それはすべて小さな奇跡





  【2】




 その日の内に、馬車はエル・エルの街につき、とはいえもう日は暮れていたから、二人はここで一泊する事になっていた。
 リパ大神殿からの仕事だけあって、宿泊はエル・エルにあるリパ神殿で無料で泊めてもらえる事になっていて、本当に掛かる費用は全部向こう持ちでラッキーという状態ではあるのだが、シェスはもう、そう思う気力もなくなっていた。

「一晩中、あいつのおしゃべりに付き合ってたら、精神的にもたねぇ」

 だから、少しだけ夜遊びをして、あの少年神官が眠ってから帰ってこよう、とシェスは思ったのだ。
 この街に関していえば、買い出しの度に遊んで帰った場所であるし、遊べる場所も、行ってはいけない場所も、まぁ大抵は分かっている。
 あまり金をかけずに、適度に息抜きをしながら時間を潰す事くらい慣れたものだと言っても良かった。

「まぁた明日もあいつのお守りだしなぁ……」

 英気を養っておくにこした事はない、とシェスは揚々と街を歩く。
 エル・エルは、このあたりの領主がいる街というだけあって、それなりに大きい街だった。
 少なくとも、昼なら大通りは露店が並び、冒険者が行き交う。冒険者事務局もちゃんとあるし、夜は一晩中遊べるような歓楽街もある。
 ここなら顔見知りの酒場もあるし、そこなら店の隅っこで武器磨きのバイトをやらせても貰えるだろう。お代は金ではなく、ジュースかつまみをちょっと貰える程度でいい。店側もサービスの一つとして客に喜ばれるから、いつも歓迎されていた。
 ただ、基本お金は貰っていなくても、最後に女将が少しだけ小遣いを包んでくれるのが結局目当てではあったのだが。
 うん、久しぶりにそれもいいかな、と思ってにやにやとしていたシェスだったが、そこで聞きたくない声が聞こえた気がして、思わず足を止めた。

「大丈夫ですか? 何処か具合が悪いのでしょうか?」

 どうみてもペインの声が聞こえたのだが、直後にシェスは空耳だったと思う事にした。
 ……のだが。

「あ〜、うん、おじさんくらくらしちゃってねぇ、坊やにみて貰えると嬉しいかなぁ?」
「大丈夫ですか? 歩けますか?」
「うんうん、このおじちゃん歩けなくなってきちゃったからぁ、ちょっと宿に戻って治療しようと思ってたとこなんだぁ。よければ坊やもそこでおじちゃんをみてあげてくれるかなぁ?」
「分かりました」

 ――おいおい、どうみてもそりゃ、具合が悪いんじゃなくただの酔っぱらいだ。

 とつっこんでる場合ではなく、彼らの意図が分かったシェスは助けにいくべきかどうか迷う。
 シェスの仕事は護衛ではなく、ただの道案内だ。
 子供であるシェスに頼んだのだから、彼を守るというところまでは最初から求められてはいない筈だし、大人相手だったから助けられなかったといえば仕方ないで済むだろう。
 ましてや、ペインが勝手に街をふらついて起こった事など、直接シェスが責められる事はまずない。
 それに、あの頭の先からつま先まで日向ぼっこ中のおめでたい少年に、少しくらい世間の怖さというのを知らせてやればいいという思いも少しある。
 どうせ、いくら酔っぱらいと言え、彼の服装をみればリパ神官だというのは分かっている筈。ならば、彼に何かした場合の罪は重い、あまりにも酷い事は出来ないだろう、とも思う。

 それでも……。
 シェスは、ペインがつれて行かれた路地の方をじっと見つめる。
 それから、ち、と舌打ちをして、彼らを追いかけて路地に入っていった。

 暫く行って、彼らに追いつくと、そこには予想通りの光景があった。

「あの……ここに泊まっているのですか?」
「そうそう、ここだよ」
「あーもうくらくら酷くなってきちゃった、早く寝ないと大変だぁ」
「でもここは……」

 あの世間知らずの少年でも、彼が連れて来られたのがいかがわしい場所だというのくらいは分かったらしい。
 女の子みたいに可愛い、という程ではないが、確かに言われれば彼の顔は十分可愛い方には入るだろう、とシェスは思う。神官なんて職業柄、華奢だし、あの長い髪だし、ちょっとソノ気になる連中がいてもおかしくはない。……女の子と違って、男へのそういう犯罪はそこまで重い罰はつかないのもあって、女の代わりになりそうな男は、ヘタな女よりも余程危険だと聞いた事はある。
 酔っ払った上ににやにやといやらしい笑みを浮かべた男二人は、尚もいろいろ言って少年神官を怪しい連れ込み宿の中に入らせようとしている。
 ペインの方といえば、確実にヤバイというのが分かっているだろうに、未だに男達の話に一々答えている。
 あーもー、酔っぱらいくらい、足引っかけてさっと逃げろよ、と思いはしても、シェスは気づけば走っていた。

「あの、もし何でしたら、ここでみて差し上げる訳には……」

 だが、逃げ腰で体を引いていく少年の腕を、男はがっしりと掴んで引き寄せる。

「いいからこいっていってんだよ、ここまで来て置いて逃げれると思ってんのか?」

 もう隠す気もない男達は、本性を表して少年神官の口を押さえ、強引に店の中へ引きずり込もうとする。
 気づいたペインは暴れ出すが、大人二人に逃げられる筈もない。

「ったく、こんなことならさっさとどっか人目ないとこでやっちまえば良かったじゃねーか」

 男がペインを抱きかかえる。
 男の胸にやっと届くくらいの身長の少年など、簡単に片腕で持ち上げられてしまう。
 だが。

「てててぇっ」

 男が叫んで少年をかかえようとしていた腕を押さえる。男が押さえた腕に刺さるのは、小さな投擲用のナイフだった。
 だが、ペインはその男の腕からは離されたものの、もう一人の男に腕と口を押さえられたままだった。
 再びシェスはナイフを投げる。今度はもう一人の男の腕を狙って。
 ナイフは見事に男の、ペインの口を押さえている腕に刺さったものの、少年の腕を掴んだその手を離さない為、彼はまだ逃げられない。
 シェスが忌々しげに歯を噛みしめると、横から最初に腕にナイフを投げた男が掴みかかってくる。

「このガキがっ」

 いくら大人といっても、相手はかなり酔っている。男の腕をひらりとかわせば、男はバランスを崩して地面に倒れる。運が悪い事に男は頭から倒れたらしく、唸りながら起きあがれないでいるその姿に、どうにか一人は片づいたかとシェスは思う。
 だが問題はもう一人だ。

「てめぇ、ぶっころしてやるっ」

 ペインの腕をつかんだまま男が叫び、殴り掛かってこようとする。
 シェスは面倒そうに大きく溜め息をつくと、その酔っぱらい親父に向かってナイフを投げる構えを見せた。

「あのさ、俺あんまり腕っぷしに自信ないんだ。だから、本気で喧嘩する気なら、急所しか狙わないよ」

 今にも走ってこようとしていた男が、その言葉で上げた拳を躊躇う。

「おっさん酔っぱらってるしさ、ナイフより早く俺を殴れる自信も、避けられる自信もないだろ? そいつ離してくれれば俺もこれ投げないんだけど。こんなつまんないとこで、一生モノの怪我とかしたくないよね?」

 男とシェスの間にはまだ距離がある、つまりまだシェスに有利な状況だ。
 いくら酔っぱらっていても、その程度の判断は男も出来たのか、男はペインの手を離した。
 だがそこでほっとしたのも束の間、シェスは自分の目を疑った。

「神よ、その慈悲深き救いの手を彼に……」

 ペインは男のナイフが刺さった跡の腕に治癒の術を掛けている。
 あっけに取られるシェスと男の前で、彼は術を終えるとシェスの元へやってきて、ついでに傍に倒れていた男の腕と頭にまで術を掛けていた。

「ありがとうございます、シェス」

 この状況を分かっているのかとつっこみさえ入れる気力もなく呆然としているシェスに、彼は笑顔で礼を言うと、では行きましょうか、と表通りに向かって歩いていった。
 おそらくシェスと同じくあっけにとられた男達は、その後追ってくる事はなかった。







「お前なー、あんなやつわざわざ治してやらなくてもー……」

 表通りに出て我に返ったシェスは、先にすたすたと歩いているペインの腕を掴んだ。
 だがそこで、神官らしくシェスよりも少し細いその腕が、掴んだ途端震えているのに彼は気付いた。
 それで、シェスは文句を言おうと思って大きく開けた口を、思わず閉じて溜め息を付いてしまった。

「……ったく、怖かったんなら尚更だ。あんな奴ら放っておいてさっさと逃げてくれば良かったんだ」

 呟けば、ペインはゆっくりと振り返る。
 先程、男達の前で見せた笑顔はただの強がりだったのか、こちらを向いた彼の顔は、笑顔ではあってもぎこちなく、今にも泣きそうな顔に見えた。

「でも、怪我した人を放っておいてはいけませんよ。……それに、ちゃんと治しておけば、あの人達も後でしかえしをしようとは思わないと思いますし」

 無理に浮かべているような笑顔は、流石に見ていて痛々しい。
 なんだかその顔を見ていられなくて、シェスは彼の顔から目を逸らした。

「どっちにしろ、ただの酔っ払いだ、明日になりゃ俺達の顔なんか覚えてやしねーよ」

 代わりに、不安そうな彼を宥める為に手を握ってやって、リパの神殿に向かって歩きだす。
 一瞬見えた彼の横顔が、ふわりと優しい笑みを浮かべる。

「あくまで可能性ですよ。彼らを治して、私達が助かる可能性が増えてもデメリットは何もないでしょう? なら、治しておいたほうがどちらにもいいこと尽くしじゃないですか?」

 先程まで微妙にあった彼の声の震えはなくなっていた。
 ぎゅっと握り返された手の震えが収まっているのも分かって、シェスは呆れながらも口元に笑みを浮かべた。

「ったく、信じられないお人好しだな……」

 ――うちの母さん以上のお人好しは初めて見た。

 思いついたその言葉に、シェスの笑みは苦笑いになる。
 リパ信徒は人が良すぎる人間は多いが、彼はちょっとおかしいんじゃないかと思う程だ。でも、母親のお人好し過ぎるところにはいちいちイラっとしていたシェスだったが、なんだか彼の場合は苛付くよりも呆れる方が先にきて、怒る気力もなくなってしまう。

「世の中、何がどう巡って助かるか分かりませんからね。小さい積み重ねを神様はちゃんと見てくださっているものです」

 まったく神官というのはこれだから、と何度目かの溜め息をしつつも、シェスはペインの手を引いて早足で神殿を目指す。

「何言ってんだ、神様なんかいやしねーよ。いたとしても人間の一人一人なんか見てられねーし、俺達みたいなどこにでもいそうな人間は助けてる暇もないんだぜきっと。さっきだって、神様は助けちゃくれなかっただろ?」
「……いえ、助けて下さいましたよ」

 その言葉にはちょっとむっと来て、シェスは足を止めてじろりとペインを睨んだ。

「何いってんだ、助けたのは神様じゃなくて俺だろ?」
「えぇ、ですから貴方が助けてくれたんですよ」

 にこにこと、すっかり昼間と同じゆるい笑顔を浮かべている少年に、シェスは少し頭が痛くなった。

「いやだから……神様じゃなくて、俺がって事はだな……」

 少年神官は握られていたシェスの手を両手で掴み、本当に嬉しそうな笑みを浮かべて言う。

「そうです、あそこで貴方が助けてくれた事が神様が起こした奇跡なんです。貴方が私を見つけて、助けてやろうって思ってくださった事こそが奇跡。ちゃんと祈りは通じているんですよ」

 ――どこまで頭の中がお花畑なんだろうこいつ。

 これ以上話を続けたら頭痛が酷くなりそうで、シェスは再び前を向いて歩き出そうとした。のだが、歩き出す前にふと思いついて、彼は前を向いたまま後ろの少年に声を掛けた。

「……あのさ、悪かったな」
「何がです?」
「お前がこんなとこうろついてるのって、俺探してたんだろ? だから……黙って出てきちまって悪かったな、ごめん」

 顔を見ては言い難くてそのまま言ってしまったのだが、言い切ってシェスがほっとしていたところで、急に他人の体温が背中にぶつかってきた、もとい、後ろから抱きつかれた。

「おいっ、お前なんだっ?」

 唐突な彼の行動がわからずに、シェスは大声をあげる。

「貴方は本当にいい人ですね、シェス。貴方に会えた奇跡に感謝します。そして、本当に先程はありがとうございました」

 ……まぁ結局、お人好しというのはそれだけいい人間ではあるので、馬鹿だなぁと思いはしても憎めないものだ。
 なんだか毒気を抜かれた気分で、シェスは思わず空を見上げる。

「ま、帰ろうぜ。明日は早いからな、さっさと帰らないと寝れないしな」
「はい」

 結局最後は向こうのペースになったというか、向うに乗せられた気がしたものの、今の気分は悪くないからいいか、とシェスは思う事にした。





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はい、2です。こんな場面書いてるから長くなるんだよ私!
まぁ、出来れば次回はH直前まで……いけるかな?



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