえるらしく、寒さと高山病に耐えながらゆっくり足を運びます。本7合目は登山道にあり、下山道からの連絡道は50m程の緩やかな登り坂になっていて、お母さんは、もうこの坂を登るのは無理と言って、わたし達が山小屋で一休みする間、下山道で待っていると言い、しかたなく、わたし達は3人で山小屋へ向かいました。

見晴館は登山客でチョー満員、その上お汁粉は売り切れ、しかたなくポタージュスープを頼みました(300円)。宿泊客が大勢食事をしていて、食堂は一杯で部屋の隅しか座れませんでしたが、外の寒さがしのげるだけでも大違いです。わたし達兄妹は、あつあつのスープを頬を真っ赤にしながら飲みました。身体の芯から温まり、わたし達の気力は復活し、まるで今朝出発した時の様に元気に山小屋を後にしました。振り返って思えば、確かに疲れはあったと思いますが、これまであまり食べておらず、そのせいで力が出ずにいたのでしょうか。

本7合目の山小屋を出て、道端で寒さを避けるためサバイバルシートに身を包み横になってるお母さんと合流しました。寒さを避けるためとはいえ、通りすぎる人達が心配して声を掛けます。その度に「連れを待っているだけです」と返事しますが、でも申し訳ないけど心の中では「ほっといて」と思っていた様です。でも見た目はまるで遭難者、無理もないよネ。
夕闇せまる7合目
7合目に着いた頃はもう夕焼け、昨日の昼過ぎにここで長い休憩をしたのが、すごく前の事の様。ここから登って降りてくるまで色々あったからねぇ。もう時間は午後7時前、太陽はとっくに富士山の西に隠れ、空はまだ明るいものの、東側斜面にある須走口は薄暗い影の中です。山頂に比べて幾分気圧が高いせいでしょうか、みんな疲れている割には意外と動き回っていて、座り込むほどではありませんでした。

7合目着 18:50

7合目からの下山は砂走りです。これまで斜面をジグザグに降りてきましたが、砂走りはほとんど直滑降のように真っ直ぐ、細かい砂礫の急斜面を駆け降ります。細かい砂礫とは言っても、大きな石や岩もあり、あまりスピードを出しすぎると、岩を避け切れず危険です。砂埃もものすごいので、前後の人と間隔をあけて降りていくのがいいでしょう。でも私達の少し前に一組のカップルがいるだけで、後ろは全く人がいません。前を行くカップルもどんどん離れていき、いつの間にか、見渡す限りわたし達以外に人影は見当たらず、無人の荒野に取り残されたようです。砂走りを3分の2程おりた頃、時間は午後7時半を回り、次第に足元から暗くなり、あっという間に夕闇に包まれたかと思ううちに、空には星が瞬きはじめ、明かりといえば、遠くの夜景と夜空の星だけです。わたし達は夜間の行程を考えていなかったたので、懐中電灯はヘッドランプ2つしか用意していませんでした。ヘッドランプはあまり光量がなく、足元を照らすので精一杯ですので、わたし達は駆け下りる訳にいかず、4人かたまって、ゆっくり進まなくてはいけませんでした。

砂走りも所々で段差があったり、一見、二又に分かれている様に見えるところもあるので、足を踏み外したり、道を外れたりしないよう気をつかいました。ここまできて道に迷っては大変。前後には登山者の灯りは全くなく、風とわたし達の砂を踏む音しか聞こえません。とても心細かったですが、夜景が綺麗で、特にこの晩は山中湖の花火大会があり、目の前で花火が次々と打ち上げられていました。ちょうど横浜港でも花火大会をしていて、遠く離れて小さな光の塊がネオンサインの様に夜景に色を添えていました。空は満天の星空、東京ではほとんど見えない天の川が夜空に広がり、お父さんから色々な星座の名前を教えてもらいました。足元も注意しなければならないので、前に上に下にと、あっちこっち見ながら下りて行きます。

遠くの夜景と満天の星を除けは、明かりは全くありませんので、数10m先も真っ暗で何があるか判らず、いつになったら「砂払い5合目」に着くのだろう。周りの景色は全く見えず、ライトの届く範囲の様子は全く変化がないので、前に進んでいる気がしません。

午後8時頃になり、時間的には、そろそろ砂払い5合目に着いてもいい頃と思いますが、先は真っ暗、小さな明かりも見えません。と、思っていた矢先に、砂払い5合目[吉野家」の目の前に出ました。山小屋は閉まっていて真っ暗。山小屋の人とおぼしきお兄さんが一人、山中湖の花火を眺めていました。

砂走り5合目着 19:50

「やれやれようやくここまで降りてきた」と一息入れて、案内板を見ると「新5合目まで30分」との表示。ここから先は岩だらけの森の中、ほとんど手探り状態で下りていかねばならず、標準で30分だったら、最低でも1時間、もしかすると2〜3時間かかるかもと、ため息をついていたところ、山小屋のお兄さんが「よかったら、駐車場まで車に乗りますか?」と言ってきました。予想もしなかった言葉に、一瞬何を言われたのか理解できませんでしたが、よかったらも何も、天の助けか地獄で仏、何とラッキー!!「是非是非お願いします」、そのお兄さん、申し訳なさそうに「2千円ほどいただきますが・・」と言っていました。お父さん達は、2千円でも2万円でも払いますという気分でしたので、ふたつ返事でOKしてました。

身体中についた砂埃をほうきで払い落としてもらい、お兄さんの4WDに乗り込みました。車は森の中のでこぼこのブル道(ブルドーザー用の道)をゆっくり進んで行きます。ブル道は森の木々に包まれてヘッドライトの照らしている所以外は、墨を流した様な真っ暗闇、明かりがなければ手の先も見えない程です、こんなところで懐中電灯が使えなくなったら、どうなるのかな、などと思っている内に10分位で駐車場の横に到着しました。昨日駐車場を出発してから、概ね40時間ぶりです。駐車場が何とも懐かしいと感じる程色々な出来事の多かった2日間でした。

新5合目着 20:00

駐車場を出てあざみラインを抜けて、別荘に戻ったのは午後9時前。温泉に入って2日間の疲れを癒して、ぐっすり眠りました。つらくて、苦しかったけど、頑張って登れて本当に良かった。富士山にいる時は、もう二度と登らないと思っていたけど、また登ってみたい。来年は「7歳の富士登山」かな。

  山頂(お鉢巡り)へ 山頂(お鉢巡り)  富士登山ホームへ  INDEX