Silence <4>



いやその…。なんだかなーって展開ですねぇ(^^;;
一応6で終わりです。もう終わってるので、これは確実(笑)






 「おい、俺こいつ知ってるぜ。ガンダムのパイロットだ。」
 「何だと?」
 「ほら、前に捕まった02って呼ばれてた奴のパイロット…確かにこいつだ。」
 「成る程な…そういえば確かに見覚えがある。…・となればとんだ拾い物だ。せいぜい我々の役にたって貰おう。」

 リーダーの男に促されて、一人の男がデュオの体を担ぎあげる。

 「こいつがガンダム02の…。」

 中で一番若い男が、デュオを睨みつけてそう呟く。

 他の男達はデュオを連れたまま、その場を立ち去る用意を始めた。

 「おーい兄ちゃんいるかー。おーい。」

 突然、階下から張り上げる様な大声が聞こえて来た。
 ざわついた雰囲気を引き連れているその声は、どうやら一人ではないらしい。
 そこにいた者達の顔に緊張が走り、各々が顔を見合わせる。

 …暫くの思案の後、リーダーの男が傍らに控えた男に何かを伝えた。言われた男は小さく頷くと、兼ねてから用意しておいたらしい、部屋の隅に設置された小さな小箱────実際その時までは布を被せて隠しておいた────の傍へと走って行った。
 他の者達は、すぐに歩き出したリーダーに付いて行くように歩き始める。
 箱の前の男が蓋を開けて、中の赤いスイッチを押した。途端、ビル全体が振動を始め、壁にはひびが入りだす。

 ────音を立てて崩れてゆくビルの中、地下へ続く奥の階段から逃げた彼らを見たものはいなかった。



************************


 「キキ…。お兄ちゃん。」

 デュオが中へ入ってから、すでにかなりの時間が経っていた。
 不安に耐えきれなくなった少年は、通りすがりの大人達を引っ張って、ビルへと様子を見て来てくれるように頼んだのだった。
 だが…。それからすぐにビルが崩れ始め、見に行ってくれた大人達が逃げて来るその後に、長いおさげ髪の少年の姿は見当たらなかった。

 「ごめんね…ごめんなさい。」

 少年の瞳から大粒の涙が溢れ出す。ぽろぽろぽろぽろ…止まる事なく次々と涙の粒が零れ落ちる。
 そばで見ている大人達も、悲痛な表情で崩壊してゆくビルの姿を眺めていた。




************************


 街のあちこちにある崩れ掛けたビルの残骸に一瞥を投げながら、ヒイロは大通りの人ごみを歩いていた。
 サンクキングダムからさほど離れていないこの街まで、デュオの足取りを追ってやって来たのだが…ここに至って完全に手詰まりになってしまった。

 ここから先の手がかりが綺麗に消えてしまっている。
 誰かが、あるいは本人が故意に消したのか?…その可能性はある。
 だが、ここまでの足取りがこうも簡単に追えた事から考えると、ここへ来て突然…というのは何かおかしい。

 確かにもう、隠れて行動する必要がないとはいえ、何も考えないで行動していたらしいデュオは、その特徴的な外見ゆえ会った人物に覚えられやすく、足取りを追うのもばかばかしい程簡単だった。
 …そう、ただし、ここまでは。
 ところが、ここから先の情報となると、まるでイキナリ消えてしまったかのように何も手に入れられない。

 どういう事だ?

 この街に来てからすでに5日。だんだんと焦りが募って行くのが自分でも分かる。こちらでの手がかりが掴めないとなれば、後はカトルに頼んでおいたウィナー家の情報網に頼るしかなくなるが…待つだけ、というのはいくら仕方ないとしても耐えられるものではない。とはいえ…これ以上、どこをどう探せばいいのか検討もつかなかった。

 ヒイロの、ただでさえ表情に乏しく冷たい印象の容貌が、苛立ちの為に苦いものとなり、ますます近寄り難いものになっていた。
 とにかく、じっとしているのも耐えられそうにない為、万に一つの偶然を期待してただ街を歩き回る…今日もそれだけで終わりそうだった。
 通り過ぎる人々に視線を配らせながら、ただ、ヒイロは歩いていた。

 ふと、視界の端に映った少年の姿に目が行く。いや、厳密にいえばその少年の被っている帽子に目が行ったのだ。
 黒い…よくデュオが被っていたのと似た帽子。少年は手に花束を抱えて走って行く。

 末期的症状だな…。

 あんなどこにでもある帽子、珍しくもなんともない。こんなものまでデュオに結び付けて考えてしまうなんて…自分はそこまで煮詰まっているらしい…。
 自嘲ぎみに口許に笑みを浮かべ、瞳を落として下を向く。

 デュオを追うと決めてから、自分がデュオを好きだと自覚してから、一刻一刻と過ぎてゆく時間が精神にやすりを掛けている。デュオの存在を求めて止まない心が苦しみに叫びまわっている。欲しくて欲しくて、この手の中にない事が耐えられなくて、いてもたってもいられなくなる。
 …そう、このままの状態が続けば狂ってしまいそうな程に。
 デュオへの想いを押さえようとしていた全ての枷が外れた今、身体中を包むこの暴走寸前の感情を押さえる事は出来ない。

 どこにいるデュオ────。

 答える事のない、頭の中に浮かぶデュオの姿に、ヒイロはただ呼び掛けた。



************************


 ────あれから何日が過ぎたのだろう。

 窓一つないコンクリートの部屋の中、デュオは部屋と外とを繋ぐ唯一の接点────ドアをじっと見つめていた。
 元々は倉庫らしかったこの部屋に明かりはなく、真っ暗な暗闇の中でただ時間だけが過ぎるのを待つ。恐らく日に2回────出されている食事の時間だけこのドアが開き、それが確実に時間が過ぎている事を教えてくれる。

 多分、1週間くらい経ったのかな?

 …4日目までは数えていたが、それ以上はやる気をなくした。
 彼らの言っていた計画とやらも気になっていたが、今の自分にはどうしようもない。やる事はないので今の自分には考える事くらいしか出来なかった。

 …だが、こうやって一人になって考えてしまう事といえば…ヒイロの事なのだから余計に気が滅入ってしまう。だから本当は…何も…考えたくなかった。

 目を閉じて床に寝そべり体を伸ばす。両手首には、鎖が短めの手錠の様なものが付けられているので、思いっきり腕も上げて伸びをする事は難しい。こんなとこに閉じこめられている限り、やる事もないしこれで不自由をする事は余りないが、その手にあるだけで『捕まっている』という事を再認識させてくれるのが不快感を煽って嫌だった。

 そうして精神的に苛つく中、いつもの様に閉じた瞼の裏に浮かび上がって来るヒイロの姿…。考えたくなくて頭を左右に振り、無理に別の事を考えようとする。

 あの少年はどうしたろう────。
 俺が帰らないのをきっと心配している。考えてみれば、あの子が言ってた「おばけ」の噂は、多分、奴等のせいだったんだ。

 奴等────。自分達ガンダムのパイロットに恨みを持ってのテログループなんだろうが、自分を生かしておいて一体どうするつもりなのだろう?…そりゃぁ生きてられるなら生きていたいが、奴等に利用されて皆に迷惑を掛けるくらいなら、いっそ殺してもらった方がいいかもしれない。

 …まるで他人事の様に、何の感情もなくそう思う。
 なんだかもうどうとでも良くなってしまったのだ。

 バルジの時の様に、こうやって敵の手の中でただ生かされているだけの状態は、本人の生きようとする意志を萎えさせる。それでも、あの時はまだ、果たされていない任務とか、会いたい奴とか、生きる事へ拘る理由が残っていたから。
 今はそれもない。
 いや、会いたい奴ならいるが、生きていたってもう会えない。────自分で会わないと決めたのだから。

 …今度は…そいつが助けに来てくれるなんて奇跡は起りっこないんだ。

 目尻にじわりとした熱い感覚が込み上がる。
 やがて、それが暖かな水の筋となって頬を伝って落ちて行く。天井を見つめ、動かない大きな瞳からは、涙が次々と溢れ出て来る。

 ヒイロ────。

 ごめんな、ヒイロ。俺は恐かったんだ。お前を失うのが。
 お前が俺を求めてくれる事が嬉しくて、嬉しすぎて、それを失くす事が…いつかお前から別れを告げられる事が恐くて…逃げた。「もう、お前を必要としていない」────その言葉を聞きたくなくて。聞いたら多分、俺は壊れてしまうから。

 あのお嬢さんとお前を見た時、その余りにも同じ瞳に、2人の間に心の根本の部分で繋がった深い絆の様なものが見えてしまったんだ。どんなに離れていても、互いの精神がどこかで関っている切っても切れない強い絆────。
 運命の相手がすでにヒイロにはいる。
 だから、たとえ今は俺の事を欲してくれていても、いつか俺は要済みになる。そう確信して逃げ出した…。

 涙が止めどなく流れて来る。思い出したくなんてないのに、ヒイロの顔ばかりが頭に浮かぶ。

 「ヒイロ…ヒイロ…」

 まるで崩壊しそうになる精神を繋ぎとめる手段であるかの様に、デュオはただ、その名を繰り返して呟いた。

 ふわり。

 突然、首の辺りに何か柔らかいものが触れる。咄嗟に手を伸ばしてソレを掴もうとしたが、ソレはさらに首元へと纏わりつき、おとなしく捕まってはくれなかった。ふわふわと撫ぜる様な感覚に、思わずデュオが首を竦める。

 「おい…キキ、くすぐったいってぇ…」

 口許に少しだけ笑みを浮かべて囁く。
 捕まったデュオの内ポケットに入ったまま、一緒にくっついて来てしまったハムスターは、伸ばされる手を巧みに避けて、反対側の首元へと移動した。
 途中仰向けのデュオの喉上を通過し、それがまた、くすぐったくてたまらない。

 「おい…」

 今度は反対側の肩を上げて見をよじる。柔らかな毛が細かく揺れながら触れて行く感覚に、目に涙を溜めたままデュオが笑い出した。
 耳元、髪の中、首の付け根へと、するすると勝手に動きまわるハムスターを、戒められて自由に動かせない手で懸命に追い掛ける。

 「よしっ。捕まえたぜ。」

 やっとの事で小さく動く毛の塊を手の中に収めると、掌に小さな命の暖かさが伝わって来る。
 その感覚に、何故だか心が落ち着いて、優しい気持ちになれる様で…両手で軽く捕まれたそのハムスターを、そっと自分の頬へと近づけてみる。暗闇でも分かる白い毛玉が身じろぎする度に、柔らかな毛が頬を優しく撫ぜて行く。

 「へへっ、やっぱくすぐったいや…」

 どこか寂し気なものが残っていたが、それでも笑顔で、デュオは小さなハムスターに話し掛けた。

 「又、お前に慰められちまったな…」

 幾分、首を傾げ、白いヒゲをひくひくとさせてデュオを見つめ返したが、もちろん、ハムスターが返事をする事なんかない。…でも、こうして、その小さな体温に触れているだけで、デュオにはかけがえのない救いになった。
 もし、本当に一人だけでここに捕まっていたのなら、恐らく、3、4日でおかしくなるか自殺を考えていたかもしれない。
 …物の言わぬ小さな命は、今のデュオにとって、心の拠り所に等しかった。



 コツ、コツ、コツ…。

 ドアの向こうから、固い靴底が床を叩く音がする。
 軍靴による規則正しい足音が、ゆっくりとこちらへ近づいて来る。

 そういやそろそろメシの時間だっけ?

 デュオは、手に持っていたハムスターを傍に丸めてあった毛布へと隠すと、ガチリとドアノブが音をたてる鉄のドアを睨みつけた。
 重い金属音と共に、真っ暗な部屋の中に光が入り込み、一人の兵士の影を浮かび上がらせる。

 「食事だ。」

 それだけ言うと、兵士は座り込んでいるデュオの前に食器を置く。
 それに一瞥だけ視線を投げると、デュオは目の前に来たまま動こうとしない兵士の方へと顔を上げた。
 少しだけ光に慣れた目がぼんやりとその兵士の顔を映し出す…若々しい顔、青い瞳、ダークブラウンの髪の毛の…。

 こいつ…か。

 デュオの目の前に立っていたのは、捕まる原因にもなったヒイロと同じ髪と瞳の色を持つ若い兵士であった。
 今日はこいつが捕虜への食事運搬役らしい。
 …意識もせずに溜め息が出る。

 分かっている。
 分かっているのに…何度も見ていても尚、この兵士の顔を見た途端に、一瞬だけヒイロではないかと思ってしまうのが我ながらバカバカしかった。そんな筈なんかないのに、どこかでまだ期待をしている自分に気付き、情けなくて涙が出そうになる。

 …そんな事を考えてしまうから、こいつが当番の時は嫌でしょうがない。
 しかも、こいつ自身も他の奴等に比べてヤケに自分を見る目がキツイ。まるで個人的に凄まじい恨みでもあるかの様に。
 こちらは知らないが、こいつは自分を知っているのだろうか?

 やっとの事で光に完全に目が慣れて、見上げた兵士の顔がハッキリと認識可能になる。
 いつもの様に殺気を含んだ瞳でデュオを見ていたのは変わらなかったが、今、見上げたその顔には…口許を釣り上げて何か嫌な…嗤うかの様な笑みを浮かべているのが分かった。

 「お前…泣いていたのか?」

 言われて思わず顔を手で覆い隠す。

 まずった、さっき泣いたせいできっとまだ目が赤かったんだ。

 顔を合わせないよう、すぐさま下を向く。
その様子を見た兵士は声を上げて笑い出した。どこかヒステリックな、暗く響く嘲笑の声がコンクリートの壁にこだまする。

 「ははは…情けないもんだな、ガンダムのパイロット。」

 煩い。お前に言われなくても分かっている。

 「何が悲しい?それとも悔し涙か?…そうだよなぁ…こんなとこに捕まって、逃げる事も出来ず、ただ我々がお前をどうするか待ってるだけだもんなぁ。」

 兵士の、調子がずれて高くなった声が神経を逆撫でて頭に響く。こんな奴とヒイロを一瞬でも重ねて見えてしまった自分に怒りさえ覚えてしまう。

 「どうした?肩が震えてるぞ。よっぽど悔しいんだな、はは、はははは…」

 兵士は更に激しく笑い出す。下を向いたまま、デュオは一言も声を発せず、兵士の声を無視しようと努めた。
 だが、頭の中に鳴り響く笑い声は、むき出しの骨を削る様な痛みを精神に与えてゆく。
 早く…どっかへいっちまいやがれ。

 ……。
 突然、あれ程激しく笑っていた兵士の声が止まった。…と思うと、今度は先程までの狂気の声でない、喉の奥から絞り出される低い声がデュオの耳へと聞こえて来た。

 「…苦しめ。貴様はただひたすら苦しめばいい。苦しむだけ苦しんで…そして俺が殺してやる。」

 うって変った声の調子に、少しだけ顔を上げて兵士の顔を覗き見る。

 「あんた…俺に恨みでもあんのかい?」

 聞いた兵士は、デュオの瞳を睨み付け、間髪入れずに答えた。

 「そうだ。俺の親父はお前に殺された!シンガポール宇宙港だ、覚えているか?宇宙港の守備隊のMS乗りだった親父は、02と呼ばれた黒いガンダム…お前に…ざっくりと切り裂かれて爆死したそうだよ。遺骨も何もあったもんじゃない。…オズの兵士に志願したのも、この計画に乗ったのも、全てガンダムのパイロットに復讐してやりたかったからだ。…だが、神様も親切な事をしてくれる。ガンダムのパイロットの中でも親父を殺した張本人に、こうやって直接復讐の機会を与えてくださるんだからな!」

 兵士は再び笑い出した。先程の様な狂った笑いではなく、苦しみと悲しみを織り重ねた乾いた笑い声。
 兵士を睨みつけるだけだったデュオの瞳の険が落ちて来てしまう程に痛々しい声。
 目はこれっぽっちも笑ってなどいないのに、声だけが笑っている。どこか壊れてしまった様に…。

 この男がこうなってしまったのは、すべて自分のせいなんだ。

 そう思うと、向けられる憎しみの瞳に、同じく憎しみの瞳で返す事が出来なくなる。
 恐らく…こいつは自分が父親を殺すまでは、幸せな家庭の中で育ったのだ。自分が子供の頃、欲しくてたまらなかった親からの愛情をたくさん貰って育ち、その幸せを…自分が壊した。

 分かっている。自分は今までたくさんの人間を殺して来た。
 こいつだけじゃなく、殺した分だけ、他人の幸福を壊して来た。
 自分が信じるものの為に、自分が生きる為に。
 数え切れない程の人間を殺して来た。
 …その罪が決して消えるものでない事も分かっている…分かっている…けれど、こうして現実を突きつけられると、やはり、キツかった。
 …どんな理由を言ったとしても、こいつは自分を怨む権利があって、自分が罪人な事に変わりはないから。

 デュオは瞳を竦めて兵士を見た。
 それを見た兵士の笑い声が止まり、代わって苛立ち混じりの怒鳴り声が叩き付けられた。

 「なんだ…。何故、そんな目で俺を見る?───それは哀れみの目だ、お前が俺を見るべき目じゃない。今の貴様は恐怖と苦痛だけを感じればいい。お前は親父のかたき、お前に同情される筋合いはない。───やめろっ、その目で俺を見るなぁっ」

 悲痛に響く叫び声と共に、兵士の手がデュオの頭の髪を掴み床へと投げ飛ばす。そのまま、床に転がるデュオの体の上に兵士の体がのしかかって来る。

 「何をっ」

 言葉を発する前に、伸ばされた手がデュオの頬を平手で叩く。襟首を掴み、顔を手繰り寄せて、左右の頬を交互に何度も狂った様に打ち据える。
 デュオの体から力が抜け、抵抗の意志が消えたのに気付くと、兵士は漸くその手を止め、今度はデュオの上着の前をはだけた。

 「やめろっ」

 兵士の意図に気付いたデュオが、顔を蒼白にして叫ぶ。その顔を見た兵士の瞳が喜びの笑みで歪められた。

 「そうだ。お前は苦しむんだ。」

 上着をはぎ取り、シャツをたくしあげて、顕にされた肌へ兵士の舌と指が這いずりまわる。
 全身が総毛立ち、嫌悪感に体が震える。
 吹き掛けられる荒い吐息が、さらに生々しさを感じさせて吐き気がして来る。
 時々、憎しみを込めて肌を噛まれる度に、苦痛に顔が顰められるのを押さえる事は出来ない。

 抵抗をしたくてもする事が出来ない…兵士の呟く言葉、繰り返し囁かれる『人殺し、人殺し』という言葉が全身を縛り付けているかの様だった。

 お前は人殺し、どんな罰も受けねばならない…そう、言われている様で…。

 下肢の服を取り去られ、全身が外気に晒される。
 それでもデュオは、何の抵抗もしようとせず、されるがままに横たわっているだけだった。
 その晒された下肢へ掛かる手の感触に、ビクリと小さく体が跳ね上がる。
 兵士の体が、ゆっくりとした動作で、仰向けに寝かされたデュオの体の上へと覆い被さって来る。
 視界に入る狂気の笑みをした男の顔を、意識が半分飛ばされた空ろな瞳でデュオは見ていた。
 体からはすでに力は抜けている、肌に感じる感覚も半ば意識へ届いていない。人形の様になすがままの体を、兵士は手荒く抱えあげ、その内部へと進み入った。

 「はっ…。」

 喉が痙攣する短い声と同時に、身体中の筋肉が痛みに強ばる。
 自分の中を掻き乱される感覚に、心と体の全てが拒絶し、喉の奥へ悲鳴が込み上げて来る。
 だが、それは声として吐き出される事はなかった。
 なぜなら、声は封じられているから。
 …兵士の言葉に、それを聞いた自分自身の心に…。

 「人殺し、人殺し…人殺しめ…。」

 精神と肉体の両方を苛む痛みに追いあげられ、意識が白濁して来る中、耳元で囁かれるその言葉だけが頭に刻みこまれる。
 苦痛と罪の意識がデュオの精神を飲み込み、現実から引き剥がされるほんの一瞬、自分を貪る兵士の姿がヒイロに見えたのは、最後に与えられた神様からの一かけらの慈悲だったのかもしれない。

 ヒイロ────。

 空ろな瞳で、戒められた手を目の前へ持ち上げる。だが、幻のヒイロの姿にその手は届く事はなく、ただ何もない空間だけがその手に掴めたものの全てだった。

 薄く開けられた青紫の瞳がだんだんと瞼に覆い隠されていく。
 …完全に閉じられたと同時に一粒の涙がその眦から零れ落ちた。

 全ての視界が崩れ落ちるて行く中、デュオは意識を手放した。



************************


 ヒイロは街を歩いていた。
 顔を上げれば、ここへ来て9日目の太陽が、崩れたビルの谷間に沈むその姿が目に入る。
 今日も何の収穫もなく一日が過ぎようとしていた。
 カトルからの連絡も何もない。
 それでも部屋へ帰ったら、今度はコンピュータでの情報収拾がある。まだ、今日は終わっていない。
 …そう、思い込ませてみたところで、焦燥感に煽られた心が落ち着くものではなく、込み上げて来る苛立ちを押さえる術はなかった。
 最近では、眠る事さえままならず、デュオを探す為に何かをしていなければ、平静を保っている事も困難だった。

 デュオ、どこにいる?

 ヒイロの心の叫びはどこへも届かず、ただ今日という日が無碍に過ぎて行くだけだった。

 限界が近づいている────。
 もうすぐ耐えられなくなる────。

 実際、本人は神経が麻痺して感じていないが、精神だけでなく、身体の方の疲労も限界に近づいていた。睡眠も食事もまともに取られていないのだから当然と言えば当然だが、体の方の疲労が精神をさらに蝕んでいる事も否めない。
 いくら訓練を施された体でも、一週間以上ずっと酷使され続けた体は、本人が気付かぬ内に確実に衰えている。そして、それが精神の衰弱に拍車をかけ…また、その精神の方は体が休む事を許さない…。悪循環へ落ちて行くだけなのに、立ち止まって自分に気を掛ける余裕など今のヒイロにはない。
 街を見つめる青い瞳は、肉体と精神の疲労を映す様に曇りがちで、目に映る風景もぼやけて見える。

 そのヒイロの目の前に、突然、黒い帽子が浮かび上がった。

 あの帽子は確かデュオが被っていた…。

 通り過ぎていこうとするその帽子を、ヒイロの足が引かれる様に追い駆けた。
 手を伸ばせば届きそうなのに、もう少しのところで捕まらない。

 もう少し、もう少し…。

 やがて帽子は動きを止める。
 それをヒイロは奪う様に掴み取った。『デュオ』と名を叫びながら。

 「何すんだよっ。」

 耳へ飛び込んで来た幼い声に、我に返って自分の手を見つめた。
 手には今掴み取った黒い帽子が握られている…だが、目の前にいるのはデュオではない。

 「返してよっ、それは大事なものなんだからっ。」

 歳の頃5、6歳の小さな少年が、ヒイロの足を叩いて抗議をしている。この子は確か…前にやはりこの帽子の為に気に止めた事がある…。

 少年は、前の時と同じく手に花束を持っていた。空いているもう片方の手で、一生懸命にヒイロの足を叩いている。

 「すまなかった…。」

 手に掴んだ帽子を少年の頭へと返してやる。
 それを確認すると、少年は安心した様な笑みを浮かべ、ヒイロに背を向けた。  それから、持っていた花束を目の前の地面へと置くと、小さな手を合わせて祈り始めた。
 目前にあるのは…崩れたビルの残骸。少年はそれに向かって祈っているらしかった。

 「誰か死んだのか?」

 祈りを終えて、立ち去ろうとした少年に声を掛ける。
 すると、少年は瞳を悲しげに曇らせ、たどたどしく言葉を返して来た。

 「うん…。キキと、この帽子をくれたお兄ちゃんが…。」

 ──────。

 頭の中に、一瞬空白が広がる。
 ドクン。
 心臓が跳ね上がり脈が急激に速くなったのが自分でも分かった。嫌な予感が身体中を駆け巡っていく。

 「どんな…奴…だっ…た。」

 そう一言聞くだけで喉がカラカラに乾き、それ以上の言葉が出せなくなる。
 予想される答えの恐ろしさに、全身から血の気が引き、背に冷たい汗が走る。
 …それでも、確認しないワケにはいかない。

 「あのね…茶色い髪でね、こーんなに長い三つ編みのお兄ちゃん。」

 少年が、無邪気な動作で自分の腿を手で差しながら答える。

 「それで、丁度お兄ちゃんと同じくらいの背だったと思う…」

 ふつり…と。
 ヒイロの中で何かが切れた。
 限界まで張り詰めていた体と心が、その事実の過負荷に耐え切る事は不可能だった。
 少年の言葉が導き出す答えを頭が理解する前に、追い詰められていたそれらが音をたてて焼き切れた。

 「チ…ガウ…。」

 途切れ途切れに、喉の奥から込み上げて来る声。心と体と…自分の全てが突きつけられた事実へ激しい拒絶反応を示す。

 「お兄ちゃん?」

 訝し気に見上げる少年の目の前で、エネルギーの切れたロボットの様に、ヒイロの体が地面へと崩れ落ちる。
何も見えない。何も聞こえない。ただ暗闇の中へ吸い込まれて行く────。






 ────最初は、嫌なだけだった。

 自分と同じ立場にいながら、いつも笑っているあいつを見るのが。
 自分の中の感情を逆撫で、その苛つきのままに突き放しても、何でもないかの様に付き纏って来たあいつ。
 それが、いつからだろうか、自分の目があいつの存在をいつでも無意識に探す様になったのは?
 あいつが居ない事の方に苛つきを感じる様になったのは…。
 それが何故か分からなくて、ただ、感情を乱されるのが不安で…あいつを殺してしまおうとした。
 そして…この手の中で息が途切れたあいつを見た時、自分の感情に気が付いた。
 俺は、奴を欲しかっただけなのだと。
 だが、それでもまだ、その時は自分の感情の全てに気付いた訳ではなかった。
 だから、離れて行くあいつの手を離してしまった。だが、今なら──────。

 追い掛けて、探して、気が狂わんばかりに求めた存在。次に会ったら二度とこの手を離さない。絶対に逃がしたりしない。

 探して、探して、探して──────そして手に入れたものは?

 嘘だ…信じられない…信じない。誰が信じてなどやるものか。




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