Silence <2>






 デュオは走っていた。

 「おい、デュオ!」

 背後からヒイロの声がする。
 追い掛けて来てくれている?───あの、ヒイロが?…まさか───
 本当は嬉しかった。走る足を止めて、振り向いて抱きついてゆきたかった。
 …でも、もう、自分はヒイロと別れる事を決めたのだ。…捕まる訳にはいかない。
 今、ヒイロと顔を合わせたら、せっかくの決心が鈍ってしまうから。

 ───だから走った。とにかくひたすら。パーティー会場を抜けて、警備員の間をぬって。

 …そうして気が付けば、先日、星を見る為にやって来た丘の上まで走って来ている自分がいた。

 息が…苦しい。
 会場からここまでは、確かかなりの距離があったと思う。
 とにかくただずっと夢中で全力疾走をして来たので、後ろを振り返る余裕もなかった、けれど───ヒイロはどうしただろう?

 さすがに疲れて縺れた足の為、走る速度も急激に落ちてきている。
 息も整えないと…もう、走れない。

 だが、デュオがその足を止めようとした時。
 イキナリ頭が後ろに引かれる感覚がしたかと思った途端、疲れて力のないデュオの体は、声を出す間もなく簡単に草むらの上に倒れ込んでいた。
 体が地面へ打ち付けられる痛みに、思い切り顔をしかめる。ぐっと目を閉じて、痛みが多少なりとも収まるのを待つ。
 そして。
 目を開けた時、真っ先に見えたのは、デュオのおさげ髪を握り締め、怒りとしか取れない瞳でじっと自分を見つめているヒイロの顔だった。

 「どういう事だ?」

 多少途切れ途切れではあるものの、これだけ走った割にはさ程息の乱れていない声で、ヒイロはそうとだけいった。真っ直ぐに見つめる青い瞳が、デュオの瞳を覗き込んでいる。
 収まっていた涙腺が、また緩みそうになった。

 だめだ。あの瞳を見ていると、自分の弱さをさらけ出してしまう。

 ヒイロの視線から隠す様に、デュオは腕で自分の目を覆った。

 「デュオ!」

 ヒイロの眉が忌々し気に寄せられ、髪を掴んでいない方の手が、デュオの肩を強く地面へ押し付ける。

 「ってェ。…お前って本当にバカ力なんだからよォ。」

 無理に口元に笑みを浮かべ、冗談めいた口調で話す。声は…どうにか震えずに済んだ様だ。

 「あんなに走ったのに、大して息も乱れてないしさぁ…あ〜あ、力だけじゃなく持久力でも勝てないとはね…。」
 「俺はそんな事は聞いていない。何故《さよなら》なんだ?…答えろ」

 デュオの軽口は、ヒイロの苛立ちの声に遮られて、最後まで喋る事は出来なかった。
 ヒイロの言葉の勢いに押され、デュオも口を閉ざし、重苦しい沈黙が2人を包む。走った為に乱れた、荒い息遣いの音だけが、耳に聞こえている。

 「お前は…いつも分からない」

 沈黙を破って、ポツリ、とまるで独り言の様にヒイロの口から言葉が漏れた。

 「近づいて来る時も、離れてゆく時も、お前はいつもお前だけに分かる理由で勝手に行動する。お前の考えは分からない…・。その、いつでも笑っている顔の下は、一体何を考えている?」

 急に力をなくした声に驚いて、デュオが目の上の手を降ろしてヒイロを見上げる。

 ヒイロの瞳が細められている。じっとデュオの瞳を見つめる強い輝きはそのままであったが、表情は酷く辛そうに見えた。

 ───違う。ヒイロはこんな顔をする奴じゃない。

 だが、否定の言葉は心の中を虚しく通り抜けて行くだけだった。
 そう…ヒイロのこんな顔を見たのは初めてじゃない。ヒイロが自分を殺しにやって来たあの時…。部屋に入って来たヒイロが最初にしていたのも、確かこんな顔だった。…あの時は瞳の輝きさえ失っていたけれど、今の顔によく似ていた。苦しそうで、今にも泣き出してしまいそうに弱い部分を見せたヒイロ。

 こんなのはヒイロじゃない。
 ヒイロの瞳はいつでも真っ直ぐに前を向いて、自信に溢れた強い輝きを放っている筈。
 だけれど…。そう…。
 前の時も今も、ヒイロがこんな顔をしているのは自分のセイだ。こんなヒイロは見たくないのに…自分の…セイ…だった。
 デュオはヒイロの瞳から再び視線を逸らした。見ていられなかったのだ。これ以上、ヒイロの顔を。

 「ごめん…ヒイロ。」

 目を見ずに、謝罪の言葉だけが口からこぼれる。だが、その言葉はさらにヒイロの感情を煽り、その瞳の怒りの炎を膨らませた。

 「お前は何も分かっていない…。分かろうともしない。」

 震える声。喉から絞り出されたソレは、怒りと悲しみと…激しい感情を叩き付けてデュオの心に染み込んで来る。痛みに彩られたヒイロの声。

 ────ポタリ。
頬に冷たい感触を感じた。まさか…。

 「ヒイロッ?」

 逸らした視線を戻し、慌ててヒイロの顔を見る。暗闇でも映える澄んだ青い瞳は、その輝きに怒りを映していた。だが…その瞳の端には確かに光るモノが見える。
 何故、ヒイロは泣いている?こいつが泣くなんて事ある筈がない…。呆然とヒイロの涙をデュオは見つめる。
 しかし、そうしてヒイロの顔を見れたのはほんの一瞬の事だった。
 急に真近に迫って来たヒイロの顔と目があったと思った瞬間、デュオの唇はヒイロの唇で塞がれていた。顔を見るもなにも、あまりに突然の事に、頭も行動も付いて行けない。
 強引に、ひたすら唇を求めてくるヒイロが繰り返す激しいキス。息をつぐヒマも与えない程に追い求めてくる様に、思わず、息苦しさのあまり上に被さるヒイロの頭を引き剥がしてしまう。

 「―――う…。」

開放された口から深い呼吸を繰り返して空気を求める。その顔を見るヒイロの瞳がますます剣呑な光を宿していたのに、デュオは気付けなかった…。

 素早い動きがデュオの体を戒めようとする。腕を地面に押さえ付け、下肢の動きはヒイロ自らの体を覆い被せる事で封じてくる。何か言おうとするデュオが、声一つ上げる間もない程の速さで再び唇が重ねられ、言葉も封じられる。乱暴に口内を掻き乱される感覚に、反射的にデュオが暴れ出す。それを押さえる為、さらに力を増した腕が、デュオを地面へと張り付ける。
 力を込められた腕が痛い。
 だが、それを訴えようにも口は塞がれていた。
 くぐもった声だけが口の中で出口を得られずに微かに鳴る。

 ────合わせられた唇は思いの他すぐに離され、その代わり、今度は耳元へとヒイロが顔を潜らせてゆく。デュオの手を押さえ付けていた腕が外され、力まかせに服の襟をこじ開けた。ネクタイを引き抜き、ワイシャツの前を、ボタンが弾け飛ぶのもかまわず乱暴にはだける。
 それに気づいたデュオが声を上げる。

 「おいっ、ヒイロ。この服は借り物だっ。分かってるのかっ」

 自分でも間の抜けた事を言ってると思うが、遠回しにでも、ヒイロの気を削ぐ事が出来ればいいと思ったのだ。
 多分、今のヒイロは正気じゃない。
 自分の頭の混乱を整理する為にも、ヒイロの頭を落ち着かせる為にも、とにかく今は行為を中断して欲しかった。

 …だが、それに返すヒイロの声は冷たくて。

 「こんな時に、そんな事を気にしているのか。」

 吐き捨てる様に言い放つヒイロ。
 ちらりとだけデュオを見返した顔には、酷薄な笑みが浮かんでいた。そして…その頬はハッキリと分かる程、涙に濡れてもいた。途端、心に罪悪感に似た痛みが浮かび上がる。

 何故…なのだろう。
 何故お前が泣く?俺のセイ…俺が離れていくと言うから?お前はそれ程までに俺を求めていてくれるのか?

 その考えは、デュオの心に喜びの波をたてさせる。自惚れかもしれない。でも、そうであったなら…それだけで十分幸せ。もう、2度とヒイロと会えなくなっても、そこまで思って貰った今だけを心の支えにして生きていける。
 ────生まれて今まで、自分をこれ程までに意識して貰ったのは初めてだった。いつでも人の幸せを遠くで眺める事しか出来なかった自分。初めて自分の手の中にある幸せ。

 ヒイロへの愛しさが込み上げてくる。このまま気持ちを受け止めて、ただヒイロに縋っていられたらどんなにか幸せだろう。
 …でも…違う。
 彼は…自分と一緒にいるべきじゃない。

 ────ヒイロが好きだから…ヒイロにはいるべき場所で未来を掴んで欲しかった。自分といたってきっと何も掴めない。自分に未来はない…それは分かっていた事。
 大丈夫、自分は今の幸せがずっと続くものじゃない事くらい、最初から覚悟していたから。
 デュオが体の力を抜く。きっとこれが最後。だから…。

 ヒイロと触れる肌が熱を持っていく…。
 ヒイロの吐息が体を煽る…。
 だけど、それは体だけ。
 体だけでなく、心も、吐息も、すべてが重なったあの時と今は違う。デュオは別れの決意を固める為にヒイロを求めた。ヒイロはただ、感情のままにデュオ自身を求めた。どちらも相手を心から求めていたにも関らず、2つの心が触れ合う事がない行為。擦れ違うお互いの心はどちらも冷えていくだけで、体の熱さは何も与えてはくれなかった。

 すでに抵抗を辞めた体に、ヒイロが自身を進める。痛みに反射的に漏れるデュオの声に、ヒイロの瞳はさらに辛そうな色に沈んでいった。

 「違う…。」

 そう、呟いたヒイロの声が聞こえた気がした。
 顔は見えない。けれど、彼の瞳はまだ涙を流しているのだ…。
 デュオはそれを確信していた。

 「ごめん…。」

 出すつもりでなかった言葉が何故か声になっていた。ただあまりにも小さな声だったので、ヒイロに聞こえたかは分からない。
 ────デュオも涙を流していた。だがヒイロにその意味は分からなかった。ただ微かに聞こえたデュオの声に返す様に言葉を紡いだ。

 「違うんだ…。」

 声は小さすぎて、体の熱に意識を包まれ始めたデュオの耳には聞こえなかった。
 



************************


 「ヒイロ…」

 意識がハッキリと戻ると、目の前にはやはりじっと自分を見つめるヒイロの顔があった。
 その瞳には、数刻前まであれ程強く放っていた怒りの炎は少しも見えはしなかった。
 頬の涙はほとんど乾き、その跡も分からなかったが、表情も雰囲気も、いつものヒイロのものではなかった。
 心配気に弱々しく伺う様な瞳は、見ていられない程に痛々しさを感じる。だけど、それが自分の為にだと思うと愛しくて…。
 そっと、自分の手をヒイロの頬に触れる。

 「なぁヒイロ。俺はお前と一緒に行けない…。お前は…さ。あのお嬢さんと一緒に行くべきなんだ。」

 だが、ヒイロに向かって優しく微笑みながら伝えたのは、別れへと続く言葉だった。

 俺は酷い奴だよな…。
 でも、今、言わなくてはならないんだ。

 「何故…そう思うんだ?」

 ヒイロがすぐさま問い掛ける。驚いた様に少しだけ目を大きめに開いて。
 少なくともその顔から弱々し気な翳が消えたのに少しだけデュオはほっとした。
 だが、しばらく次の言葉を言えずにヒイロの顔をじっと見ていたら、どんどん先の言葉をつげなくなってしまって……その長い間にヒイロの眉が不審そうに寄せられる。
 それでも、目は離さずにじっと真っ直ぐにデュオを見つめ、次の言葉を待っていた。
 澄んだ青い瞳。
 今迄いろんな人間の瞳を見て来たけれど、ヒイロの瞳が一番綺麗だと思う。その瞳を見ていると、まだちょっと心がくじけそうになるけれど。
 それでも、もう心は決まっていた。
 静かに口を開くと、自分でも驚く程の落ち着いた声が出て行く。

 「お前とお嬢さんは、同じ瞳をしてる。」

 しっかりと目はヒイロの視線を受け留めながら話した。

 「きっとそれは…二人が同じ種類の魂を持っているって事なのさ。だから…お前達は一緒に居るべきなんだ。」

 言い切って再び軽く目を閉じる。気持ちを落ち着ける為に。…それから、ゆっくりと目を開いてヒイロの顔を見上げた。眉を寄せて困惑の表情を浮かべるヒイロを。やっぱ…納得…してくれないだろうな…と、苦笑に自分の顔が歪んだ。

 「言っている意味がよく解らない…。俺とリリーナに共通するものがあるからと言って、何故、それだけで、俺がリリーナと一緒にいるべきという結論が出せるんだ?」

 ヒイロの言葉を聞いて、デュオの目が寂しげに細められる。その顔を見て、益々困惑するヒイロへ、デュオの両腕が伸ばされ…そのままヒイロの頭を抱き抱える様に引き寄せた。
 驚くヒイロの耳元で、デュオが力のない、小さな声で囁く。

 「うん…。お前は分からないだろうな…。それは…それでいいんだ。だけど…多分、時が来れば分かるのさ。きっと…。」

 消え入りそうに耳の内に響く声。
 デュオ、と無意識にヒイロの口からデュオの名がこぼれる。
 ───彼には今、どうすればいいかが分からなかった。いや、今だけではない。いつでも、分からなかった。分からないけれど、こんな弱々しいデュオの声を聞いているのが、どうしようもなく辛かった。辛くて、どうにかしたくて、してやりたくて…でもどうすればいいのか分からなくて。

 そのもどかしさから、唯一逃げる手段だとでもいう様に、自らの腕でデュオの体を抱き締めた。
 それでも手の中をすり抜けて行く、この不安を消し去る事は出来なくて…。どんなに強く抱き締めていても、ヒイロにはデュオを遠くにしか感じられなかった。

 デュオはその目を閉じてヒイロの腕の感触をさらに感じようとした。
 暖かい、ヒイロの体温。心地良くて、深い安心感に包まれるようで…。このまま瞳を閉じていれば、ずっとこの時が続いてくれそうな気がした。…でも今。きっと今を逃したら、自分はヒイロと別れられなくなってしまう。

 デュオはゆっくりと瞳を開いた。そして、一瞬だけ、思いを断ち切る為に歯を強く噛み締めると、さらにヒイロへの言葉を続けた。

 「それにさ。…俺、お前といるとだめなんだ。」
 「だめ?」

 体を包んでいた強い力が緩められる。抱き締めていた腕が解かれ、ヒイロがデュオの顔を覗き込む。

 「どういう事だ?」

 ヒイロの瞳と視線が真正面から合う。逸らさずに、自分も出来る限りの表情を消した強い瞳で受け止める。そう、ヒイロにはあまり見せた事のない、《死神》と呼ばれたもう一つの自分を演じて。

 「俺は…生まれてこの方、ずっと一人で生きて来た。一人で生きていくには強くならなければならなかった。…お前もそうだろ?。…だから俺は俺なりに強くなって来たつもりだった。…だけど。お前といると俺はどんどん弱くなっちまう。そんな自分を、自分で許す事は出来ない。俺は弱くなりたくない。…・だから、俺はお前と離れたい。────こっちの理由なら、お前も理解出来るだろ?」

 最後の言葉は悲し気な笑みを浮かべながら。そう、言った。

 これは…卑怯な理由だな。

 自嘲の笑みが、口元に少しだけ浮かび上がった。多分…この理由ならヒイロは否定をする事ができない…。それを分かっていて言ったのだ。
 もちろん、この理由自体も、ヒイロから別れる理由の一つとして嘘ではないけれど…。

 ───ヒイロは何も返事をしなかった。ただ黙って考え込んでいるだけだった。
 デュオはそんなヒイロをじっと見つめていた。最後にその姿を目に焼き付けているかの様に、しばらくの間、じっと考え込むヒイロの顔を見ていた。

 「じゃぁな。…だから、これで…本当に…さよなら…だ。」

 その言葉に反応した様に何か言いかけたヒイロの唇に、そっと自分の唇を重ねる。
 先程の行為とは違う優しいキス。
 それからすぐに唇を離すと、力を掛けずに上に覆い被さっているだけのヒイロを避けて起き上がり、そのまますぐに立ち上がった。衣服を大まかに羽織い、歩き出す前に一度だけ振り向く。

 「さよなら…ヒイロ。」

 すぐに前を向き、そのまま、2度と振り向く事なくデュオは歩きだした。
 もう、ヒイロが追い掛けて来る気配はしない。

 「ああ…」

 その代わり、別れを肯定するヒイロの返事だけが、風と共に耳の奥を通り抜けていった。




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 「じゃ、ケガの方はもう、大した事ないんだな?」

 ほっとした表情で、デュオは明るくヒルデに話し掛けた。
 和平会議終了レセプションの次の日。サンクキングダムの国営病院の一室。デュオは戦争が終わり、地球へ来てすぐ入院したヒルデを尋ねて来ていた。

 「ええ。本当はもうすぐにだって退院できるわ。まだだめだって言われてるから、こうやっておとなしくしているけど…退屈で退屈で仕方がないのよ。」

 いかにも不満そうに顔をしかめるヒルデを見て、デュオが呆れた様に笑う。笑った事に怒って、頬を膨らませて抗議をするヒルデに、やはり笑いながらデュオが謝る。それに更なる抗議の声を上げるものの、ヒルデの顔は笑顔であった。

 …ひとしきり2人で笑った後、急にデュオが顔付きを変えて、ヒルデに向かって改めて話し掛けた。真剣な瞳で寂しそうな…というよりもすまなそうな表情でデュオはヒルデを見つめていた。

 「ヒルデ…実は…さ。俺、今日でここを出て行くんだ。」

 その言葉にヒルデも顔付きを変える。先程までの楽し気な表情が一変して沈んでいった。

 「そう…随分、急…なんだね。」

 ああ、とデュオも軽く目を伏せて前の言葉を肯定する。

 「たくさん世話になったワリには、何にもお返ししてやれなくてごめんな。」

 そういって、どこか寂し気な笑顔をヒルデに向けた。

 「そんな事…いいんだよ。私がやりたくてやった事ばかりなんだから。」

 目を伏せるだけでなく、顔までうつむき加減になりながら、ヒルデはそう答える。その姿を見て、デュオの表情がさらに悲し気になり、しばらくの間、デュオも顔を伏せて黙ってしまった。会話が途切れていると、気不味い雰囲気ばかりが増してくる。

 「ねぇ、デュオ…。」

 突然、ヒルデが顔を上げてデュオの目を正面から見つめた。

 「私…私ね…。」
 「ヒルデ。」

 真顔で、デュオがヒルデの顔を見つめ直す。真剣な眼差しがヒルデの口を止め、言葉の先を紡ぐ事を許さなかった。
 それでも口を開こうとするヒルデに、今度はうって変わって優しい笑顔を向け、一語一語、言い聞かせるように話し掛けた。

 「戦争は終わった…。もう、戦う必要なんてない。…だからヒルデ、今度こそ自分の為に、幸せに生きてくんだぜ…な。」

 言い掛けた言葉を飲み込んで、ヒルデが又、下を向く。

 「そう…だね。うん…。今度こそ…そうするよ。」

 聞こえてくる声は微かに震えていた。
 ごめん…ヒルデ。
 デュオが心の中で呟きながら目を閉じる。

 ────分かっていたのだ。彼女の気持ちは。
 分かっていたのに気付いていない振りをした。その気持ちに応えられないから、今の今まで、決着を付けずに胡麻化して来てしまった。酷いよな、と自分でも思う。でも他にどうすればいいか思い付かなかった。

 ────彼女は自分を好いてくれている。
 そしてまた、自分もも彼女が好きだった。…でも、それは彼女が望む形のモノではない。
 自分がが今一番一緒にいたいのは彼女じゃなかった。
 自分を騙して彼女と一緒にいる事はできないし、第一そんな事をするのは彼女に対する酷い侮辱になる。だから…彼女をキズ付ける事になっても、今は別れを告げる以外に出来る事が思い付かなかったのだ。

 「本当に…今までいろいろありがとう。ヒルデ…。」

 なかなか顔を上げようとしないヒルデを見下ろして、デュオがイスから立ち上がる。

 「デュオっ…。」

 ヒルデが顔を上げて、デュオを引き止める様に名を呼ぶ。それから一呼吸だけ間をおいて、ぎこちない笑みを浮かべて言葉を繋いだ。

 「元気でね。それから…。もし傍に寄る事があったら、いつでも気軽に立ち寄ってね。その時は歓迎するわ。」

 いかにも無理をしている雰囲気が分かり過ぎるくらいにたどたどしい声ではあったが、それでも自分に気遣わせまいとする、彼女の気持ちはありがたかった。
 ヒルデは強いな…。
 ふと目を向けてそう思う。その笑顔に応える様に、デュオもわざと明るい声を返した。

 「ああ、そんときゃ又、よろしくな。それじゃぁ、俺、もう、行くから…。じゃあな。ヒルデ。」
 「ええ。さようなら…デュオ。」

 ヒルデは笑顔のまま別れの言葉を言った。部屋を出てゆくデュオを、ずっと見つめながら…。




************************


 「さて。本当に一人になっちまったなァ。」

 青空を見上げながら、瞳を細めて呟いた。
 今の自分は本当に独り。同じ目的で戦う仲間も、やはり一人で初めてこの地に降り立った時にいた相棒さえも、今は…いなくて。
 ましてや、あんなにも一緒にいる事を望んでいた相手の手を拒絶して来てしまったのだ。
 ────今の自分は何もない────。
 まぶし過ぎる太陽のせいか、それともそうではないのか…目に涙が浮かびそうになる。

 「だめだだめだ。考えてると気が滅入っちまう。」

 特に空を見ていると、ヒイロのあの透明な青い瞳を思い出してしまうから────。

 デュオは大きく背伸びをした。
 身体中の筋肉がほぐれる感覚と、肌に触れて行く風が気持ち良かった。

 …さぁて、行くか…。

 顔を上げ、前を向いて歩きだす。



 ────一人ぼっちは何も今が初めてじゃない。昔から俺は結局は独りだっただろ?だから大丈夫。きっと大丈夫。今までも俺は一人でやってこれたんだから。



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