歪む時間 <4>




(八)

 ヒイロの唇が肌を伝う。
 もう、何度めだろうか。幾度となく行われる行為に慣らされた体は、僅かな刺激にも、その後の大きな快楽の波を想定して反応を返す。
 火照る体が頭まで痺れさせる。
 ヒイロの舌は、巧みに敏感な箇所を刺激し続ける。
 何も逃避手段が許されていないから、快楽だけが純粋に体を伝わって来る。
 それを受けて、肌が上気し、息が上がる。
 でも、それは体だけ。
 瞳をただ見開いて、何処か遠くで起る出来事の様に目の前を見つめる。
 ヒイロに抱き上げられ、動く視界。時折その視界に入る、ヒイロの体の一部。
 それらは確かに頭までビジョンを伝えて来たけれど・・・受け取った頭はちゃんと思考へと繋げていたけれど、それが感情を呼び起こす事は、もう、決して有り得なかった。
 思考と感情、心と体。全てはバラバラで、それぞれがそれぞれの領域に影響を与える事はない。

 行為に煽られ、昂ぶりうち震える体。
 そんな体を冷めた思考がただ見つめる。
 ヒイロは確実に、自分の体の熱を引き出し、快楽の波を与え続ける。
 けれど、それを受け取るのは体だけ。
 優しい愛撫も、愛しげに抱き締める動作も、感じてくれるのはただ体だけ。

 優しい?
 愛しい?

 そう、優しく。触れる唇は柔らかに体を探り、抱き上げる腕は力ない体が落ちたりガクガクしない様に、細心の注意を払って静かに支えているのが分かる。そして、たまに視界に映るヒイロの顔は、何故かとても苦しそうで、切なそうで。

 チクチクと、針で刺された、そんな小さな痛みが心に幾つもの翳を落す。
 何故だろう、最初のうちはヒイロはこんなに優しく自分を抱いてはいなかった筈だ。ただヤツ自身の欲望を打ち付けられるだけで、こんな風に優しくなんてなかった。

 何時からこんなに、ヒイロは優しくなったのだろう?
 何時からこんな顔で、俺を見る様になったのだろう?

 恐る恐るともとれる程、本当にそっとヒイロが自身に触れて来る。
 途端、身体中に伝わる張り詰めた神経が溶かされる感覚。口内の粘膜でゆっくりとした刺激を与えられ、どんどん昂ぶる自分自身。
 優しく、あくまで丁寧に柔らかく与えられる快感。
 それに応えて、体は快楽を解き放つ。
 意思のない体は貪欲に生理的な欲求を受け入れ、歓喜の余韻が体に広がる────でも、それはやはり体だけ。
 激しく上下を繰り返す胸も、汗に濡れた肌も、自分の意志とは関係ない。
 体を割り、足を上げられる。
 成されるがままに、体の隅々までもが暴かれる。
 動かない足はきっとかなり重い筈、なのにヒイロはその足を支えたまま行為に及ぼうとする。
 下肢に感じる圧迫感が少しづづ増され、やがてずるりと痛みを伴い異物が体の内を割る。
 それが動き始めると、合わせて、痛みと快楽が交互に体を責めたてる。
 揺れる視界には恍惚感に瞳を薄めるヒイロの顔。目の前すぐ傍まで近づかれた顔が下を向くと、時折その顔を包むブラウンの流れが自分の頬を撫ぜてくる。
 動きに合わせて途切れて聞こえるヒイロの吐息は苦しげで、短い声が多分に混じって聞こえていた。
 ヒイロの額から流れた汗が、整った顔の輪郭をなぞって落ちる。ポタリと顔へ落ちる液体は冷たいという事は決してなく、こんな事までもがヒイロが持っている熱を伝えている様だった。
 頭は冷静に視界を受け取るだけなのに、体は今、ヒイロが感じているのと同種の喜びを感受しているのだろう、痛みと同格であったハズの快楽が、膨れあがり体の隅々まで浸透して来ているのが分かる。その感覚は次第にただの快感のみに擦り替わり・・・やがて体の全てを引き込んで終焉を迎える。
 余韻に淀む体から、異物が引き出される感覚に頭の血が下がって行く様な気がする。その感覚に反射的にビクリと痙攣を起こす体を、遠い場所の出来事の様に感じる自分。

 胸に手を付き、ヒイロの顔が視界へと現れる。
 じっと見つめる群青色の瞳は、今にも涙が零れてしまいそうな程、暗い哀しみに沈んでいた。

 何故?お前が望んだ事だろう?
 お前は望みを果たしたのだろう?
 体はお前にやる。俺はもうどうでもいいから、諦めてしまったから・・・・なのに何故、お前はそんな顔してるんだ?

 「デュオ・・・。」

 小さく呟かれた言葉には、一体どれほどの感情が込められていたのだろう。
 寄せられる眉は辛そうで、苦しそうで。瞳には哀しみだけがある。
 愛しげに、静かに伸ばされた手は頬に触れ、ゆっくりと何回も撫ぜていく。その手は微かに震えていた。

 「・・・分かっている、お前は俺を許さない。全て俺が悪いんだ。」

 今にも涙が零れそうに、歪められたヒイロの瞳が眼に映る。かつてはいつでも真っ直ぐに眼を見つめて話していたヒイロが、言葉を言い切る前に視線を逸らしてしまっている。
 ヒイロ?

 疑問を投げかけてその名を呼んだ。だけど声が出るワケはない。心の中だけで、自分を見ないヒイロへ呼び掛けの声を上げる。
 逸らしたままの瞳を一度だけきつく閉じて、ヒイロはその場を立ち去った。
 それを映すデュオの瞳は、一度も動く事はなかった。
 聞きたい事はたくさんあっても、沸き上がる感覚に何かを感じても、それが瞳に感情として現れる事はなかった。いや、出来なかった。

 体と切り離された心は、もう、瞳に感情を映す方法を忘れてしまっていたから。



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 (九)

 静まりかえった部屋の中。さっきドアが閉じられる音がして、それからずっと何の音も聞こえないから、多分、ヒイロは外へ行ってしまったのだろう。
 だからきっと、今この部屋には自分一人。
 ヒイロは居ても殆ど声を出さないし、あまり動きまわる事もないから、いてもいなくても部屋が静かな事に変わりはないが、やはり、いないと思うとほっと出来る。体は良く分からないが、精神の緊張が解けるのは分かった。
 『・・・分かっている、お前は俺を許さない。全て俺が悪いんだ。』
 そう言って、本当に辛そうに唇を噛み締め、視界から消えたヒイロ。
 何を、言いたかったのだろうか?らしくない、弱々しい表情をたくさん見せて、声で伝えて来たのは自分の名前とその言葉だけ。
 おそらく、きっと、その言葉にはたくさんの意味が込められているのだろう、アイツがしていた表情を全て織り混ぜられた様に。

 俺が、お前を許さない?
 ────ああ、そうだな。こんな扱い許せる筈ない。
 全てお前が悪い?
 ────そうさ。分かっているじゃないか。でも・・・。

 今の状態は、お前がした事。お前が望んだ事。なのに『悪い』と感じているのは、お前は今の状態を後悔してるって事なのか?

 憎いなら憎めと言っていたクセに。
 こんな事をしたら俺がお前をどう思うかなんて、そんな事も予想出来ないお前じゃないだろ?

 なのに何故、あんな顔をする?
 なのに何故、あんな風に自分の名を呼ぶ?
 辛そうに、苦しそうに、哀しそうに、・・・愛しそうに。

 触れてくる手は暖かで優しくて・・・考えてみれば他人からそんな風に触れられたのは初めてで。
 心地好い、とも感じていた。
 こんな事をされて、許せる筈がない憎むべき対象なのに。
 何故、アイツがあんな表情をしていると、自分まで辛くなるのだろう?
 まるで、置いていかれた子供の様に、頼りなげな表情をするものだから、自分の方が罪悪感にかられてしまう。

 ばかな事を、悪いのはアイツの方なのに。

 頭の中だけで自嘲する。そして唐突に思い出す。・・・戦いが終わったMOーUでヒイロは自分を見つけようとどんな顔をしていたか。

 壁を殴った拳からは、血が流れていた気がする。
 あの時既に、ヒイロの瞳には今の暗い光が灯っていたのかもしれない。
 だとすれば────。
 もしかして、俺があの場から姿を消したのは、かえって間違いだったのだろうか?


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 ギー、ガチ、ガチガチガチ。
 ドアの方から何か騒々しい音がしてきた。
 ヒイロが帰って来たのかとも思ったが、あまりにハデな音をたててドアが開けられる音に、それは違うとすぐに思い直す。

 ならば一体誰だ?

 緊張が走り、背中に冷たい汗が流れる。
 侵入者は声を出さない。けれど、ドカドカと品のない足音は今まで聞いた事のない他人のモノだ。音が立つ事をまるで気にしないその人物は、まずはドア周辺を漁っているらしく、ガタガタという家具を動かす音が耳に聞こえてくる。だがやがて、その音が途切れたかと思うと、足音と共に床の軋む音がその人物がこちらへ向かって来ている事を告げて来た。



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 (十)

 大通りの喧騒が遠くに聞こえる、建物と建物の間の細い道。視界の外れに映る、壁に寄り掛かってぶつぶつと独り言を呟いている男からは饐えたような匂いがする。横を擦れ違っていく男からはタバコの匂い。ぶつからない様に、少しだけ避けてやり過ごす。
 どうしても、デュオと同じ場所にいる事に耐えられなくなってこうして部屋を出て来たから、もちろん最初から何処か行く場所があるワケがない。
 ただ、何処ともなく外を歩く。
 今は部屋に帰りたくない。何処か虚ろにさえ見える瞳で、ヒイロはただ歩いていた。

 細い通路を抜ければ、そこは少し大きな通りになる。先程までのいかにもマズそうな雰囲気の人間ばかりでなく、一般的な人々が賑やかに行き交っている。
 何か考え事をしながら、難しい顔で歩いていく者。
 笑顔を浮かべて、友人と話しながら歩いていく者。
 自分とまるで違う世界の出来事の様に、それらを遠い瞳で眺める。
 こうして人波を眺めていると、本当に自分はこの世界に合わない、不釣り合いな存在である事を実感してしまう。
 何時でも違和感を感じる、明るい表の世界。
 この道を行く彼らよりも、先程路地裏にいた男達の方が自分に近いだろう。
 ・・・自分に、こんな明るい世界は似合わない。

 そう・・・だけど。
 自分と同じ立場の人間なのに、アイツにはこういう世界にもちゃんと存在出来た。自分の様に、周囲を寄せ付けない事で自分の場所を確保するのでなく、アイツなら、回りと馴染む事で自分の居場所を作る事が出来る。兵士としての暗い面と、普通の人間と同じ明るい面と、それらの面を同時に持つ事が出来るアイツ。それが不思議で、それが羨ましくて・・・それに焦がれた。

 でも、もうそんな事を考えていても仕方がない。

 手に入れたモノと失ったモノ。
 それらはあまりにも明確に目の前に突きつけられている。失ったモノを手に入れる望みは、もう一粒程のカケラも残ってはいないだろう。
 今更後悔しても、すでに全てが遅い。

 『欲しい』────。

 この願いが満たされる事は、永遠に有り得ない。




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 (十一)

 「ちっ、なんだ留守じゃねぇのか。」

 こちらの部屋へ足を踏みいれた途端、そいつは初めて声を出した。その言葉で、こいつが留守狙いのコソドロの類である事が判る。
 ギシ、ギシ。床の軋む音が耳のすぐ傍で止まる。近くにいる、その気配だけで嫌悪感が沸いて来る。幸い眼は閉じていたので、顔を見なくて済むだけマシか。

 「なんだガキか。へっ、全然気付かないで寝てやがる。・・・丁度いいや、ロクなモンが手に入らなかったからなぁ。コイツを売り飛ばせばそこそこの金になるじゃねぇか。」

 言いながら男の顔が近づいて来るのが分かった。ヤニ臭い息が、鼻に不快な刺激を与え、吐き気を覚える。

 「おい、起きな。おネンネしてる場合じゃないぜぇ。」

 ひたひたと、頬を軽く叩きながら男が声を掛けて来る。それでも、ピクリとも反応を返さないデュオに、男は訝しむ様に眉を顰めると、今度は先程よりも力を入れて頬を打ち付けた。だが、やはり起きるどころか少しも動く気配がない。

 「まさか、死んでるワケじゃねぇよなぁ・・。」

 不審げに眉を寄せた顔で寝顔を覗きこむ。目の前の少年がきちんと息をしているのは、ちょっと見ればすぐに判り、その疑惑はすぐに否定された。残された可能性を考えて、男の顔色も多少青ざめ、ようやくこれが尋常の事態でないという事を理解する。

 「なんだ?」

 突然何かに気付いたのか、軽く驚いた様な声を出して、男が顔をさらに近づけて来た。荒い息が喉元へと吹き掛かるのが、不快感をさらに誘う。

 「へぇ・・。」

 声に何処かしら面白そうな雰囲気を漂わせながら、男の手が掛けてあった毛布を掴みそのまま引き剥がした。毛布の下から現れたのは、何一つ衣服を付けていないまだ未成熟な少年の体。白い肌の上には、首元に見えたと同じ朱色の小さな跡が所々に散っている。
 男の口許が歪んだ笑みを象って開かれた。

 「はぁ・・・成る程。そういうワケかい。こいつは又、とんだヤツのとこへ入っちまったみたいだなぁ。」

 声は、言う言葉とは逆に楽しそうに響いている。
 外気に晒された体が、一気に鳥肌を立てて竦む。寒さにではなく、男の眼に自分の体が晒されている、その事自体に。
 嫌悪感が、むかむかと胃の底から沸き上がって、それがさらに体の拒絶反応を増長させる。

 「ったく何処のヘンタイヤローだぁ、寝てるガキなんかで楽しいのか?・・・しかしまぁ、またハデにやってるモンだな・・。」

 言いながら、男はその固い指でデュオの胸に触れ、さらに触れた場所をこすり上げた。
 ぴりりと、微かに痛みを伝えて来るその感触に、男がヒイロが付けた体の跡を触っているのだと理解する。

 「ヘェ・・。」

 指だけでなく、今度は両の掌で撫でまわす様に触れながら、男は胸に顔を近づけた。ごつごつとして固く、だがじっとりと汗ばんだ皮膚が這いずりまわる様に体の上で蠢いているのが感じられる。

 吹き掛けられる息が、肌の上を通っていく。
 男の顔が晒された肌のすぐそばにある事を想像して、嫌悪感に体が冷えていく。

 「全然起きねぇなぁ・・・。よっぽど強い薬つかってんのかねぇ。」

 くくっと含み笑いをして、男はさらにデュオの体を探っていく。太い声が、敏感になった肌に当たり、微かな振動を伝えて響く。

 ヤメロ、触ルナ。

 嫌悪感はすでに耐えられる限界点を越えている。
 叫びだ出して男を突き飛ばしたい衝動が、出口を得られずに頭の中で膨れていく。
 男の手は更に体を伝わり、下肢へと手を伸ばす。
 腿の内側を探り、足を開かされて、ただ視線を感じる。
 生暖かな男の息が、不規則に肌を撫ぜて行く。
 ざわざわと、虫に這いまわられる様な感覚の視線が、体をねめつけている。
 頭の中が真っ赤に染まり、押さえざる得ない思考がぐるぐると目まぐるしく回る。
 恥辱と怒りが身体中を染め、神経をぎりぎりまで削り取る。

 ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ。
 こんなヤツに体を触れられるなんて我慢出来ない。

 男が発するくぐもった笑いが、断続的に、ぬるい息となって肌の上を汚して行く。

 こんなヤツに──────。







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