ドイツ海軍 補助空母1号案 客船オイローパ改造案




  ドイツ海軍が計画した補助空母建造案の内、1号案が、北ドイツ・ロイド社の客船、客船オイローパの空母改装でした。

  客船オイローパは、ブローム・ウント・フォス社(ハンブルク)で1927年に起工、進水式は1928年8月16日で、ヒンデンブルク大統領を招いて行われました。本来、姉妹船ブレーメンより先に1929年中に完成する予定でしたが、進水後火災事故があり、竣工は8ヶ月遅延し、1930年となりました。
  当初35,000総トンの客船として設計されましたが、起工後50,000総トンの客船に設計変更されました。この際、35,000総トン客船として準備されていた板厚の外板、強度部材をそのまま用いたことが、後々まで災いとなりました。
  特徴は、高速(ブルー・リボン賞を狙うため)、バルバス・バウの採用、郵便機をとばすための2煙突間のカタパルトの設置(1935年まで使用)などでした。

客船オイローパ
客船オイローパ
「Die deutschen Kriegsschiffe 1915-1945 Band5」 出版社Bernard&Graefe Verlagより引用。


  竣工後、オイローパは北大西洋航路に就役、1930年3月25日に処女航海に出、ブレーメルハーフェンからニューヨークまで、4日17時間6分で、姉妹船ブレーメンが1929年に設立した記録を36分更新し、ブルーリボン賞を獲得しています。

  第2次世界大戦開戦後、1939年10月、ヴェーゼルミュンデで宿泊船として繋留されていましたが、イギリス本土上陸作戦(ゼーレーヴェ作戦)のため、1940年6月18日、兵員輸送船として徴発されましたが、作戦の中止により使用されませんでした。
  1942年5月に補助空母1号として改装が決定されました。改装工事担当は、建造と同じブローム・ウント・フォス社(ハンブルク)でした。

  下の図は、1942年6月時点の空母改装案です。右舷に艦橋構造物とマスト、直立煙突、高角砲、高射装置を設けた島型空母となる予定でした。

ドイツ海軍 補助空母1号案 客船オイローパ改造案
ドイツ海軍 補助空母1号案 客船オイローパ改造案
「GERMAN WARSHIPS 1815-1945 Volume One:Major Surface Vessels」 出版社 CONWAYより引用。


設計排水量:44,000t 満載排水量56,500t
全長:291.5m 水線長:280.4m 全幅:37.0m 設計吃水:8.5m 満載喫水:10.3m
機関:ブローム・ウント・フォス式ギアードタービン4基/4軸
    両面焚細水管缶24基(缶室5個の内、中央の1つに缶室に缶は配置されず)
    馬力100,000hp
    設計速力:26.5ノット
    燃料搭載量:設計重油6,500t 最大重油8,500t
    航続力5,000浬/27ノット 10,000浬/19ノット
武装:10.5cm65口径連装高角砲6基 高射装置2基
    3.7cm連装高角砲10基
    20mm四連装機銃7〜9基
    カタパルト2基
    エレベーター3基
搭載機:JU87D 18機 BF109G 24機
飛行甲板長:276m 飛行甲板最大幅:30m
格納庫全長:216m 格納庫最大幅:前部25m 後部30m 格納庫高さ不明
乗員:不明


  オイローパは、空母改装にあたって、次の問題があると考えられました。

1.空母としては低速。
2.建造時、排水量を35,000総トンから50,000総トンに変更したにもかかわらず、構造材、外板がそのままの厚さで用いられたための強度不足。
3.トップヘビー。復原性の不足。そのため、バルジを増設する計画も有りました。
4.2と3の問題より、格納庫を単段にせざるを得なかったための搭載機の機数の不足。
  そのため、これだけの大型艦でありながら、より小型のグラーフ・ツェッペリン程度の搭載機しか持てませんでした。
5.高速客船として設計されたための高い燃費。

  結局、この改装案は問題が多すぎるとされました。問題の解決には更に多くの工数がかかり、それでも搭載機数の過小などデメリットが多いとされました。結局、1942年11月25日、改装計画は断念されました。

  その後、戦車部隊輸送船(80tまでの重量の戦車を搭載可能な諸装備を設置)に改装が計画されましたが、実施されたかどうかは不明です。(使用された形跡がないので、実施されなかったと思われます。)結局、第2次世界大戦の終結まで残存しました。


  戦後、アメリカに接収されAP177の名前で兵員復員船に使用されてから、1946年6月フランスへの賠償船として引き渡されましたが、1946年12月8日、嵐によりル・アーブル港内で客船パリの残骸と接触して沈没しました。
  サルベージ作業が行われ、1947年4月15に浮揚、サン・ナゼールに曳航され、修理に入りました。この際、ニューヨークで火災に遭う前に取り外して保管してあった客船ノルマンディの家具類も使用されたと言います。
  そして、フレンチ・ラインの客船リベルテとなりました。1947年から1950年までルアーブル〜ニューヨーク航路に就きましたが、その後北大西洋航路に就き、フレンチ・ラインの新らしいフラッグシップ、フランスがニューヨーク航路に就航した1962年に、イタリアのラ・スペチアで解体されました。

  国籍は変わりましたが、客船として生涯を全う出来たのは、オイローパにとっても幸せなことだったと思います。


◎参考資料
・「GERMAN WARSHIPS 1815-1945 Volume One:Major Surface Vessels」 出版社 CONWAY
・「Die deutschen Kriegsschiffe 1915-1945 Band5」 出版社Bernard&Graefe Verlag
・ワールドムック272「栄光のオーシャンライナー」 出版社 ワールドフォトプレス

  また、グランドパワー別冊 ファイティングシップシリーズNo.9 「ドイツ海軍水上艦艇[4]」にも、補助空母オイローパ改装の説明が掲載されています。



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