Remember <2>




 〈Two Day〉

 昨夜テレビで聞いた歌を口ずさみながら、デュオは上機嫌だった。
 とりあえずベッドの上に腰掛けて、後ろではヒイロが髪を編んでいる。

 「出来たかぁ?」

 あんまりにも長い間、何も言わず自分の髪と格闘している相手にそういって声を掛けてみた。

 「いや、まだだ。」

 律義に返事をしてくる声には感情の起伏がなくて、少しつまらない、などと考えてしまう。だから声にわざと苛立ちを含ませて、乱暴に言い放つ。

 「ん〜そんなのテキトーでいいぜ、テキトーで。」

 そろそろ、じっと待っているのに飽きてしまったデュオは、少しだけ後ろを振り返ってヒイロの顔を見ようとした。

 「バカ、動くな。」

 だけど、帰ってきた言葉と共に髪をひっぱられて、デュオはおとなしく前をむいているしかなかった。
 つまらない。
 少しふて腐れて唇を尖がらせて、うーあーと小さい唸り声を発して後ろの注意を引こうとしたが、それは単なるからぶりで終わったようだ。
 ヒイロは、黙々とただ一心不乱に髪の毛を編んでいるようだった。
 それがまた、デュオには面白くない。
 せっかくの上機嫌も、少し陰りが差してきたかと思った時、

 「出来た。」

 簡潔に告げられた言葉に、ゲンキンな笑顔を浮かべて口を開く。

 「おー終わった終わった。」

 楽しそうに、首をこきこきと少し振って年寄りのような「あ〜疲れた」を態度で現す。
 それで今度は、まだ後ろにいるヒイロを横目でちらりと見ながら、編んでもらった髪に触れてその編み具合を確かめた。
 根元をつかんで、軽く数度振って見る。
 しっぽのような明るい茶色の三つ編みが、ぱたぱたと背中で跳ねている。

 「ん、ちょっときつめだけどいいや。」

 ウィンクをしてOKのサイン。ヒイロの表情は当然だ、といっているよう。

 「それくらいの方が、ほどけずらくていいだろう。」

 声はいくらか不機嫌で、ちょっとだけトゲがある。
 多分、その理由は、編みおわる前に散々後ろを向かれて網目が緩んでやり直しを何度もさせられたからだろう。
 その不機嫌をしっかり分かっていたけれど、デュオはやっぱりちょっと文句の一つもいってやりたい気分だった。なにせ、長い間ずーっとヒイロの顔を見れなくて。
 つまらなかったのだから。

 「なーんだ、そんなの、緩んだらまた編み直せばいいだけじゃん。」
 「それも、俺がするのか?」

 憮然とした顔。

 「やってくれないのか?」

 聞き返せば、返事はない。代わりに軽くげんこつでこづかれて、「甘えるな」と返される。
 それでもやっぱ、また「編んで」といえばやってくれるだろう事を分かっているから、デュオは笑って素直にあやまった。
 そしてキス。
 昨日から何度めになるのか、数えるのもバカバカしいくらいした恋人同士のキス。
 ヒイロとのキスはとてもイイから、そうしてると「やっぱ俺達って恋人同士だったんだな」と納得できて嬉しかった。

 とりあえず、記憶は戻らない。

 それでも不安なんて全然少しも感じないのは、多分、こうして抱きしめてくれるヒイロがいるから。
 記憶をなくしていても「無条件で頼ってよい人物」がハッキリしているから安心出来る。
 
 唇を離して顔を覗き込んで、その奇麗な瞳をもっとちゃんとみたかったから、ヒイロの前髪を掻き上げた。
 デュオよりも固い性質のパサパサとした手触りの髪をそっと触れて額から払って、じっと顔を見つめる。
 ヒイロの顔の中で一番好きな奇麗な蒼い瞳。深い海の底の色。ヒイロは表情というのをほとんど顔に出さないし、言葉もあまりくれないけれど、どうやらその分、この瞳だけが彼の感情のすべてを伝える役割をしているらしい。
 そう、気づいたからヒイロの反応を見たいときは、まずその瞳を覗き込む。
 言葉で伝える事が苦手な彼の場合、そうすれば間違う事がないから。瞳は、嘘を付かないから。
 すぐ目の前にある瞳は、ときたま瞬きをしながら、それでもじっと自分の顔を見つめたままで逸らされる事はない。彼の瞳の中に映るのは、自分の姿、今はただそれだけ。

 「好きだぜ、ヒイロ。」

 目いっぱいの笑顔を浮かべて、改めてヒイロにその言葉を伝える。
 そうすると、滅多に見れない微かな笑顔に口元をほころばせてくれるから、自分も嬉しくなって、もっと笑顔でいたくなる。

 「好きだ、デュオ。」

 耳元で囁かれる優しい声。
 低音で少しかすれた声は、まるで溜め息のように、息を吐き出しながら一語一語、途切れがちに紡がれる。その声だけでも、頭の奥が痺れて体から力が抜けてしまいそうだった。
 幸せで幸せで、幸せすぎて。
 本当に自分はこんなに幸せな奴だったか不安になるくらいに・・・。

 「あれ?」

 キィン。
 突然の耳鳴り。

 「どうかしたのか?」

 せっかく和らいでいた表情を消し去って、ヒイロが心配そうに眉を寄せる。

 ああ、もったいない。

 耳鳴りと、ほんの少しの頭痛に唸りながら、真っ先に思ったのがそれだったというのは結構自分ってバカかもしれない。

 「あーたいした事ない。ちょっと耳鳴りが・・」

 冷や汗が出てきそうだったが、笑顔を作ってヒイロの顔を見返す。

 キィン。

 顔を見た途端に、収まりかけてた耳鳴りがまた大きくなったので、思わず目を細めて顔を顰めた。
 その一瞬、頭に浮かぶおぼろ気なイメージ。
 白い・・羽根。
 何か大きなモノ。カタチをもった何かではなく、ただ何か大きい・・・巨大な強い力を感じさせるイメージ、白い影のような・・・。
 そのイメージ自体は別段嫌なモノは感じなかったのに、その後に押しあがってくる、胸をしめつけるような、感情。

 哀しさと、
 やりきれなさと、
 せつなさと。

 その突然の感情のうねりが目の前のヒイロの顔に重なる。

 「どうした、デュオ。」

 心配をしてくれる真剣なまなざしを意識すると、さらに苦しさが込み上げてきて。

 「ヒ・・ロ」

 どうにかそう名前だけ呼んで、縋り付くようにヒイロの首に腕をまわして抱きついた。
 何故か顔を見たくなくて。
 でも、ヒイロから離れたくなくて。

 「ごめん・・何でもないから・・ちょっとだけこのままで・・」

 ヒイロは返事をしないで、ただ優しく頭を撫でてくれた。
 その感触に、泣きたくなった。
 理由は、分からない。


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 「どうだった?」

 検査室から出てきたデュオに、まずそう尋ねる。

 「んー大丈夫、特に異常はないってさ。ただ、記憶が戻ってくる前兆かもしれないとはいわれたケド・・。」

 笑顔でいうその声はすっかり元の通りで、先ほどまでの苦し気な感じは受けなかった。
 だからヒイロは安心して、だがすぐにその表情に翳が降りる。

 「ヒイロ?」

 その翳に気づいたデュオが顔を覗き込んでくる。こういう人の感情の変化にデュオは鋭い。

 「いや・・。」

 頭を振って、心の内の翳を振り払い、何でもないように表情を消してデュオの顔を見返した。
 限られた今だけに許された、真っ直ぐなまなざし。
 邪気のないまあるい瞳。大きく開かれたその中めいっぱいに広がる自分の顔。
 尚も心配気な表情で近づいてくるデュオの体に手を伸ばし、強引に抱きしめる。

 「ちょっ・・・イキナリはやめろっ。苦しいってっ。」
 「うるさい。」

 腕のなかでもがく体をさらに強く抱きしめて、声には苛立ちが混じってしまったかもしれない。

 記憶が戻る────。

 今の自分が、一番恐れている事。
 デュオの記憶が戻れば、こうして抱きしめる事はおろか、その姿を見る事も許されなくなる。
 今だけ、今だけ。
 ともすればこのままずっと記憶が戻らない事を願ってしまいそうだが、それは傲慢すぎる考えだと知っているから。
 せめてもう少しの間、この時間が与えられていて欲しい。
 そうして感情の昂ぶりのまま、抱きしめる腕に力を入れて・・・入れすぎて。

 デュオが盛大に悲鳴をあげる。

 「うぎゃぁああ〜だだだだだっ。バカヒイロっお前本気で俺を殺す気かっ。」

 その少年らしい乱暴な声に、沈んでいたヒイロの思考は現実へと急浮上を余儀なくさせられた。
 すぐに腕を緩めて顔を覗き込む。と、デュオは眉を吊り上げて、口だけは無理に笑みをかたどった表情で睨みつけながら、人指し指をぴっとヒイロの顔の前に立てた。

 「ばっかやろうー。てめぇ自分の力加減ってのを分かってねぇだろ!」

 その指を驚いて凝視すれば、すぐにデュオは表情を和らげて、にっと笑う。

 「いいか、ヒイロ。大切な恋人は、もっと大事に扱うモンだぜ。」

 ばぁか。と、ウインクでしめくくって、今度はくすくすと笑いだした。
 一瞬、デュオの笑う理由がわからなくて、ヒイロは文字どおり固まってしまったが、「今のお前の顔、まさに『ハトが豆鉄砲くらったような』っていうんだぜ」といってさらにカラカラと笑い出されては、思いっきり顔を顰めるしかない。
 それにまたデュオが笑うのだ。
 何か釈然としなくて、とりあえず顔を見てずっと笑われているのも不快の為、ごん、と軽く、その頭を殴った。
 あ、ひでぇ、といいながら、一応笑い声はとまったもののまだにやにやとこちらを見ているデュオ。
 殴った勢いのまま、ヒイロはそんなデュオを睨み付ける。
 すると、にやにやとバカにするようだった笑みが、急にふわりと優し気な笑みにとって代わって、デュオは軽く顔を近づけてヒイロの頬にキスをする。

 「好きだよ、ヒイロ。」

 ゆっくりと、言い聞かせるような声。

 「だから、安心しろって。」

 記憶がないくせに、まるで見透かしているような、言葉。
 そのままデュオは自らヒイロに寄りかかってきて、その胸に頬を摺り寄せた。
 だからヒイロは、今度は優しく、力を入れすぎないように注意して、その体を抱きしめた。

 「ん・・・」

 腕の中、顔を近づけて唇を合わせれば小さな吐息が漏れる。
 自分の為に開かれた口の中へ舌を滑り込ませると、待っていた相手の舌と触れ合って、その濡れた感触に夢中になる。ただ相手を求めてお互い舌を絡ませて、目をつぶってより感触だけを貪り合う。

 深く、深く。
 口の中だけで交わされる、言葉のない、相手をより確かめるための行為。
 だけれど。
 その行為はそれだけでなく。
 その先を求めたいというさらなる欲求を呼び起こしてしまう。

 理性の箍がはずれてしまったら自分は・・・。

 唇をはずす。ゆっくりと瞼を開ければ、デュオの目はまだ余韻に潤んでいて半分程しか開いておらず、宙に視線を泳がせていた。
 唇は薄く開かれたまま、キスの後のせいか少し赤味を増して濡れて光っている。
 軽く自分の背に回された腕には力など全然入っていなくて、それどころか体中の力が抜けているらしく、今、ヒイロがこの腕を緩めたなら途端に床に崩れてしまうかもしれない。
 じっと見つめていると、やっと唇が外された事に気付いたといった感じで、まだ細められたままの瞳でふわりと微笑みかけてくる。それから、嬉しそうに自分の肩に頭を乗せると、頬を摺り寄せて甘えたような仕種をする。
 だからこちらも頭を少しだけ傾げて顔をデュオの頭に近づければ・・・目のすぐ前には耳元から流れるデュオの白い項。

 「ん・・ヒイロ。」

 思わずそのラインに舌を這わせて唇で吸い上げると、デュオの声が耳を刺激する。
 甘えたような、濡れた・・・声。
 唇をずらして舌でなぞって、首筋から喉へ。
 デュオの呼吸音が少しだけ乱れてくるのを意識しながら、喉をさらに降りて胸元まで。

 「ヒイロ・・」

 デュオは拒まない。それどころか、手を自分の肩に置いて、さらに引き寄せようとしているようにも思える。

 ────拒まれていない。
 デュオの体を支えていた腕を外して、前にまわして服のボタンに手をかける。
 ────こいつは今、俺を好きだといってくれる。
 胸のボタンを一つ一つ丁寧に外して、その度に少しずつ晒されていく素肌に唇を押し当てる。
 ────だけど。
 服のボタンを全部外してしまって、手がデュオの下肢へと伸びていくと・・・。
 びくんと僅かに引きつる肌。
 微かに感じる震え。

 「ヒイロ?」

 唇を離す。
 顔を上げて、デュオの顔をじっと見返す。

 「俺・・・いいんだぜ?」

 不安を隠さない顔に、さらに愛しさは増すばかりだけど。

 「おまえなら・・なぁ?」

 だけどヒイロは静かに瞳を閉じて、軽く首を振ってみせる。
 それから軽く、頬へ触れるだけのキスをして、今度は先ほどとは逆に、デュオの服のボタンを直していく。

 「無理をする事はない。」

 そうとだけいって。一つ一つ、ボタンをはめていく。
 その作業中、手に触れたデュオの肌がまだ震えているのを感じて。
 ヒイロは、デュオに見えないように、俯いたまま苦い笑みを浮かべた。


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 <Three Day>

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 目の前に広がるのは瓦礫の山。
 神父様────。
 シスター・ヘレン────。

 「デュオ・・。」

 優しい、声。
 自分の名を愛情を込めて呼んでくれた人達。
 自分を慈しんでくれた人達。
 彼らはここにいる。
 ここに・・・自分に初めて家族の温かさを与えてくれた場所に。
 ここにいる。いや・・・ここにいた。

 学校に通い、同年代の子ども達と遊んで、学校が終わればお家に帰る。
 お家では、優しいおかあさんが待っていて、「あのねおかあさん、今日学校でね・・。」夢中になって話しかける。

 そんな普通の子どもならばありふれた日常。
 欲しくて欲しくて、でもあきらめてしまった望み。
 それを、与えてくれた人。
 学校が終ったら教会へ帰って、毎日学校で何が起こったかをおしゃべりする。
 シスターは忙しくても、自分の話を聞くためだけにその手を止める。優しい笑みを浮かべて、ちゃあんと聞いてくれる。
 学校で他の子どもに怪我をさせてしまって、その親が教会へ文句をいいにくれば、神父様は頭を下げる。自分の為に。
 どんな問題を起こしても、神父様は一方的に自分を責める事はしない。自分の言い分を聞いて、自分が悪くない時は怒らないで「お前は悪くないよ。」といってくれる。

 優しい人達。
 おとうさん、おかあさん。
 多分、自分にとってはそれと同等だった人達。
 シスターが悲しむからけんかはしない。
 神父様の頭を下げさせたくないから、何をいわれてもがまんする。
 彼らの為なら、自分はなんでもするつもりだった。
 大切な人だったから。
 大好きな人だったから。

 でも、でも、でも。
 彼らはもういない。

 優しい手は冷たくなって────。
 でもやっぱり最後まで自分に微笑み掛けて、自分の心配だけをして逝った人達。
 呼んでも呼んでも、声は返らない。
 抱きしめてくれる暖かい手は、すべてこの瓦礫の下に。

 大切な人達。大好きな人達。
 彼らを守りたかったのに、守れると思ったのに────。

 見つめる自分の掌は小さくて、あまりにも無力だった。
 だから、天に召された大切な人達の名前をただ呼んで、呼んで。
 ぽろぽろぽろぽろ、瞳から流れる涙をふく事もなく。
 初めて人の為に泣いた。


  ∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲∵▲


 部屋の中は暗かった。

 「デュオ。」

 呼びかけてみても返事はなく、人の気配を感じない。
 真っ直ぐにベットへ近づけば、シーツも掛け布団も乱れたままで、手を触れると微かに温もりが残っていた。
 だからまだ、起きていなくなってから然程たっていないのだろう。足の捻挫が治りきっていない筈だから遠くへ出歩く訳もない。
 トイレにでも行ったのかと思ったが、やけにシーツがぐしゃぐしゃにされているのが目に付いて、なんだか胸騒ぎがした。
 すぐにベットから離れて、デュオを捜そうとドアに向かう。
 だがドアを開けてその向こう、目の前には捜すまでもなくデュオが立っていた。

 「デュオ?」

 真っ直ぐに見つめられて、青紫の大きな瞳がよりいっそう開かれる。
 そして名を呼んだヒイロの声を聞いた途端。
 ぽろぽろぽろ。
 瞳の大きさに合わせたような、大粒の涙が零れ落ちた。

 「どうした?」
 
 しばらく、その顔を驚きでみつめたまま固まってしまったヒイロだが、すぐに正気に戻ると、出来る限り声を和らげて、そう、声を掛けてみた。
 ヒ・イ・ロ
 声はない。
 けれど、わなないて震えながら、唇だけが自分の名を形どる。
 それから大きく開かれて、でも表情もなく涙だけ流し続けていた瞳に、哀しみの感情が浮かんだと思った瞬間、目を細めて自分に抱きついてきた。

 「ヒイロ、ヒイロ・・。」

 縋るように、必死になって、抱き付いてくる細い体。
 顔を押し付けられた胸に暖かな湿り気が広がる。

 「どうしたんだ、デュオ。」

 子どものように、声をしゃくりあげて泣きついてくるその体を抱き留めて、頭を撫ぜながら安心させるように優しい声で。
 それでもデュオはなかなか言葉を話そうとはせず、いや、泣いているために話せないだけなのかもしれないが、ひっくひっくと喉を鳴らしてしがみついているだけだった。
 呟きのように、その合間合間で自分の名を呼びながら。
 デュオはただ泣いていた。

 「ヒイロ、お前はどこへもいかないよな。」

 やっとの事で泣き止んで、顔を上げて最初に言って来た言葉はそれだった。
 一瞬、ぎくりとして、だけど今それを気付かれるわけにはいかないから、顔には笑みを乗せて、「ああ」とかえしてやる。
 そうすればデュオは、涙でぐしゃぐしゃになった顔に不安そうだけれど笑みを浮かべて、自分の服を掴み固く握り締めていた掌を離す。
 とん、と軽く、今度は寄りかかるように自分に体重を預けてきて、肩を見ていれば泣いてひくついていた呼吸が穏やかになってくるのが分かった。
 それからもう一度顔を上げて

 「ありがとう」

 と本当に嬉しそうな笑顔を向けてくる。

 「・・ごめんな、ちょっと・・ガキの時の事思い出したら不安になっちまってさ。」

 一瞬、その言葉に心に冷たいモノが降りてくるのを感じたが、それでもすぐに思い直して体の力を抜く。そう、もしもあの記憶が戻ったのなら、ここでこうして自分に抱き付いてくる事は有り得ないのだから。

 泣き止んで、少し落ち着いてくると、デュオは思い出したという子ども時代の記憶を話してくれた。
 デュオが孤児で、スイーパーグループという集団で育てられた事は、ヒイロも前に聞いて知っていた。だが、そこへ来る前、何をしていたかという詳しい話しまでは、その時のデュオは話さなかったし、自分も聞こうとは思わなかった。

 「孤児でさ、浮浪児でかっぱらいをやったりしてその日その日を生きるのにせいいっぱいで、いつ死んでもおかしくはなかった。でも、そんな俺を教会が引き取ってくれてさ・・」

 そこにいた神父様とシスターは自分に優しくしてくれたと、さびしそうだけれど柔らかな笑みを浮かべて、呟きのような言葉を漏らす。その時の事を思い出しているのか、視線は和んで遠くにあり、その表情だけで彼らをデュオがどれほど慕っていたのかが分かった。

 「だけど・・二人とも死んじまった。」

 辛そうに歪む瞳。
 今にも泣き出しそうに見えたから、ヒイロはその頭に軽く手を置いて髪を撫ぜた。
 そうすれば、デュオはその手の感触をより感じようとしているのか、目を瞑って黙ってされるがままになっていた。
 しばらくそうして。それからゆっくり瞳を開いて言葉を続ける。

 もの心ついた時から誰にも必要とされなくて、だから自分の力で生きていこうとしたけれど、でも本当はずっと寂しかった事。
 けれども、自分という存在を好いてくれた人は皆死んでしまった事。

 「でも、今俺にはヒイロがいるからな。」

 暗く沈んでいく声は、最後の一言をキーワードとして明るさを取り戻す。
 それが、ヒイロの心の中に『喜び』と『痛み』という相反する感情を呼び起こすのを、ヒイロは努めて顔に出さないようにした。
 目が覚めて、すぐにヒイロに会いたくなって・・・デュオが部屋にいなかった理由は、ヒイロを捜していたからだという。

 「お前がいるから。今はお前がいるから・・。」

 何度も呪文のように呟いて、もたれかかってくるデュオ。

 「お前は俺の事必要としてくれるよな。」
 「ああ」
 「どこへもいかないよな?」
 「ああ」
 「ずっと一緒にいてくれるよな?」
 「・・・ああ」

 不安を映す瞳にそう応えてやるけれど、それは本心ではあっても本当にはならない。
 出来る事ならずっとデュオと一緒にいたい。
 本当に望んでくれるならば、自分はずっと一緒にいてデュオを守ってやりたいと。
 そう、思うけれど。
 でも、記憶が戻ればそれは絶対に有り得ないから。
 こうして記憶の断片が戻って来ている今・・・この時間が終るのは、もう、見えない先の話ではないという事を、ヒイロは分かっていたから。


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 「でもさ、こうして少しでも記憶が戻ったって事はいい事だよな。」

 重い空気。いつまでもそんなものを張り付かせているなんて自分らしくないから、顔を上げて先ほどまでの雰囲気を消して、努めて明るい声でそういってみる。

 「そうだな。」

 何故か自分よりも辛そうなヒイロの雰囲気を払いたくて言った言葉なのに、そのヒイロは、そういってまた瞳に哀しそうな光を映した。それは一瞬の事で、すぐに消えていつもの無表情になってしまうけれど、確かに垣間見たヒイロの感情は・・・。

 何が哀しいのだろう?
 そんな顔させたくなんてないのに。

 首を傾げて、じっとその目を覗き込んでみれば、やっぱりその中に哀しいような辛いような、そんな暗い翳を見つけてしまって不安になる。
 だから素直にヒイロにどうしかしたのかと聞いて見れば、ヒイロは「なんでもない。」としかいわなくて、その目の中の翳を消すように瞼を閉じてしまった。

「足は、痛まないのか?」

 突然、ヒイロは屈んで捻挫していた足首に触れようとする。
 話題を摩り替えようとしているのがありありと分かってしまったけれど、デュオはもうそれ以上ヒイロを問い詰めたくもなかったから、話の切り替えに従う事にした。
 かえって、この雰囲気を変えられるならばそれは歓迎すべき事でもあったし。

 「うん、もう痛みは全然ないんだ。まぁ、どうせ軽く捻った程度だったし、それなのにここ数日全然使わないで治すのに専念させてもらったからな。」

 だから、もう大丈夫。
 笑いかけると、ヒイロもつられたように表情を和ませる。
 それにほっとして、でもまだなんとなく残る沈んだ空気を追い払いたくて、今思い付いた事を口に出してみる。

 「なぁ、ヒイロ。足も治った事だし明日はどこか出かけようぜ。」

 ヒイロが瞳をまあるくして驚く。
 うん、沈んでいるくらいならこっちの方が全然いいや。
 にこにこと笑顔でプレッシャーをかけまくって「なぁ、いこうぜ」とおねだり攻撃。
 そうすれば、応えに悩んでいるヒイロの顔がどんどん顰められていくから、デュオは楽しくなって益々しつこくヒイロにねだる。
 ヒイロが出かけたりするのが好きなタイプの人間ではない事は知っている(そう、何故か知っている)から、本心は嫌なのだろうと思うけれど、だからこそいってみる。

 笑いかけて、話し掛けて、ひっぱって。
 そうして相手のヒイロはいつもしかめっ面。
 なんだかそういうのが自分達らしい。そう、思ったから。
 その、はたからみれば、到底仲の良いように見えないようなそんな状態が、妙にしっくりときて安心できるから。
 成る程、多分、なくした記憶の中の俺達ってこんな感じだったのかな。
 そう思いながら、猫がじゃれつくようにヒイロの肩を引っ張って、なーなーいーだろーと騒ぎ立てる。
 そこまでやれば、ヒイロも困るよりもうるさいらしく、眉をぴくぴくと寄せて怒りを押さえているような表情になる。

 あーそろそろかな。
 ぴたりと、おねだり攻撃をやめて、ヒイロの顔をじっと見つめて数秒。

 「なぁ、ヒイロ。俺、お前と出かけたいんだ。お願いだからさ。」

 今度は真剣な声でだめ押しの一言。

 「・・・・」

 ヒイロが大きな溜め息を吐く。

 「分かった。ただしあまり遠出はしないからな。」

 嫌そうに言われた言葉に、満面の笑顔で飛びついて、

 「ありがと、ヒイロ。」

 語尾にはハートマークでもついてそうな声で言った。

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