伶君の旅行記

独りぼっちの夜(登頂・後編)(2003/8/22・23)
 東京の秋よりもう少し寒い環境でぐっすり1時間ほど眠って、体力もちょっぴり回復したので再度登り始めます。
 ですが、こっから先はあまり記憶にないんです。吸い込まれそうな星空の元、ヘッドランプと山小屋の明かりを頼りにひたすら上を目指すだけ、景色も変化に乏しく独りぼっちだから思い出に残るイベント少ないですし、でも一番の原因は私がへばり始めたからだと思います。
 と言うことで、かすかに残る思い出を箇条書きにしてみます。
 ・松葉杖で登っているおじさんにあっさりと追い抜かれて凹みました。
 ・持って行ったカロリーメイトが、パンパンに膨らんでいるのを見て気圧の変化に気がつきました。
 ・富士山ホテルには自動販売機が有り、その横のベンチは自販機が風よけ兼暖房(気持ち暖かい)になるので寄りかかって気持ちよく小1時間寝てました。
 ・ペットボトルではなく、魔法瓶にホットコーヒーを入れて持って来なかった事を後悔しました。
 ・午前1時過ぎの御来光館前は、結構込んでます。だけどベンチの隙間を目ざとく見つけ仮眠しました。
 で、午前二時最後の山小屋である御来光館を出発、山頂を目指します。
 この時期の御来光は午前4時50分頃ですので、登る時間はおつりが来ます。ただ、ここで忘れてはいけない事があります。
 「富士山はこの時期渋滞します。」
 人が登る速度は十人十色、でも登山道には追い越し車線は基本的にありません。他の人に邪魔されるならまだしも、人様の邪魔をするなんて小心者の私にはできません。山頂で凍える覚悟で登り始めます。
 ここから先の思い出は「きつかった」の一言に尽きます。ぱらぱらと人が増え始めたので登山道の直線部分で立ち止まると後ろの人が通れません、広くなったコーナー部分で外側によけてぜーぜーと上がった息を整えます。
 落ち着くと次のコーナー迄這うように、でも決して止まらずに歩き続けます。何度目かの休憩でぜーぜーいってると、通りすがりの外人さんが声をかけてきました。ただでさえわからない英語が、酸欠と疲労で3倍何いってんのかわかりません。ゼスチャーから読み取ると大きく深呼吸するんだみたいな感じです。力なく頷き深呼吸を始めると、彼は安心したのか出発していきました。
 しかし、何であの気温の中で白人の方はTシャツに短パンで笑いながら登っていけるのでしょう・・・謎です。
 頭の中真っ白にしながら登り続けていると白い鳥居が見えてきました。ゴール!と思うのは予習してこなかった人、予習してきた人はまだここかと思う場所です。
 じりじりと高度をかせいで行くと唐突に道が開けてきました。さっきまでの人一人通るのがやっとな道が、整備された道に変わります、そして多くの人の話し声が聞こえてきました。どうやら本当のゴールが近づいてきたようです。
 人間とは面白い物で、さっきまで歩くのも息絶え絶えだったくせにゴールが近いと思うと、けっこう体が動く物です。
 こうして午前3時30分、富士山頂へ無事到着しました。

独りぼっちの夜(登頂・中編)(2003/8/22・23)
 富士山の山小屋の前に置いてあるベンチは基本的に無料のはずですが、ネットで調べると「追いはぎベンチ」と呼ばれる座っただけで料金が発生するベンチがあるらしい。「太子館」のベンチには先客が既に座っていたので安心してへたり込みました。
 水分補給しつつ休憩していると山小屋のおじさんが気さくに声をかけてきます。
 「随分早いね、この時間にここじゃ日付が変わる前に着いちゃうよ。」
ですが、それは普通の人の場合、私は通常の人1/3程度しか体力が無いので、この後加速度的にへばるのは間違い有りません。  20分ほど休んで出発です。
 これから先は、明るい山小屋へ向かって真っ暗な登山道をじりじりと上っていく作業が続きます。山小屋で休憩している時は寒いくらいでしたが、登り始めると直ぐにうっすらと汗が掻けます。でM−51のチャックを開けると、お腹側は直ぐ冷えますがリュックが有る背中側はなかなか冷えません。寒いんだか暑いんだかよくわからなくなります。
 混乱しながらも、次の山小屋が見えてきました。今度の所も他の人が先に休憩していたので安心してへたり込みます。山小屋の登山道に面した側は売店風で缶コーヒーから酸素ボンベまで幅広くおいてありますが、事前情報通り高いですね。温かい飲み物にかなり引き寄せられましたが、近所のコンビニで買ってきた水を飲んで我慢します。
 標高3200mの山小屋は前が広場状になっていてベンチが沢山あり、休憩するにはもってこいでした。ここで隣の登山客の話をぼーっと聞いていたのですが、山頂の山小屋は午前4時頃まで開かないというのです。まだ午後10時過ぎ、いくら体力のない私でも午前2時には着くでしょう、2時間以上山小屋無しで寒風吹きすさぶ山頂で過ごせる自信は欠片もありません。
 どーしよう・・・決めた、ここで寝よう!
 高山病対策かたがた、このベンチで1時間程寝ていました。意外と眠れるもんですね。
 続く

独りぼっちの夜(登頂・前編)(2003/8/22・23)
 ぐっすり眠った気はしませんが金曜日は自動的にやってきました。荷物の中身を再確認、バッテリーの充電もOK、天気も上々です。さぁ、元気に出発だ・・・決めた事とはいえ行程の大変さを考えると少しブルーになります。玄関出るまでの足がやたら重かったです。
 気を取り直して何とか出発、駅に向かいます。電車に乗ってしまえば気も変わるだろうと思いましたが・・・ダメですね。自分の中で「まだ間に合う、止めないか?」と囁く声が聞こえます。その声を眠る事で黙殺し、一路西を目指します。
 大月から富士急行へ乗り換え午後3時過ぎに河口湖へ到着。バス停へ行こうとすると、見知らぬおじさんが「今から登のかい」と話しかけてきます。何かと聞いてみれば山小屋の共通宿泊券セールスでした。今回の登山は靴やカメラを買った都合上はっきり言って貧乏登山です、山小屋なんか泊まる気はさらさらありません。しかし、おじさんのしつこい事、使わなければ払い戻してくれると言うので、保険として共通宿泊券を購入、やっとバスに乗れました。
 午後4時15分、富士山5合目に到着。五合目から見る山頂は・・・やっぱり遙か彼方でした。高山病でえらい苦労して登ったA君の失敗談を聞いていたので、先ずは体を高地に慣らす為、神社に無事登頂できるようお参りに行ったり、土産物屋を冷やかして時間を潰します。予定では2時間位使うつもりだったのですが、5時を過ぎると加速度的に人は減っていき、お店も閉まりはじめ、どんどん寂しくなっていきます。
 午後5時半、日が陰ってきた事もあり予定より早く出発する事にしました。
 人並み以下の体力を自覚しているので、スタートでとばすと自滅するのは容易に想像できます。下界の8割位のスピードで引きずる寸前くらい迄しか足を上げないように心がけます。ですが、なだらかな上り坂、下山者はそこそこ居ますが登山者はまばら、夕暮れは迫ってくる・・・自然と速度が上がるのは人の哀しいサガです。
 とぼとぼとですが順調に進み6合目を通過、ここからしっかりとした登りが始まりました。だらだらと続く九十九折りの道を登っていくと、真っ赤な夕焼けが・・・しばし見とれていました。
 夕焼けの後には当然のように夕闇が迫ってきます。日が沈んだ事と高度が上がっている事の相乗作用でぐっと涼しくなってきたのでフリースを1枚着込みます。  7合目の手前で、後ろというより下の方から音がします。振り返って見ると河口湖の花火でした。打ち上げ花火を上から見下ろすのは少し不思議な感じがします。
 7合目に着いた時には日は完全に沈み、山小屋の明かりが届かない所は真っ暗なのでヘッドランプを装着し進みます。ここからは本当の山登りが始まりました。
 そこは登山道というよりは岩場でした。登山道から外れないように鎖が張ってありますが、その鎖はつかまるには頼りなくコースガイド以外に役に立ちません。私は軍手を取り出し両手両足フルに使ってよじ登ってゆきました。
 遠くの山小屋の明かりで方向を、ヘッドランプの小さな明かりで足場を確認しながら、ジリジリと高度を稼いでいきます。
 午後9時、標高3000mを越えた所にある山小屋「太子館」に到着、小屋前にあるベンチで最初の長い休憩を取る事にしました。
 続く。

そこに有るから(準備編)(2003/8/22・23)
 「登らぬ馬鹿に二度登る馬鹿」と呼ばれる場所があります。それは「富士山」、誰もが知ってる日本一高い山です。
 この数年登ってみたいと思いつつ、ずっと先送りになっていました。ですが今年は違います、周りの人に「今年は登る」と言い放ち、自ら外堀を埋めて自分を追い込みました。そしてシーズンが始まる前からワイヤードで情報を収集し始めました。その結果「富士山は時間とお金があれば登れる山」であることがわかりました。ですが私は時間もお金も体力も人並み以下・・・ちょっちやばいです。
 土日は登山道が渋滞するので金曜の夜にアタックをかける事に決定、靴はちゃんとしたものを履いた方が良いと思い月曜日にスーパーで特売品のトレッキングシューズを買いました。翌日から慣らす為に履き続けたのですが、水曜日に靴擦れが発生・・・。
 仕方がないのでその夜、お茶の水の山屋へ直行し、スーパーで買った靴の2倍もする靴を買う事になりました。しかし特売品とは違い足にすぐ馴染み、やはり「餅は餅屋」と実感しました。
 木曜日は、その靴を履いて夕方の秋葉原へデジカメを調達しに行きました。「アイ」は山登りには重いし(私的に)、「デュアル」はフィルムがかさむ(荷物は減らしたい)、「アルファ」はバッテリーが30分ともたない、一生に一度の事かもしれないしと自分に言い訳をしまくり、トチローご推薦の「CANON IXY400」を購入(アルファ2ndと命名)。
 これで備品の購入は終了、と言うより予算も時間も残っていませんでした。後はコンビニでミネラルウォーター・カロリーメイト・ゼリー飲料を購入して準備は終了。
 そして興奮して眠れない夜へと突入していくのでした。
 続く。

ハードな夏休み2(2001/11/4)
 朝食を食べて「N」君のアパートを出発した私達は1時間後何故か名古屋駅の地下街で迷子になっていました。それも名古屋名産のモーニングを食べるためにです。以前名古屋でお腹いっぱいモーニングを食べたことを話したら是非行ってみたいと言うことになったのです。
 迷うこと20分弱ようやくお目当ての店に着きました。早速コーヒー一杯だけ頼み食べ放題のパンとゆで卵を取りにそそくさと席を後にします。さっき朝食を食べたばかり何ですけど・・・結局席とパンの所を4往復してしまいました。何やってんだか。
 お腹がホントにいっぱいになった所で本来の目的地「可児」へ向かいます。そこで原住民「U1」と合流、彼の家に転がり込みます。一服したところで温泉に向けて出発します。目的地は下呂温泉ちょっち遠いのですけど何とかなるでしょ!途中の道の駅で買った「白川茶」が大当たりでした。そんなこんなで温泉到着。1時間かけてゆっくりと旅の溜まり過ぎた疲れを抜いてゆきます。んで、久しぶりに会った「U1」と世間話に花を咲かせます。
 リフレッシュしたら夕食のために町へ戻ります。メニューは「U1」君が遠方から来た私達のために悩みに悩んで決定した「櫃まぶし(ひつまぶし)」です。噂には聞いていましたが、食べるのはこれが初めてでした。結論、滅茶苦茶美味しいかったです。最後のお茶漬け最高でした。
 お腹いっぱいになった所で運転を「ともちゃん」に押しつけ後部座席で惰眠をむさぼってる間にコンビニ等経由で「U1」宅に到着、第2次宴会がスタートしました。久しぶりに会ったというのに話す会話は昔と同じ馬鹿な話ばっかり、昔と変わらないと言うか、成長してないというか・・・。そんなこんな夜も更けて予想通り「ともちゃん」撃墜、私はいつも通り草食動物のような浅い眠りと覚醒状態を行ったり来たり、「コロ助」は相変わらずタフです。
 とても暑くて目を覚ますと、お日様サンサンのいい天気。回りを見回すと未だ深い眠りの中の「トモちゃん」が一人。後の二人は?かといって勝手に家捜しするわけにも行かず、はてどうした物か。取りあえず10mと離れていない二人の携帯へ電話をしてみます。予想通りでません。仕方がありません、ぼーっとしている事に決めました。9時過ぎようやく全員起床。時間の都合で近所でエスニック?なブランチを取り「U1」には悪いですが、3人は慌ただしく帰路につきます。
 さぁ、又各駅停車ロマンの旅のスタートです。行きと違って乗り換えは多いですが、3倍(当社比)は快適です。ただ、残念なのは夕食は駅弁を買って電車の中で食べるはずだったんですけど、夕方には駅弁屋さんってほとんど閉まっていてお弁当買え無かったんです。仕方がないのでキオスクのお菓子と立ち食い蕎麦屋さんで売っていたおでんが夕食となりました。夕食と言うよりはビールのつまみと言った方が正確かもしれません。こうして今回の旅はほろ酔い気分で幕を閉じるのでありました。

ハードな夏休み(2001/10/24)
 ちょっち訳有りで岐阜へ行く事になりました。今回の幹事は「トモちゃん」メンバーは私と「コロ助」の3人。お盆休みと言うこともあったのですごく久しぶりに電車での旅となりました。
 始めは以前乗ったことのある「ムーンライトながら」を使う予定でしたが、幹事が1週間前に確認すると何と満席・・・、そこで私達は伝説の「大垣行き」に乗ることになりました。この電車は「てっちゃん(頭にアクセント)」には非常に有名で歴史有り、一度廃止になりましたが季節の臨時列車として復活した曰く付きの列車です。
 発車2時間前にホームへ行くと・・・既に凄い行列!座席に座るのは諦めました。それでも一縷の望みをかけて入線した電車に飛び込みます。その結果1座席だけ確保できました、そこに「コロ助」を座らせ「トモちゃん」と放浪の旅に出ます。発車10分前やっと見つけたスペースは・・・電車の連結部一人60cm四方のスペースでした、ここで6時間・・・かなりしみます。
 通路は風通しが悪くかなり暑い、これはいい汗かけそうです。そこで名古屋にいる「N」君へ電話して朝の6時に行くからお風呂貸して!と言う無茶なお願いをして半ば強引にアポを取り付けます。「コロ助」にメールで伝えた頃に電車は出発、長い夜が始まりました。
 電車旅の醍醐味は缶ビール!狭い通路で「トモちゃん」と乾杯!とっとと酔っぱらって寝ることにします。所が・・・とても眠れる状況ではありません。体育座りをするのが精一杯のスペースウトウトする頃には中途半端に曲げたままの膝が悲鳴を上げます。姿勢を変えようにも・・・立ち上がる以外手がありません。足の痛みが引く頃には、眠くてフラフラです。こうして立って座ってを繰り返す空しくも想い出に焼き付く時間が過ぎてゆきます。午前6時前電車は万感の思いをのせて名古屋駅に到着しました。
 6時間ぶりに会う「コロ助」との挨拶は「おはよう」だったか「お疲れさま」だったか。「N」君へ電話すると名古屋駅へ迎えに来てくれる途中でした。今日も仕事が有るはずなのに、感謝です。
 朝ご飯を買って彼の部屋に向かっている途中でその事件は起きました。
 お腹が空いた「コロ助」君はカップラーメンを買っていました。「N」君の生活に常識が通用しないことを私は知っていましたが「コロ助」は想像すら出来なかったんです、お湯が手に入らない環境を。おかげで車内は「信じられない!」と怒る声と「知らなかった?」と言う笑い声が交錯する不思議な空間となりました。
 仕方がないのでもう一度コンビニに寄って食料を買い直す羽目になりました。何はともあれアパートに転がり込んで一休み。お風呂を借りる予定が私は疲れてのびきっていました。結局「N」君が出勤するまで朝食を食べつつ四方山話に興じていました。
 つづく。

慌ただしい世紀越え
(ファイナル)
(2001/3/26)
 10時過ぎMM21地区でカウントダウンをする為「F」君の実家を出発、桜木町へ向かいます。
 駅に着いて「N」君と相談、彼の家で初日の出を見るためには世紀が明けたら速攻で移動しないと間に合いそうにありません。そこで、海の方まで行きたがる「F」君を説得、コスモクロックがよく見える動く歩道でその時を待つことにします。
 時間が近づくに連れ増えて行く人・ひと・ヒト、これ以上先に行ってたら帰るのはさぞや一苦労だろうと思っているとその時はやって来ました。後3分、眼下の道路には駐車場待ちの車が渋滞していました。可哀想に彼らは渋滞の車の中でこの瞬間を迎えるのでしょう。
 後30秒、何処からともなくカウントダウン声が起こり始めました。コスモクロックが12時を指した瞬間、湧き上がる歓声、一斉に鳴る船の汽笛、2箇所から続けざまに打ち上げられる花火。
 あっけなく、でも劇的に21世紀は始まりました。そして、私達は余韻覚めやらぬ横浜を後にして山梨へ向かうのでした。
 山梨へ向かう道中、誠に申し訳無いんですが記憶が無いんです。Maya(ノートパソコン)をしっかり抱えてMP3をかけながら落ちていたんです。ごめん「N」君、いつかツケは払います。
 6時前「N」君の実家到着、一番初日の出が見やすい場所だと案内されたのが・・・屋根の上!2階の窓から屋根の上に這い出し初日の出を待ちます。確かにその場所は良い場所でした、遮蔽物は無く富士山と御来光が一望できます。そして21世紀の初日の出は快晴の空に昇ってきました。普通の日の出と変わらないはずと分かっていても何故か一味違います。感慨に耽っていると犬の散歩から帰ってきたおばさんが私達を見つけ新世紀早々呆れ返ってました。
 興奮覚めやらぬまま初詣へGO!武田神社へと向かいます。参拝を済ませおみくじを引くと見事大吉!今世紀は良いこと有りそうです。
 ここまではお正月気分を満喫してましたが、ここから何か間違ってしまったようです。気がつくと私は何故か健康ランドに居ました。実は私健康ランドって来たこと無かったんです、新世紀早々健康ランドデビューです。
 そこは実に不思議な空間でした。元旦だと言うのにみんな同じ南国柄の服を着て宴会やってます。とりあえず何種類も有るお風呂を梯子して、この慌しい世紀越えの疲れを抜きます。その後「N」君と一緒に休憩室へ、ちょこっと休むつもりが3時間も寝てしまいました。疲れていたようです。結局夕方まで過ごしてしまいました、健康ランド恐るべし!
 その後、「N」君はゴルフの練習に「F」君と私は家路へと向かったのでした。慌しかったけど充実した世紀越えでした。お疲れ様でした。

慌ただしい世紀越え
(カウントダウンへ)
(2001/2/27)
 今夜のメインディッシュは「T」君が福島で手に入れてきてくれた「マグロブロック」と「たら丸ごと一匹」。さすが「T」君ナイスチョイス!やっぱりここへ来たらお魚ですよね。先ずはお刺身で宴会スタート。美味しいです、20世紀を締める宴会にふさわしい味です。そこへたら鍋登場、至福の瞬間です。食事が一段落した頃「N」君が「K」君連れて横浜を出ると連絡が有りました。これで今回の旅行のメンバーが全員終結することになります。二人が来るまで、ちょっと休憩。
 日付が変わった頃に二人が合流しました。人数も揃った所で宴会第2部スタート、まずは二人に腹ごしらえをしてもらいます。その後何故か又ゲーム大会になってしまったのは未だに不明です。前半はしゃぎ過ぎた私はすぐに落ちてしまいましたが、午前3時ごろ起きた時に見たのは一人もくもくと格闘ゲーム続ける「N」君の姿でした・・・あれは幻だったのかもしれません、いやきっとそうです。
 翌朝と言うより翌昼、ごそごそ起きだしお約束の朝風呂へ、血圧上げて、さぁ今日も遊びましょう!でも、「T」君と「ユッケ」は東京経由福島行き、「O」君は横浜の友人に会いに行くと言うことで昼過ぎには旅立って行きました。残った4人で何しよう?先ずは昼食かねて相談するために「N」君の言うところの「こじゃれたオープンカフェ」へ行きます。のーんびりと遅めの昼食取りながら話し合いをした結果、20世紀最後の海を見に行くことに決定!城ヶ崎海岸へ向かいます。
 お約束のつり橋で軽い恐怖体験をして、岸壁で遊んで、海をボーっと見ていると夕闇が近づいてきました。さて帰ろうかと思っていると「F」君が遊歩道を見つけて行こうと言い出しました。はっきり言いて街灯も無い林の中へ続く道、抜けるのにどれ位かかるかもわかりません。思いっきり気が進みませんでしたが結局行くことに。
 林に入って直ぐ嫌な予感は的中、当然ですが外より薄暗い。でもここまで来たら引き返せません、完全に闇に覆われる前にゴールしなくては、焦る気持ちが歩く速さに反映されます。途中の開けた場所に着いて、みんなが景色に見入っていても気が気じゃ有りません。この先どれ位道が続くのかわからないし、夕闇は迫ってくる。街灯が見えた時本当にほっとしました。
 これで一安心と思ったら意外な落ちが、当然のことなんですが駐車場に戻らなくては帰れないんです。さすがに真っ暗な林は避けて舗装道路を進みますが、これが結構距離があるんですよね。車についたらもう疲れきっちゃいました。
 このお陰かどうかわかりませんが、この晩私はあっさりと落ちてしまいました。そして20世紀最後の日を迎えました。
 20世紀最後の朝寝坊をして昼過ぎに帰路に着きました。そしてカウントダウンを横浜でするため「F」君の自宅へ向かいました。
つづく

慌ただしい世紀越え
(嵐の前の静けさ?)
(2001/2/18)
 昼過ぎに合流する予定の「O」君から連絡を受ける為、朝の7時に無理やり意識を現実世界に引き戻します。朝の温泉を準備している最中に連絡が有りました。昼ごろ熱海に着くので迎えに着て欲しいとの事でした。しかし、夕べ極度の睡眠不足で落ちている「F」、帰省ラッシュの始まった道路、この2点から迎えに行くのはかなりきついと判断し、嫌がる彼に熱川まで電車に来るように指示をしてお風呂に入りました。朝風呂はやっぱり良いですねぇ、休日気分を満喫させてくれます。
 気持ち良く二度寝を満喫していると、福島から「T」君と「ユッケ」が合流しました。後は「O」君が来れば本日のスタメンが揃います。しかし何時までたっても連絡が有りません。痺れを切らして彼の携帯に電話すると、熱海でレンタカー借りて、箱根に居ると言うではありませんか!私の記憶が確かなら箱根は熱海の北側で熱川は南側のはず・・・何が起きたんですか!結局真意は不明のまま彼は横浜の友人の家に行くといって電話を切りました。
 終わった事を気にしても良い事は有りませんので4人で遊びに出発!ちょうど「T」君の愛車「トッポッポ」が4人乗れるので1台で移動、「猫の王国」を目指します。そこは100匹近くの猫が大小の部屋に居たり館内に放されたりしている不思議な空間でした。先ずは館内へ、消毒薬と猫の匂いが混じった癖の有る空気の中2階へ進むと3匹ほど散歩をしていたので一匹を抱きかかえてみました。人に慣れていると言うか、人を舐めていると言うか、抱き抱えるとスルスルと首の後ろによじ登り、そこに落ち着いてしまいました。おまけに後ろから尻尾を私の首に巻きつけるものですから、まさに猫のマフラー状態です。ちょっと重かったですけど暖かくて毛がふさふさして気持ちが良かったです。結局館内に20分くらい居ましたが「T」君に剥がしてもらうまでずっとのってました。その後外のケージ移動、そこの中には毛の長い種類の猫が10匹以上居るのですが、ここが又凄い!地面に居る猫を触ろうとしゃがんでいると背中に飛び乗ってくるんです。「ユッケ」いたっては2匹が乗るだけでなく背中で喧嘩までする始末。これはこれで面白かったのでOKとします。
 さて次は「猫の博物館」へ向かいます。別に最初から猫尽くしを考えていた訳ではないんですけど、何となくこうなってしまいました。こちらは「王国」とは対照的に「博物館」らしく少量多種の猫がいます。手入れも掃除も行き届いていてデートに使うならこっちの方がお勧めです。ここで私達の中で一番人気になったのが「マンチカン」と言う種類の猫でした。一言で言うなら「猫のダックスフンド」小柄で手足が普通の猫より短いんです、これが犯罪的に可愛かった。(思わず欲しくなってワイヤードで値段を調べて見ましたが・・・ちょっちねって感じでした)
 さて、後は帰って楽しい宴会です。しかし帰りの車で話題になったのは「O」君の事、せっかく広島から遠路はるばる着てくれたのに何で箱根へ?色々な意見が出たんですが、その時の結論は「熱海まで迎えに行くと言ったのに土壇場で翻された事に怒った」でした。そこで「F」君が携帯に電話をかけ、熱海まで迎えに行くと説得を試みました。その結果合流決定!
 宿に着くと「F」君は赤い2シーターを駆って熱海へGO!「T」君は福島から買ってきたお魚の解体を始めます。9時過ぎに「F]君が帰ってきました。「O」君はかなり強烈な旅の思い出ができたようです、悪夢にうなされるくらい。だから電車でおいでって言ったのに。こうして宴会はスタートしました。
つづく

慌ただしい世紀越え(2001/1/8)
 20世紀の世紀末最後の宴会をやろうと今年も伊豆へ行って来ました。結論から言うと今回の旅のテーマは「強行」ってとこでしたね。
 初日、この夜出発するのは「F」と私だけ、緑園都市で合流し深夜のドライブと大忘年会?のスタートです。行きは楽して助手席で寝てようかともくろんでいたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。後に半分の距離を共にした「O」くん曰く「握ってた貝柱(乾燥品)が元の貝柱に戻った」だそうです。おかげさまでかなり早く宿に到着できました。
 そして、明日のために早寝をしようとしていると横で「F」君が怪しい作業を・・・いきなりゲーム大会。気づけば午前4時です、そろそろこのパターンを改善しなくてはいけませんと誓った夜明けでした。
 つづく 

See You 2−2(街へ)
街歩き
(2000/11/30)
 悪夢から目覚め、遅い朝食の後、何処へ行こうか?で、何となく松本へ行くことに。
 んで、イタ飯屋さんで5人のお客が5種類しかないランチメニューを全種頼むという作る側には大変嫌な客を演じつつ昼食を食します。その後「テツ」が仕事のお客さんの所へ打ち合わせに行くというのでゾロゾロと着いて行くことにしました。そこはお茶と帽子の専門店という少し変わったお店でした。彼がお仕事の話をしてる最中、お店を物色して回ります(やな団体です)。結局お茶とお菓子はご馳走になるわ長々と店に居座るは散々迷惑をかけ打ち合わせの残ってる「テツ」を残し私達は松本の街に繰り出しました。
 松本城をぶらつき、ここから先は有料って所でUターン、ベンチ休憩すると4人中3人がいきなり携帯やPDAを取り出すのは、やっぱり怪しい団体です。そして本格的に街歩きに出発です。気の向いた方へ目的もなくフラフラと歩いていくのは面白い発見が多く、実に下らないことでも楽しくなります。団子を買って歩きながら食べ、よくわからないお店を冷やかします。そんな中「コロ助」が見つけた古道具屋へ吸い込まれてなかなか出てきません、仕方がないので私が呼びに行くと私も吸い込まれちゃいました。
 そこで見つけた卓上時計に魅入られてしまいました。機械式の時計の両面を半球のガラスで覆った物で年代物って訳では有りませんが妙に気に入ってしまいました。8割方買う気で値段を聞きます、ちょっち高い、値切ってみます、ちょっとしか下がりません・・・断念。あぶく銭が入ったら買いに来ることを誓いつつその場を去りました。
 その後はお約束の温泉へ!さっぱりした所で夕食へ、「宗ちゃん」の希望を採用し食べ放題の焼き肉屋さんへGO!苦しくなるまで食べました。
 宿へ帰ると・・・何故かゲーム大会リターンズ!午前4時までやることになるとは、やっぱりバカです。
 翌日は春の旅行のリベンジがテーマとなりました。先ずはお蕎麦屋さん、行くと何と又蕎麦が切れたと申します、できすぎです。でも、今回の私達はひと味違います。「んじゃ、出来るまで待ちます」と庭のテーブルで精算しながら30分潰し、無事蕎麦をゲットしました。半年待った甲斐のある美味い蕎麦でした。さい先良く?スタートしたリベンジ旅は蚕(品切れ)と蜂の子と続き鯉丼へと向かいます。
 今回はご飯がなければコンビニで買って持ち込む覚悟で店へと向かいます。お店に到着いよいよ食べられる・・・「本日休業」。やられました。
 こうして、今回の旅も鯉丼を食すことなく終わってゆくのでした。今度こそ!

See You 2−1(山へ)
眠れぬ夜の悪夢
(2000/11/13)
 宿に着いたら一服して夕食へ出発します。メンバーは5人車2台は地球に優しくないので「テツ」ワゴンで出発することに。その時ふと目に付いたのが結構隙間の多いカーゴスペース・・・疲れていたんですね。表面に出てきたハタ坊の希望で何故か私はカーゴスペースに乗ることになりました。始めは道路の事情もあり結構大変でしたが、舗装路に出るとチェーンケース枕にぐっすりと寝てました・・・恐るべし私の体質。次に目覚めたのは目的地へ到着した時でした。そこは落ち着いた感じのお蕎麦やさん。ここが雰囲気も良くて蕎麦も美味しくて最高でした。是非もう一度行きたいと思いますが寝てたので道は全然わかりませんでした。
 その後はコンビニで買い出しをして別荘で宴会をやることに、そのコンビニで噂のチョコエッグを探したんですがないのでキンダーサプライズを買う私。次のコンビニには何故か山積みのチョコエッグが・・・買うしかないでしょ。帰り道で1個試食・・・甘すぎる!歯が痛くなるような甘さでした。おまけは結構できが良く、集めたくなる衝動に駆られましたが私には甘すぎて食べられません。断念するしか有りませんでした。
 戻って宴会スタートと思ったら何故かゲーム大会が始まっちゃいました、何でなんでしょう?そんな中疲れていた私は11時頃早々と落ちて行きました。しかし、問題はその後、ブラックな夢は見ないことにしている私が夢の中でシリアルキラーになって5体の死体処理に悩んでる所で目が覚めました。こんなの初めてです。良くないことの前兆かとも思いましたが調べていくうちに意外な事実が、私が寝た後でゲームが格闘物からバイオハザードへと変わっていたのです。そりゃ悪夢も見ますよ、直ぐ横で呻き声と銃声とが溢れていたんですから。
 つづく

See You 2(山へ)(2000/10/23)
 今年から設定されたハッピーマンデー法、せっかくお上が作ってくれた3連休大事に使わなくては罰が当たります。そこで「コロ助」企画で信州へ行くことにしました。私の個人的なテーマは「新蕎麦と温泉と鯉丼リベンジ」です。
 例によって例のごとく金曜の夜出発、仕事を終えて家で支度をしているとチャイムが、時間は9時を回ってました。扉の向こうには住宅販売の営業マン・・・30分は無駄になりました。
 気を取り直して「F」の家に向け出発、電車の中で「F」から電話が・・・駅でホームに飛び降りて繋ぎ到着予定を伝えます。横浜で連絡しようとPHSを取り出すと、そこには「駅へ着いたら連絡下さい」とメッセージが・・・これがキャラメールって奴か始めてみました。トチローにやり方を聞いておかなきゃ。
 そして、深夜の大移動が始まりましたが、例によって直ぐに落ちてしまいました。気がつくと白樺湖?のほとりでした。ここで「テツ」との合流だそうです。暇を持てあました私はお向かいのゲームセンターへ、のUFOキャッチャーは悲惨でした。何とか景品を一つ取り面目はたもてましたが、腕が落ちてる・・・鍛えなきゃ!
 合流して、池の平ホテルで食事をしようとしましたが、時間が合わず他へ流れることに。「F」持参のガイドブックで「蕎麦とカレーの店」というちょっち怪しいお店を発見、速攻で決まりました。
 お店はログハウス風の小さなお店、みんながお蕎麦を頼む中、珍しい物は一度口にして後悔するのがポリシーのの推薦で一人カレーを頼む私・・・テーマからはずれてる!。でも、結構美味しかったからOKとします。その後店で出されたカップが気に入った「コロ助」の為に売ってもらえないか交渉するも玉砕、失意のまま温泉に向かいました。
 「千人温泉」の名を見た時さぞや広いんだろうなと想像したんですけど、実際は千人入ったら980人は圧死してしまいそうな大きさでした。特徴としては浴槽が1m位の深さがあり、底に丸石が敷き詰めてあるんです。どうやら中で歩き回って足ツボ健康法を実践できるようです。
 その後は宿へチェックインして夜の部へ突入するのでした。
 つづく

See You (海へ)(2000/8/11)
 毎年言っていることではありますが、「一年に一度はお風呂以外の水に浸かる」のが私のルールなんです。
 と言うことで今年も海に行って来ました。場所は去年哀しい思いでしか作れなかった葉山は一色海岸です。
 午前4時に起床、始発に飛び乗り「緑園都市」へ向かいます。駅で焼きたてのパンを食べながら「組長」「トモちゃん」と合流。「F」の家を襲撃します。彼のお父さんに見送られながら「コロ助」を拾いに向かいます。家の前で「トモちゃん」 に電話をかけさせ、その虚をついてインターホンを押し驚かす計画でした。ピンポーン・・・・誰も出ない?寂しくなって車に戻ると、こっちの計画はバレバレだったようで、「トモちゃん」の電話の向こうではチャイムが鳴ると同時に「それ友達だから出なくていい」と母親に叫ぶ「コロ助」が居たそうです。これだから腐れ縁って奴は・・・。
 気を取り直して海へGO!高速使って1時間ちょいで到着、去年やたらフランクなお兄さんが居た駐車場へ今年も行くと、去年の人ではありませんが相変わらず陽気なお兄さんが営業してました。この駐車場はお勧めです。お屋敷の間を抜ける細い小道を曲がるとその先には夢にまで見た青い水面が、この海岸はこの瞬間風景がたまらなく良いなと思う瞬間です。ミュウはアルファを連れてこようとするんですが、精密機械をこんな悪劣な環境に持ってくるのはトチローが許してはくれません。
 浜辺につくと去年と全く同じ場所で同じ海の家の同じおばちゃんに捕まりました。「去年も来たでしょ」という一流の営業ト−クに騙された私達は、今年もお世話になることになりました。割引してくれたから良しとしましょう。
 サンスクリーンを塗りまくり、ナイロンのTシャツを着たら海へレッツゴー!1年ぶり、しかも去年は天候その他いつも最悪でしたから実質2年ぶりの海はやっぱり最高です。透明度も去年の30cmとは大違い2m以上有ります。来て良かった。
 1時間ほど泳ぎ倒し、浜で休憩にはいると「組長」が仙台土産の牛タンのスモークを出してくれました。これが又美味いんだ、思わず「トモちゃん」にビールを買ってくるよう指令を出してしまうほどでした。
 一缶空けて、一服しアルコールを抜いてから第2ラウンド開始。水中メガネと浮き輪を片手に遊泳区域の端まで泳いでゆきます。そこで素潜りの様な事を開始、水中を楽しんでました。しかしこの時浜では予想外のことが起きていたのです。メンバーが居るパラソルの前でライフセーバーの二人が「おい、アレ溺れてるのか?」「どれどれ」みたいな会話をし始めたらしいのです。話題対象人物はどうやら私だったようです。その後、彼等は監視塔へ連絡。「なんでも無い、ちょっと潜ってるだけだよ。」と連絡うけ私の救助は無事回避されました。無様に潜っていたとは思いますが、まさか溺れているように見えていたとは・・・ちょっち反省。
 夕方から用事があるメンバーが居たので1時頃には浜を後にしました。その後カレー屋さんでカレーと酒を頂いて帰路につきました。
 この帰路でドライバー以外全員爆睡していたのは言うまでもありません。ごめんよ「F」、反省してます。

休暇万歳!(2000/7/17)
 爬虫類を思いっきり堪能して、狼さんを眺めながら遠吠えをしていると「U1」から電話が来ました。もうじき着くとのことです。
 動物園の出口合流、取りあえずファミレスで茶をしばきつつ予定を話し合います。しかし優柔不断な私達結局何も決まらず、結局新しくなった駅が見たいという「U1」の意見で名古屋駅方面へ移動。駅前の駐車場に車を止め駅ビルへ。名古屋まで来て何でか判りませんが「東急ハンズ」を冷やかします?
 日も暮れた所で名古屋名産「みそかつ」を食しに「T」と言う店に、店は結構空いているのにテーブルは向かい合わせではなく並んで座れとの指示。何で!?おかげで後から来たカップルと向かい合わせでの食事に居心地悪いったらありゃしません。店の回転を上げる為とはいえ、ちょっちねって感じです。
 その後「U1」のリクエストで迷子になりながら名古屋港へ向かいます。時間は10時私には宵の口です。所が着いたとほぼ同時に橋のライトアップは消えてしまいました。・・・ちょっち早くないですか?
 仕方がないので一社へ戻り「N」君と合流します。仕事場からスーツ&社用車で駆けつけた彼、食事はお互い済んでいたのでいきなりカラオケボックスへ。歌っていてふと気づいた事が一つ。昨日の夜と曲がほとんど同じだー!遠く離れていても結局類友なんだと思い知らされた瞬間でした。午前2時まで歌い続け、翌日仕事の「U1」は岐阜へと帰って行きました。私は「N」君の部屋に。着く前に彼から注意事項が一つ「変なの(男)が居るけど気にしないで」。いつの間に同棲なんて始めたの!しかも男と!いろんな形の愛が存在するのは否定しないが君が男に走るとは・・・。と言う冗談は置いといて。会社の後輩が転がり込んでる部屋に無事到着、たわいもない話をしつつ眠りにつきました。
 翌日は9時頃起床、「N」君が下呂温泉に行ってみたいと言うので行くことにしました。月曜日の中央道は空いているし、天気はピーカン滅茶苦茶気持ちが良かったです。途中怪しげなドライブインで休憩を取りつつ下呂温泉へ到着。
 さてここで問題、二人とも始めてきた場所で観光ガイドも持ってない。何処の温泉が日帰りをやってるか判らない・・・・。ふと見ると、ちょっと先に観光案内所の看板が、ついてます。立ち寄り湯をやってる温泉を紹介してもらい、ついでに割引券まで貰って、いざ温泉へ。
 河原に面したそこの温泉は広くはありませんが打たせ湯なんかもある露天風呂、時間も早かったので貸し切り状態でした。やっぱ朝風呂は良いですね。その後は付属の喫茶店でスパゲッティと怪しいデザ−トを食し、名古屋へと帰りました。
 たまには平日の休みってのも悪くないですね!

歩け、歩け!(2000/7/5)
 ちょっと古い話ですが。5月の末突然休みを取ることになり、せっかくなので月曜日に休んで名古屋の「N」君に会いに行くことにしました。
 ちょうど土曜日は「おかもち君」の壮行会が横浜で開かれる事になっていたので、横浜から深夜バスで行く予定でした。
 所が2次会でこの宴会のためだけに浜松から上京した「O」さんも泊まるあてがないので夜行電車で帰るとのこと。それじゃ途中まで一緒に行きますかと言うことで12時過ぎに出発するムーンライトながらに乗車、真っ暗闇へと旅立ちました。
 明日もあることだし直ぐに寝ようと思っている所へ「O」さんが一冊の本を差し出します。「リング」と書かれた最近流行のホラー小説です、せっかくの親切むげにするわけにも行かず、ありがたく読み始めます。すると予定通り活字フリークミュウが音を立ててはまりました。おかげで向かいの席で眠っている「O」さんには目もくれず読みふけります。浜松に到着した時、400ページ中残りは10ページでした。この中途半端な所で巻き上げるのを哀れに思った「O」さん次の時まで貸してあげるよと言ってくれました、感謝!(でも次っていつだろう?)。おかげさまで一睡もすることもなく無事早朝の名古屋に到着しました。
 この時直ぐに「N」君の部屋へ転がり込まなかったのが失敗の始まりです。前日の東京は雨が降りしきる肌寒い日でした。私は長い傘にマウンテンパーカーという秋口のようなカッコをしていたんです。その日の名古屋は雨上がりのいい天気で早朝だというのにかなり温かい旅行日和でした。おかげで傘を持って歩く姿が間抜けなことと言ったら・・・。
 行くあてもないのでコンビニでガイドブックを調達、今日の行く先を検討します。するとトチローが名古屋の秋葉原「大須」へ行こうと言い出します。大須の感想は「日曜の朝8時に営業している電気屋はない」。せっかくたどり着いたのに・・・。
 次の目的地の選択に入ります。ガイドブックを何気なく見ていると「コアラ」の写真が、そう言えばまだ見たこと無いな。東山動物園に決定、開園まで時間があるので歩いていくことにします(大失敗)。地図で見ると近いんですけど実際には12km以上有るんですよね。途中で地下鉄に切り替えれば良かったのですが、前半はナチュラルハイな状態の性、後半はここで地下鉄に乗ったら負けだ!(何に負けるかは未だに不明)。途中で狂気に駆られること数回、泣きそうになる事少々、4時間近くかかり着いた頃にはもうグッタリ。なんだかなー。
 気を取り直してコアラを見に行きます。所がコアラ君達は部屋の奥の方の木の上でお休み中小さな毛玉にしか見えません。そう言えば子供の頃初めてパンダを見に行った時も遠くにいて、おまけにガラスの乱反射のせいで、あそこら辺がパンダだろうとしか見られなかった哀しい過去が蘇ってきました。しかし、私にはガイドブックで仕入れた極秘情報が有ったのです。それは午後3時が彼等の餌の時間だと言うことです。と言うわけで小1時間程道端に座り込んでお昼寝に突入、途中で血迷ったお子様の体当たりで起こされますが、しっかり2度寝して気分爽快でコアラ見物のリターンマッチへ向かいます。
 極秘情報が何処かから漏れたらしく、かなりの人だかり。でもこの程度ひるんではお子様の頃のトラウマは解消できません。じりじりと前進み最前列までたどり着きました。張り紙によるとお腹の袋に子供がいて頭だけでも見ることができたらラッキー、全身見られたら超ラッキーだそうな。餌場にやってきたお母さん新しいユーカリの葉中にすっぽりと隠れて見えなくなりました。諦めずに見ていると隙間からお腹から顔を出してる子供が見えました、ラッキー。その後何を思ったかコアラ母さん子供を葉っぱの中に隠し?離れて行きました。ひょっとするとと思いじっと見ていると出てきました!まさに動くぬいぐるみ!思わず漏れる大歓声!名古屋まで来たかいがありました。
 次はがらりと趣向を変えて爬虫類館へ。着くと直ぐに悲鳴と人だかりが何が起きたのかと近づいてみると、何とそこには体長1.5m位のアナコンダが!他にもトカゲやカラフルな小さな蛇が・・・。ちょうど触れあいコーナーが開園したところのようでした。昔、蛇はさわり心地が良いと聞いたことは有りましたが、流石に触る事は有りませんでした。これはチャンスとばかり恐る恐る手を伸ばして触ってみます。ほんとすべすべサラサラして気持ちが良い!そして少し大胆に握ってみます。少しヒンヤリしていて弾力があってこれがまた良い!流石に飼ってみたいとは思いませんが。
 そんなこんなで充実した時間を過ごしました。つづく

なんてったってゴールデンウィーク3(すれ違い)(2000/6/1)
 懐古園はちょうど桜祭りの真っ最中、3人でぶらぶらと散策。喉が渇いたので茶店で何故か日本酒を飲んでいる所へ寝てた二人からこっちへ向かっていると連絡があり、15分ほどで合流しました。歩き回って酒が抜けた頃に「TE2」へ合流しないかと誘いの電話をかけますが生憎彼は同窓会で長野市へ行くと言うことで明朝合流となりました。
 小腹が空いたので信州蕎麦を食べるために移動開始、ちょっと迷子になりながらもお店に到着。しかし、お店は午後3時に既に閉まっていました。ジーザス!
 仕方がないので宿へ向かう途中の怪しげな蕎麦屋に入りました。そこで、店の名前が付いた品物を注文、所がこれが思いっきりはずれ!ちょっち後悔です。
 気を取り直し、買い出しをして宿屋へレッツゴー。夕闇迫る頃宿に到着、早速料理をスタート。所がその脇でいきなり濃紺の青い筐体を取り出す「F」、そしてゲーム大会が・・・始まってしまいました。
 そんなこんなで夜も更けて、疲れたみんなは日付が変わる頃にはばたばたと落ちて行きました。
 翌朝、6時に目を覚ました私は休日の特権2度寝に突入。7時に目を覚ました「F」はPS2開始。8時に「U1」を除いて活動開始、9時ちょい前朝食スタートと同時に「TE2」が近所に来たとの連絡。オーマイブッダ!仕方がないので彼には牧場見物をしていてもらい、慌てて食事と片づけをして出発。10時過ぎに合流し、そのまま浅間牧場を散策します。ちなみにここに来たら新鮮な牛乳を一気飲みするのがルールです。今回は飲んでる最中にちょっと笑わされてしまい鼻から牛乳を出すことになったのはご愛敬でした。
 その後ドライブを楽しみ、昨日閉まってた蕎麦屋に再チャレンジ。しかし、ちょうど蕎麦が品切れで30分待ちと言われてしまいました。仕方がないので「TE2」の知り合いが働いてるお店に移動。やっとまともな蕎麦にありつけるはずでした。
 各自適宜注文、蕎麦好きの私はもり蕎麦を2枚頼みました。10分後にあんな事になるとはこの時誰も想像だにしていませんでした。
 テーブルの上に置かれた蕎麦は量がとっても多かったのです。店員さんは去り際に「サービスで中盛りになっています。」と一言。
 中盛り*2=(1.5*普通盛り)*2=普通盛り*3
 3人前はかなりの量です。しかし、人の親切を踏みにじるなんてできません。まして、自分が注文した物は残さず食すのが私のポリシー。悲壮な決意を秘めつつも「いただきまーす。」
 みんなが談笑しながら食す横で、黙々と一人食します。気を抜いたら絶対食べきれない、そんな強迫観念のもと流し込みます。おかげで美味しいが苦しいになる直前に完食できました。この後2週間麺類を食しなかったのは言うまでもありません。
 その後、買い物と食休みをとってから本日の温泉へ。広い湯船で手足を伸ばして溶けていると某国連職員の「風呂は命の洗濯よ!」と言うセリフが身に浸みました。
 お風呂の後は当然ご飯です。「TE2」お勧めの「鯉丼」を食す為佐久へと移動します。お店の様子を見に行った「TE2」の報告によると「ご飯が無くなったので30分待ちです。」・・・どっかで見たシーンです、昼間の蕎麦屋と全く同じじゃないですか!なんてついてない。仕方ないので街道沿いの和食屋で何となく食事をして解散となりました。
 次回は絶対両方とも食べて見せます。

なんてったってゴールデンウィーク2(2000/5/25)
 早朝、小諸の町はずれのコンビニへ到着。「体育会系のタフ」を有する「F」も流石にお疲れ気味です。私は「U1」と二人でガイドブックを読みあさり行き先を探します。「TE2」との合流は午後なので時間はたっぷり有りますが、体力は限界です(私を除く)。そこで朝から営業している温泉へ行って疲れを抜くことにします。立ち読みした本によると「布引観音温泉」が9時から営業予定、早速出発。
 何とか「布引観音」へ到着。しかし、辺りを見回しても温泉らしき物が見あたりません。参道を登った先かもしれないと言うことで「F」をお留守番に残し出発。5分もしないで登り始めた事を後悔し始めました。参道と言うにはあまりにもラフできつい坂道で、一晩かけて貯めたなけなしの体力を容赦なく削ってゆきます。ゼーハー言いながら山頂へ到着、温泉を探しますが当然無い。おまけに何故か境内の隅に自動車を発見、車で来られるのかい!
 まぁ、車は見なかったことにして参拝をします。次に清水寺のような舞台を回り山をくり抜いたようなトンネルをくぐりその奥へと進みます(このトンネルに頭をぶつけた人が居ましたが名前は伏せておきましょう)、そこからは小諸の町が一望できる場所がありました。その場所より上にも何かありそうでしたが、かなり急な岩場のためサンダル履きの「Mちゃん」には上れそうにもありませんでしたので下山することになりました。
 ふもとに降ると「U1」が食堂のおばちゃんに聞き込みに向かい「あぐりの湯」と言う場所を紹介してもらい早速移動します。真新しい温泉に到着、10時の開店まで仮眠を取ることに、天気が良かったので私は車を降りて芝生の中の東屋で眠りました。開店と同時に入場し速攻で何故か食堂へ向かいます。空腹が収まったところで温泉へGO。露天風呂も広くてなかなか良い温泉でした。

 その後は動物愛護センターでシベリアンハスキーをグリグリして、すやすや眠っている「F」と「Mちゃん」をおいてきぼりにして、今回のメインの一つ懐古園へと向かいました。
 続く

なんてったってゴールデンウィーク1(2000/5/10)
 ゴールデンウィークを何もせずにダラダラ過ごすのは、それはそれで面白いかもしれないけど、私の中に流れるジプシー(?)の血はそれを許してはくれません。と言うわけで、今年も無謀なツアーに参加してきました。
 今回のツアーは、3日の夜に出発するまでがとてもハードでした。1、2日はサービス休日出勤。2日の夜は午前2時過ぎまで「P」君、「M」さんと飲んで、3日の朝4時に帰宅。6時過ぎに電話で起こされ秩父まで巡礼の旅。夜の9時に帰ってきてシャワーを浴びて直ぐに「緑園都市」に向かい到着したのが夜の10時半を過ぎていたと思います。
 合流していきなり「今日は2時間しか寝てないから移動中は爆睡します。」と無茶な宣言をさせていただき、旅は始まりました。
 公約通り睡眠につきますが、気づくと何故か古本屋さんにいます。状況は良く飲み込めませんでしたが取りあえず店の中を徘徊します。そして不思議なことに出発する私の手には15冊もの漫画が・・・。教訓:睡眠不足の時は古本屋さんに行ってはいけません。
 この後は順調に下道を長野方面へと向かっていたらしいです。次に気がついたのは諏訪湖のそばのコンビニでした。そこで岐阜からやってくる「U1」と奇跡的に合流し、再び出発。次に意識が戻ったのは目の前に雲海が広がる朝の峠でした。いやー早起きは3文の得ですね。(他のメンバーは徹夜でした。)
 仮眠を取ろうとする「F」を無理矢理焚き付けて小諸市内へと向かいました。
 続く。


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