やさい通信
2002年5月6日(月)
福富りえ子
八王子市東浅川553
TEL: 0426-68-3501
E-mail:yasai@din.or.jp 
Home Page: http://www.din.or.jp/~yasai/
 

本日の「私のやさい畑」は、下記の6品目です。 
     小比企町の鈴木さん    
      館町の田中さん      
春菊
かぶ
レタス
きゅうり
ほうれん草
小ねぎ


かぶ


 最近は周年出回っていますが、本来、春と秋に出荷される野菜です。夏は冷涼地の青森から保冷車で届き、冬はハウス栽培ものが出回り、旬が分からなくなってきています。月を横軸、出荷量を縦軸グラフにすると5月と10月を頭にした尖り山が、2つ出来たのは、過去のこと、今は、5月と12月を頂点としたゆるやかな丘が描かれます。「やさい畑」は30年前と同じで5月の高い山と10月のやや高い山がピークで、後は0の深い谷です。かぶが続いていますが、旬を遺伝子?の中に思い起こして、ふんだんに召し上がってください。

 かぶの歴史は古く1000年以上も前から食料として食べられています。日本書紀にも登場しているそうです。そこの部分を読んだことはないのですが、日本書紀に出ている作物として紹介されている文を読んで、日本書紀にも出ていると書いているだけなんです。五穀(主食)を補う作物として栽培されていたようです。又、江戸時代飢餓時に重要な食料だったとも伝えられています。先人の命を繋いできた食べ物を感慨深く、過去に思いを馳せて召し上がると、かぶの偉大さが伝わってくる気がします。

レタス


 レタスと言えばサラダです。サラダと言えばレタスが連想されます。ビタミンEを含み、ビタミンEは加熱しても損なわれにくいものです。又、ビタミンEは若返りのビタミンと言われ、血行をよくします。神経の高ぶりを押さえ、催眠効果もあると言われています。最初、薬用野菜として世界に広まりました。それでこんなに眠いのでしょうか。お昼にレタスをたっぷり食べましたから。それとも寝たのが明け方の3時頃だったのが、こたえているのでしょうか。

 生食するのが一般的ですが、スープやみそ汁の具にしても、なかなかいけます。ごま油でサッと炒めて、しょうゆをかけて食べても美味しいのです。生食する時、捨ててしまう外葉もサッと湯通しし、オイスターソースをかければ、中華風に、しょうゆとごま油をかければ和風になります。

 収穫した切り口から出る乳状の液が変色、腐敗の原因になります。紙などで吸い取ったり塩水をかけたりするといいようです。

注文書


 注文書について、ずっとご意見を頂いています。注文書の控えについて、必要か必要でないかという論議に集約出来ます。はっきり言って、賛否両論、半々です。そういう場合は、普通現状維持にします。普通の例に従って、現状維持(注文書控えは廃止しない)にしています。

 ただ、大改革?をしようかなと思っています。1ヶ月に一度、注文するのでは、先の予定が分からないので、注文しづらいというご意見も頂いており、そっちの方を変えようかなと思案しています。例えば2週間に一度とか、1週間に一度とかにする手だてを考慮しています。1ヶ月に一度から1週間に一度というのは、あまりにも過激すぎるし、問題点も多々あります。一番の問題は、当方の人員体制です。近々改革を行う予定で動きを作っています。改革という言葉倒れにならないように頑張らなくては。ご期待ください。ですから注文書控えもその動きに合わせてトータルで考えます。よろしくお願いします。



 カンダハールという映画を見ました。新宿まで出かけて行って。あのアフガンのカンダハル、都市の名前が題名についた映画です。ストーリーは、希望をなくして自殺したいという妹を救いに留学先のカナダからカンダハルへと旅をする姉の物語です。並大抵では、目的地に行けない戦国です。ブルカをかぶり、偽装夫婦を装い、3番だか4番だかの妻になったりして、砂漠を旅します。盛り上がりのような場面はありませんが、文化がよく分かる映画でした。

 例えば、医者に女性がかかる時、医者と患者の女性の間にひだのないカーテンがあり、カーテンの一部に直径が目の大きさくらいの穴が開いていて、そこから、必要な所を診察してもらうといったたぐいのことです。患者の女性と男性の医師は直接、口をきくことはなく、女性と親しい男性が間に入って、双方の話をオウム返しに伝えます。医師がお腹が痛くありませんかと尋ねると、息子が女性に向かって、お腹が痛くないかと聞いていますと伝えるのです。

 そういう文化を良いか悪いかと批判をするのではなく、まずそういう社会文化なのだと、そのまま認識することが、相手を理解する事だと思います。コメントを求められれば、かぶり物をかぶったり、他人の男性と直接話も出来ない社会は、嫌です。しかし、嫌だ、女性差別だというより、まずあるがままを認める、相手の文化を分かろうとする、そのことが先だと思いました。

 自由に行きたいところに移動でき、自由に話しが出来る、そんな当たり前のことが、出来るのは、実は憲法で保証されているからだなどと意識しないで生活していますが、実はそうなのです。憲法記念日に一寸だけ憲法の尊さを考えて、人として当たり前のことが、当たり前に出来る社会、平和で、人権が保障された社会を世界中に広める役割を忘れてはいけないと映画から発展した日でした。