聞こえる声 遠い掌




 さて、どうしよう。
 現在、見える風景は、デュオ(俺)の目の前にずらりと並んだ元ガンダムパイロットご一行様。

 「デュオっ、なんでこんな事にっ。」

 カトル…俺まだ死んじゃいねぇって。

 「まったく、こいつはヘンなところで間が抜けている。」

 ひでぇ、五飛。そのいい方ってばあんまりじゃん。

 「…そうだな。」

 トロワ、少しはフォローしてくれよ…ってコイツにそんな事期待する方がおかしいか。

 そして、ヒイロは無言。
 この部屋に入ってきてから口一つ開いていない。
 顔はずっと無表情のままで…まぁ、俺がどうなってもこいつには関係ないんだろうなぁと、分かっているから仕方ない。正直言えばちょっとがっかりしてはいるが。

 白い壁の病室、窓際にあるベッドに寝て身動き一つせずにただ眠っている、自分。
 その自分を見ている…これも自分。
 一体どうしてこんな事になったのか…話は一日前にさかのぼる。
 古巣であるスイーパーグループに戻り、デュオは現在その中でも運送屋として働いていた。で、たまたま仕事で来たこのコロニーに、トロワのサーカス団がやって来ているのを知って、遊びに来たのが昨日の事。

 軽く話をしたりして(トロワはヒイロの様に無視はしないが、あまり話に乗ってくれるタイプではなかった)、その後にサーカスの案内をしてもらい、他の団員達とも結構仲良くなって…まぁ結局は調子に乗り過ぎたのが悪かったのだが。
 団員達と話が弾んで、綱渡りだとかをちょっとやらせてもらって…いや、これが自慢じゃないが初めてにしては結構うまく出来てしまって、自分でもちょっと浮かれてしまって…それがマズかった。
 とはいえ、問題はその時に起こったのではない。
 綱渡りの練習中は問題なく終わり、じゃぁ下りるかと、綱と綱を渡している台の上から梯子に足を掛ける時に…誰かが何か叫んでた…のに気を取られてそのまま転落。
 そうして、気付いてみればベッドに寝ている自分を自分で見下ろしている始末。 
 確かに自分はここにいるのに、人にはこっちは見えないみたいだし、どうやら眠ってる自分の方は植物人間状態らしいし…はっきりいって途方に暮れるしか手段がない。
 これが幽体離脱というやつか!…と感心しては見たものの、流石にずっとこうしている訳にもいかないし、かといって戻る方法も分からない状態では一体どうすればいいのだろう。

 そうこうしている内にも、トロワは手際よく皆に連絡し、こうして元ガンダムパイロット様がこぞって見舞いに来てしまった。

 「デュオ、目を醒ましてください。せっかく平和になったのに、なんで今になって…。」

 カトルは涙を浮かべてそう呼び掛けて来る。
 その様子を見ていると、本当に彼が自分を心配してくれているという事実に嬉しくなる。

 サンキュ、カトル。心配かけてごめん。

 ずっと、浮浪児生活をしてきて、その後もずっと一人で生きてきたから、こうして自分に何かあったときに心配をしてくれる人がいるという事は、とても嬉しい。
 眉を寄せて俯いているトロワも、怒っている五飛も、その態度が本当は自分を心配してくれているのだという事が良く分かるから、本当に嬉しいと思う。
 ガンダムのパイロットになんかなって、たくさん人を殺して罪を重ねてきたけれど、こうして自分を心配してくれる仲間が出来た事は幸せ。
 もしこのまま目を覚ます事が出来ずに死んでしまっても、こうやって仲間に看取られて死ぬならば、自分の人生も棄てたものではなかったと思える。
 だけれど。

 ガチリ。

 大きな音を立てて、扉が乱暴に開かれる。
 その音に驚いて顔を上げたカトルは、ドアの前を見て叫ぶ。

 「ヒイロっ、どこへいく気ですか?」

 見れば、ヒイロはドアを開けて、部屋を出て行こうとしていた。

 「俺がここにいても何にもならない。」

 そして、それだけいうとカトルの制止も待たずにさっさと部屋を出てしまう。

 こいつって…やっぱ薄情だよな。

 他の者達と違って、自分の心配をしてくれないヒイロ。
 ヒイロにとっては、自分が死のうがどうなろうが知った事ではないのだ。

 『関係ない』

 考えてみれば、それが彼が自分に対していつもいう言葉。
 彼にとっては、デュオ=マックスウェルなんてどうでもいい存在。
 そう思ったら…デュオは何故か悲しくなった。
 無視されるのは慣れていても、冷たくされるのは慣れていても、それでもやっぱり少しくらいは自分の事を気に止めてはくれてるかもと、ちょっとだけ、望みを残していただけに、これは辛い。
 だって、デュオはヒイロの事が好きだったから。
 もちろんそれはヘンな意味じゃなくて、あぶなっかしくて気になったとか、悔しいけど自分よりも有能だと認められる点とか、それとかあの瞳…どんな時でも真っ直ぐに前を見つめるあの強くて曇りのない瞳を見ていると、自分も力が沸いてくる気がするとか…そういう漠然とした憧れ…みたいなモノだったけれど。
 すべて否定されてしまった気がする。
 最初から相手にされていないとは知ってても、最近は話し掛ければ応えてくれるようになった分、余計に期待をしていたのだ。

 …ったく、ばかみてぇ。

 ふわふわと、感覚もなく漂っていたデュオは、じっとヒイロの去ったドアを見つめる。

 もう、帰っちまうのかな。

 そう思うと寂しくて、もしこのまま自分が死んでしまったら、これがヒイロの顔の見納めかとも思い、デュオはヒイロについて行く事にした。
 最後にもう一度、ヒイロを見たい。
 ただそれだけのつもりだったのだ。


***********************


 「…っの…バカがっ。」

 ヒイロを探して廊下に出て、突然聞こえた声に驚く。

 ヒイロ?

 探せば、彼はすぐに見つかり、誰も通らない廊下の隅で、一人、俯いている。

 「あいつは…っ。」

 強く握り締めた手がぶるぶると震える。
 俯いたその顔は長い前髪に隠れて表情は見えなかった、けれど。

 「デュオッ…。」

 噛み締める様に、自分の名を呟く、彼。
 こんなに感情的なヒイロをデュオは見たことがない。
 しかも、彼がこんななのは自分の為なのだ。
 自分の…恐らく自分を心配して。

 嬉しい。

 その時に感じた感情は、ただ、喜び。
 無視されたと、所詮自分は彼にとってその程度でしかないのだと、諦めた後だっただけに、余計、それが否定された喜びは大きい。

 ヒイロ…ごめん。

 だけれど、そうしてせっかく自分を気にしてくれた彼に、自分は心配だけさせてどうする事も出来ない。
 近づいて、肩を震わすその体に触れる事さえ出来ない。
 本当はすぐに自分の体に戻って、起き上がるのが一番だけど、どうしたら戻れるのかその方法を知らない。

 「デュオ…お前が…俺は…。」

 え?

 言葉はそれ以上紡がれない。彼が何を言いたいのかは聞き取れない、けれど、もしかして…。
 もどかしくて、どうにかしたくて、一生懸命ヒイロに触れてみる。
 でも、自分にさえ半分透けて見える手は、触れようとしたヒイロの体をすり抜けて、まるで感覚を伝えない。

 ヒイロ…ヒイロ…「ヒイロっ」

 心の中で叫べば、びくりと突然ヒイロが肩を跳ね上げて顔を上げる。

 「デュオ?」

 ヒイロがその澄んだ蒼い目を自分に向けて大きく開く。

 「デュオ…お前…は?」

 視線が思い切り合って…ヒイロは、もしかしてこっちが見えてる?

 「ヒイロ、お前…俺が見えるか?」

 聞けばヒイロは顔の表情を引き締めて、答える。

 「ああ。」

 そして、自分は…。
 
 困った。
 どうすればいいんだ?
 どうすべきか分からなくて、口ごもる。

 「どういう事だ、デュオ。」

 そういって、ヒイロが腕を掴もうとして…そして彼も驚く。

 「デュオ…。」

 呆然とする彼。それは、彼の手がすり抜けてこの体を突き抜けてしまえば、当然だろう。

 「俺も、どうなってんのか分からないけど、どうやら幽体離脱ってヤツじゃねーかと思う。」

 いえばヒイロはすぐに、

 「元には?」

 そう聞いて来る。

 「いろいろ試しては見たんだけど、戻れねぇ。」

 デュオのその答えに、ヒイロはぎりりと奥歯を噛み締めて、睨みつける。

 「戻れ。」
 「だからできねーって。」

 困ってそう答えても、ヒイロの瞳が弛む事なんかない。
 いつも通り、いや、いつもよりもはるかにキツイ視線で、こちらを睨みつけて来る。

 「戻れ、デュオ。でなければ…。」

 でなければ?
 不思議そうに首を傾けてヒイロの言葉を待ってみても、ヒイロはその先をいう事はなかった。

 「お前が戻ったら教えてやる。」

 そういっただけで、口を閉じる。
 なんだろう?
 答えを聞くためには、どうしても戻らないとならないらしい。


***********************


 さて。
 あれから────。
 一応元に戻ろうと努力はしてみた。
 何度も何度も自分の体にくっついて、重なってみたけれど効果など全然なくて。
 いい加減嫌になって、またふらふらとそのヘンを飛び回る。

 暇だ。

 そう考えて、唯一話が出来る相手であるヒイロを探す事にした。
 実際、あれから何人かのところへ行っていろいろ話し掛けたりしてみたものの、ヒイロのようにこちらの姿が見えて、声が聞こえる者は他にいなかったのである。

 「ヒ・イ・ロ・さんっ」

 にっこりと満面の笑顔でホテルの部屋のヒイロを尋ねれば、彼は丁度読んでいた本を置いてこちらを睨む。

 「何をしにきた?」
 「だってさー暇なんだよ。誰も俺が見えないしさー。こうして話出来るのもお前だけだし、少しくらい相手してくれても…。」

 するとヒイロは益々顔の表情を顰めて、またとんでもなく恐い目をしてきつく睨んでくる。

 「霊体は本体から離れ過ぎるとその繋がりが薄まる、という話だ。」
 「え?」
 「お前は、自分の体から離れるべきではない。」

 …。
 それってつまり。
 ああ、やっぱりヒイロは自分を心配してくれてる。
 そう思ってちょっと感動したりしてると、目についたのはヒイロが今読んでる本。
 心霊全書。
 更にその周りにはやっぱりそういう関係の本やら資料やらが転がっていて…。

 「ヒイロ…。」

 なんだ、ときつい目を向けるヒイロに一言。

 「ありがと。ごめんな。いう通りにするよ。」

 そういって笑って部屋を出る。

 「デュオ…」

 出て行く時にヒイロが何か呟いていた気がするけど、それを聞きとる事をデュオはしようとしなかった。
 


***********************


 
 ベッドの前。
 眠っている自分。
 大抵は、誰かしらが見ていてくれるのだが、今は珍しくもこの病室には誰もいない。

 俺、どうなるんだろう。

 ふわふわと自分の上に漂いながら、ただぼおっと考えてみる。
 心配してくれる、皆の顔。
 まさかと思っていたヒイロまで心配してくれる。
 自分でも自分が幸せ者だと思ってしまう。
 なんか、これくらい幸せならこのまま死んでしまってもいいやってくらいに。
 ……それがマズイのかもしれないけど。

 『戻れ』

 ヒイロは真剣に自分を心配してくれて、あんな調べモノまでしてくれて。
 これで戻れなかったら、多分、葬式でまで怒られそう…だけど。

 『戻ったら教えてやる』

 何をいいたいのだろう、ヒイロは。


***********************


 
 「ヒイロ、そうはいっても…。」

 部屋の外が騒がしい、そう思ってすぐ開いたドアからはカトルとヒイロが現れた。

 「だから、俺がいるからお前は帰っていいといったんだ。」
 「だって、君は…」
 「お前の方が、いつまでも仕事を放っておける身分ではないだろう。」

 そうヒイロが言えば、カトルはぐっと口を閉ざす。
 カトルは優しいから、ずっと自分の心配をしてここにいてくれるけど…、そう、本来ならばカトルは忙しくて、こんなとこにずっといられる暇人じゃないのだ。
 ヒイロはちらりとこちらを見て、自分を確認してからすぐにまたカトルへ視線を戻す。

 「とにかく、何かあったらすぐに連絡してやるから、お前は帰れ。」

 カトルは項垂れて…それから何度もヒイロに連絡をしてくれる事を確認してから、病室を出ていった。

 「デュオ、早く目を醒ましてくださいね。」

 最後にそれだけを眠る自分にいって。


***********************


 「悪いな、ヒイロ。」

 部屋に自分とヒイロ以外がいなくなって、ヒイロにそう話し掛けてみる。

 「別に…お前がちょろちょろ動きまわらない様に、俺の方がここへ来ただけだ。」

 いいながら、ヒイロはわざとそっぽを向く。
 回り込んで顔を見ると、またあの凄まじい迫力の目で睨まれた。

 「もしかして…お前。わざわざ暇な俺の相手にしきてくれたとか?」

 言えばヒイロは、

 「お前を暇にさせておけば、体から離れるなといっても、絶対にじっとしてられなくなる。」

 ─────ごもっともです。
 胡麻化す為ににへらっと笑えば、ヒイロは今度は真剣な面持ちで聞いて来る。

 「お前は、本気で戻ろうとする気があるのか?」

 それに首を竦めて、やはり胡麻化しの苦笑い。
 ヒイロはふうと溜め息を吐き、視線を眠る自分の本体へ向ける。
 …あれ?
 今一瞬、ヒイロが見せた表情は?
 見間違いかもしれないけど、まるでそう…悲しいとか苦しいとか…そんな感じの…まさかね。
 ヒイロはすぐにこっちへ視線を戻して一言。

 「バカが。」

 こんどはまたきつく睨まれて、近寄れなくなる。
 だから結局、彼が何を考えていたのかは分からなかった。


***********************


 それから3日、ヒイロは気味が悪い程、文句一つもいわずに自分の体の看病プラスこちらの相手をしてくれた。あのヒイロがここまで自分の為に何かをしてくれるというのは、ちょっと実感できないくらい不思議な感じだ。

 「なぁ、ヒイロ。お前、こんなとこにいる暇なんかあるのか?」

 そう聞けば、

 「別に、忙しい訳ではない。」

 と返されて、それ以上は何も聞けなくなる。…恐くて。
 実際、こうしてヒイロがずっと自分に構っていてくれる状況は、信じられないくらいに嬉しい。だから、少しはヒイロも自分に好意を持っていてくれてるのかなーと思えて、妙に期待している自分に気付き、その期待を外される言葉を聞きたくないから、あんまり詳しくは聞いたりしない。
 会話はいつも一方的で、こちらが話かけるのにぶっきらぼうな返事が返って来るだけだったけれど、考えてみれば必ず返事が返って来る事自体がすごい事だから、十分楽しい。

 お前今なにしてるの?
 学生?
 へぇーらしいな。やっぱL1に住んでんのか?
 ああ、あそこね。んじゃ今度仕事でそっち行くことがあったらお邪魔してもいいか?
 ははは。まぁ、確かにその前に元に戻れたらが前提だけどさ。
 はいはい。そうでうすね。
 …なんだよ、恐いなぁヒイロさんてば。
 相変わらず、目つき悪いぞ、お前。

 たわいもない、そんな会話が楽しくて、ヒイロにずっと話し掛ける。
 …だから、それでちょっと調子に乗り過ぎた。
 

 「いくら看病だといっても、彼の病状は一刻を争う種類のものでもないのだから、君もきちんと睡眠くらいは取りなさい。」

 検診に来た医者が、ヒイロの顔を見るなりそういってくる。
 確かに…ヒイロの顔色は良くない。
 そして…そう、自分はこうして幽霊みたいなもので寝る事なんて必要なかったから気にならなかったけれど、その自分に付き合ってヒイロはずっと起きてたから…寝てない…確かにヒイロは全然寝てない筈だ。

 「悪いな、ヒイロ。俺調子に乗り過ぎた。」

 だからゆっくり寝てくれと、病室から出て廊下にいく。
 もしかして、ヒイロが寝たくない理由は、ずっとこっちにみられてるセイかもしれないとそう思って。

 だから知らない。

 デュオが去った病室の中、眠るデュオの体をヒイロがどんな瞳で見つめていたかなんて。
 頬を撫ぜて、その唇に彼の唇を重ねていた事なんて。

 「デュオ…。」

 名を呼ぶそのたった一言が、どれほど辛そうだったかなんて。


***********************


 それから更に数日がたった。
 その日、ヒイロは医者につれられてこの部屋を出て行き、珍しくもその部屋には自分だけしかいなかった。
 眠る自分の顔を見るというのは、いつもヘンな感じがするが、他にする事もないのだからどうしてもたまに目がいってしまう。
 髪の毛は解かれて広がっているし、こうしてみるとやっぱり男のくせに肩幅とかないし…やっぱ女みてぇ…と我ながら思ったりする。起きてれば違うか、と思っても、そういや自分は目が大きかったかと思い直してちょっと落ち込む。
 考えれば考える程、自分の外見には男っぽさがない気がしてくる。

 なんだかなぁ…。
 …あれ?

 自己嫌悪に陥ってすねていると、なんだか外が騒がしい。
 それからすぐに非常ベルが鳴り出して、廊下へいってみれば黒い煙がもくもくと吹き出していて大騒ぎ。
 火事?
 そうは思っても、自分の体をこの状態で動かす事は不可能だから、どうしようと困り込むくらいしか出来る事はない。
 廊下では皆が皆、とにかく自分が助かる事が一番と、こちらを気にしてくれる人なんかいなくて。
 そうしている内にも煙で廊下は真っ暗になり、人も大方は逃げ出したようでいよいよ自分は取り残された感じになる。
 そうすると元々…このまま死んでもいいか、と思っていた事もあり、完全に諦めてかえって落ち着いて来てしまった。
 このまま死んだ場合、こうしてふわふわしてる俺ってどうなるのか…そのヘンがちょっと気になったけれど…どうしようもない。

 カトル、トロワ、五飛、そしてヒイロ。皆ありがとう…などと最後の言葉まで呟いて。
 …そうしたら、ものすごい勢いで病室のドアが開かれた。


 
 ―――ヒイロ?

 「ばか、どうして戻ってきたんだよっ」

 叫んでも、口許を押さえた状態のヒイロは言葉を返せなくて、ただじろりと睨みつけられる。
 それからすぐに自分の体の方へいって、幸いにも開いていた窓のせいであまり煙を吸っていなかった事に彼は安堵の表情を見せると、そのまま体を抱き上げた。
 そして。
 上でぎゃあぎゃあと騒ぎまくる自分に向かって、ヒイロは顔を上げる。

 「デュオ、自分の体に戻れ。」

 あっさりと、たった、一言。

 「…出来るようなら、とっくにやってるっ。」

 そういっても、ヒイロはじっとこちらを睨んだままだ。

 「ヒイロ、やばいよ。逃げないとお前まで巻き添えくっちまう。まだお前なら逃げられるだろ?」

 言えばヒイロは、どういうつもりなのか、にやりと口許に笑みを浮かべる。

 「ここへくる時に使った通路はもうだめだ。通った後に崩れた音がしたからな。後はここから飛び降りるくらいしか手段はないが…。」

 ここは3階、死ぬ程の高さではない。
 だからまだ、助かる手段はある。
 だけど。
 なにもない状態で、人を担いだまま跳び下りれる程の高さでもない。
 そう、ヒイロはいう。

 「だったら、一人で逃げればいいだけだろっ。」 

 だけどヒイロはゆっくりと首を振る。
 顔を上げてじっと見つめて。
 驚いた事に、その表情は睨みつけているのではなく、優しげだった。

 「お前を放っていくくらいなら、俺も逃げる必要はない。」

 なんだって?

 「ヒイロ…お前何いってるんだ?」

 聞き返しても、ヒイロの表情は変わる事はない。

 「お前が死ぬなら、俺も死んでやる。」

 平然と、そんな事をいう。
 頭の中は真っ白で、どう返したらいいのかも分からなくなってしまって。
 彼のいった言葉の意味は分かったけれど、それをどう受け止めればいいのか心の準備が出来なくて、ただうろたえてしまう。
 だけど、このままではヒイロが死んでしまうと、それだけは分かって、それをどうにかしたくて。

 「デュオ、お前が戻らなければ、俺もここで死ぬ。」

 だからただ一心に元へ戻る事を願った。
 そして…。
 気付いた時、いつもと違う感覚。
 目を開ければ、目の前にはヒイロの顔。
 だるい、という先程まではなかった体の感覚。

 「逃げるぞ。」

 そういって、すぐに立たされる。

 「おいっ、待…って」

 ちょっとよろけて、それでも体がちゃんと動く事を確認する。
 ヒイロは手を伸ばして、その自分を引き寄せる。

 「‥‥‥」

 それから、耳元で一言だけ囁いた。


***********************


 「デュオ…無事ですか?」

 勢い良く、病室のドアは開かれた。

 「カトル、心配掛けたな。」

 デュオは笑って、カトルに話かける。
 その足は痛々しくも、石膏で固められて釣り上げられていたけれど、元気にいつも通りの調子の彼をみて、カトルは涙さえ滲ませてデュオに抱きつく。

 「良かった、デュオ。君が戻って…。」

 それを見て、傍らにいたヒイロの顔が顰められる。
 デュオは、そのヒイロに気付くと、やんわりとカトルの体を離した。

 「悪ぃなぁ…ずっと心配させちまってさ。」

 だけどもう大丈夫、と元気そうに腕を振り回すデュオを見て、カトルはそれでも心配気な表情を崩さずに、今度はデュオの足に触れて来る。

 「デュオ…この足…火傷?」

 そう聞いて来るところを見ると、カトルがここへ来る前に聞いたのは多分、自分の意識が戻った事と、火事にあって怪我をしたという事だけなのだろう。
 デュオは、苦笑いを顔に張り付かせると、隣のヒイロをちらりと見て、言葉を濁しながらも病室から飛び降りた際の怪我だと教えた。

 「そうですか…。」

 カトルはその心配気な顔を崩さずに感心する…けれど。

 「でも、本当に、火事で逃げ遅れる前に意識が戻って良かったですね。…やっぱり苦しくって目が醒めたとか?それとも熱くて?一体きっかけは何だったんです?」

 彼の表情は本気でただ心配しているだけで、聞いて来るのも多分、含みなんて何もない筈。

 「え?えぇ?あの、そのぇーっと…まぁ、そんなとこかな…。」

 とはいえ、まさか「ヒイロに心中してやると脅された」といえないデュオとしては、とりあえずパニックに陥りながらもあやふやな返事を返すしかなくて。…もちろん、ヒイロを見ても、彼は完全に無視を決め込んでいて、助け船を出そうとする気配もない。
 そのデュオの様子に、カトルは何を勘違いしたのか、イキナリ考え込んで、手をぽんと叩く。

 「デュオ」

 手を取って、真剣な顔で見つめて来るカトル。思わずデュオはその迫力に体が引き加減になる。

 「心配しないで。君の怪我が治るまでは今度はウチの姉さんの病院にいればいいよ。僕の目が届くところなら、絶対に君を危険な目に合せないから。」
 「はぁ??」

 一体どうすればそういう話になるのか、デュオには検討がつかない。
 だが、カトルはデュオの返事を聞くこともなく、ヒイロに向かって睨みつけると勝手に言葉を続けた。

 「ヒイロっ、君がそんな人だとは思わなかったよ。本当なら動けないデュオを君が助けなきゃならないのに…もう君にはデュオの事を頼んだりしないからね。」
 「…カトル??」

 果てしなく勘違いを続けるカトルに、デュオの頭は真っ白になる。
 どうやら、どうみても無傷のヒイロを見て、デュオは完全に自力で逃げ、ヒイロはデュオを無視して逃げた…とそう思い込んだらしい。実際は、ただ単に無茶苦茶頑丈なヒイロは3階から飛び降りたくらいではどうともなかっただけなのだが。
 いや、デュオだって、体が完全ならそれくらい大丈夫だったと思う。だがしかし、ずっと寝ていた体は鈍り切っていたし、心の準備もまだなとこでヒイロにつられて飛び降りてしまったし…と頭の中であれこれと理由を考えてみるが、それをまとめてうまくカトルに伝える事は出来なかった。
 とにかく焦ってヒイロとカトルの顔を見比べて見るものの、ヒイロはそれでもまだカトルの視線をただ無視していて、事情の説明をする気はないらしい。

 「じゃあ、デュオ。僕はすぐに手続きをしてくるから。すぐにでも君がこっちに来れるようにするからね。」

 にっこりとデュオに笑い掛ける、天使のようなカトルの笑顔は、デュオが断る事など微塵も考えていないようだった。

 「あ…ああ」

 思わず相槌をうってしまった後、弾む足取りで部屋を出て行くカトルの姿とは対照的に、背中から感じる視線は冷たく…デュオは固まる様に、暫くは振り向く事が出来なかった。

 その後、カトルの向かえが来る前に、勝手にデュオが退院していたという事実は、今更いうまでもないだろう…と、いう事で。




小説トップ   トップ