あかなこらむにようこそ

あの時のあなたの大きな手、そしてそしてやさしさに満ちた瞳。けっして忘れる事は出来ません。
今回の“あかなこらむ”は「ありがとう」........

1997年10月18日。磐田スタジアム。アウェー側の静まり返ったゴール裏。反対側では、勝利に歓喜する磐田サポーターの声がやけに耳に付く。私も声の限りに叫んだ。「ギド!」「もう一度顔を見せて!」「ギド!」「会いたいよ!」…。その声が妙に響いた。いつまで経っても誰も席を離れようとはしなかった。

実は昨年、仕事の絡みでギドと会った事がある。引退を噂されていたが、リーグ終了後、留意を決めた頃である。超野人倶楽部のメンバー、RSP10人近くが集まり、思い思いの応援グッズに身を包み、「ギド、ありがとう」と声をかけた。そこは、まさかRSPが出現するような場所ではなかった。なのに、突然のハプニングに、ギドはとても嬉しそうな顔をしてくれたのだ。近くにいた仕事関係者は言った。「こういうみんな(RSP)がいるから、ギドは日本に残ってくれたんだよね」。その時の満面の笑顔のギドと一緒に撮った写真は、宝物のように飾ってある。
ワールドカップという、サッカー最高峰の世界を見ているギド。彼は、「ゲルマン魂」という一言では言い表せない「心」をレッズに、そして私たちに教えてくれた。3年前。まだ試行錯誤だったオジェック監督下のレッズ。鉄壁のディフェンスラインを築き、豪快なカウンターアタックでの速攻で点を取る。彼がいなければ、とても実現できなかった「レッズのサッカー」が作り上げられた。
決して足の速くない、ギド。しかしギドの長身を最大限に活かした空中戦でのプレー。そして、100発100中のスライディング。もしも抜かれてしまったら、絶体絶命のピンチを招いてしまうだろうスライディングで、ギドは絶対に抜かれる事がなかった。おそらく、どんなにか練習を積んだ事だろう。自分の得意なプレー、「自分はこれだけは負けない」というプレーを、彼は完璧に成し遂げていた。神様でもない限り、全てのプレーにおいて、完璧なものを要求するのは不可能であるし、その必要もないだろう。サッカーは、チームプレーであり、各選手がそれぞれの持ち味を活かせるフォーメーションを監督が配し、そして連携によって得点を目指し、相手の得点を防ぐゲームだからだ。制空権を絶対に譲らないギド、最終ラインの壁であるギドがいる限り、得点されないはずだ。時にはそう思う事すら、少なくはなかったはずだ。
昨年、10月19日、長良川での名古屋戦。私がギドのプレーで最も想い出深いゲームの一つとして思い出すのが、このゲームでの彼の動きだ。この日のレッズは、完全なマンマークを布いていた。最終ラインを統率していたのは、もちろんギド。森山や平野の再三に渡る突破の試みを、ギドは真っ正面からのスライディング・タックルで、何度も何度も、完全に跳ね除けてみせた。結果、相手ディフェンダーの足に当たったオウン・ゴールによる1得点のみで、レッズは名古屋に得点を許す事なく、勝利した。この時の無得点の功労者は、ギドだったと思う。気迫溢れる、と言っても、なんだか言葉が足りない。そんな身震いのするような動きを、ギドはしていた。
今年、10月1日。国立での川崎戦。不甲斐ないプレーに、ゴール裏RSPは席に座ったまま。立ってコールを送る人など、まばらにしかいないという異様な光景だった。リーグ優勝の可能性は、とうの昔に消滅していた。監督が変わって、なんだか消化不良のまま今年2ステージを終えようとしていた時の事である。確かにその日は、レッズが2点を先取し、ほぼ勝利を手中に納めようとしていた。後半、動きも良くなり、最初はバラバラだった「レッズ・コール」も、ゴール裏全体に広がりはじめた頃である。「新吉リストラ・コール」が起きた。まあ、それは苦笑いで済むとしても、信じられない事に、その後立て続けに川崎を揶揄するコールが起こり、さらには、「ヴェルディ川崎・コール」が始まった。一部で始まった「ヴェルディ・コール」は、瞬く間にゴール裏全体に広まった。その時、前線でレッズがボールをキープしたのに、である。
隣にいた超野人のメンバーの一人が、コールの中心を睨み、立ち上がった。私も思わず立ち上がり、ひとり「浦和レッズ」を声の限りに叫んだ。そんなたった二人で始めた「レッズ・コール」は、しばらく繰り返された後、やがてゴール裏全体に広がり、「ヴェルディ・コール」をかき消すまでになった。少しだけ、救われた気がした。相手を嘲笑する前に、レッズを応援しないでどうする。どんなゲームでも、どんな時でも、私たちはブーイングの中でも、12番目の選手として、レッズとともにやってきたのだから。どんな時でも、勝利を目指し、せめて何かをつかむようなプレーを積み重ねて行かなければならない。チャンピオンになるために。タイトルを取るために。そしてそれが叶わぬまま、故郷へ帰るギドのために。
10月18日の磐田スタジアム。3−2、レッズは後半に逆転を許し、試合は終了していた。ホーム側ゴール裏では、大旗がたなびき、準決勝進出を歓喜する磐田サポーターの歌声がいつまでもこだましていた。誰かがつぶやいた。「ただの負けじゃないんだよ」「もうこれで俺らのナビスコは終わっちまったんだ」…。そして、ギドとの別れ。悔しい気持ちも、悲しみも、寂しさも、まだ実感として沸いてこない。ただ呆然と立ち尽くし、気づくと涙が止まらなかった。ほんの少し目をやると、周りのRSPみんなが、声もなく、泣いていた。奇妙な静けさに包まれたゴール裏。隣にいた超野人のメンバーは、何度も何度も、ギドの名を叫び続けていた。
どれぐらい時間が経っただろう。とうに選手は引き上げ、プレスも去ろうとしていた頃。ギドが私たちの所へやってきてくれたのだ。ゴール裏は歓喜の声に包まれ、「ギド・コール」が始まった。それを見て、向かい側の磐田サポーターからも「ギド・コール」が起きたのが、嬉しかった。私服で、穏やかな表情で手を振るギド。ピッチでいつも見せていたあの険しい表情は、どこにもなかった。ギドは、「指導者として、また日本に来たい」と言ってくれている。「いつか、レッズの監督で…」そんな日も、夢ではないかも知れない。ギドの、穏やかな笑顔から、「誇りを持って、頑張るんだ。必ず、レッズは優勝できるから」…そんな心を感じ取ったのは、私だけだろうか。今までの、いろんな試合の、いろんな場面の、いろんなギドの姿が想い出される。なぜか涙が止まらない。喉か苦しくて、声がうまく出せない。「ありがとう、ギド」。誰もが涙でぐちゃぐちゃになった顔で、叫んでいた。私も、声の限りに叫んだ。「ギド、ありがとう、また帰って来て」「それまでに絶対、タイトルを取るから」。
ギド・ブッフバルトという選手の、レッズに残してくれた足跡は、あまりにも大きい。彼の功績は、日本サッカー界にとっても、財産たるものだ。あなたの教えてくれた全てを私たちは誇りに、いつまでも、レッズを応援し続けよう。そして、何が何でも、タイトルを取るんだ。強いレッズに、どこも敵わないレッズになるんだ。ギドのためにも。
ああ、他に言葉が浮かばない。ギド、本当にありがとう。

〜雪〜


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