歪む時間 <3>




(五)

 「怪我ァないかいお嬢さん。」

 俺を撃って、ヤツはリリーナにそう言った。
 それが出会い。認識は単なる邪魔者。
 次に会ったのは軍の病院。
 何故だか俺を逃がそうとした。
 死ぬつもりで、又、死に損ねた俺に肩を貸しながら、ヤツはなんていっただろう?

 「俺を信じろとは言わないが、今は他にどうする事も出来ないだろ。」

 そうだ、信じるつもりなんかなかった。
 その時だけで利用させてもらうつもりだった。
 だけれど・・・手を差し伸べて貰うのは初めてだった。


************************


 ふと、意識が浮上する。
 いつも眠りは浅いが、今日はやけに度々眼が覚める。
 額の汗を拭い、身を起こす。
 素肌を落ちていく毛布の感触に、もう一人の人物の方まで毛布を肌蹴てしまったのではないかと、心配になり振り返る。
 見れば、眠るデュオの肩と、薄い胸が少しだけ外気に晒されていた。
 音も立てず、するりとベッドから抜け出して、少しだけずれてしまった毛布をデュオに掛け直してやる。瞼が動く気配はない。まだ、眠っている。
 月の光だけに照らされた部屋の中、眼に見えるデュオの顔は光の色そのままに青白い。
 まるで生きていない様に生気のない顔が瞳に映る。

 デュオ?

 突然沸き上がった不安に、顔へ手を伸ばした。掌に感じる暖かな空気の流れに、とりあえずは安心して手を戻す。
 顔を天井へ向けて、大きく息を吐き出した。
 大丈夫、生きている。
 必要なだけの水分も栄養も、ちゃんと薬と共にうっている。だから、突然死んでしまう事なんてない。大丈夫、デュオは自分の手の中にある。
 だけど・・・。
 何故だろう。こうして触れていてさえ、不安になる。
 確かに手に入れている筈なのに、逃げる事なんてない筈なのに、時々、不安になるのだ。
 その不安を打ち消す為に、一体何度コイツを抱いたのだろうか。
 抱いている内は行為に没頭して、その不安は一時的に解消される。だが、終わった後にはいつも何か、冷たいモノが心に残った。これは、コイツに対する罪の意識だろうか?それとも後悔か。

 違う。

 眼を閉じて精神を落ち着かせ、心の声に耳を澄ます。

 『欲しい』────。

 手に入れた筈なのに、何故まだ心はそう叫ぶのだろう。
 この欲求を満たす為に、一体なにが必要だというのだろう。

 部屋を照らす月の光は、心の中と同様に冷たかった。



----------------------------------------------
 (六)

 「・・・なんですが、そちらに・・・。」

 途切れながら聞こえる懐かしい声に、急いで意識を引き上げる。

 「デュオが行きませんでしたか?前に連絡があってから、もう一週間も経つのにそれから全然連絡がないんです。宇宙へ出るまえにもう一度連絡すると言っていたのに・・・。」

 優しい響きの、変声期前の少年らしい、少し高めの声が耳に聞こえて来る。僅かにくぐもって聞こえるのは、恐らくこれが直接の肉声でなく通信回線を通したものだからだろう。
 カトルだ。
 今、カトルからの通信が来ている。
 さらに、会話の内容からすると、カトルが自分を探しているらしい。
 声のする方向へ、できる限り視線を動かしてみる。
 しかし、視界にその姿を捉える事は出来ず、仕方がないので記憶にあるコンピュータの置いてあった机の位置を思い浮かべ、彼らの通信中の姿を想像する。

 どうにかして、カトルに自分の居場所を教えられないものか。
 ここから、逃れられないものだろうか。
 ・・・しかし、急く心を裏切る様に、体は少しも反応出来ない。どう考えてもこの状態では、自力で何かを起こす手段はない。となれば、カトルの方が何かに気付いてくれるか、ヒイロがボロを出すか・・・そのどちらかに祈るしかない。

 だが、そう・・・分かっている。そのどちらの可能性も、起る事はゼロに等しい。少しだけ差した希望の灯が、また閉ざされていくのをただ傍観する事しか出来ない。
 カトル────。
 心で呼んでも、それが伝わる筈もない。

 「ヤツなら確かに5日前にここへ来た。」

 ヒイロの、いつも通りの感情を窺わせない声が部屋に響く。

 「それで、その後何処へ行くとか聞いていませんか?」

 ここに居る、と声が出るなら叫びたかった。

 「いや。」

 だが、ただ否定したヒイロの声は、心に絶望という影を落す。

 「そうですか・・・。ではやはり、もう宇宙へ出たのかもしれませんね。」

 カトルの声が寂しげな響きを纏って耳へ届く。
 ここにいるのに。
 どうにかして、自分の存在を気付いてくれないものか。

 「分かりました。ならばもしデュオから何か連絡があったら、こちらにも連絡をくれるようにいっておいてください。」
 「ああ。」

 切れてしまう通信に、最後の希望が崩れていくのだけが感じられた。
 祈りは叶わず、絶望が心を覆い隠す。

 「あれ?」

 だから、すでに通信は切れたと思っていた矢先に聞こえた声に、驚いて眼を開き耳を澄ませた。

 「それ、デュオの帽子ですよね?」

 目の前に又、小さな希望のカケラが舞い降りる。
 どうやら画面から見える場所に、自分の帽子があったらしい。
 ヒイロらしくないミス、いや、この場合は自分にとっての幸運か。

 「ああ、そうだ・・・奴の忘れ物だ。」

 だが、それに答えるヒイロの声に動揺の色は微塵もない。一瞬の内に小さな光はその姿を翳らせる。
 重苦しい数秒の沈黙が伝えて来るのはカトルの落胆。そしてそれはじわりじわりと心の闇を濃くして行く。

 それでも、だめなのか?────祈る事しか出来ない自分が呪わしかった。

 「そうですか・・・。でも、もしかするとデュオがそれを取りに来る事があるかもしれませんよね?なら・・・」

 カトルの声に疑いの響きはなく、素直にヒイロの言葉を信じた返事しか返って来ない。

 「分かっている。もしヤツから何かしら連絡があったら、お前にも連絡するよう言えばいいんだな。」

 淡々と語られるヒイロの言葉が、死刑の宣告の様に、希望の明かりを闇へと塗りこめた。糸の様にギリギリまで細くなった光は縋るべき力を無くし、目の前から跡形もなく消え失せてしまう。

 「ええ、お願いします。」

 そう答えた最後の声の後、小さな電子音が、回線が切断された事をデュオに知らせた。
 もう、望みはない。

 いや、このまま連絡がなければ、もしかしたらカトルがまたコイツに聞いて来るかもしれないか。・・・でも又、さっきと同じだ。期待なんてするモンじゃない。
 そう、期待なんてしなきゃ良かった。
 なまじ、『もしかしたら』なんて思ってしまったから、それが叶わなかった時の反動はやり切れなさ過ぎる。届かない希望なんて、最初から見えない方がマシだ。戦争が終わった今でも、神様は自分に残酷過ぎる。

 諦めろ。

 何処かでそう呼び掛ける声がする。
 諦めてしまえば、もう、これ以上傷つかなくて済む。
 絶望に覆い尽くされた心には、もう、何も縋るモノはない。冷めた思考が導き出す答えに従わない理由は何処にもなかった。
 ・・・ああ、その通りだ。諦める事には慣れている。
 希望を握り潰された反動が、心の全てを凍らせ麻痺させている。

 もう、涙だって出やしない。


************************


 「残念だったな。」

 視界に現れたヒイロの顔は、やはり表情もなく自分を見つめていた。
 わざわざ追い撃ちを掛けにでも来たのだろうか、その顔はこちらの反応を見たがっている様にも見える。

 なんだ、俺がガッカリする表情でも見たかったのか?

 ヒイロは何も言わず、じっと自分を見ている。

 だったらそっちこそ残念だったな。もう、俺は諦めたんだ。

 表情の消えた瞳で、虚ろにヒイロの姿を映す。

 だからもう、お前に何も応えてやらない。望み通り、本当の人形に。この体が欲しければ、お前の好きな様にすればいい、俺はもう、どうでも良くなったから。

 じっと、ただずっとヒイロは自分を見つめている。

 「デュオ?」

 暫くして出された声は、気のセイか幾分自信なさ気に聞こえた。
 だが、だからといって、もう何も思わない。

 「デュオ?」

 今度の声の方が、更にらしくない弱さを含んでいた。呼び掛けて来るその表情も、少しだけ辛そうに見える。
 それでも、もう何も考えたりするつもりはない。

 分かっているだろ?ヒイロ。俺が返事出来ないのはお前のセイなんだぜ?

 虚ろな瞳のまま見つめ返す。何の感情も浮かんでいない瞳で、ただ正面のヒイロの顔を映す。
 辛そうに眉を寄せて、ヒイロはその青い瞳を閉じた。閉じたまま、顔を寄せ唇を合わせてくる。軽く口内を舌ですくって、それだけで離し、それからすぐに又唇を合わせる。何度も、何度も、合わせては離し、浅いキスを繰り返す。
 一度も、瞳を開く事なく。
 焦点がぼやけたデュオの瞳に映るヒイロは、ただ辛そうだった。


************************


 「──────ッ。」
 極められた快楽と、開放感。トクトクと、頭へ響く血流の流れる音。
 力を抜き、欲望の対象となった存在の上へと体を合わせる。
 ぴったりと合わさる肌が、体の熱を伝え合っている。相手の存在を確かに感じられる時。
 だが・・・。
 違う。
 こうして存在を確かめられるのに、何かが違う。何かが足りない。

 『欲しい』────。

 心の何処かで何かに飢えている。その対象がデュオなのは間違いがない筈だった。
 なのに、こうして手に入れた今、何故まだその飢えは癒されないのだろう。何故こんなにも苦しいのだろう。かえって、手に入れる前よりも、飢えは激しいモノになっている気さえする。
 デュオを抱く。
 欲しいから、欲しくてたまらないから。体は歓喜の叫びを上げるのに、抱く度に、心はどんどん冷えていく。

 何故、何故、何故?

 どうすればいいのかが分からない。
 耐えようのない感情の波に、目の前の体を抱き締める。強く、強く、ただこの手の中に存在している事を実感したくて。
 暖かい人の肌。生きていると主張する心臓の鼓動。けれど、抱き上げた体はまるで動かず、がっくりと首をのけぞらせて顔も見えない。手も、足も、なすがままピクリとも動かず投げ出されている。
 まるで、生きているだけの人形の様に。

 そう、これは自分が望んだ事。
 自分がデュオにこうなる事を望んだ。
 なのに何故────こんなに辛い?
 意識せず、瞳からは涙が流れていた。


************************


 記憶の中にあるデュオは、思い出す場面の度、いつも違う、様々な表情をしていた。愛敬のある大きな瞳はいつでも生気一杯で、感情に溢れ動いていた。
 ガンダムのパイロットならば、その行動は全てコロニーの為、その命はコロニーのモノ、その存在はコロニーの道具。単なる道具だから、感情なんていらない、何も感じる必要などない。

 そう、教えられて来た。
 そう、思っていた。

 なのにデュオは、いつもその場その場の状況を全て受け取り、感じた事を感情として表に現していた。
 同じ、ガンダムのパイロットになる為だけに育てられた存在なのに、何故、こんなに違うのだろう?
 それが不思議で、何故か気になった。何故か、その姿を眼で追ってしまっていた。

 『欲しい』、なんて思ったのは何時からだったろう?
 何故、『欲しい』なんて思ってしまったのだろう?




--------------------------------------------------------  (七)

 カトルからの通信があった日から。
 デュオの瞳は、もう、何も映さなくなってしまった。ヒイロの顔を見ても、憎しみも、怒りも、何も浮かべようとはしない。ただ虚ろに開かれているだけで、目の前のヒイロの顔さえもちゃんと映してはいなかった。

 意思のない体。意思のない瞳。

 そんなデュオは本当にただの人形の様で、見ているだけで心が闇に沈んで行く様な感覚に陥った。
 だから、顔を見る事が出来ない。いくら見つめても何の反応もない瞳は、在るだけで自分を責めている様だった。

 こんな瞳はデュオではない、ここにデュオはいない。

 そんな言葉が虚しく心を通り抜ける。・・・だがそれは全て自分のセイ。
 その顔・・・いや、姿さえ見ているのが辛かった。けれど、それでもヒイロはデュオを抱く事を止めなかった。こうなっては唯一その体が示す生理的な反応を見るためか、己の欲望の為か。
 分からない。
 ただ、こんな状態でもまだ、心は内へ内へと向かって叫ぶのだ、『欲しい』────と。
 さらに苦しく、さらに狂おしく、さらに刹那的に、デュオが『欲しい』と。
 他の何をも考えられない程に、全ての思考が凍結して、ただ『欲しい』という感情だけがどうしようもなく暴れまわる。

 何が欲しい?
 ────でゅおガ。
 今、その腕に抱いているのはデュオではないのか?
 ────コレハでゅおデハナイ。
 何故?
 ────ダッテでゅおハ・・・記憶ノ中ノでゅおハ、コンナジャナイカラ。

 動けない体、動かない瞳。感情も、行動も全てが奪われて。・・・そうだ、こんなのはデュオではない。自分が欲しいデュオはこんな人形ではない。
 思い出して見ればいい。

 「ヒイロ?」

 デュオが自分を呼ぶ時は、いつもどんな声でその名を言っただろう?
 呼ばれる度に、自分を自分として見てくれているのが確認出来て嬉しいと感じた、その声は今は聞く事が出来ない。
 良くおどけた様な身振りをして。だけど何処か隙のない訓練された身のこなしで・・・ああでも結構、本気で抜けた事もする、良く動く小動物の様な仕草も見れない。
 いつでも表情を映してくるくると動く明るい瞳も・・・今は見る事ができない。

 声が聞きたかった。
 動くその姿が見たかった。
 生気に溢れて輝く瞳が見たかった。

 ・・・それらが失われたのは、全て自分のセイ。

 そう、自分は恐らく間違ってしまったのだ。デュオを手に入れる方法を。そして、本当に自分が何を欲しかったのかを。
 『欲しい』という欲求は、ただ欲望だけじゃなくて、全てを含んでいた事を。
 声も、表情も、体も、そして心も。
 デュオの全てが欲しかった。その全てを自分に向けて欲しかった。
 恐らく、それがこの『欲しい』という言葉の意味。

 だが、もう遅い──────。
 俺は、気付くのが遅すぎた。
 もう、何をも取り返す事なんて出来ない。
 コイツは俺を許さない。俺は、既にコイツのほとんどを失ってしまったのだ。
 今、この手にあるのは、体だけ。
 そう、この体だけ。
 だから抱く。

 自分に残された、『デュオ』はそうする事でしか感じる事が出来ないから。







RET   NEXT


小説トップ   トップ