あかなこらむにようこそ

やっとまともに動き始めた“超・野人倶楽部”ですが、こんかいは
ご挨拶をかねtenpointのこらむなど載せます。

12月29日午前6時。寒い。とにかく寒い。寒さで目が覚めた国立競技場前のテントの中。 外へ出てみて驚いた。人が増えている。ものすごい数になっている。 早朝、車で駆けつけた団長の車で競技場を一周してみると、ものすごい数の「赤い人たち」で囲まれているのだ。何百人、いや千人単位の人がいるのかも知れない。みんなレッズが好きなのだ。11月2日、「決戦」と謳われた鹿島戦では、開門前におよそ5000人のサポーターたちが列をなしたと言う。「熱狂的」「過激サポーター」と言う人もいるが、そうではない。じっとしていられないのだ。ワゴンでやってくる小さな子供も連れた家族。仲間たちと駆けつける学生たち。誰もがただただ、レッズが好きでたまらないのだ。午前8時には、もう最後尾が見えないほどになっていた。いやがおうにも、「決戦」ムードが高まってくる。

午前11時。開門。陽射しは暖かく、冬空の下に集まった何万人ものレッズサポーターたちであっと言う間にゴール裏は埋まってしまった。「今日は絶対に勝つぞ」。そんな声があちこちから聞こえてくる。「勝って欲しい」そんな祈りにも似た想いが誰の胸にもあるのだ。元旦には、またここで試合をして欲しいのだ。私たちを決勝戦の応援席に連れてきて欲しいのだ。頼んだよ、イレブン。そうだ、これは4年前と同じカードなのだ。後半、追いつかれてPK負けを喫した川崎戦。あの頃の川崎は名実ともに「J」の盟主であり、レッズはまだ下位に低迷、その力の差をまざまざと見せ付けられたものだった。もうあの頃のレッズじゃないんだ、今日はあの時の借りを返すんだ。そんな想いが少なくない人の胸にあったのだと思う。
午後1時直前。「We Are Diamonds」の合唱。そしてデカ旗が広がる。今日はゴール裏自由席の端から端までスライドさせるようにデカ旗を動かした。メインスタンドで観戦していた人の話では、ただでさえ迫力のある「デカ旗」がいつもに増しての大迫力だったと言う。そしてキックオフ。前半、選手の硬さが心なしか気になる。正直に言うと、今シーズン後半戦を思い出してしまった。不謹慎ではあるが、「これはまずいな」と嫌な予感が胸をよぎった。ボールの支配率は圧倒的に川崎だ。福永と堀は厳しいチェックを受け、特に堀はアルジェウに倒される場面もあった。傷めている足が心配になる。膠着状態のまま、前半が終了した。
後半開始。負傷交代した田口の穴と、攻め上がったギドの穴を突いてくる川崎。シーズン中にも見られた光景だった。オフサイドの、後に誤審と言われるゴールの後、なし崩しに合計3得点を浴びる。試合の詳細については、細かい批評をするのは止めよう。負けた。とにかく負けたのだ。「完敗」と言っていいのだろう。国立スタンドで、TVの前で、何万という「元旦」そして「初タイトル」を夢見ていたレッズサポーター、そして選手たちみんなが呆然としていたことだろう。岡野は言っていた。試合終了後、ロッカーでみんな泣いていたのだそうだ。
午後3時頃だろうか。自由席ゴール裏のサポーターたちは立ちすくんだまま。どこからともなく「ウーベ・コール」が巻き起こる。「ウーベ!もう一度だけでいいから顔を見せて!」と。そして「オジェック・コール」も起こる。この天皇杯、元旦の決勝まで行けるものだと信じていた。根拠なんてない。それが、「敗北」という現実を突然、突きつけられてしまったのだ。突然の別れ。オジェック監督が采配を振るう姿を見ることはもうできない。ウーベのあの芸術的なスルーパスも。「もう一度だけでいいから」そんな想いがスタンド全体に広がる。子供のようにみんな、その場を離れようとしない。
そして陽がかたむきかけたピッチに、彼らが姿を現してくれた。歓喜の大声援に包まれる。 「We Are Diamonds」の歌声が巻き起こり、私はもう目の前が涙で滲んでしまった。泣けて仕方がないのだ。声にならなかった。かつて、11月2日の最終戦、対フリューゲルス戦で、 オジェック監督は[マッチデー]にこう書いていたのを思い出した。

試合前に皆さんが歌う歌が、私は大好きです。
しかしきょうは、その言葉は皆さんにこそふさわしいと思います。

Yes, Reds Supporters, YOUユRE THE BEST!
皆さんは、最高です! 皆さんの ホルガー・オジェック

彼はサポーターをとても大事に思っていてくれた。アウェイまで足を運ぶサポーターたちの労をねぎらい、いつもスタンドに来てくれるサポーターたちに感謝の言葉を残してくれた。彼の大好きだ、という歌を歌えて、私はもう言葉にならなかった。そして、彼とともに、みんなで「好きにならずにいられない」を大合唱した。この歌声の中で、今までの様々な試合の様々なシーンが思い出され、その嬉しさと、寂しさと、悲しさと、悔しさと、様々な感情が頭の中でごった煮となった。とにかく感動で心が震えた。

どうせ浦和にはまだタイトルを取る力はない。これはいつも言われている言葉だ。そんなことは応援している自分たちでも百も承知している。それでも、いちるの望みを胸に、声の限りに応援を続けるのだ。強いチーム、人気絶大のチームを応援することは楽しい。どんなスポーツでも。勝つ喜びと優勝の喜びを味わうことができるのだ。しかし、弱小チームがのし上がっていく姿を見守るのは、これまた別の喜びなのだ。あんなに弱かったのに。あんな時代もあったのに。そんな想いを胸に、今の「優勝を狙える強さ」を身に付けたレッズを嬉しく思えるのだ。
変な話だが、世のサラリーマンや学生たちの代弁者のような存在だと思う。あくせく働いてもさしていい給料はもらえない。捕まったどこかの高級官僚のボーナスの税金分のボーナスしか手にできない。もともと素晴らしい記憶力がある訳でもない。勉強が好きな訳でもない。いい学校に入るのが「勝つ」ということなのだろうか。何となく報われていないような気がする。そんな小市民が自分の姿をだぶらせるのだ。「弱い」と言われるものが「強い」ものにかかって行って負ける。その悔しさをバネに、いつの日か勝つ事を夢見て頑張り続ける。そして「弱い」ものが「強い」ものに勝った時。その喜びはたまらない。「強い」ものが「弱い」ものに勝つのは当たり前なのだから、その逆というのは、「してやったり!」なのだ。負けても負けても、あと一歩の所で涙を飲んでも、「レッズなんて、もう応援するもんか!」なんて思うサポーターが一人でもいるだろうか。みんな、最終的な大きな目標があるのだ。いつの日か、日本一、アジア一、世界一のチームへ・・・
レッズのサポーターというのは、こんなとてつもないパワーを持った存在なのだ。ある新聞に、29日の試合終了後の「セレモニー」を取り上げて、「浦和サポーター日本一」と書いてあった。私たちが目指しているのは、サポーターの日本一になることではなくて、チームが日本一になることなのだ。どうか、この夢を叶えて欲しい。この声は確実に彼らに届いていることだと信じている。「負けたことで全てを失ったことにはならない」。オジェック監督は、会見でこう言っている。そうだ。彼の功績はあまりにも大きい。それは選手も私たちも一番良く知っている。彼は本当にたくさんのものを私たちに与えてくれた。タイトル。忘れたものがあるとすれば、それだけだ。 ( tenpoint )

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