……






 その日、地球で何度目かの雪の日。
 正式にプリベンターのメンバーとなって1年、ヒイロは、雪の中、いつもより急いで地球での住居となっている、アパートへの道を歩いていた。
 そんな中、後ろから掛けられる、声。
 つい先程、本部で別れを告げたばかりの声が、自分の名前を繰り返す。


 「ヒイロ…おい、ヒイロ…ったく、さっきから声をかけてたのに、全然聞いてないだろ、お前。」

 文句をいいながら近づいてくるのは、自分と同じ元ガンダムパイロットであるデュオ・マックスウェル。彼も又、現在はヒイロと同じく地球でプリベンターの仕事をしていた。

 特に聞いてやらなくても良さそうな文句をぶつぶつというデュオを、ヒイロは黙って足を止めたまま待つ事にする。
 引き止めたわりには下を向いて、急いでいるように見えたには走るわけでもなく、デュオがこちらへ近づいてくるのをただ観察するように見て。
 やっとの事でヒイロに並んだ時には、そんなに自分を追いかけるのが大変だったのだろうか、デュオは軽く息を弾ませていた。

 随分とナマったようだ。

 そう考えて、自然とその様子に顔を顰めると、気付いたのかムキになって彼は返してきた。

 「あのなー、俺の靴は滑るんだよ。」

 いわれてみれば、確かに彼は革靴で、なるほどとこれはしかたないかと、ヒイロも表情を変えてやる。
 そしてすぐに、

 「何の用だ。」
 
 聞き返した声に、デュオはピタリとおしゃべりを止めた。
 それから、ほんの数秒の間をあけて、彼はゆっくりと顔を上げると、真っ直ぐに自分を見つめ、にこりとキレイに微笑んだ。

 「ヒイロ、お別れをいいに来たんだ。」

 そんな事をいう彼の声はあまりにもいつも通りで。
 だから、ヒイロには彼がいう別れの意味が分からなかった。

 「お前の別れの言葉なら、さっき聞いたばかりだ。」

 聞いたデュオは大仰に肩を竦めると、また楽しげに笑みを顔に貼り付かせる。
 その顔に、何故か、ふと沸きあがる…これは不安感。…一体何が?

 「違うよ。あれはいつもの帰りのあいさつだろ。今いいに来たのは、”おつかれさん”でも”また明日”でもない、お別れのあいさつ。…さようならを言いに来たんだ、ヒイロ。」
 
 そういって、彼はまた笑顔を纏う。
 一瞬、その言葉を聞いた途端に感じたのは、何の感情だっただろう。
 だけれど、確かに、デュオがいった言葉は自分の感情を大きく揺さぶり…気がつけば自分は怒っていたのだと思う。

 「どういう事だ。」

 返した言葉に、デュオは笑みを少しだけ曇らせて、首を傾げた。
 そんな仕草の一つ一つが、妙に気に障る。

 「んーとな、俺、実は今度火星に行くんだ。」

 けれどそう返す時には、デュオの笑みは元に戻って、声にも戸惑い一つ感じられるものはなかった。

 「テラフォーミング計画、火星を人の住めるとこにしようってアレさ。去年から申し込んでてやっと審査をパスしたんだ。…実はプリベンターの仕事も最初からコレが決まるまでって話だったからさ。」

 嬉しそうに言う彼のそんな姿に憎しみさえ覚える。…そして同時に、冷静な心の声はそんな自分に疑問を投げる。…何故、こんなに、今、自分は怒っているのだろう。

 「…何故、今まで黙っていた。」
 「何故って…」

 何かを言い掛けたデュオは、急に口を閉ざした。
 瞳に張り付かせた笑みを消して、じっと自分を見つめかえす。
 それから答える。
 ゆっくり、ゆっくり。
 辿るように紡がれる声は、あくまでもいつも通り明るくて。
 けれど、その瞳はけして笑ってはいなかった。

 「だって、ヒイロ。そんな事お前にいう必要なんかないだろ?…お前にとっては、そんな事どうでもいい事だろ?」

 答えを返せずヒイロは黙る。
 だたキツイ視線だけを彼に投げて、言葉のない批難を送る。自分でさえ分からない理由で彼を責める。
 その瞳に、デュオは再び微笑み掛けた。…にっこりと、嬉しそうに。そして…

 「…なぁヒイロ、お前にとっての俺は何?」

 唐突に笑顔で尋ねられる言葉。穏やかな声。暫くその顔を見返しても、完璧に笑みを纏ったデュオの表情から意図は読み取れない。
 だから、素直に考える。自分の中の、感じるままの答えを探して。
 だけど、考えて、言葉に出来ない感覚に、ヒイロは黙ってデュオを見つめる事しかできなかった。仕方なく、理論で割り切れる部分だけを整理すれば、出てきた答えは

 「…仲間…だと…思っている。」

 言った言葉がすぐに頭の中で疑問に変わる。この感覚を果たしてそう表して良いのだろうか?…けれど、それ以上に思い付く言葉もやはりなくて。

 「あぁ、そうだな。…俺も仲間だと思ってる。」

 そういって、微笑んだデュオの表情はやけに印象的で。
 次第に白くなりだした辺りの風景に溶けこんだその顔は、何処か儚げな、不確かなものに見えた。

 「仲間…そうだよな。そう言えるようになっただけ、お前も進歩したんだよな。」

 言いながら、一歩、後ろへと下がるデュオ。
 笑っている。
 彼はまだ笑っている。
 …けれど、その瞳は何故か見ているのが苦しくて。…声を出す事もできなかった。

 行ってしまう…。
 頭に浮かんだ言葉はそれだけ。
 背を向けて走り出し、途中で止まって手を振る彼を、呆然と見送る事しかできなかった。


 消えた彼の姿を見て、我に返った時。
 ふと、感じる。寒いな、と。
 視界を横切る白い影。自分の吐く白い息にそれは姿を無くす。
 気付いて、顔を上げ、薄暗い空に目を細める。
 あぁ、そうだ。雪が降っているんだ…。


 だから、寒い。…当然だ、雪が降る日は寒いなんて事…。





 いくら現場勤務が基本のプリベンターでも、デスクワークがないわけではないし、そうそうこちらが出ないとならない程の事件がいつも休みなく起きているわけではない。
 だから当然、正式メンバーともなれば、本部に自分の机があるし、普段まず出勤してくれば皆この部屋で顔を合せる。レディは別室だが、サリィ、ノイン、五飛、ヒイロ…そしてデュオ。皆が全員部屋にいる事は滅多になくても、ここに所属している限り、会える日もあるし、連絡だけならいつでも取れる。…そして、デュオと自分は現場での仕事も組まされる事が多い分…ここ1年は顔を見たことがない日はかなり少なかっただろう。

 けれど。
 デュオが別れを告げてきた次の日、部屋の彼がいるべき場所には、予想通りその姿はなかった。

 元からちょっとした私物さえ置いていない、デュオの机。いつも通り、一時的にいないだけの状態と、今は変わるところはないように見えるけれど。
 …何故、違う事がわかってしまうのだろう。

 「ヒイロ、来ていたなら丁度いいわ、こっちの資料を…」

 声を掛けられ、振り向いたヒイロに、サリィは言葉を止める。
 別に、何かの表情に驚いたワケでもなく、ただ、ヒイロの持つ雰囲気に声を掛けられなくなる。空気が動かない静けさだけを浮かべるヒイロの瞳に、…その無機質さに、サリィは瞬間縛られた。

 「サリィ、デュオは来ないのか?」

 次に問い返した声で、彼女はやっと思い出したかのように息をついた。
 そして、余りにも人形じみた彼の無表情に、暫く考えてから答えを返した。

 「えぇ、デュオは…。話を聞いていないの?」
 「いや、昨日あいつから直接聞いた。」
 「そう、だったら…。」
 「サリィ。」

 会話を中断するように、ヒイロはサリィに向き直ると、正面から彼女を見据える。
 瞳の無機質さはそのままで、確認するように、一語一語、区切りながら彼女に尋ねて来る。

 「火星にいくのだといっていた。…デュオが参加するプロジェクトの期間を知っているか?」

 それにサリィが返した答えは…。
 ────最初は3年、けれど本人が継続を希望すれば──
 もしかするとずっと…一生向こうにいるかもしれない。

 「そう…か。」

 その答えに、呟いたヒイロの言葉はたったそれだけ。…僅かに瞼を伏せて…その瞳の浮かべる影は誰にも見られる事はなかった。





 雪景色をした、街の中。
 歩道の所々に、雪かきで積み上げられた雪の小山が出来ている。
 滑らないように気を付けているから、下を向いて歩く人々が多い。
 寒さに体を丸めながら…その姿は滑稽で。
 彼らは急いでいる…こんな寒い日は早く暖かい家の中へ帰りたいから。
 
 ふと、足を止める。
 何故今、自分はこんなに急いで歩いているんだろう。

 サムイヒハ、ハヤクアタタカイヘヤヘカエリタイカラ…

 別にそんな理由ではない。これくらいの気温なら、少し帰りが遅れたところで体に異常を来す程ではないし、自分も耐えられないワケじゃない。
 …それに、今日だけじゃない。…自分はいつでも急いでいる。
 
 立ち止まったヒイロの横を、邪魔そうに避けて行く人々。
 皆何処かへ急いでいるのに、自分だけがそこに止まっていた。
 そう、止まっている。…自分が、理由もなく、意識して立ち止まったのは初めてかもしれない。
 何気なく振り返って、自分が今歩いてきた道を見つめて。
 思い出すのは、あの時。…戦いを終わらせる為、コロニーの為、目的の為に立ち止まる事を許されなかった日々。止まる事を知らなかったから、走る事しかできなかった。…走れない時は、その事が自分を酷く焦らせた。
 焦らせた…もどかしくて、苛立って、どうしようもなく苦しくて。

 けれど、そんな時…。

 そうだ、いつもそんな時でも、アイツは焦る事などなくて。
 目的へ向けて道が閉ざされても、前に歩こうとしていた。無駄に見えても足掻いていた。…全てに捨てられても、自分を見失わなかった。

 戦争が終わって、目的を無くし、自分を走らせようと煽っていた全ての要素が消えた時。…初めて自分が決めた目的の為だけに生きねばならなかった時…最初、自分は途方に暮れたのだ。何の為に生きて、何をして生活していくのかが分からなかった。自分が生きている意味を、自分で見つける事は出来なかった。

 結局、リリーナを護ろうとしたのも、前の目的の延長上、惰性に近い。…人から与えられた任務を新たに自分に課す事で、生きる意味を見つけたに過ぎなかった。

 …自分は変わらなかった…地球圏の平和維持として、彼女を護って戦った意味なんて、前となんら違いはなかったのだ。

 けれど、何故だろう。違いはない筈なのに、違っていた。
 同じ”平和維持”という目的の為働いていたのに、少なくとも、確かに、昨日までは違っていたのだ。

 一年…戦争が終わって、意味の見えない生活をして、マリーメイアの件で再びアイツと行動を共にしていた時…久しぶりに自分の行動の意味を実感できていた。…最初、それは戦士として戦いに身を晒す事への感覚だけだと思っていた…けれど、感情の何処かに別のひっかかりを感じていた。…なにかが違う、それだけでない何かがあるから。

 「プリベンターからのお誘い、お前どうする?」

 マリーメイアの事件に関する事後処理が済んで、惰性の日々に帰ろうとした自分に、デュオはそういって尋ねてきた。逆に彼自身がどうするのかを聞き返して、彼が申し出を受けると知った時、初めて自分の中に”プリベンターに入る”という選択肢が出来たのだ。

 自分の生きる為の望みを見つけたかった。どうすれば惰性の日々ではない、自分で決めた生活というのが出来るようになるのか、デュオを見ていれば分かるような気がして。

 …走るための道が無くても、前と変わりのない、彼の傍にいれば何かが分かるような気がして。

 だから自分もプリベンターに入った。そうして今までこうして時間は過ぎていたけれど…分かった、のだろうか、その意味を。
 …いや、分からない…けれど、昨日まではこんな事を考えなかった、戦争が終わった直後の1年は毎日のように考えていた、自分が今生きている意味を…、昨日、デュオから別れを告げられるまでは考えている暇も無かった。

 もしかしたら、それこそが…答え、なのかもしれない。



 止めていた足を動かし、ヒイロは再び歩き始めた。先程より、幾分かその歩みはゆっくりと。
 低い外気は、つんと澄んで、体に纏わり付いてくる。動かなかったせいで、体温が多少落ちている為か、寒さは益々体の芯まで襲って来る。
 けれど、違う。
 今こんなに寒いと感じるのは、きっと冷たい大気のせいだけじゃない。
 体に感じる寒さだけなら、こんなに辛いと思う事は有り得ない。
 寒くて、寒くて。
 こんなに周りにはたくさんの人が歩いているのに…。
 自分は、独りだけなんだという事実を噛み締める。

 きっとこれが…サミシイと、いう事なのだろう…

 ずっと、一人でいた筈なのに。
 ずっと、それまではこの寒さの中に居たのに。
 気づかない内は寒くなかった。他人の存在を真近に受け入れて、その暖かさを知らない内は、こんな寒さは知らなかった。
 けれど。
 いつのまにか、アイツが傍にいる事を、許してしまった自分がいたから。
 張り詰めた気を、緩めることを覚えてしまったから。



 遠い、喧騒。
 騒ぐ人々。
 真っ白な明かりが視界を満たし、その後はさまざまな色彩が目まぐるしく回って。

 静寂は訪れる。

 遠くで、耳障りな、音が、響いた。








 「おーいヒイロ、そろそろ起きろよ。」

 揺り動かされた感覚に、目を開く。
 そうすれば、「おはようさん」と声をかけるデュオの顔がすぐに視界へ入って来る。
 プリベンターに入ってから、彼と組んで仕事をするのは3回目…だろうか。
 現在の任務は、裏ルートからの密告によって知らされた、MSを作っているという工場のいくつかある候補、その中の一つの監視だった。…工場の傍にある廃棄ビルの一室に泊まり込み、こうして交代で休憩を取りながら監視を続ける。

 「ほら、食えよ。」

 そういって、起き上がったばかりの自分に、デュオが袋に入ったパンを投げて寄越した。
 それをこちらが受け取ると、今度は飲み物のパックを投げられる。

 「何か変わった事は?」
 「うんにゃ、別に。いかにも工場員っぽい奴等の出入りはたまにあるけど、特に怪しいといえるような事はなにも起こってないぜ。」

 いいながら、やけに嬉しそうに自分を見てくるから、不審に思う。
 だからにこにこと笑顔でこちらをみるその顔を睨みつける。

 「なんだ?」
 「…いやそのさ…。なんか、お前も変わったなーと思ってさー。初めてあった頃、ほらハワードのサルベージ船でさ、俺が何やってもお前何にも食わなかったし、寝ようとさえしなかっただろ?…それ考えると今は全然違うなと思ってさ。」

 デュオから受け取ったパックのコーヒーを飲みながら、内心、自分でもその言葉に驚きを感じる。今の自分は、確かになんの疑問も持たなかった。…こうして彼からモノを受け取り食べる事も、彼の傍で眠る事も。
 …他人の気配がある場所では、眠る事なんて出来なかった筈なのに…。

 「なんかさー、信用してくれてんだな、とか。そーゆーお前見るのってすっげー嬉しいから。」

 照れたように、でも本当に嬉しそうにそういってくる彼の姿を見て、自分も感じていた、嬉しいと。そんな事を彼が喜んでくれる事が嬉しいと、きっと自分はそう感じていた。

 「信用は、している、…かもしれない。」

 そう返せば、彼はその笑みを少し顰めて、一瞬考え込む。
 けれどすぐにまた目を和らげて、にっこりと楽しげに微笑みかけてくる。

 「お前が俺を信用してくれると、俺は嬉しいぜ。…俺は、お前がスキだからさ。」

 なんだろう、その笑顔が感情を引き付けて。
 いつもと同じ笑みなのに、何処か違うと感じた。見せ付けるような笑みではない…自然な微笑みは、彼がいつも浮かべているものとは違う印象を受けた。
 そして。
 彼のいう言葉が、感覚的に暖かいと感じて、とても…満たされた気分になって。
 どうして、思ったのだろう、触れたいなんて。

 「ヒイロ?」

 驚く彼を引き寄せて、その唇に自分の唇を押し付けて。
 衝動的に起こした行動は、自分でも理由が分からなかった。
 …けれど離した時に、彼が見せた表情は何故か悲しそうで。

 「何だよヒイロ…冗談ならもう少しタチのいいもんにしてくれよ…。」

 言う内に表情はまた笑みにとって変わられたものの、声は震えていた。
 だから、その時初めて思った。…コイツの笑みはほとんどが偽物かもしれないと。

 それが、何故か、どうしようもなく、不快だった。









 「…気がつきましたか?」

 目が覚めて映った顔は、金髪の中の青い瞳。
 つい今しがたまで見ていた顔とは、違う、顔。
 夢を見ていたのか、と気づくと同時に、何故カトルが、と思って起き上がろうとすれば、鈍い痛みが体を走る。

 「驚きましたよ。デュオの見送りに来たら、君が事故にあったという報告が入るなんて。」

 事故?
 聞き返して、カトルが説明した事によれば、自分は車に跳ねられてここに運ばれてきたらしい。確かに体にはあちこちに包帯がまかれていて、鈍いが重く響く痛みは、打撲特有の痛み方だ。
 痛む手足を無理に動かして、自分の怪我の具合を確認してみる。痛みはあるものの、打撲だけである事が確認できれば、後は問題にしなくていい。

 「たいした怪我はなかったのは流石ですね。…でも、ヒイロ。…今回の事故は確かに君を跳ねた運転手の信号無視だったらしいのですが…その…こんないい方は何ですが…君がそんな車にぶつかるなんて…らしく、ありませんね。」

 控え目な笑みで綴られるカトルの言葉は、確かに自分でもそうだと思う。
 そんな車に自分がぶつけられた事の方が、こちらのミスだろうと、常の自分ならばそう思う。

 「考え事をしていたからな…。俺の不注意だ。」

 呟いて、顔を上げれば、今度はカトルの顔は驚いたように目を丸くしてこちらをみていた。

 「何だ?」

 思わず眉を顰めて聞いてみる。

 「いえ…その…なんだか…。そう、ですよね。君だって、注意し忘れたりする事があるんですよね。…すいません、なんだか君なら何でも完璧にしてそうで…でも、人間ミスする事がない人なんていませんね。…そう、どうして気付かなかったんだろう。」

 困惑気味だったカトルの表情が、彼らしい柔和な笑みに取って代わる。
 緩く、微笑んだ瞳を自分に向けて、彼が嬉しそうな気配を見せる事に、今度は自分の方が困惑を感じた。

 「君は完璧だから、君ならできると。僕はずっとあの戦っている時から君の事をそういう目で見てきました。…それは、もしかすると君に期待を掛ける事で、君に全てを背負わせていたのかもしれません。僕は…いいえ、僕達は、気付かずに、君に余計なプレッシャーを掛けていたかもしれませんね。…君の事を理想視しすぎて、君にミスも間違いも許さない状況へ追い詰めていたかもしれません。」

 いったカトルの言葉に驚く。そんな事は考えた事もなかったから、向こうから言われても、そうなのかとしかいいようがない。
 完璧に、完璧な兵士に。…あの時の自分はいつでもそう思ってきた。それを苦痛に感じた事もないし、そういう目で見られるように自分でも振る舞っていた。…ただ単にそれは当たり前の事で、自分でさえ、自分は完璧であると信じていた。

 …今は、そんな自分が愚かであった事を知っているけれど。自分もまた、弱い事を自覚しているけれど。
 …けれど、別に彼らからそんな目で見られる事が苦痛であった事はないと、そう、告げようとすれば、続けられたカトルの言葉に、声が出なくなる。

 「でも、思えばデュオだけは、最初から君の事をちゃんと普通の目で見ていましたね。」

 デュオだけが…。

 カトルと初めて行動を共にしていた時、デュオは自分の事を”あぶなっかしいヤツ”だといっていたという。そして、決戦前のピースミリオンで、一人リーブラに乗り込んだ自分を、デュオだけがミスを案じて心配していたという。

 何故、気付かなかったのだろう。
 最初の内、アイツに話し掛けられた時はいつでも苛付いていた。
 当然だ、自分はそうして、普通の人間のように話し掛けられる事に慣れていなかったから。失敗だって、間違いだって有り得る、そんな事を前提に話しかけられた事はなかったから。
 だから、逆に、自分の弱さを認めた後は…。

 …アイツの傍にいる事が心地良かった。アイツの存在が、自分を安心させてくれた。
 …そう、きっと自分の弱さを認める事が出来た時から、アイツの前だけでは、ヒトとして生きている事を自然に受け取る事が出来たのだろう。

 けれど…。

 デュオはいってしまう。

 「どうしたんですか?ヒイロ?」

 部屋の壁を見つめて黙り込んだヒイロに、カトルが首を傾げて声を掛ける。
 それでもヒイロは返事をしない。
 呆然とも、驚きとも取れる曖昧な表情だけを瞳に乗せて、ただ、目の前の壁…いや、何もない空間を見つめていた。

 だが、カトルがヒイロの名を何度目にか呼んだ時。

 勢い良く開いたドアが、部屋の中の注意を集めた。

 「ヒイロっ」

 息を切らせて、恐らく走ってきたデュオは、部屋の中のヒイロを見つけて、急いで口を閉ざした。
 そのデュオに、ゆっくりと視線を合わせて、ヒイロは彼の瞳をじっと覗きこんだ。
 合せた視線は暫くただ互いを見るだけで、ある種の緊張感が辺りを包む。
 けれど、それに耐えきれなくなったデュオは、大きく肩を竦めると、一つ深く息を吐き出した。
 態と視線を下へ逸らして、唇を緩く釣り上げて、そうして彼はいつも通りの笑みをつくると再び顔を上げる。

 「…お前が事故にあったって聞いたから、わざわざ来て見たけど…。なんだ、全然大丈夫そうみたいだな。さっすが、体だけは丈夫だよなぁ、お前は。」

 彼の声はいつも通り、顔の笑みもいつも通り。
 けれど、部屋へ入ってきた時、一瞬だけ崩れた笑顔という仮面の下、デュオの本心の顔を見れたから。

 まだ、間に合うかもしれない。

 「カトル、悪いが席を外してくれ。」
 「え?別に構いはしませんが…何故…」
 「ちょ、待てよヒイロっ…俺はっ」

 デュオの抗議の声があからさまに焦っているのが、何よりの証拠。
 もしかしたらという期待は、自分の気のせいではない筈。

 「頼む、カトル。どうしても今、コイツに話があるんだ。」

 言えばカトルは、了承の言葉を残して部屋を去る。
 デュオが抗議をしても、この状態、今だけは逃げる事は許さない。
 
 カトルが去ったドアを見て、デュオは、こちらを見ようとせずに、後ろを向いたままでいた。
 声も出さずに、顔も見せずに、彼は自分を拒絶する。

 「デュオ…こっちを向け。」

 だからまずそう言えば、デュオは後ろを向いたまま静かに首を振って、更に拒絶だけを返してくる。仕方なくベッドから起き上がって、自分からデュオの方へ近づこうと立ちあがれば…その気配に、やっと彼が振り向いて、こちらへ顔を向けた。

 「何…だってんだよ…お前は…。」

 予想通り、今のデュオの表情は、一応笑みを浮かべてはいるものの、何処か無理があって、笑顔というには程遠い。

 「デュオ…。」

 名を呼んで、再びその瞳を真っ直ぐに見つめる。
 見つめたまま、少しづつ、近づいて行く。

 「何だよ、話があるなら、さっさとしろよな。」

 近づいて行くにつれ、デュオが自分から離れようと、後ろへ引いた。
 瞳いっぱいに拒絶を浮かべて、自分を睨む表情は、半分とれかけた仮面を必死に隠した、作りものの笑み。もう口許だけにしか残っていない笑みの名残を、それでも震える明るい声だけで未だに繕っている。

 逃がさない、今だけは。
 この機会を逃したら、彼の作った笑顔を崩す事はできなくなるから。
 …確認しなくてはならない、知らなくてはならない、彼の本心を。

 こちらが近づくにつれ、後ろへ下がっていたデュオも、部屋の壁にあたって行き場を失くす。大きく見開いた自分だけを映す瞳を見つめたまま、その腕を掴もうとすれば。

 「触るなよっ。」

 どう考えても過剰な反応を示して、デュオはその手を振りほどいた。
 それと同時に、ヒイロが小さく声を漏らしてその場にうずくもる。
 彼が叩いた腕を抑えて、膝をつきデュオの目の前でしゃがみ込むヒイロ。その姿に、デュオははたと気付いて、拒絶していた雰囲気を一変して変化させた。

 「おいっ、ヒイロっ、大丈夫か?」

 つい今し方までのやりとりを忘れたように、デュオはすぐさま自分も座り込むと、うずくまるヒイロの顔を覗きもうとする。だが、何も返事を返さないヒイロは、デュオが触れてこようとした途端に、その手を掴んで引き寄せた。
 当然のように、何の警戒もしていなかったデュオのバランスは見事に崩れる。
 一瞬の事に考えが追い付かなくて反応が遅れたデュオを、床の上に押さえつけるには、ヒイロにとって然程力を必要とするものではなかった。
 絶対的に逃げられない体勢、目を逸らす事だって許さない状態。ヒイロはすぐ真近にあるデュオの瞳をじっと見下ろす。

 「ずっりぃの…。…まぁ、お前ってそういうヤツだったよな…。」

 こんなになっても、未だ笑みを浮かべてそういう彼に、ヒイロは自分でも分からない怒りを感じた。だから感情を抑えようとしていても、声は彼を責めてしまう。

 「お前は本当に火星に行くのか?」

 それにデュオは、驚いたのか一瞬の間を空けて、自分の出方を窺いながらも応えてくる。

 「ああ…あの時ちゃんと別れの挨拶はしただろ?…こんな事でもない限り、あの時でお前とはもう一生さよならする予定だったよ。」

 彼の表情が、次第に笑みを纏えなくなる。声に計算されていない、不安定な感情が混じりだす。

 「お前は俺と別れたかったのか?」
 「ああ、そうだな、今は早く別れたいね。お前とはこんな事がなければ、いい仲間だったと思っていたんだけどな。」

 声が震えだす。瞳が完全に自分を憎むように睨みだす。
 …彼の本心が見えて来る。

 「離せよっ、そんな事聞く為に、お前はこんなバカな事やってんのかよ。おいっ、ヒイロっ。」

 ついには完全に怒り出し、抑えられた腕を無理に離そうともがき出す彼を、更に強く押さえつけ。
 彼へと、唇を押し付けた。

 「何…やってん…だよ。お前。」

 信じられないモノを見るように、彼の瞳は自分の顔を凝視して。
 怒りよりも脅えるように、目が大きく開かれる。

 「何だよお前、わけわかんないよ…。お前は俺に何をいいたいんだよ…。」

 呟くような声は、涙声のように震えて弱々しくて。今にも泣きそうに瞳も歪められている。
 …そんな、弱いところを見せるような、彼の表情を、見たのはこれが初めてだった。

 「…デュオ、行くな…。」

 ゆっくりと耳元へ唇を落して、それだけを告げる。

 「俺は、お前と別れたくはない…」

 重ねて言えば、デュオは渾身の力をこめて自分の体を突き飛ばした。
 
 「うるせぇ!!」

 叫んで、距離をとって、顔を上げると、自分を睨みつけてくる。
 完全に笑みなど消えた表情で、感情のままに自分を見つめて。
 …そのデュオの頬を、涙が伝い落ちた。

 「何だってんだよ、お前はっ。そうやって、さんざん人に期待させといてっ…」

 声を出せば堰を切った様に彼の涙は溢れ出て来る。その涙を拭おうともせずに、彼は感情が入り過ぎて掠れてしまった声を上げる。

 「なぁヒイロ…。お前さぁ、自分が今どんだけ酷い事いってるか分かってなんかいないだろ?どうして俺が火星に行こうと思ったかも、…それでも最期にお前にわざわざ聞きにいったかも…俺があんときどんな気持ちでお前にさよならをいったかも…お前は全然分かってなんかいないだろ?」

 泣いている瞳は、それでも憎しみをこめて自分を見つめる。どんな感情であれ、彼のそんな剥き出しの本心を向けられる事は、自分にとって不快ではなかった。それが、特に、自分だけに向けられるものなら。

 「あぁ、…分からなかった。あの時は…。」

 その言葉に、デュオは更に声を荒くしてヒイロに問い掛ける。

 「へぇー、だったら今なら分かったとでもいうのか?…今なら答えが違うとでもいうのかよ。なぁ、ヒイロ。だったら答えて見ろよ。俺はお前の何なんだ!?」

 言い切れば、彼は口を閉ざして真っ直ぐこちらを見つめる。先程までの騒ぎが嘘の様に、突然部屋は沈黙に覆われる。
 白い病室。二人だけに訪れる時間は酷くゆっくりで。
 …だが、やがて。
 憎しみを灯していたデュオの瞳が、弱々しく、力を失くす。…苦しげに細められて、静かな瞬きと共に、また一粒涙が零れ落ちる。
 瞳と同じ、細い声が、静かに告げた。

 「…さようなら、ヒイロ。お前には、俺を引き止める、理由も、権利もない。」

 けれど、そうして逸らそうとする彼の瞳を引き止めるように。

 「違う…。」

 呟いたヒイロの声に、デュオは視線を戻した。

 「違う…あの時の俺は、お前をただの仲間だといった。だが、違う…それだけじゃない。お前の存在は俺にとって特別な意味を持っている。…その意味は分からない…けれど、お前に傍にいて欲しい、お前がいなくなる事は耐えられない…お前がいなくなれば…俺は自分が生きている事さえ不安になる。」

 そうして付け足す。
 それが、お前を引き止める理由だと。

 デュオは瞳を驚きに見開いて、そのまま言葉を出す事も忘れて立ち尽くした。
 
 だが、確認のようにヒイロがその名を呼ぶと、はじめて気付いたかのように、瞬きを繰り返して、大きく息を吐き出した。
 それから、ふと困ったように軽く眉を顰めると、すぐにふわりと柔らかに笑って、一歩、ヒイロへと足を踏み出す。

 「ったくさぁ…。」

 手を伸ばして、真剣に見つめるだけのヒイロの頬へ手を延ばすと、苦笑してデュオはまた大きく溜め息を吐いた。
 涙の止まった瞳を細めて、じっと、見つめてくる。

 「本当にお前ってずるいのな。俺にさんざん冷たくしといて、今になってんな事いうだけで全部思い通りにしようなんて…。本当にお前ってわがままの横暴ヤロウだよな。」

 言葉を言い切る前に、手を握ってそれをヒイロの胸に押し当て、俯いてからまた言葉を続けるデュオ。…声は少しだけ前よりも小さくなる。

 「…ったく、俺もな…ばかだよなぁ…それでもお前がいった言葉で、全部今までの事をチャラにしてやってもいいと思っちまうんだからさ…。」

 昔は自分と変わりない背だったデュオは、今は少しだけ目線を落して見る事ができる。俯いている今なら尚更…彼が初めて小さく見える。いつでも笑って、弱みを見せずに、ふてぶてしいともいえる態度の彼が、その時はとても頼りなく見えて…本人にいったら、多分嫌がられるだろうけど。
 そうして、そんな姿を彼が見せる事が…、今目の前にその存在がいる事が、…とても、とても嬉しいと感じる。…失ったと思っていただけに、今は彼が側にいる事が無性に嬉しい。
 手を伸ばせば触れられる。引き寄せれば抱き締められる。
 そうすれば、彼が側にいる事をより強く感じられるから。

 沸き上がる感情のまま、彼の顎を上げて顔を上に向かせる。そしてそのまま彼の唇に触れようとして。

 「やだね。」

 デュオは、そういって目の前を掌で遮った。
 止まって、目で抗議をするヒイロの顔を見て、涙の跡が残るその顔でくすりと笑う。

 「さんざん、こっちはお前のおかげで悩まされたんだ。…傍にいる以上の事は、その為の理由をちゃんとお前が見つけて、俺にいってくれたらな。」

 いつも通りの、彼らしい、悪戯を企んだ子供のような笑みを浮かべて。
 自分の腕から擦り抜けるように体を離すと、瞳だけを自分に向ける。
 けれど、その笑みは、いつも通りと感じたのに、いつも通りの苛立ちを、自分の中に生みはしなかった。

 「…なぁ、ヒイロ。俺はさ、もうずっと前にちゃんといってあるんだぜ。だから、今度はお前からのちゃんとした言葉を聞かせて貰ってもいいだろう?」

 いいながら、今度は声を上げてデュオは笑う。
 そうして笑う笑顔は、偽物の、作り物のそれではなくて。
 きっと、多分、本当の彼の表情だから。

 「俺の事をスキだといった事か?」

 聞き返せば、笑い声を止めて、外を見ようとしていた彼は振り返る。
 言葉に少しだけ驚いた顔を見せて、すぐにまた微笑む。
 明るい部屋の中、身に纏う空気さえ柔らかく感じる程に、暖かい笑みを浮かべて。
 デュオは聞き返してくる。

 「そう。俺はもうずっとお前の事がスキだったよ。だから…。」

 だから、ヒイロ。
 お前は俺の事をスキか?


 デュオは、笑う。ゆっくりと。
 そうして、少しだけ首をかしげて、ヒイロの言葉を待つ。




 雪が止んだ外の景色。
 2日掛けて降り積もった雪は、今はもう暖かい陽光に半ば溶けて。
 白い病室には、雪景色に反射して、いつにも増して明るい、白い光が射していた。


******* END






すいません。…なんか…このヒイロ殺してください。めちゃくちゃガキ(怒)。デュオ、こんなのの何処がスキなんだ…。あぁあ…最近連載の方がデュオサイドばっかり書いてたんで、オールヒイロHit記念だし、今回思い切って久しぶりにヒイロサイド〜なんて思ったのが運のつき…。長いワリに内容のない話になってしまいました。リクエストしてくださったまろさん、本当に申し訳ありません。なんかもう…だめです私…妙に2×1くさいし…。やっぱこんなじゃ、ウチのヒイロ甲斐性無しって言われるのも仕方ないですよね…。
ちなみにお題は、デュオに「俺はお前の何なんだ!?」といわせる、でした。




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