◎艦名の由来
信陽 tshing-yang
河南省信陽。
☆実艦解説
パトロールフリゲート信陽は、日本海軍丁型駆逐艦 初梅の後身です。駆逐艦初梅は、1945年6月18日、舞鶴工廠で竣工後、特に戦歴なく終戦を迎えました。
初梅は復員輸送に用いられた後、1947年、賠償艦艇として中華民国に引き渡され、「接三号」後に駆逐艦 DD-15 信陽と命名されました。
当初は、12cm単装高角砲2基と、中国現地に残された日本式武装を装備していましたが、共産党海軍との戦闘で消耗したため、1954年から1955年にかけて、アメリカより武装、SA-2レーダー、水測機器、通信機器、艤装品を受け取り、左営海軍工廠でアメリカ式武装装備艦に改装されました。また、1955年、艦種を駆逐艦からパトロールフリゲート(巡防艦)に変更し、艦番号PF-82となりました。
その後も、中華民国海軍の主力の一艦として共産党海軍との戦闘に活躍し、戦果を上げましたが、1960年頃には船体や機関の状況が悪化し、速力15ノット程度となりました。
部品の入手が出来ず、修理の見込がないため、1961年12月1日に除籍されました。
日本駆逐艦としての活動の時期が殆ど無かった信陽ですが、中華民国海軍において、大きな武勲を立てたと言えるでしょう。
また、戦闘に参加しなかった日本の護衛艦わかばと違い、常に激戦の中に身を置いた、戦後に唯一戦った松型駆逐艦です。
作例は、1955年、アメリカ式武装に改造した後の姿です。艦橋もアメリカの護衛駆逐艦の様式に改められ、艦容を一新しています。
◎信陽 要目
基準排水量1,350t 全長:100m 最大幅:9.4m 吃水3.3m
機関:ロ号式水管缶2基 艦本式オールギヤードタービン機械2基 2軸推進
燃料 重油370t 機関出力:19,000hp 速力:27.3ノット
航続距離:3,500海里/18ノット 巡航速力12ノット
乗員数:不明
兵装:12.7cm38口径単装両用砲2基 40mmボフォース単装機関砲7基 20mm単装機関銃6基 爆雷投射軌条1基
☆制作
作例は、「Japanese Naval Vessels at the End of World War U」及びジェーン年鑑 1962-1963年版及び「歴史群像」太平洋戦史シリーズ51 「真実の艦艇史2」の斜め前からの写真(U.S.NAVY Official)、「中華民国海軍 陽字級軍艦誌」の左営に停泊する真横からの写真、「陽泰永安 上巻 1946-1976」の1957年基隆に凱旋した際の正面からの写真、ヴェイヤー年鑑1961年版の図版を参考に作成しました。ほぼ、写真から作成しています。
キットは、船体にピットロードの橘型駆逐艦を使用しました。船体は、ポリパテ盛りつけによる艦首ナックルの再現、魚雷発射管などのモールドの削り落とし、船首楼の延長、12.7cm砲砲座、艦種波除の付け直しを行っています。
その他、艦橋、煙突、上部構造物はタミヤ1/700 松型駆逐艦を元に、プラ材で改造を行っています。艦橋上、艦橋周り、艦中央の機銃台は、プラ板にプラペーパーのブルワークを付けて作成しました。後部上構末端の、後部機銃台の部品は、橘型の場合床材に直づけで機銃台を設置しているので、脚の部分を削ります。
艦載艇、ボートダビッド、探照燈、20mm単装機関銃、爆雷投下軌条は、ピットロードWW2アメリカ海軍武装セットVの部品を使用しました。
40mmボフォース単装機関砲は、ピットロードの1/700 リバティ船のものを使用しています。
オープンシールドの12.7cm38口径砲、ライフラフトは、ドラゴンのエセックス級武装パーツ(アトランタ級巡洋艦のプレミアムエディションなどに付いてきます)を使用しました。
艦橋後部の旗箱は、ピットロードの現用幹部層セットの部品を使用しました。
電探は、ゴールドメダルの護衛駆逐艦用のエッチングパーツを使用しています。
艦番号にはホークグラフィックスのアメリカ海軍 ハイビジ艦番号のデカールを、軍艦旗にはピットロードの米護衛駆逐艦のデカールを使用しています。
☆塗装
塗装に使用した塗料は以下のとおりです。
・船体色 バーリーグレー(334)
・喫水線色 タイヤブラック(137)
・甲板色 ピットロードカラー アメリカ海軍現用グレー(2)
・煙突ファンネルキャップ セミグロスブラック(92)
かっこ内はミスターカラーのナンバーです。