あかなこらむにようこそ

なかなか勝てませんが、懲りもせず名古屋まで行って来た「雪」が第三回の コラムを書いてきました。
今回のお題は「祈りと勇気」

1996年10月19日。岐阜県長良川。第25節対名古屋戦。前半27分、相手ディフェンダーの足に当たって転がり込んだオウン・ゴールによる1得点のみ。もう後半45分を過ぎている。4千人ともいわれた、スタンドのレッズ・サポーターから、悲鳴にも似た声が巻き起こる。「お願い!」「負けるな!」「早く!早く終わって!」「ホイッスルはまだなのかよ!」

1996年11月2日。霧雨の降る国立競技場。得点は0対0のまま。延長戦も終了。サドンデスのPKへ。ベンチで、グラウンド・コートを羽織る選手たち。超満員のゴール裏は総立ちのまま、いつしか大合唱が始まった。レッズ・コールではない。「We Are Diamonds」でもない。ある歌の大合唱が、雄気がゴール前に立ち、「雄気コール」に変わるまで、延々と続いた。
これが、私にとっての、昨シーズンの、最も想い出に残るゲームだ。もちろん、私はこのどちらも、スタンドで観戦していたのだが、かなり客観的に、レッズ・サポーターの存在、そしてその素晴らしさに、改めて感動させられたゲームだった。「応援すること」「ともに、サッカーというゲームを楽しむこと」そして「勝利の喜びを分かち合うこと」。そのどれもを、レッズのサポーターたちは、完璧に堪能していた。素晴らしい光景だったのだ。
「生卵と十円玉」。そして「相手サポーターへの殴り込み」。この頃、やたらとスポーツ紙の見出しを賑わしているではないか。どうしちゃったんだよ。どこかのスポーツ紙に書いてあった。「日本一といわれた浦和サポーターは、またしても、昔恐れられた浦和フーリガンへと逆戻りしてしまったのか」と。冗談じゃない。浦和サポーターは、日本一でもなければ、ましてやフーリガンであったわけもない。そう簡単にマスコミに評されていいのか。「私たちが日本一になるんじゃなくて、レッズに日本一になってもらいたい」そう誰もが考えて応援しているんだろ、という事は、前にも書いたと思う。何かを勘違いしている人が多い。何かを履き違えている。
レッズがどうした。ホーム3連敗?ついに初めての連敗?タイトルに縁がない?だからどうした。別に命に別状があるわけじゃないし。そんなに必死にバイトして、仕事さぼってまで、試合見に行って、挙句、負けて、暴れてどうする。たかがサッカーだろうが。お前、レッズの何なんだよ。レッズがお前に何をしてくれるんだ。馬鹿じゃないのか。レッズサポーターっていうヤツは。金はなくなるし、精神的にも良くないし、赤い格好して、大騒ぎして、挙句の果てに乱闘騒ぎかよ。大人のやる事じゃないよ。
上に書いたのは、そこら辺にいる「普通の人」の発想だ。私のまわりで、一緒に仕事をしているマスコミ関係の人たちも、これに似た事を言う。要は、これに似た事が新聞紙面に載ったりする訳なんだな。まあ、載らなくても、心ん中じゃ、こんなことを考えてる訳だ。 バカだよ。確かにレッズサポーターは、バカだと思う。でもいいじゃないか。バカにすらなれない人が多い中で、何かに一生懸命になれて、夢中になれるものが、あるんだから。しかし「夢中になる」のと「見境がなくなる」のは、全然意味が違う。
だいたい、埼玉県には、これといった観光名所も、娯楽もない。県庁所在地の駅が、あんなに寂しいのは、浦和ぐらいかも知れない。首都東京の隣だというのに。そこに、「サッカー」がやってきた。おらが街のヒーローは、初めは弱くて、カッコ悪かった。だけど応援を続けてきた。だって、あいつ、昨日駅前で会った時、「カゼがひどいんだけど、頑張ります」って言ってたから、応援してやんなきゃ。そんな感覚だ。それが。強くなってきて、初タイトルを狙える、そんなレベルにまでなったんだから、もう大変だ。昨シーズンの事だが、果たして私たちがヒートアップしていたのか、チームもヒートアップしていたのか、わからない。きっとどちらもそうだったのだと思う。とにかく、熱く、激しいシーズンだった。
好きなんだよ。レッズが。サッカーが。もしも、レッズサポーターの中に、レッズが嫌いなヤツ、サッカーが嫌いなヤツがいたら、見てみたい。いる訳がない。みんな、大好きなんだ。好きだから、応援する。好きだから、負けると悔しい。好きだから、勝って勝って勝ちまくって、一番になって欲しい。それだけじゃないか。根底は。それを忘れちゃいけない。私が言ってるのは、当たり前の事だ。しかし、この当たり前の事を忘れそうになる時があるのではないか、と不安になった。
なぜ昨年の「10・19名古屋戦」と「11・2鹿島戦」なのか。もちろん、ゲームも素晴らしかったが、それよりもサポーターたちの、あの光景が、私の脳裏に強く、焼き付いているのだ。残り6試合を残し、「6強」の距離は、わずか勝ち点3以内でひしめいていた。前節に7ヶ月振りの首位奪回を果たした名古屋に対し、レッズは下位ガンバ戦を取りこぼしていた。ここで負けたら、首位戦線から後退する剣が峰。レッズは、完璧なマーキング・フォーメーションを配し、名古屋の攻め手を完全に封じ込めた。後半、何とか得意のセットプレーに活路を見出そうとする名古屋を、必死に跳ね返す。得点は前半27分のオウン・ゴールのみ。強い向かい風。数千人にのぼるレッズサポーターたちの「祈り」が悲鳴となってスタジアムにこだましていた。ロスタイム。まだホイッスルは吹かれない。全員で、「浦和レッズ!」をひたすらコールしていた。その合間合間に、「早く終わってくれ!」「まだなのかよ!」という叫びが響き渡った。
第28節。残り3試合となった鹿島戦。国立競技場の5万7千枚のチケットが完売した一戦。ともに得点を許さず、極限状態のまま延長でも決着がつかず、ついにPK、サドンデスに突入した。前の晩から降り続いていた雨が、まだパラついている。ゴール裏は総立ちのまま。「好きにならずにいられない」を歌い続けた。何回も、何回も。ピッチにイレブンが姿を現すまでの間、十数分の間、ずっと。涙ぐんでいる人もいる。祈りに似た光景だった。「大好きなレッズ。お願いだから勝ってほしい」「好きなんだよ。みんなのプレーが大好きなんだ。どうか勝ってほしい」そんなひとりひとりの願いが、「好きにならずにいられない」の大合唱となって、延々とスタンド中に響いていた。奇跡のように素晴らしい光景だった。試合後、岡野が言っていた。「あんなにサポーターに応援してもらって、支えてもらったのに…」。あのときの「好きにならずにいられない」の歌声は、確実に、選手たちに届いていたと信じる。私はスタンドの真ん中にいて、その「祈り」に鳥肌が立った。スタジアムを揺るがすほどのあの歌声は、選手たちにとって、大きな勇気になったのではないか。
もういちど考えてみよう。レッズを嫌いな人、サッカーを嫌いなサポーターなんて、いるだろうか。なんにもなかった浦和の街にレッズが生まれて、Jが生まれて。子供も大人も、水曜日と土曜日には、心待ちにしたスタジアムに向かう。あるいはテレビの前に座る。ベランダに旗を掲げる。サッカーというゲームを、私たちもどんどん学び、ルールやプレーを学び、ますます好きになっていく。試合を見るたびに、ドキドキし、時に悔しがり、そして深く、深く魅了されてゆく。「そんなにハマり込んだって、レッズが何をしてくれる訳でもないだろ」と言う人に教えてあげよう。レッズを好きになると、いろんなものを、彼らは与えてくれる。サッカーというゲームの面白さ、そして夢中になる情熱、ドキドキする気持ち。それにレッズサポーターの「祈り」から、彼らは「勇気」を奮い立たせて、闘ってくれる。私たちは、そんな素敵な関係なんだ、と。

〜雪〜

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