Remember <3>




 <Four Day>
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 ぽぉん。

 無重力下で床を蹴り上げれば、体は宙を進んでゆっくりと目的の位置へと運ばれる。
 上へ、上へと進んでいく体。
 目の前の物体を下からずっとたどるように、体は宙を泳いでゆく。
 薄暗い倉庫の中、金属の鈍い輝きを持つ黒い物体。
 大きな、大きな、目の前のソレ。

 「なぁ、相棒。やっぱお前を大量虐殺の道具には出来ないよな。」

 だんだんと近づいてきた、ガンダムデスサイズの頭のでっぱりを掴んで、デュオはその肩の上に座り込むと、そう、静かに呟きのような言葉を投げかけた。
 ここへ来て、今までずっと。
 コロニーの為にこの機体に乗るのだと教えられていた。
 誰からも必要とされなかった自分が、大きな目的の為に働けるのだと喜んだ。
 だからそのために、どんな事でも必要な事なら全部身につけようと必死で訓練をしてきた。

 だけど・・・。

 だけど、コロニーの為の戦いは、単なる敵の惨殺だなんて、そんなのは間違っている。
 敵を殺さないでおどせれば十分、とか、話し合えば分かり合える、なんて甘っちょろい考えでコロニーの自由を勝ち取る事が出来るとは思っていない。ものごころついた頃から奇麗事ですまない世界をみてきたから、血を流さずにはいられない場合もあると知っている。
 そう、知っているけれど。

 オペレーション・メテオ。
 コロニーを地球へ落とし、その混乱に乗じてこのガンダムで地球を制圧する。
 それが実行されたなら、どれくらいの死者が出るかなんて想像もしたくない。
 だが、それも、地球人ならばいくら死んでもいいという考えだから構わないという。

 違う。
 そんな事はない。

 敵だからといって、いや、敵側とはいえ民間人の大量殺人なんて許される筈がないのだ。

 「なぁ、デスサイズ・・・」

 『コイツはお前の為に作られる』
 そう教えられて、それ以降自分の分身のように思ってきた、大切な相棒。

 「間違った計画を実行させない為になら、お前、壊されてもいいよな。」

 冷たい機械の頭に抱き着いてそのひんやりした感触に目を瞑る。

 「大丈夫。ちゃんと俺も一緒についてってやるからさ。」


  ∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲



 空には太陽。本物ではないニセモノだけれど、ずっと昔からなじんでいたモノだから別にヘンだなんて感じない。
 遠くを眺めれば、だんだんと斜めになっていく地形。目の前の地面をずっとたどっていけば、やがて建物が競りあがってこの地面が円状の内側であるという事が分かる。地球は広すぎたからこんな風に地面の端がどうなってるか分かる場所は少なくて、ただずっと遠くまで真っ平らな大地が広がっているような錯覚を覚えた。それに、逆に地球は球面の外側だから地面は競りあがっていくのではなくて視線上から消えるように見えたっけ。
 地球は・・・。
 ああ、そうか。

 俺は地球に行ったんだ。

 一日前の夜から、夢という形をとりながら、デュオの記憶は戻ってきていた。
 それもどうやら子どもの頃の古い記憶から順に思い出されて来ているようで、昨夜の夢はその前の夜の続き、プロフェッサーと会ってからスイーパーズグループでガンダム・デスサイズと出会い、オペレーション・メテオ計画を実行するか・・というところまでだった。
 ただ一応、夢からの記憶はオペレーションメテオを実行する直前までだったので、実際自分が本当にガンダムに乗って地球に降りたかまでは分からなかったのだが。
 だけど、先程の感覚。
 ぱっと思い付いた「地球は・・」という言葉は、知識だけでなく感覚を伴っていた。
 そう。ちゃんと、見て、実感した、という確かな感覚を感じたのだ。
 だから多分、自分は本当に行ったのだろう。地球へ。
 ニセモノでない本物の太陽を見て、本物の海を見て、空を見て、大地を踏みしめて。
 そして・・。

 「ヒイロっ♪」

 すぐ横にいる相手に向かい、にっと口の端をつり上げて満面の笑顔。

 「なんだ?」

 自分を伺ってくる蒼い瞳は優し気な雰囲気を持っているから嬉しくなる。
 その顔をただ見つめて、何も言わないでいれば、不審そうにヒイロは眉を寄せる。
 そんな仕種がおかしくて、だけど妙に安心出来て、思わず「ごめん、なんでもない」といえば、ヒイロは益々顔を顰めてしまう。

 「ごめんってばさ。いやーちょっと幸せを噛みしめていただけなんだって。」

 ヒイロの顔は不機嫌いっぱいといった感じだけれど、本心から怒っているワケではないと知っている。
 だから、自分も沸き上がっているこの浮かれた気持ちのままに笑い声を上げる。
 笑って・・そして笑いを止めて。
 それでもこの気分をまだ噛み締めたくて抱き付けば、感じるヒイロの体温が心地いい。

 そして・・・。
 そして多分、自分は地球で会ったのだろう、彼に。


 トクン、トクン。
 他人の心臓の音を聞いているのはなんだか安心する。

 「デュオ、さっきから浮かれすぎだ」

 上から掛けられる声に顔を上げると、すぐ真ん前にあるヒイロの顔と視線がばっちり合ってしまった。

 白い・・・影。
 巨大な・・力を持つ、何か。

 前にヒイロの顔を見て、浮かんだソレの正体は、今ならばだいたい予想が付く。
 多分、地球で出会った自分達。
 そして・・・恐らく、出会った理由も予想通りならば。

 「なぁ、ヒイロ。お前のガンダムって白い・・だろ?」

 眉をピクリと少しだけ寄せて、瞳からは柔らかさが抜けていく・・・ヒイロの表情。

 「どこまで・・思い出した?」

 何故だかヒイロは、自分が記憶を思い出したという話をする時は、決まって苦しそうな表情をする。

 「オペレーションメテオ実行直前。まだ地球に降りるとこまでは思い出してねぇんだ。だからもちろん、まだお前に関する記憶は出てきてない。」

 残念ながらね。
 そういえば、ヒイロは表情を少しだけ緩める。
 どうやら安心・・・したらしい。

 『なぁ、お前、もしかして俺の記憶が戻って欲しくないのか?』

 喉まで出掛かった言葉は急いで飲み込む。
 恐らく、この言葉は言うべきではないと、心のどこかで警告が発せられるから。
 だから聞かない。
 聞かない・・・けれど、どうしてだろう。

 ヒイロの瞳────。
 あの瞳が自分を見ている時に浮かべる感情。
 絶対に嘘も偽りもないと確信できる、それだけハッキリとした真っ直ぐな心を映す蒼い瞳。
 もしもヒイロが自分に思い出して欲しくない何かがあったとしても、あの瞳で自分をみていてくれたなら、絶対に自分はヒイロを信じていられる。
 きっと、記憶を失う前の自分だって、あの瞳を見ていたならヒイロの事を好きな筈だ。
 だから・・。
 だからヒイロ。そんなに苦しそうな顔はしないで。


 「なぁ、ヒイロ。」

 笑いを収めて、ゆっくりと言葉を綴る。

 「俺は、お前との記憶を思い出すのがすごい楽しみなんだぜ。」

 じっと見つめる。
 だけど、ヒイロの瞳にあるのは・・・哀しみの暗い翳。
 少しだけ歪まされた唇が浮かべるのは、自嘲の笑み。
 彼は何も話さない。

 「好きだよ。ヒイロ。」

 目を閉じて、ヒイロの肩に腕を掛けて軽くしがみつく。

 「好きだよ。ヒイロ。お前は?」

 そう聞けば、やっとの事で開いた口がたった一言の真実を告げてくれる。

 「俺もだ。デュオ。」


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 もうすぐ。
 もうすぐ、デュオの記憶は戻ってしまう。
 だからその前に────。

 その前に自分は消えなくてはならない。

 「さぁってと。せっかくの外なのに、いつまでも同じ場所にずっといるってのもつまんないよな。」

 デュオが大きく背伸びをしながら、そういって、表情を急に緩める。

 「足は大丈夫なのか?」
 「だっから〜、もう、全然平気だって。」

 いいながら、軽く足蹴りをしてみせるデュオに、思わず溜め息が出る。
 そうすれば、何が楽しいのか、デュオは笑い出すから分からない。
 ・・・だが、それはそれでデュオらしい。
 そう思ったからヒイロは、眉を寄せたものの本心から怒る気にはなれなかった。
 ただ、笑われている事自体はあまり嬉しくなかったから表情は崩さずに。
 顔を少し下に向けて、業と顔を背けてしまった。

 「はいはい。無茶はしないから安心してくれよ。」

 そのヒイロの動作を怒ったか呆れられたかと思ったデュオは、少しだけ伺うようにしながらも、やはり笑ってそう話し掛けてきた。
 そういえば。
 デュオは確か会ったばかりの頃はよく、自分の反応を見て笑っていた。
 自分にはなにが楽しいのかまるで分からない理由で。
 デュオは笑っていた。
 笑いかけてくれた。
 かつて・・は。

 昨日の約束通り、今、自分達はウィナー家の屋敷から出かけて、コロニー内の展望台を兼ねた公園に来ていた。
 平日の午前中、この時間帯は人もまばらで少しだけ助かる。今日が休日だったら、人が多すぎてそれだけで嫌になってしまうだろう。『どうしても出かけたい』というデュオの希望を却下できなかったのは仕方ないといえ、出来れば人の大勢いるところは避けたかった。だが、そう思っていても・・。

 「だったら、次はどこへ行きたい?」

 きいてみれば、まってましたとばかりに瞳を輝かせて、

 「せっかくだからさ〜やっぱちょっと街まで。」

 予想通りの答えに、ふぅ、と一つ溜め息。
 やはりそうきたか、と思いながらも軽く睨み付ける。
 それに対するデュオの方といえば、肩をひょいとすくめて見せて、上目遣いで「だめか?」と聞いてくるから、ヒイロとしては不承不承ながらも承知してやるしかなかった。

 「ただし、あまり長く歩き回らないからな。」
 「はいはい。分かってるって。」

 笑いかけて、デュオは歩き出す。
 時々、振り返って自分がちゃんとついてきているのを確認しながら。


 街・・というか商店の建ち並ぶ通りにやってくると、デュオはとにかく目にみえてはしゃぎながら、落ち着きのない足取りでヒイロの前を歩いていた。本当に、何がそこまで楽しいのかが理解できなかったが、まるで子どものように目を輝かせてショーウィンドウに見入る姿は、見ているだけでなんとなく柔らかい気分がしてしまう。

 「おい、ヒイロみてみろよ。あれなんかお前に似合いそうじゃねー?」

 わざわざ服のすそを引っ張ってまでいってきた言葉に、仕方なく顔を向ける。見れば、デュオの指差すガラス窓の中には、濃い茶色のジャケットを着込んだ人形の姿があった。

 「せっかくのイイ男なんだから、少しはイロイロその辺にも気ィ使ってみるといいぜ。」

 そういってウィンクをしたところまでは良かった。
 が、デュオがヒイロの腕を掴んで、店の少し古めかしい木製の扉に手をかけた時には、さすがに逆に腕を引っ張りかえして止めるしかなかった。

 「必要ない。」

 表情もなく一言。

 「なんでー。俺お前がアレ着るとこ見てみたいんだけどなー。」

 だけどそれに返すデュオが、あまりにも残念そうにいうものだから、ヒイロは一瞬その動作を止めてしまった。

 「なーいいだろ?試着くらいならさ。」

 まさに猫撫で声、という声で、デュオはなかなか諦めようとはせずに、再びヒイロの腕を引っ張る。
 そうすれば、ヒイロはとにかく顔を顰めて嫌な事を主張するしかない。
 実のところ、単なる試着ぐらいならば、それ自体は別にやっても構わない。
 だが、ヒイロにとって、店に入って店員にいろいろ話し掛けられたりというのが嫌なのだ。

 「うるさい。行くぞ。」

 そういって引っ張って見ても、まだ未練がましそうにデュオは上目遣いでこちらを見ている。

 「つまんねー。」

 あからさまに不服そうに口を尖がらせているデュオ。

 「おまえは・・」

 溜め息交じりにヒイロが口を開く。
 その時。



 「わ〜パティ〜。」

 調子に乗りすぎたデュオへ、少しくらいきつい言葉をやろうかと思った丁度その矢先。やけに騒がしい一団が自分達の方へ向かって走って来た。
 身に付いた習性のせいで、まずは二人ともその集団を見て身構える。
 だが、その方向を見た途端、目に飛び込んできたその光景に、思わず二人ともが目をまるくした。

 「パティ〜。だめぇ〜」

 子どもの集団。
 10歳前の、女の子も男の子も、合わせて10人以上の集団が大騒ぎでこちらへ向かって駆けてくる。
 思わずその駆けてくる軌道上から避けようと歩道の端に行こうとすれば、それより速く、足元を黒い何かが駆け抜けていくのが目に入った。
 何?
 走りぬけたそれを目で追えば、黒い固まりが実は子犬である事が分かったのだが。

 「成る程ね。そういう事ならっ。」

 そういったデュオの声が聞こえたかと思った途端に、今まですぐ側にいたはずの存在は子犬を追って駆け出していた。

 「おいっ、デュオっ?」

 ヒイロの掛けた声が聞こえたかどうか。
 デュオの姿は犬を追ってあっという間に視界から離れていく。

 「お兄ちゃん、捕まえて〜」

 すぐにそれを追いかけようとすれば、息を切らしてドタドタと走る子どもの集団が邪魔で思うように急げない。
 それでもヒイロは、その中をぬって、デュオに追いつこうと全力で走った。

 キャン、キャン。
 子犬の泣く声。
 きゃ〜。
 どこかの女の悲鳴。
 ガシャガシャン。
 多分、何かをひっくり返した音。

 前方から聞こえる音に、苛立ちと嫌な予感だけが増大していく。
 やっとの事でデュオの姿を視界に捕らえた時には、デュオは丁度犬を壁際に追い込んだところで、今まさに子犬に手を出そうとしているところだった。

 「いい加減、追いかけっこは終わりにしようぜ。」

 息を切らしながらもデュオがその手をばっと伸ばす。
 だがしかし。
 犬はするりとデュオの足元を抜けて、それでもその犬を捕まえようと体制を崩したデュオは地面に尻餅を付いてしまった。

 キャンキャン。

 子犬の声は心なしか楽しそうである。
 実際、犬は遊んでもらっているつもりなのかもしれない。
 座り込むデュオから少し離れたところで吠えて、又追いかけてくるのを待っているように見える。
 う〜と唸って、恨めしそうに犬を見つめるデュオの前で。
 すばやく伸ばされたヒイロの腕が、子犬を捕まえて抱き上げる。
 それから、そのまま呆然とするデュオの前まで歩みよって。

 「バカが。」

 と一言。
 するとデュオは、一瞬拗ねたように顔を顰めて、それから大きく溜め息を吐くとがくっと頭をうな垂れて、もう一度溜め息を付いてから、掛け声を駆けて飛び起きるように立ち上がった。

 「あ〜確かにバカですよ。」

 声は完全に不貞腐れている。

 「お前も、俺からはうまく逃げたくせに、そいつにんな簡単に捕まるなよ。」

 ヒイロの腕の中で舌を出している子犬を軽く指でつついて言う。

 「足は大丈夫なのか。」

 心配する、というよりも咎める口調のヒイロに、デュオは益々顔をしかめて応える。

 「大丈夫じゃなきゃ、こんなことしねーよ。」

 不機嫌さ一杯の声は、子犬を見ながら吐き出された。
 だが、さらに一つ、大きく溜め息を吐くと今度はヒイロの顔を見上げて、

 「まぁ、でもまたお前に心配させちまったか。ごめんな。」

 と自分に本当にすまなそうに謝って来たから、ヒイロは少しだけ嬉しくなった。

 「それは、別にいい。」

 そういうと、デュオはにっこりと笑って、顔を近づけてくる。
 静かに目を伏せて。

 しかし。

 「パァティ〜」

 息も切れ切れな幼い声が聞こえたかと思うと、たちまち声は十数人分に増えて、二人の周りを360度サラウンドで包みこんだ。
 ヒイロの腕の中の子犬を中心にして周りいっぱい。
 子供たちの集団が彼らを包囲していた。





 「まぁ、人助けって事でさ、怒るなよ。」

 子供たちと別れてからも機嫌が悪いヒイロに向かって、デュオはそういって笑顔を向ける。

 「別に、怒っているわけじゃない。」

 だけど声は不機嫌極まりないヒイロの言葉に、はいはい、とデュオは肩をすくめて見せた。
 それからちょっとの間の後、今度は思い出したように話し掛けてくる。

 「でもさぁ。おもしろいよな。」
 「何がだ?」

 微妙な声のニュアンスの変化を聞き取って、ヒイロはデュオに向き直る。

 「あの犬がさ。地球の学校とコロニーの学校の友好の印だって事。」

 追いかけてきた子供たちが礼を言って、それから教えてくれた話。
 彼らの通う学校と、地球のとある学校との交流会というのがつい先日あって、その時の友好の印として、地球の学校側から贈られたのがあの子犬だという。
 コロニーでは通常、本物の生きたペットを飼えるのは水準よりも裕福な家庭のみ。限られたスペースと、空気でさえも限られた場所では、余分な生き物などそうそう許されるものではない。
 だが、それは今では大分かわりつつあるのも事実だった。
 コロニー間の行き来の規制は消え、地球とも対等な立場でやりとりが出来る今では、昔に比べ、確実に人々の生活は裕福になってきている。
 基本的に、自分のコロニーでの自給自足に頼らなければならなかった頃では出来なかったさまざまな事が、今の人々には許されている。

 「なぁ、ヒイロ。」

 しばらく自分の考えに耽っていたのか、珍しく無言でいたデュオが唐突に声を掛けてきた。

 「俺・・さ。今日、店のショーウィンドウ見てやたら喜んでただろ?あれさ・・・なんか感動しちまってさ。店のショーウィンドウに品物がいっぱい並べてあるなんて、昔じゃみれなかったから・・。」

 遠くを見つめる瞳。
 確かに、デュオの言う通りだった。
 確かに、前は大抵の貧しいコロニーでは、店のショーウィンドウが商品でいっぱい詰まっているなんて事はなかった。
 皆、必要なものだけを作って、必要なものだけしかかわないから、必要以上のものは店にない。
 だから、店のショーウィンドウはいつでもガラガラ。
 そんなところにも、確かに平和の恩恵を見ることが出来るのだ。
 自分達が勝ち取った平和と、コロニーの自由を、こんな事で感じる事が出来る。
 そう思えば、確かにデュオが今日店の前で異常にはしゃいでいたのも分かる気がする。

 「デュオ、お前は・・。」

 何かを言おうとしてデュオを振り向けば、デュオはヒイロを見ないで視線を宙に固定したまま、言葉を続けた。

 「ヒイロ・・。実はさ。今朝思い出した事ってのが、結構キツイとこでさ。お前もそうだったと思うけど、オペレーションメテオの内容を知っちまって、こりゃ相棒も自分もこのまま生きてるわけには行かないやって思ったとこだったからさ。・・・だから、恐かったんだ。その後俺がどうしたのかを知るのが。」

 ただ、淡々と響く声。
 一瞬泣いているのかと思う程、哀しげに細められていた瞳が、突然、ぱっと開いて自分を見る。
 互いの目線が合うと、デュオはにこりと笑う。

 「そりゃな。こうやって生きてるって事は、どうにかなったんだろーなーとは思ってたけどさ。やっぱ、もしかしたら自分がとんでもない事したんじゃないかって思うのは不安じゃん?・・・まぁ実際本当にとんでもない事したのかもしれないけど。でも、でもさ・・・。こうやって今の状態を見れば、少なくとも結果はいい方にいくってのが分かったから・・・なんか安心出来るよな。」

 そういって、本当にほっとしたように柔らかな笑みを零す。
 その表情がやけに印象的だった。



  ▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼

 <Five Day>


 「──────っ。」

 声にならない叫びを上げて、デュオは目を覚ました。
 額には汗がびっしりとへばりついている。息も苦しい。

 「ヒイロ・・・ヒイロ・・。」

 目覚めたばかりの瞳はまともに焦点があっていない。
 瞳は、現実のこの部屋ではなく、未だ夢の残像をデュオに見せていた。

 真っ白な光を放つ機体。
 飛び散る残骸に混じって放り出された人物は──────。

 「ヒイロっ。」

 死んでいない。ヒイロは死んでいない。
 ガクガクと震えてうまく動かない体を起き上がらせて、ベッドを降りる。
 一瞬、力が入らずにカクンと砕けそうになった膝に力を入れて立ち上がり、一歩一歩、踏みしめながら足を前へ進める。
 ヒイロは死んでない。ヒイロは生きている。
 だけど頭の中には、閃光の中に飛び散る白い機体の姿が焼き付いている。
 それが事実だという事も、分かっている。

 違う、違う。
 そんな事はない──────。

 頭の中で、現在と夢、両方の現実がどちらも確かな記憶としてぐるぐると回っている。
 どちらも事実なのに、どちらも信じられなくなってしまう。
 ヒイロは確かに生きている。生きてここにいる筈。
 そう、だからどれを信じればいいかなんて、どうでもいい事。
 今、ヒイロがいるならそれでいいのだ。
 だから、ヒイロを──────。
 ヒイロを捜さなくちゃ。

 素足のまま、冷たい廊下を。
 夢遊病者のように、ふらふらとデュオが歩いていく。
 足の感覚なんてない。
 視界は頭の混乱を現すようにぐらぐらとゆれている。
 体の震えは止まらない。

 ヒイロは生きている。
 それは間違いない事だから、自分は安心していい筈だった。
 でも。
 もしかしたら・・・。

 恐い。

 考えるのさえ恐ろしい言葉。
 もしもヒイロが死んでいたなら?
 ──────一瞬だけの考えが、目の前を凍らせる。

 ばたん。
 目的のドアを見つけて、開く。
 今現在、ヒイロに割り当てられている部屋。中にはヒイロがいる筈。

 「ヒイロ・・。」

 呟きにしかならない程の小さな声で、デュオが呼ぶ。
 弱々しい、らしくない細い声は声を出した本人以外にはほとんど聞き取れないだろう。
 だがそれでも、ヒイロには十分だった。
 いや、声など出さなくとも、気配でデュオが部屋に入って来たのにはすぐに気が付いていたのだ。
 ただ・・・。

 「ヒ・・ロ・・。」

 幽霊のようにふらりとした、気配の薄まったその雰囲気に少し驚いていた。
 突然部屋を訪れたデュオから感じるものがあまりにもらしくないから、どう声を掛けたらいいのか戸惑っていただけで。
 だから。

 「・・・うん。いるよな、お前は。」

 そういって、ヒイロの姿を認めた途端、一瞬の内に顔へ表情を蘇らせたデュオに、ヒイロも肩の力を抜いた。

 「悪ィ。ちょっとまた夢のせいで不安状態。」

 少し強ばった感じが否めないものの、それでも顔には笑顔を張り付かせる。

 「あ〜ったくさぁ。まったくとんでもないよな。」

 ヒイロと視線を合わせないままで、デュオは歩み寄って来た。

 「ったく、本当にお前心臓に悪い・・。」

 ベッドの上で、上体を起こしたまま無言でデュオを見ているヒイロを見ようともしないで、デュオはヒイロに近づいて、ベッドのへりに腰掛ける。
 座り込めば、笑顔を浮かべてから今まで、饒舌でずっとまわりっぱなしだった口がぴたりと閉ざされてしまう。

 「デュオ?」

 不審そうに尋ねる口調のヒイロの声。

 「・・・っかやろぉ。」

 返されたのは小さな呟き。

 「てめぇ何であんな簡単に自爆なんかやりやがった。」

 顔は上げずに、声と肩が震えていた。
 それでヒイロは、やっとデュオがここへ来た理由が分かったから、震える体を抱き寄せて「すまない」と一言だけ謝った。
 デュオがそれに応えるように、震えた声のまま口を開く。

 「・・分かってるよ。あの時のお前ならあの場面でそうしちまったのはしょうがないって。だけど。」

 顔を上げて、すぐ傍までよせられたヒイロの顔・・その中の瞳を凝視して続ける言葉。

 「今、そんな事しやがったら絶対に許さねぇからな。死ぬ事考えるより、残された者の事も考えろ・・。」

 一旦そこで言葉を途切ると、デュオはヒイロの服の胸座を掴んで、その中に顔を埋めた。

 「今、お前が死んだら俺は泣くぞ。」

 声はくぐもってしまって良く聞こえなかったが、心に染みる言葉。
 こんなにも、自分の事を想ってくれるデュオ。
 デュオが、こんな辛そうにしているのは見ていたくなかったけれど、だけどそれが自分の為だと思うとそれを嬉しいと感じてしまう。
 デュオが自分を必要としてくれる。
 今だけの・・・幸せ。
 今だけは・・彼は自分のモノ。

 「すまない。」

 その言葉しか言う言葉が見つからなくて、ただ、それだけを呟く。
 内に起こる感情を押さえられなかったから、表情には少しだけ笑みを浮かべて。
 デュオはヒイロの服を固く握り締めて、顔を上げずに泣いている。
 泣いている──────自分の為に。
 ぎゅっと、痛々しい程に強く握られて白くなった手を、上から被せるように自分の手で包む。
 ゆっくりと力を入れてやって、強ばった指を一本一本開かせて服から引き離す。

 「ヒイロ?」

 そうすればやっとの事で泣き止んだ顔を上げてくれるから、ヒイロは引き離した手を自分の掌で包み込んだまま、その手に唇を寄せた。

 「俺はもう、死のうとしたりはしない。」

 ──────今はもう、自分の生きる意味を見つけたから。

 静かに呟いた言葉に、デュオの体から力が抜けていくのが分かった。
 力みすぎてガチガチだったデュオの手が、触れる唇にはもう震えを感じさせない。

 「絶対だな、ヒイロ。」

 向けられた瞳が、彼らしい澄み切った輝きを湛えて細められる。
 無理のない、心からの笑みを浮かべて自分を見詰めるデュオ。
 その笑顔を見ただけで、何故だか胸が苦しくなったから、ヒイロはデュオの顔を引き寄せて、その唇に唇を重ねた。近づく唇に、デュオも自分から顔を寄せてくる。
 触れる、唇。
 互いの口内の湿り気を伝えて、最初は乾いていた唇もやがて水分を含む。その内部ではせわしなく求め合う互いの舌が絡められて、互いが互いの欲望を煽り合う。
 二人共、深く深く相手を感じたくて、夢中になって強く唇を押し付け合う。

 ソレデモ、タリナイ・・・。

 もっと強く、もっと深く、どうすれば相手をもっと感じる事が出来るのか。
 その答えを知ってはいたけれど、それは望んではいけない事だから──────。

 「デュオ。」

 だからヒイロは、唇を離すとただ強くデュオを抱きしめた。
 少しでもその存在を、体温を、強く感じたかったから、目を閉じて出来る限りその感触だけを追う。
 でも。
 それでも、心の何処かが未だ冷たいままなのは、この瞬間が一時の夢である事を知っているから。
 今だけだと、感情の昂ぶりに抑制をかける声が聞こえるから。
 だからヒイロはただ抱きしめる事しか出来なかった。


∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴


 暖かい、体。
 こうして人の体温を感じているのはそれだけで安心出来る。
 もちろん、相手が「好きな人」でなければならないのは当然として。
 ヒイロの体は暖かい。
 それが生きている人間のその存在の証明。

 思い出したばかりの記憶は、まるで昨日の事のように鮮明にその時の感覚を感じる事が出来る。だから、今のデュオにとってはヒイロと初めて出会った時のその感覚もつい今し方の事に等しい。
 目を閉じて思い出す、記憶の中のヒイロからは、どうしても冷たいイメージしか受け取れなかった。
 冷たくて、とげとげしくて、それは多分、あの刹那的な程拒絶だけを映した瞳のせいだったのだろう、なにもかも見下して全てを放棄した空虚な瞳をしているのに、強い意志を強烈なまでに感じさせる瞳。
 その瞳の意志の強さと真っ直ぐさだけは変わらないで、今のヒイロの瞳にはあの時のような刹那さはない。それに代わって、優しさを感じさせる別の輝きが感じられる。
 だから大丈夫。
 今のヒイロはあの時のヒイロじゃないから、死ぬ事なんてない。
 だから今のヒイロの言葉を信じられる。
 顔を上げて微笑みかけて、自分の安心を彼に伝えなければならない。

 だけど。

 ヒイロの顔を改めて見つめて。
 デュオはまた見てしまった。
 ヒイロの瞳の中に落ちる、哀しみの翳を。

 「ヒイロ?」

 名を呼ばれてはっとしたように、ヒイロがその瞳から翳を振り払おうとする。
 ぎこちなくも殊更柔らかい表情を浮かべようとするものだから、デュオはどうしても教えてもらえないヒイロのその翳の理由に悲しくなる。

 「大丈夫だからデュオ・・。」

 呟いて、頬を撫ぜる手。
 また一瞬だけ、浮かんでは消えるヒイロの瞳の中の翳。
 だからデュオは、緩められたヒイロの腕の中、すとんと寄りかかるように、ヒイロの肩に頭を凭れて呟いた。

 「ヒイロ、俺を抱けよ。」

 びくりと、肩が僅かに強ばるのが分かった。
 やがて、自分に回されていた腕が静かにおろされて行くのを感じて、デュオは自分からヒイロの背に腕をまわして抱きついた。

 「抱いてくれよ。ヒイロ。」

 出来るだけの想いを込めてそういえば、おろされていたヒイロの腕が再び自分を抱きしめてくる。
 だけど、その腕は躊躇うようにすぐに止められたから、デュオはゆっくりと顔を上げてヒイロの顔を見つめて言葉を重ねた。

 「俺の事好きならヒイロ・・抱いてくれ。お願いだ。」

 目を閉じて、待つ。
 その唇に相手の体温を感じるまで。



 さらり、と。
 まだ汗を滲ませていない、乾いた肌の上をヒイロの掌が滑ってゆく。
 その触れられるくすぐったいような感覚に、たまらずデュオはぎゅっと目を閉じた。
 そうすれば耳の裏に湿った息が吹きかけられて、ぞわりとした感覚が背筋を駆け上ってくる。

 「うっ・・。」

 その感触に耐え切れなくて、思わず声が出てしまい、デュオは慌てて自分の口を固く結んだ。

 「デュオ・・。」

 耳元で囁きかける、声。

 熱い吐息と共に吐かれた自分の名前。
 ただでさえヒイロの声には弱いのに、こんな熱と共に聞かされたら、それだけでたまらない気分になる。緊張が体中を支配して、固く目をつぶったまま、身体も固く力を入れて、次に与えられるであろう感覚に身構える。
 そんなデュオを見て、ヒイロは少しだけ苦い笑みを浮かべた。が、目を閉じたままただ身体中の神経を張り巡らせるのに精いっぱいだったデュオが気付ける筈もなかった。
 だけど、

 「デュオ・・・嫌ならば・・」

 そういって、ヒイロが体を引こうとするから、デュオは目を開いてヒイロの腕にすがりつく。

 「ごめん、ヒイロ・・でもっ。」

 それから、かなり自分でも無理があるとは思いながらも、顔に笑みを浮かべて、大きく息を吸って一呼吸置いてから、ゆっくりと自分にも相手にも決断となる言葉を綴る。

 「大丈夫。大丈夫だから・・。」
 「・・・分かった。」

 短い返事と共に、唇が喉元へと落とされる。
 先程の軽く触れるだけのモノではなく、肌を吸い上げ、所有の印をつけていく欲望の意味を含んだ、キス。
 舌に唾液を乗せて、肌の敏感な部分をなぞり、感覚を昂ぶらせる。
 それと同時に、肌の上を触れるか触れないかのぎりぎりの位置で滑ってゆく、指。
 何度も何度も、皮膚の薄い部分をなぞられて、最初はくすぐったいだけだった感覚が、やがてぞくりと、身体の芯を揺さぶるような感覚に変化していく。

 「ぅ・・あ・・。」

 途切れと途切れに、声が漏れる。
 どうしようもなくて、ただ翻弄される事しかできない熱さが、下半身から身体中にじんわりと広がって耐える事が出来ない。

 「デュオ。」

 ぞわり。
 声の響きが肌を震わす。
 だけど耳に聞こえる声はやけに遠くて、思考力の欠けた頭の中にはエコーを纏って響いてくるようだった。
 だんだんと、ヒイロの触れる個所が身体の中心へと近づいてくる。
 それを自覚しながらも、デュオはどうする事も出来なかった。
 とにかくこの感覚に耐えようと、出来るだけの力を込めて、ベッドのシーツを握りしめ、荒い息を整えようとする。
 だけれどそれは全て無駄で、どうあがいても声を押さえる事は出来なかったし、蓄積されていく体中が熱にうずくような感覚の上昇を止める事も出来なかった。

 「ぁ・・この・・ちっく・・しょう。」

 歯を食いしばってもどうしても、感覚をやりすごす事は不可能で、自分がこれくらいの事で耐えられないのが分からなくて信じられなくて・・・デュオはなんだか悔しくなった。

 「デュオ・・。」

 行為を初めてから何度めか、ヒイロの声が聞こえてくる。

 「耐えなくていい。身体の力をぬけ。」

 だがそう言われても、素直に言葉通り出来なくて、戸惑う。
 自分からいって、自分から抱かれたこの行為。だから、今更こんな思いをしてまで耐えようとするのはヘンなのに・・それは分かっていたけれど。
 でもやっぱり、全てを委ねてこの未知の感覚を全面的に受け入れるのには、抵抗を感じてしまう。
 それはいくら相手がヒイロとはいえ、自分が女のように喘ぎ声を出すのを聞きたくないとか、恥ずかしいとか、そんなつまらないプライドみたいなモノでしかないけど、どうしてもまだ最後の一線を踏み越えられない、そんな気持ち。

 「っ──────。」

 直接、ヒイロが触れてくる感触に、体が竦み、息を飲む。
 確かに感じるのは快感だけれど、それを快感として捉えるのが恐くて────逃げたくなる。
 だからこれ以上逃げ場などないベッドの上で、腰を目いっぱい引いて、自ら自分の体をベッドに深く沈ませて・・少しでもその手から逃れようとした。
 だけど、もちろんそんな事は何にもならない。
 与えられる感覚は益々強くなっていくだけで、声にならない息を吐き出しながら、喉を仰け反らせて頭をシーツにこすり付ける。
 固く瞑った瞼は震えて、声を出さないように閉じられた唇も震えて、そんなデュオの様子に、ヒイロは僅かに眉を寄せた。
 だけどすぐに、その表情を和らげて、デュオ自身に触れていた手を離し、今度は宥めるように触れるだけのキスを数度デュオの頬と額に落とす。

 「ヒイ・・ロ?」

 乱れた息の中、強くつぶっていた瞼を少しだけデュオが開く。
 すっかり汗を張り付かせて、水滴が紅潮した顔を流れていく中、潤んだ青紫の瞳がヒイロの姿を映していた。
 少しだけ焦点があやふやに見えるその瞳に再び顔を近づけながら、ヒイロの身体がデュオの身体にかぶさってゆく。
 触れる、肌と肌。
 素肌から伝えられる互いの体温。
 汗ばむ身体は吸い付くように互いの身体を不思議な程ぴったりとくっつけてしまう。
 そして、ほぼ同じ身長同士の二人だから、互いの昂ぶりを直に感じてしまって。

 「や・・だ・・。」

 デュオはその感触に耐え切れなくて、身体を捩じってずらそうとする。
 だけどヒイロはそれを許さず、腰を押さえて更にきつく抱きしめてくる。
 だからデュオは黙って顔を背けるくらいしかできなくて、微かな唸り声だけが喉を震わせた。

 「デュオ・・・お前が、好きだ。」

 耳元へ流れ込む、優しい声。
 大好きな声。ヒイロの声の低い響き。

 「お前を傷つけたくない。だから・・力をぬけ。」

 そういって、髪を優しく撫でてくる。
 感じるヒイロの昂ぶりも、多分かなりきつい筈。
 だけどデュオの身体の緊張がとけるまで、ヒイロはそれ以上の行為に及ぶ事はしようとしなかった。
 何度も、何度も、髪を撫ぜて、名前を呼んで。
 そうしている内に、デュオもだんだんと自分の体中の筋肉が弛緩してくるのが分かったから。

 「ヒイロ・・。」

 手を伸ばして、相手の頬を包み込む。
 顔を少しだけ上げて、首を伸ばして、引き寄せたヒイロの唇に軽く触れる。

 「ごめんな・・ありがと。いいぜ・・もう、大丈夫だ。」

 そういってから、ゆっくりと息を吐き出して、目をつぶって体中の力を抜く。
 さすがに、ヒイロの手が足に触れて、これからの行為を意識した時には、びくりと一瞬身体が強ばってしまったけれど。
 だけど、それでもすぐにまた身体から力をぬいて、今までとは比べ物にならない強い刺激に身構えた。

 「あっ──────」

 敏感な個所にヒイロが触れて、そのまま身体の中へと埋まってゆく生々しさに、全身の肌が総毛立つ。続いてその個所から身体が裂けるような激痛が生まれ、目を見開いて思わず身体がソレから逃れようと摩り上がる。

 「デュオ・・だめだ。身体の力を・・ぬけ。」

 ヒイロの声も辛そうだったが、今のデュオにはそこまで考えが回る思考力がなかった。
 ただ首を振って、声にならない叫びを上げる事で、どうにかしてやり過ごそうと必死になる。ここまでくると身体の力がどうとかまで考えている余裕もなくて、ただ自分の今感じている痛みをどうにかする事だけが全ての目的になってしまう。
 だがそれでも、ヒイロはあくまでもデュオの負担を減らす事を最優先にさせようと、一旦身体の動きを止めて、強くデュオを抱きしめてから、また何度もデュオの名を呼ぶ事でデュオを落ち着かせようとした。

 「あっ・・ぐっ・・あっ・・。」

 目尻に浮かぶ涙を見つけ、ヒイロは哀しそうに眉を寄せて、それでもその涙をすくってやる。
 息も切れ切れで涙を流すデュオに、ヒイロは唇を合わせて、どうにかデュオの正気を呼び覚まそうとした。

 「頼むから、力をぬいてくれ。このままではお前が・・傷つく。」

 唇を重ねて、舌でゆっくりと口内を舐めとって、行き場がなく震えるデュオの舌に触れる。

 「ん・・」

 そうすれば、デュオが舌を絡ませて応えてくれるから、それにしばらく合わせて舌で触れ合って、静かに唇を離して顔をみた。
 激しく上下するデュオの胸と、口から漏れるはぁはぁという荒い息遣いは変わらないものの、その目がちゃんと開かれてヒイロの顔を見て・・軽く微笑む。
 にこりと、弱々しく微笑み掛けられて・・・腕の中の身体からは力がぬけていた。
 ヒイロが、一息にデュオの最奥にまで身を進める。

 「──────っ。」

 思い切り背をのけぞらして、デュオの身体がしなる。
 だけれどすぐに、デュオは意識して身体の力をぬこうとしたようで、その身体はベッドの上にどさりと沈み込んだ。

 「痛む・・か?」

 ヒイロの声は、心配しているというよりもやけに不安そうな響きがある。
 懸命に目をひらいて顔を見れば、やはりどこか辛そうな・・表情をしていた。
 自分の体を気遣ってくれる、それ事体はすごく嬉しい。けれど、何故未だヒイロはそんな顔をしているのだろう?
 こうして体を重ねていても・・お前の不安は拭えない?
 こんなに強くお前を感じられるのに、お前はまだ何が不安だって?
 熱に浮かされた体とは逆に、心には冷たいカケラが零れる。

 「ヒイロ・・大丈夫。ホラ・・。」

 笑顔を浮かべ、手を差し伸べる。
 辛さの余り叫びだしそうな自分を押さえて、深く何度も深呼吸をする事でどうにか体の力を抜こうと努力する。
 ヒイロはゆっくりとデュオに倒れ掛かって来て、伏せた頭がデュオの頬に触れる。
 デュオはその体を前に伸ばした腕で抱きしめて、これから与えられる感覚に身構えた。

 「デュオ・・。」

 声と同時に、ガクンと体を突き上げる衝撃。思わず息をつめて、抱き着いたヒイロの背に力いっぱい縋ってしまう。

 「デュオ、デュオ・・。」

 それから一呼吸置いて、ヒイロの身体が再び動き始める。今度は止める事をせずに、何度も何度も、断続的に与えられる、感覚。名前を呼び続けながら、抱きしめながら、デュオが出来るだけ身体の強ばりを解けるように気遣って、ヒイロも自分の感覚を追い上げにかかった。

 「ヒイロ、ヒイロ・・。」

 デュオも、名前を呼び返して、少しずつ生まれてくる快楽の波に流されはじめようとしていた。
 大きな波が、どくどくとやけに大きく感じる血液の流れを引き連れて、熱を体中に染み渡らせる。それに合わせて膨れて行く快楽が身体の感覚全てを満たしていく。
 熱が、弾ける。
 身体いっぱいに、相手の、ヒイロという存在が満たされていく、瞬間。
 熱い感触が、身体の奥へ広がってゆく。
 ぞくぞくと、頭のてっぺんから足の爪先まで、快楽の甘い痺れに身体が歓喜の声を上げて─────。

 「ヒイロ・・。」

 最後にヒイロの顔を見ようと、薄目を開けてその姿を瞳に映す。
 好きだよ、ヒイロ。
 半ばぼやけた視界の影に、かける、言葉。
 声は出なかったけれど、唇だけはそう言えた筈だった。
 ────それなのに。

 「すまない・・。」

 白く掠れていく意識の中で、やっと焦点が重なって見えたヒイロの口元は、そんな言葉を出していた気がする。
 思いつめた、彼に似合わない苦しそうな、哀しそうな、瞳で。
 何故?何故?何故?
 浮かぶ疑問が、頭の片隅から、消えていた筈の一場面を引き摺り出してくる。

 辛そうに眉を歪ませた、ヒイロの、顔。
 じっと自分を見つめる瞳は大きく開かれて。
 絞り出すように呟いた言葉は「すまない」と。
 確かにあの時のヒイロもそう、言っていた。

 「ヒイロ、何故・・だ?・・あの時も・・・。」

 ちゃんと問いて確かめたかったのに、それ以上の声は口の中だけで消えてしまって。
 もう、見る事しか出来なくて。
 デュオの瞳からは涙が一粒零れ落ちる。

 あの時も、何故、お前はそんな顔をしていたんだよ?

 青紫の輝きは瞼に全てを覆い隠され、何も見る事は出来ない。
 出掛かった言葉だけが、頭の中へ空しく響いていた。


∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴


 『あの時も・・』

 何て、言った?
 微かだけれど、確かに聞こえた言葉に、ヒイロの身体が凍り付く。
 『あの時も・・』
 聞き間違いではない。
 つまり──────デュオは思い出したのだ、あの時を。
 ならば。
 消えなくては、消えなくては・・。
 自分はここからすぐにでも消えなくてはならない。
 そんな強迫観念のようなせっぱつまった感覚に、身体中が駆り立てられる。

 でも。
 だけれど。

 「デュオ・・。」

 未だこの腕の中の余韻は幸せな時そのままを伝えるだけで、ここから消えねばならないと急かす自分を無視して、思わず、名を呼んでしまう。

 「デュオ・・。」

 だが、デュオが目を覚ます事はない。
 余程深く眠っているのか、少しも動く気配がない。

 「デュオ・・。」

 深く吐き出される、溜め息に乗せた言葉。
 じっと、デュオの眠る顔を見つめて。次第に、ゆっくりと頭の中が落ち着きを取り戻していく。
 デュオから、離れなくてはならない。
 だけど、離れたくない。離れる事なんて出来ない。だけど・・。
 そう叫び足掻く感情が、ゆっくり、ゆっくりと頭の中から押し出されていく。

 夢の中の時は終った。

 自分は、今を覚悟していた筈だ。
 深く息を吐き出して、静かに目を閉じる。
 デュオの記憶は戻った。ならばもう、自分がデュオの傍にいる事は出来ない。
 自分の犯した罪は消えないのだから、自分にはそうする事しか選択肢は有り得ない。
 次に目覚めたデュオの前に、自分がいてはならないから。
 自分はデュオに憎まれているから──────。

 ここを出て行く為の準備を全て整え、立ち尽くす。
 ヒイロは未だ目を覚ます兆しさえ見せないデュオの前で、その姿を見つめ直した。

 「デュオ・・。」

 最後にもう一度だけ、もしかしたらという想いを込めて、名を呼ぶ。
 だけどやはり反応はなく、ヒイロは小さく自嘲の笑みを漏らすしかなかった。
 ────目が覚めたら、どうするつもりだった?
 そう自分に問い掛けて、でも言葉を返せない感情にやりきれなくて首を振る。
 それから、やはり最後にと、デュオの額に軽く触れるだけのキスをして。
 デュオの姿から背を向けた。


 カチリ。
 まったくの偶然。いや、偶然というよりも、あまりにも出来すぎたタイミング。
 ここを去ろうと、デュオに背を向けた瞬間。
 目の前のドアが開いて、そこにはいる筈のない人物が立っていた。

 「ヒイロ?」

 真正面から見かえす形で、立っている人影は驚きを含んだ声で名を呼んだ。

 「トロワ・・。」

 ヒイロも驚きの為、彼の名を呟いた。
 何故、今、ここにトロワがいるのか。
 どちらも相手の行動が掴めなくて、困惑という感情を互いの瞳から感じ取るだけだった。





 「お前は、何を隠している?」

 とにかく、目の前のトロワに何の説明もせずに出て行く事は出来なくて、ヒイロとトロワの二人は今、客間のソファで向かいあっていた。

 「他人に、話す事ではない。」

 こうして、一応事情をある程度までは話さなくてはならない状況にはなっても、ヒイロは出来るだけ何もいわないつもりでいた。

 「それよりも、何故お前がここにいる?」

 逆に話題を変え、トロワに尋ねる。

 「俺のところにカトルから連絡が来た。心配だからお前達の様子を見てきて欲しいと。」
 「成る程な。」

 表情を変えず、吐き捨てるように、言う。
 別にわざわざ聞かなくても、トロワが来た時点でヒイロにはそれくらいの予想は付いていた。
 だから。

 「ならば丁度良い。俺はもうここを出て行く。カトルももうすぐ帰ってくる筈だ、後の事はお前が頼む。」
 「ヒイロ。」

 いい切って席を立とうとしたヒイロを、トロワの制止の声が止める。
 振り返ったヒイロと、トロワの目線が合い、共に相手の真意を瞳の中で探ろうとする。

 「何故だ。」
 「何がだ。」

 問う声と、問い返す声。
 互いに表情のないまま相手の顔を見て、冷たい沈黙が降りてくる。
 しばらくそうして会話のない、視線で伺うだけの時が流れて。

 「この数日間の事は、屋敷の者に聞いた。」

 トロワがそれだけをヒイロに伝える。

 「──────それで。」

 殊更抑揚のない、冷たい、声。
 だが、トロワの言った言葉を聞いた途端、一瞬、ヒイロの瞳にはっきりとした感情の色が見えたのを、トロワが見逃す事はなかった。
 ほんの一瞬、すぐに消された感情は、哀しみ。

 「お前達は、まるで恋人同士のように仲が良かったと。お前は随分とデュオの世話をやいていたと。」

 一旦、途切れる言葉。
 今度はヒイロから何の反応も見ることは出来なかった。

 「俺の、責任だからな。」

 返されたのは、その一言のみ。
 ──────それは、嘘だ。
 直感的にそうは思ったものの、トロワは声には何も出さずにヒイロの顔を見つめる。

 「何を隠している、ヒイロ。」

 ピクリとヒイロの眉が上がる。

 「お前に話す事はない。」

 拒絶の壁を張り巡らせて、睨みつけてくるヒイロ。
 その様子は、地球で会ったばかりの頃に近い。
 頑なに、自分以外の全てを拒絶して、その自分さえも道具として見下していた、01と呼ばれたガンダムのパイロット。
 だけど、その時の彼が一度だけ、らしくなく他人を気にしていたのを見た事がある。

 かつて、地球で。自爆した彼が目覚めて、尋ねられた言葉。

    『あの後・・他の奴等はどうなった?』
    『他の奴等?』
    『俺とお前以外のガンダムだ』

 彼という人物を余り知らない時に聞いたそんな言葉。だから、その言葉と、任務の為に自爆さえする彼を見て自分なりに予想した彼の像との間に、妙な違和感を感じた。

    『他の者も、お前の起こした混乱に乗じてそれぞれ逃げた。』
    『黒いガンダムが・・』

 だが、それは彼にしてもいうつもりがなく出た言葉のようで、すぐに自分で言葉を止めてそれきり口を閉ざしてしまった。

    『ああ、確かに黒いガンダムもその中にいたな。とにかく、一機もオズに捕まったという情報は入ってきていない。』
    『そうか・・。』

 呟いた彼の顔は、安堵・・していたようだった。ほんの一瞬、それはすぐに消された感情であったが、その表情に自分は驚いたのを覚えている。
 それからずっと後、宇宙へと出た時に、デュオが捕まって、それをヒイロが助けた事を知った時、自分はある考えを予想して・・それは、ピースミリオンで、自分の記憶が戻った途端に見た二人の姿を見て確信したのだ。
 こいつは、デュオを・・・。


 「では何故、いきなりここを出て行く事にしたんだ?」

 そう問えば、ヒイロも言葉に詰まったらしく口を閉ざす。

 「どう見ても、デュオの了承をとって、ここを出て行くわけではなかったようだが?」

 ヒイロは、やはり答えない。
 ただ、じっと睨み付けている視線が、先程より幾分弱められた気がする。

 「何故、デュオに黙ってここを出て行く?」

 畳み掛ける言葉は、気のせいではなく、ヒイロの視線を削いでいく。
 ヒイロは何も言わない。じっと自分を睨み付けてはいるが、その瞳も虚勢をはっているかのようにいつものような強さがない。しかも、膝の上にある左手が固く握りしめられて、腕が震えているのにトロワは気付いてしまった。

 「元々、ピースミリオンで戦うようになった辺りから、お前とデュオは何かヘンだった。お前達になにがあった?」

 確信を付いて尋ねられた言葉。

 「──────うるさい。」

 絞り出すように出された、声。
 今までと一変して、感情に彩られた声は酷く苦しげで。

 「お前には関係ない。トロワ。だから・・」
 「ヒイロ?」
 「だから・・・聞かないでくれ。」

 顔を背けて、ヒイロは下を向いてしまう。
 今度はトロワが言葉に詰まる番だった。

 「頼む、トロワ、何も聞かないでこのまま俺を行かせてくれ。」

 すでに感情を押さえるのが不可能になったのだろう、事情は分からないとはいえ、声の震えがヒイロの今の状況を物語っていた。

 どうする?

 自問自答をして、トロワは軽く目を瞑る。
 ヒイロのこの姿を見れば、余程の理由があるという事は分かる。だが、だからといってこのまま彼を行かせる事が、果たして本当に彼のためなのか?
 分からない。だが──────これは直感だが、このままで彼と別れたなら、自分は後で後悔する気がするのだ。
 だからトロワは自分の直感を信じて、ずっと、聞くつもりのなかった事さえもその尋ねる言葉に入れてしまう。

 「ヒイロ、お前はデュオを好きなのだろう?─────なのに何故、デュオを避けようとしていた?」
 「トロワっ」

 顔を上げて、ヒイロが叫ぶ。
 名を呼んだのはトロワの言葉を制止させる為。だがトロワはそのヒイロの反応に、自分の言葉の確信を得て、逆に言葉の先を続けた。

 「お前はいつもデュオを見ていた。だが、デュオとは目線を合わせないようにして、さらに極力デュオの目につかない場所にいようにしていた。そしてデュオの方では、お前の話をするとあからさまに話を逸らそうという態度をとっていた。それも、そうなったのがある時から突然となれば、何かがあったと思うのは当然だろう。」

 一息に全てをいい切ったトロワが口を閉ざす。
 じっとヒイロの反応を伺えば、長い沈黙の後、重い溜め息が吐き出された。

 「そうだ。俺はあいつに憎まれている──────から。」

 ぎりりと、歯を食いしばるヒイロに、トロワはもう何度めか分からない疑問の言葉を投げた。

 「何故だ。」

 ヒイロは再び下をむく。今度は右手で自分の顔を覆って。
 そして一語一語、吐き出すように言葉を投げ捨てた。

 「ピースミリオンにいた時。毎日のようにゼロに乗っていた事で、俺は精神的におかしくなりかけていた。ゼロを降りる度に襲われる精神衰弱の反動を押さえる為、いつも出撃後は部屋に閉じこもって誰とも合わないでいたのに──────あいつが、部屋にやってきてしまったから──────。」

 その先を半ば予想して、トロワが眉間に皺を寄せる。

 「お前のいう通り、俺はデュオの事を・・・。だから、あの時あいつが部屋に来た時に────自分を押さえ切る事が出来なくて、俺は──────。」

 トロワは目を閉じた。これ以上は聞く必要もない。
 目の前のテーブルを睨み付け、固く身体を震わすヒイロの姿に深い溜め息を吐き出す。

 「分かった、ヒイロ。もういい。」

 かけられた言葉と同時に、ざっと、ヒイロが席を立つ。
 見ると、今の今まで感情をむき出しにしていたその余韻は少しもなく、ヒイロの顔からは一切の表情が抜け落ちていた。
 ドアに体を向けて、歩き出す前にその顔が軽く振り向く。

 「後の事は・・デュオを頼む。あいつが次に目覚めた時、俺は姿を見せるワケにはいかない。」

 スッと、一瞬だけ細められる瞳。
 だがすぐに顔を戻して、そのまま部屋を出て行こうと歩き始める。
 その、ヒイロの後ろ姿に、トロワは最後に一言だけ尋ねた。

 「それで、いいのか?」と。

 ヒイロは一瞬足を止め・・・そして今度は振り返らずに

 「ああ。」と。

 それだけ言って部屋を後にした。
 トロワは無言で見送る事しか出来なかった。





 これで、最後だから。
 そう、自分にいい聞かせてドアを開く。

 前にデュオがいた部屋程ではないけれど、白い壁に囲まれた、明るい部屋。
 窓際におかれたベッド。
 差し込む陽光の中、安らかに眠る・・目の前の存在。
 今ここを出ていったら、恐らく二度と合う事も見る事も叶わない、初めていつまでも傍にいる事を願った、愛しい者。

 「デュオ・・・。」

 だけど瞳は開かれない。
 それは分かっていた事だから、今更失望したりはしない。
 かえって今は、自分がここを去るまで目覚めてしまっては困るのだ。

 「デュオ・・。」

 返される事のない呼びかけを、それでもヒイロはもう一度せずにはいられなかった。

 これで、最後だから。

 そっと、手を伸ばして頬に触れて、滑らかな肌を何度も撫ぜる。
 もう、二度と触れる事なんて望めないから。
 だから最後に、目を開けてくれなくてもいいから、別れを告げる為に、再びこの部屋を訪れたのだ。
 自分でも未練がましいと思う。が、それでもただ、見るだけでも良いから、最後にデュオに会いたかった。
 いつでも一人で生きなくてはならないと、それだけを教えられてきた自分の人生。その中で初めて、たった一人だけ、この腕の中へと望んだ・・デュオ。

 頬を撫ぜていた手を、額に当てて軽く払えば、薄い色の前髪がさらさらと音を立てて額から零れていく。
 寝息を乱す事なく、額をあらわにされたままで、デュオは眠り続けている。
 その寝顔は本当に安らかで────それがヒイロの喜びにもつながる。
 この静かに眠る顔をいつまでも眺めて、その眠りを守っていたい。
 本当の望みはそうだけれど。
 それは、自分には許されないから。
 きっと、目が覚めたら、デュオは全てを思い出している。
 その時に、自分は彼の目に映る場所にいてはならないのだ。
 デュオは自分を憎んでいるから・・・彼の為に、自分は消えなくてはならないから。
 もう、行かなくてはならない。
 もう、想いは全て自分の心のずっと奥へと、固めて、しまい込んでしまわなくてはならない。

 「さよなら・・デュオ。」

 別れの言葉。これが最後、もうお前の前に姿を現す事はない。
 今の自分にはこの言葉しか言う事が許されないから。

 けれど。

 「愛している。お前を。」

 もう会えなくてもいいから。
 この想いだけは、ずっと──────真実。

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