フランス海軍 1922年計画の駆逐艦
〜1,500t級艦隊型駆逐艦ブーラスク級と2,100t級大型駆逐艦ジャグアール級〜




  かつて、新生学派の下、水雷艇建造の先駆者としてイギリスに脅威を与えたフランス海軍水雷戦力は、1919年、第一次世界大戦が終了した後、極めて悲惨な状態にありました。
  第一線で使用に耐える近代的な駆逐艦は、日本に発注した樺型駆逐艦12隻と、戦後賠償で手に入れたドイツ・オーストリアの駆逐艦でした。
  自国国産の駆逐艦の建造は長らく止まっており、第一次世界大戦中の駆逐艦の大型化、高速化、航洋性の拡大、備砲・水雷兵装の強力化に全く追随出来ませんでした。
  これを修正すべく、1922年計画で建造されたのが、、1,500t級艦隊型駆逐艦(Toropilleur d'escadre)ブーラスク級と2,100t級大型駆逐艦(Contre Torpilleur)ジャグアール級でした。
  本稿では、どうしてこのような状況になったのかから、簡単に考察していきたいと思います。


※注 本稿では、ブーラスク級以降のToropilleur d'escadreを艦隊型駆逐艦、それより前のToropilleur d'escadreを艦隊型水雷艇と訳します。同様に、ジャグアール級以降のContre Torpilleurを大型駆逐艦、それより前のContre Torpilleurを水雷艇駆逐艦と訳します。


◎建造経緯
・1912年度計画の挫折
  1910年代初頭、フランス海軍の海軍力は列強と比して相対的に戦力低下をきたしていました。艦種別に見ると、次のような状況にありました。

1.戦艦。準ド級戦艦は保有するが、ド級戦艦を保有せず。ド級戦艦に著しく劣勢。
  1910年計画でド級戦艦クールベ級4隻を起工したが、未竣工。その上、世界は超弩級戦艦へと移行しつつあった。
2.巡洋戦艦。大型装甲巡洋艦は保有するものの、保有せず。巡洋戦艦に対抗不能。
3.巡洋艦。20世紀に入って装甲巡洋艦の建造を主とし、防護巡洋艦の建造を止めたため、列強の防護巡洋艦の25ノット以上の高速化から軽巡洋艦の出現という流れから取り残されていた。
4.水雷艇。300t、330t型水雷艇を53隻保有したが、近代的な水雷艇駆逐艦は、排水量500t、28ノット、65mm砲6門、45cm魚雷発射管3基のスパイ級7隻、ヴォルティジュール級2隻、シャスール級4隻の保有に留まっていた。

  そこで、1912年3月30日、海軍法が制定され、海軍近代化拡張計画が立てられました。それは、28隻の戦艦、10隻の偵察巡洋艦、52隻の水雷艇、94隻の潜水艦、植民地警備用の艦艇10隻を、1920年までに建造する計画でした。
  この時点で、既に戦艦の数に比して、艦隊型水雷艇の数の少なさが目立ちました。この水雷艇の低い優先順位は、数ヶ月後の予算請求時に明らかになりました。
  1912年度は、ブルターニュ級戦艦3隻、ノルマンディー級戦艦5隻、リヨン級戦艦4隻の建造が認可されました。
  水雷艇は、1年度に6〜7隻発注されていたのが、1913年度は3隻となりました。
  一方で、300t、330t型水雷艇を艦隊型水雷艇(Toropilleur d'escadre)と改名しました。これは、1912年度計画の52隻の水雷艇を、新造ではなく、武装も航洋性も不十分な旧式艇を充当することで補うという構想でした。
  この構想は、1914年計画に水雷艇新造の予算が含まれていない事実によって確認されました。しかも、それ以降の年度に水雷艇の新造を行う予定もありませんでした。

  一方、ノルマンディ級戦艦は1913年中に4隻、1914年1月に1隻起工されました。これに随伴可能な水雷艇は、排水量800t、30ノット、100mm砲2門、65mm砲4門、45cm魚雷発射管4基の、1909年計画のブークリエ級12隻、1910〜1911年計画のビソン級6隻、1913年計画のアンセーニュ・ルー級3隻の21隻に過ぎませんでした。

フランス800t級水雷艇 ビソン級
フランス800t級水雷艇 ビソン級
「CONWAY'S ALL THE WORLD'S FIGHITING SHIPS 1906-1921」 出版社 CONWAYより引用。


  この悲惨な状況を受けて、1914年4月24日、フランス海軍総司令部は、海軍大臣に次の提起を行いました。

1.1912年海軍法の52隻の水雷艇は、従来の800t型と新造の1,500t級の航洋水雷艇(Torpilleurs de haute mer)で構成されるべきで、新造艦は年間9〜10隻ずつ建造されるべきである。
2.300t、330t、500t型の旧式水雷艇は、艦隊任務ではなく、対潜護衛に使用されるべきである。
3.52隻の航洋水雷艇は、8隻づつ6つの水雷艇隊に組織され、戦闘艦隊に配属されるべきである。
  6つの水雷艇隊の内、4つは新型の1,500t級航洋水雷艇で編成され、残り2つは既存の800t型で編成される。
4.更に4つの水雷艇隊が、第2艦隊(軽艦艇主体)の300t、330t、500t型の水雷艇で構成された3つの水雷艇隊の代替に建造される。
5.全ての艦隊の水雷艇隊が1,500t級航洋水雷艇で構成されるようになったら、既存の800t型航洋水雷艇は対潜護衛任務に充当する。
6.1,500t級航洋水雷艇は、1915年に9隻、1916年に10隻、1917年に6隻、1918年に7隻、合計32隻建造される。
  既存のブークリエ級、ビソン級及び1913年計画のアンセーニュ・ルー級の800t級航洋水雷艇20隻と合わせて52隻とする。
  アンセーニュ・ルー級3隻の内1隻、アンセーニュ・ガボルドは、ギヤードタービンの実験艦として建造する。
7.1919年〜1925年に、1,500t級航洋水雷艇3隻とより小型の5隻を年毎に建造し、対潜護衛部隊の旧式水雷艇を代替する。
  (内1923年は1,500t級航洋水雷艇2隻、より小型のもの6隻とする)

  これらは、イギリス、ドイツの建艦政策と比べると、特に高望みの計画とは言えませんでした。実現は可能だと思われました。・・・戦争さえなければ。

  1914年8月、第一次世界大戦の勃発が1912年海軍法による海軍近代化拡張計画の全てを御破算にしました。フランス本土は戦場となり、陸戦兵器の製造が第一とされました。海軍工廠や造船所も陸戦兵器の製造に狩り出されました。
  開戦時、フランス海軍が保有していた近代的艦艇は、クールベ級ド級戦艦4隻、ブークリエ級、ビソン級航洋水雷艇計18隻−それだけでした。後にブルターニュ級戦艦が3隻竣工しましたが、それ以外の建艦計画は全て中止となりました。(後にベアルンのみ、空母として復活します。)
  水雷艇戦力の戦時中の増加は、自国建造はアンセーニュ・ルー級2隻と、アルゼンチン海軍の注文により建造していた排水量930t、32ノット、102mm砲4門、457mm魚雷発射管4基のアヴァンテュリエ級4隻に過ぎませんでした。水雷艇戦力は絶対的に不足し、1917年、日本に樺型駆逐艦を12隻発注し、急場を凌がざるを得ませんでした。
  ギヤードタービンの試験艦、アンセーニュ・ガボルドの建造は戦後となり、1923年の竣工となりました。

フランス水雷艇 アンセーニュ・ガボルド
フランス水雷艇 アンセーニュ・ガボルド
「CONWAY'S ALL THE WORLD'S FIGHITING SHIPS 1922-1946」 出版社 CONWAYより引用。


・1,500t級艦隊型駆逐艦(Toropilleur d'escadre) ブーラスク級の起源
  1911年から1913年にかけて竣工した800t級航洋水雷艇、ブークリエ級には、次の点で不満がありました。

1.備砲の不統一。100mm砲と65mm砲の2種類が混載されていた。
2.低速。公試では30ノットを発揮したものの、実際には25ノット程度が限界だった。
  護衛すべきド級戦艦が20〜21ノットの場合は問題なくても、23ノットの戦艦リヨン級、26〜28ノットの各種巡洋戦艦案、イギリスのクイーン・エリザベス級を参考にした26〜27ノットの高速戦艦案に随伴するには速度不足と考えられた。

  これらの点から、新規艦隊型水雷艇には、統一された備砲と、33ノットの速力が要求されました。この為には、排水量はイギリスの駆逐艦並みに1,000t〜1,200tに排水量が増大すると見られました。

  1913年4月に海軍上級者会議によって提案された、艦隊型水雷艇のデザインスケッチは、次の通りでした。

1.十分な船体強度と航洋性を持つこと。航続力は2,600浬/10ノットとする。
2.備砲の口径の統一。
  当初、100mm砲3門か4門を中心線上に配置することが考えられたが、後に14cm軽量砲2門の中心線配置が検討された。
3.450mm魚雷発射管8門装備。
  単装発射管が艦橋両舷に1基ずつ、中心線上に三連装発射管を2基装備するとされた。

  特に、14cm軽量砲は英独を含む全ての国の駆逐艦と水雷艇の砲口径を凌ぐだろうと考えられました。装備局によると、100mm砲が砲口初速830m/s、砲弾重量14kgであるのに対し、14cm軽量砲は砲口初速514m/s、砲弾重量36.5kgと見積もられました。
  1913年6月に、垂直鎖栓式の14cm25口径半自動砲の詳細な研究がシュナイダー社から装備局に依頼されました。この案は1914年2月に提出されました。
  (結局、この垂直鎖栓式の半自動砲という優れた特徴は、ドイツの15cm SK L/45砲を第一次世界大戦後に入手して試験して、1920年代後半に国産砲に反映するまで採用されませんでした。)
  14cm25口径半自動砲は、最大仰角20度で、砲口初速550m/s、砲弾重量36kgで、15発/分の発射速度を持つとされました。砲架の重量は6.65tで、装備局の見積より遙かに重くなりました。巡洋艦用に設計された14cm45口径砲より僅かに軽い程度になってしまいました。
  海軍は概ねこの砲の性能を了承しましたが、唯一、低初速から、散布界が広くなると考えられる点と、射程が6,000〜6,500m程度と短くなると考えられる点に難色を示しました。

  これらの特徴を持つ艦隊型水雷艇、M89とM90の2隻が、ロシュフォール造船所で1915年起工、1917年竣工のスケジュールでの建造が要求されました。更に、これらの艦には、水雷艇アンセーニュ・ガボルドで試験される予定のギヤードタービンが搭載されるとされました。この時点で、排水量は、1,530tにまで増加していました。
  しかし、海軍省はこの建造案を拒否しました。新しい艦隊型水雷艇の研究は進められましたが、第一次世界大戦の勃発で一時中断されました。

  艦隊型水雷艇の計画が再開されたのは、西部戦線が安定し、ドイツの潜水艦戦が一段落着いた1917年4月でした。
  それまでの戦訓により、14cm25口径軽量砲は前部2門、後部1門の計3門とされ、更に2門の高角砲が積まれるとされました。魚雷兵装は新規開発の55cm三連装発射管2基を中心線上に装備し、艦橋に射撃指揮装置、測距儀など火器管制装置、水雷方位盤を集中して兵装の管制を行うとされました。航続距離は、3,000浬/16ノットに増やされました。
  1917年12月には、艦隊型水雷艇は速力35ノット、3,000浬/14ノットとされました。また、4門の14cm25口径軽量砲と3,500浬/14ノットの航続距離を持つ嚮導水雷艇(Conducteur d'escadrille)が構想されました。
  同じ月に、ノルマン造船所に、1,700t〜1,800tの排水量の水雷艇駆逐艦(Contre Torpilleur)の研究が指示されましたが、これらは後の1922年計画の大型駆逐艦の先駆的研究と言えるでしょう。
  これらの研究の参考になったのは、イギリスのV型駆逐艦とシェークスピア級及びスコット級嚮導駆逐艦でした。

・2,100t級大型駆逐艦(Contre Torpilleur) ジャグアール級の起源
  第一次世界大戦の終結後、フランス海軍はようやく戦力再構築の機会を得ました。ドイツの失地回復の懸念は残ったものの、フランス海軍の対抗目標は地中海の植民地を巡って対峙するイタリア海軍に移りました。
  フランス海軍のド・ボン提督の1919年2月25日日付があるメモによると、第一次世界大戦終結まで、イタリア海軍は、12隻未満の嚮導駆逐艦(ミラベーロ級、レオーネ級偵察艦か)と、40隻の駆逐艦を起工したと考えられました。
  ド・ボン提督は、新しい海軍大臣ジョルジュ・レイグに、艦艇整備の優先順位を、駆逐艦(この際、イギリス的な「駆逐艦」の呼称を用いています)、軽巡洋艦、最後に主力艦の順であると提案しました。提案は3月12日に認められ、数日後でより詳細な駆逐艦についての注釈を認めました。艦隊型水雷艇(torpilleur d'escadre)とは別に、水雷艇駆逐艦(Contre Torpilleur)の任務と能力を、日露戦争から第一次世界大戦の戦訓から定義することを試みた、非常に重要な注釈でした。
  艦隊型水雷艇の任務は、第一に敵艦隊への水雷襲撃、第二に味方艦隊への敵水雷戦隊の砲撃への対抗、水雷襲撃の阻止とされました。
  水雷艇駆逐艦の任務は、第一に偵察、第二に第二に味方艦隊への敵水雷戦隊の砲撃への対抗、水雷襲撃の阻止、第三に敵艦隊への水雷襲撃とされました。第一と第二の任務には、大きな行動範囲と強力な砲力が必要とされました。特に偵察の際には小型巡洋艦して行動する能力が求められました。これには、従来の水雷艦艇を超える速度と兵装、軽防御が必要と考えられました。これには、2,000tを超える排水量が必要とされました。
  特に、小型巡洋艦の代替として行動する能力は、ヨーロッパの主要海軍国の仲で、フランスが軽巡洋艦または高速防護巡洋艦の整備に失敗していたため、重要視されました。1912年海軍法による海軍近代化拡張計画には、10隻のラモット・ピケ級軽巡洋艦が含まれており、1914年に起工されていましたが、第一次世界大戦の勃発により、1915年に建造中止となっていました。
  フランス海軍は、第一次世界大戦の同盟国として、イタリア海軍がフランス海軍の持たない、高速(28ノット)の防護巡洋艦クアルト、ニーノ・ビクシオ級2隻(ニーノ・ビクシオ、マルサーラ)を保有していることを知っていました。これらの艦は司令塔に100mm、防御甲板に38mmの装甲を持ち、12cm砲6門と76mm砲6門の武装を持っていました。これに対抗するため、水雷艇駆逐艦には、28ノットの敵艦から逃れられるよう、35ノットの速力が求められました。装甲を持たない代わりに、速力の優越を防御に用いるという考えでした。
  また、水雷襲撃も、魚雷の射程の増加により、第一次世界大戦前より遠距離からの襲撃が可能になっていると考えられました。魚雷の射程は45cm魚雷の3,000m程度から、新開発の55cm魚雷の12,000〜15,000mに達し、これを命中させるには、多数の魚雷の同時発射と優れた水雷方位盤による管制との連動が必要であるとされました。
  興味深いことに、魚雷の次発装填に関しては、重要性が低いとされました。日本海軍の駆逐艦はこれを後に実用化しますが、根拠地が近い地中海での戦闘を中心と考えられたフランス駆逐艦には、次発装填装置の必要性が低いと判断されました。実際、後のフランス駆逐艦は、予備魚雷の搭載ではなく、両舷への魚雷発射管の搭載という形を取り、必要な場合反対舷の魚雷を発射するという形を取っていくようになります。
  近距離戦闘が発生する可能性があるケースは、夜戦が想定されました。そうした状況では敵艦との衝突が考えられる為、艦首構造や船体構造は堅牢であることが求められました。これは、潜水艦との接近遭遇の際の衝撃にも役に立つと思われました。また、夜戦には、増減速が容易な推進機関が必要と考えられました。
  これらを総合して、次のような水雷艇駆逐艦の能力がまとめられました。

1.船体:
  これまでのフランス水雷艦艇は、被雷と触雷の危険を減らすために浅吃水に設計されていましたが、水雷艇駆逐艦には、十分な強度と航洋性を持つ、吃水の深い船体が求められました。高い船体強度、強化された艦首構造とホースパイプを通した錨鎖と錨が求められました。
2.兵装:
  砲熕兵装は、砲弾重量と発射速度と火器管制の兼ね合いから、138.6mm砲か14cm砲が4門とされました。砲架は単装砲架で、砲員を飛沫と弾片から保護する防盾が必要とされました。弾薬は砲毎に150発で、イギリス海軍の戦訓から、いくらかの即応弾が必要とされました。
  星弾発射用と対空防御の為には、75mm高角砲が1門、機関銃が4門搭載されるとされました。
  水雷兵装は55cm三連装魚雷発射管を2基、良好な射界を持たせ、可能な限り前方に装備するとされました。搭載する魚雷は長射程を持つものとされました。この魚雷の射線の増加は、長距離魚雷戦での命中率の低下を補うとされました。
  対潜水艦兵装としては爆雷投射機が装備されるとされました
  また、水雷戦闘の混戦時や、潜水艦との接近遭遇のため、衝撃が可能な強化された艦首と、対潜、対艦に使用可能な迫撃砲(弾量100kg)が8個装備されるとされました。
  敵艦隊の経路に必要に応じて敷設できるよう、10発の機雷の搭載が要求されました。
3.艦橋・火器管制・探照燈類:
  艦橋は、水密性を持った密閉艦橋を設置する予定でした。
  主兵装用の1基の測距儀と射撃指揮装置等の火器管制装置、遠距離雷撃戦用の水雷方位盤は、風と飛沫から保護された艦橋に設置されるとされました。同様に、爆雷投射、機雷敷設も艦橋から集中管制するとされました。
  探照燈は、伝統的な敵艦照射任務は星弾に担任させるとし、長距離信号用の60cm探照燈、隊内信号用の30cm探照燈を装備するとされました。これは、電気回路に掛かる負荷に対する信頼性が低いというフランス独自の欠陥から判断された面もあります。信号探照燈は、艦橋内から直接管制出来るようにされていました。
 このように、各種指揮機能は艦橋に集約される予定でした。
4.速度:
  速度は、満載状態で40ノットを発揮出来、6時間連続で35ノットを発揮出来る能力が求められ、それを可能にする頑丈な耐久性のある缶と機械が要求されました。
  また、公試は航洋性の確認のため、荒い気候でも行われることが要求されました。
5.防御と被害対策:
  舷側には防御のため、機関区画の外板の裏に5cm四方の格子状のフレームが設置されるとされました。舷側の格子は上下幅3mで、内2mが水上に、1mが水中になるとされました。舷側の機関区画両端の横隔壁も同じ5cm四方のフレームで構成されるとされました。機関区画の上面、甲板の防御範囲には、外板の裏に4cm四方の格子状のフレームが設置されるとされました。
  艦橋、魚雷発射管、砲の周囲、パラベーンはマットレスで弾片防護がされる予定でした。
  ダメージコントロールは、手動操作の蒸気ポンプと、ガスを排出する強力なベンチレーターによるとされました。
  また、ダメージコントロール上、艦は前部区画、缶室・機械室を含む中央区画、後部区画の3つの水密区画に分けられ、それぞれに強力な排水ポンプと、傾斜復旧用の注水ポンプが設置される予定でした。

  この計画は、船体形式、ダメージコントロール、防御構造等に技術的に難しい点がありましたが、多くの先進的な示唆を含み、新しい戦術の要素を含んでいました。
  軽量の大口径砲、長射程の魚雷の多射線装備、高温缶等が実現可能な先進技術と見られました。
  特に注目に値するのは、風と飛沫から保護された水密艦橋に、射撃指揮装置、測距儀など火器管制装置、遠距離雷撃戦に対応した水雷方位盤、探照燈、爆雷投射、機雷敷設など戦闘機能を集約する思想でした。これらの要素は、後に水雷艇駆逐艦−大型駆逐艦−のみならず、艦隊型水雷艇−艦隊型駆逐艦−にも取り入れられた要素でした。
  残念ながら1919年のこの計画は予算上の問題から実現しませんでしたが、後の1922年計画の駆逐艦に、大きな影響を与えました。

・1922年計画の駆逐艦の実現
  1919年、イギリスのソーニクロフト社よりイギリス海軍のW型駆逐艦の修正型の売り込みがありました。その設計を修正して、1920年4月、今まで検討された艦隊型駆逐艦と大型駆逐艦の中間の艦型の、排水量1,780t、10cm砲5門(前後背負い配置、煙突間に1門)、一段減速ギアードタービンで42,500hp、32ノットの駆逐艦を2隻購入することが検討されました。
  この計画は、経済的な事情から非現実的となりましたが、備砲の口径について、海軍上級者評議会からは猛反対が起きました。イタリア海軍もイギリス海軍も駆逐艦の備砲を12cmに拡大しつつある状況で、それより劣勢の砲力を持つ艦を建造する意味はないとされたのです。結局、この計画はフランス議会の否決、これらの反対により、中止となりました。

  その間に、大型駆逐艦用として、M1919 13cm40口径砲が開発されました。また、戦時賠償としてドイツ海軍、オーストリア・ハンガリー二重帝国海軍の第一線級の駆逐艦が取得され、その技術的情報の吸収も始まりました。
  艦隊型駆逐艦としては、1920年4月、常備排水量1,500t、10cm砲4門、75mm高角砲2門の設計が行われましたが、10cm砲の劣弱な砲力が問題となりました。結局、砲熕兵装は新規開発の必要な12cm砲か、大型駆逐艦用に開発されたM1919 13cm40口径砲のどちらかが4門装備されるよう修正案が出され、最終的には1921年6月、後者が選択されました。これは上部重量の75tの重量増加に繋がるとされました。これが、航洋性と復原性にどれだけの影響を与えるかは未経験の問題として残されました。
  一方、大型駆逐艦は、基準排水量2,100t強、M1919 13cm40口径砲5門装備の艦としてまとめられました。
  1,500t級艦隊型駆逐艦ブーラスク級と2,100t級大型駆逐艦ジャグアール級の建造は1922年4月18日に認められました。ジャグアール級の設計は1922年4月に、ブーラスク級の設計は最終的に1922年12月にまとまり、1922年計画においてブーラスク級12隻、ジャグアール級6隻の建造が開始されました。


◎性能
・1500t型艦隊型駆逐艦 ブーラスク級
  ・Bourrasque ブーラスク フランス造船所(ダンケルク) 1923/11/12起工 1925/8/5進水 1926/9/23竣工 1940/5/30戦没(触雷)
  ・Cyclone シクローヌ メディテラネ造船工業(ル・アーブル) 1923/9/29起工 1925/1/24進水 1928/6/1竣工 1940/5/30戦没(爆破処分)
  ・Mistral ミストラル メディテラネ造船工業(ル・アーブル) 1923/11/28起工 1925/6/6進水 1927/6/1竣工 1950/2/17除籍
  ・Orage オラージュ フランセ船渠(カーン) 1923/8/20起工 1924/8/30進水 1926/12/1竣工 1940/5/23戦没(空襲)
  ・Ouragan ウーラガン フランセ船渠(カーン) 1923/4/3起工 1924/12/6進水 1927/1/19竣工 1949/4/7除籍
  ・Simoun シムーン サン・ナゼール・ペノエ造船所 1923/8/8起工 1924/6/3進水 1926/4/29竣工 1950/2/17除籍
  ・Siroco シロコ サン・ナゼール・ペノエ造船所 1924/3起工 1925/10/3進水 1927/7/1竣工 1940/5/31戦没(水上戦)
  ・Tempète タンペート 老舗ドゥビシオン造船(ナント) 1923/12/3起工 1925/2/21進水 1926/9/28竣工 1950/2除籍
  ・Tornade トルナード デュル&バカラン造船(ボルドー) 1923/4/25起工 1925/3/12進水 1928/5/10竣工 1942/11/8戦没(水上戦)
  ・Tramontane トラモンターヌ ジロンド造船工業(ボルドー) 1923/6起工 1924/11/29進水 1927/10/15竣工 1942/11/8戦没(水上戦)
  ・Tronbe トロンブ ジロンド造船工業(ボルドー) 1924/3/5起工 1925/12/29進水 1927/10/27竣工
    1943/11ツーロンにてイタリア海軍に接収、1943/1 FR.31として就役、1943/10イタリア降伏によりフランスに返還、旧名に復す 1950/2除籍
  ・Typhon テュフォン ジロンド造船工業(ボルドー) 1923/9起工 1924/5/22進水 1928/6/27竣工 1942/11/9自沈

フランス1,500t級艦隊型駆逐艦 ブーラスク級
フランス1,500t級艦隊型駆逐艦 ブーラスク級 ブーラスク竣工時。
煙突短縮と主砲防盾交換の改良を行う前の状態。
「WARSHIP 1993」THE FRENCH FLOTILLA PROGRAMME OF 1922 出版社 CONWAYより引用。


基準排水量:1,319t 常備排水量:1,500t 満載排水量:1,800/2,000t
全長:105.77m 垂線間長:99.33m 全幅:9.64m 吃水:4.3m
缶:デュ・タンプル細管缶(重油専焼)3基 蒸気性状18kg/cu 216℃
機械:パーソンズ式1段減速ギヤードタービン2基 2軸推進
    ラトー・ブルターニュ式1段減速ギヤードタービン2基 2軸推進(オラージュ、ウーラガン)
    ツェリー式1段減速ギヤードタービン2基 2軸推進(トルナード、トラモンターヌ、トロンブ、テュフォン)
機関出力:33,000hp 最大速力:33ノット
航続力:設計3,000浬/15ノット 燃料:重油345t
武装:M1919 13cm40口径単装砲4門(弾薬 砲毎に110発、星弾16発 その他練習弾70発)断隔螺栓式薬莢砲
    M1922 75mm50口径単装高角砲1門
    8mm単装機銃2門
    55cm三連装魚雷発射管2基 M1919D 55cm魚雷6発 後にM1923DT 55cm魚雷6発
    爆雷投射軌条2基 200kg爆雷20発
    ソーニクロフト対潜迫撃砲2基 100kg爆雷用
    掃海具搭載
火器管制:3m測距儀1基 水雷方位盤2基を艦橋に搭載
乗員:士官7名 兵131〜135名


・2,100t級大型駆逐艦 ジャグアール級
  ・Chacal シャカル サン・ナゼール・ペノエ造船所 1923/8/16起工 1924/9/27進水 1926/6/12竣工 1940/5/24戦没(空襲)
  ・Jaguar ジャグアール ロリアン海軍工廠 1922/8/22起工 1923/11/7進水 1926/7/24竣工 1940/5/23戦没(水上戦)
  ・Léopard レオパール ロワール造船所(サン・ナゼール) 1923/8起工 1924/9/29進水 1927/10/10竣工 1943/5/27事故損失(座礁)
  ・Lynx ランクス ロワール造船所(サン・ナゼール) 1923/1/14起工 1924/2/25進水 1927/10/10竣工 1942/11/27自沈
  ・Panthère パンテール ロリアン海軍工廠 1922/12/23起工 1924/10/27進水 1926/10/10竣工 1942/11/27自沈
    イタリア海軍により1943/3/23サルベージ、FR.22として再就役。イタリア降伏後、1943/9/9自沈。
  ・Tigre ティグル ブルターニュ造船所(ナント) 1923/9/15起工 1924/8/2進水 1926/2/1竣工 1942/11/27自沈
    イタリア海軍によりサルベージ、FR.23として再就役。イタリア降伏後フランスに返還、旧名に復す 1954解体

2,100t級大型駆逐艦 ジャグアール級
2,100t級大型駆逐艦 ジャグアール級ティグル 竣工時。
「WARSHIP 1993」THE FRENCH FLOTILLA PROGRAMME OF 1922 出版社 CONWAYより引用。


基準排水量:2,116t 常備排水量:2,400t 満載排水量:2,950/3,050t
全長:126.78m 垂線間長:119.70m 全幅:11.64m 吃水:4.10m
缶:デュ・タンプル細管缶(重油専焼)5基 蒸気性状18kg/cu 216℃
機械:ラトー・ブルターニュ式1段減速ギヤードタービン2基 2軸推進
    ブレゲー式1段減速ギヤードタービン2基 2軸推進(レオパール、ランクス)
機関出力:50,000hp 最大速力:35.5ノット
航続力:設計3,500浬/15ノット 燃料:重油530t
武装:M1919 13cm40口径単装砲5門(弾薬 砲毎に130発)断隔螺栓式薬莢砲
    M1922 75mm50口径単装高角砲2門(弾薬 砲毎に300発、星弾120発)
    55cm三連装魚雷発射管2基 M1919D 55cm魚雷6発 後にM1923DT 55cm魚雷6発
    爆雷投射軌条2基 200kg爆雷16発
    ソーニクロフト対潜迫撃砲2基 100kg爆雷用
火器管制:3m測距儀1基 水雷方位盤2基を艦橋に搭載
乗員:士官8名 兵187名


◎特徴
・船体
  船体は、1,500t級艦隊型駆逐艦ブーラスク級、2,100t級大型駆逐艦ジャグアール級共に、1919年の大型駆逐艦の研究に基付いて、高速、居住性、航洋性を兼ね備えるように設計されました。
  船型は船首楼船型で、特に艦首は大きな乾舷とフレアを持っていました。この船型は、戦間期のフランス水雷艦艇に共通する設計となりました。
 ジャグアール級はそれ程でもありませんでしたが、ブーラスク級は、細い艦首に背負い式の13cm単装砲、背の高い艦橋構造物を配置したため、燃料の搭載状況によっては、艦首ツリムになる傾向がありました。
  船体強度は、ブーラスク級、ジャグアール級共に十分取られた筈が、多少不足気味の点があり、海象状況によっては船体の変形が大きい場合がありました。
  これは、1908年〜1913計画の、800t級水雷艇の建造経験しかなかったところ、建造する船体の規模が大幅にスケールアップした為の、仕方のない問題であるように思われます。
  また、高速化の達成のための、船体の軽量化にも原因があったと思われます。
  また、1919年の水雷艇駆逐艦で検討された、機関区画の防御のための舷側5cm、甲板4cmの格子状のフレーム構造は、軽量化のために採用されませんでした。

・航洋性
  船体規模に比して武装過多気味のブーラスク級はトップヘビーの傾向がありましたが、ジャグアール級は武装に比して船体が大きく、安定性と復原性に余裕がある点が評価されました。また、背が高い煙突やマストは風圧面積が大きく、船体の大きく復原性に余裕のあるジャグアール級ではそれ程でも有りませんでしたが、ブーラスク級では、荒天時に安定性を損ねる結果となりました。ブーラスク級の設計時のGM値は0.58mでしたが、完成時には0.36mに減少していました。
  1940年1月、ジャグアールがイギリスの嚮導駆逐艦ケッペルと衝突した際、深刻な被害を受けながらも艦が生き残ったのは、艦の安定性と復原性の余裕のおかげであるとされました。
  一方、ブーラスク級は航洋性に問題があり、第二次世界大戦海戦後数週間の実績から、1939年12月には魚雷2本の陸揚げを決定、地中海外で作戦する艦に関して、1940年1月末には3番砲の撤去が決定されました。後者は艦隊側の受けが悪く、3番砲の復活が強く要望されました。

・運動性能
  両級の運動性能はあまり評判が芳しくなく、旋回半径が大きく、運動性能が悪い点が問題とされました。特に繊細な操艦が必要な対潜戦闘や、狭隘な海域での操艦には不自由であると批判されました。
  1940年2月、ブーラスク級シムーンがU-54に爆雷攻撃を行い、ついには衝撃を行った戦闘でも、艦長より艦の操縦性能に対する不満が提出されました。
  また、1940年5月23日〜24日ののダンケルクやブーローニュでの、Sボートと急降下爆撃機の攻撃によるジャグアール及びシャカルの損失では、狭隘な海域での運動性能の不足が問題とされました。

・艦橋
  ブーラスク級、ジャグアール級共に、1919年の大型駆逐艦の研究に基付いた、水密性を持った密閉艦橋が設置されました。
  主兵装用の1基の3m測距儀は艦橋上に、射撃指揮装置等の火器管制装置、遠距離雷撃戦用の水雷方位盤は、風と飛沫から保護された艦橋に設置されました。同様に、爆雷投射、機雷敷設も艦橋から集中管制されました。さらに、艦橋下部の構造物は、水密のオフィスとなっていました。
  探照燈は、長距離信号用の75cm探照燈が、艦橋ウィングの後部に左右1基づつ設けられました。
 このように、各種指揮機能は艦橋に集約されました。

・煙突、缶室、機械室配置、マスト
  ブーラスク級は、缶室を2缶室持ち、前方から第一缶室にデュ・タンプル細管缶を1基、第二缶室に2基装備し、各缶から1本ずつ計3本の煙突を持っていました。この煙突は当初背が高く、水雷襲撃にシルエットが目立つと批判され、就役後3年以内に短く改装されました。また、次の1924、1925、1926年計画の1,500t級艦隊型駆逐艦ラドロア級では、最初から短い煙突を設けて竣工しました。
  ジャグアール級は、缶室を3缶室持ち、前方から第一缶室にデュ・タンプル細管缶を1基、第2缶室、第三缶室に2基ずつ、計5缶装備しました。煙突は各缶室毎に煙路をまとめて3本立っており、1缶の煙路を持った第一煙突は第二、第三煙突より細めでした。煙突の背の高さが批判されたのはブーラスク級と同様でしたが、特に対策は取られませんでした。
  機械室は缶室の後ろに、ブーラスク級は1室、ジャグアール級は前後2室に分けて設けられました。

  マストはブーラスク級は前部マストが軽構造の三脚檣、後部マストが棒檣で、ジャグアール級は前部マスト、後部マスト共に軽構造の三脚檣を設けており、やはり背が高く目立つと批判されました。

・砲熕兵装
  ブーラスク級とジャグアール級には、主兵装としてM1919 13cm40口径砲が前者には4門、後者には5門装備されました。この砲は理論上イタリア、イギリス駆逐艦の12cm砲より長射程で、弾量も大きく、大きく優越していると考えられましたが、結果的には期待通りには行きませんでした。
  M1919 13cm40口径砲は徹甲弾と榴弾、星弾を持ち、砲弾重量32kg、最大射程18,900m(仰角35度)と、イギリス、イタリアの12cm砲の弾丸重量22.5〜25kg、射程15,000mより長射程で高威力でした。徹甲弾は、10,000mで80mmの装甲を貫通する威力を持ちました。しかし、薬莢砲ではあるもののウェリン式の断隔螺栓式尾栓で、旋回・俯仰・装填が手動の為、発射速度が4〜5発/分(実際は更にそれ以下)と遅いのが問題とされました。また、長射程を得る方法として高仰角を取るため、砲耳の位置が高くなったのが、実際の発射速度を阻害しました。
  このため、次の1924、1925、1926年計画の1,500t級艦隊型駆逐艦ラドロア級では、改良型のM1924 13cm40口径砲が積まれました。この砲は射程、弾薬威力、射程はM1919と代わりありませんが、発条式の自動装填機構が付き、発射速度は実績値で5〜6発/分と、大幅に向上し、実用性が増したと評価されました。ただ、それでも15度以上の仰角では装填速度が落ちました。

  もう一つの問題として、貧弱な測距装置(3m測距儀1基)の為、13,000m程度までしか有効な射撃指揮が出来ず、長射程が生かせない点がありました。1933年6月16日付の海軍参謀本部のメモには、3m測距儀を4mステレオスコピック式測距儀2基と交換されるように勧告が記されていました。
  実際には、後にブーラスク級は4m測距儀1基、ジャグアール級は5m測距儀1基へと換装を実施しました。

  また、当初の13cm砲の防盾は、砲員を飛沫や弾片から保護するのには不十分であるとされ、両級とも完成の2年〜3年以内に全ての艦がより大型の防盾を装備するように改良されました。次の1924、1925、1926年計画の1,500t級艦隊型駆逐艦ラドロア級では、最初から大型の防盾を装備して竣工しました。

  対空兵装として、当初ブーラスク級にはM1922 75mm高角砲が1門、ジャグアール級には2門搭載されていました。この砲は、本来の対空兵装としての役割の他、星弾を搭載し、13cm砲の榴弾と徹甲弾の搭載量を減らさずに夜戦を行えるようにする役割を負っていました。
  しかし、対空兵装として効果が薄い点が問題視され、ブーラスク級では1925年頃に37mm単装機銃2門に交換されました。ジャグアール級では、1934年頃にホチキス13.2mm連装機銃2門に交換されました。

・水雷兵装
  水雷兵装は、従来の駆逐艦の45cm魚雷から大幅に強化され、ブーラスク級、ジャグアール級共に、55cm三連装魚雷発射管を2基、艦の中心線上に装備しました。
  搭載された魚雷は、新規開発のM1919D 55cm魚雷で、長さ8.2mで重量1830kg、238kgのピクリン酸の弾頭を持ち、ケロシン燃料で駆動する4気筒の星形エンジンで35ノットで6000m、25ノットで14,000mの射程を持っていました。
  後に、更に新型のM1923DT 55cm魚雷が開発され、両艦種に搭載されました。この魚雷は長さ8.28mで重量2068kg、310kgのTNT火薬の弾頭を持ち、アルコール燃料で駆動するシュナイダー式の4気筒の星形エンジンで、39ノットで9000m、35ktsで13,000mの射程を持っていました。
  M1923DT 55cm魚雷は、戦間期に開発されたフランス水雷艦艇全てに搭載されました。

・対潜兵装
  大型駆逐艦であるジャグアール級は、1919年の研究に有るとおり、対潜艦艇とは考えられておらず、対潜兵装はそれ程重視されていませんでした。
  艦尾のトンネル状の爆雷投射軌条に200kg爆雷16発を装備していました。この爆雷は、調定深度30m、50m、100mの設定が可能で、水圧で信管が作動するようになっていました。
  また、竣工時、6隻共対潜前投兵器兼近接戦闘用として、ソーニクロフト対潜迫撃砲を積んでいました。この砲は100kgの対潜迫撃弾を射程60mの範囲でとばすことが出来、対潜戦闘の他にも夜戦等の乱戦時に、水上戦闘にも使用されるものとされましたが、竣工直後に取り外されました。後に、1930年代に2隻のみ再度取り付けられました。

  艦隊型駆逐艦であるブーラスク型は、戦艦部隊の直衛の必要から、艦尾のトンネル状の爆雷投射軌条に200kg爆雷20発を装備していました。また、ソーニクロフト対潜迫撃砲2門を装備していました。
  ただ、両艦種共、水測兵装は第二次世界大戦開戦前には装備しておらず、第二次世界大戦初期には半ば当てずっぽうで対潜戦闘を実施せざるを得ませんでした。

  しかし、結果論でありますが、後に第二次世界大戦中、ブーラスク級の爆雷搭載用トンネルは、機雷掃海用のパラベーンとそのウインチを、艦尾甲板上に追加された爆雷投下軌条に影響を与えず、搭載を可能にしました。

・機関
  ブーラスク級とジャグアール級は、デュ・タンプル細管缶と単段減速式のギヤードタービンで動力を供給されました。蒸気タービンについては戦艦ではダントン級、クールベ級、ブルターニュ級で2万馬力代の経験があり、ギヤードタービンについては水雷艇アンセーニュ・ガボルドの試験が1923年から始まっていましたが、ブーラスク級の機関出力はアンセーニュ・ガボルドの2倍、ジャグアール級の機関出力は3倍と、フランスにとっては経験のない領域に踏み込む、相当な技術的危険性を持っていました。
  デュ・タンプル缶は蒸気性状18kg/cu、216℃と温度が多少高い程度で、イギリスのヤーロー缶に匹敵する程度の技術的危険のない性能でした。
  ギヤードタービンは、ブーラスク級はパーソンズ式、ラトー・ブルターニュ式、ツェリー式が用いられ、ジャグアール級にはラトー・ブルターニュ式、ブレゲー式が用いられました。

  公試の結果、両級の機関は作動が順調で、問題ないことが確認されました。
  ブーラスク級の実績はやや期待はずれで、、設計速度34ノットに対し、少数がこれに達したものの、8時間連続耐久テストでは、平均32.8ノットにしか達しませんでした。
  実際の運用では、単艦で30ノット、3隻の駆逐隊での編隊速度が28〜29ノット程度でした。
  ただ、これは機関の設計の問題ではなく、武装を当初設計の10cm砲から13cm砲に変更したための、重量過多によるものもあると思われました。
  第二次世界大戦当時では、艦齢が13〜14年に達し、機関の消耗のため、単艦速力は29ノット程度に低下しており、新型の巡洋艦や高速戦艦に追随するのは難しくなっていました。

  一方、ジャグアール級は順調な実績を出しました。設計速度35ノットに対し、最も高速なティグルでは排水量2380tで57,200hp、36.7ノットに達しました。8時間連続耐久テストでは、55,200hpでの平均35.93ノットを達成しました。
  実際の運用でも、3隻の駆逐隊での編隊速度が34ノットを発揮できました。第二次世界大戦当時でも、艦齢が13〜14年に達し、機関の消耗と200tの排水量増加がありながら、単艦速力で30〜31ノットを発揮でき、編隊速力29ノットを維持出来ました。
  一般に、両級の推進機械は信頼性は高く、順調に運用されました。しかし、換気装置や燃料ポンプの故障、電気配線の劣悪な状態など、補助機械類には問題が発生していた模様です。

  両級の機関の欠点とされたのは、燃費の悪さ、航続距離の短さでした。
  ティグルが公試で最大速力を発揮していた時、1浬につき758kgの燃料を消費し、関係者を驚かせました。
  ブーラスク級の航続距離は、設計では15ノットで3,000浬でしたが、公試の結果、14ノットで2,300浬に修正されました。第二次世界大戦勃発後の実績では、せいぜい1,500浬が現実的な数値だとされました。ブレストからカサブランカまでの1,000浬の護衛任務に使用した際にも、燃料ぎりぎりの状態で辿着く有様でした。
  ジャグアール級は18ノットで3500/3750浬を達成出来ると自信を持たれていましたが、実際は13/14ノットで3,000浬がようやくでした。
  第二次世界大戦勃発後、レオパールが1940〜1941年に大西洋で船団の護送任務に就きましたが、航続距離は13ノットで2,400浬と見積もられました。このため、レオパールは船団から分離して、アイスランドで燃料を補給する必要がありました。
  結果として、残存したレオパールと、イタリア海軍に接収され、イタリア降伏後返還されたティグルは、戦時中に一番缶を撤去してそのスペースに燃料タンクを増設し、燃料搭載量を530tから780tに増やす改装を行いました。この結果、第一煙突も撤去されました。
  ただ、そもそも両艦種は地中海での比較的根拠地の近い環境での運用を前提に設計されており、大西洋で護衛任務を行うことなど想定外だったことは割り引いて考えるべきではあると思います。
  それでも、ブーラスク級は、士官達から洋上で作戦するより、基地間の輸送任務に適していると酷評されました。


◎総論
  1922年計画の艦隊型駆逐艦、大型駆逐艦建造は、概ね成功だったと考えられます。第一次世界大戦前からほぼ10年の空白を置いて、第一戦級の性能を持つ艦艇を建造することは、技術的な冒険でしたが、航続距離の不足以外は、概ね目標を達成することが出来ました。
  ブーラスク級とジャグアール級については、良く800tの排水量差があるのに、13cm砲1門と75mm高角砲1門の兵装、3ノットの速力の差しかないので、ジャグアール級が船体規模に比べて軽武装に過ぎるという批判が聞かれます。これは事実であると思われますが、もう一方で航洋性で発生した問題などを考えると、基準排水量1,319tで13cm砲4門、55cm三連装魚雷発射管2基を積んだブーラスク級は重武装気味だったのではないかと考えられます。
  また、ジャグアール級は、余裕のある船体のため、第二次世界大戦時の対空兵装の増強や航続距離の増加などの種々の改装に耐えたのも事実です。

  これ以降、艦隊型駆逐艦はブーラスク級の小改正型の1,500t級ラドロア級が1924、1925、1926年計画で建造され、大型駆逐艦はドイツの賠償駆逐艦の影響を受けて、砲力を13.8cmに強化し、段階を置いて改良されて行きました。

  戦間期のフランス水雷艦艇の原点として、1922年計画の成果は評価されるべきだと思います。


  艦名のフランス語発音の一部は、本ホームページからもリンクさせていただいている、ホームページ「Die Webpage von Fürsten Tod 〜討死館〜」の管理人、大名死亡樣にご教授いただきました。ありがとうございます。



◎参考資料
・「Les torpilleurs de 1500 tonnes du type Bourrasque」 出版社 MARINES édition
・「Les CT de 2400 tonnes du type Jaguar」 出版社 MARINES édition
・「Z-vor! 1914 bis 1939」 出版社 Koehler
・「CONWAY'S ALL THE WORLD'S FIGHITING SHIPS 1906-1921」 出版社 CONWAY
・「CONWAY'S ALL THE WORLD'S FIGHITING SHIPS 1922-1946」 出版社 CONWAY
・「NAVAL WAPONS OF WORLD WAR TWO」 出版社 CONWAY
・「WARSHIP 1993」THE FRENCH FLOTILLA PROGRAMME OF 1922 出版社 CONWAY
・「Navires & Histoire」NO.28 2005年2月号
・「第二次大戦駆逐艦総覧」 出版社 大日本絵画
・世界の艦船別冊NO.346「第2次大戦のフランス軍艦」 出版社 海人社
・世界の艦船別冊NO.368「第2次大戦のイタリア軍艦」 出版社 海人社
・世界の艦船別冊NO.546「フランス巡洋艦史」 出版社 海人社
・世界の艦船別冊NO.563「イタリア巡洋艦史」 出版社 海人社



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