宝石子守歌 −3−

今回2話UPですので、NEXTを見てくださいね。最終話まであります。






−−−−【三】−−−−


 こそこそと、向こうの部屋で何か話しているのが、僅かに聞こえる。
 流石に話の内容までは分からないものの、時々聞こえる不安そうな声に、これから行われる事がいつも以上に危険なのだと予想がついた。
 第8試験室。ここには前も来た事がある。
 他の部屋と同じように白い部屋の中、他と違うのは測定機の種類と数だろう。それと…恐らくこれがここの一番の特徴といえる、壁に根元が埋め込まれている太い鎖。
 鎖の先には拘束具がついていて、それは今、彼の腕につけられている。
 実験の準備をする者たちは、先程から慌ただしく走りまわっていて、こちらに声を掛けてくる事はない。彼らから感じる通常とは違う緊張感だけ見ても、今日の実験が危険な事は明白だった。
 …かといって、自分に拒否権があるわけでもない。
 行き交う人々を黙ってみながら、座らされた台の上で、彼はおとなしく待っていた。

 「これを噛んで。」

 言われたまま、目の前に出されたものを口に入れて噛む。
 …なるほど、これは彼らの気遣いらしい、と思えばますます気持ちが冷えてくる。
 腕を拘束して、舌を噛まないようにして。…足が自由なのは片手落ちだな、などと、他人のように思いながら、やっと準備が出来たのか、注射器を持った者が近づいてくるのが見えた。

 「腕を出して。」

 刺される液体は、どれくらいの危険度なのか。
 どうせ、ここで作ったものだろうから、彼の薬物に関する膨大な知識を持ってしても、その効果は分からないだろう。
 感慨もなく、体に押しこまれていく注射器の中身を見つめた。

 もし、この実験の失敗で死ぬ事があるのなら…。

 そう思って、何気なく思いついたのは、何故かあの少年の顔。
 少年は、あれからも、何もなかったかのようにやってきては、いつも通りに勝手な事を喋って行って、何時の間にかいなくなる。
 彼も、少年に対して、特に何かを質問する事はなかった。
 けれど、今の彼は知っている。
 この施設に、今、預けられている『素材』は、自分一人だけだという事を。
 調べて分かった事を、だが彼は驚かなかった。疑問にも思わなかった。

 どうせ、自分もその内…彼、と…同じに、な、る…。

 彼が平静を保っていられたのは、そこまでだった。




 耳ざわりな音がする。
 キィーと、高い、引っ掻くような音。
 音は増えていく。ヤメロと叫びたかったが、声は出ない。
 それどころかますます多く大きくなっていく騒音に、吐き気さえしてくる。
 気分が悪い、喉が乾いた、体中が痛い…。

 …だから。その音を止めろ。

 ぶちり。
 音がした途端に、腕が動く。…音が一つ減る。
 …あぁ、こうすれば良かったのかと、彼はもう一つの腕にも力を入れた。
 ぶちり。
 これで自由だ。…今、自分を拘束するものはない。
 うるさい、うるさい、うるさい。
 騒音を吐き散らかすモノ達を、彼は片端から壊していく。
 耳の中で虫が飛んでいるように、耳ざわりな音は止まない。
 何かはたまに突然高く大きな音を出し、そうすれば耳の中飛んでいる虫が、奥に…脳にまで近づいてくるような感覚を起こさせる。

 ―――だから、音の出所を壊して、黙らせろ。

 彼はただひたすらに腕を振り下ろす。音を出す全てのモノを黙らせるために。
 『音』は総て耳ざわりなノイズを纏って来るから。
 膨れあがった神経、感覚は、ほんの少しの外部からの情報でも、全てを最大値として受け取る。そうかと思えば、逆に感覚が麻痺している部分もあって、例えば、今の彼は目が見えない。
 暗闇の中、音に近づいて、『音』を壊す。
 体の痛みは何もしなくても強すぎて、腕にぶつかるもののせいで起こっているであろう痛みも、更に上の痛みに消されているのか分からない。


 …それでも、感覚は少しづつ収まってくる。

 打たれた薬の量はよほど抑えられていたらしく、実際、彼が暴れていた時間は、数分間程度の事だったのだろうと思う。…本人にとっては、とてつもなく長い時間であったが。

 視界が、少しづつ回復してくる。
 耳の中を這いまわる音が小さくなっていく。
 全身の痛みが薄れていって、腕の痛みだけが残っている。
 彼が、荒い息の中、顔を上げた時には。
 誰もいない、明るい廊下。
 しんと静まり返っている。
 …そして、腕は血だらけで。

 「お前は、それでも、戻れたんだ。」

 顔を上げた先、佇む少年は、いつもの笑顔を纏ってはいなかった。
 ただ、冷たい瞳だけが、廊下に膝をついたままの彼を見下ろしている。
 その顔は、いつもの少年の人格すら感じさせない、無表情そのもの。
 けれども。

 「その薬だけでも、3人くらいは死んでる…。」

 呟いてから、僅かに唇だけをつり上げて。

 「けど、お前は出来るだけ殺すなっていわれてたから、奴等薬を抑えたんだな。…そしてお前の力は、予想以上だった…押さえの鎖なんて意味がないくらいな。」

 くくく、と声を漏らすその音は「あの少年」の声ではなかった。
 いくつかの声が重なったかのような響き。鳥肌が立つほどの冷たさを感じる、暗い声。

 「いい気味だ、散々あの薬でたくさんの子供を殺して来た奴等が、そのせいで死ぬなんてな。」

 少年の冷たすぎる声に、彼の頭の熱までもが冷えていく。急激に、現実を現実として認識できるようになり、全てを他人ごとのように理解する。

 …あぁ、確かに、俺が殺した。

 彼は、自分の腕の血の意味を知っていた。
 乾いた血でべとべとする手をちらりと見つめて、普段から表情の抜けたその顔の中、僅かに眉を曲げる。
 …今更、だ。
 目を瞑って。ゆっくりと再び彼は少年を見上げる。
 廊下は、静まり返っている。人はいない。警備のものはいる筈だが、ソイツらがやってくる気配はまだない。もしかしたら、事故が事故であるから様子をみているところか。
 目の前に立つ少年は、くすくすと、楽しげに笑っている。
 笑い声だけが、不自然なエコーを纏って、直接耳の中に響いてくる。

 「…お前は、死者か。」

 呟けば、少年は笑う事を止めた。
 影を纏った、青白くさえ見える白い顔が、無機質な表情でただ彼を見つめてくる。

 「そうだよ、知ってたか?」

 そうして口を開いた途端、目の前の姿は、影のようにゆうらりと揺れる。
 今まではっきりとした実体として映っていたのさえ、まるで嘘のように。
 その姿は投影された画像のように、生き物ではなくなっていた。
 それでも、彼は驚かない。動揺を微塵も見せない。感情のない瞳に、もはや生物でない少年の姿を真っ直ぐ映して、静かに問う。

 「展望室で死んだか?それとも、この薬で死んだのか?」

 表情を変えずに問う彼に、少年はにっと唇の端を釣りあげた。

 「全部さ。…ここで死んだ者、ここに心を残した者総てが『俺』となってる。表面に見える『俺』はただの映した影、これは借りモノなんだ。」

 最初は、確かに、あの展望室で死んだ子供だったけど。…そう、少年はつづけた。

 今まで何人も連れられ来ては、死んだ少年達。
 閉じ込められ、実験『素材』としていつ死ぬのかと脅えながらいた少年達の心だけは、死んでからもこの場所に閉じ込められたまま、残ってしまった。
 それが、今、目の前にいる存在の正体。
 彼の頭の中に、夢の中の子供の姿が蘇る。

 カエリタイ、と言って死んだあの子供の。

 「いかないのか?」

 ぽつりと、当然のような口調で。
 彼は、依然変わらぬ無表情のままで少年に言った。
 今度は、え?と驚いたように、少年の方が目を見開く。
 何を言っているのかと、まるで分かっていない素振りを見せる少年に、彼は立ちあがると通路の奥へ向かって歩き出した。

 「おいっ、どうしたんだ、お前?」

 困惑する少年は、それでも彼の後をついてくる。
 彼は、何も言わずに歩いていく。生活ブロックを抜けて、外部ブロックにたどり着き…通常ならば、とっくに警備のものにとがめられている筈の場所に来て…。

 「逃げたいのだろう?」

 唐突に、彼は足を止めて、後ろに付いてきた少年に振り返る。

 「この先は、緊急脱出用のシャトルポートだ。外への隔壁は俺が開けてやる。今なら、警備が混乱している、どうにかなるだろう。」
 「まてよ、何いってんだ。」

 焦る少年を無視して、彼は通路の先を指さした。




 「いけ。あの先には、本当の宇宙がある。…外へ、出られる。」




 その言葉につられるように、少年はゆっくりと彼の示した方に目を向ける。

 「外?」

  瞳は呆然と、ただ、その先を見つめる。

 「帰るなり、どこかへいくなり、好きにしろ。」

 言って彼は、少年に背を向けて走り出した。




   ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽




 後ろに付いてくるものを確認する事はせずに、彼は走っていた。
 流石に、格納庫に入ると警備員はいる。
 けれども、実験区画の事故はこちらに届いていないようで、警備員達は皆、のんびりと決められた順路を歩いているだけだった。どうやら、薬で自分が暴れていた時に、警備システムの一部を破壊していたらしい。本来、こういう事態ならば、最高レベルの警戒体勢が取られる筈なのに、辺りには警報も鳴ってなければ、慌しさのカケラもない。

 …だから、今なら。

 物影に隠れて、歩いてきた警備員の後頭部を殴って気絶させる。
 出来れば、まだ、騒ぎを起こさないように。
 ここの機器類は、動力から何から全てにおいて、施設内から独立したシステムで動いている。
 だから、格納庫の奥、シャトルのすぐ傍にあるコントロールルームまで、その直線距離上にいる警備だけを出来るだけ音を立てずに気絶させていく。

 あの少年は、どこへいったか…。

 そんなものは確認しない、する必要はない。
 緊急の事態でないなら、ここの警備などたいした数はいないから、彼の目的は速やかに果たされる。
 コントロールルームに入った彼は、すぐに全ての動力のスイッチを入れた…。



 彼が、覚えている昔の事に、帰るトコロの記憶なんてなかった。
 何故かは知らない。
 覚えている記憶の一番古いものは、瓦礫の街の中さまよっているところで、それ以前の記憶は何一つ持っていなかった。
 親のない孤児ならばコロニーにはいくらでもいたが、親の記憶さえない彼は、だから本当に何も持っていなかった。
 ただ、それでも生きていたから、本能の欲求だけには従って、動いてはいた。
 お腹がすいた、喉が乾いた。
 そうして、さまよい歩いているところを、とある男に拾われ、生きる術を身に付けた。

 その男も、今は生きていない。
 それからの自分を後悔するつもりなどないが、何も持たない彼には、帰るところなんて最初から無かった。

 だから。

 『カエリタイ』という言葉が分からなかった。
 その言葉をいう時の人の感情が理解できなかった。
 けれども、自分に言えないその言葉に、分からない感情に…おそらくは、憧憬のようなモノを持っていたのだと思う。
 彼には、分からないモノ。
 分からないからこそ、ひかれるモノ。
 決して、手に入らないモノ。
 彼には生きる道に選択肢などない。
 定められ、命じられた道を歩く事だけ。
 後ろを振り返っても、戻るべき場所もなければ、休む場所もなく、今来たばかりの道は既に消えている。
 前に見える道は、どこまでいっても壁の中に閉じられている。
 自分は、ただ生きているだけなのだと。
 そう考えて、感じる、この苦しみを何というのか。



 薄ぐらいコントロールルームの中、彼の顔がディスプレイの光を映して青白く浮かびあがる。
 その表情には、感情と呼べるものはない。時間さえ止まったように動かない顔の中、瞳だけが画面を追って細かに揺れる。
 カタリ、と。彼が最後の解除キーを押して、指を止めた。
 途端、画面はシステムの実行経過情報表示に切り変わり、カウントダウンが始まる。
 振動する部屋、様々なモノが動き出して、辺りの機器がいっせいにLEDを点滅させる。色とりどりの光が、彼の周囲でめまぐるしく動き出す。
 彼は、シャトルの発射ゲートを映すディスプレイだけをじっと見つめ、掌を意識せず握り締めた。
 幾重にも重なるゲートは内側から順に開いて行き、厚いコロニーの外壁の中を外へ向かって進んでいく。
 傍に世話しなく点滅する光達も、騒がしいアラームや稼動音も、今の彼には感じられなかった。


 本物の宇宙なら、訓練で何度も見ている。
 けれども、何故?
 何故、今、こうして外へと近づいていく画面を見るだけで、こんな高揚感を感じる?
 
 画面に映るのは最終ゲート。これが開けば、宇宙が見える。…本物の宇宙が。
 偽の宇宙を映していた壁の、その、本当の外への道が開く。

 ―――あの少年『達』は、何といっていただろうか。

 どこへも逃げられない、壁の中。
 その、外の世界へ。
 何の規制も束縛もない外へ出たいと、そう、いっていたのではなかったか?

 最終ゲートがゆっくりと開いていく。
 その外はただの暗闇。何もない空間。
 けれど、それはどこまでも続く。
 永遠に人類が全てを知りつくし得ない、100%の希望も100%の絶望もない場所。
 人が生きていけない、死の空間。
 けれども、その暗闇の中は、自分にない別の生をいくつも抱いている。
 壁に囲まれた部屋ではない、本物の外。
 彼は、ただその暗闇を見つめた。
 他には何も見えず、何も聞こえず。その暗闇を見て、まるで像のようにぴくりとも動く事なく。

 …何を、自分が今、感じているのかは、結局分からなかったけれど…。

 大きく部屋全体が振動を始めて、彼の思考は現実に戻ってきた。
 すぐに、コンソール画面を確認して、状況を調べる。理由はすぐに分かった。彼は一瞬だけ目を見開いた後、すぐに自嘲めいた笑みを口元に浮かべた。

 「…成る程な。」

 施設内の自爆システムが稼動している。
 ここにあるのは緊急脱出用の手段。だからなによりも施設の秘密を守らねばならない事を考えれば、施設の自爆システムとここの脱出用システムが連動していたとしても不思議ではない。
 自爆システムの解除は、不可能ではない…のかもしれない。
 彼ならば、解除可能かもしれない。
 だが、彼はキーに手を伸ばそうとはしなかった。ディスプレイ上のカウントダウンが進む様を、瞳に映しているだけだった。

 …結局、今の自分に、もし、自由になる方法があるのだとしたら…。

 「なぁ、お前さ。死にたいのか?」

 ふと聞こえた声に、彼は顔を上げる。
 実体のない、うすっぺらな姿。点滅するLEDや液晶のバックライトの光が透けて見える、かつて、生きていただけのもの。
 少年の姿に、彼の表情はやはり変わらぬままだった。

 「お前は、まだ行かないのか?」

 言えば。
 実体に見えなくなってから、ずっと冷たさしか纏わなかった少年の顔が、にこりと笑みを浮かべた。
 それは、少年が生きているフリをしていた時に、ずっと自分に向けていた無邪気な笑み。
 彼は、自分でも分からず、驚きに目を見開いた。
 そうして今更ながらに、自分は、この少年の笑みを見る事を好ましかったのだと自覚する。

 「行くよ。ありがとう。…でもさ、その前に…」

 笑顔のまま、少年は彼に手を伸ばした。

 「お前、生きてくつもりがないなら、俺達と一緒にいくか?」

 壁の向こうへ、本当の外へ、…帰りたかった場所へ。全ての重いかせを…命さえ捨てて。
 笑い掛けてくる少年の笑顔も、伸ばされた手も、彼にとってはとても暖かそうに見えた。

 『死』は、彼にとって恐怖ではない。少年達と行く事を選ぶ理由はあっても、断る理由は彼にはなかった。『死』は、自分を開放する最後の手段である事を、彼はいつだって分かっていたから。

 「俺は…。」

 それでも、唇はそこまでで止まる。
 何か、それでも彼の言葉を止めるモノがある。
 口元まで出ている筈のソレは、音にはならない。
 暖かい笑みを浮かべる少年を見つめたまま、彼はただ立ち尽くすしかなかった。
 何故と自分に問うても答えのない何か。
 ただ、彼の瞳には、少年の笑顔の向こうに、ディスプレイに映し出された深淵の宇宙が見える。

 「そっか。お前はまだ帰れるんだな、本当に。」

 一際嬉しそうに、少年は笑う。
 同時に、その姿はふわりと宙に浮かんだ。

 「俺には帰るところなどない。」

 呆然とその姿をみたまま呟く。
 少年はそれにも笑みを返すと、ふいに背を向けて彼と同じディスプレイに映る宇宙を見つめた。

 「帰れるよ。俺達は逝く事しかできないけど、お前はこれからどこにでも。好きなところへ、知らないところへ、どこへでも帰る事が出来る。」

 いって、ちらりと振り向くと、少年は悲しげな笑みを浮かべた。

 「ありがとう。お前がこっちに来なくて良かったよ。」

 かける言葉もない程に、少年の笑みは悲しくて。でも、嬉しそうにも見えて。
 彼は、やはり黙ってその姿を見るだけだった。
 目の前から、少年の姿が消えても、ただ見る事しか出来なかった。
 同時に、あの少年の仕業であろうか、自爆システムのカウントがぴたりと止まり、けたたましかったアラ−ム達の音も消える。
 点滅するLED達が赤からグリーンに切り変わっていく中、静まり返った部屋の中で、彼はただ前を見据えて立ち尽くしていた。
 彼の目の前、かつて人であった悲しい影が消えた跡。

 そこには、ディスプレイに映る宇宙の姿だけがあった。







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