ドイツ海軍が計画した補助空母建造案の内、2号案が、1938年よりフランス海軍が建造していた、軽巡洋艦 ド・グラースの空母改装でした。
(第1案は、客船オイローパの改装です。)
ド・グラースは改ラ・ガリソニエール級巡洋艦として1939年8月8日起工されました。(同型艦として、ギッシェン、シャトールノーが計画されましたが、フランス降伏により未起工に終わりました。)
ド・グラースはフランス降伏により、1940年6月、建造が停止していました。ドイツ海軍はロリアンの海軍工廠ごとこの艦の未成船体を手に入れ、1942年8月には空母への改装を計画しています。
しかし、資材と労働力の不足、戦況の悪化、ロリアンへの空襲の危険、とりわけ機関周りの艤装の進捗不足により、1943年2月には空母改装工事の中止が発令されています。
空母改装の計画案は複数存在しますが、紹介するのは1943年1月のものです。
設計排水量:11,400t
全長:192.5m 水線長:180.4m 全幅:24.4m 吃水:5.6m
機関:ラトー ブルターニュ・ギアードタービン2基/2軸
アンドレ高温高圧缶搭載予定(機関構成不明)
馬力100,000hp
(資料に10,000hpとあるが、速力を考えると、一桁間違いと思われる。)
最大速力:32ノット
航続力7,000浬/19ノット
(原計画 軽巡洋艦時ではアンドレ高温高圧缶4基で110,000馬力、最大速力33ノットの予定)
武装:10.5cm65口径連装高角砲6基 高射装置3基
3.7cm連装高角砲6基
20mm四連装機銃6基
カタパルト2基
エレベーター2基
搭載機:JU87D 12機 BF109G 11機
飛行甲板長:177.5m 飛行甲板最大幅:24m
格納庫全長:142m 格納庫最大幅:18.6m 格納庫高さ不明
原計画の軽巡洋艦時の全長176.3m、垂線間長174.0m、全幅18.00m、吃水5.54mから比べると、船体は大きなバルジが増設されて幅増しされています。かなり大がかりな改装と言えるでしょう。また、全長も増えていることから、水上機運用用のハインマット装備前提のトランサムスタンから、クルーザースタンに変更されていたのだと思います。(戦後防空巡洋艦として完成したド・グラースも、そのような工事を行って全長をのばしています。)
結局、終戦時の工事進捗率は3割程度でした。
フランス海軍の手に戻ったド・グラースは、工事を再開し、1946年9月11日に進水しました。
1946年時点では、軽巡洋艦として、上部構造物を近代化して再建造される予定でした。
この時点では、ド・グラースは戦後の航洋戦闘部隊の軽巡戦力と考えられており、更に新規に15.2cm砲搭載の軽巡洋艦2隻が建造される予定でした。
防空巡洋艦は別途更に小型のものを5隻建造する予定でした。
しかし、ド・グラースの防空巡洋艦としての活動は、短い期間に留まりました。
竣工時には、既に対空ミサイルが実用化されつつあり、砲熕兵装を主体とした防空巡洋艦は、既に陳腐化しつつありました。
また、主砲として搭載された12.7cm連装両用砲は発射速度に難がありました。
新造された準同型艦のコルベールは、当初より、砲熕兵装の換装、対空ミサイルの搭載を視野に入れて設計されており、対空ミサイルマズルカ搭載艦に改装されて時代に適応しましたが、戦前の軽巡洋艦の船体を元にしたド・グラースは、構造に非合理な部分があり、マズルカミサイルの弾庫の体積を十分に設けられず、予算を掛けて対空ミサイルを搭載する価値がないと見なされました。
最終的には、1965年から1966年にかけて、船体規模を生かして、核実験の指揮巡洋艦として改装され、太平洋核実験部隊旗艦となりました。
その後、1966年から1972年まで、6回の核実験の実施を指揮し、フランスの国防の発展に貢献した後、1973年2月予備艦とされ、1975年1月、イタリア ラ・スペツィアの解体業者に売却され、翌年に解体を完了し、その生涯を終えました。
建造にかかった紆余曲折といい、計画艦容の変容の激しさと言い、列強の巡洋艦の中でも、希有な紆余曲折と建造経緯をたどった艦と言えましょう。
当初計画及び1946年計画の軽巡洋艦としての建造案は、改ラ・ガリソニエール級巡洋艦とその近代化であり、能力的にはほぼ変わらないと考えられます。
特に、1946年計画の軽巡洋艦として完成した場合、対空火力も第二次世界大戦の巡洋艦のレベルで、完全に陳腐化しており、特筆するべき能力を持たなかったと思います。
ドイツ占領時代の空母改装案は、ほぼ同排水量のインディペンデンス級軽空母を見ると、飛行甲板長168.3m、飛行甲板最大幅22.3m、格納庫全長78m、格納庫最大幅16.8mと、ド・グラース改造案に比べると、飛行甲板が狭く、格納庫も狭いですが、搭載機数は45機と倍以上あります。
艦載機数がド・グラース改造案の倍以上なのは、アメリカ空母は格納庫の天井に吊す形で艦載機を収納できる点と、飛行甲板への露天繋止を前提にしている点がありますので、それが理由だと思います。
ドイツ空母の場合、運用環境上多分露天繋止は無理と思われますから、搭載機数が少ないのでしょう。ただ、運用環境が変われば、露天繋止を行って、搭載機数の増加が計れた可能性があります。
インディペンデンス級のエレベーターは2基、カタパルトは1基で、航空艤装は同レベルと判断して良いでしょう。
船体規模が小さく、バルジで拡幅をする必要があったド・グラース改造案の方が、大がかりな改装=工数が掛かる工事であったと思われます。
防空巡洋艦としての能力は、電子装備は時代相応のものを搭載していたものの、対空兵装は第二次世界大戦のレベルであり、竣工時には陳腐化しつつありました。
最終的には戦闘艦艇としてではなく、電子装備、指揮設備の増強により、核実験の指揮艦となりましたが、船体規模、居住性は良好であり、妥当な改装と任務だったと思われます。
対空ミサイル巡洋艦にはなれませんでしたが、フランスの核保有に多大な貢献を為して、数奇な運命の末、最後の花道を飾ったと言えましょう。
◎参考資料
・「CONWAY'S ALL THE WORLD'S FIGHITING SHIPS 1922-1946」 出版社 CONWAY
・「GERMAN WARSHIPS 1815-1945 Volume One:Major Surface Vessels」 出版社 CONWAY
・「WARSHIP 1995」THE 7600-TONNE CURISERS 出版社 CONWAY
・「WARSHIP 2008」The Cruiser De Grasse 出版社 CONWAY
・「3 siècles de croiseurs français」 出版社 MARINE éditions
・「Les Crouiseurs De Grasse et Colbert」 出版社 Charles-levauzelle
・世界の艦船別冊NO.546「フランス巡洋艦史」 出版社 海人社
また、グランドパワー別冊 ファイティングシップシリーズNo.9 「ドイツ海軍水上艦艇[4]」にも、文章のみの説明が掲載されています。